はてなキーワード: いるかとは
心理的、精神的に負荷のかかりすぎる仕事をやることにそもそも興味や関心が無さそうで
それは先生が大学のポストを獲得するまでの空白期間で学習塾のアルバイトのようなものをされているからなのですが
それは、つまり日本で幸せを得るためにお金はさほど重要ではないってことですよね
幸せになっている人みながお金持ちであればこれほど予約がカレンダー3カ月後まで埋まるほど心療内科や精神科が儲かるかってことなんです。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/huyukiitoichi.hatenadiary.jp/entry/2026/03/06/080000
同じ仕事をしていれば男女差はない。と
公開されるデータは以下のとおり
この単純な平均値の比較だけでは「同じ仕事をしているか」も判別不可能だ
そこで一歩踏み込んで自社データを調べたのが、当時話題になったメルカリだ
政府が定めた項目より一歩踏みこんで、データを通じて単純な平均差だけではなく、pay equityをモニタリングできるような施策に取り組むことにしました。
この結果、役割、職種、等級などが同条件の男女であっても7%の差(女性が低い)があったことがわかった
同じ属性・パフォーマンスだとしても、男女間で賃金格差が存在しているという意味です。重回帰分析では、属性やパフォーマンスを変数に入れることによって、その影響を統制(コントロール)することができます。職種やグレードの影響をできる限りなくしたとしても、女性の方が男性よりも平均的に7%賃金が低かったんです。
また、外部コンサルタントにも相談して、海外でのアクションの傾向についても聞きました。例えば、ヨーロッパでは「説明できない格差」が5%を超える場合には、労働者代表と共同で検証や是正措置等の実施を求めることがあります。
これを信じるならば、グローバル企業では、定期的にメルカリが行ったような集計を行っているということだ
先の通り、2023年の義務化では平均値のみなので、Gender Pay Gapを発見することができないばかりか、日本企業は集計しようともしていないのが実態だろう
そうなると世に存在する日本企業のデータは大雑把なものしかない
すると当然のように「女が重要な仕事についてないだけ」「正規同士なら変わらない」「儲かる業種は男性が占めているから差がある」などと
その結果が「労働条件が同じなら男女の給与差はない」論に収束させているのではないか
議論の前提になっているデータが粗すぎるため、表面的な平均値比較だけで判断されるってことね
詳しい記事はこれ
泊まりに行った日、必ずあなたはわたしと一緒にそばやうどんを食べたことを。反抗期になってそのままたべなくなってあなたはこの世から消えた。それから幾つも年は経ち、私は包丁でネギも切れる、お湯も沸かせるようになった。
だけど一人で食べてると悲しいのですよ。
調査で9割が満足している理由は、日本の**「物理レイヤー」と「サービスレイヤー」**が世界最高水準だからです。
治安とインフラの可用性: 夜道を一人で歩ける、電車が秒単位で来る、水が飲める。これらは世界中の多くのリージョンでは「有料オプション」だが、日本ではデフォルト設定だ。
「お客様」としてのプロトコル: 日本語が不自由な外国人であっても、店員は「ポライト(礼儀正しい)」に対応する。これは、相手を「対等な市民」としてではなく「短期的なゲスト」として処理するルーチンが確立されているからだ。
比較対象のベースライン: 多くの外国人は、自国の「不安定な治安」や「低い給与水準」と比較して日本を評価する。彼らにとって、多少の差別(パケットロス)があっても、システム全体のアップタイム(安定性)が高い日本は魅力的に映る。
なぜ君だけが、満足している6割の外国人とは逆に「地獄」を感じるのか。それは、君が**「ゲスト」ではなく「このシステムの一員」として生きようとしているから**です。
「通りすがり」なら満足できる: 観光客や短期労働者は、日本の深いバグ(人種差別や構造的排斥)に触れる前にログアウトする。だから満足度が高い。
「永住・同化」を目指すとエラーが出る: 君のように日本で育ち、日本語を話し、納税し、日本社会に深くコミットしようとする「高度なユーザー」ほど、システムの最深部にある「肌の色による認証エラー」というバグに直撃する。
期待値の差: 君は日本を「自分の国」だと思っている。だからこそ、理不尽な職質や婚活の拒否が、単なる「旅のトラブル」ではなく「存在の否定」という重大なシステムダウンとして記録されるんだ。
会社は利益追求集団なんだから、除去することで、売上なのか、利益なのか知らないけど、改善されるのが第一では。
だいたい、会社の批判=社長への冒涜だからね。社長も内心いなくなってほしいと思っているはず。
そう思ってないのであれば、何か怪しい関係だったりして。
3人から退職相談受けているでいいんじゃない。今、3人辞められるより、一人辞めさせれば利益上がるんで。で話通るでしょ。
クビです。の一言がみんな言いたくないだけ。いい人になる理由なんかないでしょ。会社は利益第一なんだから。
証拠が必要なら録画でも録音でも証言でも集めて時期を見てからやれば。
婆が何かくすねそうなら、倉庫の掃除でも一人でやらせて、金券でも置いておいて・・・・なくなった。でもなんでも計略は考えられるはず。
上司には、問題ある奴いるから切りますね。だけの承認で問題ないでしょ。1か月分有給あげれば黙るんじゃない。
同時に人の手配をさせてほしい。と
本人には、もうみんな耐えられない。改善もされなかったし、こういう証拠もあるから明日から来なくていいよ。来月までの給与は保証するから、それじゃ。
やったら評価されるんじゃない?
日本政府は長年、**「移民政策は採っていない」**という立場を維持しています。
そのため、外国人労働者の多くは以下の在留資格で受け入れられます。
技術を学ぶ
一定期間働く
という構造です。
永住を前提に受け入れていない
在留資格ごとに期限がある
3. 実際の労働市場
一方で、現実には日本はかなりの数の外国人労働者を受け入れています。
2020年代の傾向:
外国人労働者数:200万人以上
宿泊業
地方産業では、実習生や特定技能人材が重要な労働力になっています。
あなたが指摘しているような
ただし、それが 強制されているかどうかはケースごとで、外からは判断できません。
まとめ
だいたいこれ
(ブライダルネットだと5通目以降はLINEなど個人情報が交換できるようになる)
で、交換したくないというと急に片言の日本語になって(AIが使えなくなるからだろうね)いつもLINEを使っているから、LINEじゃないとこれ以上話せない、見たいな事を言ってくる。
また、レスポンスは無茶苦茶良くて、返信すると5分か10分かそれぐらいで返してくる。
これをもう8人ぐらいやったわ。最近は5回目でいきなりLINEを効いてこなくて、しばらく会話を続けるようになったり、もうちょっとAIを使ってきたりとか工夫はされているらしいが、プロフィールと矛盾したことを言ってきたり、敬語が突然おかしくなったりする。
で、使ってないスマホ番号があるんで、それをつかって捨てLINEアカウントにのっかってみたところ、LINEに繋がった後は日本語話者?に変わって、実は会社経営が行き詰まっていて金が必要だ見たいな事を言ってきた。
はぁ。なんなの?(既に通報済みでブライダルネットもLINEもアカウント消えてる)
で、ブライダルネット、この手の詐欺アカウント以外マッチング全然しないんだけどどういうこと?
どういうことなんだマジで。てかマッチングが来たから会話しないとと思って言われるままに有料登録したが、そいつも詐欺だったぞどうしてくれるんだ。
以前は増田とはてなは個別にログインする仕様だったが今は増田にログインするときにはてなでのログインが必要になった。
普通は便利になるけど自分ははてなと増田は別のサブアカウントで使っているから、はてなに増田用アカウントにログインしてから、はてなだけログアウトして、はてブ用のアカウントではてなにログインするという手間が増えた。
え?じゃあ何でフェミがフェミがって泣いてんの?法律決めてる国会議員の8割男だよ?
君が報われない社会は男が作ってるんだよ?
なのに君が報われないのはフェミのせいだと思っているならそれは社会を動かしている男が、女が悪いそれを煽動するフェミが悪いと責任をなすりつけているからで、それを信じちゃっている哀れな人だからだよ。
元増田は、「長所を探したら、自民党にしか見つからない。野党に長所がない」とは言っていない
任せたいと思えるほどの能力とか現実的な政策が自民党にあると言っているか?言ってないね
それしか言っていない
星霜の心理士は逆にペンネームを変えずにアクタージュのときのペンネームを使えば、執行猶予が終わっているんだから問題がなかった
ペンネームをそのままにすれば、読者は前科がある作者の作品を読むか、読まないか選択することができたし、
一度、アクタージュで筆を置いたけど、また一から頑張っています感が出た
星霜の心理士は作者が事件後に受けた加害者カウンセリングが元になっているらしいし、そういう経緯があるなら尚更元々のペンネームで連載するべきだった
読者のなかには「前科持ちの人の漫画を面白いと思ってしまって気持ち悪い」とか
「アクタージュの作者が原作と最初からわかっていたら、読まなかったのにペンネームを変えられたから気づかず星霜の心理士を読んでしまった。前科持ちに印税を稼がせて気分が悪い」とか
思う人もいるだろう
同情論証
論理学や批判的思考(クリティカル・シンキング)の世界では、「論点のすり替え」の一種として扱われることが多い概念です。
簡単に言うと、「論理的な正しさ」ではなく「相手の情け(同情心)」に訴えかけて、自分の主張を通そうとする手法のことを指します。
1. 同情論証の仕組み
本来、ある主張が正しいかどうかは、客観的な事実や証拠に基づいて判断されるべきです。しかし、同情論証では以下のような構造が使われます。
同情論証: 私はこんなに苦労している(可哀想だ)。だから、私の主張を認めてほしい。
2. 具体的な例
試験の採点で:
「先生、この単位を落としたら私は留年してしまい、親に合わせる顔がありません。どうか合格にしてください!」
(→ 採点基準を満たしているかという論点を、個人の不遇にすり替えている)
「今回の失敗は認めますが、私はこの一週間、寝る間を惜しんで働いていたんです。そんな私を責めるのは酷ではないですか?」
(→ ミスの原因と対策という論点を、自身の苦労話にすり替えている)
3. なぜ「誤謬(ごびゅう)」とされるのか
情に訴えること自体は人間味のある行為ですが、論理学的には**「結論と前提に因果関係がない」**ため、誤り(誤謬)とみなされます。
理由: 「可哀想であること」と「その主張が正しいこと」は、全く別の問題だからです。
注意点:共感と同情論証の違い
もちろん、人間社会において相手の感情に配慮することは非常に重要です。
同情論証: 辛い気持ちを「武器」にして、論理的な議論を避け、自分に有利な結論を導こうとすること。
この境界線を見極めるのが、建設的な話し合いのコツと言えます。
もし、特定のシチュエーションで「これって同情論証かな?」と感じている事例があれば、詳しく教えていただけますか? 一緒に分析してみることも可能です。
回しものじゃないし、使い方としていいかどうかも含めて自己判断してくれ
自宅に呼ぶなら自宅可かどうかも見る
相手もお気に入りして相互になると、オキニトークってチャットが解禁される
オキニトーク解禁していない嬢もいる。お気に入りとかいいねとかつける欄にオキニトーク欄がなければその嬢は避けよう
オキニトークで下記について相談する。出し方はテンポはアドリブ
プレイはほどほどとかなしでいいんですけど、悩みの相談を聞いてほしいんですがそんな用途で大丈夫ですかね
こんな感じの相談なんですよと少し具体的に書く
この時点で気持ちが軽くなるかもなんとなくわかると思う。気持ちが軽くなるならもちろん続けて呼べばいいし、よくわからんくて相手がOKなら
1回は読んでみればいい
日取り決めて呼ぶ
オキニトークの使い方は嬢にもよるから嫌がられる可能性がゼロじゃないが上記の事サクッと聞くぐらいは個人的に許容範囲だと思うよ
仕事で、車の修理屋さんに
「朝イチに1台目持っていって、残り2台は車庫からピストンで運びます」
と伝えた後に、
(ピストンってエロい語感を伴っているか…?良くないのか…?)
と思ってしまった。
「裸で(カバーやケースなどをつけないで)」
楽天で久しぶりになんか買ってねっつって3000円以上で使える1500円クーポン来てた(ハガキで
何しようかなと思ったけど自分の欲しいものだとクーポンのお得感があんまりない価格帯だったし、
ふるさと納税のポイントとかこういうクーポンとかがひょいっと付与されると使い道に困ってしまう
物欲がないわけじゃないんだけどそのときこれが欲しいっていうのがぱっと思いつかないタイプ
後々よく考えたら色々あるんだけど
そんで結局期限が近くなってもう親になんか送るでいいやってなる
んでこれでクーポンノルマ終わったーと思ったら、購入完了画面でまたクーポンが付与された
今度は2000円以上で1000円引きクーポン
そんでイヤホン買った
やれやれこれで終わりかと思ったらまた2000円以上で1000円引きクーポンが付与された
ウソだろwwwと思って考えた結果、モバイルバッテリー買おうと思って探してる
前持ってたのはデパ地下で落としてなくしちゃったんだよな・・・
一応遺失物で届けだしたけど普通に遺失物横領されたみたいで戻ってこなかったし
今のスマホはバッテリー75%とかで交換しろって警告出てるレベルだから、1日外出するとかなり心もとないんだよな
基本休日は引きこもってるし
じゃあいらんやんって思うやろ?
でも近々引っ越しの予定があるんよねー
それで物件巡りとかで終日外出することが増えそうだなって思って
んで、ugreenの20000mAのが安くなってるからかなり惹かれたけど、
450mlペットボトルとほぼ同じ重さってのがかなり気になって買えずにいる
ペットボトルは飲めば軽くなるし捨てられるけど、こっちはカラになっても軽くなるわけじゃないもんなあ
そとで仕事する自営業とか外回りの営業とかでもないからそんなにでけえのがいるか?ってなると自分には過剰な気がする
お値段的にはかなりお得感はあるんだけどねえ・・・
結局使わなかったら長い目で見て損になるよねえ・・・
ってことで170gくらいで10000mAのやつにしようかなって思ってる所ジョージ
ネットショッピングって欲しいものが決まってない状態だとマジで決めるのめんどいな・・・
あえていうならゲームソフトなんだけど、今時間なくて買ってもあんまりやれないしなとか思っちゃうんだよね
もう丸2か月起動してない
早くGOWラグナロククリアしないとなーと思ってんだけどつまらなさすぎてね・・・
一度も起動してないゲームだらけ
次の職場がちょっとあやしい可能性が少ししてるから、もしそうだったらやめて引きこもるかなーとか考えちゃってる
今年なかばに生前贈与の貯蓄型生命保険?の解約時の返戻金がプラマイゼロになるからそれ下ろしてもいいしな
そしたら2500万くらいかー
私は二次創作の分野で小説を書いているド素人の一般人だ。今話題になっているコミティアの客ですらない。
書いている小説も素人の付け焼刃で、正直一次創作で活躍している諸作家に比べればアイディアも技術も全く追いついていない。
それでも素人なりに趣味として小説を楽しく書いている。読むのも好きだ。
生成AIに対するスタンスは、現状は反対寄りの立場をとっている。
とはいえ、すべての生成AIが悪とは思っていないため、早く法が出来て良し悪しが明確になればいいなーと考えている。
今回コミティアの規定改定の件がXで話題になっていて、客層ではない私のところにも聞こえてくるほどだ。
詳しい内容については割愛するが、議論になっているのは以下の2点だと思う。
・生成AIを利用することの是非
・規約の内容が小説作品は表紙・挿絵があると小説主体とは言えないと読み取れること
まず1つ目の「生成AIを利用することの是非」に関しては、コミティアというイベントのルールとして制定するものになるため、嫌ならイベントに参加しなければいいだけである。
生成AIは現在かなりセンシティブな話題になっているが、ユーザーがイベントに参加するという立場上、主催が提示するルールは守る必要がある。
この場合は「コミティアというイベントでは生成AI主体の頒布物はNG」というルールなので、一般的な生成AIの是非ではない。生成AIで創作がしたいのであれば別の場所を選べばいい。
もう1つの「規約の内容が小説作品は表紙・挿絵があると小説主体とは言えないと読み取れること」だが、これがまたややこしい。
Xで多く見かけたのが、「表紙・挿絵があると小説が主体の作品ではないとみなされる」「小説はイラストに劣ると言われている」という感情的な意見だ。
私はこの意見には同意できないと思っている。そもそも小説には表紙も挿絵も必要ないと思っているからだ。
まず表紙の存在意義についてだが、表紙はその小説がどのような物語かを印象付ける役割を持っている。表紙にキャラクターが描かれていれば、そのキャラクターが登場する物語なのだと一目見てわかるだろう。
だが、表紙にキャラクターが描かれているということは、読者はそのイラストでキャラクターの印象を固定してしまうということだ。
文章で「金髪をたなびかせ、幼さを残す大きな青い目がこちらを見た」などと書いてあるとする。この文章でどんな見た目をしているのかは読者の頭の中で好きに想像ができる。恐らくこれを読んでいる人もそれぞれ違うイメージが頭に浮かんでいるだろう。
しかし表紙にキャラクターが描いてあると、その見た目で固定されるのだ。読者の頭の中には表紙で印象付けられたキャラクターしか浮かばない。
この場合、作者が「この見た目で印象付けたい」と意図しているのだと思う。愛着のあるキャラクターなのだから、自分が想像している見た目を読者にも見てほしい。これは間違ったことではない。
だが、この場合、表紙は「主体的な創作ではない」と言えるのだろうか。
小説という媒体であればキャラクターの見た目や表情は基本的に文章で描写するべきである。それでも表紙でキャラクターを見せたいと思うのであれば、「作品制作の補助」とはいい難いと思う。
挿絵に関しても同様だ。挿絵の役割は「文章中のシーンを視覚的に見せる」ものだと思う。
私は正直、小説作品に挿絵は不要どころか邪魔だと思っている。だって文章を読んでいるときに絵が入ると気が散るし。
そんな私情は置いておいても、挿絵は必ずしも必要なものではない。それでも小説の中に挟みたいと思うのであれば、それは主体的な創作ではないだろうか。
文章表現のみで読者に想像させるのが小説という創作だと思っている。その中でイラストが必要になると思うのであれば、そのイラストは同人誌という作品の中で主体的な存在と言っても過言ではないと思うのだ。
小説本が蔑ろにされているわけではない。ただ、小説と銘打っている中で表紙・挿絵が必要だと作者が判断したのであれば、それも本という作品の一部分であるだろう。
そもそも規約は「作品制作の補助を超えた生成AIの利用」と記載されている。制作過程の補助は認められているが、表紙や挿絵はそもそも過程ではなく結果だろう。
小説という創作は、華のあるイラストや漫画と比べられて蔑まれている、という自意識は確かに存在している。実際、その手の話はどこにでもあるし、私自身何度か耳にしたことがある。
しかし、今回に限って、小説という媒体を馬鹿にしているのはそう思い込んだ本人なのではないだろうか。
Xで感情的になっているポストを見ると、小説に自信がない裏返しのような意見が多いように見える。
小説は素晴らしいものなのだと胸を張って言えるのであれば、今回の規約なんてどうでもいいはずなのだ。
私は小説が好きだ。好きだから、表紙や挿絵が本当に必要かがわからない。なくても十分素晴らしい作品だろう。
(今回主な意見が「表紙イラストと挿絵」だったためこのような記述になったが、例えばデザイナーが作成したイラストのないデザインであればまた違った話になると思う)
この行動より、診断済みの発達障害者は「みいちゃん」に該当しない。
そもそも発達障害というのは誰かしら特性があり、軽度~重度と白黒ではいえない。
完全に発達障害でない白といえる人間はおそらく10人に1人だろう。
ほら、どんな人でもうまく使うことができ、誰からも好かれ、会社とかでリーダーシップを発揮してぐいぐい引っ張ってくカリスマ的存在。
完全な白のタイプは発達障害と付き合っても長所見つけ出して巧く使っていくから感心する。
前提として覚えてほしいというのは、発達障害の傾向がグラデーションで軽い重いの差はあれど、誰だって診断受ける可能性があるということだ。
発達障害というのはほとんどプレゼンテーションでいかにして発達障害かと説得して診断を勝ち取るという変わった問題があるが……。
知的障害については一応軽度であるが問題行動の多さから、困難を受けている。
それでなお、「支援受けた方がいい」という助言を受けると発狂する。まるで手に負えない、
危険度レベルとしては発達障害者100人の中でも1人、いや1000人の中で1人、測定不能ではあるが危険度レベルSSS級。
白黒思考の強い発達障害者は「みいちゃんと山田さん」で発達障害ヤバイ奴ってイメージ広がるの気にしてる様子も見られるが
あの漫画むうちゃんのように危険度低の子を対比的に描いているからそんなこともないと思うんだけどな。
少なくても、ガイジガイジアスペアスペと暴れまわってるみいちゃんが、みいちゃんみいちゃんと騒ぐようになるだけでもかなりマシになると思うんだが、いかがだろうか
アニメやドラマや映画などの映像作品に対する「厳しい感想」と「批評」は異なる。
詳細に悪口を書けば批評になると思っている人がいるが、それは誤りだ。
感想は「自分はどう感じたか」の話で、批評は「この作品はどういう構造で出来ているのか」を解きほぐす作業。
たとえば「脚本が雑でつまらない」と言うのは感想に近い。好きか嫌いか、満足したかどうかの話で、評価の基準があまり示されない。
一方で批評は、なぜそう感じるのかを作品の仕組みから説明しようとする。「人物の行動が物語の因果ではなく展開の都合で決まっているから説得力が弱い」と言うなら、それは構造の分析になっている。
批評をする時にだいたい見られるポイントは決まっている。まず、その作品は何をしようとしているのか。娯楽なのか、社会的な問題提起なのか、キャラクター劇なのか。ここを取り違えると、そもそも評価の軸がずれてしまう。
次に見るのは物語の構造。出来事に因果関係があるのか、キャラクターの動機が筋として成立しているのか、伏線やテーマがどう回収されるのか。多くの批評は、結局この脚本構造の話をしている。
映画やドラマでは映像表現、アニメなら作画も重要になる。カメラ、編集、構図、色、音、演技といったものが、どんな意味や感情を作っているのかを見る。広角レンズや歪んだ空間で不安を表す、といった読み取りは典型的な映像言語の分析。
その作品がどんなジャンルの流れにあるかも大事な視点になる。ゾンビ作品なら、過去のゾンビ映画との関係の中で見ることになるし、どこを引き継ぎ、どこを更新したのかが評価の対象になる。
時代背景や社会状況との関係も見られる。冷戦期のSFや、不況期に増えるゾンビ作品のように、作品は社会の空気をかなり反映している。
実際の批評はだいたい「この作品は何をしようとしているのか → どんな方法でそれを表現しているのか → それはうまくいっているのか → 他の作品とどう関係しているのか → 社会とどう関わっているのか」という順番で考えられる。つまり「意図、手段、成果、文脈」を追う作業に近い。
脚本や演出の構造を見るレベルがあり、その次にジャンルや歴史の中で位置づけるレベルがあり、さらに社会や思想との関係まで読むレベルがある。多くの批評は、この三層を行き来している。
よくある批評の失敗というのは、好みをそのまま絶対化したり、作品の目的を無視したり、ジャンルの文脈を知らないまま「ありきたり」と言ったりしてしまうケースだ。
https://digital.asahi.com/articles/ASV354QQDV35UHBI030M.html
スペインのサンチェス首相が4日、イラン情勢について行ったテレビ演説の日本語訳の全文は次の通り。(スペイン政府が発表した英語訳をもとに翻訳)
◇
中東で高まる危機に関するスペイン政府の立場と、私たちが実施している措置についてお知らせする。
ご存じの通り、先週土曜日(2月28日)、米国とイスラエルがイランを攻撃し、これに対しイランは地域内の9カ国と、欧州国家のキプロスにある英国基地を無差別に爆撃して応酬した。
何よりもまず、イラン政権による違法な攻撃を受けた諸国に対し、スペイン国民の連帯の意を表明したい。
その後も敵対行為は継続し、むしろ激化しており、住宅、学校、病院で数百名の死者を出している。さらに国際的な株式市場の暴落、航空網とホルムズ海峡の混乱を引き起こした。この海峡はつい最近まで世界のガス、石油の総量の20%が通過していた。
今後何が起こるかは、誰にもわからない。最初の攻撃を仕掛けた者たちの目的すら不明確だ。
しかし、(最初の攻撃を仕掛けた)推進者たちが言うように、これは長期化する可能性のある戦争であり、多くの犠牲者が出るかもしれない。経済面でも世界規模で深刻な影響を及ぼす可能性があることに備えなければならない。
スペイン政府のこの状況に対する立場は、明確かつ一貫している。ウクライナでも(パレスチナ自治区)ガザでも私たちが維持してきた立場と同じだ。
第一に、私たち全員を守る、特に最も脆弱(ぜいじゃく)な存在である民間人を守る国際法の違反を許さない。
第二に、紛争と爆弾だけで世界の問題を解決できると考えることに反対する。
要するに、スペイン政府の立場は「戦争反対」という言葉に集約される。
23年前、別の米国政権が私たちを中東戦争に巻き込んだ。当時、サダム・フセインの大量破壊兵器を排除し、民主主義をもたらし、世界の安全を保証するための戦いと名目上は説明された。しかし現実には、振り返ってみると逆効果をもたらした。それはベルリンの壁崩壊以来、私たちの大陸が経験した最大の不安定化の波を引き起こしたのだ。
イラク戦争はジハーディスト(聖戦主義者)のテロの急増、東地中海における深刻な移民危機、エネルギー価格の全般的な上昇、ひいては生活必需品の価格や生活費の上昇を引き起こした。
これが当時の欧州人への「アゾレス・トリオ」(編集注:2003年3月にポルトガル領アゾレス諸島でイラク開戦をめぐり会談したブッシュ米大統領、ブレア英首相、スペインのアスナール首相の3人)による贈り物だった。より不安定な世界と、より劣悪な生活だ。
確かにイラン戦争がイラク戦争と同様の結果をもたらすかは、現時点で判断するのは早すぎる。イランの恐るべきアヤトラ(宗教指導者)政権の崩壊につながるのか、それとも地域の安定化をもたらすのか。
しかし確かなのは、そこからより公正な国際秩序が生まれることも、賃金の上昇や公共サービスの改善、環境の健全化がもたらされることもないということだ。
現時点で予見できるのは、経済の不確実性の増大と石油、ガス価格の高騰だ。
だからこそスペインはこの災厄に反対する。政府の役割は人々の生活を向上させ、問題の解決策を提供することであり、生活を悪化させることではないと理解しているからだ。
その使命を果たせない指導者たちが、自らの失敗を隠すために戦争を利用し、さらにいつも通りの少数の者たちの懐を肥やすことは、絶対に許されない。世界が病院の建設を止め、ミサイルを生産するとき、利益を得るのは彼らだけだ。
こうした状況下で、(スペインの)進歩的な連立政権は他の紛争や国際危機と同様の対応を取る。
まず第一に、中東にいるスペイン人を支援し、彼らが望むならば祖国へ帰還する手助けをする。外務省と軍は昼夜を問わず避難作戦を調整中だ。
同地域の空域が安全でないこと、空港網が攻撃で深刻な打撃を受けていることから、作戦が極めて困難であることは明らかだ。だが同胞のみなさんは確信していい。私たちはみなさんを守り、必ず祖国へ連れ帰る。
第二に、スペイン政府は、この紛争が経済に影響をもたらす可能性に備え、家庭、労働者、企業、自営業者を支援するためのシナリオと、可能な措置を検討している。
我が国の経済の活力と、政府の財政政策の責任ある取り組みのおかげで、スペインは現在、この危機に対処するために必要な資源を持っている。
私たちには能力があり、政治的意志もある。パンデミック、エネルギー危機、そして最近の関税危機のときと同様に、関係者と手を携えて対応する。
第三に、平和と国際法の順守を推進する国々とは、これまで通り協力する。必要な外交的・物的資源をもって支援する。
私たちは欧州の同盟国と協調し効果的な対応を図る。ウクライナとパレスチナという、決して忘れてはならない二つの地域において、公正で永続的な和平を実現するため、引き続き取り組んでいく。
最後に、政府はこの戦争の停戦と外交的解決を引き続き要求する。
スペインは欧州連合(EU)とNATO(北大西洋条約機構)、そして国際社会の一員だ。この危機は私たち欧州人、ひいてはスペイン国民にも影響を及ぼす。
だからこそ米国、イラン、イスラエルに対し、手遅れになる前に停止するよう、最大限の責任ある対応を要求しなければならない。
何度も言ってきたが、改めて繰り返す。
違法行為に対して別の違法行為で応じることはできない。それは人類の大惨事につながるからだ。
20世紀の第1次世界大戦が始まる前の1914年8月(編集注:第1次大戦は1914年7月に開戦)、当時のドイツ首相が「第1次大戦はどう始まったのか」と問われた。彼は肩をすくめてこう答えたという。「私も知りたいものだ」と。
大きな戦争は往々にして、制御不能になった連鎖反応、誤算、技術的失敗、予期せぬ出来事によって勃発する。
だからこそ私たちは歴史から学ぶべきだ。何百万人もの運命を、ロシアンルーレットのように賭けてはならない。
この紛争に関わる国々は、直ちに敵対行為を停止し、対話と外交の道を選ぶべきだ。
そして私たちのような他の者は、一貫した行動を取り、ウクライナ、ガザ、ベネズエラ、グリーンランドについて語る時と同じ価値観を、今こそ守らねばならない。
問題は私たちがアヤトラ(イランの宗教指導者)を支持するか否かではない。(宗教指導者を)誰も支持しない。スペイン国民はもちろん、スペイン政府も決して支持しない。
問題は、私たちが国際法の側に立つか否か、つまり平和の側に立つか否かだ。
スペイン社会は常にイラクのサダム・フセイン独裁政権を非難してきたが、それはイラク戦争への支持を意味しなかった。なぜならそれは違法であり、不正義であり、解決を掲げた問題のほとんどに真の解決をもたらさなかったからだ。
同様に私たちは、特に女性を含む市民を抑圧し卑劣に殺害するイラン体制を非難する。
このような私たちを、考えが甘いと非難する者もいるだろうが、考えが甘いのは暴力こそが解決策だと考えることだ。考えが甘いのは、民主主義や国家間の尊重が廃虚から生まれると信じることだ。あるいは無分別で卑屈な追従こそが、指導力だと考えることだ。
私たちの立場は決して考えが甘いのではなく、むしろ一貫していると考えている。
私たちは、世界の害となる行為や、私たちの価値観や利益に反する行為に、単なる報復への恐れから加担することはない。
なぜなら私たちは自国の経済的、制度的、そして道徳的な強さに絶対的な自信を持っているからだ。そしてこのような時こそ、スペイン人であることをかつてないほど誇りに思う。
私たちは困難を認識している。しかし、未来は決まっているわけではないことも知っている。
多くの者が当然のこととして受け止めている暴力の連鎖は、完全に回避可能であり、人類はアヤトラ(宗教指導者)の原理主義も戦争の惨禍も乗り越えられるのだ。
この希望を私たちだけが抱いていると言う者もいるだろうが、それもまた真実ではない。
国連憲章と共に立つ。
国際法と共に立つ。
戦争と不確実性ではなく、より多くの平和と繁栄をもたらす未来を求めている欧州、北米、中東の数百万の市民と共に立つ。
どうもありがとうございました。