はてなキーワード: 言葉とは
創作活動において、「母親」や家庭環境がどれほど影響を与えるかについて考えたことがありますか?最近では、創作に対する意欲が「毒親」の影響で抑えられてしまう例が話題になっています。「そもそも、自分のアイデアや想いを表現するのが創作の大前提なのに、親の影響でそれが歪むのは避けたい」と考える人も多いです。
文化的な背景や心理的な要因が絡むため、「いくら努力しても親の期待に届かない」という苦悩を抱えることもあります。その結果、「完璧」を目指すことが目的となり、本来の創作の楽しさが失われてしまうこともあります。
さらに、「中年」になってからも「母親」の厳しい言葉が頭に残り、「他責思考」に陥ることがあります。「会社が悪い」「世の中が悪い」と感じるのは、家庭環境によって形成された思考の一端かもしれません。
創作活動は自由な表現の場であるべきです。自分の「言葉」や「文字」によって表現することで、家庭環境を超えて新しい価値観を生み出せるのではないでしょうか。重要なのは、自分自身の哲学的な視点を持ち続け、他人の評価に左右されないことです。
「バカ」とか「アホ」は当たり前だけどダメ?(でもバカもアホも使えないとなると窮屈にも感じるし、はてなでは割と使われちゃってる気もするけど・・・まぁでもやっぱりダメか)
そういうあからさまな罵倒や差別用語は当たり前にアウトとして、「女さん」みたいな字面だけでは分からない表現も、その表現が使われるようになった経緯や文脈に悪意があるものはアウト、という感じかな?
そうすると、ちょっと古いけどピザ(デブの意)とか、スイーツ(笑)みたいなのもアウトなんだろうね。
あとはパヨクとかネトウヨとか?正直そこらへんまでアウトなの?そこはよくない?と思ってしまうが、悪意のある表現で、生まれた経緯や文脈上も悪意は否定できないしなぁ・・・セーフだと思う自分の感覚が古い、アップデート出来ていない、って事なのかな。
あとは( 「フェミニスト」ではなく)「フェミ」とか、「表現の自由戦士」「表自」とか「壺」とか・・・?なんか、結構窮屈だな・・・でも子供がそういう言葉浸かってたら止めるか・・・。
他にはどんな表現がアウト?
大学でできない相談、それは日常の中で意外にも多くの人が抱える悩みの一つだろう。友人や教師に話すのが恥ずかしい、あるいは理解してもらえないのではないかと感じてしまう相談。それは、学業や進路、恋愛、人間関係に関するものから、もっと個人的で深刻な問題まで様々だ。
たとえば、進路のこと。大学に進学しても、時折自分が本当にやりたいことがわからなくなる。周囲が進んでいく道を見て、自分も同じように進まなければならないのではないかというプレッシャーに押し潰されそうになる。しかし、そんな不安を友達に話してみても、意外と「どうしてそんなに悩むの?」といった言葉が返ってくることがある。彼らにとっては当たり前のことが、自分にはすごく大きな壁に感じられる。それが「できない相談」の一因となる。
また、家庭の問題も大学では話しづらい。親との関係や、家庭の経済的な状況が心配であっても、家族に迷惑をかけたくないという気持ちから、それを話すことができずにいる人も多い。家族や親しい友人に相談するのは難しいが、それでも何とか解決しようと悩む日々が続く。さらに、大学生活という新しい環境にいることで、普段は強く振る舞っている自分が弱さを見せられずに、孤独を感じることもある。
このように、「できない相談」は個人の問題や社会的なプレッシャー、あるいは他者との関係性の中で深まっていく。大学は学問や知識を深める場所であると同時に、精神的に成長する場所でもあるが、時にはその中で相談できないことがある。だからこそ、どうしても話せない悩みを抱え込んでしまう人々への理解が、もっと広がってほしいと願わずにはいられない。
杞憂という言葉は、文字面の単純さを超えて、思索と反省の対象となるべき哲学的・文化的・心理的な深淵を秘めている。それは「不必要な心配」や「ありもしないことへの過剰な恐れ」といった単なる辞書的定義を超え、人間存在そのものに内在する不安の構造や、思考の限界を暗示する概念である。この言葉の起源を辿りつつ、その背後にある多層的な意味を探ると、杞憂という語は一つの寓話的なシンボルとして、私たちの精神的地平を照らし出す。
「杞憂」は中国古代の典籍『列子』の「天瑞篇」に由来する。物語の舞台は杞(き)という小国である。そこに住む一人の男が、「天が崩れ落ちてきたらどうしよう」と絶えず恐れていた。その恐怖のために、彼は食事も喉を通らず、夜も眠れなかったという。この杞の男を見かねた人が、「天とは何か」と理性的に説明を施す。曰く、「天は空気の層であり、その性質からして崩れ落ちることはあり得ない」と。しかし、この説明を聞いた杞の男の恐怖は一向に収まることがなかった。彼は依然として「では、大地は崩れるのではないか」と新たな恐怖を生み出したという。
この逸話を素朴な道徳的教訓や人間の愚かさの象徴と捉えることは容易だが、それはこの物語の本質を単純化しすぎるだろう。杞憂の核心には、存在論的な問いが潜んでいる。すなわち、「我々は何を恐れ、そしてその恐れの根拠は何か」という問題である。
杞の男が恐れていたのは、「天が落ちる」という一見荒唐無稽な事態であったが、彼の恐れの本質は、物理的な事象に対するものではなく、「秩序が崩壊することへの恐怖」だったと言える。天と地というのは、古代中国の宇宙論では根本的な秩序の象徴である。天が落ち、大地が裂けることは、自然界の崩壊のみならず、存在そのものが瓦解することを意味する。したがって、この恐怖は単なる無知や杞の男個人の愚かさに還元されるものではなく、人間が持つ「根源的不安(existential anxiety)」の表出である。
杞憂という概念には、複数のレベルでのメタファーが隠されている。そのいくつかを抽出しよう。
空(天)が落ちるという恐怖は、現代的に翻訳するならば、我々が宇宙や自然の安定性を信頼することの脆弱さを示している。宇宙論的スケールで考えると、杞憂はブラックホールの蒸発や熱的死といった現代物理学の概念に通じる、秩序の不安定性に対する漠然とした恐れとさえ言える。
大地が裂けるという杞の男の第二の恐怖は、社会や文化の基盤が崩壊することへの比喩とも読める。歴史的には、革命や戦争、経済的崩壊の予兆として、こうした恐怖が群衆心理を支配した例が数多く存在する。
杞憂の本質的な特徴は、恐怖が「自己生成的」である点にある。杞の男が「天は落ちない」と説明されてもなお「大地が裂ける」と新たな恐怖を抱いたように、恐れというのは理性による説明をすり抜け、次々と新しい対象を生み出す。この現象は、心理学で言うところの「一般化不安障害(GAD: Generalized Anxiety Disorder)」に近いものであり、人間が恐怖を必要とする存在であることを暗示している。
「杞憂」という言葉の文化的意義は、人間が「未知」や「制御不可能性」に直面した際の反応を考える契機を提供する点にある。杞の男の恐れが批判されるのは、それが非合理的で無用であるからという理由に加え、その恐れが「何の行動も生み出さない」からだ。しかし、この逸話は現代人にも重要な問いを投げかける。我々が杞の男と同様に、漠然とした不安に囚われている時、それを「無駄」と切り捨てるだけでよいのだろうか?
たとえば、気候変動やAIの台頭といった現代的課題を巡る不安の多くもまた、杞憂として一蹴されることがある。しかし、それが真の杞憂なのか、それとも未来への警鐘なのかを判断するには、慎重な検討が必要である。杞憂は時として、無意味な心配ではなく、行動を促す予兆でもあり得るのだ。
「杞憂」とは、表面的には「不必要な心配」を示すが、その奥には、「不安という人間の根源的条件」が反映されている。杞の男の恐怖は、無知や愚かさの象徴であるだけでなく、存在の根底に潜む不確実性、そして我々がそれにどう向き合うかを問う寓話的な警句でもある。
言い換えれば、杞憂とは、我々が避けて通れない「虚無」と「秩序崩壊への恐れ」の象徴であり、それを通じて、不安にどう対処すべきかという哲学的・実践的な問いを私たちに投げかけていると言えるだろう。
どうしても気になったので。
エピソードを見るに多分お二人とも気がいい人なのでしょうね。
あなたの文章にあふれるユーモア、彼女のボケに対する貪欲さなどから笑いであったり砕けた空気を好み、お二人とも根本的にはそれを大切にしているのだなと感じました。共通する価値観はこの部分。和やかであることを大切にしたいのかな。その手段に多分二人ともユーモアを使う。
笑ってる状況とか誰かを笑わせられるっていいですもんね。わかります。
だからほとんどの時間は気が合うし、別れることを想像すると苦しみも大きそうだなと。
合理的な別れる理由をいろいろと考察されているようですが、感情がyesでないからずっと迷っているんじゃないかな。いろいろ意見はあると思いますが、親密な付き合いというものは感情的な結びつきを伴うものだし、共通する価値観で三年も共に暮らせば理屈で割り切ることは不可能ですよ。あなたはそんなタイプの人ではないはずです。
彼女に結婚しないなら別れるといわれたときにすごくショックを受けませんでしたか?
「「え、そんな周りの状況とかで割り切って決められちゃうの?」とどこかで思ったんじゃないかな。
別れと結婚の二択を迫る彼女の言動もまた、醤油の例に始まる彼女に対するあなたの違和感と同じ原因から出ているのかなと思います。
エピソードを見ていると彼女はすごく自己防衛する感じなんですよね。
"不快なことが起こる→いやな気持になる→自分と問題を分離する"みたいな。
私に原因はないとなると原因は相手とか不在の何かなわけですから、まぁあとはいろいろ客観的に聞こえる理屈を並べるのかな。
理屈が正しく聞こえるから惑わされるかもしれないんですけど、彼女のケースでは感情的な反応が先にあって理屈は後出しです。
なんでそんなに冷たく一般論とか正論みたいなもので返せるの?っていう疑問の答えは、彼女の中では嫌な気持になった時点ですでにそこに自分は介在していない、自分に非はないというポジションに立つわけですから、そこから出てくる言葉に思いやりなんてありませんよ。
共感とか思いやりって問題を共有しないとでてこないものですから。
彼女にとっては醤油さしの例も、実際過去にあなたを傷つけてきた問題も、結婚するかしないかもすべて自分の問題ではないわけです。
取っ組み合いのエピソードからは自己暗示力の高さを感じました。
問題を分離して相手に非があると理由をつけられれば疑うことなく戦えるタイプなんですね。
相手に非があるという理屈が一般論として正しいということだけを根拠にできるんです。
炎上とかでグロテスクなくらいひどい意見が無関係の第三者からでてくることはありますが、彼女と根本的に同じマインドなんだと思います。
謝らない、それも当然です。
誰だって、自分に全く関係がないと思っていることなら謝るのは嫌でしょう。
彼女の場合は思考の癖で、あるいは逃避的に関係ないと思い込んでいるだけですが。
あなたが傷ついていることも察していると思いますが、それもまた彼女にとって向き合いたくない不快なのでしょう。
浅い人間関係ならまだ問題を表面化させない程度に我慢できるかもしれませんが、深い関係で甘えが出てくるとこの傾向が強まるのかも。
愛がないわけじゃないと思いますよ。あなたのことは好きだし、結婚して一緒にいたいと思っている。
でも、問題が起こった時に相手の視座に立って、「理屈じゃ割り切れないよね、白黒はっきりつけられないけどあなたに悲しんでほしくはないよ」的な共感は期待できないでしょう。
年食っても一生このままの人もいますし、問題が起こって気が付いて変わる人もいます。
彼女がどうかはわかりません。
もっと心が動く問いかけをしてみるといいかも。二人で何気なく会話してもいいかも。
些細なことでお友達とけんかして絶好だなんだと言いながら寂しそうにしているとき。
彼のことを思い出すたび、あの「バケット」という言葉が耳に残る。いや、もう忘れたくても忘れられない。――婚活中に出会った、少し変わった人の話だ。
彼は当時、パン屋で働いていた。正確には、フレンチ系のちょっとおしゃれなベーカリーカフェで、店頭に立つ仕事をしていたらしい。初めて会った時、彼は仕事のことを少し得意げに語っていた。「バゲットを毎日触ってると、焼き立ての匂いが染みつくんだよね」と。笑顔で語る彼は素朴で、どこか安心感のあるタイプだった。「パンを通じて人を笑顔にするのが自分の役目だ」とも言っていた。ちょっとキザだけど、悪い気はしなかった。
だけど、そんな彼が「バゲット」でつまずくなんて、あの時は思いもしなかった。
ある日、彼は仕事で大失敗をやらかしたのだという。ランチタイムの混雑する店内、注文カウンターでお客さんに向かってこう言ったのだ。
「バケットの方、焼き上がりました!」
その瞬間、店内がシンと静まり返ったらしい。あまりの言い間違いに、常連らしきお客さんは思わず吹き出し、後ろに並んでいた人たちはクスクス笑い始めた。彼はその場でハッと気づいたものの、動揺して言い直すタイミングを完全に逃した。そして追い打ちをかけるように、後輩が慌てて言葉を重ねる。
パン屋で働きながら「バゲット」を「バケット」と呼ぶミスは、致命的だった。以来、彼は「バケットの人」とあだ名をつけられ、パン屋の仲間たちや常連客の間で、じわじわと笑い話にされるようになったという。「笑って済むこと」と言う人もいたけれど、彼にとっては仕事の誇りを傷つけられた出来事だったのだろう。ほどなくして彼は「パン屋を辞める」と私に打ち明けた。
「バゲットなんて、もう触りたくないんだよね」
そう言った彼は少し笑っていたけれど、その笑顔の向こうにどこかやるせなさが漂っていた。私は言葉に詰まったまま、ただ聞いていることしかできなかった。
その後、彼とは自然と疎遠になった。今どうしているのか、もう知らない。新しい仕事に就いて、元気でやっているのだろうか。でも、ふとした瞬間に、私は思い出してしまうのだ。――あの「バケット」というひと言で静まり返るパン屋の光景を。そして、あの人のぎこちない笑顔を。
人は言葉ひとつでつまずくことがある。ほんの小さな間違いで、何かが音を立てて崩れていくことだってある。それを知ってしまったからこそ、私もまた、些細な「違和感」に敏感になってしまったのかもしれない。
えっ?これうちの嫁のこと言ってるのかと思った。
的外れ的なことだったら、申し訳ないが。結婚当初はうちの嫁は口が悪くて謝らなかった。
まあ、重度のタイプ。実は自分が一番嫌いないタイプが「口が悪く」、「謝らず責任転換する」するという最悪のケースだったわけ。
婚活で知り合ったので、結婚までは期間が短く結婚するまで猫をかぶっていたのか、そんなことに全く気付かなかった。
で、結婚してからは徐々に気づき始めショックだった。最初は我慢してたけど、もう我慢することができなくなってブチ切れて大喧嘩。
本人は男兄弟の末っ子だったから兄たちのせいで仕方ないとか言って、責任転換もそんなつもりないと言ってたけど。
はっきり、それが嫌だ、直してほしいといった。そうしたら、向こうも自分のこういうことこが嫌だと言ってきたので、
じゃあ、お互いに少しずつ直していこうことになったわけ。でも、そんな簡単になおらないよね。
そのあとも結婚10年の間に6回ぐらい同じことでその都度、大喧嘩して離婚という言葉も何度かでたよ。
するとね、やっぱね。それだけ言い合ってたからかお互いに気にするようになってか、口が悪いことはなくなった。
たまに責任転換ぽいこともあるけど、許容できる範囲になったのでもう何も言ってない。
今はね。結婚する前よりも妻の笑顔が多くなって、本当によかったと思ってる。
真剣にお互いにぶつかった結果がよかったのかと思ってる。
知らんけど。
先に借金でも売春でもさせて金作らせてから店に来させればいいだけだし
だからこそホストクラブ側もクリーンアピールのためにあっさり自主規制に踏み切れたわけで
一度覚えた言葉だからバカの一つ覚えで売掛売掛言ってるのマジで脳が死んでるんじゃないか
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20241219/k10014672331000.html
一回目のは本当に運と間が悪かったと思う。敢えて言えば不景気も悪かった。
事務職で就職したベンチャー企業が今で言う反社のフロント企業ってヤツ。
内心後ろ暗い商売してるな…って思いつつ、不景気だったし、すぐに退職も出来ず
上司らの言われるがままズルズル仕事していたら、ある日会社に捜査が入って逮捕された。
そこでも取り調べした人に「正直に白状したら執行猶予になるよ」騙されて
言われるがままに全部喋ったら、会社がやってた詐欺紛いの商売や資金ロンダリングの共犯って事にされて、執行猶予無しの実刑。
二回目は、刑務所の中で知り合った人と一緒に出所後に仕事を始めたんだけど、それが今で言うマルチ商法でデート商法的な商売。
内心ちょっと合法では無いかも…?と思ってたけど、知人の絶対合法!という言葉と、まだ若かった(20代)だったのもあってやってしまった。
しばらく荒稼ぎしてウハウハだったんだけど、これも詐欺で訴えられて、前科の事も影響したのかまた実刑を食らった。
さすがに懲りたので、再度の出所後は普通に働いて暮らし、そこで出会った旦那と結婚し、今では普通に主婦をしている。
旦那には前科の事も全部正直に話して、それでも受け入れて貰えている。
時は経ち子どもも生まれ、大きくなり、進路を考える時期になったのだけれども、進路の一つに公務員があり
その中には警察官も含まれていて…内心「無理だろうなぁ」と思ってしまった。
警察に限らず、公務員の様なちゃんとした所なら親の経歴だって調べるだろうし、そうなると確実に私の前科は出てくると思う。
私自身はオープンにはしていないものの特にひた隠しにする訳でも無いというスタンスで
マエを知ってる友人・知人達の間ではゼンカモンならぬゼンカママwって感じでネタにしてるぐらいだけど
いざ自分の子どもの進路に影響する可能性が高いとなると、本当に申し訳ないしけれど謝罪した所でどうにもなる訳でも無いのが辛い。
Youtubeなんかで毒親関連のエピソードなんか聞くと、寧ろ進路問題に関しては、自分自身が完全に毒親になってしまっている。
子どもに申し訳なくて仕方が無い。これで自分も毒親育ちだった…とか言ったら、まだ同情されるかも知れないけど
両親は残念ながら普通の良い人達で、さすがに逮捕されて実刑食らった時は説教されたけど、弁護士の手配から差し入れも定期的にしててくれたし
二回目の実刑の時も殴られたけど、一応許してくれて、二回目の出所後から結婚するまでは実家に置いてくれていた。
他の兄弟(兄・弟)も、ちゃんとした仕事してて普通に生きていて、弟は私の逮捕が影響したらしく仕事も変わっているけど
疎遠にはなっているももの直接文句を言われた事は無い。両親も、兄からも、逮捕された事自体は凄く怒られたけど、即絶縁とか、虐待されたとかも無い。
我ながら情けない親、いや人間で、悲しい…
知り合いといっても深い知り合いという程でもない人なんだけど。
とにかく人生辛いし面倒が多いし持病もあるしで死にたいらしい。
特に止めようとは思わない。
自殺は良くないよ!とか残された人が悲しいよ!みたいな理由で止めたところで、
死んで欲しいわけじゃないし、今後もゆるく付き合って行きたいとは思っているが、
死ぬほど辛い思いをしてまで生きていて欲しくはない。
自分だって同じような状況になったらどっかで聞いたような言葉で説得されても、
「いいことしてる自分に酔ってんじゃねーぞ」と苛つくだけだと思う。
しかしながら、家族や周囲の人間にマークされているようで死のうとしても直ぐに阻止されてしまう。
彼はいつその本懐を遂げることが出来るのだろうか。
あまり衝動的に自殺を繰り返すと、マークはより厳しくなっていよいよ何も行動出来なくなってしまいそうだ。
そうなる前にちゃんと計画して上手いことやってくれと思うのは、人でなしの考えかたなのかな。
端的に言うとさっさと死ねってことだもんな。
大した額でも無いし、化石燃料に補助金出すのはいかがなものかってブコメ、地方の生活が苦しい人たちのことを見たことが無いんだろうなと思った。
☆81
「5円の値上がりでブチギレる人は車に乗らない方がいい」 1L5円の値上がりでどれほど物流費が上がるのか想像できないらしい。呑気にネットをして宅配を使いながらこんな言葉を吐いて恥ずかしくないのかな。
☆67
えっ。こわ。
なにこの💢のエネルギー。発電できそう。
はてなの人ってそんなに地方の人に対して想像力あったっけ。地方民は男尊女卑で学も文化ない連中としか捉えてないと思ってたわ。
2年前、ある卓があった。
システムやシナリオは大筋に無関係なのでぼかすが6名以上の卓、とだけ。
GMがいて、私をはじめとした参加者たち。その中にリアル夫妻の夫A.妻Bがいた。
予定そのものはだいぶ前に立っていたが、メンバーの多さから日程調整に時間を食っていた。
GMの日頃の愚痴を見聞きしていたAが「アンタを心配して言ってんだ、そんな環境早く抜け出しなさい」という冷静に伝えていれば友人としてのアドバイスになったであろうもの。酒の勢いで言ってくれなければと今でも思う。
そしてその後も色々とGM、A、妻Bいずれにも落ち度があるような展開が続き、そこから半年近くは表向き友人だがそれが原因でお互い接し方が分からないような状況が続いていた。
私はGMもAB夫妻も共通の友人だったので、恐らく当時唯一第三者でこの状況を把握する立場となった。
話を戻し。
そんなガタガタに拗れた人間関係を保ったまま迎えた卓当日。
日程調整期間にGMと一部参加者が揉めたとは大半が知らない中、意外と卓そのものは普通に楽しく終われた。
GMもABも大人だ。事情をかけらも知らない参加者が半分近くいる卓の最中に野暮にぶっこむような真似はしなかった。
元を辿ればこの卓を希望したのはBだったし、それに手を貸す形でGMがメンバーを集めていた。途中で大問題こそ挟まったが、卓をバラしにもせず、この卓をきっかけにまたお互い歩み寄る第一歩にでもなればいいんじゃないかと思ったのかもしれない。
だが問題はその後で起きる。
妻のBがその卓を擦り続け、GMを除け者にし続けた。
私もTRPG民の1人、卓の余韻が続いて唐突に卓の思い出を語ったり、自分のキャラや同卓のファンアートを作成するのはまあ理解ができる。
ただ、Bがその卓を絶え間なく擦り続けて今もうじき2年が経つ。
「自陣(当時の卓)の継続卓」を希望者がいれば開きますという宣伝を皮切りに、
ひとり、またひとりと卓の参加メンバーを卓の部屋から別の個人部屋へ誘導する。
SNSでも「自陣のメンバーで」「自陣のオフ会」「自陣の」「自陣が」「自陣最高」
その「自陣」と称される枠に、当時のGMが含まれていたことは一度も無い。
最初は自分もお試し感覚で一度継続卓に参加希望してみたのだが、継続卓用に作られたグループチャットに夫のAとGM以外全員の名前が刻まれていたことになんとも言えない嫌気が差し無言で抜けた。
さすがに数の暴力が目に余ったのでBにやんわりとGMも仲間に入れてくれないかと伝えてみたことがある。
主張いわく「自分からは一切声をかけていない。あくまで希望してくれた参加者がいたら回させてもらっている。」と。GMにBから声をかけていないのは卓はあくまでGMのものだから、というBなりの敬意らしいのだが、それがもう村八分と化している現状ときちんと見てほしかった。
またBは、「(当時のA、GMの揉め事の件)で精神的ショックが続き、いまこの創作が心の支えになっている。直接連絡されると手が震えてペンも持てなくなる状態なので連絡はAを通して欲しい。)」とも言ってきた。
…自らの身の保全を要求しつつ、安全圏から「GM不在の『自陣ファンアート』」を2年近く投げ続ける事になんの違和感も持たないBにはもう何を言っても通じないと思い、全ての連絡手段をブロックし今に至る。
Aは無類の酒好きだったがその件以降今も飲酒制限がかけられているらしく、
GMは当時の一件から共通の知人に自ら話しかけに行く事を辞め、人間関係が大幅に縮小した。
なぜこの文章を今書いたかというと、先日その「自陣」で大きめの報告がSNSに上がったから。
当時の参加者だったフォロワーが嬉々として投稿していたのを偶然見てしまった。
たぶん私が抜けてGMが一度も呼ばれていないあのチャットでじっくり予定を立てたのだろう。
多分その日参加していたメンバーが立ち絵で並んでいたが、GMと私を除く8割のメンバーが掲示されていて、
そう言うお前さんこそ、どこまで実態把握してんの?
鴻海にいる元自動車メーカー社員と実際に話す機会があったけどな、あいつらは下請け的ポジションでEV関連の開発や生産に絡む中で、日本勢が抱える開発スパンや戦略ミスを内側から批判してたわけよ。
そのやり取りから見えてくるのは、中国系サプライヤーやEV専業勢の存在感だけが問題じゃなく、旧来メーカー内部での体質改善や開発プロセスの刷新が本質的な課題だってことだ。
で、お前さんは「環境規制対応」を言葉で片付けてるけど、じゃあどのメーカーがどんな技術的優位性持ってるのか、具体的に示してみろよ。
BYDやTeslaを出すと「またそれかよ」って短絡的反応してるけど、結局それ以外に有力なプレイヤーがどんだけいるか理解してんのか?