はてなキーワード: 努力とは
ホセ・オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』(1930年)は、大衆が政治や文化の主導権を握ることで社会の質が低下すると警告した著作です。
彼は「大衆」と「エリート」を対比し、大衆は自己批判せず、努力せず、権利ばかりを主張すると批判。一方、エリートは知的・文化的努力を重ね、社会を導くべき存在としました。
民主主義の発展と技術革新によって、大衆が権利を当然視し、無責任に社会を動かすことで文化や政治が衰退すると懸念し、質の高い指導層の必要性を訴えました。
「大衆」は単なる「庶民」や「労働者階級」を意味するのではなく、知的・文化的努力をせず、社会の発展を当然視する人々を指します。
は?
トランス選手達が、女選手が何であんなに弱いのかわからない私は努力してるから強いけどーとほざいたり
子持ち中年オッサンがエグい下ネタアカウントでエグい発言しまくりながらチンチンつけたまま女子トイレに入れろと最高裁まで戦って勝ったり
うちの親父も友達が皆陰謀論者ぽくてコロナきっかけにハマったけど「そういう話あまり好きじゃない」と他の話だけするようにしたら黙ってくれる程度の理性は残っててありがたい。
かけがえがない大事な存在だと伝えて適度に距離をとるしかないのかなぁ。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231207/k10014279481000.html
異なる価値観の人として受け止め、相手を否定せず、逆に相手に押しつけをやめるよう求める接し方だ。
また、陰謀論にのめりこむきっかけとなった1で述べた「つらさ」が何によってもたらされたのかも見ておく必要があるという。
陰謀論ではなく周囲の人とのつながりが、その「つらさ」を埋め、2で述べている「自己肯定感」をもたらすものになれば、状況を打開するチャンスになるかもしれないと指摘する。
「自分の考えを押しつけてくる相手を尊重するのは簡単ではないかもしれません。しかし、社会の見方が異なる人と共生しようとすること、また『いつでもこっちに戻ってきてね』という態度で接し続けることが、家族の断絶を防ぐのに重要です」
私は陰謀論にハマり抜け出した~当事者が語るネット情報との向き合い方~
https://www3.nhk.or.jp/news/special/sci_cul/2023/12/story/inbou/
「周囲に否定されると、自分が信じていることを補強するためにさらに情報を集めて、より偏った情報に依存してしまうことがあります。加奈さんはまだ信じている度合いが低かったのではないでしょうか」
自分が信じているものを周囲に否定されても素直に聞くことは難しい。
家族に求められるのは、
その上で
▼それぞれが違った立場にいることをはっきりさせて、お互いに主張を押しつけ合わないように求めること、
▼スポーツや趣味など、意見が対立しない共通の話題を大切にすること。
こうして関係を維持することで、本人が矛盾や違和感に気付いた時に戻ってきやすい受け皿になることだという。
「家族にまず大事にしてほしいのは、自分の心と体の健康を大切にするということです。理解者や相談できる人と支え合えればいいですが、離れられるなら距離をとるという選択肢もひとつの方法だと思います」
「自分が見てきた事例の中では、信じていることに疑問を持つ瞬間は必ず訪れます。その瞬間は家族の仲を切らずにいるからこそ、見せてくれるものなのです」
とりあえずこのドキュメントとドキュメント内のリンク先も読んでおきなよ
https://platform.openai.com/docs/guides/reasoning-best-practices
あとブコメ、推論モデルにシンプルかつ端的なプロンプトが推奨されるってのは"アホが努力してカオスな内容にするよりは賢いAIの導くままに"という事で
未来視って漫画とかラノベにやたらと出てくるけど、よくよく考えるとその設定矛盾してない?って思うんだよ。
でも、その未来が見えたからって行動を変えたら、それってもう「見た未来」じゃなくない?
未来が固定されているなら、それを見たところでどうしようもないし、逆に未来が変えられるなら、それって未来視じゃなくて「未来予測」じゃないの?
例えば、よくあるシチュエーションとして「5秒後に敵が右から攻撃してくる未来が見えた!」→「だから左に避けた!」→「ほら回避成功!」みたいなのがあるけど、これってつまり、「5秒後に右から攻撃がくる世界線」はもはや現実になってないわけよ。だって未来を見たことによって行動を変えたんだから。
それって最初に見た未来は起こらなかったってことになって、「その未来を見た」っていう事実が崩壊しない?
つまり、未来視という能力がある時点で未来は「確定したもの」ではなく「変えられるもの」になってる。
でもそれだと、見た未来は「未来」ではなく「可能性の一つ」にすぎない。だったら「未来視」じゃなくて「未来予測」とか「未来の可能性視」みたいな名前のほうが正確じゃない?
もちろん「100%固定された未来しか見えない未来視」っていう設定なら矛盾しない。でもそれってただの「予告」でしかなくて、バトルで活かせるような能力じゃなくなるよね。
だって「この未来が確定しているなら、見えた瞬間にもう変えようがない」ってことになるんだから。
「5秒後に攻撃が当たる未来」が確定していたら、どう足掻いても避けられないし。だったら視えても意味なくね?ってなる。
だから結局のところ漫画とかラノベの未来視能力って、「未来を変えられる」のに「未来が視える」っていう矛盾を抱えてることが多い。
未来が見えるなら変えられないし、変えられるなら見た未来は「未来」じゃないし、どっちやねん!ってなる。
まあ、そこは「フィクションだから」と言われればそれまでなんだけど納得いかないんだよね。
特に、未来視を持ってるキャラが「これは絶対に変えられない未来だ……」みたいに言ったあとに、なんかしらんけど主人公の努力とか覚醒パワーとかで未来を変える展開、あれはほんと何なんだ?
変えられないんじゃなかったんかい!って思わず突っ込みたくなる。
逆に、ちゃんと「未来視=未来の可能性の一つを視るもの」って説明してる作品は納得できる。
例えば「このまま行くと99%の確率でAの未来になる。でも、努力次第でBの未来もあり得る」みたいな感じで視えてるなら、それは「未来視」というより「未来予測能力」だからまあ理解できる。
異性と結婚しただけで一発逆転人生バラ色になると言う思い込みが強いのは男のみ
女で同様の人間は皆無
だから女は結婚相手の社会的評価や地位を吟味するが、男はハイスペやエリートでもセックスを基準に選ぶ
にもかかわらず、結婚したい女は何も言われなくても容姿や家事能力を磨いてアピール
家で1問もドリルを解かずに算数のテストで悪い点取って「学校教育が悪い!」って言ってる人いたら「??」って思うよね。
勿論、体育という教育プログラムに全く問題がないとは思ってないけどさ。でも「動き方の基礎を教えてくれない!」とかは嘘じゃんって思うよ。教えてくれたでしょ。覚えてないだけだよ。
運動に関して、どんなに練習しても上達が無理な人がいるのは何となく分かるよ。家庭環境が難しくて放課後運動なんかしてられない人がいるのも分かる。
でも大半の人間はそうじゃないじゃん。ちょっと運動苦手なだけでしょ。
何も部活で通用するレベルになるんじゃないんだよ。たかが体育で惨めな思いをしないくらいなら、家で練習すりゃ大体の人は何とかなるよ。
算数が好きな人も小説が好きな人も、学校外で好きな感覚を掴んでった人は多いよね。だから体育も家で練習したらいいんだよ。
「大人になって運動好きになった」みたいな人多いけど、それつまり子供の頃は学校外で運動してなかったからでしょ。学校外で運動するモチベーションが沸かないのは体育の授業が機能してないのが一因かもしれないけどさ。全部を授業のせいにするのはそりゃ流石に他責が過ぎるよな。ただの努力放棄だよ。
こんなことを思うようになった、体験がある。
私は寒冷地出身なんだけど、小学校の頃、冬にスケートの授業があったんだよね。
1時間で楕円のリンクを何周できるか、とかやるわけ。で、運動神経いい子はすぐにコツつかんで、簡単に10周とかするの。そんな中、クラスにいた体の小さかった男の子がずっと転んで全然進めなくて、1時間で半周もできなかったんだよね。で、悔しくて泣いててさ。ちょっと可哀想だった。
でも次の月にまたそのスケートの授業やったら、その子、1時間で5周したの。みんな驚いて、その子にできるようになった理由聞いたら、家族でリンク来て練習したんだって。先生もすごく褒めてて、結構みんな感動しちゃってさ。そっからうちの学校の体育、苦手な子は家で練習するのが当たり前になったんだよね。その文化根付いたら、体育で足引っ張る子なんて本当に1人もいなくなったんだよ。たまたまいい学校だったのはあるけどね。
家で1問もドリルを解かずに算数のテストで悪い点取って「学校教育が悪い!」って言ってる人いたら「??」って思うよね。
勿論、体育という教育プログラムに全く問題がないとは思ってないけどさ。でも「動き方の基礎を教えてくれない!」とかは嘘じゃんって思うよ。教えてくれたでしょ。覚えてないだけだよ。
運動に関して、どんなに練習しても上達が無理な人がいるのは何となく分かるよ。家庭環境が難しくて放課後運動なんかしてられない人がいるのも分かる。
でも大半の人間はそうじゃないじゃん。ちょっと運動苦手なだけでしょ。
何も部活で通用するレベルになるんじゃないんだよ。たかが体育で惨めな思いをしないくらいなら、家で練習すりゃ大体の人は何とかなるよ。
算数が好きな人も小説が好きな人も、学校外で好きな感覚を掴んでった人は多いよね。だから体育も家で練習したらいいんだよ。
「大人になって運動好きになった」みたいな人多いけど、それつまり子供の頃は学校外で運動してなかったからでしょ。学校外で運動するモチベーションが沸かないのは体育の授業が機能してないのが一因かもしれないけどさ。全部を授業のせいにするのはそりゃ流石に他責が過ぎるよな。ただの努力放棄だよ。
こんなことを思うようになった、体験がある。
私は寒冷地出身なんだけど、小学校の頃、冬にスケートの授業があったんだよね。
1時間で楕円のリンクを何周できるか、とかやるわけ。で、運動神経いい子はすぐにコツつかんで、簡単に10周とかするの。そんな中、クラスにいた体の小さかった男の子がずっと転んで全然進めなくて、1時間で半周もできなかったんだよね。で、悔しくて泣いててさ。ちょっと可哀想だった。
でも次の月にまたそのスケートの授業やったら、その子、1時間で5周したの。みんな驚いて、その子にできるようになった理由聞いたら、家族でリンク来て練習したんだって。先生もすごく褒めてて、結構みんな感動しちゃってさ。そっからうちの学校の体育、苦手な子は家で練習するのが当たり前になったんだよね。その文化根付いたら、体育で足引っ張る子なんて本当に1人もいなくなったんだよ。たまたまいい学校だったのはあるけどね。
Gのレコンギスタがユーチューブで配信されてたのでちょろっと見たけど、放送当時で富野由悠季83歳!
弱者男性が「永遠の命は苦痛」って言ってるの聞いて、マジで笑っちゃった。
人生の楽しみなんていくらでもあるだろ。毎日何かしら楽しいことが転がってるし、そういうのを見つける楽しみってめっちゃ大事だと思うんだよね。
長生きしたからって苦痛だって、考え方が超ネガティブ過ぎないか?
仙人を見てみろよ。
何百年も生きてるけど、あんなに余裕こいてるし、楽しんでるじゃん。
修行して強くなって、どんどん学び続けることで、永遠の命だって面白くなるんだよ。
なんか、すぐに諦めて不満ばっか言ってる感じがするんだよな。
何でもかんでも「苦痛」だって思う前に、まず自分を成長させることを考えろよ。
努力してる人って、どんな状況でも楽しんでるし、成長してるんだよね。
診断されてないということは、診断を必要とするほど日常に不便さを感じていないということなので、傾向的にグレーゾーンではあるけど障害ではないから自称するのは控えた方がいいね
そもそも学校とは効率的に良質な兵隊を育て選別する行政機関だった
戦後兵隊が不要となり、工員を育て工場の歯車を供給する装置に存在意義を転換した
規格通りの身体スペック、従順で、かといって利口すぎない、工場の作業をこなすのに必要な知能
このような部品を育て選別する
逆上がりが求められているのではない、
俺はたまたま老後資金賄えるレベルの宝くじが高額当選したからそれをidecoに入れながら電話対応なしの単純作業事務の派遣社員やってるけど、もしも宝くじ当選してなかったら30手前で絶対自殺してたわ
努力でカバー出来る範囲ならミスしないで済むけど、予定外のこと起きたりキャパ超えるとミス大連鎖するんよな
未だにその名残で脅迫障害酷くて一人で疲弊してるし、自分がまともに生きてた未来が全く見えない
同じようなやつマジで30過ぎてどうしてんだろう
性的消費をするのだから出来る限り、現実世界に生きる女性に迷惑をかけないようにしなきゃならない。
「え? エロくないけど?」
…みたいにしらばっくれるというワケ。
エロ目的で提供されたものを消費してるのはモチロン理解してる。
だけど、オタクの安全性に理解のない一般のカタギの人を怖がらせないために、あえて嘘をつく。
周囲に与える恐怖感だけは、取り除く努力をする。
誠実じゃないって?
それは正しいけど、酷な批判だよ。
人が不幸を感じる時はどんな時か?それは例えば暴力を受け続けているとか、人権を侵されているとか、直接的な被害を除けば、「気持ち」の問題がほとんどだ。
相対的幸福と絶対的な幸福の話をしよう。人は誰しも思春期の頃から相対的幸福の考えに囚われる。つまり相対的に自分はどうか?比較することで自分を知ろうとし、自分の幸福度を計ろうとする。つまり、あいつは金持ちの家に産まれて恵まれているのに俺はそうではない。あいつはモテるけど俺はそうじゃない。など。比較によって相対的不幸を感じる弱者が産まれる。相対的幸福で幸せに生きられるのは恵まれし者や成功者のみだ。ではそうでない者はどうやって幸福を感じる術を得ればいいのか?それが、絶対的幸福論である。
つまり、他者と比べないことが重要。究極、衣食住、暮らしていけるだけのお金、ネット、時々の酒などそういうもので既に満ちていることに気付くことだ。足るを知るということ。これだけ収入があったらもっと幸せになれるのに、とか、あんな異性と付き合えたら俺は幸せになれるのに、とか、欲望に囚われることをやめて、今あるものに満足して暮らすことだ。比較や欲望をやめて。だれにも揺るがせない絶対的幸福を得ることは心がけ次第で可能である。そうして得た幸福感の中から余裕は生まれる。その余裕が努力や自己研鑽の活力の源泉となり、自然と手にしている幸福は増えていくものだ。
十年二十年単位で実行していくと気づいたら相対的幸福の世界でも勝負できる人間になれている。
まずは、相対的幸福から逃れ、他者との比較をやめること。足りていることを知ること。今持っているものを知ること。絶対的幸福を確かに得ること。そこから始まる。
今の若い女の子ってメンタル弱すぎない?と同年代同性ながらによく思う
すぐ当日欠勤する奴がほんとに多い
当欠する奴をクビにして代わりに雇った奴が当欠常習犯だったとかざらにある
「コロナかもしれないから休みます」とか気軽に使うけど、その連絡で現場がどれだけ狂うか想像してみろよ
当欠する奴とも表面上は仲良くしてるからプライベートの話も聞いたりするけど、その話と照合するとどうやら男と遊んだ翌日に当欠するパターンが9割、それを休んで迷惑かけてる職場の私に話すなよ!?
セフレが帰してくれなくて〜とか自慢げに語るならはやく仕事辞めてその沼男(笑)に養ってもらえばいいじゃん
今の世の中はストレスが多いとか、無理せず休むのが時代の風潮だとか言うけど、シンプルに人手不足だから勝手に休むな
夜遅くまでスマホ見て不安煽られて寝れなくなってメンタルが不安定〜とか言うならその端末捨てればよくない?せめてSNS辞めれば?AIにおすすめされたそこまで興味のない投稿になぜそこまで執着する?どうせつまんねーショート動画見てるだけだろ?
たかが顔がアイドル級にかわいくないくらいで悲劇のヒロイン気取ってんじゃねえよ
お前はSNSで他人の人生覗いて勝手に惨めな気持ちになってそのまま動けなくて腐って死んでいくんでしょうね
体調悪いから何もできなくて〜って何?病院行くか自分で生活管理すれば?それで人生ガチャ外れてるから〜とか言われてもただの努力不足じゃんとしか思えない
そのまま年取って何もできないおばさんになって人生終われ
自称ADHDならADHD向けのライフハック使えよ、ちゃんと医学的に対処法も練られてるんだから
発達障害を人生諦めることの免罪符にするな、せめてちゃんと診断受けろ
メンタル強くて羨ましいとか言われるけどこちとら睡眠運動食事全部気遣って保ってるんだよ、それを聞かれて答えても何も実行しないでただ嫉妬されるのが1番ダルい
同期と比べるとたしかにピカイチな成果はないけど、普段の業務ではそこまで遜色ないはずだと思っていた。
落第点ではないはずだと思っていた。
その結果はこのザマ。出世は2周回遅れで打ち止め確定。休職を繰り返して、実質半分しか勤めてないやつと同じポスト。こっちは必死に長時間動労に耐えて、理不尽な命令に精神をすりつぶしてきたのに。舐められたもんだ。
まあ、つまり、「そういうコト」だったんだろう。厳然たる客観的な評価と自己認識とのズレ。自分が「大した事ない」と言い聞かせてきた同期との差というのは、傍から見たら地球と月ほどもある距離だったんだろう。
「確かに彼らほどはキラキラしていない。でも、こんなに頑張ったんだから、人並みの見返りはあってもいいはずだ」
結局、我慢して耐え忍んでも何も残らず、歳ばかりくってしまった。結果が同じなら、せめて自分の好きなこと、楽しいことをやっておくべきだったな、と思う。人生は有限なんだから。
まさか自分が「モテない男」の側に所属しているとは考えてもみなかった。
実際、女性と知り合うたびに「実家暮らしですか?」とそれとなく聞いては、
「そうだよ」と返事があると秘かに恋愛対象から除外していたものだ。
高校時代も女性とは縁がなかったのだが、それはそれ、努力していなかったからで、
俺も人並みの努力をすれば、性の営みを行えるものだと考えていたのだ。
最初はビクビクしていたものだが、「女性に話しかける」というのも案外と容易なもので、
連絡先も聞きさえすれば教えてくれるので「これはイケるぞ」と確信を深めた。
だが、本当に難しいのはここからだった。
連絡先の交換はできる、デートもしてくれる、しかし、セックスはしてくれないのだ。
女性と知り合い、デートを重ね、さてセックスをさせてくださいという段になると、
途端に相手の態度が冷淡になり、そして連絡がつかなくなる、ということが繰り返された。
一人の女など、俺と指を絡ませて歩き、一つのアイスクリームを二人で食べたりした。
デート終わり、ではキスをしようと背中に腕を回すと「嫌だ」と拒否をする。
いろいろと理由を言われたが連呼したのは「人が見ているから」だった。
しかし、そこは屋外というだけで、周囲にこっちを見ている人などいなかった。
その後、メールの返信が次第に遅くなり、しばらくして返事が途絶えた。
ほかにも家にまで呼んでおきながら、俺が求めると拒否する女もいた。
「俺もそのバンド好きだよ」と(嘘を)言うと、じゃあ遊びに来なよ、と言う。
俺は部屋に入れてくれるということは、OKだということだと理解し、期待をした。
それで女の家に行き、ベッドに並んで座りながら、DVDを見ていた。
実は俺は音楽ライブの楽しみ方がわからず、現場に入れば身体を揺らすなどして、
身体的に楽しむこともできようが、家で見る、となるとどうすればいいかわからなかった。
だから、黙ってみていたのだが、これがおそらく良くなかった。
15分ほどして「そろそろいいかな」と思い、女に抱きつくと、女の態度がおかしい。
俺の身体を強引に引き離し、ふぅふぅと息を荒げている。そして冷たく「帰って」と言い放った。
帰り道、「ごめん」とメールを送るも、音沙汰がなく、以降連絡はとれない。
これは今でも思い出す度にとても悲しくなる。
黒髪ロングの目鼻立ちがはっきりした美人で、あとちょっとだった。
一番上手くいっている女とは今でも連絡を取り合っていて、一緒に酒も飲む。
彼女は優しくて、俺がどんな話をしてもニコニコと聞いてくれるし、
酔った勢い(のフリ)でよく抱きついたり、お尻を触ったりしているのだが、怒らない。
しかし、彼女の腕を掴んで「セックスがしたい」と懇願しても「ダメ」と一蹴される。
だが、これは仕方のないことでもあり、というのも、彼女には夫がいるのだ。
俺は彼氏持ちや既婚者の女とは仲良くなりやすいのだが、セックスはさせてくれない。
何度もそれが重なり、ついにはセックスできないまま大学卒業となり、
「ああ、自分は女性に好かれる要素がないのだな」とやっと思い至った。
これを認めるのは本当に苦しいが、事実なのだからしょうがない。
俺はモテない男であり、異性交友のセンスが甚だしく欠如しているのだ。
街中でカップルを見ると、「なぜあいつはセックスできて俺はできんのだ」と悲しくなる。
特に女が妊娠していたりすると「こいつは中出しをされたのか」と凝視してしまう。
セックスさせてあげるのだろうと想像すると、怨めしい気持ちが湧いてくる。
もう女性に期待するのはやめて、嫉妬の念も何とか抑えて、慎ましく生きていこうと思う。
おっしゃる通り、送信者と受信者が正しく通信するためには「時間の同期」が非常に重要 です。
しかし、19世紀の頃は現代のような精密な電子時計やGPS時計がなかった ため、時間を合わせること自体が大きな課題でした。
では、当時の電信や無線通信ではどのように時間の同期を取っていたのでしょうか?
以下、19世紀の通信技術における「時間の同期」の問題と、その解決策 を解説します。
通信では、送信者と受信者が「いつ信号を送るのか、いつ受信するのか」を一致させる必要があるため、時間の同期が不可欠です。
時間を決めて送信する場合(例: スケジュール化された電信・無線通信)
周波数ホッピング方式のように、時間ごとに動的に周波数を変える場合
19世紀当初、各都市の標準時刻は、天文台で太陽の位置を測定することで決められていた。
天文学者が観測した時刻を、正確な時計(クロノメーター)で保持し、それを基準に各地の時計を合わせる。
イギリスでは、グリニッジ天文台の時計を基準にし、そこから鉄道駅や政府機関に正しい時刻を配布していた。
主要な都市には「標準時信号」が送られ、これを基準に各地の時計を合わせた。
鉄道会社や政府機関は、毎日決まった時間に「標準時」のモールス符号を受信し、それに基づいて時計を修正した。
電信が普及する前、または電信を補助する手段として、港町などで使われた方法。
毎日決まった時間に、大きな「時報ボール」を塔の上で落とし、目視で時計を合わせる。
港の塔にある大きなボールが定刻に落とされる。
アメリカ・ニューヨーク(タイムズスクエアの「ニューイヤーボール」はこの名残)
長距離通信では、電信信号が送られるのに時間がかかるため、送受信のタイミングを意識した設計が必要だった。
例えば、アメリカの大陸横断電信(1861年)では、**「この信号を受けたら○秒後に次の中継局へ送信」**というルールが定められていた。
19世紀末から無線電信(マルコーニなど)が発展すると、無線通信でも時間の同期が重要になった。
特に、複数の局が同じ周波数を使わないように、送信スケジュールが決められた。
各無線局が「この時間帯はこの局が使う」と決められていた(固定割り当て方式)。
国際通信では、標準時を基準に運用(例: 「毎時00分~05分はこの周波数を使用」)。
(1) 「標準時」の制定
19世紀後半になると、鉄道網の発展により、各地で異なる時刻を使うと混乱が生じるようになった。
そこで、「標準時制度(Time Zone)」が制定され、各国の電信・鉄道・通信がそれに基づいて動くようになった。
📌 標準時の例
1884年:「国際子午線会議」でグリニッジ標準時(GMT)が採用。
20世紀初頭、水晶時計(クォーツ時計)の登場により、より正確な時間管理が可能になった。
さらに、無線電波を使って時刻を同期する「電波時計」が登場し、送受信のタイミングを正確に合わせることができるようになった。
4. まとめ
✅ 19世紀の通信では、送信者と受信者が時間を合わせることが非常に重要だった。
✅ 天文観測による時刻測定と、精密時計(クロノメーター)での時間保持が基本だった。
✅ 電信の発展により、「時報電信」が各都市に送られ、鉄道や商業活動で活用された。
✅ 「時報ボール」という物理的な目印で時間を知らせる方法も使われた。
✅ 長距離通信では、リレー方式を使い、時間差を考慮して送受信を調整した。
✅ 無線通信の発展により、標準時制度が整備され、時間同期の精度が向上した。
✅ 20世紀には水晶時計・電波時計が登場し、より正確な同期が可能になった。
水晶時計・電波時計が登場する前の時間の誤差はどのくらいあったのか?
水晶時計や電波時計が登場する以前、19世紀~20世紀初頭の時計の精度は、使用する時計の種類や管理方法によって大きく異なりました。
一般的に、秒単位の精度は確保できず、日単位で数秒~数分の誤差が発生することが普通 でした。
ここでは、当時の時計の種類ごとにどの程度の誤差が生じたのかを詳しく解説します。
1. 当時の時計の種類と精度
誤差: 1日あたり±0.1秒~1秒
振り子時計の中でも特に精度の高いもので、気圧・温度変化による影響を最小限にする工夫がされていた。
📌 使用例
誤差: 1日あたり±1秒~5秒
主に鉄道・軍事・科学実験などで使用され、当時としては非常に精度の高い時計
温度変化による膨張・収縮の影響を防ぐため、金属合金で作られた「格子振り子」などの工夫が施された。
📌 使用例
電信局の時刻同期
誤差: 1日あたり±2秒~10秒
航海中の船では、「正確な時刻」を知ることが経度測定に不可欠 だったため、高精度の「海洋クロノメーター」が使われた。
船の揺れに影響されないよう、振り子ではなくヒゲゼンマイ式の時計が使用された。
📌 問題点
船上の温度変化により、時間の進みが速くなったり遅くなったりすることがあった。
船員は毎日決まった時間に天測(太陽や星の観測)を行い、誤差を補正する必要があった。
📌 使用例
誤差: 1日あたり±5秒~30秒
19世紀後半、鉄道が発展すると、各駅の時計を同期する必要が出てきた。
「駅の時刻表示」や「運転士・駅員の携帯時計」は、1日に数秒~数十秒の誤差があった ため、定期的に修正された。
📌 問題点
駅ごとに時刻が異なることがあり、誤差が大きいと列車事故の原因になった。
「時報電信」を利用して、毎日決まった時間に時計を修正 することで対応。
📌 使用例
誤差: 1日あたり±30秒~2分
個人が持ち歩く時計(懐中時計、後の腕時計)は、気温や振動の影響を受けやすく、精度が安定しなかった。
📌 問題点
都市ごとに時刻がバラバラだったため、時計の時間が違うことで、約束の時間に遅れることもあった。
📌 対応策
町の時計屋で「正確な時刻」を定期的に修正するサービスがあった。
当時の時計は1日あたり数秒~数分の誤差が出るため、定期的に「正確な時刻」に修正する作業が必要だった。
各国の天文台が観測した「正しい時刻」を、政府機関や電信局が管理。
電車の中でふと思い出したので、お世話になった二人の氷河期世代の先輩について書いておこうと思う。
一人は前職の同じ部署の先輩で、もう一人は喫煙所で仲良くなった別の前職の別部署の先輩だった。
二人ともに共通していたのは、よくメシを奢ってくれたこと、仕事を丁寧に教えてくれたこと、それから、私(の世代)に対する妬みのような感情を必死でオブラートに包んで隠しているような雰囲気があることだった。
就活に大変苦労して、ようやく入った会社もブラックで酷い目にあった。と言うようなことを、飲み会でぽつぽつ話してくれたのが印象に残ってる。
私自身はアラサーで、就活の時は景気が良かったし、そこそこの大学も出ていたので、ありがたいことに就職先には全く困らなかったし、総合職()として入社していたので、下手したら給与も先輩とそれほど変わらなかったのかも知れない。
先輩が努力を怠ったとか、私が不正を働いたわけではないけど、「そういう時代だった」では片付けるには居心地が悪いなと。
だからと言って、私に何か出来るわけではないから、せめて自分の後輩にはたくさんメシを奢ろうと思います。
そろそろ最寄りにつくので、このあたりで。
オチなくてすいません。