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ブックマーク / yskszk.hatenadiary.org (100)

  • 日本語で発表された小説以外の散文作品十選 (2007-10-21) - pêle-mêle

    いまはてなダイアリー上で、「私家版世界十大小説」なる企画がはやっているので、便乗する。しかしオレは「世界」の「十大」「小説」を選ぶ傲慢さを持ち合わせていないので、1945年8月15日から2000年12月31日までに日語で発表された小説以外の散文作品から、これといって深い理由もなくつい再読してしまうものを選ぶ。このくらい条件を狭めないと、「十大」はとても選べない。順不同。 高橋悠治「小林秀雄『モオツァルト』読書ノート」 柴田南雄『レコードつれづれぐさ』 蓮實重彦『反=日語論』 澁澤龍彦『玩物草紙』 大岡昇平『ザルツブルクの小枝』もしくは『成城だより』 沢木耕太郎『テロルの決算』もしくは『人の砂漠』 赤瀬川原平『東京ミキサー計画』*1 四方田犬彦『クリティック』*2 坂龍一「千のナイフ」セルフライナーノート 太宰治「如是我聞」 原武史『大正天皇』 と、気ままにリストアップしていたのだが、

    日本語で発表された小説以外の散文作品十選 (2007-10-21) - pêle-mêle
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    nobody 2007/10/22
    q{ 四方田犬彦『クリティック』(*2) *2:これは絶対に新装版ではなく、初版本で読むこと!} あと"坂本龍一「千のナイフ」セルフライナーノート"って「男娼願望」って奴のことかしら.
  • 「白桃あるいは樹墻による保護なしで仕立てた桃」 - pêle-mêle

    彼自身によるロラン・バルト【新装版】 作者: ロランバルト,Roland Barthes,佐藤信夫出版社/メーカー: みすず書房発売日: 1997/06/07メディア: 単行 クリック: 5回この商品を含むブログ (21件) を見るあなたは「ロマン派の音楽いっさい」、「刈った干し草の匂い」、「精製していない塩」、「白桃あるいは樹墻による保護なしで仕立てた桃」がお好きだろうか。オレは「刈った干し草の匂い」と「精製していない塩」はわりと好きだが、「ロマン派の音楽」は好き嫌いが激しい。そして「白桃あるいは樹墻による保護なしで仕立てた桃」にいたっては、何のことだか判らない。そもそも「樹墻(じゅしょう)」なる言葉は少なくともオレが持っている版では、『広辞苑』にも『新明解国語辞典』にも『大辞林』にも載っていない。 しかし交通事故で世を去った同性愛者のフランスの思想家が、1975年に発刊した倒錯的な構

    「白桃あるいは樹墻による保護なしで仕立てた桃」 - pêle-mêle
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    nobody 2007/10/18
    「白桃あるいは樹墻による保護なしで仕立てた桃」 (2007-10-16) - pêle-mêle
  • Je suis fatigée... - pêle-mêle

    YMOは前奏や間奏に、正規のメンバーではないひとによる歌詞とは異なる言語のナレーションを挿入するのを好んでいる。たとえば「君に、胸キュン。」におけるイタリア語、「Nice Age」における日語(この曲の歌詞は英語である)、「中国女」や「バレエ」におけるフランス語、そして"HASYMO"名義で発表された、現時点での最新作である「RESCUE」におけるドイツ語(だと思う)。いまは度忘れしているだけで、ほかにも具体例はあるはずだ。そしてナレーションを担当するのは、聡明そうな若い女性であることが多い。 問題なのはかれこれ24年もYMOのファンを続けているのに、今年になって「RESCUE」がリリースされるまで、まったくこうした特徴に気付かなかったオレである。何でこんなあからさまな特徴に、四半世紀も無自覚でいたのだろう。やはりオレは何かを組織的に忘却する才能に恵まれているのだろうか。

    Je suis fatigée... - pêle-mêle
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    nobody 2007/10/12
    " القوانين الجيدة تؤدي لخلق قوانين أفضل، والقوانين السيئة تؤدي إلى قوانين أسوأ. "
  • サルまんと櫻画報 - pêle-mêle

    オレが相原コージと竹熊健太郎の『サルでも描けるまんが教室』に降参したのは、初版第1刷第1巻の「書評予想」を読んだときである。これはその名の通り、「このが出ればこのような雑誌にこのような立場のひとからこのような書評が出るだろう」とあらかじめ予想して書いたものである。そして『サルまん』の「書評予想」を読みはじめたときには、赤瀬川原平『櫻画報永久保存版』(ASIN:B000J93SN8)*1の真似をしてるだけじゃねえか、竹熊健太郎も存外に底の浅いひとだな、などと思ったものだ。ところが『サルまん』の書評予想を読み進めていくうちに、「これは『櫻画報』の安易な模倣にすぎない」といったことが書かれていたのだ。要するに「竹熊健太郎も存外に底の浅いひとだな」と思う、より底の浅い読者まで念頭に置いているのだ。これには「ワタシマケマシタワ」と言わざるをえないではないか。 なおいまでも比較手に手に入れやすいのは

    サルまんと櫻画報 - pêle-mêle
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    nobody 2007/09/30
    ヒストリエ. メメタア. le développement des comics. スム.
  • 労働としての読書 - pêle-mêle

    人間を守る読書 (文春新書) 作者: 四方田犬彦出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2007/09/21メディア: 新書 クリック: 16回この商品を含むブログ (27件) を見るいちじるしい矛盾を孕んだ書物である。このを読めば『ロリータ』はやっぱ若島正の新訳で再読しなきゃ、だの、『春の雪』ってそんな話だったっけ、確認しなきゃ、だの、うわ、「ヨナ書」はちゃんと読まなきゃ、だのといった気持ちにさせられる。しかし著者自身が「を読むさいにもっとも悪い読み方とは、勉強のために、仕事のために読むこと」、「を読むさいに理想的な読み方とは、勉強とも仕事とも無関係に読むこと」としているのだ。だったらどうすればいいのだ。 なお四方田犬彦は「わたしにとって読書とは、責任を欠いた、つまり換言すればいつ放り出してもいい快楽でなければなら」ないので、登場人物の性格や細かい伏線をきちんと記憶していないと読み進

    労働としての読書 - pêle-mêle
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    nobody 2007/09/29
    未読 / 読 / あとで [[d:id:keyword:その域に達していない] も見る. [あとやっぱりいわゆってる"職業としての読書"らへん].
  • オレの失われた10年 - pêle-mêle

    ただの資格マニアではなく、明確な目的意識を持ってフランス語検定を受験しようと思い、願書を出して公式問題集を買ったはいいものの、問題集に取り組んでいるうちに10年間も怠けていたツケがまわってきたのを思い知らされる。長文読解はかつての遺産でわりと楽に回答できるのだが、細かい文法知識、とりわけ動詞の時制と活用がかなり胡乱なことになっている。これはオレだけのことではなく、受験者に共通の傾向のようだ(問題集の「ヒントと解答」に載っている、得点率のパーセンテージによる)。どうやらある程度のレベルに達したフランス語学習者は、初期段階で散々苦しめられた文法知識を忘れてしまいがちらしい。 しかしいまさら初心者向けの参考書などを買う気にはなれない、そんなときに出番になるのが蓮實重彦『フランス語の余白に』なのである。ああ、買っておいてよかった。これは「視覚だの聴覚だのを経由することなく、直接、肉体を駆使すべく作

    オレの失われた10年 - pêle-mêle
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    nobody 2007/09/20
  • pêle-mêle - 音大に進むならチェロ!

    講談社のメールマガジン「現代新書カフェ」の連載記事「Dr.平岩の東大受験必勝法」に、わが意を得たりという文章があった。ここでは現代国語の成績が悪かった著者が、それを克服する過程が描かれている。 その「ひらめき」とは、自分の頭を使わないことである。自分の頭を使いすぎていたために、私は現代国語ができなかった。 ひたすら「この文を読むマジョリティー(多数派)は、どのように感じるのか」と推理する。自分の中に、二人目の自分が誕生した瞬間だ。他人の脳の働きを非常に気にする自分が、もう一人の自分として加わったのだ。 オレは小学校から高校まで一貫して現代国語が得意科目だったが、ほとんど頭を使わずにお筆先に憑かれたかのように解答欄を埋めていた。極端に言えば「現代のまともな知識人(すなわちマジョリティー)が間違っても言いそうにないこと」を消去法で消していけば、三択や四択の問題であれば文を読まなくても正解にた

    pêle-mêle - 音大に進むならチェロ!
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    nobody 2007/09/20
    "pêle-mêle - 音大に進むならチェロ!". [寛大に(物事が)進むからテロは無い.(ならいいなあ)].
  • 2007-09-07

    おやすみプンプン 1 (ヤングサンデーコミックス) 作者: 浅野いにお出版社/メーカー: 小学館発売日: 2007/08/03メディア: コミック購入: 4人 クリック: 295回この商品を含むブログ (371件) を見る大手出版社の編集者から「もっと判りやすく描け」とアドバイスされるぎりぎりのラインで、アクロバティックな実験を続けている感のある浅野いにお。前作の『虹ヶ原ホログラフ』(ISBN:4778320204)は初出誌が漫画専門誌ではなかったせいか、かなり好き放題にやっていたが、今回は「ヤングサンデー」が初出だったためか、わりと整理されている。でも浅野いにおはやはり浅野いにお。 もし自分に「プンプン」や田中さんと同い年の知り合いがいたら、この漫画を薦めるかもな、と思う。ストーリーはほとんど理解できないだろうが、自分自身が人生の岐路に立たされたときに、ふとこの漫画を思い出し、何かの役に

    2007-09-07
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    nobody 2007/09/08
    なんか"WEB上で"とか比較的親しくない人も結構な割合でいる場所でだとそうかも. しりとりし合うような仲になると固有名詞しりとりすると自分から口に出そうとしそうな気も. [好きなものこそ言いたけれ].
  • 作家の孫 - pêle-mêle

    安吾マガジン 作者: 坂口安吾出版社/メーカー: イースト・プレス発売日: 2007/08/01メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 2人 クリック: 2回この商品を含むブログ (6件) を見る安吾人の作品や中上健次の安吾論の再録が多かった(物故した作家のムックは、どうしてもそういう内容になりがちだが)ので立ち読みですませたが、巻頭の町田康と坂口綱男(安吾の長男)の対談が面白かった。 何しろ自分が2歳になる前に世を去ったので、自分の父としての「炳五」と高名な作家としての「安吾」が綱男氏のなかでは結び付かず、「太宰と安吾を読み較べたけど、太宰のほうが面白かった」といって母親に怒られたことがあるとか(「それはテレビでビートルズを観たショーン・レノンが、『パパは当にビートルズだったの』と言ったようなものですね」と町田康)。ところが自分の娘、すなわち安吾の孫は「家に資料がたくさんあるから」

    作家の孫 - pêle-mêle
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    nobody 2007/09/03
    とくに後半の妄想がおもしろかった. (前半もまちぞうさん視点とか面白いんだけど, 実家にある一次資料のあたりから, さらに小林へと飛んでつっぱしりはじめて…….)
  • リテイクからリミックス - pêle-mêle

    『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を鑑賞。「前半はただのリテイクだが、後半は格的なリミックス」というのが第一印象。前半(テレビ版の第1話から第4話まで)はテレビ版の名シーンの数々が丁寧に作り直されているが、それだけといってしまえばそれだけであった。おかげで10分くらい、居眠りしてしまった。しかし「ヤシマ作戦」を描いた後半から一気に作品のテンションが高まる。テレビ版で見飽きているはずなのに、思わず惹き込まれる。特にあのキャラクターがいきなり登場したのには驚いた。 あとこの映画、エンディング・ロールが終わっても席を立ってはいけない。なぜなら最後の最後でおなじみのBGMとともに「破」編の予告編が流されるからである。詳しく書くと書いてしまうとネタバレになるが、来年の早春に公開予定の「破」編が文字通り破綻した(いい意味で)作品になりそうで、いまから楽しみである。 観る前からすでにストーリーを知ってい

    リテイクからリミックス - pêle-mêle
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    nobody 2007/09/02
    あとでリマスタらへん.
  • ドイツ文学科凋落に関する私見 - pêle-mêle

    yomoyomoさんはてなダイアリーのコメント欄で論とは関係の薄い話を続けるのも気が引けるので、こちらに場を移す。 ドイツ文学にかぎらず外国文学研究なんてのはどの大学でも不人気学科になっていると思うが、ドイツ文学科の凋落ぶりはあまりにも極端すぎる。オレの交友関係にかぎっても、ドイツ語ドイツ文学に関する専門的な教育を受けた者はどうにも見当たらない。むかしは大学生たるもの、専攻を問わずにドイツ語を学び、ドイツ文化に触れ、学生俗語としてドイツ語を多用したが(いまでも生き残っているのは「アルバイト」くらいか)、いまではそうした過去を想像するのさえ難しくなっている。なぜこんなことになったのか。思うに第二次世界大戦とそれに続く冷戦構造のせいではないか。 大学や大学院に進んでまで外国文学研究を専攻するには、その国の文化に対する憧れや好奇心がある程度は必要になるだろう。しかし冷戦時代のドイツというと

    ドイツ文学科凋落に関する私見 - pêle-mêle
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    nobody 2007/08/22
    フェーン現象で暑い日々.でも冷房温はこまめに設定.電気は大切にね.(分電でんこ)./"或る昭和・平成の記"の範囲では貴重な記録を掲載して下さってるなあ.とは思いつつ局所の微例を敷衍していく傾向はどうかとも思う.
  • 「弊社は靖国神社の近くにありますから……」 - pêle-mêle

    8月15日をすぎるとテレビからも新聞からもネットからも急速に例の戦争にまつわる話題がなくなるのはいささか業腹なので、時期外れを承知の上で例の戦争にまつわる個人的な思い出を書く。 オレは1999年に、神田神保町の古書店街に社屋を置く出版社が発行するメールマガジンで書評やCD評を連載していた。読者対象はいわゆるF1層の女性だが、取り上げる作品の選択はこちらに一任されていた。そして坪内祐三の『靖国』(ISBN:4101226318)を読んで「これは面白い」と思ったオレは、次回はこのを取り上げようかと編集部に打診した。しかし「弊社は靖国神社の近くにあるので、そんな書評を載せたら何が起こるか判らない」という判るような判らない理由で、別のにするようにやんわりと命じられた。東京の地理に詳しくないひとのために説明すれば、神保町の古書店街がある通り(「靖国通り」!)を西へ西へと歩いていくと、10分か

    「弊社は靖国神社の近くにありますから……」 - pêle-mêle
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    nobody 2007/08/20
  • 2007-08-16

    昨日の日記に追記しようと思ったが、それだと読まれなくなるかもしれないので、新しく記事を起こす。 小沢健二は「企業的な社会、セラピー的な社会」でマズローの「自己実現」という概念を批判している(ああ、これはオレも大学で学んだ。懐かしい)。マズローによれは第一段階として「衣住、睡眠、性欲などが満たされていていること」、第二段階として「身の安全、安定が満たされること」、のように五段階のステップを経て、はじめて人間は自己実現できる(自分の能力を最大限に発揮できる)と唱えている。それに対して小沢健二は「ジョン・レノンやマーティン・ルーサー・キングやマハトマ・ガンディーは自己実現できたけど、身の安全が保障されなかったじゃん」と反論している。マズローのロジックも単純だが、小沢健二のロジックもずいぶん単純だと思わなくもない。そして「自己実現できたのに非業の死を遂げた人物」として、チェ・ゲバラの名を特権的に

    2007-08-16
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    nobody 2007/08/19
    いっぽうオイラはスタジアムにゲバラ旗の舞う意味がわかっていない.
  • オザケン・アゲインスト・セラピー? - pêle-mêle

    小沢健二の話題になっているのかいないのかよく判らない論文「企業的な社会、セラピー的な社会」が掲載されている『社会臨床雑誌』第14巻3号が届く。簡単にまとめるなら、 「いまの世の中で起きているさまざまな問題を解決するには社会の構造そのものを変える、要するに革命しかない。しかし革命が起きると既得権益を失ってしまう基地帝国(アメリカ合衆国のこと)の指導者やそれに追従する学者は、あたかも革命以外の解決策があるかのようにひとびとに思い込ませようとしている。そのなかでもよく使われるのは、すべてを個人の『内面』の問題に帰着させる方法(いわゆる『社会の心理学化』、小沢健二が『セラピー的な社会』と呼んでいるもの)と、自然科学の理論から都合のいい部分を切り張りする方法(『利己的な遺伝子』のたぐいね)だ」 というもの。オレみたいな能天気な文化左翼は「当たり前じゃん」という感想しか持たなかったのだが、そうでないひ

    オザケン・アゲインスト・セラピー? - pêle-mêle
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    nobody 2007/08/16
    引用"社会や経済の仕組みに興味を持つようになった中学生に入門的なテキストとして読ませるにはちょうどいいかな、という感じ". てことはオイラあたりにちょうどいいか.
  • pêle-mêle - 明朗すぎる法曹者

    今日のNHKスペシャルについては誰かがもっと優れた文章を書くであろうので、オレが詳しく触れるまでもないよね。パール判事は要するに「裁判としての正当な手続き」に徹底的にこだわる、言ってみれば「モヒカン族」的な法曹関係者だっただけである。日に心情的に肩入れして、旧日軍のやったことを肯定していたわけではない。何しろ彼は満洲国建国を「ヨーロッパの列強の愚行を真似た狂言芝居」とまで評していたのだから。これで歴史修正主義者の手によって彼が政治利用される可能性が減ったのは、慶賀すべきであろう。 そんなわけで歴史的な話は脇に置き、オレの個人的な思い出話を語りたい。 オレは「パソコンの操作に長けている」「母親の旧友がボス弁である」というだけの理由で、大学院生時代に半年間、法律事務所というまったく畑違いの世界でアルバイトしていた。オレが「スーツを着てネクタイを締め、朝の9時までにタイムカードを押す」という

    pêle-mêle - 明朗すぎる法曹者
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    nobody 2007/08/15
    えっと, この記述にあたって選ばれた言葉が持ちうるシンボリックな力とかにも配慮し, また, ついつい一つの例を拡大し敷衍してしまうことなどもないように注意しつつ, まあのほほんと読む.
  • 1989年1月7日に流れた音楽 - pêle-mêle

    大学生のとき、オレが図書館にこもってむかしの新聞の縮刷版を読むのを趣味にしていたのは以前も書いたが、一度だけ呆れ果てつつも吹き出しそうになったことがある。それは1989年1月7日夕刊のテレビ欄である。この日が昭和天皇(いや、この時点では大行天皇か)の命日で、テレビでは娯楽番組やCMが放送されなかったのは有名だろう。それでは何が放送されたかというと、バッハ「ロ短調ミサ曲」、マーラー「第九交響曲」、ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」の「愛の死」といったところである。長い曲が多いのは、スイッチングが面倒くさいという怠惰が理由だろう。 この選曲は素晴らしい。素晴らしすぎる。敬虔なプロテスタントが作ったミサ曲や、世俗的な理由からユダヤ教からカトリックに鞍替えした男の遺作は、かつては国家神道の担い手とされ、戦後もキリスト教を嫌っていた(らしい)人物の追悼音楽として、まるでふさわしくない。「トリスタンと

    1989年1月7日に流れた音楽 - pêle-mêle
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    nobody 2007/08/09
  • 2007-08-03

    携帯電話にガジェットとしての魅力を覚えることができなかったオレだが、今回の新機種には愛着を持てそうである。いや、ケータイをめぐる似非社会学的コミュニケーション論を開陳するつもりなどないので、心配なさらぬよう(誰に言い訳しているのやら)。 「いまさらそんなことで驚いているのか」と驚かれるが、内蔵されている着信音がAACファイルなのね。もちろんパソコンから取り込んだファイルをそのまま再生できる(が、「ファイルが保護されていない」という理由で着信音には設定できない)。携帯電話といえばMIDIでFM音源ではなかったのか。むかしの携帯電話やPHSには簡易シーケンスソフトが内蔵されていて、着メロは自分で入力するものだったよなあ。10年くらい前の話か。なおこの機種にバンドルされている着信音は充分に個性的なものが多いので、新規に着メロをダウンロードする気にはなれず。 さて携帯電話を機種変更すれば、何はとも

    2007-08-03
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    nobody 2007/08/04
    はてなちんとうだしきたこれ. 本. 写真.
  • ple-mle : ■骨抜きカウンター・カルチャー

    いまでは県知事からのメッセージが届くくらい「苗場のイベント」として定着したフジロックだが、最初に苗場で開かれた第3回(1999年)のころは、地元で歓迎されていなかったようだ。苗場から自動車で40分ほどのところの中学校で教員を勤めていた友人は、「ロックを聴いているのは『不良』とその予備軍だ」「ロック・フェスティバルには、麻薬の密売人が徘徊している」と気で信じ込み、フジロックへの恐怖を募らせていた。その教員ばかりではない。地元の教育関係者の多くが、同じ懸念を持っていたようである。「オルタモントの悲劇」のころではあるまいし、いまどきロックにそんなイメージを持っているのは馬鹿げていると思ったのだが、ロックについて何も知らない(知ろうともしない)その友人を説得する気にはなれず、適当に話を逸らした。あるいはフジロックがクリーンなイメージを打ち出しているのは、当初のこうした偏見を打破するためだったかも

    ple-mle : ■骨抜きカウンター・カルチャー
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    nobody 2007/07/29
  • 2007-07-27

    北関東の大学に通っていた時期を除けばずっと北海道で暮らしていて、塚邦雄を参照しつつ『古今』や『新古今』に取り組んでいる知り合いから、「ここで描かれている『自然』が、『自然』だとは思えない」と言われる。なるほど、『古今』や『新古今』で描写されている「自然」はあくまでもヤマト朝廷の支配が及んでいた地域の「自然」であって、北海道に生まれ育ったひとからすればほとんど外国に感じられるわけか。梅と桜が同時期に咲き、雪がまるで風流なものではない地方。 ちなみに新潟市の中心部から少し離れたところに「沼垂(ぬったり)」という地名があり(参考)、この辺がヤマト朝廷が支配する北限だったようだ。自分をできればヤマトではなく蝦夷の人間としてアイデンティファイしたいオレとしては、何やら業腹の話ではある。まあ、「お前の顔はどこからどう見ても弥生人だ」と言われたら、反論のすべもないのだが。 SONY ステレオヘッドホン

    2007-07-27
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    nobody 2007/07/28
    なんか自然の話から自然な感じに話をもっていって結びは自分語りにテクさんこう.
  • pêle-mêle - お勉強のためのメモ

    脳が溶けるのではないかというくらい、昏々と寝続ける。しかし懸案だったさまざまな用件が少しずつ進展しているので、時間を無駄に過ごしてしまった、という喪失感は少ない。 それにしても他人が書いた文章を読むときは風邪薬や向精神薬の副作用で頭がぼうとしていると1ページも進まないのに、自分が文章を書くのであればそれなりにはかどるから不思議なものである。もちろんあとから大幅に推敲しないと「モノにならない」わけだが。 フランス文法事典 作者: 朝倉季雄出版社/メーカー: 白水社発売日: 1980/05メディア: 単行購入: 1人 クリック: 1回この商品を含むブログ (2件) を見る「フランス語を真面目に復習するんだったら、『朝倉文法』は必携ですよ!」と言われ、「そのくらい持ってるよ!(でも活用できてないけどな!)」と泣きながら棚から引っ張り出す。いまは新版も出ているのか(ISBN:456000037

    pêle-mêle - お勉強のためのメモ
    nobody
    nobody 2007/07/28
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