はてなキーワード: 揶揄とは
「働かないおじさん」──今やネットでもリアルでも、揶揄の対象となる存在だ。
新しい技術にはついていけず、責任ある仕事は若手に回り、自分は「調整役」や「資料のチェック」ばかり。
そんな存在を、かつては冷めた目で見ていた。しかし、まさか自分がそうなるとは思ってもみなかった。
新しい技術も学び、プロジェクトを牽引し、クライアントと交渉し、納期を守るために奔走してきた。
30代の頃は「まだまだやれる」「自分が会社を引っ張る」と思っていた。
若手や同年代のエース格はどんどん新しいツールやフレームワークを使いこなし、自分の知らない技術でプロジェクトを進めている。
キャッチアップしようとするものの、仕事に追われて腰を据えて学ぶ時間が取れない。
結果、「若手に任せたほうが早い」となり、自分は決定権を持たない調整役に回ることが増えた。
部下はおらず、チームの若手に指示を出す立場でもない。
追い打ちをかけたのがコロナ禍だった。
在宅勤務が当たり前になり、オフィスでの立ち回りが減った結果、「頼まれた仕事さえこなしていれば、それ以上は問われない」環境になった。
勤怠や業務態度を気にされることもなくなり、存在感がますます薄れていった。
「この人じゃなくてもいい」という扱い。
20代、30代の頃は「自分がいないと回らない」と思っていたが、実際はそうではなかった。
自分のことをよく知らない人からはそう見えるかもしれないが、心中は空虚。
嫌なことから中途半端に逃げる事を覚え、目先のコスパリスパを求めるようになった末路が、これだ。
ただ、数年前から始めた投資と節約生活により、数千万円の金融資産はある。
このまま会社に居場所がなくなっても、すぐに路頭に迷うことはない。
「働かないおじさん」だが、「働かなくてもいいおじさん」でもある。
この言い訳を持てていることが、唯一の救いだ。
過剰に防衛とか過剰反応とか反対側のゴールポストまで届いちゃいましたって揶揄コメントが人気になってるけど、
どこをどう読んだら反対側なんだ
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訳すと
だぞ
アニメーションも明確に記載されているんだから、オタクエロコンテンツも該当するように初めからルールが定義されている
原因わからないって言いつつ”Visaはサービス運用にあたってルールを明確に定義”と書かれてその中にレイプとか児童ポルノが入ってる。海外基準では非実在でもアウトなので日本のアダルトや同人コンテンツの一部はNG
なぜなら、彼女達がオンラインオフライン問わずヒステリックに暴れ回ったおかげで、
「フェミニスト=危険人物」という社会的コンセンサスがしっかりと根付いたからだ。
まともなフェミニズムの議論ができる論客が出てくる前に、勝手に自爆してくれたんだから、これほどありがたい話はない。
まず彼女達が直面するのは「どうすれば一般社会に聞く耳を持たせられるか」という極めて困難な課題だ。
これは、かつて田嶋陽子が揶揄されながら奮闘していた頃よりも、さらに厳しい状況だろう。
なぜなら、昔は「口うるさいオバサン」程度の扱いで済んでいたが、今や「関わるだけで面倒な連中」というレッテルが完全に定着したからだ。
そして何より、もうフェミニストは怖くない。
今となってはフェミニストが何を言っても「規制されてしまうかも!恐ろしい!」と思うことはなくなった。
なぜならフェミニストが何を喚こうが、社会からは「また始まったよw」と鼻で笑われ、ネットではおもちゃにされ、リアルでは完全に無視されるからだ。
この構図が定着してしまった以上、もう何をしようが手遅れだ。
最近、くりぃむしちゅーの上田がフェミニズムについて語る動画がXで流れてきたんだが、そのときに
「これって今まで女性がずっと言ってきたことをたまたま男性が言ったから称賛されてるだけじゃん。本当男ってどんだけ女のこと見下せば気が済むの」
私は知らなかったが、フェミニスト界隈ではこういう事象に対して結構怒りを抱く人が多いらしい。
そう言いたくなる気持ちはよくわかる。
自分の同僚に対して「いやそれはだめだろ」と注意しても全部無視されていたのに、ある日突然上司が同じことを言ったら黙って従う様子を見たら多くの人は少しくらいモヤモヤするんではないか。
そのモヤモヤがある一定のラインを超えた瞬間、外から見て「怖い」と思う言動に出てしまう人が居るというのも想像することはできる。
なので私としては流れてきたポストについては「なるほどなぁ」と思う一方で、どうしてそう無意識に自分を下に置いて物事を考えてしまうのだろうとも思ってしまう。
先の例でいけば「女を見下しているから男の言うことしか聞けない」のではなく、「物事の本質が理解できないから同性という属性に合わせるためだけに話を聞いている(ふりをしている)」だけであり、単純にボスザルの手によって群れから追い出されるのを怖がっている凡なサルと行動原理は同じだという風に捉えれば良くないだろうか。
つまり「見下す」とか「わざと無視する」というよりもっと手前の話で、動物に近い状態の人間だと思えば真面目に怒るだけ馬鹿らしくならないか?
これは私が日常でよくやっている自分で自分の溜飲を下げさせる方法なんだけど、社会に生きててあまりの理不尽さに見舞われた際に一旦因果関係とかは外に置いて「今私は赤ちゃん未満の動物と対面しているんだ」と思えばやけに冷静になれる。
アンガーマネジメントとかにももしかしたらこういうのって説明されてたりするのかな。読んだことないからわからんが。
フェミニストの人やポリコレの人ってどうしても私達のためひいては社会のために怒っているという自認の人が多いと思うし、過去それで道を切り開いた人も実際にいたと思う。だからそれ自体は全然否定しないし、世界がそれで良くなるなら頑張れ〜とも素直に思う。
ただ不必要な怒りというか、無駄にボルテージ上げて声を荒げても誰も話は聞いてくれないどころかひいちゃうこともあると思う。
これは人間誰しもそうじゃない?
駅で大声張り上げてる人見たらどんなに素晴らしいこと言っててもとりあえず離れようって思っちゃわない?
正直もったいないと思う。
あと「実際に男は見下してる!あなたは知らないだけ!」って言いたくなる人もいるかもしれないけど、この場合大事なのは自分が必要以上に傷つかないことが一番で、相手が実際にどう思ってるかはどうでもいいのよ。本当の内心なんて本人にだってわからないもんだから。人間はそういう風にできてる。
自分の気持ちをある程度守りながら、自分の話を聞いてもらうために便宜上相手にちょっと悪者になってもらって、落ち着いてからちゃんと考えればそれでよくない?だめなの?
最後に「男は男の話しか聞かないからだめだ!」っていうのは今の段階で言うのは多分まだ早いんだと思う。
現実世界ではもうほとんど女性だからどうとか男性だからどうとかって話はしてないけど、一部のインターネットに住まう人々にはこの話題はいつまでしがんでも美味しいみたい。
つまり時代についていけてない人たちなので、とりあえず今は強者男性の力を借りながら時が来たときに初めて「男の話しか聞けない男ってどう思う?」って切り出したほうが戦略的には良さそうじゃない?
その間に女性側も自立心を高めて今以上に自分の発言に責任をきちんと負えるようになっていれば(インターネットでよく揶揄される女性の欠点?を無くすって意味)そこでやっと対話ができるんじゃないかな。
まぁただ喧嘩がしたい人とかインプ稼ぎたい人、目立ちたい人、闘志に燃えてる(ふりをしてる)人、そのコミュニティじゃないとやっていけない人、とか色々いると思うから結局この論争っていつまでも終わらないと思うけどね。まともな人がもう少し増えたら嬉しいなという気持ち。
しかし高遠るいってアンチから人権派リベラルと揶揄されるが、本人は反自民及び自民迎合オタク嫌いから逆張りでリベラルに付いてるだけで本質的にはネオリベど真ん中じゃねえかと思う
反フェミはフェミニスト=女性と認識して戦いを挑んでおりますが現実は違います。
真にフェミニストの思想を持っているかどうかは別としてネットでフェミニズム発言をポストしたり反フェミを叩いているのは大部分が男です。
彼らの内訳を紹介します。
学歴が高いあるいは学習の習慣があり、社会的に成功して平均以上の収入があり、パートナーを有しています。
金銭的にも心理的も満たされているので常識の変化や既得権益の破壊に自分自身が脅かされません。
そのためフェミニストの主張を受けることが可能であり応援できるのです。
内訳2.女にモテたいだけのフェミニスト(存在割合: 割といる)
女の味方をすることでモテを狙っているのため、発言時は「自分は男だけど〜」と自己の性別をアピールしがちです。
彼らの主張は反フェミに投げかけているのではなく「女の子の敵と戦っている俺の姿を見て!」とフェミ女性に向いています。
男社会への反感や男であることの生きづらさ・鬱屈を晴らしたい。
あるいは知らない男と知らない女なら女のほうが好き。
または幼少期の過程で母親に好感・父親に反感を抱いたまま大人になっている、などなど。
そのような理由で男が嫌いだからフェミニズムを武器に反フェミを叩いています。
内訳4.手段はなんでもいいから競争心や加虐心を満 たしたい男(存在割合: ほとんど全て)
3が反フェミという特定の敵を狩るバンパイヤハンターなのに対して、こちらは攻撃心と心の闇を狂わせたバーサーカーです。
リアルでストレスを解消する術を持たないため立場の悪い相手であれば男性・女性・理由を問わず勝利を奪いに行きます。
とにかく誰かに勝ちたいだけの男でフェミニストでも何でもありません。
常にいくつものネットいざこざに首を突っ込んで時間を溶かしており、フェミニズム論争は彼らが抱える戦場の1つでしかありません。
彼らがリベラル的な意見を主張していたら、それは単に現代社会の知識人たちによって支持されている意見だからであり、正義の勝ち馬に乗っかっているだけです。
逆に保守層が強い場所に立ったら即立場をチェンジしてリベラルや女を叩きます。
特徴としては、相手を叩きたい、でも反撃はされたくないので、揚げ足を取られないために自分の立場や経験はひたすら隠匿して発言を行います。
彼らの意見はどこからか借りてきた言説を貼り付けるか、あるいは「無能・バカ・わかっていない」など一方的に相手を切り捨て、最後は反論がないので勝利宣言、という戦法をとります。
例えば中国が北朝鮮に侵攻して北朝鮮が抵抗した場合、恐らく韓国は北朝鮮を支援するだろう
朝鮮省と揶揄されることはあっても、韓国とすれば中国と国境を接するのは嫌だし一応は同じ民族だと言ってきたのだから
北朝鮮が中国に墜ちたらウラジオストクが一気に怪しくなるロシアも北朝鮮を支援するかもしれない
韓国とロシアに支援され中国に抵抗する北朝鮮に対し日本は北朝鮮を支援するんだろうか?
恐らく、北朝鮮が中国になるよりも現状の方が極東、東アジアは安定していると思うから北朝鮮を支援した方が得だと思うけれど、国民は納得するのだろうか
支援はせずに北朝鮮も中国も韓国もロシアも消耗してくれって考えるんじゃないだろうか
それに対して北朝鮮の一部を中国に割譲して収めるってのは、現実的な考えかもしれない
もちろんウクライナのことを言っているのだけど
ウクライナに関してはドイツの対応がトランプ以上に叩かれてもいいと思うけれど、なぜか叩かれないよね
中国が北朝鮮に侵攻した場合、日本も今のドイツみたいな感じになるのかなっていう話
一日経ってから追記しても誰も見てないと思うけど、極東・シベリアに関して中国とロシアは蜜月とは程遠く、全く仲が良くない
歴史的に中国とロシアはシベリアを巡って争ってきたこともあり、この二国が現在も軍事同盟を結んでいないのはシベリアがあるからだとされている
中国とロシアは同盟以上のマブだと言っているけど、中国はシベリアへの野心を隠さないし、そんな中国に対してロシアは何度となく牽制している
中国がシベリアを手に入れるために一度北朝鮮を踏んづけるのかっていうと、確かにそれは怪しいけれど、直接シベリアへ侵攻すれば北朝鮮はベラルーシみたいにちょっかいを出すと考えられ、北朝鮮を踏んづけておいた方が早いと考えている
中国がやるなら台湾ってのもあるけど、中国にとって台湾は足の裏の米粒みたいなもので、実利としてはシベリアを手に入れる方がずっと大きい
資源もあるし、アメリカ本土が一気に近くなりアメリカも中国に対する扱いを考え直さなければならない
たまに来るブクマカがメイン業の人は異常に露悪的だから(ワンチャン、ガチサイコパスな可能性アリ)
むしろ既に知ってて観察している可能性あるが、なんやかんや増田の常駐組み、よくいる人は、
しかし英語圏のゲーマーのポストマジで治安悪いな。XXが特別に治安悪いだけ?
あるいは(日本で)ワイワイやってるからガチでヤバいのが(日本から)召喚されただけ?
あの感性でXX楽しいとかマジであるんやろか。割と直球で化け物なんだが、
ちなみに、スナッフとか流血とか虐待とか暴言とか直接的な暴力描写はないが、
活動家揶揄って遊んでるような かわいいやつじゃないので、メンタル不調なやつは探さないようにね
これはフリじゃなくてガチの警告な。具合悪くなるぞ
Sara FUJIIさんの発言は、タニタの公式SNSアカウントが東洋水産(おそらく過去の炎上絡みで話題になっている企業)と絡むことで、自身が築いてきた「健康的で信頼できる企業イメージ」を損なうリスクを冒すべきではない、というアドバイス的な内容です。彼女の言い分は以下のポイントに集約されます:
タニタは「タニタ食堂」やヘルシー商品で、特に健康意識の高い女性層から支持を得てきた。このイメージは貴重であり、軽はずみなSNSでの行動で失うのはもったいない。
東洋水産が何かしらの炎上に関与している状況で、タニタがそこに絡むのはメリットがなく、むしろリスクが高い。ポスト削除とアンフォローを提案しているのは、事態を静かに収束させる現実的な対応策として意図されているようです。
「バズる必要はない」「フォロワーを大切にすればよい」という主張は、企業のSNSが話題性や短期的な注目を追うよりも、長期的で安定した信頼関係を重視すべきだという考えに基づいています。また、「中の人が歳をとってきている問題」という指摘は、SNSのトレンド感覚が世代間でズレるリスクを暗に示唆しているのかもしれません。
この主張自体は、企業SNSの広報戦略として一つの視点を提供しており、特にリスク管理やブランド維持に重点を置く立場からは理解できるものです。タニタが実際に東洋水産とどういうやりとりをしていたのか具体的な文脈が不明ですが、もしそれが軽いノリの絡みだった場合、彼女の懸念は過剰ではなく、ある程度説得力を持つと言えます。
ただし、「通じるか」という点では、いくつか課題があります。まず、タニタのSNS担当者がこの発言を見て「確かにその通りだ」と納得し、即座に行動を改めるかどうかは疑問です。企業アカウントは独自の運用方針や目標(例えば話題性で注目を集めること)を持っている場合が多く、外部の個人の意見だけで方針転換するとは限りません。
Sara FUJIIさんが文章中でタニタを批判しつつ、タニタ商品のファンであることを明かし、さらには(Xの投稿で指摘されているように)アフィリエイトリンクを貼っている点は、彼女の主張の一貫性や信頼性に影響を与えます。
プロフィールとの関連
Saraさんは編集者・広報の経験があり、フリーランスとしてプレジデントや現代ビジネスなどの媒体で活動しています。こうした背景から、文章自体は読みやすく説得力を持たせようとする意図が見えますが、**アフィリエイトリンクの存在は「商業的動機」が透けてしまい、純粋なアドバイスとしての印象を薄めてしまいます。**プロフィールにある「教育」「ケア労働」「DV」など社会的なテーマへの関心と、タニタへの発言が直接結びつくわけではないものの、彼女が「信頼」や「健全さ」を重視する価値観を持っている可能性はうかがえます。それだけに、リンクの併用がちぐはぐな印象を与えるのです。
この点は、彼女の言い分が「通じるか」という点でマイナスに働きます。**批判と賞賛、利益追求が混在することで、メッセージが曖昧になり、タニタ側や読者にとって真剣に受け止めるべき意見なのか判断しづらくなります**。
Sara FUJIIさんのプロフィールを見ると、編集・広報の専門家でありつつ、絵本や教育、美術(セザンヌや雪岱など)、文学(漱石や賢治)に造詣が深く、趣味も多岐にわたる人物です。保育士や学芸員の資格も持ち、社会的・文化的なテーマに敏感であることがわかります。
広報経験者として、企業イメージの重要性やSNSの影響力を理解しているため、タニタへのアドバイスには一定の根拠があります。彼女がタニタの「健康的なお菓子」を子育てや仕事の文脈で評価している点も、個人的な経験と結びついた具体性があり、共感を呼ぶ可能性があります。
一方で、趣味や関心が多岐にわたるあまり、発言の焦点がブレやすい印象もあります。**タニタへの批判が「中の人が歳をとっている問題」など、唐突な話題に飛び火しているのは、彼女の思考が多方向に広がる傾向の表れかもしれません。また、フリーランスとしての収入源にアフィリエイトを頼る側面があるなら、それが発言の純粋さを疑われるリスクにつながります。**
Saraさんの「タニタさん、いまなら引き返せますから、何もいわずにポストを削除して東洋水産さんをそっとアンフォローしたほうが絶対にいいですよ」という発言は、**タニタに対して対話の余地を与えず、彼女の考える「正しい行動」を強く推奨する形になっています。これは、暇空さんの「対話罪」が特定のアカウントとの関わりを一方的に禁じる姿勢と似ています。どちらも「これが正しい」と決めつけ、相手に選択肢をあまり与えないトーンが共通しています**。
Saraさんはタニタが東洋水産との絡みで炎上リスクを負うことを避けさせようとしています。一方、暇空さんの「対話罪」は、自身やフォロワーが「敵」と見なす相手との接触でコミュニティが荒れるのを防ぐ意図があります。**両者とも、望ましくない結果を避けるために他者の行動を制限しようとする点で類似しています。**
Saraさんの文章には「こんなノリで損ねてしまうほどむなしいことはありません」「わざわざ炎上してる東洋水産とわちゃわちゃするメリットない」という感情的な表現が見られ、彼女の価値観(健康的イメージの重視)が色濃く反映されています。同様に、暇空さんの「対話罪」も、青識亜論さんへの嫌悪感やコミュニティ防衛の感情が強く影響しており、論理よりも主観が先行している点で似ています。
Sara FUJIIさんの発言は暇空茜さんの「対話罪」と完全に一致するわけではありませんが、一方的なルールの押し付けや感情に基づく行動制限の提案という点で類似性があります。具体的には、タニタに対して「東洋水産と絡むな」と事実上命令するようなトーンは、「~~と対話したらブロックするぞ」という「対話罪」の精神に通じる部分があります。ただし、Saraさんの場合はブロックのような強制力がなく、あくまで「すべき」という提案に留まるため、「対話罪」の実行性や強度には及ばないと言えます。
この類似性は、両者が自分の価値観や快適さを優先し、相手の自由な行動を制限しようとする姿勢に表れているのかもしれません。Saraさんの発言が「対話罪」と同じくらい厳格なルールとして機能するか否かは、タニタや読者の受け止め方次第でしょう。
「男女関係なく」が嘘だな
男女の国語能力には有意な差があるし、それは日頃男の理系能力の高さを誇り、国語はお気持ち合戦だと揶揄して国語不要論を唱える男性諸氏が十分ご存知だろう?
スペースインベーダーエクストリームね。完全に忘れてたわ。
この反応がイキりにわかオタクそのもので大川ぶくぶの絵柄で脳内再生余裕なんだよな。
お前さー。ろくにゲーム遊んでもないくせに業界とか語るなよ。恥ずかしいわ。
音楽とSTGの関係をしたり顔で語りたいなら、せめてRezとダライアスぐらいはきちんとプレイしてからにしろよ。
ダライアスはステージ進行に合わせてBGM流す作品あるし、バーストなんてBGM込みの演出の最先端だっただろ。
Q-SIDEについて書くなら引用元の東方とか大往生とかコンパイルシューあたりへの言及があるかと思ったらそれもねえし。
セリフによる演出もPCディスプレイ前提だから生きてるだけで、アーケードの縦画面筐体で効果的に使うのはかなり難しいから、今まであまり試されてこなかった事情考慮しろよ。
なーにが「完全敗北だと思う」だよ。ろくに知りもしねえのによ。
驚き屋って揶揄されてるアホライターですらもっとまともな文章書くぜ。お前は驚き屋ですらない。子供騙しの手品に驚く猿以下のゴミだよ。Youtubeのショートでうっかり再生されて3秒後に忘れられるレベルのゴミ。それ以下。
社会の抑圧に抗い、既存の秩序に反発し、ルールを破ることで「自由」を叫んだ。
エルヴィス・プレスリーが腰を振れば、それは性的な解放のメッセージになり、ジョン・レノンが「Imagine」を歌えば、世界平和の象徴となった。
ロックスターは常に”支配者”に向けて中指を立てる存在であり、だからこそカウンターカルチャーの旗手として崇められた。
フェミニズムもまた、既存の価値観に対するカウンターであり、社会構造に挑戦し、女性の自由を求めてきた運動である。
それならばロックスターと同じく、フェミニストも社会の英雄になってしかるべきだったのではないか。
だが、実際にはそうならなかった。
ロックスターはカリスマとして崇められ、一方のフェミニストは”面倒くさい人”、”怒りっぽい人”、”被害者意識の塊”と揶揄されることも多い。
なぜ、このような違いが生じたのか?
なぜフェミニズムはロックのようにカウンターカルチャーとして熱狂的に支持されることがなかったのか?
ロックスターの反骨精神は、端的に言えば「Fuck you!」の精神である。
むしろ、「俺は俺の好きなように生きる、お前もそうすればいいじゃないか」と突き放す。
ロックは自由の音楽であり、全ての人に向けられたメッセージだった。
「性差別をなくせ」
「ミソジニーをやめろ」と訴える。
だが、残念ながら”要求する”という行為そのものが、しばしば”鬱陶しい”と受け取られてしまう。
カウンターカルチャーとして機能するためには、「俺たちの好きにやらせろ」というノリのほうが支持されやすい。
しかし、フェミニズムは「社会を変えろ」という主張を含むため、「他人の行動を制限するもの」として捉えられやすい。
この構造の違いが、ロックスターのようなカリスマ性を獲得できなかった一因である。
つまり、明確な「敵」がいたのだ。これは共感を生みやすい。人は、共通の敵がいると団結する。
性差別は国家や特定の組織の問題ではなく、社会のあらゆる場に根付いている。
つまり男性だけでなく、女性自身もその価値観の一部になっている場合がある。
敵が明確でない戦いは、支持を得にくい。
たとえば、パンクロッカーが「腐敗した政府をぶっ潰せ!」と叫べば、それは分かりやすく、共感を呼びやすい。
しかし、フェミニズムの主張は「社会のあり方を根本から変えなければならない」という構造的な批判になるため、「今の社会に適応している人々」からの抵抗が生まれてしまっているのだ。
”楽しさ”か”道徳”か
音楽を聴いて、踊って、叫んで、解放される。それがロックの魅力だ。
しかしフェミニズムの議論は基本的に「道徳的」な話になりがちである。
「これは間違っている」
「これを正さなければならない」
等といった倫理的な話になりやすく、どうしても説教くさいと思われてしまう。
人々は”楽しさ”には簡単に乗れるが、”道徳”にはなかなか従おうとしない。
環境問題がそうであるように、「正しいことをしよう」と言われると、人は逆に抵抗したくなる。
フェミニズムが求めているのは社会の進歩であり、それは間違いなく正しいのだが、”楽しい”という要素が欠けていたために、カウンターカルチャーになりにくかったのではないかと考えらえる。
カリスマの不在
エルヴィス・プレスリー、ジョン・レノン、カート・コバーン、パティ・スミス……彼らは「個」でありながら、「運動」の象徴になった。彼らが歌うだけで、何かが変わるように思えた。
一方、フェミニズムは組織的な運動として発展し、多くの優れた論者や活動家を生み出してきたが、ロックスター的なカリスマには乏しかった。
個人の魅力で人々を熱狂させる存在が少なかったため、ムーブメントとしての盛り上がりに欠けた。
カリスマ的なアイコンの不在は、フェミニストを宗教的な尊大さを抱かせるための教示としての、大きな魅力の欠損へとつながったと言えるだろう。