はてなキーワード: 障害とは
まだ生活保護を抜けられてはいませんが、年明けからの就職が決まりました。
アラフォーになり、正直なところ、もう就職は無理だろうと思っていました。
生活保護を受け始めた頃は、毎日「死にたい」「消えたい」と思ってばかりで、それでも死ねなかったからこそ受給したのです。
月日が経つにつれ、不思議と「死にたい」という気持ちは薄れました。
それが薬のおかげなのか、ただ時間が解決しただけなのかはわかりません。でも、変わり始めたのです。
精神障害者手帳2級を持っている私ですが、いつまでも障害を理由に働かないという選択肢は、自分にとってはなかったです。
正直なところ、通所先の選択を間違えたかもと思うこともありました。
もっと大手のLITALICOに行けば良かったかもしれない。でも、それでも奇跡的に就職が決まったのです。
私にとっては最高のクリスマスプレゼントでした。障害者雇用での採用ですが、激務と噂される企業なので、きっと厳しい環境になるでしょう。
生活保護を受給している間は、国民健康保険証を持つことができません。それがどれだけ辛かったか。
病院や薬局に行くたび、保険証がないことに後ろめたさを感じました。
精神科の受診すら、気持ち的に負担になることもありました(私は被害にあっていないが、窓口で大声で生活保護受給者と言われる人もいるそうだ)。
でも、これからは堂々と保険証を出して病院に行ける。その事実が、本当に嬉しいのです。
生活保護を受ける前には当たり前だと思っていたことが、こんなにも大きな意味を持つとは思いませんでした。
この気持ちは一度生活保護まで落ちた人にしか共感はされないと思う。
本当に嬉しいのだ。
生活保護を受給していた間、経済的には非常に手厚い支援をいただきました。
生活保護の受給額は障害者加算があったので、単身だと1給地-1で147,990円でした。
月に額面で18万円稼いでいる人よりも手取りにすると多いのだ。
医療費は無料、それに加えて就労移行支援所に行く交通費、病院に行く交通費も出していただいた。
技能習得費というのもあり、年間87,000円も支給された(特別基準というのもあり、133,000円にもなる)。2年度に渡って支援してもらったので、×2だ。
墨田区だと就職活動に必要なスーツ代35,000円、就労活動支援費として写真代も2,000円出た。
カウンセリング代も年間72,000円出た。こんなにも手厚い制度もあるのだ。詳しくは次のリンクを見てください。
https://www.city.sumida.lg.jp/reiki_int/reiki_honbun/g108RG00001309.html
正直月20万円稼いでいる人よりも遥かに豊かで、時間がある生活だった。
このように知っていれば様々な制度もあり、図書館で本を借りたりこの制度を使って生活保護を受給しながら勉強をした。
そうしたらオファーが出たのだ。激務で有名なので続けられるか心配だが、障害者雇用なので頑張るから続けられるような合理的配慮がある事を祈っています。
https://665257b062be733.lolipop.jp/tokyo2017%EF%BC%882021.6%EF%BC%89.pdf
生活保護に関しては色々サイトもあるが、東京都生活保護運用事例集2017年(令和3年6月改訂版)が生活保護手帳並みに事例も載っているし、無料なのでおすすめしたい。
https://ameblo.jp/capybara321/
この元ケースワーカーの方のブログは本当にお世話になった。今年は更新が少なかったが、わからない制度があるとここで検索していた。
「生活保護の審査請求をしよう」というブログタイトルは刺激的だが、内容は至ってまともで詳しい。
長い間生活保護を受けていたので、それを返すことはできませんが、少しでも社会に貢献し、納税することで恩返しをしたいです。
普段なら寝ている時間ですが、就職する事を考えるとワクワクして寝られなくてそのテンションで書いてしまいました。
文章表現も整ってないし、読みづらくてごめんなさい。
社会では生活保護受給者に対して厳しい視線を向ける人も少なくありませんが、増田は比較的優しいイメージでした。
助かりました。本当にありがとうございました。
「この塗り方は当時先進的で~」みたいなのが意味分からんという話なのよ
アンティークみたいに古いのが良いというのならまだ分かるけど、時代という縛りの中の魅せプに数億の価値はないんじゃねえかって話
初代マリオブラザーズやファイナルファンタジーなんかは確かにすごい革新的な発明や技術を駆使して作られたもので確かにすげえとは思うけど
願わくば美術芸術じゃなく、俺はモナリザが好きだ!とかこの世に1点しかない貴重なものなんだ!とかにちゃんと数億払っているんだと言ってくれれば納得する
便乗して5冊挙げようとしたけど絞りきれなかったので倍プッシュした。2024年は1/1から今日までのあいだに315冊読みました。ちなみに、いま読んでる途中なのは上橋菜穂子『香君』(2022年)と飛浩隆『鹽津城』(2024年)、それに教養系の新書数冊。
今年はアプリリリース3周年を迎えたウマ娘に突如シーザリオが実装されるというサプライズが起きて、仮にウマ娘化されるとしたら絶対男装の麗人キャラだろうなと思っていたら本当に男装の麗人だったので全俺が歓喜したし、オフザリオの声が可愛すぎませんか……? 俺はああいう透き通ったというか透明感があるというか鈴を転がすようなというか、とにかくそんな感じの声に弱いのだ。身体つきもいいしなグヘヘ。シナリオではずっとイチャイチャしてて最高すぎる。俺の嫁Tier最上位です。引けてよかった……! ちゃんと「シーザリオ英雄譚」の称号もゲットしました。チャンミは優勝できなかったけどな! ところで俺は『ハムレット』しかシェイクスピア作品を読んだことがなかったので、良い機会だということでシーザリオの名前の元ネタになった『十二夜』を読んでみることにした。男装の麗人、すれちがう恋心、よく似た兄妹の人違い、と来てお前女だったのかからのハッピーエンドで終わる、まあテンプレ通りのラブコメだったんだけどひょっとしてこれがラブコメのテンプレになったやつだったりします? 偉大すぎでは。っていうか「十二夜」って、古代ローマのサートゥルナーリア祭をもとにした公現祭(エピファネイア)のことだったんだ……。ほかにも『リア王』『マクベス』『リチャード三世』『お気に召すまま』『ジュリアス・シーザー』『夏の夜の夢』を読んだんだけど、いちばん好きなのは『十二夜』です、はい。「僕は僕が演じているものではありません」っていう台詞すき(小並感)。
ところでシェイクスピアといえば、古河絶水『かくて謀反の冬は去り』(2023年)というラノベがシェイクスピアのパロディなのね。『リチャード三世』をパロった1巻を読んだときにはまったく気づいてなくて、あとがきを読んで「これシェイクスピアだったんだ」となり、元ネタを読んだらめっちゃあからさまだったし、今年出た2巻はもう露骨に『マクベス』オマージュで、さらに二・二六事件や三島由紀夫の割腹自殺などのネタも盛り込まれていて非常に楽しく読めた。古代日本風のファンタジィ(e.g. 沢村凜『黄金の王 白銀の王』)とか、近代日本モチーフのミリタリもの(e.g. 佐藤大輔『皇国の守護者』)とかはよく見かけるけど、人名とか文化とかが古代日本風なのにテクノロジが近代風な政治劇というのはなかなかなかったように思うので新鮮というか、「その手があったか!」という感じだ。笑いとシリアスのバランスが良く、裏の裏をかくサスペンスが繰り広げられて、続きが非常に楽しみな作品なのですごくすごいオススメです(語彙力トプロ)。そういえば春先にはちょうど前年に文庫落ちしたホルヘ・ルイス・ボルヘスの『シェイクスピアの記憶』(1980年)も読んだんだった。俺の中で今年はシェイクスピア元年ということで。
自分ではリベラル派のつもりなんだけど、実はちゃんと原典を読んだことがなかったので読んでみた。日本でいうと幕末に書かれた本なのに「そうだよ~~~それだよ~~~!!!1!」と同意するところが非常に多かったので、自分は根っからの自由主義者なんだと再確認。みんなも(本来の意味での)リベラリストになろうぜ。リベラリズム関連だと、ほかにも井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』(2015年)を読んだ。ラディカルだが筋が通っている。ところで著者がアメリカに留学してたときに「なんで日本人がリベラリズムの研究を?」って言われたというエピソードがちっともリベラルではなくてドン引きしたというか、あいつらひょっとして自由主義を人類普遍の原理ではなく西洋の文化かなにかだとでも思ってんの? 人類普遍の原理じゃないならなんでヨソの文化圏に押し付けてもいいと思えるんだ。非西洋の自由主義者としては不愉快。
もんのすごい面白い。話には聞いていたマーサズ・ヴィンヤード島の手話についての本。この島ではかつては高確率で聾の子供が生まれたため、島のほぼ全員が手話を身に着けていて、ときには聴者どうしが手話で話すこともあった。したがって耳の聞こえない人たちも完全に社会に統合されていて、社会的な不利益を受けることはなかった。この島では聾であることはただの様々な個人の特徴のうちのひとつであって、それが重大な意味を持っているとはみなされていなかった。たとえば以下の会話のように。
「アイゼイアとデイヴィッドについて、何か共通することを覚えていますか」
「もちろん、覚えていますとも。二人とも腕っこきの漁師でした。本当に腕のいい漁師でした」
「ひょっとして、お二人とも聾だったのではありませんか」
島の出身者にとって、彼らはまずもって漁師であり、聾であることは、そういえば耳が聞こえなかったね、という程度のものでしかなかったということだ。この本を読むと、なるほど障害の社会モデルは正しいのだなぁと納得してしまう。手話が共通語として存在した共同体のあり方をインタヴューと文献調査によって復元していく社会史的な面白さに加えて、途中では島民の聾の起源を近世イングランドにまで遡って明らかにしていくという謎解きの面白さも味わえる。まさか手話の本読んでてジョージ・ダウニング(ダウニング街の由来)とかサミュエル・ピープス(日記を遺したことで有名)とかの名前が出てくるとは思わないじゃん。そしてこの「手話の楽園」が徐々に崩壊し、終焉へと向かう過程は寂寥感にあふれている。今年読んだノンフィクションでは一番ですわ。超オススメ。
まだ読んでませんでしたテヘペロ。最初読んだときは「衝撃の一文」の意味がわからず、ああ、あれって襲名制でこいつは先代なんだ、って一瞬勘違いしちゃったんだけど、独白が始まるにつれて鳥肌立った。お、お前~~~~~~!!!1!! 小説としての出来は正直言って荒削りで、お世辞にも上手いとは言いがたいのだけれど、謎解きとしての衝撃は絶大ですわ。なるほどこれが新本格の先駆けか……。そういうことでちょぼちょぼと館シリーズを読み始めてます。いま人形館の途中。
そうそう、本作がきっかけで○○○○○○の『○○殺人事件』(1929年)も読みました。タイトルだけ読んで中世ヨーロッパを舞台にした歴史ミステリなのかと思ってたら全然違ったわ。あなたの「○○」はどこから? 僕は、『電脳山荘殺人事件』から! っていうか本作を読んで学生時代に読んだ米澤穂信『インシテミル』(2007年)のなかで意味がよくわからなかった一節の意味をようやく理解した(岩井が読書マウント取るシーン)。『○○殺人事件』のあとがきとか「読者への挑戦」とかそういうコーナーで作者が自己紹介する文があるものだとばかり思ってたけど、本作を指してたのかよ!
英語への解像度が上がった1冊。英語のスペリングに悩まされ、「俺は日本から出ないから英語は要らない!」と高校時代に放言しておきながらいまは英語をそれなりに使う仕事をしている者からすると、かつて味わった理不尽の謎解きという意味ですごく面白かったし、何というか、あの理不尽の背後にはこんな歴史があったのか……と知ることで、英語への愛情のようなものが増した気がする。「世界共通語」とか呼ばれて出羽守から持て囃される帝国主義的な覇権言語としての英語は相変わらず好きになれそうもないが、しかし、ヨーロッパの片隅にある島で数奇な歴史を辿ってきた言語としての英語のことは割と好きになれる、そんな本だった。
アニメを見た直後に読んでおけばよかったシリーズ。名作ジュヴナイルSFアニメ『放課後のプレアデス』のノベライズなんだけど、キャラクタの掘り下げが完璧すぎる。みなとという謎めいた存在に丁寧に肉付けして、彼がプレアデス星人と出会って闇堕ちしすばるに救われるまでの過程を説得力をもって再構成していてすごくすごい(語彙力)。主題歌の引用のタイミングが完璧すぎるだろ(「Stella-rium」は名曲だからみんな聴こうな)。そして、あおい、ひかる、いつき、ななこといったキャラクタの名前に漢字が当てられていくところは本当にゾクゾクした。これオリジナル設定ってマ? 佐伯昭志のリリカルなアニメを『永遠の森』『そばかすのフィギュア』の菅浩江がノベライズするなら、そんなのもう心が洗われるような名作にしかならんわけで。読み終えたあとにまたアニメを見たくなる、そんな素敵なノベライズだった。大好き。
数値の測定は大事なことだが、それが濫用された結果どうなるのかという事例が色々と挙げられていて、この本末転倒感は日本でよくあるやつだ……! と思ったらだいたいアメリカの事例なので人類を滅ぼすしかない。この問題で難しいのは適度な測定には意味や意義があることで(たとえば、論文の本数が重視されるようになった結果薄っぺらい論文が量産されるようになるのはよくないが、ちっとも論文を書いていないひとに多額の研究費が配分されるのはおかしい、というお気持ち)、測定なんて意味がないとは言い切れないことだが、本書の著者は最後に「測定のまっとうな使い方」のための指針を提示していて、この増田で挙げた本のなかでは一番実用性が高い。「測定は判断の代わりにはならない。測定は、判断を要するものだ」という金言を政策決定にあたるひとたちには噛み締めてほしいなと。
こっちはJ. S. ミルじゃなくてJS見る。5巻くらいで読むのやめてたシリーズなんだけど読むの再開したらすごく面白くてハマってしまった。人工知能によって将棋が終わってしまったという夜叉神天衣と九頭竜八一の抱く絶望と諦念を、雛鶴あいと神鍋歩夢というそれぞれのライバルがねじ伏せていく、めっちゃ骨太の将棋小説じゃん……。ただのロリ小説と思わせておいて、いや実際にロリ小説でもあるんだけど(ロリホームって何だよ)、AIという最新のテーマに向き合って「解」を提示してみせる胸熱な将棋小説でもあるというギャップが俺を狂わせる。すげー面白いっすわ。
ところで、さんざ褒めておきながら将棋の定跡とか全然わからんのは秘密だ。ひ、『ヒカルの碁』も盤面わかんなくても読めてたし……(震え声)
〈小市民〉シリーズの完結編。ずっと追いかけてきたシリーズの終わりが見れて感無量すぎる。読み始めたの高校の頃とかだからマジで20年越しなんだよな。『春期限定いちごタルト事件』の序盤で示唆された、小鳩くんが出しゃばって不興を買ってしまった過去の事件が描かれていて、20年越しの伏線回収が嬉しすぎる。
「なあ。おまえ、鬱陶しいよ」
これってこういう文脈でのことだったのか~~~~~とか、互恵関係! 互恵関係きた! これで勝つる! とか、〈小市民〉シリーズの過去が明かされていく展開を味わって読んでいたらそれが小鳩くんの遭った事故と徐々に繋がっていく過程は流石のよねぽだった。本作で〈小市民〉シリーズは綺麗に完結したわけだけど、これ短編集もう1冊くらいいけるんじゃないですか? という気持ちになってしまう。読みたいよ~~~~小鳩くんと小佐内さんの物語をもっと読みたいよ~~~~~~~~!!!1!!
オモコロで話題になってたみくのしんの読書録。一文一文を噛みしめるように丁寧に読んでいてすごい。国語の授業が苦手だったみたいなこと言ってるけど、マジで正統的な国語の授業みたいな読み方してるのすごすぎるでしょ。そしてこの本を読んで「一文一文を噛みしめることなくただ数だけを積み上げてきた俺の読書とは空虚なものではないのか……」という敗北感に囚われていたところに次の文がすっと差し込まれてくるのです。
本が読めないと尻込みしていた男を「正しい読み方なんてないから」と、訳知り顔で励ましておいて、いざ自分のこととなると、ちっぽけ呼ばわりなんて本末転倒じゃないか。
本書はみくのしんの読書の追体験であると同時に、本好きへのエールでもあると感じた。本には色んな読み方の可能性があって、すごく自由なものなんだということ。それを思い出させてくれる、とても良い本だった。ありがとう。
🤔「猫だから音に敏感なんだよね」
🙄「メス猫だから神経質なんだよね」ではなく、
「目が見えないからそれを補うために音に敏感になった」(視覚障害と聴覚の代償性発達、目の障害の問題)って思うんじゃないかな?
猫 ←ここの話ではない(猫全般に適用出来ない) ├── 身体構造 │ ├── 感覚器 ← ⭐️ここの話⭐️ │ ├── 消化器 │ ├── 呼吸器 │ ├── 循環器 │ ├── 骨格 │ ├── 筋肉 │ └── 神経系 ├── 生殖と行動 │ ├── メス ←ここの話ではない(メス全般に適用出来ない) │ ├── オス │ └── 共通行動 ├── 被毛と外見 └── 健康と疾患
ガイジはともかく(実際はバカくらいの意味でしか使われていないが、語源は障害児なので差別的)
この理屈(anond:20241216195046、anond:20241216223351)だと、
あらゆる差別の文脈で使われた言葉がNGになるので、おっさんもおじさんも使えないんじゃない?
まずはお局から撲滅した方がいいと思うよ、女さんより
障害児への介助だったり災害ボランティアだったり老人ホームのボランティアだったり子ども食堂だったり
そういう人たちに生じたいろいろなドラマを「善意では長続きしない」と冷笑するエピソードが好きな人はたくさんいるだろうけど。
ラーメンハゲの「対価の無い仕事に責任は発生しないホニャララ」の画像を貼って、悦に浸ってる奴とかね。(大体漫画の切り抜きって前後の文脈完全無視してるよね)
でも別に半分当事者としては「善意(単純な感情でもいい)では長続きしない」の連続でいいと思うんだよね
学童保育や子ども食堂みたいな零細の現場では、夢に溢れて学童に携わろうとしてきた教育課程のバイトとかボランティアもそれなりに来てたけど
当然「理想」と違って本当に物事の途中で去っていく者もいるわけだ。
子どもというリアルの生き物相手だから自分が抱いていた子どもの観方が圧し折られていなくなるひともいる。
力量の入れ方を間違えちゃって一週間で一ヶ月分の働きをしちゃって、疲れちゃって辞める人とかもいる。
で、そういう所だけ切り取ってすぐに制度の問題がどうとか「仕事には対価が必要!」とかいう人もいるけど違うんだよね。
それで周っている。そしてそれにとくに問題は感じない。
Aが去ってもBが来る。Bが去ってもCが来る。私もやめた側だけど、「善意の現場」はそれでいいと思う。
問題になるのは本当に場所が無くなる時だけで、言い換えれば「貢献」の場所がある限りはそこの人員がどう周っていてもいい。
それで助かる人がいる限り。
似たような例で、前に「老夫婦が長年経営して減価償却も済ませて学生に安く食わせてるとんかつ屋は地域経済を破壊する!」みたいな記事があったけど
あれなんか実際学生が助かって喜んで老夫婦も嬉しい以上そこに経済がどうとか、危機感がどうとか、ダンピングがどうとか言いくるめるのは無理なんだよな。
あの時も賢しらなコメント一杯ついてたけど、冷笑なんか、目の前の笑顔を知っている当事者にはそもそも意味をなさない。
その言動だけでなく、成人してるくせに実家暮らしで、そのうえわざわざ兄に助けに来てもらわないと祖母の介護も自分で満足に果たせない、さらに20代にもなって未だに実の兄を「〇〇くん」呼び(恐らくショウくん、とかヒロくん、みたいなニックネームなんだろうが)な時点で妹は診断されとらんだけで絶対障害やろ
ここ最近、動作性IQという言葉をやたらと見掛けるようになったけれど
自分も多分これなんだろうなーって思う。
勉強はできる方だったけど運動は苦手だし、鈍臭くて運転も苦手だし、耳からの情報処理も苦手。
子供に動作性IQの低さを遺伝させたくないから子供は産むべきではないと思うようになった
こんな概念がなければ普通に結婚して子供を作っていたかもしれない。
つくづく動作性IQという概念が広まってからは、不幸になる人が増えたと思う。
それまでは単にそういう個性で済んだのに。
昔は単なる個性、寧ろそれが可愛いくらいに扱われていたものがどんどん障害と認定されるようになり、身の程をわきまえて産まない女が増えたって訳だ。
褐色之タヒ体
@n0ther_heaven
・趣味が持て無い
・楽器弾けない
・運動音痴
・筋トレ出来ない
・体の動きがぎこちない
・不器用
・鈍臭い
・運転出来ない
・板書を書き写せない
・人の動きの真似が出来ない
Xを見ていると、「ガイジ」だの「キチガイ」だの「メンヘラ」だの「糖質」だの「キチゲェ」だの「あたおか」だのと、
障害や精神疾患をカジュアルに差別するような言葉を何の躊躇もなく使っている人が多過ぎて、見る度にぎょっとするんだけど。
こういう言葉を使う人達って一体何なの?使ってはいけないという意識は生じないのか?
たとえ主張そのものには賛同できたとしても、こういう言葉を使っているだけでもう無理なんだけど。
トランプかよ…😟
皆保険制度に反対している医師もいるけど、保険で病院に払われる額が少ないのも分からんでもないけど、
アメリカみたいに民間の保険会社になったら、もう国が一律なんてルールはなくなってバラバラになるし、
気軽に近所のクリニックや歯科医にも行けなくなるぞ
俺は超貧乏なので、年金免除されて安く払えてるけど、当たり前だけど、その代わり、老人になってもほとんどもらえないからな
障害あっても中途半端だと障害年金にはならないし、お先真っ暗だよ
最悪、生活保護になって、線路で自殺させられたオッサンみたいになる可能性も高いけど、
なんとなく思うんだけど、これから氷河期世代から大量の生活保護者とか出ると思うよ
ぶっちゃけ、自己責任だけでなくて、かなり国とか企業も悪いと思うんだけどな
いずれにしても、アメリカみたいになるのは反対だし、逆に例えば医療費無料のカナダとかイギリスがいいかっていうと、それも反対なんだよね、あと北欧とか…
個人的には、日本ぐらいの中途半端な社会保障とか福祉で、そこから良くしてくのがいいと思う…😟
ひろゆきが言ってるようなベーシックインカムとか、若年者にもっと生活保護受けさせて子供作れとか、無理でしょ
竹中平蔵のベーシックインカムみたいにベーシックインカムの代わりに社会保障全部なくせも酷すぎるし…
なんか、アメリカ大好き日本は駄目とか、北欧凄い日本駄目とか、まあ見習う点はあるけど、中国とかでもさ…
前向きに改良しないで、改革が必要だ、革命が必要だ、みたいなこと言ってる人たちが問題だと思うんだよな
日本は現状で、十分現実的な着地点にはなっていて、ただ、そこで日本凄いじゃなくて、そこから前進しないと駄目なんだよ
まあ、マイナンバーとかは大筋賛成なんだけど、ガラッと変革するのは難しいわけで、
https://anond.hatelabo.jp/20241214160546
便乗して書く。順不同です。
不法移民を乗せた船が地中海に度々沈んでいるとニュースで話題だが沈んだ/打ち上げられた彼らの遺体は果たしてどう扱うべきか。大量死した移民難民の検死という大プロジェクトに立ち向かったイタリア法医学者の奮闘の記録。身元の照合なんてDNA鑑定すれば簡単やろ、なんて素人考えは早々に打ち砕かれ、うーんこれは大変だぞと読んでて途方に暮れてしまうが、それに立ち向かう筆者ら法医学者の技術と志には非常に頭が下がる。法医学の本なのに序文が筆者の肉親の死を描いたエッセイから始まるのが意外だったが、読み終えたあとにはその意図がよくわかる。ちなみにグロ写真は出てこないがグロ文章は出てくるので俗な好奇心も満たされた。
噂には聞いていたがおもろすぎる。特に『オムファロス』が好きだが読書メモを見返してみると『不安は自由のめまい』からの引用も多く、かなり自分の心に響いたようだ。あまりに面白かったから、SFマガジンの息吹刊行特集号を中古で探してきて、短編集未収録作(『2059年なのに、金持ちの子(リッチ・キッズ)にはやっぱり勝てない -DNAをいじっても問題は解決しない』)まで読んじゃった。
土を語るには色が欠かせない、ということで新書なのにフルカラー、本を開くと不思議な匂いがする。永久凍土、チェルノーゼム等等、高校の地理の授業で学んだものだが、実際に足を運んでみると結構ものが違ってたり、正確かつ詳細な分布記録はどこにもなかったり(なので国際プロジェクトが立ち上がり筆者もそこに参加した)教科書には載っていない地質研究のリアルが知ることができ面白かった。筆者の語りも軽妙でぜひ次回作が読みたいと思っていたら、ちょうど今月末にブルーバックスから『土と生命の46億年史 土と進化の謎に迫る』という本を出すようで興奮が止まらない。絶対読もう。
新卒時代に神経内科学に携わった経験があり、仕事内容はAD(アルツハイマー病)ではなかったもののアミロイドβ仮説の問題点については小耳に挟むことも多かった。ということで課題図書的に読まなければならないと思っていた本でようやく重い腰を上げて読んだのだが過たず面白かった。同時期に『失敗の科学』も読んだのだが、それに載っていてもおかしくないような事例ではある。認知症は確かに存在するのだろうが、アルツハイマー病という病気が本当にこの世に存在するかどうかは読み終わった今かなり疑問だ。病をどのように定義するか……。脳の病気は、脳以外の臓器と違ってすぐさま生検というわけにもいかないし、死後解剖も難しく(愛する人の頭を暴かれたいとはなかなか思えまい)、そもそも脳という臓器が複雑なブラックボックスすぎて、病態と組織学的所見とを適切に紐付けることが元々非常に困難なんだろうな。
わたくしごとだが11月末に待望の第一子が産まれ、本書はその産前休業期間中に読んだ(産後は集中力が低下して活字があまり読めなくなったので、今から思えば産前に読んでおいて本当に良かった)。薄めの本だが、発達心理学のエッセンスがぎゅっと詰まっている。ベテラン大学教授の発達心理学連続講義の第一回総論といった趣の本(というかそれそのもの)。筆者は障害児心理学で長年教鞭を執ってきていて、定型発達児・障害児の双方に平等に愛を注ぐ筆致に心を打たれた。医学では病める臓器の研究が進むことでその臓器そのものの生理についても知見が積まれるものだが、障害児心理にはひとのこころの成り立ちを考える上での重要な視点が詰まっているのだろうなと思う。
新生児の頻回授乳のお供にオーディブルを再開した。眠いと活字はなかなか頭に入らないのだが耳からならなんとかという感じである。今読んでいるのは『サピエンス前史 脊椎動物の進化から人類に至る5億年の物語』で、新生児のしゃっくりを見ながら古代脊椎動物が獲得した横隔膜に思いを馳せたりしている。次にオーディブルで読む本は未定なので、おすすめあったら教えてください。ちなみにわたしのオーディブルおすすめ(読み終わって好きな本)は『北関東「移民」アンダーグラウンド』です。2025年も色んな本に出会いたいものです。
東大生のASD率が高い→カッサンドラ症候群で妻は不幸げ→それをうちけすためせっかく出産しても学歴婚の遺伝によりキツめの障害持ちのお子さん
みたいなやつ増田とかXとかでよく見るけどなぁ
まだ初心者マークみたいなものだと思ってます。一応病名は適応障害で、休職を少しして、今はリハビリ復職中。
自分としては、少し疲れたところに色んなストレスが集中してかかったことがきっかけで抑うつ状態が一気に加速した状態だと思ってるので、おそらく対応を間違えなければ、このまま回復できると思ってます。
ただ、「まだ初心者マーク」と言ったように、主治医からは、このまま良くならなければ、うつ病という診断名になるよと言われているから、いまはとりあえずゴースの状態で止まってて、ゴーストへの進化を一生懸命Bボタンでキャンセルしてる状態だと思っています。
もっと適切なポケモンいるかもしれないけど思いついたのと世代が赤緑なんで…
で、適応障害もうつ病も症状としてはあんまり変わらない気がするんだけど、私がかかった時にいちばん顕著な症状は睡眠障害と希死念慮だった。あとは仕事への集中力、思考のまとまりがなくなるとか、急に涙が出るとか。
睡眠障害は、途中で目が覚めちゃったりとか、一睡もできずなにか悪いことを考え続けちゃうとか。
これへの対処は、比較的容易だと思っていて、というかしっかりしたクリニックであれば適切な服薬を処方、定期的な通院で寝れてるかをモニタリングして、服薬調整。
容易というよりは、標準化された治療がある、対処可能な症状だと思う。
問題は希死念慮の方で、これって人によって何によって引き起こされるかが全然違うし、それにどう対処すればいいかも全然違ったりする。
だから、私がどういう時に希死念慮が発動しやすく、どうしていたかっていうのを書き残しておこうと思ってこの文を書いてる。
発症して2ヶ月以内くらいの間は、休職してて仕事のストレスがなんにもない状態にも関わらず、1週間に1回、もしくは4日に1度くらいの結構な頻度で死にたい衝動が襲ってきた。
たとえば、もうジムとか遊びに行けるから元気なんでしょ?くらいの感じで、夫から雑にからかう言葉をかけられた。
仕事への復職が近づくのに、仕事へ戻って同じ仕事をこなせるかわからない。
あるいは、何にもきっかけらしきものがないのに、夜になって急に全部リセットしたい衝動がやってくる。
今書いてても、俯瞰して見ても、自分で振り返っても、なんでこんなことで?って思うことばっかり。
夫が雑な言葉かけるのなんてこの10年そうだし、夫からしたら「僕何言った?」みたいな感じだと思う。
強いて言えば、自分の辛さを理解してくれない、と感じたことが、いつもの何十倍もの辛さにブーストされてのしかかってきたんだと思う。
仕事にしたって、配慮のある職場で、いきなりフルで復帰させることはしないよとはっきり言われていた上でのことだ。
近所の子どものくだりは、私が不妊治療をしていて、そのストレスが適応障害の引き金のひとつになったことと関係してるけど。
あとはシンプルに、なんか不意にやってくる、なんだろう、電波障害?天気予報外れの雨?みたいな感じの予測できない不調が週一かそれ以上で来て、その度に、この世の終わりかのような絶望感と、なんか自己の存在への諦めというか、いてもしょうがないじゃん、みたいな理屈で説明できない感情に苛まれる、それが私にとっての希死念慮というやつだった。
これを経験するまで、私は、うつの人が死にたいっていう気持ちを心底は理解できてなかったなと思う。
そうは言っても、そう言って気を引きたいだけで死ぬ気なんてないんでしょ?って思ったり、ましてそれで実行に移して死んでしまう人なんて最重度のごく一部の人なんだと思ってた。
多分夫とかうちの家族にしてもまだそのくらいの解像度なんじゃないかと思う。
これはこの負のブースト状態を体験してみないとなかなか察しにくい。
対処すれば過ぎ去る短時間のものだったり、頭にこびりついて何日も引きずるものだったり、私が経験したものも程度は色々だったけど、紛れもなく、その全部が「死んじゃいたいー」だった。
家族もいるし、友達もいるし、職場の在籍も保証されてるし、励ましてくれる存在はいっぱいいるのに、その希死念慮に苛まれてるあいだはそれを一足飛びに飛ばして「我思う、故に我死ぬべき」が頭を支配するんだよ、不思議としか。
私は仕事で精神医学とか心理学とかをかじっていて、なんならそういう人もたくさん仕事で相手にしてきたから、まさか自分がそんな状態になるなんて思ってなかった。
いちばんひどい状態の時は、家にある死ねそうな薬を集めるのを試みたりネットでしらべたり、近所のタワマンの一番侵入できる高いところまでいってみたりした。
(その時は気づいてなかったけど夫が過去の病気で処方されて飲んでなかった睡眠薬がいっぱいあった事に後で気づいた。あの時気づいてたら危なかったなー。あれ隠しといてもらわないとな。)
どこかで理性は残っているから、そうなってる状態のことを、Twitterに書いたり、仕事中の夫にLINEで書いて伝えたりして、誰かに止めてもらえるようにはしてたと思う。
その行動が、はたから見ると「構ってちゃん」になるんだろうし、すごく矛盾した行動だけど、いけない行動だと分かってるのに思考と行動が死に向かう、その状態を自分だけでどうしようもないから、他人に知らせるんだと思う。
さてこの希死念慮の時の振り返りはけっこう再体験に近いので今書いてても涙が出るしリアルに思い出しそうになるので、この辺で私がその希死念慮にどう対処したかとか、どんな対応がありがたかったかに話題を変えようと思う。
とりあえずは、すぐに医療にかかれたこと、処方薬がもらえたこと。わたしはこれが大きかった気がする。
精神科や心療内科って絶望的に予約が取れなくて、初診だと1週間後ですとかざらに言われたりする。
今このどうしようもない希死念慮をなんとかしたい!って時に一週間後だったら、確実に間に合わなかったんじゃないかと、ぞっとする。
処方してもらったのはごく軽い睡眠導入剤(抗うつ薬)と、不安になった時に飲むようの少し強めの抗不安薬。
まずはしっかり寝ることと、仕事は問答無用で休み、そして一人にならない環境を作ることを主治医に言われた。
休んでても、一人になった時に希死念慮が来て,抗不安薬も効かなかった時に、ポーンと境界線を超えることがあり得るからだといわれた。
まさにそうで、誰かがいてくれる、誰かと約束があるという状態の連続が、私にとっての抑止力になった。
そして、先に書いたようにそれでも境界線を超えかけて「我死ぬべき」になった時はどうしたか。
やっぱり、自分の今の状態を知ってもらえる人を作ることだった。
Twitterに死にたい状態であることを書いて、紛らわせられるような動画とかがほしいことを添えて書いた。
実際はもっとやばい状態だったけどさすがにそこまでを全部さらすのはやばいと思ってまだ余裕のあるポーズをしたりするから、よけい構ってちゃんに見えただろうなぁ。
でも、全くそれまで交流のなかったフォロワーの人からくすっと笑える動画とか、猫の画像とか送られてきて「生きてくださいね」って声かけてくれたりして、大袈裟なんだけど、ほんとうにそれだけでも飛び越えるハードルは一個上がった。
あとは、投稿見て心配してLINEやDMを飛ばして来てくれた友達がいた。その人達には、自分の今の状況や気持ちをもう少しありのままに話せて、実況みたいにしてたけど、そうして話しながらぐるぐる歩いてるうちに疲労してきて、家に帰ろう、ってなれた。
本当にありがたかった。
とりあえず些細なきっかけに理不尽なブーストがかかっていて訳の分からない状態の私の話を聴いてくれる人がいて,共感してくれたり、とりあえず寝ようよ、不法侵入て言われないように家に帰りな、って促してくれたり、それぞれの言葉で私を心配してくれると思うだけで、あの世へのハードルはだいぶ上がった。
あとはうちの夫は本当に言葉が雑で不器用な人なんだけど、とりあえず私が休んでる間は何も仕事のこととか聞かず、たまに元気が出そうな食事を出してくれたりした。その放置具合が逆にありがたかった。
けど、上記のように私が些細な冗談で死にたい状態になったり、火のように怒ったりする泣いたり、喧嘩になっちゃうもんだから、話し合って1週間くらいお互いに距離をおく(物理的に話さない状態を作る)をした。
身近な人に理解してもらう、実はこれが一番難しいかもしれない。これは長い時間かけてお互い努力と配慮をするしかないと思っている。
あとは、休職期間中に読んだこの記事も,自分の中の得体の知れない希死念慮につながる状態を俯瞰するのに役に立った。
https://note.com/kaerukoakeno/n/nb3d72b72b3b0?sub_rt=share_b
この記事でも言われてたり、友達にも言ってもらって安心したのは「こういう思考になったり、傷つきやすくて家族と衝突したりするのも、自分のせいではなく病気の急性期症状のせいだよ」と言ってもらえたこと。
もちろん,病気のせいに何もかもしていいわけではない。私の寂しがりのパーソナリティは病気のせいだけではなかったりするんだけど、要は、自分をなるべくその状態に持っていかない環境設定をすること、だと思う。
あとは、症状が落ち着いてきた今、自分の中に溜まってもやもやしている気持ちとか、不安への向き合い方を教えて欲しいなの目的でカウンセリングにもかかるようにしている。
自分の思考のくせを他人に共有して,受け止めてもらった上で、違う視点をもらえるのは受診だけでなくカウンセリングならではのメリットだと思う。