はてなキーワード: 一定とは
時間は、正確に測定したわけではありませんが、本格的に行ったのはおよそ20分ほどでしょうか。
詳しい事情を記述は避けますが、そこでタイムアップと相成りました。
何がよかったか。第一に相手の女性が気持ち良さそうにしていたことであります。
序盤こそ、ぼくも指を挿れることに躊躇いを覚え、手がマンの近所をうろうろと徘徊するばかりで、ナンパ慣れしてない童貞が繁華街を何往復もするような様相を呈しておりました。
それはまさに僥倖としか言い様がなく、そう報告を受けては、ぼくも一隊員として確認を怠るわけにはゆきません。
パンツの中に手を伸ばし現場へ急行しますと、なるほど確かに、微かではありますが、湿り気が認められたのです。
「濡れちゃった」。つまり感じている。
これを事実上のOKサインと受け取ったぼくは、youtubeで仕入れた知識を思い起こしながら彼女の内陣へ攻め入りました。
するとどうでしょう!濡れ濡れです。
思った以上に濡れ濡れだったのです。
指を奥まで挿れて内部の様子を探りました。
ぼくは正直に申し上げて感動しました。
加えて、その内部のやわらかなこと!
おっぱいやお尻とは全くの別物なのです。
そして、ぐちょぐちょなのです。
ぼくは指を2本挿れました。Gスポットらしき場所に一定のリズムで刺激を与えたり、出し入れしたりしました。
彼女は、時折自分の手でぼくの手を制するような仕草を見せましたが、それがポーズであることはあまりに明白でした。
明白でしたが、ぼくは紳士の端くれですので「でも嫌じゃないんでしょ?」と確認を致しますと、「んん…気持ちいいけどぉ…」などと可愛らしく応答するのです。
ぼくは今日この記憶を忘れることなく、さらなる手マンに向けて邁進する所存です。
少しだけ、自信を得られました。
母上もどうかお元気で。
立憲民主党、共産党や社民党所属の議員は「とにかく自民党のやることに反対」という考えが強い。特に共産党と社民党は一見具体的な政策や思想を持っているかのように見えて、国会答弁やSNSなどを見ても実際は「与党の反対が正解」という単純な思考で反対しているだけってことが目立つ。これは政権与党のやっていることにおかしいことが多かった安倍政権そして菅政権のときは実に効果的であり、社会に必要な存在であった。特にモリカケ問題の時は、小池晃、福島瑞穂はエースであった。
しかし、岸田・石破と2人続けてリベラル寄りの首相が誕生してしまったことで、「与党の反対が正解」でもなくなってしまった。むしろ共産党や社民党の言ってることがおかしいってケースが非常に目立つ。社民党はもうすぐ消滅するらしいが、共産党も議席を減らしつつあり、れいわ新選組より弱小勢力になった。高齢化の影響か知らんが、言動にも基本的な事実誤認が多く、もはや陰謀論のカルト集団にも近しい。空中分解しなければ日本保守党すら下回る可能性もでてきている。
モリカケ問題のときネトウヨは「野党は反対ばかりでなく対案を出せ」とよく言っていたが、今から見ると彼らは正しかったかもしれない。当時の野党は、日本を良くしたいというビジョンなど皆無だったが、単に安倍晋三という戦後最悪の売国奴がそれを下回る存在だったので、一定の支持を受けていただけだったのだ。なぜ国民民主党が野党と組んで自民党政権を転覆させなかったのか。今から思うと当たり前である。共産党なんかに政権運営させてはいけない。
それを考えると、立憲民主党はうまく方向転換できてるかもしれない。
結婚に必要なのは、同年代の男女が一定のペースで集まって、同じ話題や体験を共有して打ち解け合う場があること…
ってそれ学校じゃねーの
学校という同世代男女閉じ込め型デスゲームで一度も恋愛成立しなかったら、同じ型の場があっても厳しいのでは
ケース2:行けるかいけないかのギリギリを楽しむ層が一定数いる
他のやつにはまた開いてないけど俺だけにはとかいうしょうもない幻想を見て優越感を得たやつ
ケース3:性欲皆無
・昨日何食べた?(モーニング)
・WORKING(ヤングガンガン)
自分では思わなかったけどネット上だと少女漫画(女の子が主演で頑張る系だから?)だと言われてるもの。
男向けのエロ描写はかなりあるので除外。でもコスプレやかわいいに憧れる女の子はままいるので人気らしい。ToLOVEるみたいなのを好きな女の子層って一定数いるし(自分)、わかるっちゃわかる。
作画がえろ可愛い絵で有名な横槍メンゴ先生。クズの本懐や君は淫らな僕の女王(作画)、レトルトパウチなど、身も心もぐちゃぐちゃな女の子を描いてるイメージだったので除外したが、推しの子ではポップな絵柄に少し変えてるし、青年向けを知らない層からすれば、推しの子は普通に可愛いアイドル漫画にしか見えないのでそれはそう。
少女漫画ってより、サンデーにありそうな、からかい上手の高木さん系、となりの関くん系かと思ったけど、そもそもその2つもThe少年漫画かと言われると微妙。
・ぼっち・ざ・ろっく!(まんがタイムきららMAX)
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アフタヌーン、ガンガンなどの面白ければOKの雑誌達に見事取られてるね。あとは、ネット系だと読者はほぼ半々だから“少女漫画”って銘打つと先入観のある男性読者に避けられるのを阻止するための作戦かな?(ジャンプラは男女が比6:4)
でも今更、少女漫画雑誌で女主人公のバトル漫画をやっても、今の購読者は、これは少女漫画じゃない!ってなるから伸びないだろし、それで作者を跳ね除けたら別雑誌へ行って成功してしまって、新しい作家が生まれない…。の悪循環だろうな。おいたわしや。
だからか、アニメに関しては、プリキュアの次はきらら系か悪役令嬢になるらしいね。知らんけど。(シスターフット、女同士の湿度の高い友情のことらしい。最近知った。)(世界線が違えば少女漫画のガチスポコン漫画を別の意味で楽しむ百合好き男達が居たかもしれない)
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関係あるか微妙だけど、女主人公やダブル主人公(ドラえもんに感情移入できないからのび太を主人公に置くみたいな)の少年漫画増えたよね。
脳噛ネウロ、めだかボックス、約束のネバーランド、あかね噺、アクタージュ、ルリドラゴン。
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ちな、数々の少女漫画雑誌が恋愛しかやってない中で、唯一、花とゆめ(動物のお医者さんなど)がファンタジーを絡ませて(暁のヨナなど)上手いことやっていたんだけど、編集長が変わったかなんかで別冊マーガレット風になってしまったらしい(多聞くんいまどっち!?)。知らんけど。
と思いつつも、薬屋のひとりごとの作者さんを捕まえたらしく、花とゆめで連載中らしいので、悪役令嬢系が流行ってさらに売上が落ち込んでそうだが、長い目で見れば起死回生するのかも。
まあまあ、そもそも、少女漫画は実写化映画化はめちゃくちゃしているので、マクロ的に見れば男に比べて女性は2次元に興味を持つのに見えない壁があるのかもしれない。お金はかなり落とすけどね。
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蛇足。
バクマンの3話で、中学生の主人公達が「セックス、レイプ、妊娠、中絶。ああ言うのは嫌だよな」「それは少女漫画とかくだらない恋愛小説だろ」って言ってた謎が解けた。
組織規模の通り魔というのが結成されても数百人程度の人数でも警察だけで対処するような気がする。
殺人集団が数万人レベルの規模になっていて武装も軍から奪った戦車とか戦闘機とか持っている場合なら自衛隊も動くのかな???
国内の事件も一定の要件を満たせば国連から戦争の一種としての内戦認定をもらえて、そうすれば当然のように自衛隊も出動させられるとは思うんだけど。
(国際人道法に基づかなければならなくなるという代償が伴うが)
提示された文章は、日本の挨拶文化についての批評的な視点を示していますが、その主張にはいくつかの誤解や偏りが見られます。以下にその点を指摘しつつ、歴史的背景や文化的文脈を踏まえた批評を行います。 1. 「挨拶が礼儀化したのは明治以降」という主張について 文章では、日本人が挨拶を礼儀として重視するようになったのは明治以降であり、それ以前は挨拶が一般的ではなかったと述べています。しかし、これは一面的な見方です。 歴史的背景 日本における挨拶の基本形である「お辞儀」は、飛鳥時代から奈良時代にかけて中国から伝わった礼法に由来します15。また、江戸時代には身分制度に基づいた挨拶の形式が存在し、特に武士社会では複雑な礼法が発展していました4。庶民の間でも、目礼や簡単な言葉による挨拶が行われていたことが記録されています7。 明治以降の変化 明治維新後、西洋文化の影響を受けた近代化政策の一環として、学校教育で画一的な礼儀作法が導入されました3。これにより、現在のような「挨拶=礼儀」という意識が広く普及したことは確かです。しかし、これをもって「挨拶文化そのものが浅い歴史しかない」と断定するのは不正確です。 2. 江戸時代の挨拶観について 文章では、「江戸時代の庶民は『おう』や『へい』といった簡単な呼びかけしかしなかった」と述べていますが、これも一面的です。 庶民の挨拶 江戸時代には、出会い頭に目礼や会釈を交わすことが一般的でした。また、「お早う」や「今日は」といった言葉も使われており、これらは現代にも受け継がれています67。ただし、身分制度が厳格だったため、相手によって挨拶の仕方を変える必要がありました4。 武士社会での挨拶 武士階級では、刀を置く位置や姿勢などを通じて敵意がないことを示す行為も含めた複雑な礼法が存在しました2。したがって、「時代劇で武士全員が『おはよう』などと合唱するシーンは不自然」という指摘は正しいものの、それだけで当時の挨拶文化全体を否定することはできません。 3. 挨拶と学校教育 文章では、「学校教育による影響で挨拶文化が広まった」としています。この点については一定の妥当性があります。 学校教育と画一化 明治時代以降、学校教育で「おはようございます」「さようなら」といった挨拶を集団で行う習慣が定着しました3。これは近代国家として国民統合を図るための手段でもありました。しかし、この影響だけで現代日本人の挨拶観すべてを説明することはできません。 4. 現代社会への批判について 文章後半では、「会社で大声で挨拶する人々」を批判しています。この指摘には現代社会特有の問題意識も含まれています。 過剰な礼儀意識 現代日本では、「挨拶しないと失礼」と考える風潮があります。これは職場や学校など集団生活において円滑なコミュニケーションを図るために重視されている側面もあります。しかし、一部では形式化しすぎて本来の意味を失っているとの批判もあります。 結論 この文章は、日本人の挨拶文化に対する批評として興味深い視点を提供しています。しかし、その主張には歴史的・文化的背景を十分に考慮していない部分があります。日本人の挨拶文化は古くから存在し、時代ごとに変化しながら現在に至っています。「明治以降に作られた浅い歴史」と断定することは不適切です。一方で、現代社会における形式化された挨拶への批判には一定の共感も得られるでしょう。
でも偽乳といえどめちゃくちゃ乳の主張強いコスプレで普通のカフェでご飯食べてる人いたら「えぇ…」って、ならないもんかな?
X見てるとコスプレイヤーに親でも殺されたんかなって思うくらいコスプレイヤーを憎んでる人叩いてる人が一定数いて、何もそこまで悪口言わんでも、と思ってたんだけど、最近はちょっと意見が変わってやっぱりコスプレを趣味にしてる人ってちょっと感覚ズレてる人が多いな〜と思うようになった。
池袋ではしょっちゅうコスプレイベントが行われていることは知っていて、そういう日はコスプレのまま堂々と街を歩くのが認められているみたいだけど、何も知らずにサンシャインシティに遊びに来た人はコスプレを許容することを強制されるの、さすが池袋だなと思ってしまった。
施設側が許容していることなのでそこにとやかく言うつもりはないものの、サンシャインシティ内のカフェでめちゃくちゃ偽乳見せてご飯食べてる人いてぎょっとしたわ。細かいルールとかは知らないけど、偽乳は露出じゃないよな…たぶん。レイヤーさんたちが露出対策のルールに色々配慮してることも知ってはいるんだけど、なんか、どう見えるかとかは気にしないもんなのかな〜と思ってしまいました。
よく言われてるけどレイヤーってタレント気取りアイドル気取りの人が本当に多いなと思う。言い方悪いけど大してフォロワー数いない人もすぐほしいものリスト置くの何なんだろう。もちろんいないわけではないと思うけど絵師さんとかだとあんま見ないのにね。タレント気取りなので、一般フォロワーをファンのように扱いがちで。そういうの、なんかちょっと気持ち悪いなって思うんだよね。
あとすごく嫌だな〜って思うのは、レイヤーってコスプレ地雷じゃない=コスプレを見てよろこぶ、と思ってる人多くない?
私はコスプレ地雷ではないけど、正直コスプレ見て良いなと思ったことなんてほぼ無いし、全然自分から見たこととか無いんだけど、「誕生日に好きなキャラのコスプレしようか?」とか「コスプレして売り子しようか?」とか「コスプレイベント一緒に見に行かない?」とか言われて普通にやめてくれと思ってる。
人の趣味を否定する気は無いし、正直自分の興味無いキャラを誰がどうコスしてようがどうでもいいんだけど、私の好きなキャラのコスプレするっていうならまじでほんとに誰が見ても本物じゃんって言うくらいのクオリティにしてくれないと許せないけど?2.5次元舞台見れる人はセーフだと思われがちなんだけど、あれって顔のいい役者とプロの作りあげたメイクと衣装と脚本と演出と芝居があって成り立ってるから見れるんであって、素人のコスプレとは何もかもが違うから一緒だと思わないでくれ。マジで。
レイヤーの人って知り合い同士でメロつけるのすごいよね。絶対メロつけない。レイヤー同士ってなんかお互いに写真上げたらコメントしなきゃいけないルールでもあんのかなってくらい毎回反応しててすごい窮屈そう〜って思うわ。成り行きで相互になっちゃったけどあんまりクオリティ高くなくて好きじゃないフォロワーとかいないのかな。
写真への反応気にするわりにはメイクがいつも同じで全然キャラクターの特徴捉えられてなかったり、不自然すぎる重加工だったり、自分のこと客観視できてないよな〜って思うし。別にいいねの数とか気にしないんなら好きにやればいいけどさ。気にするわりにクオリティ微妙じゃない?みたいな人もまあまあいるし。
とかまあ、いろいろ思うところがあって、最近はちょっとコスプレイヤーへの嫌悪感が強まっている。
特定の誰かの話してるとかじゃないんだよ。思い当たるだけで結構いるの。やっぱりコスプレをやる人って何か人とずれてんのかなって思わざるを得ない。
でも偽乳といえどめちゃくちゃ乳の主張強いコスプレで普通のカフェでご飯食べてる人いたら「えぇ…」って、ならないもんかな?
X見てるとコスプレイヤーに親でも殺されたんかなって思うくらいコスプレイヤーを憎んでる人叩いてる人が一定数いて、何もそこまで悪口言わんでも、と思ってたんだけど、最近はちょっと意見が変わってやっぱりコスプレを趣味にしてる人ってちょっと感覚ズレてる人が多いな〜と思うようになった。
池袋ではしょっちゅうコスプレイベントが行われていることは知っていて、そういう日はコスプレのまま堂々と街を歩くのが認められているみたいだけど、何も知らずにサンシャインシティに遊びに来た人はコスプレを許容することを強制されるの、さすが池袋だなと思ってしまった。
施設側が許容していることなのでそこにとやかく言うつもりはないものの、サンシャインシティ内のカフェでめちゃくちゃ偽乳見せてご飯食べてる人いてぎょっとしたわ。細かいルールとかは知らないけど、偽乳は露出じゃないよな…たぶん。レイヤーさんたちが露出対策のルールに色々配慮してることも知ってはいるんだけど、なんか、どう見えるかとかは気にしないもんなのかな〜と思ってしまいました。
よく言われてるけどレイヤーってタレント気取りアイドル気取りの人が本当に多いなと思う。言い方悪いけど大してフォロワー数いない人もすぐほしいものリスト置くの何なんだろう。もちろんいないわけではないと思うけど絵師さんとかだとあんま見ないのにね。タレント気取りなので、一般フォロワーをファンのように扱いがちで。そういうの、なんかちょっと気持ち悪いなって思うんだよね。
あとすごく嫌だな〜って思うのは、レイヤーってコスプレ地雷じゃない=コスプレを見てよろこぶ、と思ってる人多くない?
私はコスプレ地雷ではないけど、正直コスプレ見て良いなと思ったことなんてほぼ無いし、全然自分から見たこととか無いんだけど、「誕生日に好きなキャラのコスプレしようか?」とか「コスプレして売り子しようか?」とか「コスプレイベント一緒に見に行かない?」とか言われて普通にやめてくれと思ってる。
人の趣味を否定する気は無いし、正直自分の興味無いキャラを誰がどうコスしてようがどうでもいいんだけど、私の好きなキャラのコスプレするっていうならまじでほんとに誰が見ても本物じゃんって言うくらいのクオリティにしてくれないと許せないけど?2.5次元舞台見れる人はセーフだと思われがちなんだけど、あれって顔のいい役者とプロの作りあげたメイクと衣装と脚本と演出と芝居があって成り立ってるから見れるんであって、素人のコスプレとは何もかもが違うから一緒だと思わないでくれ。マジで。
レイヤーの人って知り合い同士でメロつけるのすごいよね。絶対メロつけない。レイヤー同士ってなんかお互いに写真上げたらコメントしなきゃいけないルールでもあんのかなってくらい毎回反応しててすごい窮屈そう〜って思うわ。成り行きで相互になっちゃったけどあんまりクオリティ高くなくて好きじゃないフォロワーとかいないのかな。
写真への反応気にするわりにはメイクがいつも同じで全然キャラクターの特徴捉えられてなかったり、不自然すぎる重加工だったり、自分のこと客観視できてないよな〜って思うし。別にいいねの数とか気にしないんなら好きにやればいいけどさ。気にするわりにクオリティ微妙じゃない?みたいな人もまあまあいるし。
とかまあ、いろいろ思うところがあって、最近はちょっとコスプレイヤーへの嫌悪感が強まっている。
特定の誰かの話してるとかじゃないんだよ。思い当たるだけで結構いるの。やっぱりコスプレをやる人って何か人とずれてんのかなって思わざるを得ない。
お前は知らないかもしれないけど
服を着たときに「女らしい」と刷り込まれたシルエットにしやすい
お前は知らないかもしれないけど
男だって一定以上上の年齢の男はそれなりtnkにパール入れてたりしたんだぞ
かつては「ひょうきん族」や「トレンディドラマ」など、数々の人気番組を生み出し、一時代を築いたフジテレビ。テレビ局の“王者”と称されていた時代もありました。視聴者にとって、フジテレビの番組は新鮮でエッジが効いていて、週末の楽しみだったという人も少なくないでしょう。しかし近年、視聴率低迷や番組内容への批判などが重なり、その栄光は徐々に陰りを見せ始めています。さらに、昨今は「中居くん問題」や「アナウンサー接待問題」といった、かつての“王者”としては信じがたい出来事が相次ぎ、多くのファンや視聴者から失望の声が上がっています。ここでは、フジテレビの近年の動向や問題点を振り返りながら、なぜこれほどまでに失望感が広がっているのかを考えてみたいと思います。
まず注目したいのが、「中居くん問題」と呼ばれる一連のゴタゴタです。中居正広さんはSMAP解散後もバラエティ番組のMCとして活躍し、テレビ界でも抜群の知名度と実力を誇るタレントです。長らくフジテレビの看板バラエティ番組に出演し続け、同局としては視聴率の要ともいえる存在でした。
しかし、SMAP解散後の扱いをめぐっては、フジテレビの姿勢に疑問を呈する声が上がりました。たとえば、解散騒動の真っ只中における本人へのインタビューが十分に用意されなかったり、マネジメント事務所との関係性ばかりを気にするあまり、番組の編成上で中居さんのポジションが曖昧になるなど、視聴者から見ても「どうしてこんな不自然な流れになっているのか」という印象が残る場面があったのです。
さらに、一部メディアでは、フジテレビ内での“中居くん離れ”が進んでいるのではないかと報じられることもありました。過去に長く続いていたレギュラー番組が突如終了したり、番組の予算が大幅に削減されたりといった噂も飛び交い、「結局は数字(視聴率)を持っているタレントを大事にしないで、裏事情を優先しているのではないか」との憶測が広まったのです。
もちろん、テレビ局側にも事情はあるでしょう。タレントのスケジュールや事務所との契約条件、時代の流れに合わせた新陳代謝の必要性。しかし、長年フジテレビの番組を支えてきた中居さんのような人気者を、あたかも“使い捨て”のように扱うかのように見えてしまうのは、視聴者にとって大きなショックです。特にSMAP解散という大きな出来事の後だけに、ファンの感情はより敏感になっており、些細な番組編成上の変化も「冷遇」「軽視」と捉えられやすい側面があります。
こうした状況が生まれた背景には、フジテレビ自体が視聴率獲得のために右往左往し、これまで築いてきたタレントとの信頼関係やブランド力を損なってしまっているという構造的な問題があるといえるのではないでしょうか。
フジテレビに関する騒動はタレントの起用法だけではありません。もう一つ大きな波紋を呼んだのが、いわゆる「アナウンサー接待問題」です。これは、同局の人気女性アナウンサーがスポンサーや広告代理店関係者などを“接待”する場に同行していたのではないか、と取り沙汰された一連の報道を指します。
テレビ局のアナウンサーは、自局の番組の顔ともいえる存在です。報道番組や情報番組を担当し、視聴者から信頼を得る一方で、そのイメージ戦略を局が積極的に推し進める場合も少なくありません。フジテレビにおいても、女性アナウンサーの“アイドル化”路線は長らく注目されてきました。男性視聴者層を意識したグラビア展開やイベント出演など、「アナウンサーというよりもタレント」と呼べるような活動をしているケースも多々見受けられます。
しかし、スポンサーとの接待や、いわゆる「飲み会への帯同」が事実だとすれば、そこには明らかに“企業としてのモラル”が問われる問題が生じます。広告収入を最大の収益源とするテレビ局が、スポンサーや広告代理店との関係を優先するあまり、社内の主要な顔であるアナウンサーを利用していたのだとしたら、視聴者としては不快感を拭えません。
当然、こうした疑惑に対してフジテレビ側は公式に否定したり、詳細を明らかにせず黙殺するような姿勢を見せたりすることがあります。しかし、SNSや週刊誌などで火がつけば、簡単には沈静化しないのが現代社会のメディア環境。真偽がはっきりしないまま風評が広がり、局全体のイメージダウンにつながってしまうという事態になっています。
視聴者は、番組内で華やかに活躍するアナウンサーたちを見て、「彼女たちは本当に笑顔の裏でこんな接待をさせられているのだろうか」と疑念を抱くようになります。さらに言えば、「企業として、従業員であるアナウンサーを守るつもりはあるのか」という疑問に発展しても不思議ではありません。本来ならば、放送を通して正しい情報やエンターテインメントを提供すべきメディア企業が、その裏側でモラルを欠いた行為に加担していたとしたら、失望感は大きいものにならざるを得ないでしょう。
こうした「中居くん問題」や「アナウンサー接待問題」を含め、近年のフジテレビが抱えるトラブルは、ある意味で氷山の一角なのかもしれません。視聴率競争が激化する中で、組織の風通しが悪くなり、かつてのフジテレビらしい自由な発想や攻めの姿勢が失われているという指摘は、業界関係者からも耳にします。
視聴率低迷を背景に、番組制作費の削減やタレント起用の“安全策”ばかりが目立つようになると、局全体の雰囲気も萎縮していきがちです。その過程で、タレントを起用する際の配慮不足や、営業と編成の板挟みが生じ、「中居くん問題」のようにタレントとの関係性を損ねる事態が発生する。また、スポンサーの意向を過度に忖度する結果、アナウンサーを商品のように扱うような歪みが生まれ、「接待問題」に発展してしまう……。これらはすべて、かつてのフジテレビが放っていた“輝き”からはほど遠いもののように思えます。
もちろん、テレビ局も営利企業である以上、スポンサーとの関係や視聴率の確保が重要であることは否定できません。しかし、そのやり方が明らかに行き過ぎてしまうと、コンテンツの価値は薄れ、視聴者の信頼も損なわれることになります。人々は娯楽を求めてテレビをつける一方で、放送する側には一定の品格や誠実さを期待しています。裏事情を知れば知るほど、視聴者がシラケてしまい、ますますテレビ離れに拍車がかかるのではないか、という懸念は大きいでしょう。
近年、ネット配信サービスやSNSなど、多様なメディアプラットフォームが台頭しています。その結果、テレビ局の独占的な立場は崩れ、視聴者は自由にコンテンツを選ぶようになりました。そんな時代だからこそ、放送局には番組や出演者に対する敬意と、それを支えるスタッフ・アナウンサー・タレントを大切に扱う社内文化が求められているのではないでしょうか。
「中居くん問題」「アナウンサー接待問題」という二つの例を見ても分かるように、フジテレビが“王者”であった時代とは程遠い現状にあることは明らかです。かつては数々のヒット番組を生み出し、業界の最先端を走ってきたフジテレビ。そんな局が、今や視聴者から「失望した」と言われてしまう状況は、残念という言葉では言い尽くせないほどの大きな落差を感じさせます。
しかし、一方でフジテレビには、依然として優秀な制作スタッフや個性的なアナウンサーが存在します。かつての名番組の栄光を取り戻す可能性を、全く失ったわけではないでしょう。局としては、タレントやアナウンサーを軽々しく扱うのではなく、彼らの魅力を最大限に引き出せる環境づくりが急務です。また、スポンサーの顔色ばかりをうかがうのではなく、視聴者目線に立った“攻め”の番組制作を行うことで、今一度フジテレビらしい輝きを取り戻すチャンスがあるはずです。
近年の騒動や不祥事を目の当たりにし、私たちはフジテレビに対して大きな失望感を抱いています。それは、かつてのイメージや期待が高かったからこそ、裏切られたように感じる度合いも強いのだと言えるでしょう。テレビの未来がどのような形になるにせよ、質の高いエンターテインメントを届ける役割は決して小さくありません。フジテレビがこのまま失望の象徴として凋落してしまうのか、それとももう一度初心に立ち返り、視聴者やタレントを大切にする姿勢を取り戻して再生するのか。今後の動向を見守りたいと思います。
もう一度、かつてのようにワクワクするような番組がフジテレビから生まれることを期待して、あえて厳しい言葉で終わりにしたいと思います。私たちはまだ完全にフジテレビを見捨てたわけではありません。しかし、今回の一連の問題を通じて、視聴者の厳しい目はこれまで以上に向けられていることを、フジテレビは肝に銘じるべきではないでしょうか。もしその視線を真正面から受け止め、改革と信頼回復に本気で取り組むのであれば、フジテレビがもう一度“王者”に返り咲く日が来るのかもしれません。けれど、これ以上視聴者を失望させるような出来事が続けば、その願いは遠のくばかりなのです。
常に一定して機嫌が良い人
経済の絶対的な「豊かさ」には限界が存在するという議論は、現代の経済学や社会の変化において重要なテーマとなっています。以下に、このテーマに関連するポイントを整理します。
経済成長は資源の消費を伴いますが、地球上の資源は有限であり、無限に利用し続けることはできません。再生可能エネルギーやリサイクル技術が進展しても、資源枯渇や環境汚染の問題は依然として深刻です[2]。
経済成長が進むにつれ、大量消費と大量廃棄が環境に与える負荷が増大しています。温暖化や生態系の破壊など、不可逆的な影響が懸念されています[1][2]。
豊かさをGDPで測ることには限界があります。GDPは量的な指標であり、生活の質や環境への影響を反映しません。そのため、「Beyond GDP」として新しい豊かさの指標を模索する動きが進んでいます[1][3]。
現代社会では、衣食住が満たされ、インフラやテクノロジーが整備されていること自体が十分な豊かさと感じられる人も多いです。このような状況では、経済成長そのものよりも生活の質や幸福感が重視されるべきだという主張があります[2][3]。
テクノロジーの進化によって、所有からシェアへと意識が変化しつつあります。これにより、大量生産・大量消費型経済から持続可能なモデルへの移行が求められています[1][3]。
経済規模を無限に拡大することは現実的ではありません。人間の成長に限界があるように、経済もまた一定以上拡大し続けることはできないという考え方があります。このため、「脱成長」や「持続可能な発展」を目指す議論が活発化しています[2][3]。
経済成長そのものを追求する時代から、人々の生活の質や持続可能性を重視する時代へと移行しています。豊かさとは単なる物質的な充足だけでなく、環境との調和や人間関係、幸福感など、多様な要素を含むものとして再定義されつつあります。
Citations:
[1] https://localletter.jp/articles/kayac-kamakura-capitalism-2/
[2] https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2020pdf/20200708079s.pdf
[3] https://www.icr.co.jp/mictnow/20171015.pdf
[4] https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r01/pdf/n2200000.pdf
[5] https://www.murc.jp/wp-content/uploads/2012/07/551.pdf
[6] https://www.murc.jp/wp-content/uploads/2012/07/1594.pdf
[7] https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD209FL0Q4A121C2000000/
[8] http://www.ibaraisikai.or.jp/information/iitaihoudai/houdai37.html
Sunoのマイナーインストジャンルを深掘りしてるけど、プロンプトの秘密のひとつを教えよう。内緒だぞ
→基本的にプロンプト前半を重要視する仕様のため、優先度順の配置が望ましい
・曲の要素を分解して指定する
→ジャンル、曲の構成・構造、テンポ、リズムパターン、印象(感情的な特徴)など、曲の要素を分解して優先度順に指定する
AIの機嫌が良ければ、ちゃんとそれぞれの要素を反映してくれるが、機嫌次第
・AIのご機嫌を伺う
→これが大事
同じジャンルを指定しても「よりポップ寄り」「よりアンビエント寄り」みたいな傾向が、その時々により変わる
これは色々試したが、変化に一定の傾向はなく、正にご機嫌としか言いようがない
その時の気分を見極めて、プロンプトを調整すると良い結果を得られる場合がある
内緒だぞ
行政ルート(児童相談所)と民間ルート(養子斡旋団体)があるらしい
民間ルートでは、団体にお金を積むのが一般的と書いてあってビビる。出産費、これまでの養育費などを寄付金として募ると。
理屈はわからなくはないけど、人身売買に近くね?とも思ってしまった。
養子縁組もいろいろと闇が深そうだなあ
もう1点、養親の資格は20歳以上とのこと。成人年齢が引き下げられたのに制度が追い付いていないのがここにもありましたか。
酒、たばこは百歩譲って身体的な害があるから20歳までダメってのは一定の理屈としては成り立ってる(エビデンスは無視して論法としてはという意味)
ファイヤーエムブレム エンゲージをクリアした。
なんだかんだ楽しんで遊んだ。バトル面は最高。それ以外はひどい。特にシナリオは合わない。
FEは遊んだことなかったたので難易度はノーマルにした。プレイ時間は132時間ぐらい。
ストーリーは王道っぽい感じだけど、シナリオがあまりにも合わない。端的に言ってひどい。
UIも使いづらい。とっても使いづらい。
バトル面は最高。面白い。
その他思ったたこと。
仲間はヴァンドレ以外は一通り使ってみた。スキルはみんなだいたい悩んだら再移動か星玉だった。
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恵まれた容姿を持つ女の到達点は、ずっと女子アナだと思っていた。
女優は容姿(その基準値は最高値ではあるが)のみで構わないが、女子アナには学歴と家柄を求められるからだ。容姿一点突破では女優に軍配があがるが、親ガチャの家柄も兼ね備え、家柄バフ受けようとも一定の努力が必要な学歴をも兼ね備えたキー局女子アナが、この分類での女の頂点だと思っていた。
しかし、ふとAV女優に求められる才能を考慮すると、彼女らほど多様なものを求められる女は居ない。
下記に女優、女子アナ、AV女優に求められるものを書き出してみよう。
【AV女優】・・・・容姿(要求度80)、スタイル、全身肌の綺麗さ、胸の大きさ、乳輪サイズ、乳首サイズ、乳首の色、陰毛量、性器、喘ぎ声の作法、寝床の演技力
いかがだろうか。あなたのお気に入りのAV女優は、数多の審査にふるい落とされお気に入りとなる。
女優、女子アナは、首から上の顔面容姿のみで済むが、AV女優は首から下の裸体での容姿すら求められる。
顔はいいけど、胸が小さい。胸はいいが、乳首が嫌い。可愛いのに声がだめ。・・・などなど
芸能人やお笑い芸人とかって、割とみんなネオリベ色が強いというか「頑張ったものが頑張っただけ受け取って当然」 「ダメな人はダメで自己責任」みたいなことを、うっかりポロリと、あっさり堂々と言ったりする。そういうのは、自分とは主義は違うが気持ちはまぁ分かる。当たればすごく儲かる職業だが、一方で努力も才能も運も頑張りも一般大衆とは比べ物にならないだろうし、ハイリスクでもあるから、「俺の才能で稼いだ分を自己責任の貧乏人に分配なんて嫌だ」とうっかり思ったりしちゃう人もいるだろう。
でも、そういう意味では、松本人志も中居正広もフジテレビも、今の体たらくって、まさに自己責任の自業自得だと思うんだよな。
松本人志がTVで人気者をやってないことを嘆く芸人、中居正広が引退することを惜しむ芸人が結構いるわけだ。何で悲しんだり怒ったりするんだろう。なんで「自己責任だから仕方がないよな」と言わないんだろう。仲間内だから?その程度の罪なら免責されて当然?どういうモチベーションで、それを言う自分が大衆からうっすら反感を招きかねない嘆きを主張するんだろうか。
両名とも良くない噂はピカピカの人気者だったころからあったし、松本に関しては自分でも言うてたぐらいだし、ピュアッピュアに「まっちゃんわるいことしとらんやろ!」とか思っていられるとは、さすがに思えないが。
大衆からの人気という、よく分からん、コントロールできないもので食ってきたわけで、そんなもん、クリティカルな大きい一発があったらそんな人気は簡単に吹っ飛ぶだろ。
フワちゃん消失の時に驚いていた芸能人もいたが、フワちゃんってピカピカの人気者だった時からずーっと結構分厚いめにアンチというか「好きじゃない」という人がいたわけで、そりゃもう、あんなの出たら一発だよなぁ。
松本もそう、SMAPというかジャニタレもそう。無視するには少々多い程度の一定数の、それも確固たる「嫌いなんだよ」って人が居続けている人たちでもあって、そりゃー、こんな一発があったら、それなりの功績や才能があったとしても、「大衆の人気」なんて吹っ飛ぶよ。
あとさ、さらばとかとろサーモンとかみたいに「下種だから売れたし、嫌われるほどは売れてない」ような人なら逆に多少なことがあっても吹っ飛ばないだろうけど、シュッとした芸風だったり、社会問題に鋭い切り口のコメントを言いたがったり、いい人だと思われていたりしたら、ギャップが大きくなって更にスキャンダルが響くわけでさ。
人気商売って、そういうもんで、だからこそ、当たればめっちゃ儲かるがめっちゃハイリスクでもあるショーバイなんだから、「けっつまづいたのは自己責任」って言ってほしいよなー。
どう思うでしょうか
書店に寄りました、うきうきで
東京の郊外にある、百貨店上層階のワンフロアだけどかなり大きい書店です。
本を買って応募できるキャンペーンがあるから、買いたいリストを手にあちこちのカテゴリを巡りました。
それで気がついたんですけど、
普通、「西洋哲学」 「趣味実用書(家庭用のレシピ)」「バイクと車」カテゴリ全部で
同じ人と遭遇するなんてことある?
西洋哲学史のあたりで気づいたんですけど、思い返すとその前に巡った他のカテゴリでも
その男性と同じ服装の人とすれ違った記憶を思い出せることに気がつきました。
それ以外は、
毎回本棚を見ずに私の顔を見ている(ほかの男性客は目当ての本を探すのに夢中でこっちをほぼ見ない)、
それ以外でも本を探すフリが一切ない、
たまたま私が本棚ではなく彼の顔を見たらぎくっとした顔をしてその場でUターンした、
等々。
一つ一つは気のせいだけど、積み重なったから気になりだしました。
でもその時は、書店って変な人多いしなとしか思っていませんでした。
書店を狩場にしている、本を買う以外の目的の人は一定数います。
前にも書店でナンパしてきたり、逆P活スカウト?とか、撮影モデルを探していますとかそういう人に遭ったことあるので知ってました。
男性はあまり知らない人のほうが多いかもしれないけど、書店は男性と女性じゃ見えてる世界が違う。
こういう過去の記憶を思い返しながら、女性雑誌コーナーで雑誌見繕っていたんだけど、
やっぱ最後にヘアカタログ探したいなと思いたってぱっと振り返ったんです。
そしたらその男性が私のすぐ後ろにしゃがんでいて、
差し出すように右手に持っていたスマホをさっと隠してボディバッグに入れるのが目に入りました。
そしてすごい勢いで書店を出て行ったんですけど、
何のため?
私このときスカート履いてたんですよね。タイトめのペンシルスカート。
これいったい何でしょう。私どうすればよかったんでしょう。
確証は何もないです。
なんで購入後一定期間しかダウンロードできないようにしてるんだけどこれって同じ業界のサイトなら珍しくないことなの?
一度買ったら何度でもダウンロードできるようにしておけばわざわざ見たいときに見たい動画だけダウンロードして要領余裕無くなったらそれ消して別の見たいのをダウンロードしなおすってことができるのに。
まじで改変なしでいけるな
https://foobar138428.hatenablog.com/entry/2024/12/22/162351
1億人全員が顧客であり、ユーザーが多い舞台で研究開発ができると思い入社。
入社当時、NHK研究所は理系就職の最高峰の一つと考えられていたので、若干の優越感はあった。
(だが、受信料の値下げや8K放送の後の研究の目玉がないとかの将来性のNASAにより、情報系の優秀な人はまったく入社しなくなった。 )
入社当初から仕事は緩くて、「薄給まったり」というのは本当だなと思った。
コロナ後は完全リモートになり、体調がすぐれないときはログインだけして寝ていても何も言われず、体力的に非常に楽だった。
特に業績がないときでも、きちんとログインしていれば普通のボーナスがもらえた。
社会的信用があり、クレジットカードや住宅ローン審査はすべて即日通過だった。
名刺を見せると公務員並みに信用してもらえるというステータス性があった。
研修のとき、故障修理と称して毎日ドライブ小旅行できたことが楽しかった。
研修のとき、お天気カメラと呼ばれるカメラの点検をやったのが楽しかった。
インターネットがなかった頃のNHK独自の電波設備に浪漫を感じた。
NHKグループには様々な会社があって、いろいろな職種の人とつながれた。
たった1回だけだけど、偉い人の鞄持ちで海外視察について行ったら、観光、ディナー、マッサージなどの接待を受けられたのが印象的だった。(悪いことをしている気分だった。).
10年がんばっても年収は500万円台、大学院まで出たのにこんなはずではと思った。
がんばって郊外に新築一戸建てを買ったところ、生活が困窮した。
現場では挨拶が⚪︎すぞな先輩とかパワハラセクハラは日常だった。
複数の上司からいじめ・パワハラを受け、ストレスで突発性難聴にかかった。(上司たちから私の個人業績を妬まれてしまったため。).
勇気を出して会社に告発したが、逆に、パワハラで働けなかった期間のことを「職務放棄」として処分された。(ハラスメントをした企画部長が、部門長に泣きついてもみ消してもらったのではと思う。).
3ヶ月の調査の末、返ってきた回答は、「突発性難聴とハラスメントは因果関係が不明」「ハラスメントがあったかどうかはよくわからなかった」というものだった。
この会社でこれ以上働くことは難しいと考え、退職することにした。
パワハラを人事ルートで訴えると訴えた側は昇進ルートから外れて組合専従に飛ばされ、訴えられた側は数年後に部長として復帰していた。
実はNHKの人事は、世間でのイメージとは正反対で、とてもブラックである。
人事担当が転職エージェントに社員名簿を横流しして、見返りに転職希望者(=裏切り者)の情報を得た疑惑があった。(ある日、同期の内線電話に一斉に、転職エージェントから電話がかかってきた。転職意思がないことを伝えるまで昇格できなかった。).
精神科通院歴を人事上の減点として記録し、一定以上に昇格できないよう差別している疑惑があった。(人事に精神科通院を打ち明けてしまったために、最初の昇格で一人だけ落ちた同期がいた。休職とかはしてないのに明らかに差別されていた。).
やめてよかったかも?
NHKにはもう技術がなくて、ご存じの通り急速に収益性が下がっている。
このままだとNHKの受信料が大きく下がるのは避けられないが、そうなるとNHK職員の給料が問題になる。
加担する前にやめられてよかったかもしれない。
NHKは「薄給まったり」で間違いないが、新築一軒家を買うと「貧困」そのもの。
長年の貧乏には耐えたが、パワハラとブラック人事には耐えられなかった。
NHKプラスという巨大な詐欺?に加担する前に脱出できたのはよかった。