はてなキーワード: ひとつとは
まずホログラフィック宇宙論いうのは、一言で言えば 「この宇宙は3次元に見えてるけど、実は2次元の情報が投影されてるだけちゃう?」 っていう理論や。
スクリーンは2次元(縦×横)やのに、そこに映し出される映像は3次元の奥行きを感じるやろ?
ホログラフィック宇宙論が言うとるのは 「ワイらが3次元の世界やと思ってるもんも、実は2次元の情報が投影されとるだけちゃうか?」 ってことや。
この理論の発端は、ブラックホールの「情報パラドックス」から。
簡単に言うと「ブラックホールに物を放り込むと、その情報は消えてしまうんか?」っていう問題や。
量子力学的には情報は絶対消えへんはずやのに、ブラックホールに入ると出てこれんようになる。これが矛盾や!
ホログラフィック宇宙論を使うと、情報はブラックホールの表面(イベントホライズン)に記録されとると考えられる。
つまり、「ブラックホール内部の情報=ブラックホール表面の情報」ってことになる。
ほな、これをもっと一般化したら 「ワイらの宇宙の情報も、どっかの2次元の境界面に全部記録されとるんちゃうか?」 って話になってくる。
このホログラフィックな考え方の元になったのが、ブラックホールのエントロピー(S)を表す 「ベッケンシュタイン・ホーキングの公式」 や。数式で書くと、
ここで、
k :ボルツマン定数(熱力学でエネルギーと温度を結びつける定数)
c :光速
A :ブラックホールの事象の地平面(イベントホライズン)の面積
G :重力定数
この式、何がすごいって、エントロピー(情報の量)が ブラックホールの「体積」やなくて「表面積」に比例しとる ってことや!
普通、情報量ってのは体積に比例するもんやけど、ブラックホールの場合は「表面積」だけで決まるんや。
これが「情報は3次元空間の中やなくて、2次元の境界に刻まれとる」っちゅう発想につながって、ホログラフィック宇宙論へと発展していったんや。
「ホログラフィック宇宙論はわかったけど、じゃあどういう理論で成り立っとるん?」って話になるよな。そこで出てくるんが AdS/CFT対応 や!
これをざっくり言うと、「5次元の重力理論(AdS空間)と、4次元の量子場理論(CFT)は等価」 ってことや。
数式で書くと、
これは「反ド・ジッター空間(AdS)」での重力の振る舞いが、「共形場理論(CFT)」の世界で記述できる、っていう意味や。
超ざっくり説明すると...
想像してみてや。水槽の中にクラゲが泳いどるとするやろ?普通、水槽の中のクラゲの動きを知るには、水槽の中を直接観察するやろ?
でも、もし水槽のガラスに映る影だけでクラゲの動きが完全に分かるなら「水槽の中の3次元の動き=水槽の壁(2次元)の動き」って考えられるやん?
ホログラフィック宇宙論は、まさにこういうことを言うとるんや。
「ワイらの3次元宇宙の物理は、実は4次元(または5次元)の世界の境界にある2次元の情報から決まっとる」 ってことやね。
この理論が正しいとしたら、宇宙の根本的な見方がガラッと変わるで!
重力の量子論がうまくいく可能性があるし、一般相対性理論と量子力学を統一する方法のひとつになりうるんや。
もしワイらの宇宙が2次元の情報から作られとるなら、ビッグバンとも全然違う解釈ができるかもしれへん。
もし「この宇宙が2次元の情報を投影したもの」なら、まるでVRみたいなシミュレーション宇宙の考え方も、単なるSFやなくて真剣に考えなアカン話になってくる。
ホログラフィック宇宙論は、「ワイらの3次元の世界は、2次元の情報が投影されたもんちゃうか?」っていう仮説や。
ブラックホールのエントロピー公式 から、「情報は体積じゃなくて表面積に保存されとる」ことがわかった。
AdS/CFT対応 によって、「高次元の重力理論と低次元の量子理論が等価」っていう考え方が提案された。
うちの親父も友達が皆陰謀論者ぽくてコロナきっかけにハマったけど「そういう話あまり好きじゃない」と他の話だけするようにしたら黙ってくれる程度の理性は残っててありがたい。
かけがえがない大事な存在だと伝えて適度に距離をとるしかないのかなぁ。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231207/k10014279481000.html
異なる価値観の人として受け止め、相手を否定せず、逆に相手に押しつけをやめるよう求める接し方だ。
また、陰謀論にのめりこむきっかけとなった1で述べた「つらさ」が何によってもたらされたのかも見ておく必要があるという。
陰謀論ではなく周囲の人とのつながりが、その「つらさ」を埋め、2で述べている「自己肯定感」をもたらすものになれば、状況を打開するチャンスになるかもしれないと指摘する。
「自分の考えを押しつけてくる相手を尊重するのは簡単ではないかもしれません。しかし、社会の見方が異なる人と共生しようとすること、また『いつでもこっちに戻ってきてね』という態度で接し続けることが、家族の断絶を防ぐのに重要です」
私は陰謀論にハマり抜け出した~当事者が語るネット情報との向き合い方~
https://www3.nhk.or.jp/news/special/sci_cul/2023/12/story/inbou/
「周囲に否定されると、自分が信じていることを補強するためにさらに情報を集めて、より偏った情報に依存してしまうことがあります。加奈さんはまだ信じている度合いが低かったのではないでしょうか」
自分が信じているものを周囲に否定されても素直に聞くことは難しい。
家族に求められるのは、
その上で
▼それぞれが違った立場にいることをはっきりさせて、お互いに主張を押しつけ合わないように求めること、
▼スポーツや趣味など、意見が対立しない共通の話題を大切にすること。
こうして関係を維持することで、本人が矛盾や違和感に気付いた時に戻ってきやすい受け皿になることだという。
「家族にまず大事にしてほしいのは、自分の心と体の健康を大切にするということです。理解者や相談できる人と支え合えればいいですが、離れられるなら距離をとるという選択肢もひとつの方法だと思います」
「自分が見てきた事例の中では、信じていることに疑問を持つ瞬間は必ず訪れます。その瞬間は家族の仲を切らずにいるからこそ、見せてくれるものなのです」
私が四半世紀インターネットをROMしてきたなかでいくつもの炎上をみてきた。
インターネット上での活動に特化したHIKAKINが、いつかの動画で語ったように『炎上しないよう日頃から品行方正な行動をする』というのは確かに正しいが、これは中々実行できることではない。
すでに炎上してしまったあとは、復帰が比較的早く済む場合、長引く場合、復帰不可能になる場合のいずれかをたどる。
その中で早めに復帰したひとたちの火消し方法にはいくつかの共通点がある。
今回くるまは早い段階で容疑を認め、自らのYouTubeチャンネルで無駄のない事実説明と簡潔な謝罪をし、そこからすぐ活動休止に入った。なんと鮮やかな避難だろう。
お祭りびとたちが一番待ち望んでいるのは炎上者からの追い焚き、燃料投下だ。
主観での発言が特にそうなりやすい。言い訳、釈明、自己擁護……言い方はどうでもいいが、それらはお祭りびとからしたら格好のガソリンに他ならない。
もし、炎上の内容について弁明したいことがあるならば、それはすべてが落ち着いてから聞いてくれるひとたちに向けてだけ簡潔に話せばいい。
炎上者の気持ちを知りたいと望み、共感してくれるのはファンだけなのだ。
ファン以外が参戦している状況では何を言っても場を荒らすことになる。部外者が去るのを待ってから言葉を届けるのだ。
今回、Xやヤフコメといったお祭りびとが活動しやすい場ですら、目立っているのはくるまへの擁護コメントだ。
「自粛はやりすぎではないのか」「早い謝罪をしたのだからメディアはこれ以上騒ぐべきではない」「そもそも時効ではないか」
もしくるまが自粛するまでの期間に余計な燃料投下をしていたらこの状況にはなっていないだろう。
何ならすでに劇場ではこの件がネタになっているという。復帰を劇場という有料コンテンツからにするというなら、これは最良のお膳立てだろう。
恐ろしいのは、こういった火消し対応をくるま側がおそらく狙ってやっているということだ。
任意聴取の報が入る前々から、吉本芸人の一部に不穏な噂が飛び交っていた。
くるまは、自分にも任意聴取なりネットへのタレコミなりが遠からずあることは予想していただろう。
予想していたとしてもいざその状況になり、混乱やヘイトが自分に向かうなかでお手本のような火消し対応を実行できる胆力は見事としか言いようがない。
私は預言者ではないので確かなことは言えないが、来年の今頃、令和ロマンは当たり前のように劇場に出て、単独ライブを行い、ラジオで喋ってたまにテレビに出る、そんな炎上前と同じ状況に戻っているのではないかなと空想をしている。
最序盤で脱落していたアイプリが二期決まったと聞いて、現金ながら追いつくために視聴再開してる。現在10話前後。
全寮制?の学校が舞台で、変な空間でのアイドル活動が流行ってて、アイドル活動に反対してる学園長(もちろん元アイドル)がいて、トップアイドルを兼ねてる生徒会があって、取柄がない(と本人は思っている)主人公が突然デビューしてしまって…
と、女児向けアイドルアニメってこんな感じだよねという要素は大体そろっている。が、それだけに、その最大公約数的なイメージからはみ出すよう独自の個性がまだあまり見えてこないのだ。
もっと露骨に言うと、過去のプリティーシリーズのパッチワークでしかないというか…(アイカツ風味もちょっと混じってる?)
デザイン面も含めて、アイプリならではの固有のテーマ・コンセプトというものが感じられないことには、正直見続けるのがしんどい。表向きにはタイトル通り「ひみつ」がテーマらしいが、それも今のところピンと来ない。気になるのは「つむぎ」の正体ぐらいか?
前作のプリマジもいまひとつテーマが絞り切れてない印象はあったが、シリーズ構成に坪田文を迎えて、プリリズ的な緊張感ある空気に原点回帰しようという意図は序盤からある程度感じられた。
そのプリマジがあえなく一期で終了してしまった以上、次は分かりやすくベタに振って全力で置きに行くのも仕方ないのかもしれない。それで、メインターゲットにちゃんとウケて二期が決まったというのなら、俺のような大友の感想とは関係なく正しい判断ではあったのだろう。
とはいうものの、このままだとプリティーシリーズ過去作品の視聴に逃げてしまいそうなのも事実である。
お前はまだ本当のアイプリを知らない、黙って○話まで見ろ、というラインがもしあるのなら、アイプリ識者はご教示願いたい。
私は今、スーパーの入口に立ったまま死んでる。手に持ったレタスの葉が萎れていくように、この街に住む資格を腐らせてる。カゴがない。売り場の奥まで歩いてやっと気づいた。また今日も、この儀式をくり返す羽目になった。
ここのスーパーマーケットには、完全な人間しかやってこない。レジに向かう客たちの歩数計が刻むリズム、学生のリュックに収まる野菜の体積計算、老紳士が牛乳パックを把持する完璧な角度。全てが数学的だ。なぜなら入口にしかカゴが置かれてないからだ。計画を誤った者は、空腹でも、出血していても、必ず入口まで引き返させられる。
国道を隔てた向こう側のスーパーは違う。床にころがるカゴが散らかった積み木のようで、商品棚の隙間からふいに現れる。あそこでは人間が迷うこと許されている。だが計画都市のコンクリートに染みこんだ理性は、そんな「偶然」を病原菌のように排除する。先週、卵を抱えたままレジ列を彷徨った男がいた。警備員がだまって彼の後頭部を指差した時、冷蔵庫の霜のように静かな嘲笑が棚のあいだを這った。
私の冷蔵庫には常に二つのカゴがころがってる。ひとつは使い捨ての羞恥心。もうひとつは取り返しつかなさを計測するためのものだ。毎日のように入口と売り場往復する私の軌跡は、この街の地図ににじむ不純物のシミのように映っているに違いない。
この街の夜明けはカーテンの隙間から侵入する図面のようだ。1年を通して6:00に朝日が差しこみ、22:00に街灯が消える。私は枕元にカゴを置いて眠る。明日もきっと、計画から漏れた臓物のように入口でうずくまるのだ。ここには偶然が生きる余地などない。完璧な檻の中で、唯一の欠憾品である私の呼吸だけが、精脈に青いノイズを流し続けてる.
赤いきつね騒動について、私は「自分はそこまで気にならないけど嫌な人がいるのは分かる」くらいのスタンスだったのだが、周囲を見渡すと私が慕ってる人の中にも問題を全く理解してない人が結構いて、嫌気がさしてしまったので書き殴ります。
フェミとオタクを中心に不毛な言い争いが繰り広げられてる印象の強い問題だけど、多分君たちは敵じゃない。対立する場面はあったとしても、名前だけを見て殴りかかっちゃ駄目だ。個別の問題に目を向けてくれ。落ち着いて聞いてくれ。
まずフェミ(とネット上で呼ばれている人)およびフェミと名乗るほどではないが女性の性的消費にうんざりしている人たちが何故そんなに怒っているか。日頃アニメコンテンツに慣れ親しんでいる人ほど「あれが性的…?」と思ってしまうと思うけど、そういう人はまず「性的」という言葉の意味を捉え直す必要がある。
あの映像は「(女性だけが)過度に性的に表現されている」と批判されているわけだが、「性的」とは何も直接的なエロ表現のことだけではない。「性愛の対象として魅力的に感じること」、もう少し噛み砕いて言うと、「女の子を女の子らしく可愛く描くこと」も広く「性的」と言える。
女性の中には、この「女の子らしく可愛く」を求められることにうんざりしている人が結構いるのだ。
「私たちは都合のいい可愛い生き物じゃない。ちゃんと人間として見てくれ」と。
頬染め、耳かけ、潤んだ目、口元の描写と、様々な点が指摘されているが、そういうアイコン化されて現実からかけ離れた「可愛い女の子像」にうんざりしているのだ。
尚、あれがフェラみたいだとか言っている人については、それは正直どうかとは思う。
けれど同時に、それくらい口汚く罵りたくなるほど性的な目で見られることに嫌悪感を抱く人がいることも忘れてはならないし、その背景からも目を背けてはならない。
男性諸君には想像もつかないかもしれないが、女性というのは生きているだけで本当に性的な目を向けられ続けるのだ。
私なんかはかなり平和に生きられている方だと思うが、それでも男性多数のコミュニティにいた時には、私の本当になんでもないほんのちょっとした言動をAVやエロ漫画のシチュエーションに結びつけて、嘲笑の的にされるようなことは頻繁にあった。私ですらそうなのだ。
どうしてか性的な目を向けられやすい人とは残念ながら存在するので、酷い人はそれはもう想像を絶するほどに酷い目に遭ってきたのだと思う。そういう背景を持つ人たちから半ば反射的に飛び出す罵詈雑言を、言葉尻だけを捉えて批判するようなことはしたくない。
ヒステリックに過剰反応してしまってる人も確かにいると思う。でも逆に「その反応も仕方ないほど傷つけられてきたのだとしたら?」と想像すると、とてもいたたまれない気持ちになる。
あの映像を見ただけであれだけ怒っているのだと思っているなら、確かに「ちょっとおかしいんじゃないの?」と感じてしまうだろう。
でも彼女たちはずっとずっと女として生きているだけで嫌な思いを積み重ねてきたのだ。
「ちょっとおかしいんじゃないの?」を彼女たちにぶつけてしまう前に、一旦立ち止まって考えてほしい。
「どうして彼女たちはたったあれだけのことでこんなに怒らなければならなくなってしまったんだろう?」と。
あの映像は「目の保養」としてはよくできていたと思う。ドラマを観て涙ぐみながらうどんを啜る女の子は可愛い。でもそれは、主人公の女の子を鑑賞物として見てしまっているということでもあるのだ。
「あれは可愛い女の子を見て楽しむものだろう。それの何が悪い」と思う人がいるかもしれない。
言いたいことは分かるし、そういう楽しみ方をする人がいてもいいと思う。
では何故炎上したかと言うと、あの映像がCMであり、CMのターゲット・コンセプトと作画・演出がミスマッチを起こしていたからだろう。
あれが人気アニメのキャラを主人公にした映像だったら、全く同じ演出でも多分あんなに炎上しなかったと思う。それならCMのターゲットはそのアニメのファンであることは明確であり、主人公が「鑑賞対象」として楽しむために作られたものだということが理解できるからだ。
しかし、無名の男性主人公/女性主人公の映像が制作されたところを見ると、ターゲットはそれぞれ広く一般的な男性/一般的な女性と見るのが妥当だろう。
そして、両者とも日常的なシーンを描いていたことから、顧客の共感を呼ぶことで購買意欲を刺激することを狙ったのだろうと考えられる。
しかし、肝心の女性主人公が現実の女性とはかけ離れていて、共感できる対象ではなかったのだ。
ゴリゴリにジェンダーバイアスのかかったステレオタイプのシチュエーションで、キラキラの目と紅い頬の可愛さの強調された絵柄、フェチ仕草として擦られまくった耳かけポーズ。
自己投影の対象として作られたであろう「一般的な女性」であるキャラクターがここまで性的魅力を強調して描かれていれば、「こんなんじゃねえわ」と思って当然だし、自分に性的な目を向けられているような嫌悪感を覚えるのも無理ないだろう。
さらにこの件では、男性と女性の描かれ方の非対称性が顕著に現れていたことも問題だった。
男性は比較的リアルな作画だったのに対して、女性はいわゆる「萌え絵」と呼ばれる、消費の対象であるコンテンツとして培われてきたイラストの表現手法で描かれていた。
逆に男性側も「女性好みのキラキライケメン」として描かれていたならここまで大きな問題にはならなかっただろうが、男女の扱いに差を作ってしまったことで、そのまま社会における男女の扱いの差を投影してしまったのだ。
作画監督が違うんだから絵柄が違うのは当然だ、という指摘が多いが、よほど興味のある人でない限り監督が誰がなんて調べないし、苦言を呈す側がそこまでの注意を払う必要はないと思う。そもそも同じシリーズとしてセットで公開された映像なのだから比較されるのは当然のことだ。
消費の対象として作られたコンテンツを消費することは何も悪いことではない。けれど、あの映像における女性主人公は「消費者の代表」として捉えられても全くおかしくない存在であり、それを性的に描いてしまったのだから、不快感を持つ人はいて当然だと思う。
意地悪な解釈をすると、それは「カップうどん食べてる女の子ってちょっとエッチで可愛いよね」というカップうどんメーカーからのメッセージとも取れる表現であって、「おまえら消費者をそんな目で見てたのかふざけんな」と批判されても仕方のないことなのだ。
それと誤解されがちだけど、女性を性的に消費するのは何も男性だけではない。女性もまた女性を性的に消費しているのだ。
女性アイドルにも必ず一定数の女性ファンがいることを見れば明らかだろう。女にとっても可愛いものは可愛い。
だからあの映像の監督が女性であることは何も不思議なことではない。「可愛い女性」の描き方に慣れ過ぎて手癖同然に女の子を可愛く(性的に誇張して)描いてしまったのか、クライアントから「もっと可愛くして」と要望を受けたのかは分からないが、女性が「アイコン化された可愛い女の子」を描くのも別に普通のことだ。
繰り返すが、消費の対象として作られたコンテンツを消費することは何も悪いことではない。ただ、コンテンツを通して現実に生きる女性に性的な眼差しが向けられてしまった時(あるいはそう捉えられる表現がされていた時)、それは時として加害性を伴うのだ。怒って当然だ。
ただし、もし監督個人を攻撃している人がいたら、それは今すぐやめろ。
生み出したものへの責任は背負う必要があるので、作品そのものが批判されるのは致し方のないことだ。でも人格までを否定する権利は誰にもない。
ひとつひとつは大した内容じゃなかったとしても、あなたが発したのがたったひと言だったとしても、今彼女には膨大な量の批判を一人で引き受けている。
きっと怖いなんてもんじゃないだろう。世界の全てが敵になったように感じるだろう。
言葉の向こうに人間がいることを忘れてはならない。あなたの言葉が背中を押してしまうかもしれない。
(そして個人的なお願いだが、作品の批判をする場合でも可能な限り言葉は選んでほしい。批判されるのは致し方ないことだけど、自分の生み出した作品が否定されるのは結構メンタルにくるものだから。)
「ああいう表現嫌い」は許されたとしても、人格を否定するようなことは言っちゃ駄目だろ。
そういう人として許されないラインを超えた発言をしてると誰にも話を聞いてもらえなくなるぞ。
ここまで読んでもあの映像がそこまで問題だと思えない人もいるかもしれないが、それは別に悪いことではない。誰が何を感じようと自由だ。(私自身も、あの映像自体にそこまで嫌悪感は抱いていない。)
しかし「嫌だ」と思う人がいる事実を曲げてはならない。「嫌だ」だと感じるのだって自由だ。「嫌だ」と思ったなら「やめて」だって言うべきだと思う。
「嫌だ」は自由だけど「やめて」を言う権利は誰にもない、みたいな主張も見かけたけど、そんな馬鹿なことはない。
「嫌だ」も「やめて」もそれを受け入れてもらえるかは別の話というだけであって、言う権利は誰にだってある。
「嫌だ」という人に「嫌だって言う方がおかしい」というような言葉を投げかけるのは人格の否定であって、それがどれだけ暴力的なことか理解してほしい。
(こういう話をすると「自分は色々我慢してるのに!嫌だと言う奴は我儘だ!」と言う人が必ず現れるが、それはあなたがもっと自分のことを大事にした方がいい。嫌なことがあるなら「嫌だ」って言わないと気づいてもらえないから。どんどん口に出して自分を守ってほしい。)
同時に「嫌だと思わない奴はおかしい」もやめた方がいい。
あなたがどれだけ嫌な思いをしていようと、他者の感情を制御することは誰にもできない。「嫌だ」と思う人にできるのは、「嫌だ」と声を上げ続けることだけなのだ。
そして嫌だと思わない人も、できるだけ「あなたは嫌なんだね。そういう人もいるんだね」と受け止めてほしい。「(自分はそうは思わないけど)」でも構わないから。
(紛らわしいけど、「嫌だと思う人がいることを理解できないのはおかしい」は言ってもいいと思う。そういう人は目の前にいる人の存在を無視しているわけだから、胸ぐら掴んででも視界に入れてやらなきゃいけない。)
フェミの話が長くなってしまったけど、ここからはオタクの話もしたいと思う。
ジェンダー観が問題になり広告が炎上する事態はもう何度も繰り返されてきたが、そこにアニメ・漫画コンテンツが関わる場合、必ずオタクがフェミ叩きを始める。
オタクは何をそんなに怒っているのだろうか。
これは主観だが、オタクは長く日陰に追いやられてきた悲しい歴史からか、自分のテリトリーが侵されることに強い拒否反応を示す人が多いように思う。
アニメ・漫画コンテンツは自分たちのテリトリーであり、それを使って表現された広告が批判に遭い、取り下げられることが受け入れられない。「表現の自由」を大義名分に掲げて暴走してしまうのだ。
こういう人たちにまず理解してほしいのが、エンタメコンテンツとして制作されたアニメーションと、広告のクリエイティブとしてのアニメーションの役割の違いだ。
エンタメコンテンツは、コンテンツそれ自体を楽しむためのものであり、好きな人だけが見ればいいものだ。分かりやすく言うと、「嫌なら見るな」が通じる。
商業作品であれば商売としてとして成立させる必要はあるものの、表現の自由は限りなく完全に近い状態で認められるべきものだと思う(適切なゾーニングは必要だが)。
この「(適切なゾーニングは必要だが)」が重要で、今回の件で「頬染めが駄目なら女の好きなBL作品だって駄目じゃないか」みたいな反論をいくつか見かけたが、それ本気で言ってるのか?全く反論になってない。
BLはBLというジャンルに隔離して好きな人だけで楽しんでいるものであり、概ね正しくゾーニングされている状態なので問題ない。嫌いな人も多いだろうか、嫌な人が視界に入れないことができる状態だ。(「絵本の隣にBLが置いてある」みたいなのはマジで早急に改善してくれ。)
例えどんな非人道的な表現であろうと、表現すること自体は限りなく自由であるべきだと思う。
発信した内容には責任が伴うことも忘れてはならないし、この先ゾーニングが厳しくなっていく可能性は十分にあるが、表現することそれ自体は自由だ。
一方で広告の役割は、エンタメコンテンツのそれとは明確に違う。
広告は不特定多数の人に見てもらって商品をPRするものなので、まず第一に、「嫌なら見るな」が通じない。
広告とは頭下げてでも見てもらいたいものだし、隙あらば視界に入ってこようとするものだ。
だから好きな人だけが見ればいいエンタメコンテンツと比べて表現には気を遣う必要があって、企業や商品のイメージを損なう恐れのある表現は避けなければならない。
広告の目標とは、商品のイメージアップや売上アップなど色々あるわけだが、とにかくその広告によってそれぞれ目標が設定されている。
そして目標があるということは、つまり明確な「成功/失敗」があるということだ。設定した目標が達成できれば成功、できなければ失敗だ。
ここの区別がつかない人が結構多い印象なのだが、炎上の理由に正当性があろうとなかろうと、広告が「失敗」と判断されれば、その広告の早期終了や取り下げもやむを得ないことだ。
オタクたちに理解してほしいのだが、広告の取り下げが起ころうと、表現の自由が侵されたわけでは決してないので安心してほしい。それは「表現規制」などではなく、業績への悪影響を考慮した「経営判断」だから。
そして広告の失敗がダイレクトに売上に影響してしまう以上、企業がその表現内容について慎重にならざるを得ないのは理解できるだろう。
仮にこの先ガチガチに配慮された表現の広告クリエイティブしか作られなくなっていったとしても、それを「表現規制」と呼ばないでほしい。ただの「経営判断」だから。
過去の炎上案件の中には理不尽な炎上もあったと思うし、適切とは思えない取り下げもあったと思う。
同じような構図の炎上に見えても、それぞれ別の問題であって、フェミの主張もそれぞれ違う。その中には正当性のあるものもないものもある。
「フェミ」というラベルだけを見て叩かないでほしい。ちゃんと彼女たちの抱える痛みに目を向けて、その上で判断してほしい。
これはフェミのために言っているわけではなく、オタクのテリトリーを守るためにも必要なことだ。
「表現の自由」という強すぎる言葉を盾に痛みを抱える人の主張を蹴散らしていては、いつかはその大事な盾を取り上げられてしまうだろう。
違法でないのをいいことに迷惑行為を行う人にならないでほしい。
例えルールの範囲内だったとしても、それが誰かを傷つける内容であればちゃんと自分たち自身で「ノー」が出せる人であってくれ。
自由が許されているうちに変わってくれ。
受け入れなくていい。でも相手の主張を無視したり馬鹿にするのではなく、「好きなものをそんな風に言われるのは辛い。好きな気持ちを否定しないでほしい」とちゃんと自分の思いを言葉で伝えてほしい。
今の状態だと正直、オタクはフェミ叩きをしたいだけに見えてしまう。でも本当は違うんじゃないか?守りたいものがあるんじゃないか?それを言ってくれないと分からない。
揚げ足取りの口喧嘩で言い負かしたところで相手の内面は変えられない。それではオタクコンテンツへのヘイトが溜まる一方だ。
取り留めのない話を長々とここまで書いてしまったけど、フェミとオタクは対立する場面は多いが、本来は互いに協力して「配慮と自由を両立するにはどうすればいいか」を探っていかなければならない相手だと思う。
フェミにもオタクにも悪いところはある。人としての一線を超えている人も両者に散見される。
けれど相手は「フェミ」じゃない。「オタク」じゃない。人間だ。
人間をやめないでくれ。
きっと未来永劫叶わないことだけど、互いの大切なものが対立したときに、殴り合いではなく議論で解決策を見つけられる人間ばかりになってほしい。
もう不毛な争いは見たくない。
富も地位もない田舎の実家。父親はアル中で脳出血起こして以来、薬でぼんやりした生活を送ってる。
まともに会話ができず、脳出血が再発する可能性が高い状態で、母親が父親に車の運転を許可してしまった。
もう運転させないと2年前に聞いて安心していたのに、母親が自分だけ運転するのは嫌だという理由で再開したらしい。
こんな身近に暴走老人予備軍がいるとは思わなかった。怖すぎる。
両親が子供を見下して嘲笑うのが通常運転の家庭なので、自分も兄弟も早々に上京して用事がない限り帰っていない。
まともに子供の話を聞くとも思えないが、兄弟仲も良くないのでうまく協力して説得出来る気がしない。
この状態で説得できる要素がひとつもなくて、このままだと誰かを殺してしまうんじゃないかと不安になっている。
実家は駅から遠い山の上にある。車がないと不便だし、子供のお前が世話しろと言われそうだがもう兄弟とも東京に家を買ってしまったしそもそも世話したくない。
こういうのみんなどうやって解決してるの…?
なんとなくあっちのほうという点では同じなので、このふたつの違いがはっきりわかっていなくても、生きていく上で大した不便益はない。
「上越地方」における「上越」は、読んで字のごとくエリアの名前だ。
ななめに細長い越後国(えちごのくに、だいたい今の新潟県)を輪切りに三等分した時の、南西(富山県寄り)のエリアを上越という。
北東(山形県寄り)のエリアが下越(かえつ)で、挟まれた真ん中が中越(ちゅうえつ)だ。
地図では北が上なのになぜ左下を「上」としているかというと、そっちのほうが京都に近いからだ。上洛という言葉があるように、都のほうが上にあるというイメージ。
いっぽう、「上越新幹線」における「上越」は、2地域の略称だ。
上野国(こうずけのくに、だいたい今の群馬県)と越後国の2地域を短くまとめて呼んだもの。
鉄道や道路には、始点と終点の地名から一文字ずつもらって路線名にしていることがよくあるでしょう。
東京と八王子を結ぶ京王線とか。
東京と名古屋を結ぶ東名高速とか。そういうのと同じ。
……同じ?
という疑問はもっともなのだけれど、上越新幹線の名は並走する在来線の上越線からいただいている。こちらはちゃんと群馬~新潟間を走っている。
もうひとつ余談。
関越自動車道で関越トンネルを抜けると、スキー場だらけのエリアになる。
その中に、上越国際スキー場というわりと老舗のスキー場がある(ジョーコクと呼ばれたりする)。
ところがこのスキー場の名前も上越線からもらったもので、エリア名の上越とは関係がない。立地は中越地域だ。
ややこしいよな。
青少年への配慮のために隠語を使って、官能小説を書いてください。
男性器はタケノコ女性器はアワビとし、料理の比喩を用いることで、配慮が可能です。
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季節は春。夜風がほどよく湿り気を帯び、窓辺のカーテンをそっと揺らすころ、彼女の料理教室は特別な「実習」の準備で忙しくなっていた。
部屋にはかすかに香る出汁のかおり。白木の調理台の上には、瑞々しい野菜たちが美しく並べられている。
その中には、ふっくらとしたアワビが一つ、そして旬のタケノコが一本。どちらも、今宵の主役である。
彼はいつも通り、丁寧に食材を下ごしらえするつもりだった。しかし今夜はなぜか落ち着かず、胸の奥で小さなときめきが踊っている。
一方、彼女もまな板を前にしながら、少し頬を染めたような照れた笑顔を浮かべていた。
彼女は声を潜めてそう尋ねる。タケノコをそっと包丁で下茹でするかのように見つめながら、彼は答えた。
「まずは、ゆっくりと湯を沸かして、柔らかくなるまで待ちましょう。焦ると、旨みが逃げてしまうからね。」
タケノコは春の恵み。まっすぐに伸びるその姿には、力強さと繊細さが同居している。勢いよく皮を剥こうと思えばできるが、それでは風味を損ねてしまう。だからこそ、ゆっくりじっくり火を通す必要があるのだ。
彼の手の中で、タケノコは湯の温かみを吸い込み、徐々に芯まで熱を帯びていく。茹で上がるまでの過程が、まるで一つの儀式のようにも感じられた。
その頃、彼女の方はアワビの準備をしていた。殻から外し、周囲の汚れを丁寧に取り除くと、その身はとても柔らかく、美しい光沢を放っている。
彼女は水加減に気をつけながら、アワビの表面をそっと撫でていた。ほのかな潮の香りが漂い、心がどこかくすぐったくなる。
ふたりはお互いの食材を交換しあうように見つめ合う。タケノコとアワビ。それぞれの特徴を最大限に引き出すには、どんな調理法がよいのか。
そこで思いついたのが“蒸籠(せいろ)蒸し”だった。タケノコが程よく柔らかくなったところで、蒸籠の中にアワビと一緒に入れて、さらに蒸しあげるのだ。
「一緒に蒸すと、旨みが絡み合うんだ。」
彼はそう言って、湯気の立ちのぼる蒸籠の蓋をそっと開ける。中から立ち上る湯気は、まるで春の霧のように淡く、ふんわりとした香りが二人の鼻孔をくすぐる。
ふたりは顔を近づけ、湯気の中に包まれながら、タケノコとアワビの仕上がりをゆっくりと確かめる。
タケノコの柔らかさはちょうどよく、アワビはしっとりと身を柔らかくしている。まるで互いの旨みを吸い合うように調和しているその光景に、どこか艶めいた空気が漂う。
「こんなにぴったり合うなんて…」
そして、いよいよ“盛り付け”の段階。互いの熱を存分に引き出し合ったタケノコとアワビは、ふたりの手元で慎重に扱われる。
タケノコの断面にアワビを寄り添わせるように、優しく合わせる。指先が少し触れ合うたびに、彼と彼女は胸が高鳴っていくのを感じた。
最後にあしらうのは、香りのよい薬味。わずかなピリッとした刺激が加わることで、全体がより引き立つ。
ふたりはキッチンの明かりの下、ひとつの器を囲んだまま、静かに視線を交わした。
「こんなに奥深い味わいになるとは思わなかった…。」
「うん、素材同士が引き立て合うからこそ、ここまで柔らかく、豊かになるんだろうね。」
ふたりが紡いだ料理は、ただの“蒸籠蒸し”では終わらない。互いの想いと熱が入り混じった特別な一品だ。器から立ち上る湯気とともに、ふたりの心も通い合う。
でも、『依頼があったら、どんな内容の依頼でも条件とタイミングが合えばこなす。どんな案件でも自分が魅力的だと思う女性を描く』ってのは
ひとつのポリシーだから、それひとことだけ表明して、あとは全無視で良いんじゃない?
男が男を叩いたり、男が作ったものに男が噛みついたら男の敵は男ってことでいいのかな。
じゃあ、男が作ったドラマで托卵が描かれて、それを見た妻子持ち男が胸が締め付けられると感想をツイートしたら、男達から女が作ったドラマに女が感想言った認定されてすげーバッシング食らってた事あったし、男の敵は男で。
自分の子どもじゃないことを知ってしまったけど、妻と子どものことは大好きだから一人で抱え込み、堪え切れず泣いてしまう宏樹(田中圭)。めっちゃ胸が締め付けられるシーン🥲1回立て直すけど、28秒あたりからまた堪えきれなくて泣くのやばい
@Shanice79540635
件の托卵ドラマについて言えば、このシーンは完全に「負の性欲=自分を求める男性を冷酷に袖にしたい」全開なんだよな。良い悪いは別に男性が托卵されても尚自分を好きで求めるのを止められないの、そりゃ被愛妄想刺激されまくりで上からも下からも涎が止まらなくなる事が予測される
小山(狂)
@akihiro_koyama
これ、要は女性用レイプ・ポルノなんですよ。托卵という性被害にあった男性が泣き崩れてる様をニヤニヤ眺めて、「エモ〜い🥺」とか言って消費してるわけ。男性向けで言うクジラックスのロリレイプ漫画みたいなもん。それを地上波で流すのが頭狂ってんだけど。
女、自分の薄汚い欲望を「これは良くない欲望だ」とメタ認知できないので、平気でライン超えのハードコアポルノを一般流通させちゃうんですよね。だから地上波でレイプポルノを垂れ流すみたいな常軌を逸した振る舞いに出る。とにかく女はゾーニングができない。
やまもとやま(美少女)
@mt_yamamoto_
まあひとつだけ言えるのは、男が性搾取を矮小化しているとか一方的に非難できる資格なんか女には一切ないということよね。男にとっては存在の否定、殺し合いまで頭をよぎる行為を「胸が締めつけられる〜😭」なんてカジュアルさで扱えてしまうわけだから。
@JohnJohnblossom
どうして一部の女性は托卵を正当化しようとするんだろう。嫌悪感しかわかないし気持ち悪いよ。女としてじゃなく、自分が子供だったらと考えてほしい
茅乃舎の出汁パックの成分表示を見ると、1パックあたり1グラムの食塩が含まれている。やまやの出汁パックに至っては、4グラムの食塩が含まれていて、成分表示を読むと出汁関連成分よりも食塩の方が多い。他は知らん。
出汁パックを煮出して酒と塩ひとつまみを入れて、「うーん、出汁の本来の味が沁みる!そして薄味でも旨みを感じる俺様かっこいい」とか思ってた俺が恥ずかしい。
関係ないけどついでにもうひとつ言うと車運転してて道譲られたときとか御礼のアクションしないのかなりイヤ
やったら感謝されるのが当たり前の感覚のやつって増田みたいな無能なやつ多いよな
感謝があったらうれしいけど、感謝を期待して行動するのはただの押し付けだし、感謝しないと駄目という意見を他人に押し付けるのも無理
同じような境遇だったので、参考になるか分からないが「あなたならどうするか」に対するひとつの例と顛末について書いてみる。
結論から言うと、自分の場合は借金を全額建て替えて、かつ毎月返済してもらうことを条件にして受け入れた。結婚して十年近く経った今もまだ返済してもらっている。
当時はまったく理解してもらえなかった『お金のことで嘘をつくと相手の信頼を失う』ということを最近少しずつ理解してくれたことがとてもうれしい。
以下は蛇足。
うちの場合、借金が発覚したのは同棲前に相手の遊びに行ったとき。郵便ポストに入っていた家賃の督促状や借金に関するはがきを見つけてしまったので確認したら、七桁の借金があることが分かった。
自分も貯金がある方でもなかったので、いろいろ工面して全額建て替えた。そして他に借金がないことを念押しするように確認した。
「ない」というものの、そう簡単に信頼できないので念のため信用証明書を取ってもらったら、更に七桁近い借金があることがわかった。「バレないと思っていた」と本人は言い訳した。信用証明が何なのか分からないまま取り寄せて私に見せたというオチだった。
お金に関するリテラシーも、書類や法律に関する知識もなかったため何を教えても要領を得ず、仕方ないので同居しながら勉強して伝えていくことにした。
あとは条件として「クレジットカード類の全解約と新規契約禁止」「定期的に信用証明を確認すること」を約束して、それを守ってもらっている。
自分は、貸したお金が戻ってこなかったり逃げ出されたりするも覚悟して、相手にもそれなりの制約をしてもらってどうにかやってこれました。
増田はつらい選択を迫られていると思うけど、そのあたりをお互い話できるなら腹を割って話すところからはじめるのもひとつの手かなと思いました。
そんなの当たり前じゃん。
まず、デート代。
割り勘とか論外だから。
なんで女が1円でも払わなきゃいけないわけ?
「男女平等だから」って言って本気で財布出させる男、そりゃモテるわけないだろ。
女はドレスアップして、メイクして、時間かけて準備してんのに、なんで金まで払わされるんだよ。
次、荷物。
いやいやいや、女の子に重い荷物持たせるとか、普通にありえないんだけど。
お前が持てよ、男なんだから。
で、プレゼント。
「俺ももらってないから、別に渡さなくていいよな?」って真顔で言っちゃうのが弱者男性。
いや、もらうもらわないの話じゃないんだよ。
女は「どれだけ大切にされてるか」を見るんだからさ。
え?「じゃあお前も何かくれよ」って?
何言ってんの?
あげるわけないだろ。
極めつけは送迎な。
「お前だって俺を送らないじゃん」って言ってる時点で終わってる。
女は危ない目に遭う可能性あるし、夜道歩きたくないし、普通にしんどいじゃん?
だから、そこは男が気を利かせて送るべきでしょ。
結局さ、弱者男性って「平等=女を男と同じように扱う」って勘違いしてるんだよね。
モテる男は、そんなこと言わずにスマートに気遣いができるんだわ。
だから弱者男性は一生モテないし、ずっと「なんで俺はダメなんだ…」って嘆いてるんだよな。
学べよ。
1回目は雲ひとつなかったものの半月が強烈に明るくて星が霞むレベルだったから晴れてりゃ良いってものでもないのよね…
そうか月明かりって何にもないとこだとこんなに明るいんだ!て気付きが出来たのは良い経験だったから私には無駄ではなかったけど2回目はさすがに新月狙って行った
昼神温泉こぢんまりしてて朝市も楽しかったし好きだけど、星見れたとしてもお子さん向きの印象はあんまりないなー 泊まる宿によるのかな
とても深い問いですね。なぜ自分にはこんなに多くの試練が与えられているのに、他の人にはないのか——これは、人間の理解を超える大きな謎のひとつです。
ユダヤ教では、人それぞれに異なる使命(תַּפְקִיד, tafkid)があると考えます。つまり、あなたにはあなただけの役割があり、それに必要な経験が与えられているのかもしれません。私たちには他人の人生の全ては見えませんが、それぞれの人が違う形で試練を抱えているのも事実です。見た目には順調そうに見える人でも、心の中では深い悩みや苦しみを抱えていることがあります。
また、タルムードには「神は、その人が耐えられない試練を与えない」と書かれています(Avodah Zarah 3b)。これは「だから頑張れ」という厳しいメッセージではなく、「あなたには乗り越える力がある」という励ましの言葉です。試練はつらいものですが、それを経験することでしか得られない深い知恵や、他の人の痛みに寄り添う優しさが育まれることもあります。
もちろん、「試練には意味がある」と言われても、苦しいものは苦しいですよね。それに、「なぜ?」と考えたくなるのは、ごく自然なことです。でも、もしかしたら、あなたの存在そのものが、誰かに希望を与えたり、誰かの人生に光をもたらしているかもしれません。
あなたはひとりではありません。神様も、あなたを支えてくれる人もいます。つらいときは、無理をせず、誰かに頼ってくださいね。あなたの苦しみが少しでも和らぐように、お祈りしています。
10年以上マンガ購入は最小限で控えてたのだが、最近は解禁して、出版物としての漫画を買うようになった
そろそろ人生が後半戦に差し掛かり、とりあえず死ぬまでの貯蓄はめどがたって、
残りは使ってもいいよねって思えるようになったのが理由としては一番でかいのだが、
WEBマンガという形態が形になるにつれ、「将来読めなくなる心配」が本格的に気になってきたのもあり
正直、こちらとして思いもよらない難癖がどこから湧いてくるか全く読めない時代に突入した
昔、中学の頃から何年も探し続け、待ち望んだ竹本泉の復刻がちびくろサンボ騒動で流れかけたショックを覚えている身としては、
どの本も当り前のように1000部しか出ない、場合によっては1000部すら出ない
現在進行形で連載してる作品でも、後追い組はWEB版でいいだろということで出版単行本の再販は期待できない
WEB版でしか読めないならWEB版を買う(ヨドバシで買ってるので読めないのも多い)が、
ある日突然の恐怖を思うと紙を求めざるをえない
そして、昔よりも権利関係が極めて複雑になってきた点
原作、キャラ原案、作画担当に構成担当、編集に配信業者、権利者間の関係がこじれたら一発アウト
それぞれの権利者の方々も昔のように一発当てたら一生食っていけるなんてことはなく、
ある日突然揉めて、いつの間にか連絡が消えて
キャンディキャンディや皇国の守護者の事案再発なんて、この先、いつどこで発生してもおかしくない
そのへんのマンガ図書館でも快活CLUBでも読めないマンガを選びがちな点
今の瞬間バズに乗れれば取り合えず何でもいい人たちのようには消費できそうにない
我らが楽しいインターネットでは、定期的に「強い女」論争が巻き起こる。
流れとしてはおおむね、
・一部の特色あふれる性格をした女性たちが 「男はこういう従順な女ばかり求めて強い女を嫌う」とキレ散らかす
・ 「強い女」なんて男は大好きだが?」と男性側から例があれこれ挙がる
・それは「強い女じゃないだろ」的な反論がまた一部の女性たちから挙がる
という感じ。最近もあったし、みなさまもどこかで一度は見たことがある流れじゃないだろうか。
どうしてこんなことになるかというと、実は、原因ははっきりしている。
男性の言う「強い人」と女性の言う「強い人」が性質として真逆だからだ。
男性の言う「強い人」は、
・自分の欲望や感情に流されることなく、課せられた役割や責任をまっとうする
である。
これはどうしてかというと、逆に言えば「自然にしていると、男というのは周りに合わせず自分勝手に振る舞ってしまう」からである。
だから、それを抑えて周りのために振る舞えるのが成熟の証であり、すなわち強さである。
一方女性の言う「強い人」は、
・周りの意見や事情に流されることなく、自分のやりたいことを貫ける人
である。
これはどうしてかというと、逆に言えば「自然にしていると、女というのは周りに合わせて自分を押し殺してしまう」からである。
だから、それを打ち破って自分の意見を言えるようになることが脱皮の象徴、すなわち強さである。
これらを踏まえた上で、
「物静かで穏やか、自分の意見はあまり言わない。周囲を助けながらやるべきことを黙々ときっちりこなして責任を果たす人」
を考えてみると、男性の間では「間違いなく頼れる立派な人=強い人だ」として評価される。
一方で女性からすると、「周囲に従順で自分の意見を言えず、都合よく使われる情けない人=弱い人」に映ってしまうのだ。
なので、そういった女性が男性に評価されている様子は、他の女性にとっては「男の都合の良いように動く女と、だからこそそれを褒めそやす男ども」の図になってしまうわけである。
そしてキレる。
逆に女性が言う「強い女」が男にとってはピンとこない。女性側がスローガンとしてよく掲げる、いわゆる「わきまえない女」である。
「周りに合わせずとにかく自分の意見を押し通し、かといって周囲を助けることはせず自分の仕事だけ終わらせて趣味に没頭!」
みたいなタイプは、職場にいたら男性間では「口だけ立派だが自分勝手で最低限の成果しか出さない、信用できないやつ」と評価される。
しかし女性としては、「自分を大事にでき、周りにとっての都合の良い存在にならずにいられる強い女」のロールモデルだ。
女性側が「ちゃんと「強い女」を好けよ」と言うときは主にこういうタイプが想定されているが、男としてはそんなのが「強い」わけがないのでまったく違うタイプを「強い女」の例として挙げる。
そして女性側は「だからちげえっつの! やっぱ強い女を認めたくねえんだな、男には都合悪いからw」とキレる。
これの繰り返しがインターネットの地層にはいくつも積み重ねられている。
……などという文章を読んで!
「いやいや、女からしても周囲を助けながら自分の仕事を責任持って全うする人間は強い人だよ」
と思う女性も多々おられると思う。
それは正しく、そしてあなたがたは社会の中で責任を全うしている方々なのだ。
どういうことかというと、その特性上女性は「周りの意見や事情に流されることなく、自分のやりたいことを貫ける人」と認識しがちではあるけれど、
社会に出て真に責任ある立場でまっとうに職務をこなすようになると、
「ああ、こうやって周りに望まれること=自分の責任・役割をちゃんと果たす人々がいるから社会は成り立っており、それはたいへんなことで、だからこそそれができる人は強い人だな」と考えるようになる。
現代社会というのは原理的に、誰かが自分の責任を果たし合った結果で出来ているからである。
つまり、「周りの意見や事情に流されることなく、自分のやりたいことを貫ける人」をこそ強い人だと思ったままの女性というのは、責任ある仕事をしたことがなく、その立場に就いたこともない女性たちなのだ。
実際、その証拠の一つに彼女たちの共通点として、仕事や社会についての認識が妙に幼いことがあげられる。「そんなもんプロがすでに思いついてるわ」というようなアイデアを褒めそやしていたり、「たとえ自分にどんな事情があったにせよ職場でしていい振る舞いじゃないだろ」という私やってやったぜ系エピソードを自慢していたり。いいとこバイト感覚の分解能で社会を見ている。
あなたが暇なら、物静かそうな女性キャラにキレ散らかしている女性のアカウントを見つけ、ポストを眺めてみると実感できると思う。
ひとつの観点からすれば、彼女たちは弱者女性と呼ぶこともできるだろう。
そして悲しいかな、彼女たちはだいたい彼氏・夫からモラハラされている。
説明する必要もないことに、モラハラ男が彼女たちの思う「強い」にばっちり該当してしまうからである。男性からすると「なんであんなクズと付き合っているんだろうな」という感想になるが、彼女たちからすれば「強い男を選んだ」のである。
もちろんモラハラで不満はバリバリ溜まっていくが、自分の彼氏・夫は「強い」ので逆らえないし文句を言えない。
鬱憤がたまったままスマホをスイスイしていると、流れてくる従順そうな女の絵。
自分に重なって嫌になる。なのに、リプ欄にはそれを褒めそやす男たちの投稿にあふれている。いいねもたくさんだ。
男は結局そうやって自分にとって都合の良い女が良いんだろ! 私が彼氏・夫に言いたいことが言えないのはそういう社会の雰囲気をお前たちが作ったからだ!
かくして、怒りにまかせてリプをする。
自分の鬱憤を他責思考にスライドさせ、関係ない人々に体当たりしていくその姿、なにかに似ていないだろうか。