はてなキーワード: リッチとは
ホッテントリにそんな記事が上がってたのを見て、思ったことを適当に書く。
なんでプレステ独占タイトルがPCにも出るようになったかといえば、その原因は右肩上がりで増え続ける開発費がPS5だけじゃ支えられなくなりつつあるからだ。
ハードの性能を活かしてリッチな体験を作り込めば作り込むほど金がかかるのは当たり前の話。
Days Goneのスタジオが「何百万本も売れても続編開発のゴーサインが出ない」って嘆いてたのとかがその辺をよく表してる。
PS5はよく売れてるけど、それでもその性能を活かしたゲームを作る為の売り上げを支える土台としては不十分になってしまってる。
ハードの売り上げ台数が足らないんじゃなくて、開発競争の過熱でAAAAタイトル開発費が膨張し過ぎたというのが正しいんだろう。
業界の潮流的にも人員整理が進んでいて予算拡大しようにもやりようがなくなってることもあるし、高性能ハードの競合相手は既にギブアップしてるのでファーストパーティのタイトルを競争のためにカリカリにチューンする必要性も薄れてきた。
PCサポートの大変さもこれまでの失敗を経て痛いほど理解してるのもあるだろう。
いろんな理由が重なって「金をかけて作り込む動機」が薄れてきてることも考えると、「無理して拡大路線を邁進しなくてもいいのでは?」という判断もあると思う。
ちょうどメモリ高騰などもあり後継機種のリリースも遅れそうだし、もうしばらくPS5時代が続くことを考えると、「PS5独占のビッグタイトルがそこそこの売り上げでも生き延びられる」という方向に舵を切ってもいいと思う。
馬鹿正直にネイティブ4KでレンダリングしなくてもAIで綺麗に高解像度化すればいい雰囲気にもなってきてるし、莫大な予算かけなくてもゲーム会社が食いつなげる環境づくりの方を優先するのはアリだと思う。
そしてそれをやりやすいのは「ファーストパーティのタイトルはPS5だけ面倒見ればいい」という方が実現しやすいのは間違いない。
水曜日、21:00。僕は定刻通りに机に向かっている。
21:00は思索の時間。21:00から23:00は理論物理、23:00から23:12は歯磨きとフロス、23:12から23:18は量子場の揺らぎを想像しながらストレッチ。秩序は宇宙の最小作用原理の家庭内バージョンだ。
従来の弦理論は世界面上の2次元共形場理論(CFT)を基礎にしている。
しかし僕が追っているのは、世界面という発想そのものを派生概念に落とし込む枠組みだ。
つまり弦が時空を動くのではなく、時空がある種の∞-圏的対象の安定ホモトピー極限として現れるという立場。
最近の思索の中心はextended TQFTをさらに高次化し、n-カテゴリー値を持つコボルディズム仮説を、超対称性を組み込んだ派生スタック上で再構成すること。
通常のコボルディズム仮説は、十分双対可能な対象がフレーム付きTQFTを分類する、という主張だ。
しかし僕の作業仮説では、弦理論に対応する対象は単なる双対可能では足りない。
必要なのは超双対可能性とでも呼ぶべき構造で、これはスペクトル圏 enriched な (∞, n)-圏における安定性と、自己言及的モジュライの固定点構造を同時に満たす条件だ。
友人Aが昼に来て、「それって検証できるの?」と聞いた。
僕は説明した。検証とは何か。通常は散乱振幅を計算して実験と照合する。
しかし、もし時空そのものがモジュライ空間の特異点の解消として出現するなら、観測可能量は圏論的自己同型群のスペクトルに対応する。
実験とは、そのスペクトルの低エネルギー極限を間接的に触ることにすぎない。
午後は、ミラー対称性を再解釈する作業。従来はカラビヤウ多様体のA模型とB模型の同値だと説明される。
しかし僕は、これを観測者の選び方に依存するホモトピー固定点の再パラメータ化とみなしている。
つまりミラーとは幾何の双対ではなく、情報圧縮の異なる展開形式だ。
弦の振動モードは、実は安定ホモトピー群の特定次数に対応していて、質量スペクトルは圏のt-構造の切断に対応する、という仮説を立てている。
これが正しければ、重力はエンリッチメントの忘却関手の副産物になる。
ラベルの向きが3度傾いていた。3度だ。僕は分度器で測った。
だから僕は即座に修正した。宇宙の熱的死を防ぐことはできないが、冷蔵庫の秩序は守れる。
隣人が「今日は何してるの?」と軽く聞いてきたので、「10次元超多様体上のBPS状態の安定条件を再定義している」と答えた。
彼女は「へえ、楽しそう」と言った。意味を理解していない確率は0.997以上だが、社交的応答としては合格だ。
短期的利益に飛びつく戦略は、摂動展開の低次項に固執する理論家と同じだ。
さて、超弦理論の核心に戻る。
現在の主流は、M理論を背景に、様々なデュアリティを統一的に理解する方向にある。
しかしそれでも背景時空は暗黙に仮定されている。僕が考えているのは、背景独立性をさらに推し進め、「背景とは観測者の圏論的選択にすぎない」という立場だ。
具体的には、全ての物理的状態をある安定∞-トポスの内部論理で記述し、その内部言語における真理値が、我々の時空的経験に射影されるという構図。
ここで重要なのは、超対称性を単なるボソン・フェルミオンの対応として扱わないこと。
超対称性をZ₂-次数付きホモトピー型の自己同型と再定義すると、破れは単なる対称性の破れではなく、内部論理の選択原理になる。
つまり、なぜ4次元なのか、なぜこの結合定数なのか、という問いは、モジュライ空間の測度問題ではなく、圏の自己整合条件の固定点問題に還元できる可能性がある。
ウィッテンでもわからないレベル、というのは誇張ではない。なぜならこれはまだ僕の作業仮説で、証明も反証もない。
理論とは、整合性と説明力の間でバランスをとる仮設足場だ。美しさは指標になるが、保証にはならない。
今日までの進捗は、安定∞-圏における「超双対可能性」の必要条件を3つに絞り込んだこと。そのうち2つは既存の理論に還元可能、残り1つは完全に新しい制約だ。この制約が質量階層問題に接続するかもしれない。
これからやることは、その制約を具体的なスペクトル系列に落とし込む作業。もし収束すれば、少なくとも内部整合性は確認できる。収束しなければ、仮説は廃棄。科学は宗教ではない。
時刻は21:10。予定より3分遅れている。ルームメイトの足音が規則性を乱しているが、ノイズは平均化すれば消える。宇宙も同じだ。
では、計算に戻る。
月曜日23:59。あと60秒で火曜日。時間は連続だが、カレンダーは離散だ。この不連続性が僕は好きだ。ヒルベルト空間のスペクトル分解みたいで安心する。
今日の進捗を書く。今回は本当に最前線だ。一般的な超弦理論の話ではない。摂動論でもない。AdS/CFTでもない。そんなものはもはや教科書の章だ。
僕が今日取り組んでいたのは、「弦理論をそもそも理論と呼べるか」という問題の、さらに一段深い層だ。
具体的には、非可換幾何と派生代数幾何を超えたcondensed homotopy type theory的な枠組みで、弦の状態空間を再構築できないかを考えている。
通常、弦の状態は2次元共形場理論のヒルベルト空間の元だ。しかしそのヒルベルト空間自体が背景依存だ。
そこで僕は、背景時空を対象ではなく論理として扱うアプローチを試みている。つまり、時空を集合ではなくトポス、しかも通常のトポスではなく、凝縮集合の∞-トポスの内部言語として再定義する。
もし時空が内部言語なら、弦の振動モードはその内部論理における型の自己同型になる。物理量は数ではなく、スペクトル化された型の族だ。すると作用原理は、変分ではなく、高次随伴の普遍性条件に置き換わる。
ここで問題になるのが、量子重力における測度の不在だ。経路積分は形式的だ。測度論的に意味を持たない。
だから僕は、経路積分をやめることにした。代わりに、弦の理論を∞-圏におけるコリミットの存在定理として再定式化する。散乱振幅は、ある導来スタック上のコリミットの普遍性で特徴付けられるはずだ。
今日の午後は、トポロジカル弦をさらに一段抽象化した。通常のAモデルやBモデルは、シンプレクティック幾何と複素幾何に依存している。
しかし僕の仮説では、それらはモチーフ的スペクトルの異なる実現に過ぎない。もし弦の理論がモチーフ的安定ホモトピー圏のある特別な対象として定義できれば、ミラー対称は単なる双対ではなく、自己随伴性の現れになる。
さらに踏み込む。M理論は11次元の理論だと言われているが、それは次元という概念に依存している時点で古い。
僕は次元をホモトピー次元として定義し直したい。時空の次元は整数である必要はない。むしろスペクトル列の収束段階として与えられるべきだ。次元が整数だと誰が決めた。整数は人間の都合だ。
そして今日一番のアイデア。弦の相互作用を高次因果構造の圏論的ファイバー積として記述できるのではないかという仮説。
もし因果構造そのものが∞-圏の射の方向性として内在化されれば、時間は外部パラメータではなく、射の分解長として定義できる。時間は実在ではなく、分解の深さだ。これはまだ作業仮説だ。証明はない。だが美しい。
ウィッテンでも分からないというレベルを超えるには、既存の言語を捨てるしかない。だから僕は物理を論理の自己整合性問題として書き換えようとしている。
もし理論が本当に基本的なら、それは方程式ではなく、圏の普遍性で記述できるはずだ。
夜。ルームメイトが冷蔵庫に僕のヨーグルトを置く位置を2センチずらした。平衡状態が破れた。僕は再配置した。彼は「ほとんど同じだ」と言った。ほとんど同じ、というのは物理では致命的だ。量子補正を甘く見るな。
隣人は僕に「たまには外に出たら?」と言った。外とは何だ。座標系の選択に過ぎない。僕の部屋は十分にリッチな多様体だ。
友人Aは工学的応用を語り、友人Bは統計力学の話を振ってきた。彼らは確率で世界を語る。しかし僕は確率を定義する測度を疑っている段階だ。レベルが違う。
習慣について。朝は7:00に起床。ベッドから出る角度は毎日同じ。右足から。これは対称性の自発的破れではない。意図的な選択だ。
月曜夜はタイムテーブル確認の日。研究時間は25分単位。休憩は5分。これは脳の情報エントロピーを最小化する最適分割だ。
今日までの到達点。
弦理論をモチーフ的安定∞-圏における特別なE∞-代数対象として定義するための公理草案を書いた。
ただし、存在証明はゼロ。整合性チェックも未完。現時点では、美しさだけが根拠だ。それは危険だ。美しさは必要条件だが十分条件ではない。
第二に、経路積分をコリミットで置き換える際の同値性条件の検証。
第三に、冷蔵庫内配置の安定性解析。
00:18になった。
宇宙はまだ圏に落ちていない。だが落ちるはずだ。
落ちないなら、それは僕の定義が甘いだけだ。
Xでは承認欲求で絵を描かない方が良いだとか、チヤホヤされるために絵を描くのはコスパが悪いだとか言われる。
自分の感覚としては、これらは全くの逆。筆者がそれなりに打ち込んできた他のジャンルと比べて考えてみる。
・勉強
コウリッチューまでは自分は勉強が出来るんだと思っていたけど、高校でどうやらそうではないということに気付いた。地方旧帝大になんとか滑り込んだけど、別にチヤホヤされることもなく、中学までの知り合いから頭いいんだねーと言われる程度。
・仕事
それなりの大手企業勤務、30代前半で年収1000万円を超えたので被雇用者としては上位数%らしい。でも社名や年収でチヤホヤされようと思ったらもう数段上が求められるというのが正直な実感。これもいい会社勤めてるんだねー給料いいんだねー程度。
・楽器
小さい頃からとある楽器のレッスンを受けていた。地方のジュニアコンクールなら入賞できるかも、くらい。アマチュアとしてはマシといったところ。音大に進んでいたら失踪者の仲間入りしていたと思う。これも楽器弾けるんだねー程度。
・イラスト
これだけレベル違いにチヤホヤされるし金も稼げる。社会人になってからアニメやゲームの二次創作を始めた結果、PixivやXで数万のフォロワーを抱え、先生と呼ばれ、それなりにお金も稼げている。ただ生活するだけならもっと時間を割いたら専業でもいけるかも。5年後も食べていられるかはわからないけど。
これはイラストならすぐ上達するということではなく、インターネットでチヤホヤされるために要求されるスキル水準が低いということ。自分より何倍も上手い人が何倍もチヤホヤされているかというとそうではない。
アニメーターや漫画家で食べていくとか、美大で油彩や彫刻専攻してやっていきますというのは違うゲームです。
超弦理論を物理として理解しようとすると、だいたい途中で詰まる。
なぜなら核心は、力学の直観ではなく、幾何と圏論の側に沈んでいるからだ。
弦の振動が粒子を生む、という説明は入口にすぎない。本質は量子論が許す整合的な背景幾何とは何かという分類問題に近い。分類問題は常に数学を呼び寄せる。
まず、場の理論を幾何学的に見ると、基本的にはある空間上の束とその束の接続の話になる。
ここまでは微分幾何の教科書の範囲だが、弦理論ではこれが即座に破綻する。
なぜなら、弦は点粒子ではなく拡がりを持つため、局所場の自由度が過剰になる。点の情報ではなく、ループの情報が重要になる。
すると、自然にループ空間LXを考えることになる。空間X上の弦の状態は、写像S^1 → Xの全体、つまりLXの点として表される。
しかしLXは無限次元で、通常の微分幾何はそのままでは適用できない。
ここで形式的に扱うと、弦の量子論はループ空間上の量子力学になるが、無限次元測度の定義が地獄になる。
この地獄を回避するのが共形場理論であり、さらにその上にあるのが頂点作用素代数だ。2次元の量子場理論が持つ対称性は、単なるリー群対称性ではなく、無限次元のヴィラソロ代数に拡張される。
弦理論が2次元の世界面の理論として定式化されるのは、ここが計算可能なギリギリの地点だからだ。
だが、CFTの分類をやり始めると、すぐに代数幾何に落ちる。モジュラー不変性を要求すると、トーラス上の分配関数はモジュラー群 SL(2, Z) の表現論に拘束される。
つまり弦理論は、最初からモジュラー形式と一緒に出現する。モジュラー形式は解析関数だが、同時に数論的対象でもある。この時点で、弦理論は物理学というより数論の影を引きずり始める。
さらに進むと、弦のコンパクト化でカラビ–ヤウ多様体が現れる。
カラビ–ヤウはリッチ平坦ケーラー多様体で、第一チャーン類がゼロという条件を持つ。
ここで重要なのは、カラビ–ヤウが真空の候補になることより、カラビ–ヤウのモジュライ空間が現れることだ。真空は一点ではなく連続族になり、その族の幾何が物理定数を支配する。
このモジュライ空間には自然な特殊ケーラー幾何が入り、さらにその上に量子補正が乗る。
量子補正を計算する道具が、グロモフ–ウィッテン不変量であり、これは曲線の数え上げに関する代数幾何の不変量だ。
つまり弦理論の散乱振幅を求めようとすると、多様体上の有理曲線の数を数えるという純粋数学問題に落ちる。
ここで鏡対称性が発生する。鏡対称性は、2つのカラビ–ヤウ多様体XとYの間で、複素構造モジュライとケーラー構造モジュライが交換されるという双対性だ。
数学的には、Aモデル(シンプレクティック幾何)とBモデル(複素幾何)が対応する。
そしてこの鏡対称性の本体は、ホモロジカル鏡対称性(Kontsevich予想)にある。
これは、A側の藤田圏とB側の導来圏 D^b Coh(X)が同値になるという主張だ。
つまり弦理論は、幾何学的対象の同一性を空間そのものではなく圏の同値として捉える。空間が圏に置き換わる。ここで物理は完全に圏論に飲み込まれる。
さらに進めると、Dブレーンが登場する。Dブレーンは単なる境界条件ではなく、圏の対象として扱われる。
弦がブレーン間を張るとき、その開弦状態は対象間の射に対応する。開弦の相互作用は射の合成になる。つまりDブレーンの世界は圏そのものだ。
この圏が安定性条件を持つとき、Bridgeland stability conditionが現れる。
安定性条件は、導来圏上に位相と中心電荷を定義し、BPS状態の安定性を決める。
wall-crossingが起きるとBPSスペクトルがジャンプするが、そのジャンプはKontsevich–Soibelmanの壁越え公式に従う。
この公式は、実質的に量子トーラス代数の自己同型の分解であり、代数的な散乱図に変換される。
このあたりから、物理は粒子が飛ぶ話ではなく、圏の自己同型の離散力学系になる。
さらに深い層に行くと、弦理論はトポロジカル場の理論として抽象化される。
Atiyahの公理化に従えば、n次元TQFTは、n次元コボルディズム圏からベクトル空間圏への対称モノイダル関手として定義される。
つまり時空の貼り合わせが線形写像の合成と一致することが理論の核になる。
そして、これを高次化すると、extended TQFTが現れる。点・線・面…といった低次元欠陥を含む構造が必要になり、ここで高次圏が必須になる。結果として、場の理論は∞-圏の対象として分類される。
Lurieのコボルディズム仮説によれば、完全拡張TQFTは完全双対可能な対象によって分類される。つまり、物理理論を分類する問題は、対称モノイダル(∞,n)-圏における双対性の分類に変わる。
この時点で、弦理論はもはや理論ではなく、理論の分類理論になる。
一方、M理論を考えると、11次元超重力が低エネルギー極限として現れる。
しかしM理論そのものは、通常の時空多様体ではなく、より抽象的な背景を要求する。E8ゲージ束の構造や、anomalyの消去条件が絡む。
異常とは量子化で対称性が破れる現象だが、数学的には指数定理とK理論に接続される。
弦理論のDブレーンの電荷がK理論で分類されるという話は、ここで必然になる。ゲージ場の曲率ではなく、束の安定同値類が電荷になる。
さらに一般化すると、楕円コホモロジーやtopological modular formsが出てくる。tmfはモジュラー形式をホモトピー論的に持ち上げた対象であり、弦理論が最初から持っていたモジュラー不変性が、ホモトピー論の言語で再出現する。
ここが非常に不気味なポイントだ。弦理論は2次元量子論としてモジュラー形式を要求し、トポロジカルな分類としてtmfを要求する。つまり解析的に出てきたモジュラー性がホモトピー論の基本対象と一致する。偶然にしては出来すぎている。
そして、AdS/CFT対応に入ると、空間の概念はさらに揺らぐ。境界の共形場理論が、バルクの重力理論を完全に符号化する。この対応が意味するのは、時空幾何が基本ではなく、量子情報的なエンタングルメント構造が幾何を生成している可能性だ。
ここでリュウ–タカヤナギ公式が出てきて、エンタングルメントエントロピーが極小曲面の面積で与えられる。すると面積が情報量になり、幾何が情報論的に再構成される。幾何はもはや舞台ではなく、状態の派生物になる。
究極的には、弦理論は空間とは何かを問う理論ではなく、空間という概念を捨てたあと何が残るかを問う理論になっている。残るのは、圏・ホモトピー・表現論・数論的対称性・そして量子情報的構造だ。
つまり、弦理論の最深部は自然界の基本法則ではなく、数学的整合性が許す宇宙記述の最小公理系に近い。物理は数学の影に吸い込まれ、数学は物理の要求によって異常に具体化される。
この相互汚染が続く限り、弦理論は完成しないし、終わりもしない。完成とは分類の完了を意味するが、分類対象が∞-圏的に膨張し続けるからだ。
そして、たぶんここが一番重要だが、弦理論が提示しているのは宇宙の答えではなく、答えを記述できる言語の上限だ。
だからウィッテンですら全部を理解することはできない。理解とは有限の認知資源での圧縮だが、弦理論は圧縮される側ではなく、圧縮の限界を押し広げる側にある。
具体的にはアメリカ中国韓国台湾、数年前までなかった産業が突然興り、信じられないスピードで発展していく。
その理由は明確でキャッシュリッチな企業や個人がイノベーションに大胆に投資するからだ。
アメリカではAI投資で有名なセコイアキャピタルやa16z、クリーン技術投資で有名なビルゲイツのブレークスルーVC、NVIDIAやM7もこぞってスタートアップに大規模投資しているし、自分らで破壊的イノベーションを起こす立場でもある。イーロンマスクが特に有名だろう、EV・AI・宇宙・ヒューマノイド。
中国韓国台湾は計画資本主義なので国が積極投資をしていて、その投資のスピード感・正確さ・規模はすごい。だが特に重要なことは国を代表する大手もそれに積極的に加わるということだ。
中国だとファーウェイが中心となり、中国産技術のみでAI産業を作るべくEUV露光装置をすさまじい速度で試作し、先端プロセス半導体工場を作り上げ、AIチップも内製し、AIモデルもアメリカと遜色ないレベルのものを作った。ファーウェイなしでは無理だっただろう。
ちなみに中国電池業界で中心的役割を果たしたのはテスラだ。テスラは外資規制から抜け出す代わりに積極的に中国に投資した、用が済んだ後追いだされたわけだが。
韓国はご存じサムスン電子とSKハイニクスだろう。この2社の積極投資により韓国は世界随一のメモリ国家になった。AIで必要になることを信じHBMに破滅的投資をしてきてそれが成功した。LGは今はうまくいっていないが、そのうちこの2社に加わる成功企業になるだろう。
台湾はTSMCだ。TSMCは台湾地場企業との契約を積極的に受け入れた。その結果MediaTekやUnimicronなどの世界トップ企業が出来上がり、今もAI関連のユニコーン企業がたくさん成長中だ。
日本はどうだろう?まず一番の問題は国の姿勢だ。支援どころか研究費のカット、スタートアップへの支援もなかった(最近始めたが金額の桁が1~2ケタ少ない)。こうした国の姿勢を反映するように、大企業も消極的だった。
トヨタは日本では協力企業いじめに執心し、稼いだ金を株主還元と海外投資につぎ込んだ。eVTOLの日本発スタートアップSkyDriveでなく米国発のJoby Aviationに出資をした。トヨタのベンチャー投資をわかるが海外がほとんどで日本に投資する姿勢はない。
ソニーは国外へ逃げた、PS5も米国優先供給でさんざん叩かれた。日本に興味がないんだろう。ソフトバンクは全ての稼ぎをopenAIとスターゲート計画へつぎ込んだ。会計テクニックを駆使し、日本へは税金すら納めない。
この国でイノベーションは無理だ。高市がなんと言おうと、何をしようともう終わっているんだ。小手先の数年で変わる世界じゃない、何十年と積み上げてきた過ちが今表出してるだけだ。
ミルクティの話。
自分にとってミルクティは亡き祖母が子供の頃ほぼ毎日のように作ってくれた、思い出の味。
特に朝のミルクティが本当に体調の維持にプラスになっていたんだなあと、今になってしみじみ思う。
それもあって、ここ数年はミルクティを割と普通に飲む習慣が復活し、美味しい作り方を試行錯誤してきた。
ちなミルクと紅茶は半々で作るの前提で、これまでのナレッジとしては
とはいえ、筆者は軟水で淹れたストレートティも好きで、特にダージリンは春摘み・夏摘み・秋摘みと、季節ごとに旬の味を愛飲している。
そんなわけでストレートティも色んな茶葉を少しずつ試し始めていて、例えばセイロンティのキャンディ紅茶は渋みが少なく、すっきりゴクゴク飲めるのが魅力。
そしてセイロンといえば、銘茶のウバはスルーできないじゃないか!ということで少し前に入手して飲んでみたけど…うーんって感じ。
どうしよう捨てるのもったいない…ミルクティにして飲んじゃう?ミントのような香りという魅力を殺してまで?
と躊躇していたのだが…Gemini氏によると、ウバをミルクティにして飲むのはガチの英国風なのだそうな。
ほんとにい??でも捨てるよりは絶対マシだろってことで、いつものミルクティ用evianとミルクで作ってみた。
一口飲んだ瞬間、眼前に光が降り注いだかのような錯覚を覚えた。
それくらい、衝撃の美味しさだったと言っていい。
めっちゃ優雅で華やかでリッチ、とんでもなく高級な味の飲み物が爆誕していた。
もちろんアッサムで淹れたミルクティの、コクと甘みも納得の美味しさなんだけど、どちらかと言えばほっこり沁み入る美味しさ。
一方ウバはわかりやすくドレスアップした味というか、客に出すなら絶対こっちがいい!と言える美味しさなのだ。
イギリスの紳士淑女はこんなものを午後に飲んでたのか、スコーンにクロテッドクリームにウバのミルクティ…これ夕方まで余裕で楽しめんだろ。
というわけで、朝ミルクティ飲む時はアッサムとウバのローテで楽しんで、オリーブオイルと醤油のTKGに黒胡椒かけて食べて、最後は軟水で淹れた浅煎りコーヒーで出勤しようと思う。
そう、筆者はコーヒーも好きで、休日はむしろ硬水で淹れた深煎りコーヒーのカフェオレ→トースト→ダージリンかアップルティがお約束だったり。
どうしてもディオ様の頭髪とかが気になる
ロニー・ジェイムス・ディオの歌声は大好きだし、数々の偉大なバンドのフロントマンとして勇名を馳せたことは尊敬する
本当に神
しかし、ハードロッカーというのはワーキャーなところが多分にあると思うのだが、ディオ様はそんなものとは無関係
実力一本でやらしてもろてます感が凄い
他にもそういう人は居るけれども、ディオ様は群を抜いている
ビジュアルをおもしろに寄せているタイプは別にどうも思わんのだが(演出だから)、ディオ様は別に寄せてない
にも関わらず、ある意味度肝を抜かれるビジュアルのKing of Rock and Roll
悪魔崇拝に寄せてるのは分かるんだけど、ねるねるねるねの魔女みたいにしないでいいと思う
あのビジュアルのディオさまが紡ぎ出す素晴らしい歌声と無表情で巨大なリッチーの対比とか、面白すぎるんだよ
関係ないけど、岡村隆史はもうちょと痩せて髪の毛伸ばしてディオ様のコスプレしてほしい。運動能力的にも似ているだろう
面影はあるものの、別人のようである。当然ながら髪の毛も豊富だし間違ってもメロイックなどするタイプに見えない
最近復活した私のビリヤニ活動はこれ幸いかきっと絶対に乃木坂46の40枚目のシングルのビリヤニがかなり影響していると思うの。
だって久しくもう2年ぐらい行ってなかったのかな?
出店コンサルティングにならわない出店テンプレートにそぐわない、
ちゃんとサラダには謎のオレンジ色の調合されたその出店テンプレート店特有のドレッシングが掛かっているんだけど、
どれどれ?って賞味したらやっぱり胡麻ドレ。
されど胡麻ドレなの!
いや私は胡麻ドレのことを熱く熱く語りたいと言うわけじゃないんだけど、
なんにも特に音沙汰なく、
軽くいって酷く聞こえたらごめんなさいなんだけど軽く滑ってない?ってところ。
以降インドの山奥へはその乃木坂のビリヤニの噂はこちらまで響いてきてないわ。
それはともかく、
私的には、
ふとまたビリヤニのランチビリヤニを食べに行かなくちゃってことを久しぶりに活動再開してるところの影響大は大きなところね。
やっぱりこのお店のランチのチキンビリヤニは美味しいなぁって。
これは絶対に7つのスパイスが入っているから私的には7日に食べるこのランチのチキンビリヤニは、
スパイスの超効いたバスマティ米の7つ以上のスパイスが使われた七草粥に匹敵する効果がある言葉バッチリ証明されたことは強く確実に言えることなの!
苦いレモンの皮を苦い!っていいながら食べるのがまた一興なのよね。
今年はたくさんビリヤニ食べれたらいいなぁって思う次第なの。
そんでさ、
玄関正面ド真ん中に、
でももう閉店間際のもう七草も終わっちゃうよ!って私はちょっぴり寂しさを覚えつつ、
豪華な七草といってもせいぜい粥なんだけど、
どうしようかあぁって
あと1品加えて
七草粥から八宝粥にしたらものすごくグレードアップ感とラグジュアリー感とファビラスな感じが出ない?
あと1つなににしようかな?って思ったときに
やっぱりここは私はお粥研究家である今までの研究成果をここで繰り出すべきね!って張り切ってあと1品を考えるの。
サクッと作れるといったら、
せっかく昨日は7日だったんだし
そして夜また七草を決めたら
有終の美を飾るに相応しいあと1品を加えて八宝粥にするなら!なににしようかな?って
鶏モモ肉にしたところよ。
もっと勇気を出してあと1品のなにかパンチのある食材を加えて八宝粥にできたのに、
私のお粥の研究のテーマたる主の柱は「手軽さと簡単さと食べ応え強さ」なのに、
確かに
鶏モモ肉の食べ応え強さはそこで得られるけれどせっかくだから何か変わった変化球内角低めにくるやつの食材を考えてみたかったじゃない。
店内に鳴り響くもうすぐ閉店しますよ!って音楽のあれなんて言う曲だっけ?
店内は買い物を早く済まそうとしているお客さん達で天国と地獄!
そうよ!その閉店間際に鳴り響く「天国と地獄」の曲に煽られたら、
結局私の作るお粥のテーマである「手軽さと簡単さと食べ応え強さ」は鶏モモ肉で満たせるものの、
なにかもっと七草粥の七草に1品加えて八宝粥にできたチャンスがあったのに!と悔やまれるのね。
それに、
朝の七草ホッツ白湯ウォーラーにお昼のランチビリヤニの7つ以上使われているであろうビリヤニと
ここで最後に7つを決めないと!
私の好きなあの曲スコットランド民謡の「オールド・ラング・サイン」なんてどう?
閉店間際にしっぽりあと1品選ぶには余裕のあるのを生み出せる曲だと思うな。
そんなわけで私は
夜またちゃちゃっと手際よくお粥作っていただいて7日という日を終えたのよ。
でもさ、
七草粥に1品加えて八宝粥にするってナイスアイデアでものはいいようなリッチな感じしない?
とはいえ、
八宝粥にする際に7つの草1つ1つを宝として言うのには、
草なのに宝と言ってしまうには負担が大きすぎるかなって思うのね。
とはいえ、
ここで仮にスター選手の鶏モモ肉がスタメンで加わったとしても、
宝が1つ凄くなっただけじゃない。
所詮草なのねって悲しくなっちゃう役割に私はしみじみしながら、
熱々の出来立てを持ってきてくれた給仕の店員さんが申し訳なく言ったのね。
「すみません今日ウズラの卵がなくってウズラなしの八宝菜です」って
申し訳なさそうに持ってくるの。
もちろん、
私はその八宝菜には罪はないのは分かっているので合点承知の助で、
やっぱりあの八宝菜たる所以は1つ1つの具材のスター性があってこそだ!って強く思ったの。
もちろんなんかキクラゲとかエビとかイカとかも強いの分かっているの、
やっぱりウズラの卵1つない欠けたものなんて八宝菜と言えなかったのかもしれない。
つくづく思ったのは
七草粥にしろ八宝菜にしろ使う食材の数が決まっている人類が繁栄している歴史の以前から繁栄しているその人気メニューは、
むやみに食材を1つ足したり1つ引いたりしたら台無しになっちゃうってことなの。
それを実感したわ。
きっと私がモヤモヤ悩んでいてあと1品なににしようって迷っていた迷いって、
このバランスを崩しかねないという思いが潜在的にあったのかも知れないわ。
私はむやみに1つの食材を足してしまったことへの美味しさは増したものの後悔の念も増したことに苛まれたの。
やっぱり七草粥は7日の食べる7つの食材じゃなくっちゃ!ってことみたいね。
何でも無い草たちをこの日に限って7つ集めて売ったら高値で売れるぜ!って
商魂たくましい七草粥キャンペーンを打ち立て七草粥!って書かれた鉢巻きを締めて七草粥キャンペーンに勤しんだ当時の商人ってすごいなぁって思っちゃった。
そんな七草粥キャンペーンの歴史を感じてしまった七草粥だったわ。
うふふ。
タマゴサンドイッチだとちょっと量が多いかなって時に最適だわ。
程よい量でしっかりタマゴも堪能できるの!
これだけでもちょっと上品な味わいのとろろ昆布ホッツ白湯ウォーラーになるわ。
底にたまっているとろろ昆布をグルグル容器を回して一気に流し込むの。
火傷しないようにね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!