とか言ってるけどさ。 読み切れるの? 面白いかどうかも分からずに、最後のどんでん返しまで読み通さなきゃならないんだぜ? 昔は本一冊読み切るのなんて大して苦じゃなかったかも知れないが、歳取ると難しくなってこないか? て言うか俺は無理。記憶力落ちてて登場人物の名前すらろくに覚えられなくなってきてる。 もう冒頭の登場人物紹介と読んでるページを行ったり来たりしてる。こんな状態で読んでも面白くないだろう?
とか言ってるけどさ。 読み切れるの? 面白いかどうかも分からずに、最後のどんでん返しまで読み通さなきゃならないんだぜ? 昔は本一冊読み切るのなんて大して苦じゃなかったかも知れないが、歳取ると難しくなってこないか? て言うか俺は無理。記憶力落ちてて登場人物の名前すらろくに覚えられなくなってきてる。 もう冒頭の登場人物紹介と読んでるページを行ったり来たりしてる。こんな状態で読んでも面白くないだろう?
「貧乏」はなくなった 令和の日本には貧乏がなくなった。 そのことについて書きたい。 ……と、言ったところで「この時代、みんなが豊かだとでも言うのか?」、「困っているひとはたくさんいるぞ」、「そもそも、おまえに金があるのか?」などといろいろな声が飛んできそうだ。 なので、もう少し詳しく書く。「昭和のころにあった『貧乏』特有の概念は薄れてなくなり、令和の今にあるのはただ『貧困』や『困窮』である」と。 これならばどうだろうか。昭和の時代に、あるいはバブル崩壊前、失われた30年より前に物心あった人ならば、少しは共感してくれるかもしれない。 令和のいま、「貧しいけれど楽しい我が家」的な「貧乏」に含まれる、ある種のユーモアや前向きさはほとんど失われているように思える。かぎ括弧付きの「貧乏」。あるいは、カタカナで「ビンボー」と書いた方がいいかもしれない。 東海林さだおの時代 東海林さだおを知っているだろ
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