仲春はゆっくりと通り過ぎる 寝て起きたら3月である。今日の東京の最高気温は20度を超えている。正月のインフルエンザが完治して、これでやっと健康で文化的な本年度を始められるぞ、と意気込んだのも束の間、今度は原因不明の高熱を出して1週間寝込んだ。 脳がグツグツ煮える音が聴こえそうなほど…
作曲家・水森英夫が生んだ”次世代演歌3人娘のユニット名”大募集! 多数のご応募ありがとうございました ◆◇◆◇ ユニット名 ◆◇◆◇ 次世代演歌3人娘 グー・チョキ・パー インターネット、ハガキと合わせ5,314通のご応募をいただき、ありがとうございました。 厳正な選考の結果、下記のとおり採用者の方が決定いたしました。 <採用者> 「グー・チョキ・パー」 静岡県 湯浅 弘 様 ※佳作入選者2名は、賞品の発送をもって発表と代えさせていただきます。 ※同名多数のご応募は、抽選とさせていただきました。 また、お電話でのお問い合わせはお受け出来ませんのでご了承下さい。
「事象の地平線」は移転しました。 訴訟専用掲示板はこちらです。 平成19年(ワ)第610号 債務不存在確認等請求事件 判決(平成20年7月18日 山形地方裁判所) 原告:天羽優子、被告:マグローブ株式会社・上森三郎・吉岡英介 (大学については訴え取り下げ) 主文 1 別紙1,2のウェブログの書込み中、赤線で囲まれた部分について、原告がこれを削除する義務が存在しないことを確認する。 2 訴訟費用は被告の負担とする 被告が、原告の削除義務を立証せず、内容についても全く争わなかったために、認容判決となった。 別紙1内容(ウェブログ「事象の地平線」にあったもの) 2007/11/21 マグローブ株式会社から圧力をかけられています(1) [裁判] マグローブ株式会社という、磁気活水器の会社が、掲示板の運営に圧力をかけまくっている。削除要求が出たコメントをここに引用しておく。こ
大里洋吉(Yokichi OSATO) 株式会社アミューズ 代表取締役会長 1946年8月22日生まれ・青森県出身。 立教大学英米文学科卒業後、1969年、(株)渡辺プロダクション入社。 キャンディーズなどのマネージメントを手掛ける。 1977年同社退社後、渡米。帰国後、1978年(株)アミューズを設立、代表取締役社長就任。1981年代表取締役会長就任。 サザンオールスターズほか数々のアーティストのマネージメント、スター作りのプロフェッショナルとして、総合エンターテインメントプロダクション・アミューズグループを牽引している。 Amuse http://www.amuse.co.jp 湯川れい子氏にご紹介いただいたのは、昨年ついにナスダックへの上場を果たし、ますます成長を続ける(株)アミューズ代表取締役会長・大里洋吉氏です。渡辺プロで経験を積み、アミューズをたちあげ、サザンオー
この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2014年10月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2014年10月) 出典検索?: "三人娘" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL 本来のグループ歌手(例えばキャンディーズ)のように当初からグループ活動を意図して結成されたものではなく、後から所属芸能事務所・レコード会社・マスコミなどにより付けられた「三人をグループ的に扱うためのキャッチコピー」としての意味合いが強い。 従って、結成時期(命名時期)は比較的はっきりしているが、「解散」などといった概念はグループ歌手と異なって無く、ユニットの解消は自然消滅のように起こる。芸能
本名:薗部毬子 生年月日:1944年4月12日 没年月日:2024年7月26日(80歳没) 血液型:A型 配偶者:なし(未婚) 子供:なし 1960年11月、NETのオーディション番組「あなたをスターに」で優勝。1961年4月渡辺プロダクションと契約。1962年5月「鍛冶屋のルンバ」でレコードデビュー。翌年の1963年に中尾ミエ、伊東ゆかりと共に「キューティ・パイ・メドレー」でNHK紅白歌合戦に初出場。紅白歌合戦は通算6回出場。 1962年より1965年頃まで3人揃って活躍する機会が多かった。また、3人が司会した「森永スパーク・ショー」と言うテレビ番組も放送されていた。冠にある「スパーク3人娘」の「スパーク」は、その番組に由来する。また、3人揃って映画に出演したこともあり、主演作『ハイハイ3人娘』『続・若い季節』(『続・若い季節』はモチーフとなったテレビ版にも出演)や、準主演作『若い仲間た
1963年、東宝。筧正典監督。団令子、中島そのみ、重山規子主演。 「お姐ちゃん」シリーズ最終作。 一応、おなじみ「パンチ(令子たん)・ピンチ(そのみたん)・センチ(規子たん)」主演にしておきましたが、実際のメインは後輩格のスリー・チャッピーズ(中川ゆきたん、桜井浩子たん、南弘子たん)に移り、さらに先輩格のグレート姐ちゃん(越路吹雪たん、草笛光子たん、扇千景たん)まで加わって、きわめて「女くさーい」映画となっております。 これまでのシリーズ諸作品において破天荒な行動で皆をあっと言わせていたお姐ちゃんトリオ(特にそのみたん。お声も素っ頓狂)が、ここではスリー・チャッピーズのお転婆ぶりに閉口するあたりに、時代の流れを感じますです。 「あたしたちの青春時代はよかったわよねえ」てな感じで回想シーンになり、『銀座のお姐ちゃん』(1959年。シリーズ第2作。これ、おもろいですよ)のラスト近くの映像が流れ
前項でちょっと触れた、峰健二(現・峰岸徹)の主演映画には「あの娘に幸福を」「六本木の夜 愛して愛して」(63年)の二本がある。どちらも純愛ものという感じだが、その両作で峰の相手役を務めているのが中川ゆきである。個人的には良く知らないが、前項の「高校生と女教師 非情の青春」に出演していた南弘子、桜井浩子と「スリー・チャッピーズ」として売出された女優で、中川三郎の三女だそうだ。当時は三人組で売出すのが流行っていたようで、スリー・チャッピーズも「なんでもやっちゃおう」などというレコードを出したりしている。この両作には南弘子も出演しているが、桜井は出ていないようだし、スリー・チャッピーズとしての映画は制作されていないようである。ちなみに桜井浩子は現在円谷プロに在籍しているのは有名だが、中川ゆきは中川裕季子の名で舞踏家になっているらしい、また南弘子は03年に57歳で亡くなっている。 「あの娘に幸福を
前項でスリー・チャッピーズ(桜井浩子、南弘子、中川ゆき)としての映画は制作されていないようだと書いたが、三人揃って出演している映画なら存在する。以前ここで取り上げた「ミスタージャイアンツ 勝利の旗」にも本人達の役でチラッと出ていたりしたのだが、お姐ちゃんシリーズの「お姐ちゃん三代記」(63年)には実質的な主役で登場しているようだ。 重山規子、団令子、中島そのみが東宝「お姐ちゃんトリオ」だが、59年から続いていたこのシリーズは、本作がその最終作(8作目)となっている。おそらく東宝的には、お姐ちゃんトリオの次はスリー・チャッピーズで行こうと思っていたのだろうと思う。お姐ちゃんトリオは当時27~28歳くらいだったが、スリー・チャッピーズは20歳前であった。彼女らに加え、もう一世代上のトリオが本作には登場する。草笛光子、扇千景、越路吹雪のベテラン勢である。とはいっても越路吹雪は当時39歳であったが
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