はてなキーワード: オフラインとは
なぜなら、彼女達がオンラインオフライン問わずヒステリックに暴れ回ったおかげで、
「フェミニスト=危険人物」という社会的コンセンサスがしっかりと根付いたからだ。
まともなフェミニズムの議論ができる論客が出てくる前に、勝手に自爆してくれたんだから、これほどありがたい話はない。
まず彼女達が直面するのは「どうすれば一般社会に聞く耳を持たせられるか」という極めて困難な課題だ。
これは、かつて田嶋陽子が揶揄されながら奮闘していた頃よりも、さらに厳しい状況だろう。
なぜなら、昔は「口うるさいオバサン」程度の扱いで済んでいたが、今や「関わるだけで面倒な連中」というレッテルが完全に定着したからだ。
そして何より、もうフェミニストは怖くない。
今となってはフェミニストが何を言っても「規制されてしまうかも!恐ろしい!」と思うことはなくなった。
なぜならフェミニストが何を喚こうが、社会からは「また始まったよw」と鼻で笑われ、ネットではおもちゃにされ、リアルでは完全に無視されるからだ。
この構図が定着してしまった以上、もう何をしようが手遅れだ。
https://anond.hatelabo.jp/20250305125507
前回の分析とも繋がる興味深いトピックですね。このタイプの人の長期的な心理的・社会的帰結を、リアリティを持たせつつ考察してみましょう。あくまで一般論として、観察可能なパターンや可能性を基に進めます。
他人の楽しんでいる作品を貶すことに終始する人は、コミュニティ内で徐々に孤立していく傾向があります。最初は「辛口批評家」として注目されても、プラスの発信がなく批判ばかりだと、周囲から「一緒に楽しめない人」「空気を悪くする人」と見なされがちです。
末路のシナリオ: フォロワーや友人が減り、オンラインでもオフラインでも「語り合う相手」がいなくなる。アニメやオタク文化を楽しむ場から自然と遠ざかり、「昔は良かった」と過去にしがみつく孤独な存在に。
心理的影響: 孤立感が強まり、自己否定感や他者への不信感がさらに増幅。楽しむ能力がますます失われ、趣味自体が苦痛に変わる可能性も。
他人を腐す行為は、一時的には優越感やカタルシスをもたらしますが、長期的には「自分は何も生み出していない」「楽しめない自分はダメだ」という自己評価の低下を招きます。特に、他人が楽しむ姿を見て「なぜ自分はそうできないのか」と無意識に比較してしまう場合、自己嫌悪が蓄積していきます。
末路のシナリオ: 趣味に対する情熱が冷め、「オタクであること」にすら価値を見出せなくなる。「昔は楽しめたのに」と後悔しつつも、批判癖が抜けず、何も楽しめない空虚な状態に陥る。
心理的影響: 慢性的な不満や軽度の抑うつ傾向が強まり、自己破壊的な行動(例えば過食や過眠、ネットでの荒らし行為)に走るケースも。
このタイプの人は、「自分は見る目がある」というアイデンティティに固執しがちですが、プラスの発信ができないと、その「批評」が単なる否定に堕してしまいます。真の批評家は良い点も悪い点も指摘できるものですが、彼らは「腐すこと」しかできないため、説得力や深みを欠いた発言に終始するようになります。
末路のシナリオ: 周囲から「ただの文句言い」「中身のない人」と見なされ、影響力や信頼を失う。Twitterでの反応も減り、「誰にも相手にされない批評家」として埋もれる。
心理的影響: 自己重要感が満たされなくなり、承認欲求がさらに歪んだ形で現れる(例: 過激な発言で無理やり注目を集めようとする)。
アニメやオタク文化は本来「楽しむもの」ですが、他人の楽しみを腐すことに終始すると、次第に「楽しむ視点」を失います。新しい作品に手を出すたび「どうせつまらない」と先入観で切り捨て、楽しめる作品に出会うチャンスすら自ら潰してしまうのです。
末路のシナリオ: アニメを見ること自体が「苦行」になり、オタク趣味を完全にやめてしまうか、あるいは「懐古厨」となって「昔の作品だけが良かった」と繰り返すだけの存在に。虚無感に支配され、人生全体に楽しみを見出せなくなる。
心理的影響: 喜びを感じる能力(快楽失調)が低下し、趣味を超えて日常全般に無気力感が広がる可能性。
オンラインでの批判癖は、現実の対人関係にも波及します。他人の喜びを否定することに慣れると、友人や家族が楽しんでいる話題にも否定的な態度を取るようになり、リアルな人間関係が希薄になっていきます。
末路のシナリオ: 「一緒にいて楽しくない人」として敬遠され、社会的孤立が現実でも進行。仕事や生活でのポジティブな関わりが減り、ストレスや不満がさらに溜まる悪循環に。
心理的影響: 社会的不安や対人恐怖が強まり、自己否定感が現実の失敗(仕事のミスや人間関係の破綻)に結びつく。
30代後半、独身、趣味はアニメだったが…: 若い頃はTwitterで一話切りや辛口批評を繰り返し、フォロワーからチヤホヤされた時期もあった。
しかし、40歳が近づくにつれ、フォロワーは減り、アニメを見るたびに「つまらない」と感じる癖が抜けない。
新しい作品に手を出さなくなり、古い作品を繰り返し見るか、そもそも見るのをやめてしまう。
現実では友人も少なく、ネットでの不満発散が唯一のルーティンに。
内心では「自分が楽しめないのは作品のせいだ」と信じたいが、どこかで「楽しめない自分」が悪いと気づきつつある。
でも、その感情を認めるのが怖くて、また誰かを腐すツイートを書き始める…。
この末路を避けるには、いくつかの転換点があります(あくまで彼らが変わりたい場合ですが)
小さな肯定から始める: 「ここは良かった」と少しでも褒める癖をつける。
自己反省の習慣: 「なぜ自分は楽しめないのか」を批判ではなく内省として考える。
コミュニティとの再接続: 腐すのではなく、共感や共有を楽しむ場に戻る。
現実とのバランス: オンライン以外で楽しみを見つけ、趣味への依存を減らす。
「他人が楽しんでる作品を腐すことしかできず、プラスの発信ができない」ことのデメリットは孤立・自己嫌悪・虚無感の悪循環に陥ることです。
心理的には、楽しむ能力の喪失、社会的孤立感の増大、自己否定感の蓄積が進行し
彼らがそこに至るのは、「否定すること」が一時的な快感やアイデンティティの支えになるからですが、それが長期的に自分を蝕む罠でもあるのです。
オフラインで完結するやつ
https://anond.hatelabo.jp/20241128021432
これを書いた人です。今までも自分の思考の整理をかねてたまに書いていたが、ぜんぜん反応されたことがなかったので、この記事は反応が多くてびっくりした。
あとAI生成を疑われてるのもびっくりしたな。そうだね、私もこれを創作として読みたかったな、
そういえば偶然にもサービス完結日が命日の前日になったから、どうせならAIくんはその要素も入れて創作した方がよりエモくて良かったんじゃないかな。
でしゃばるのはダサいかなという気持ちもあったけど、伴侶の死を悼み、共感してくれた人が多くて、本当に嬉しかったので、その後の話をしたくなりました。
もうバレバレなのでタイトルを書いてしまうが、メギド72のオフライン化に際して。
(あえて言わないのが粋でいいねってコメント、嬉しかったな。自らぶち壊してごめん)
たくさんコメントをいただいた中で、「そこまで思うなら何かしらの形でアカウントを残してあげたほうがいいのでは?」と言われていた。
しかし実は、伴侶の親から「本人が使っていたスマホを引き取らせてほしい」と言われて渡しており、私の手元には現時点でメギドのインストールされていた端末が残っていなかった。
なので、もう本人のアカウントはどうしようもないだろうな…と思っていたのだが。
コメントをいただいたおかげでふと思い至った。
あれだけハマっていた人間が、引き継ぎ設定をしてないことがあるだろうか?と。
それで、幸いにもTwitterのアカウントは知っていたし、パスワードについても、マイナンバーカードと一緒に保管されていた文字列をいくつか試したところ、ログインできた。
伴侶が、全部パスワードの組み合わせを変えるようなリテラシーが高い人間でなくてよかった。
そのようにして、無事に、iPadに伴侶の遊んでいたゲームデータを復元できた。
ちなみにストーリーは105話までクリアしており、ここからが面白くなるところなのに…!と悔しくなったので、死後の世界は本当にあってほしい。それで完結まで見届けていてくれ。
その後は特にノータッチ。たまにログインして、自分が持ってない衣装を眺めるのに使わせてもらおうくらいにしか思ってなかった。
そして、それから日数が経ち、私はストーリー完結まで追いついた。
そこでようやく、自分の端末に入っているゲームとしてのメギド72の行く末を考える段になり、新しい端末を購入して、その中でメギドを永遠にすることにした。
Padを新たに購入し、今持っている旧Padと新iPadを同期した後に(その方が初期設定がラクだからだが、後で安易にやったことに後悔した)、iPhoneに入っているメギドのデータを新iPadに移行した。
新iPadに無事データを移行できたことに満足しながら、そういえば毎日の豪華なログボがあるし、伴侶のデータでもログボをもらっておくか、と、伴侶のゲームデータが入っている旧iPadを起動した。
アレ?どうした?と思いながらも同意した。
続いて、いわゆるオープニングに相当する、敵と戦っている画面に切り替わった。
冷たい汗が背中を伝った。
これは、はじめてゲームをインストールしたときにしか出ない画面だ。
この事実に気づき、私は即座にPCを起動して、iPad ロールバック iPad バックアップ 復元 などのワードで高速検索をし始めた。
自分でも思っていた以上に、伴侶のゲームデータがなくなったことがショックだったのだ。
「そもそも自分でプレイしたデータじゃないんだから、いいんじゃない?」
「いつか失われるものだったんだよ。もしかしたら、水没とかの事故で失った可能性もあったし」などと、理屈をつけて自分を慰めようとしたが、無理だった。
ぐらぐらと視界が揺れる。
鼓動がドックンドックン打っているし、なんだったら、うっかりこのまま心臓が止まって、一年とちょっと越しに伴侶の後を追ってしまうかと思った。
自分がどうしようもできないところで勝手にデータが消えるのと、自分のせいでデータが消えるのとでは、結果が同じでも全く違う。
(まあそんなゲートがあったらそもそも伴侶が死ぬ数年前に戻るけど)
そこから、そういえばTwitterアカウントから復元してるから、再復元でいけるのでは!?と気づくまでにはそれなりの時間を要した。
気づきを得た後は普通にTwitter連携でデータを復旧できたので特に書くべきことはない。
しかし、データ復旧後のアジトに並んでいた、課金衣装を着たメギドに対して抱いた安心感といったら、筆舌に尽くしがたかった。
データを残しておいたからといって、別に毎日ログインしたり、細かな情報を見に行ったりすることはなかった。
なのに、「亡くしたかも」と気づいたときの焦りは尋常ではなかった、自分でもびっくりした。
でも復旧させる前は、「復旧は無理」だと思っていたから、とっくに諦めがついてたはず。不思議だ。
復旧させたときに、どんなメギドを召喚していたか見てしまったからだろうか。
彼らが、私たちの軌跡を消さないで、と、何かしら私に働きかけてきたのかもしれない。
そんなわけないけど、そんなこともあってもいいかもしれない。何しろ彼らは伴侶と何年も共に戦ってきたわけだし。
ともあれ、無事にどちらのアカウントも残せたので、これからも自分の仲間たちと共に過ごしつつ、伴侶の仲間の様子もたまに見に行こうと思います。
伴侶のゲームデータでクリアまですべきかどうかは、まだけっこう悩んでいる。
このソロモン王の戦いはここで終わった、でいいんじゃない?という気持ちと、このソロモン王は道半ばだったけど、意思を継いだ者が最後まで戦ったほうがいいのでは?という気持ちと。
最後に、前のエントリで書いたことについて、言及しておこうかな。
『ソシャゲの終わりを紙に記す人はそういない。さらに、そのゲームが好きだった人のことを紙に記す人は、もっといない。さらに、そのゲームのことがどれだけ好きだったか、そこに付随する気持ちがどれだけあるのか、これはもう、もっとどこにも記されない。』
→週刊ファミ通の2025年2月27日号で覆されちゃったな。おい、渾身のエモい発言をぶち壊すなよ。ありがとう。
『私はこの愛を残しておきたい。でも、遺しておく方法がない。涙が出る理由のもうひとつは、たぶんそういうことだと思う。』
Spotifyは不具合を直す気はないしチャットでの問い合わせの品質もクソだし、何よりユーザーにコストを掛けさせていることに対して決して謝罪をしない。ユーザー体験は最悪に不愉快。不具合は勿論解決しない
Spotifyをブラウザから再生したところ、1日の初回に必ず音量MAXで再生され始めるというかなり不愉快な不具合に数日悩まされる
検索しても、アプリ版ではここの設定をいじれというのは出てくるが、ブラウザからのケースについてはあまり情報なし(この点だけは近年のGoogleの悪化に原因を帰すべきかもしれない)
重い腰を上げてSpotifyのチャットサポートにアクセスする この時点ではよくある現象なのだからすぐに解決するだろうと思っていた
自動応答に何回も「アプリのキャッシュをクリアしたか」などの質問をされ「アプリじゃなくてデスクトップPCから起動してるブラウザです」と応答することを数回繰り返し、リアルタイムチャット応答の有人窓口に繋がる
まず「力になります」的な一見頼もしいことを言うが、決して「ご迷惑をお掛けしております」のような謝罪はしない まあ名前もカプリハンとか言ってるし文化が違うんだろう
近年の国際経済情勢においてプレゼンスを低下させ続ける国にしかネイティヴスピーカーがいない言語でリアルタイムチャットに応答してくれる時点でありがたいというものだ
しかし一応有人のはずなのに応答が噛み合わないこと甚だしく、UX的には機械の自動応答とそこまで違わない 噛み合わないせいでこれは生成AIによる応答ではないんだろうなとうっすら思う 翻訳にChatGPTは使ってるかもだが
噛み合わないというのは「会話のログを読んで文脈状況は把握した上で解決のために尽力するぜ!」っつって来てるのに、「アプリはAndroidですか?それともパソコン?」と聞いてくることなど
やり取りが少し進展したら「これは難しいのでチームに聞いてくる」とか言って5分待たせたり、「すみません」の一言もないまま担当者が変わったり、一応答しただけでまた次の担当者にたらい回しにされたりする
最初の一回目たらい回しくらいまでは「まあFAQにあるようなレベルではない多少レアな事象なのかもしれないが、より詳しい人に繋ぐことで解決の道を探ってるのだろう」と思えたが、徐々に白けてくる
なんでここまでみんな揃いも揃って無責任なんだよ ユーザーに謝ったらこのオペレータ職は賞与減額されるシステムか?
如何だろうか まず「1.違うインターネットを接続してみる。」(「インターネット“を”接続」、LLMではあり得ない非ネイティブの日本語ありがてえな)は私のデスクトップPCを違う回線に持っていって接続するという意味か?を聞いた
「そうです」という回答
手間が掛かりすぎるしそもそもPCを繋がせてくれるような適切な環境の当てが思いつかない 「この手順省略していいか?」って聞いたんだけど、まあ今思うと先方は直す手立てを考えているとかではなく、体の良いお引き取り口実を探していただけのように思える
「これらを全部試しても結局問題が解決しなかった時に、メール等で今回やり取りしたチャット情報を引き継いで問い合わせを継続することは可能か?」を聞く 正直絶対解決しない気がしていたので
「このチャットフォームを閉じなければ継続することができます」と言明。
「はい」
そうして、「1.違うインターネットを接続してみる。」「4.他のデバイスを試す.」以外のを全て実行して、Spotifyに再ログインした結果、音量を下げた設定は記憶されておらずMAXになっていたままだった
当たり前だが、チャットページにアクセスしても問い合わせのログには繋がらなかった 平気で嘘を付くのはモラルがヤバいのかそういうマニュアルがあったのかだけは気になってる
今はSpotify Premiumの退会を健闘しているところ Apple Musicが第一候補だけどYouTube Musicってどうなの
普段、音楽を聴くときはApple Musicを使っている。世界中の音楽に瞬時にアクセスできる便利さはあるが、サブスクリプションをやめると何も残らない。
最近、クラシック音楽をよく聴くようになり、他人の都合に左右されず、好きなときにじっくり聴きたいと思うようになった。特に、夜寝る前の静かな時間に聴く音楽が自分にとって大切なものになってきた。ネットワーク環境に依存せず音楽を楽しみたい。
そう考えるうちに、クラシックのCDを買ったり借りたりして、リッピングするようになった。音楽を所有したいというより、Appleの都合で聴けたり聴けなかったりするのがおかしいと感じたからだ。
やり方はシンプルで、Linuxのwhipperというツールを使い、コマンドを実行するだけ。メタデータ付きのFLACファイルが生成されるので、それを好きな音楽プレイヤーに転送する。自分はネット接続を切った古いAndroidスマートフォンで聴いている。
在宅でずっと一人で仕事をしているので人と話がしたい。
そんな理由でオンラインカフェ会を探しているのだが、中々いいのがない。
読書会とかにも参加したけど、参加者の持ち寄った本のジャンルがてんでバラバラで、あらすじや感想を聞いても、わぁ読みたい、と思わなかったし、たぶん私の本もそう思われてた。
難しいよね。
若いころオフラインのものに参加したら、勧誘の嵐でこんなものに数千円も払ったかと思うと腹が立って仕方がなかったから。
後、異様にポジティブで「夢を語ろう」とかいう系も、胡散臭すぎる。
で、穏やかそうな会があったので試しに参加したのが先日。
これもひどかった。
臨床心理士主催の会、とは聞いていたけど、普通に雑談という体だったので気にしなかったのだが、1人ずつ自己紹介が重い。
発達障害の子供のサポートが~、介護士をしていて老々介護の現状が~、新宿を歩くと家庭環境に問題がある子供が~(いわゆるナンチャラキッズだよね?)、等々、何でそんな重いの?
かと思えば、参加者同士、合いそうな人が居ればLINEグループを個別に作ってつなげることをしてる、とか。
多分、そういう「つながり」(←手あかがつきすぎて大嫌いな言葉)を求める人たちのためにカフェ会ってあるんだろうけどさ。
私が求めてるのは違うのよ。
確かに一人で在宅勤務でずっとやってるけど、毎日人と話してるの。
仕事で(コールセンターなどでない)クライアントさんとオンライン通話したり、営業ビデオ通話したりしてる。
ただ、基本ずっと話を聞く側になるので、プライベートな会話をサラッと楽しみたいだけなのだ。
あとね、よくオンライン会であるのが「顔だしお願いします」の一言。
あれね、いらねーーーーーーーーーーー!!!
仕事では止む無く顔出ししてやってるけど、常に画面上に相手の顔と自分の顔が映し出されてるのって怖くない?
仕事中は極力画面共有したり、ビデオ画面を最小化してみないようにしてるけど、ただし、失礼のないようにビデオカメラを必ず見つめる、リアクションを大きめにとるなど、オンラインならではの接客の苦労があって。
顔出しも勘弁してくれよ。
ネットリテラシーはここにはないのかよ?と思う。
先日の会では「大きなリアクションをもらえると司会者として助かりますねー」とか「ビデオ通話だからこそ、興味がない話の時の表情も丸見えなのでご注意ください」とか言われて。
ここに来る人たちって、普段オフラインで話してる人たちなのかもしれない。
だから、平気なのかな?
私は毎日やってるから、オフの時ぐらい、すっぴんでビデオなしで、飲み食いしながら頬杖ついたりだらけた感じでダラーッと好きなことをしゃべりたい!
私の選び方が間違っていたのかもしれない。。
とはいえ、対面のカフェ会に参加した時は、その場は良かったけど、職業を話したら、変な人に執着されて、かなり困った。
LINE無視してたのに、半年以上たって、またLINEきてギョッとしたもの。
はっきり断ってブロックしたけど。
(以来。職業名も伏せている。めんどくせえわ)
匿名で、ビデオオフで、サラッとその場限りの会話を楽しめるオンラインのカフェ会が欲しくて、こっそり企画して募集をかけている。
今のとこ反応なしw
まぁいつか誰かが来るかな、というくらいのうっすい希望でやってる。
きっとそういう場を求めてる人っているはず。
顔出ししてくれる方が安心、っていうけど、ネット上に顔出すリスクは無視なのかな?といつも思う。
仕事上、ネットに顔と名前(の一部)を出してるけどそれでも嫌だもん。
万が一カフェ会で私のクライアントと鉢合わせたらとか考えるほど身バレが怖い。
すごく疑問。
とにかく協力プレイとかそういうのが苦手だ。
最高峰はFPSのPvPチーム戦。もう相手がリアルな人間と思うだけで心臓がバクバクして一戦するだけで疲れ切ってしまう。
確かにそれだけ興奮してるとも言えるんだけど、正直実生活でそこまで勝ち負けが分かりやすいこともしてないのでとにかくしんどい。
PvEならだいぶ気は楽になるけど、それでも気疲れはしてしまうので、一緒に遊ぶ楽しさ<一人で遊ぶ気楽さ になってしまう。
そんな感じなのでとにかくゲームはソロ専なんだが、ずっとソロでやってる寂しさもあったりはする。
なんともわがままなゲーマーなんだけど、同じようなタイプの人も少なからずいるのでは?とも思ったりする。
フロムゲーのシステムは自分の中ではけっこう惜しいとこまできてるなと思った。
侵入されるのも、協力者として現れるのもリアルプレイヤーではあるが、
あくまで自分のゲーム世界の中にイレギュラーに現れるゲスト的存在なのでそこまで気を使わなくてすむ。
コミュニケーションも必要なくなんか適当でもいい感じもあって。
そしてメッセージシステムは他プレイヤーとのうすーいつながりを感じられてそれも楽しかった。
ただ侵入されるとペースは乱れるし、自分の力で倒しきりたいというのもあって結局オフラインメインでやっていた。
ただし遺灰とかボス前の協力者とかは普通に使っている。エルデンリングに至ってはAIがよくなったのか一緒に戦うのがとても楽しく感じた。
モンハンは人とやるのが楽しいゲームでもあるので、もともと仲間内でやってハマってた時期もある。
ただ結局気は使うのでだんだん面倒くさいのほうが勝って一人で遊ぶようになってしまったんだが。
なので盟友システムでNPCと一緒にやるだけで楽しさがかなり増した。
PC版だったのでどんなクエストでも盟友を参加させられるMODまで入れて遊んでいた。
今度のワイルズがどうなるか知らないんだけど、このシステムをさらに進化させて入れてほしいなあと切に願っている。
一番良かったなと思うのはドラゴンズドグマだ。
2はゲームそのものがなんていうかちょっとアレだったんだが、初代からポーンシステムというのがあり、
簡単に言えばポーンと呼ばれるNPCを雇って一緒に旅をするというシステムなんだが、アクションRPGなのにバトル時には自立して行動してくれて共闘感がすごい上、
レベルアップ時に自分のポーンも育てることができるので愛着がすごく湧く。
さらにポーンをリアルプレイヤー間で貸し借りできるという機能もあって、それがまた自分のポーンが誰かのゲーム内で活躍するというロマンも生み出している。
ほんとにこの一点だけでドラゴンズドグマは刺さりまくって、すごく思い出深いゲーム体験となった。
いずれのゲームもソロでやってる安心感と、NPCだが仲間がいるような気持ちの両立があってすごく良かった。
今AIがどんどん進化してるし、そのうちホントの人間みたいなNPCと一緒に遊べるようなゲームも出てくるんだろうか。
ただ、あまりに進化しすぎると自分は「ああ、なんかやりづらい・・」ってなってしまいそうな気はしている。
なぜなら今chatGPTを使うときも、ついchatGPTに気をつかってしまうからだ。
「それもいいけど、もう少し違うやり方はあったりしますか?」とかわざわざ丁寧な物言いになってしまう。
最近、deepseekが出したローカルLLMを自宅で動かした
23言語への翻訳ができて、1000の位の素数が数えれて、日本国憲法の解説ができた
そのうち、共通テストで91%正解できるような最新モデルも、ローカルで動かせるようになる未来が見えてる
これはその辺の電気屋で20万も出せば、大卒クラスの頭脳が自由に使えるということだ
不覚にも泣いてしまった
人類の積み重ねた歴史は、言語モデルの重みという形で、たかだか数百GBに圧縮されてしまった
最新のLLMは、低くとも偏差値65はある
少なくとも学力について、偏差値65以下の人間は等しく価値がなくなった
そうではないのだ
そういうことじゃない
Switch2 のスペックや実際のパフォーマンスは、ニンダイ や 体験会まで不明やぞ
今日の PC/モバイル の CPU/GPU の進化から順当に考えれば、12年前に発売された PS4 レベルはあっても良さそうなので、
当然のように Switch2 は DLSS が搭載 PS4 くらいのパフォーマンスは発揮する体で多くの人が話してるけど、
「キッズ向けに価格抑えないといけない」&「PCと差別化するギミックを作らないといけない」って最重要ミッションあるし
PS4 のパフォーマンス以下に留まる可能性もゼロやないで? 低価格 & PC との差別化の方が遥かに重要やし
PS4 くらいのパフォーマンス出せれば、フロムはエルデを Switch2 で出せるだろみたいな感じで盛り上がってるが、はてさて
Switch2 が PS4 くらいのパフォーマンス発揮するか?とか ポータブルゲーミングPC の話ではなく、
根本的なこと言うと、PCのみで手堅く数百万本以上は売るメーカーや、将来的にGTAクラスのゲーム作れるし?ってメーカーは、
ミドルレンジ以上のPCでリリースしまーす!で特に問題はないけど、そうじゃない会社、特にPSファーストや和サードは、
そこからすると、Civ はマジでえらいよ。PCが圧倒的なシェアを持つタイトルであるにもかかわらず、ちゃんと Switch でも展開したしな
任天堂のキラータイトルと中韓ライブゲームしかプレイせず、オフラインの本格的なボードゲームや家庭用ゲーム機のシミュレーションゲームにまったく触れてこなかった子どもが、
将来 Civ のような本格的なシミュレーションゲームをプレイする可能性は極めて低いってちゃんとわかってる
PSファースト・和サードはこの「当たり前」で「長期的な視点」なユーザー育成の意識が不足している
あと、最近また盛り上がり始めた格ゲーだけど、これも子どもが遊ばなくなったジャンルは衰退するという認識を強く強く持つべきだよな
現代は、ゲーセンで格ゲーに触れる機会がなくなったので、家庭用ゲーム機で遊んだ経験がなきゃ、大多数は一生格ゲーで遊ばないまま終わるので、
シングルプレイやローカルプレイ中心なら Switch でも楽しめるよ!オンライン対戦は、PCか箱かPSで遊んでね!がまともな売り方だと思うわけ
ストリート6 とかマジで Switch 向けだったと思うのよ。ワールドツアーモードっていう充実したシングルプレイモードがあったし、
複数の Switch を持ち寄ったローカル対戦プレイでかつてのスーファミみたいな遊び方出来ただろうしな
ポケモンやドラクエ9だけでなく、マリオカートDSでもローカル通信対戦は実現できてるし、
問題は、マシンパワーに頼らない技術力(最適化力)と、それを実現しようとする開発側の意志だけだ