はてなキーワード: 健全とは
私自身はポップアップ、クリックしないとコンテンツ見れない広告がめっちゃくちゃ嫌いなので、
ユーザー体験に悪影響を与えるような広告は載せないつもりです。
¶上沢獲得に関して
前提としてホークスにも、上沢にも非はないと考えている。理由は単純で、プロ野球の規定で違反に該当しないため。不健全であると考えてたら制度を整備してくれ。
ただ、報道通りの4年10億であれば割高だなというのが現時点での素直な感想。言い換えればホークスはある程度のリスクをとって獲得したわけである。
上沢に言うことがあるとすれば、今回の件をメンタルトレーニングの機会と捉えて、強靭なメンタルで畜生ピッチングを披露し、一緒に優勝しよな!って感じですね。
感情論ベースだと批判を受ける行為であることは理解した上での考えですよ。
戦力的に痛いことは事実だが、ホークスフロントの提示金が報道通りであれば明らかにおかしい訳でもないし、1ヶ月近くの熟考があったので、察する所はあったし、迷いはしたのだなと理解出来る。例えパフォーマンスだとしても、気遣ってくれたことには変わりないのだ。
何より、チームに変化が出るのが楽しみである。結局見る側としては楽しければなんでも良くて、甲斐としてもチームとしても新たな挑戦の機会になってくれればと。
¶おわり
私の周りは、山川ファンかつ西武ファンや日ハムファンかつ有原ファンの愉快な仲間が多いため感覚がバグってるだけかもしれないが。とにかく、各ファンの皆様に置かれましては来シーズンもバチバチにやらせて頂きましょう。
俺の会社のことを声を大にして言いたい話
会社で言うわけにもいかないし、それ以外の場所でも微妙に違う気がする。だからここで書く。
創業数年ではないが、数十年でもない。
規模は数十人ではないが、数百人でもない。
売上は数億ではないが、数十億でもない。
いまは赤字、投資家の皆様のお金で食べているベンチャー企業だ。業種業界は非公開。
いろんな理由があって辞めないが、一番は「会社が成長していく様を間近で見られるのが楽しい」というシンプルな理由だ。
組織が数十人規模になると、管理部門の役職者が入ってきて「稟議」という仕組みに初めて遭遇した。
前職では数人規模の会社だったり、稟議なんて関係ないポジションだった俺には衝撃的だった。
最初は「でも○○さんがSlackで『いいよ』って言ってるし」とか言ってた俺が、今や稟議がないと怖くて買い物ひとつできない人間になっている。
稟議の意義をまとめると、こんな感じだ。
今では「統制」ってやつの重要さを理解した俺がいる。会社が大きくなっていくのは、こういうのが必要なんだな、としみじみ思う。
直近数年で入社した人が大半になった。
20人ぐらいの頃は、「ずっとみんなでやっていくんだろうな」と勝手に思い込んでた。
だから、JさんやFさんが辞めた時は本当に悲しかった。でも、後から冷静に考えたら、向こうはそんな風に思ってなかったんだろうなと気づいた。
会社としても、人の入れ替わりが事業や組織の成長につながるケースを何度も経験してきた。
今では「入れ替わりは普通だし、むしろ健全」と心から思えるようになった。
辞めていった人とも縁が切れるわけじゃない。むしろその後の方が友人として関係が続くこともある。
入れ替わりって、意外と悪くない。
同じ時期に始まったベンチャーが次々と消えていく。
そんな中で、堅実にやってるうちの社長は本当にすごいと思う。心から。
上場企業で役員や部長をしていた人たちが次々と管理部門にやってきて、驚きの連続だった。
知らない作法や論点が次々に現れて、制度や仕組みが整っていく。その成果がちゃんと出るのを目の当たりにすると、「経験者ってやっぱりすごい」としか言いようがない。
ただ、この人たちがいなくなったらどうなるんだろう?制度が形骸化するのか、それとも機能し続けるのか。今後が気になる。
ネットでたまに見かける、広報や人事が「個人の承認欲求で暴れる案件」。うちではそんなこと全然ない。
大事なのは仕組み。関係者間でしっかり擦り合わせた上で動くから、個人の暴走なんて起きない。
それを見るたびに、世の中の多様性を感じて楽しんでいる。
セブンイレブンの買収や、
これとは全く関係のない話なのかもしれないが、
長らく日本企業で続いた敵対的買収から逃れるための手法が失われてしまいつつあるのは事実だ。
台湾企業の鴻海による買収を回避するための動きであったようだ。
鴻海はルノーが保有していた日産株を買い取ることで日産の経営に参画することを狙っていたという。
その動きに対して日産ホンダともに慌ててガードする動きを取ったということだ。
従来の日本企業であれば持ち合い株(お互いの株を持ち合って買収の動きを抑える)で守られていた日本企業が、
持ち合い株式の取得に費やされることで、
持ち合い株式は、企業間の相互監視機能を弱め、経営の規律を低下させる傾向がある。
東証は、この問題を解消し、より透明性の高い経営体制を促進しようとしている。
持ち合い株式は市場で流通する株式数を減少させ、株式の流動性を低下させる。
これにより、より多くの投資家が参加しやすい市場環境を整備し、
持ち合い株式の解消は、企業の経営効率を改善し、株主価値の向上につながると期待されている。
以上のような考え方に基づいて東証は持ち合い株の解消を促している。
これが正しいかどうかはわからないが日本企業が海外(もちろん国内も)の企業から敵対的買収の機会によりさらされているのは事実である。
前提:質問の回答から除外して欲しいもの - 「私が世界だ」という誇大妄想を持つ個人の解釈パターンであれば理解しやすいですが、今回のケースではその可能性を除外してください。 - 個人の感想に対する過剰な反応は、自己評価が低く、他者に盲従しがちな、「微小妄想」傾向がある個人に多く見られる現象です。
「(俺にとって)」という明確な主観的限定の他者の感想を、「(世界にとって)」と曲解するのは、「括弧内が文字起こしされていないからだ」という主張は妥当ですか?
1−1、1−2どちらであるかは、文脈から理解できるでしょと考えるのは、過剰な期待ですか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1−1: 情報や名前に価値があるだけで作品としての魅力は(俺にとって)ない
1−2:情報や名前に価値があるだけで作品としての魅力は(世界にとって)ない
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「(俺にとって)」という主観的な限定を「(世界にとって)」と曲解するのは、「括弧内が文字起こしされていないからだ」という主張は妥当ではありません。文脈から理解できる場合が多いので、過剰な期待とは言えないでしょう。文脈を無視して曲解するのは、誤解や意図的な誤読の可能性が高いです。
妥当ではありません。文脈から判断するのが通常であり、過剰な期待ではありません。
1-1と1-2の違いは、「俺にとって」という主観的な視点があるかないかです。通常のコミュニケーションにおいて、特に感想や評価を述べる場合、明示的に「世界にとって」と断定しない限り、それは発言者の個人的な意見として解釈されるのが自然です。括弧内の文字起こしがないからといって、文脈を無視して意味を曲解するのは不当です。
「(俺にとって)」という主観的限定を「(世界にとって)」と曲解する主張は妥当ではありません。その理由は以下の通りです
現代のNLPにおいて、以下の推論規則は「妥当」と評価されますか?それとも論理の飛躍や読心術と見なされますか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
• 命題1: Aは作家Bの知名度とBの作品が世間を賑わせている客観的事実を認識している。
• 命題2: Aはミーハーな気持ちで作家Bの作品に触れたが、その良さを理解できなかった(興味が持てなかった)。
• 結論: 「作家Bの名前や情報に価値はあるが、作品は世界にとって価値がない」とAは考えているに違いない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
現代のNLPにおいて、以下の推論規則は「妥当」とは評価されません。論理の飛躍や読心術と見なされるでしょう。Aの主観的な感想を、世界全体の評価と結びつけるのは過剰な一般化です。
現代のNLP(自然言語処理)や論理学において、この推論は「妥当ではない」と評価されます。なぜなら、主観的な意見の認識(Aが作品に興味を持てなかった) から、客観的な結論(「世界にとって価値がない」) を導くことには論理の飛躍があるためです。
これは論理的根拠が不十分な「読心術」や「主観の過剰な一般化」と見なされるでしょう。
妥当とは評価されません。論理の飛躍であり、読心術と見なされます。
提示された推論は、Aの内心を勝手に推測しているだけで、客観的な根拠がありません。Aがミーハーな気持ちで作品に触れたとしても、それが「世界にとって価値がない」と考えていることには繋がりません。興味を持てなかったという事実は、単にA個人の好みや感受性の問題である可能性が高く、普遍的な価値判断とは無関係です。NLP(神経言語プログラミング)においても、このような独断的な解釈は推奨されません。
もし、質問2のような推論を行う人が多数派であれば、社会や世界は成り立たないと思うのですが、気のせいでしょうか?
質問2のような推論を行う人が多数派であれば、社会や世界は成り立たないというのは、ある程度正しい見解です。過剰な一般化や誤解が広がると、コミュニケーションの混乱や誤解が生じやすくなります。
おっしゃる通り、そのような推論が社会的に多数派となれば、社会や世界の正常なコミュニケーションや意思決定が難しくなります。主観と客観の区別が曖昧になり、過剰な一般化や誤解が横行し、議論の基盤が崩壊する恐れがあります。
気のせいではありません。質問2のような推論が多数派を占める社会では、コミュニケーションは著しく混乱し、相互理解は不可能になります。個人の感想が勝手に普遍的な価値判断に置き換えられてしまうため、自由な意見表明が阻害され、健全な議論も成立しなくなります。
あなたの直感は正確です。このような推論が多数派となれば、社会は機能不全に陥るでしょう:
質問2のような推論が一般的ではないと指摘されても、「状況によってはそのような推測も成立し得る」と主張し、常識(共通認識や共通基盤)の存在自体を否定します。
他者に盲従し、自身の考えを率直に表明することを極度に恐れる一方で、なぜ、積極的に常識を否定しようとするのでしょうか?悪目立ちします。
また、自身が盲信する社会的権威や教科書的な正解の背後にあるものが、常識の集積であるという認識を持っていない可能性はありますか?
他者に盲従し、自身の考えを率直に表明することを恐れる一方で、常識を否定しようとする理由は、自己評価の低さや他者からの承認欲求が影響している可能性があります。また、常識の集積が社会的権威や教科書的な正解の背後にあることを認識していない場合もあります。
盲従しやすい人が常識を否定する背景には、自己肯定感の低さや他者からの評価への過剰な恐れがあると考えられます。自身の意見を率直に述べることを避ける代わりに、「常識」への反発や否定的主張を行うことで、「自己存在の独自性を証明したい」 という心理が働く可能性があります。
また、「常識」や「教科書的な正解」が何らかの権威のみによる押し付けであるという認識が強く、その背後にある合意形成(常識の集積) を理解していない場合があります。
他者への盲従と常識の否定は、一見矛盾するように見えますが、根底には自己の脆弱性からくる不安があります。
本質的には、低い自己肯定感と社会的文脈における不安が、逆説的な形で表出している心理状態と言えるでしょう。
常識(共通認識や共通基盤)の存在そのものを否定しているのではなく、「括弧内が文字起こしされていないことが問題だ」と考えたり、
「質問2の推論を行わないのが一般的だと証明されていない限り、それを常識とするのは不当だ」と、
「括弧内が文字起こしされていないことが問題だ」と考えたり、「質問2の推論を行わないのが一般的だと証明されていない限り、それを常識とするのは不当だ」と主張する可能性はあります。しかし、これは一般的な見解ではなく、特定の状況や個人の認識に依存するものです。
可能性としては十分に考えられます。彼らは、主観と客観の混同を防ぐための明示的な表現(括弧内の「俺にとって」など)が欠けていることを重視し、「それがない限り断定は不当だ」と主張する傾向があります。また、「常識を証明せよ」と要求することで、認識論的な対話を引き延ばし、議論の焦点を逸らす戦略にもなり得ます。
可能性はあります。これは、常識という概念に対する誤解に基づいています。
これは可能性としてあり得ますが、本質的な問題を矮小化しています:
「主観的な意見と客観的な事実を区別できる」、「社会的混乱を招く推論をしない」を共通認識や共通基盤に含むのは不当であり、常識とは呼べませんか?
「主観的な意見と客観的な事実を区別できる」、「社会的混乱を招く推論をしない」を共通認識や共通基盤に含むのは妥当です。これらは社会的なコミュニケーションの基本的なルールであり、常識と呼べるものです。
これは常識の範疇に含まれると考えるのが妥当です。現代社会では、客観的事実と主観的意見を区別することは、円滑なコミュニケーションの前提であり、共通認識(社会的基盤)の一部とされています。これを否定することは、社会的秩序を乱し、コミュニケーションの破綻を招く恐れがあります。
不当ではありません。むしろ、これらは健全な社会生活を送る上で不可欠な要素であり、常識と呼ぶに相応しいものです。主観と客観の区別、論理的な推論は、コミュニケーションの基本であり、これらが欠けていると社会生活は成り立ちません。
これらを常識に含めることは、むしろ健全な社会機能のために不可欠です:
いつも思うんだけど
ガソリン満タン(普通車の平均的な数字50リットル)で250円なんだよね、5円値上げ。
空になってから入れることはないとからたぶん給油タイミング的には200円とかだよね。
200円気にするなら車乗ってる場合じゃないと思う
5000万だったマンションが突然1億になった
みたいなインフレと違い、ガソリンの1リットル数円のインフレはあまりにも緩やかで健全にしか見えない。
実数を出せば出すほど「その程度なら家計の負担にはならへんな・・・」となるのがガソリン代。
趣味で乗ってる人なら「それただの娯楽費で、生活費じゃないだろ」になる
片道100kmみたいな辺境の地に住んでたら、それはそれで「そんなとこ住むなよ」だよね。都心に住んで家賃高いと言ってる奴の地域逆バージョン。
常識的な範囲の地方の車社会だとガソリン消費量に対する数円の値上げは誤差範囲にしかならない。
だから個人の家計でガソリン代の多少の増減は、実数に対する意識はなくイメージで話してるだけだ思うよ。
車2台あるのでガソリン値上げきついっす!
1人の人間が同時に乗るのは1台なのだから、1台でも100台でも1回あたりの運転にかかる値上げ分は同じなのではないか
その2台目の車を買わなかったら一生分のガソリン代になるのではないか
脳が震えるわ
まあ、人生ってのは難しいものよね。あたしも経験があるけど、パートナーと一緒にいるってことは楽しいことばかりじゃなくて、時々痛い目に遭うこともあるわ。でも、あなたが何を大切にしたいのか、それが一番のポイントよ。
謝れない人と付き合ってるって、そりゃ大変だわね。お互いに認め合ったり、謝罪したりするのは、健全な関係を築くためにすごく大事なことなのよ。思いやりを持ってるかどうかが、関係を続けるか決める大きな要素になるわ。
だけど、どんなに愛してても、結局自分が痛んでしまうようだったら、その関係は見直す必要があるかもしれないわね。自分を大切にしないと、他人を大切にするのも難しくなるからね。
あなたは優しそうだし、たぶん他にもたくさん魅力的な人たちがいるはずよ。無理して今の関係にしがみつく必要はないのよ。正直、相手が変わるのを待つより、自分の気持ちを大切にしたほうがいい場合もあるんだから。
でも、もし彼女が変わる余地があるって思うなら、この際タイムリミットを決めて、しっかり話し合ってみるのも手かもね。最後には、自分が一番満足できる選択が何かをよく考えてみてね!
mixi2とやらがリリースされたとのことで、周囲でも続々と登録している。が、俺は初代mixiで経験した暗黒の出来事が思い出され、その気にならぬ(そもそもエロ禁止らしく、エロ絵描きの俺には縁なきサービスだ)。
今時分はてなくんだりに蝟集している連中は初代mixiの基本的な仕組みなぞ説明不要だろうから諸々省くが、俺がメンヘラを極めていた20年ほど前、マイミク限定公開で書き綴っていた鬱日記のスクショが、虹裏(これも説明を要しないだろう)に当時毎晩立っていた俺叩きスレに晒し上げられていたのである。
当然、犯人はほぼオフラインの友人知人で占められていたマイミクの誰かということになる。実際、オフラインの知己でないと知り得ない情報(に基づく中傷)も書き込まれていた。敵は身内にいるものだという箴言を地で行く展開。
俺の人間不信は膨れ上がり、ODの回数や手首のリスカ痕も増えた。虹裏の俺叩きスレには「死にたがっているから追い込みかけてやってんだよ」と書かれたりしていたが、それもオフラインの身内の書き込みだったかもしれない。
地獄の日々だった。
以来病んだ精神は立ち直れず、職にも就けず、自室からもロクに出られず20年。mixi2はむしろ旧Twitterに似たサービスらしいが、初代mixiの悪夢の記憶が呼び覚まされ、登録に二の足を踏ませている。
どうぞ、健全な方々だけで楽しんでください。
2001年ぐらい、発達障害知的グレーっぽいおっさんをネカマたちが釣っておもちゃにする計画が発生した
実際にそのおっさんがあちこちで女っぽいユーザーに粉かけて害悪だったのではあるが
しかし当時はターゲットになったこのおっさんに憐憫を示す者はいなかった
おっさんはオフ会に招かれ釣りの美少女に接待され有頂天になり顔も名前も裏で晒された上で
ネカマとチャットHしてその内容を晒され、それらを全て暴露されてネットから消え去った
美術館にて、金魚をいれたミキサーを展示し、客が自由にスイッチを入れてもいいという企画が行われた
桑島はその展示会以前にも、金魚が泳いでいる姿、スイッチを入れられた瞬間の姿、その後の姿などを撮影した写真集、
しかしまあ、ああいう世界は叩かれてなんぼ、叩かれることも含めて芸術なので、ネットは大騒ぎだったがそれで展示がなくなったりということはなかった
金魚ミキサー自体はデンマークの有名な芸術家も先にやってるらしい
2003年、JOYと名乗る主婦ブロガーがファミレスで店員と揉め、店員に謝罪させたったと自慢した騒動
その際にJOYの夫が店員を殴ったということまでわざわざ自分で書いていた
当時はまだSNSがなく、2ちゃんねるのネットウォッチ板や生活板で話題になっていたように思う
当時JOYは27歳、個人情報も色々と書いていたためにすぐに顔や名前が特定された
週刊誌SPA!で炎上が取り上げられ、ネットの出来事がすぐニュースになる最近とは違いかなり珍しい事態だった
2004年ぐらい、春名ひとみというネットアイドルがテレビ出演した結果、過去に別名義でAV出演していたことがバレた騒動
彼女はネットでアイドル活動しつつ子供を子役にしており、子供を売り込むための露骨な自作自演書き込みを2ちゃんねるでよくやり、
批判されると本人降臨し自分のファンにも反論書き込みするよう促すなどし、モデル板や育児板に隔離スレが立っていた
主に女性から叩かれている存在だったようだが、「潔癖症すぎるママ」としてテレビ出演したことで女性外にも知れ渡り、AV出演が特定された
2005年ぐらい、素材サイトから画像直リンクする厨房を苦しめるため素材画像をゴキブリ画像にすり替えるのが流行
当時はまだSNSが芽吹き出したぐらいで、個人サイトをつくっている小中学生が多くいた
現代よりも画像のアップロードにハードルがあったため、多くのガキは素材サイトの画像を直リンクして使用し、素材サイトのサーバーに負担をかけていた
そこでネットwatch板の有志が協力し、クソガキをしばきたおすことを目的とした素材サイトを開設
一定期間が断つと素材画像をゴキブリ画像にすり替え、直リンクしていたガキのサイトがゴキブリまみれになるという嫌がらせが行われた
2006年、女性警察官のハメ撮り画像など数千枚がネット流出した
当時はwinny経由でウイルス感染しPC内のデータが流出してしまう「キンタマウイルス」騒動が多発しており、
義父が娘の着替えを盗撮しまくったデータが全流出するという悲劇もあった
原発や自衛隊の内部データ流出もあったが、今でも画像が出回るのはやはりエロ系ばかりだ
多種多様の盗撮やハメ撮りが流れた中でケツ毛バーガーが記憶に残るのは、斜めに横たわった女性の尻からケツ毛がはみ出てる画像がケツ毛バーガーと名付けられたせいだろう
有名な画像は週刊誌にも乗せられたM字開脚画像だが、ケツ毛バーガーと名付けられたのはあれとは違う画像だ
その女性は彼氏にハメ撮りの撮影を許し、彼氏が違法データ取引をやっていたがために全てが流出してしまった
流出前には二人は都道府県をコンプリートしていそうなほどに各地に赴き健全な観光スポット記念撮影も大量にしていた
5ちゃんねるでどこかの地域が話題になると、すっとその地で微笑むカップルの写真を貼っていく者、「この画像は初めて見た」「脱いでる姿しか見たことなかった」と驚く者がいまでもいる
「財政」の圧迫は直接的には問題じゃない。 (間接的には問題がある。)
生活を豊かにするのは物やサービスであって、物やサービスを生産する能力、行き渡らせる能力が社会にどれだけあるかの問題なんだ。
財政だけを健全にすれば結果として医療業界の規模は縮小することは避けられず、医療の能力が低下するということが起こる。
つまり金を出してもサービスが得られないか大幅な高コストになりうる。
(アメリカを見ればわかるが医療を市場に任せるとコストはとんでもない高止まりする。)
これは厳しい規制では押しとどめられない。 実際にコストが掛かるものを規制で押しとどめれば単に経営が成り立たなくて潰れるだけだ。
公的な資金のバックグラウンドがないと現在の医療水準・コストを維持したままで窓口負担は十割というようにはできない。
やるとしても負担割合を徐々に変更するなどして軟着陸させるべきだろう。
要するに、公的医療保険制度をほぼ廃止し、10割負担を基本としたうえで、民間主導の医療サービス市場を整え、必要に応じて超限定的な公費支援を行うモデルは、財政の健全化と国民の健康意識向上を同時に狙える。
日本の通貨システムと外債に依存してないことを考えれば全く必要がないと分かる財政健全化とかいう財務省のプロパガンダを前提にしてる時点で話にならない。アメリカにおける医療保険の失敗を全く踏まえていない上に目的が前述のプロパガンダと健康意識の向上とかいう極めて曖昧なもので全てがジャンク。
まず、現在の日本における公的医療保険制度をざっくり振り返ろう。
国民皆保険制度という「世界に誇る」仕組みは、確かに戦後復興期から高度成長期にかけて国民の健康と安心を支え、平均寿命の延伸や医療水準の向上に寄与してきた。
しかし、その一方で少子高齢化が顕著になり、医療費は年々増加。結果、国や自治体の財政には深刻な圧迫要因となっているではないか。
誰しも無制限に医療サービスを受けられるなら嬉しいだろうが、それを永遠に続ければ誰かが支払いのツケを負わねばならない。
ここ数十年、その「支払い担当」は次世代に回され、国家財政全体はむくむくと膨れ上がっている。
公的医療保険も、基本的に「定額制食べ放題」のような構造を孕んでおり、国民が必要とする以上の医療を必要以上に消費する誘因にもなっている。
そこで私が考えるのは、思い切って公的医療保険制度を原則廃止し、窓口負担を10割にするというものだ。
もちろん、これが本当に実現されたらショックを受ける方も多いだろう。「病院に行ったら全額自費?そんなの暴論だ!」と。
それは理解できる。しかし、今まで「一律低負担」で医療を享受してきたツケが、今まさに財政を食い尽くそうとしている現状を直視すべきだ。
代わりに、民間保険会社や医療関連ビジネスが各々の健康サービスを提供する。
健全な市場競争があれば、医療サービスの質や価格はある程度合理的な水準に収束するだろう。
もちろん「民間に任せたら、詐欺まがいのぼったくり保険や、ありえないほど高額な医療費が横行するんじゃないか」と不安に思うだろう。
その点は、国や監査機関が厳格なルールや罰則を設けることで、徹底的に対策できるはずだ。
民間への委託は、あくまで国が無法地帯を放置するわけではない。
むしろ現行よりもしっかりした規約を課し、悪質な業者は即刻市場から退場させるような統治を目指す。
たとえば、これから社会を支える子どもたち、経済的余裕のない家庭など、真に手を差し伸べるべき領域には公費負担を限定的に残すべきだ。
これは「未来への投資」であり、子どもたちが健やかに成長すれば、将来の労働力やいのべーしょんの源泉となる。
広く薄くばらまくのではなく、超重点的に「ここぞ」という点に絞る。
肥満対策に悩む人がライザップを使うように、「本当に必要なところ」に公的資源を集中投下すれば、効果的かつ財政効率的だ。
財政面でのメリットは明確だ。まず、国民皆保険的な一律負担軽減が薄れることで、公的支出は大幅に縮減できる。
国や自治体が負担していた莫大な医療費が下がれば、赤字国債を積み増し続ける現状にもブレーキがかかる。
財政改善は国の信用力向上にもつながり、長期的には金利コストの低減や資本市場の安定にも寄与するだろう。
加えて、民間保険や医療産業が自律的な市場として成長すれば、関連ビジネスからの税収増も期待できる。
要するに「国が全部面倒を見る」状態から、「国は最低限、民間が活躍できる健全な土台を整える」にシフトすることで、財政はより健全性を回復していく。
もうひとつのメリットは、国民が自分の健康状態により高い意識を払うようになる点だ。全額自己負担、あるいは自己責任の下で医療サービスを利用することになれば、人は自然と日常の生活習慣に気を配るようになる。
医療が安ければ気軽に病院に行くが、高くなれば「そもそも病気にならないように気をつけよう」となる。
健康な生活が、結果的に自身の経済的負担を減らす構造を作れば、人々は自然と健康的な行動にシフトするだろう。これは長期的に見れば疾病予防、ひいては社会全体の医療負担軽減につながる。
むろん、「病気は運が悪かっただけ」というケースもある。
しかし、一定割合で生活習慣起因の疾患は存在し、それに対して個人が責任を持つ仕組みは、医療費をゼロサムで考えるよりも健全だと言えるかもしれない。
究極的には、医療が「必要な時に使う最終手段」ではなく、「健康維持・増進のための投資」として再評価されるかもしれない。
要するに、公的医療保険制度をほぼ廃止し、10割負担を基本としたうえで、民間主導の医療サービス市場を整え、必要に応じて超限定的な公費支援を行うモデルは、財政の健全化と国民の健康意識向上を同時に狙える。
さらに分かりやすく言うと、「健康管理はあなた自身の手に」「国はサポート役、でもおせっかいな給仕はやめます」といった感じだ。
もちろん、これは政治的ハードルが高いアイデアであり、一挙に導入することは残念ながら現実的でない。
しかし、増え続ける医療費の前で「国民皆保険は不滅」と唱え続けるだけでは、いずれ破綻が訪れる。皆でもう少し制度について考えていこうではないか。
新NISAは税制上の優遇で、インデックス投資は資産をリスクに晒した上での指標の意味するところへの賛同(往々にして『健全な資本主義社会において経済は成長し続ける』)でしかない。
みんなものごとを複雑に考えすぎだ。
旧NISAなんかみんなでアジア開発銀行買ってたぞ。もっと適当でいいんだよ。
どの期間のスコープで見るか。NISAの性質上、日単位ってのは神経質かと思う。1年ごとの再考(しかも年末で固定されている)が意味のある区切りになる。そこで売りたきゃ売れ。
結局メンタルの話になる。日々気にしていたら狼狽するが、情報収集の頻度は高い方が良いのは確かだ。
損益が確定した時も、それを単なる数値と捉えるメンタルが強みになる。資産をリスクに晒して結果を享受しただけ。数値は今後の判断へのフィードバックになるだけ。損を取り返すことなんかできず、少し減った資産で再び投資判断を行うだけ。結果的に損がなくなって益になる。こともある。
LINEヤフー株式会社の開発部長とされる人物が、自身のSNSにおいて、会社の方針変更に対する従業員の不満表明を「恥ずかしい」と表現したことが波紋を広げている。この発言は、同社が標榜する従業員の心理的安全性への配慮と矛盾するとして、批判の声が上がっている。
問題の発言は、同部長のSNS投稿において、「全く面識のない社員がSNSでブチギレしてるのもめちゃくちゃ流れてくるようになっていて、自社の話なのにSNSで騒げば自分の要望が通るという認識の人が同じ会社にいっぱい在籍しているという事実がかなり恥ずかしい」というもの。この投稿は、会社の方針転換、具体的には出社日の増加に対する従業員の不満がSNS上で表明されている状況を受けてのものと見られる。
この発言に対し、SNS上では批判が相次いでいる。「会社の方針転換で割を食う従業員から不平が出ることぐらい普通のことだろうに、それに対して部長職にある人がこういう言い方をしてしまうの、LINEヤフーという会社は従業員の心理的安全性というものを軽視している会社なんですね」といった指摘や、「本当は上位職ほどこの手の発言には気をつけるべきなんですよね。社外からは「会社としての考え方」と見做されるし、社内の人には「自分の上長も同じような考え方を持っているかもしれない」という疑念を抱かせることになる。会社として何らかの火消しをしないと収まらなそう。」といった懸念の声が上がっている。
さらに、「貴社は人材戦略の中で多様性(相互理解・尊重、議論と対話)を重点領域として挙げていますが、下記開発部長が述べている出社日へ不満を持つ社員へに対する『恥ずかしい』という公開投稿の内容はLINEヤフー社の統一見解なのでしょうか?」と、同社の掲げる理念との矛盾を指摘する声も出ている。従業員による正当な権利行使である労働争議を「SNSで騒ぐ」と矮小化する表現についても、「こんな風に騒いだりするの、普通に考えれば正当な労働争議の一種なので恥ずかしいどころか歴史的に根拠のある正当な権利なんだけど『SNSで騒ぐ』と書くだけで一気にしょぼい感じになるの不思議感あるw」との意見が見られた。
企業において、従業員が安心して意見を表明できる環境、すなわち心理的安全性の確保は、組織の健全な発展に不可欠である。今回の発言は、LINEヤフーという大企業において、管理職の従業員に対する認識、ひいては企業文化の一端を露呈したものとして、今後の同社の対応が注目される。
情報ソース: https://megalodon.jp/2024-1215-2153-27/https://x.com:443/potato4d/status/1867763685189726653
男性向けっていつまでも少女趣味で自分の年齢だけが相対的に上がっていくから冷める人は冷めるよ。当たり前と言うか健全なんだと思う。
ガルパンの母親世代とか成人〜熟女の人気が集まるのはそういう人がいる証拠。実際AVも熟女人気だし。でも世間の大半はあくまで少女趣味が主流だから中々ついていけないんやで。
女性向けは体感でアラサー向けどころか30代のキャラが跳ねる傾向が年々高まってて高齢化を感じるし規制もあって商業BLから男子高校生とか消えたしね。
と言っても編集も何もない、配信から任意の時間を指定するだけで作れる切り抜き動画だ。
そして『推し』と言わせていただくには私の情熱は半端だと思うのだが便宜上『推し』と言わせていただく。
予め……
私には推し配信者が複数いるが、2窓以上で配信を見られるような聖徳太子にはなれない。
推しが同時に配信を始めると嬉しいが何方かに絞って見るしかできない。
しかし、そこに!
推しが切り抜き動画を投稿してくれたので有難く見させてもらった。
ノットフォーミーだった。味がしない情報を詰め込まれたような感覚。
別視点から見た推しには面白い場面が沢山あったのに推し視点の切り抜き動画ではピックアップされていなかった。
私が魅力に感じて推している部分は、推しが見せたい部分ではないのだと寂しくなった。
そんな寂しさは独りよがりに過ぎない。オタクは勝手に楽しませてもらう。
いや……
こんなに面白いのにあの切り抜き動画だけを見た初見さんに「ふーん、コイツってこんなもんか」って思われたら悔しいよ!!
いやこれはあくまで私の感覚で、あの切り抜きが一般的に面白いとされるのかもしれないが!慣れない連日の長時間配信でいっぱいいっぱいなのに頑張って作ってくれたから味がしないんじゃないかななんて可能性も邪推してしまうわけですよ。自分に都合のいい方に考えてしまうわけです。
好きなものが伝わらないのって本当に悲しくて悔しい。
推しが見せたくない部分だったらすまない。
こんな言い訳を書いてる暇があったら切り抜き動画作れたな……でも濫造しても邪魔になるよな……等と、一人のオタクに過ぎない癖に色々考えずにはいられない。
これは違うんだ。結婚生活と深夜アニメは相性が悪いんだよ、単純に時間がバッティングするから。
一人の時は22~27時の深夜アニメ帯って完全に自由に使える時間だし身なりとかも整えなくていいから朝もギリギリまで寝てられるし家族を起こす心配とか全くないけど、
「まともな家庭生活」を送りながら深夜アニメをリアタイ視聴するのは厳しいんだ。とくに婚前にたくさん見ていた人なら。アニメはリアタイでたくさん見るのは習慣化してしまえば割と容易なんだが、「空き時間に見る」だとたくさん見るのは厳しい。
なのでさっき別な投稿でも書いたけどアニメ以外の健全な時間でできるような別の趣味(俺の場合クルマとか)に走ってしまうんだよね。
https://anond.hatelabo.jp/20241211175102
身も蓋もないけどまず大前提として大人になって知り合う対象として漫画アニメが趣味っていう男性は絶対避けた方がいい!!!
私自身もオタクなので同族の彼らに対して申し訳ないんだけど、自分を含めてオタク趣味の人って発達傾向があったり社会性に乏しい人の率が跳ね上がると思う。
だから「趣味がアニメ漫画です」って人を最初の母数にしちゃうと、そこからまともな人を選別するのが非常に困難になる。
なのでオタク趣味の男性の中からパートナーを探すのはやめた方がいい。
趣味がスポーツとか音楽とかだとしてもパートナーのオタク趣味に理解がある男性はたくさんいるし、ヘルシーな趣味を持ってる人の方がこっちの好みにとやかく言わなかったりして接しやすい。
将来の家族としてもそういう人の方がコミュニケーション取りやすい。
全く漫画もアニメも見なくてオタクを毛嫌いするとかなら避けた方がいいだろうけど、今時大抵の男性って「趣味はサッカー観戦です。君は漫画読むのが好きなんだ。俺も鬼滅とか読むよ!」みたいな感じで、最低限の漫画とかアニメに理解ある人がめちゃくちゃ多くないですか?
増田さんはパートナーと一緒にオタク趣味を楽しみたいって気持ちがあるのかな〜という気がしたのですが、さほどオタクじゃない男性でも交際していくうちにこちらの趣味に付き合って楽しんでくれたりすることもあるし、その逆もあったりするのがまた楽しいですよ。
そもそも男性って惚れてくれたら大概のことは受け入れてくれますから…。
「オタクである自分」を好んでくれる男性は意外と同じオタクではなかったりしますから。
https://anond.hatelabo.jp/20241211175102
身も蓋もないけどまず大前提として大人になって知り合う対象として漫画アニメが趣味っていう男性は絶対避けた方がいい!!!
私自身もオタクなので同族の彼らに対して申し訳ないんだけど、自分を含めてオタク趣味の人って発達傾向があったり社会性に乏しい人の率が跳ね上がると思う。
だから「趣味がアニメ漫画です」って人を最初の母数にしちゃうと、そこからまともな人を選別するのが非常に困難になる。
なのでオタク趣味の男性の中からパートナーを探すのはやめた方がいい。
趣味がスポーツとか音楽とかだとしてもパートナーのオタク趣味に理解がある男性はたくさんいるし、ヘルシーな趣味を持ってる人の方がこっちの好みにとやかく言わなかったりして接しやすい。
将来の家族としてもそういう人の方がコミュニケーション取りやすい。
全く漫画もアニメも見なくてオタクを毛嫌いするとかなら避けた方がいいだろうけど、今時大抵の男性って「趣味はサッカー観戦です。君は漫画読むのが好きなんだ。俺も鬼滅とか読むよ!」みたいな感じで、最低限の漫画とかアニメに理解ある人がめちゃくちゃ多くないですか?
増田さんはパートナーと一緒にオタク趣味を楽しみたいって気持ちがあるのかな〜という気がしたのですが、さほどオタクじゃない男性でも交際していくうちにこちらの趣味に付き合って楽しんでくれたりすることもあるし、その逆もあったりするのがまた楽しいですよ。
そもそも男性って惚れてくれたら大概のことは受け入れてくれますから…。
「オタクである自分」を好んでくれる男性は意外と同じオタクではなかったりしますから。
それは完全に小売に問題があるって話だよな
小売店が転売ヤーと結託して商品を横流しすることは、一般的に以下の理由から認められていません。
* 契約違反: 小売店は、通常、メーカーや卸売業者との間で、一般消費者に対して商品を販売するという契約を結んでいます。転売ヤーへの横流しは、この契約に違反する行為となる可能性が高いです。
* 不当な利益獲得: 転売ヤーは、入手困難な商品を買い占め、高値で転売することで不当な利益を得ようとします。小売店がこれに協力することは、消費者を欺き、市場をゆがめる行為として問題視されます。
* 公正な競争の阻害: 転売ヤーとの結託は、他の小売店や消費者に対して不公平な競争を生み出し、市場の健全な発展を阻害する可能性があります。
* 独占禁止法: 転売ヤーとの結託が、特定の事業者に不当な利益をもたらし、競争を制限する場合には、独占禁止法違反となる可能性があります。
* 不正競争防止法: 転売ヤーとの結託が、虚偽の表示や不正な競争手段に該当する場合には、不正競争防止法違反となる可能性があります。
* その他の法律: 場合によっては、契約法違反、詐欺罪など、他の法律に抵触する可能性も考えられます。
なぜ横流しが行われるのか
* 高額な買取り: 転売ヤーは、小売店が販売するよりも高額で商品を買い取ることを提案することがあります。
* 在庫処分: 売れ残りの商品を早く処分したい小売店にとっては、転売ヤーとの取引が魅力的に見えることがあります。
* 人手不足: 小売店が人手不足で、商品管理が徹底できていない場合、横流しが行われやすくなります。
横流しを防ぐために
* 厳格な商品管理: 商品の出入庫を厳密に管理し、不正な流出を防ぐ必要があります。
* 従業員の教育: 従業員に対して、横流しの不正行為がいかに重大な問題であるかを周知徹底し、不正行為への関与を防止する必要があります。
* 取引先の選定: 信頼できる取引先と取引を行い、不正な行為に関わる可能性のある取引先との取引を避ける必要があります。
* 内部告発制度の導入: 社内で不正行為を発見した場合に、安心して報告できるような仕組みを導入することが重要です。
まとめ
小売店が転売ヤーと結託して商品を横流しすることは、法律に違反し、社会的に問題となる行為です。企業として、倫理的な観点から、このような行為に関わらないことが重要です。
補足
両方働いて、完璧主義を求めない家事をすればいい。技術も使ってね。日本人って何で乾燥機や食器洗浄機、自動調理器、食材の配達使わないんだ?あと、家事だって自分で全部やるのが間違いで、月1、2回くらい外注して、手分けしてやって貰えばいい
教育を受けた女性がずっと自宅に引き籠るのは社会として不健全だよ。あと、パートタイムとして作業だけするのも良くない。時短勤務でもいいけど、正社員として能力に見合った仕事をすべき。
この状況に対処するためには、問題の背景とコミュニティの特性を考慮しながら、以下のようなアプローチを検討できます。
行動規範の制定
コミュニティの性善説に基づく運営が問題の要因となっているため、行動規範やポリシーを明確に制定し、以下を含むガイドラインを作成するべきです。
攻撃的な言動や嫌味、中傷、侮辱的なコンテンツの投稿を禁止する。
不適切な行動があった場合の具体的な対応手順(警告、投稿の削除、一時的な参加停止など)。
モデレーターの設置: 問題行動を監視し、必要に応じて投稿を削除したり、警告を発する役割を担うモデレーターを設置します。
AIツールの導入: 投稿内容をチェックするAIツールを使い、攻撃的な投稿を検出しやすくします。
教育と対話: 生成AIのハルシネーションや利用ルールについての教育を行い、彼が問題点を認識できるよう試みる。
段階的な対応: 初めは警告や注意喚起を行い、それでも改善が見られない場合は一時的な参加停止を検討します。
コミュニティの再建
現在のコミュニティを一旦停止し、新しいプラットフォームや規範のもとで再出発することを検討する。
問題行動者を除外した新規メンバーの募集や、健全な環境づくりに注力する。
早期介入の重要性
攻撃的な言動を「流す」文化が問題を長引かせた可能性があります。以下のように早期対応が必要です。
初期の段階で嫌味や攻撃的な投稿に対して毅然とした対応を取る。
誰もが不適切な行動を取り得る前提で、規範やルールを整備しておく。
初期段階からモデレーション体制を整え、問題行動者に依存せず健全なコミュニティ運営ができる仕組みを構築する。
生成AIは有用ですが、その誤用によって問題が拡大しました。以下のような教育が重要です。
問題がすでに深刻な段階に達している場合、以下の選択肢を検討します。
新しいコミュニティの立ち上げ: 既存のコミュニティを放棄し、新たなメンバーと共にゼロから再構築する。
既存コミュニティの再生: 問題行動者の排除や、新しいルールの導入を行ったうえで、新規参入者を積極的に迎える。
コミュニティ運営は常に人間関係や技術の進化に直面します。このような経験を通じて、より強固で健全な運営方法を学ぶ機会と捉えるのも大切です。