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2024-07-22

障害を持った人が感謝をしない理由

例えば駅員の補助などに対して、障害を持った人が御礼を言わないことについて、憤るポストを見た。

自分なら礼を言うのに」「助けて貰って何も思わないのか」「傲慢」「健常者を奴隷と思っている」などなど。

まず大前提として、障害を持っている人にも持っていない人にも、傲慢な人もいれば謙虚な人もいる。

全員が傲慢でも全員が謙虚でもない。その人は傲慢だったのかもしれない。

次に、一般的に、店員さんなどにしてもらったことについて、全てのことについてお礼を言うわけではない。

でなければ、誰もがお店などであらゆる行動についてお礼を言い続けることになるだろう。

普通、お礼を言うタイミングは限られる。特別感謝を表明したいと思う、もしくは表明するべきとされる場面だ。

さて、問題は、この「タイミング」についての認知が、障害を持つ人と持たない人で異なりうることだ。

障害を持たない人は、「障害への対応特別配慮=お礼を言うべき」という図式で考える。

それは例えば、自分たまたま病気怪我入院したとして、短い期間のみ車椅子に乗ったとしたら、

おそらくそれはその人にとって「特別状態」であり、お礼をいうタイミングになるだろう。

さて、一方で、障害を持っている人にとっては、それは「特別状態」ではない。

死ぬまで続く「通常の状態である

この時受ける対応は、「特別配慮であるのか、それとも「通常の配慮であるのか。

社会多様性障害を受け入れる、というとき、それは後者を指す。

特別配慮なのだから、お礼を言うべき」という時、その人は社会の「通常の状態から障害者を排除していることになる。

言い換えれば、「障害者に特別配慮する」は福祉社会第一段階で、「障害者への配慮特別なことではない」が第二段階だ。

おそらく今、日本社会は、第二段階へ移行しようとしている。だから軋轢が起きる。

第一段階の考え方で「自分障害者に優しい」と思っている人は、お礼を言わない障害者を見るとムッとする。

傲慢で、礼儀知らずな奴らだ」という考えになる。

一方障害を持った人は、第一段階で生きていくのは、配慮されたとして、なお苦しいだろう。

それは、常に社会に対して負債を負いながら生きていることになるからだ。

「お前は迷惑をかけている」と思われながら生きることになるからだ。

自分は、全ての人が第二段階の考え方を持てるわけではないと思うし、強制できるものでもないと思う。

だけど、自分がもしムッとしたら、そこにはこのような、「特別配慮をしてやったのになんだ」という

第一段階の意識がないかどうか、考えたいと思う。

  • 特別な配慮だなんだ以前に、他人に何かをしてもらったらお礼を言うのは当たり前のことでは? 

  • 話を整理しようとするあまりちょっと図式的になりすぎかな〜 障害者への手助けを「特別な親切であり感謝感激されたい」と思う人、「別にどってこたねえ人」は今も昔も未来にもず...

  • 特別な配慮をしてもらったら身構えるで

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