はてなキーワード: 相手とは
一芸に頼って飯を食ってる人、みんな謙虚さを失ってる。
自分が人生を預けた一芸が如何に素晴らしいかを日々他人にPRし続けているうちに自己洗脳が進んでしまって悲惨なことになってる。
「こんな素晴らしいスキルを持っている俺様はなんて価値のある人間なんだろう。俺達に比べたら世の中にいる大多数はゴミカスのようなものだ」
本気でこんなことを考えている人間になる。
ネットだと他分野を見下すIT系が散見されるが、アレは何もITに関わったことじゃなくてあらゆる「一芸勝負の業界」で同じことが起きている。
言うまでもないことだが、この世界にあるあらゆる業種が他分野の助けを借りている。
たとえばプログラマーなんて電気がなくなれば何の職能もないクソ無能に成り下がるが、彼らの中には電気工事士を内心で「頭脳労働ができないから小手先でチョコチョコっと単純作業をすることで飯を食っている低知能ブルーカラー」として下に見ているものも少なくないわけだ。
なぜそんなことになるかと言えば、先に述べたように日夜「俺のスキルはこんなに凄いんです!だから俺は沢山給料をもらうべきだし、休みも沢山貰って良いはずなんだ」と喧伝していく必要が資本主義社会では発生するからである。
一芸で飯を食って、一芸が出来る自分を売って暮らす以外の生き方をしているとそれとは全く逆のことを言いながら働くことになる。
他分野の人達相手に「色んなスキルが重要ですよね。いやー貴方のスキルがなかったら僕達本当に困っちゃうな~~~」みたいな感じであっちにもこっちにも媚びていくことになる。
すると自然と「世の中ってやっぱ色んな人達がいて成り立っているんだよな」と考えられるようになる。
これはとても幸せなことだ。
自分の一芸に頼っていきていくうちに、自分たち以外のあらゆる人種を見下しはじめた連中の醜さときたら溜まったものではない。
狭い業界の中における権威ばかりが全てとなって、世界中の99%の人にとってはどうでもいいような物差しを持って他人を差別していきていくなんて、まともな生き方ではないのだから。
正解
先週お互いヤリモクで会ってきたときの話だけど、
マンさん募集文に、いきなりタメ口人は苦手です。って書いてあったのに会ったら相手はこちらにいきなりのタメ口っていうね
参考までにだけどこっちは30後半で相手は20前半(実際はたぶん30代)なのにどうしてこうなるんだろうね
定期募集してたのにこれで定期とか笑わせる
すんごい舐められるんだよね
いままでに4回も車に轢かれてるし、小学生のころなんて”ごめんねみたいなジェスチャー”で済まされたからね(運転手が降りてさえこない)
社会人になっても電車内でからまれ「お前次で降りろ」とか言われるし(臨むところだと答えたら相手だけ降りてって笑った)
停車中の車の隣を自転車で通っただけで「ぶつかっただろ」とか言ってからまれ(当然ぶつかってない。警察呼んだ。修理費名目で取ろうとしたらしい)
歩道を歩いてただけで車に轢かれ、青信号の横断歩道に突っ込んできた車に轢かれ、突然バックしてきた車に轢かれ
スーパーへ行っただけでカートでぶつかられ(警察に来てもらって事情聴いたら邪魔だったんだってよ)
女性には幸い絡まれないので痴漢冤罪にはあったことがないけど、電車内で絡まれるのは日常茶飯事
女性がここまで生きづらいってことは聞いたことがないから、背の低い男性に限るんだろうね
タイトルまま。
男性の自己紹介およびマッチ後のメッセージ諸々に、それで本当にいいのか?と疑問を抱く部分があるので誰かの参考にして欲しい。
ちなみに当方は30代女、参照対象はやりとりした31〜39歳の男性達。
①写真はそれで良いのか?
やる気があるなら恥を忍んで友達にとってもらった方が良いよ。
あとは加工とかマスクとかしてても良いけど、顔全体が見えるものを1枚は入れておけ。
顔晒してない男が顔晒してる女とはマッチできない可能性が高いんじゃないか?
こっちは顔出ししてんのにお前隠してるって何?対等じゃないだろ。
あと出来るだけ直近の写真を使え。
加工もそうだが何年も前の写真を使用して、会ったら全然違うってのは、せっかく会うまで行ったのに、印象違うって残念すぎるだろ。
お前が全盛期だったと思う時代には今から出会う人は出会えないんだから、過去に縋るな。
テンプレそのままのやつ、やる気ある?
写真につけられるコメントもそうだが「最近〜」って書くやつ、お前の最近はいつなんだ?◯◯年◯月って書け。
内容については好きに書けば良いけど、世間で通用する略称でなければ略すなよ。知らんがな、ってなるで。
いいね送った相手とマッチしたらまずいいねした側からメッセージしろ。
共通点や、どんなところが気になっていいねしたのか書くと良い。
メッセージのラリーはテンポも大事だが、名前間違い、文字間違い、言い回しに気をつけろ。
私は、他にマッチしたであろう女性の名前と間違えられたことがある。
名前を間違えたことに気づいた相手が、友達の名前と間違えたと言い訳してきたけど、だとしても良い気分ではない。
暇な暇ありますか?→これは一見丁寧だが、暇な日などない、時間は作るものだ。ましてや会ったことのない異性ならば、女性からは気の重いお出かけ予定になる。(と思う。)
会うために時間を作るのだ。
いつなら空いてますか?とか、都合のつく日はありますか?等々、言い回しはたくさんある。考えてくれ。
もぉ、どぉして、そーなんです、などと書く男、まだ君とは友達ですらないんだぞ、年齢も考えて、言葉遣いをなんとかしてくれ。
マッチングアプリで結婚した友人もいるから、別に出会い方としては悪くないと思う。
たくさんの人がやっているからこそ、良い人が少なく感じるのかもしれない、もちろんこちらがそんなふうに値踏みされていることも分かっている。
そこから考えられるのは、子供は規則正しく振る舞っていた訳ではないって事実
そのうえで、地裁ですらも老人の行動に6割の過失相殺を認めていた
相殺された結果として88万だったわけよ
相当な加害額が「認定」されてるよね
「老害にこそカネを払わせろ」
って感じ
裁判の内容は、さほど違いがないんだぜ?
児童がいる校庭に入っていくのは過失行為だというのも変わらない
それだけの話しを、ニュース記事の書き方ひとつでまるで判定がひっくり返ったかのように大騒ぎ
どっちにせよ、子供が指示を守らずにはしゃいで誰かに怪我をさせたら
それは学校の監督責任とは別に子ども自身の過失責任として賠償対象だとしてるの変わらないんだぜ
これ、学校の教師や用務員とかが業務で校庭にいて、後ろから小6の男に突然突っ込まれて怪我したら
老人を「当たりや」と呼んだり、「なんで裁判で子供(の親)に金払わせるんだ」みたいなヤカラは
お昼休みに同級生を怪我させても、「子供がやったことですから」とか相手が言いだしたら、炎上待ったなしの話じゃん
棘でよく燃えるやつじゃん
本当、この件に関しては、ニマニマとブコメを眺めている
世界中のメディアがイーロン・マスクを天才経営者として讃えるたび、心の奥底に沸き起こるのは猛烈な反発心だ。彼の壮大なビジョンや野心的な計画がもたらすインパクトは計り知れない。電気自動車での革新、宇宙事業への投資、さらにはSNSプラットフォームを買収して世界の言論空間を一変させようとする姿勢――どれをとっても、彼が稀有な才能を持つリーダーであることは否定できないだろう。しかし、その裏側には、人を顧みない強引さや、誰もが乗り気でない環境を一方的に変革しようとする独善性が垣間見える。彼は常に「未来を創る」と言うが、その方法に正当性はあるのか。私は強い疑問を抱かずにはいられない。
特に、彼がSNS上で見せる軽率な発言は、私の中にある嫌悪感をさらに増幅させる。刺激的なツイートで株価や暗号通貨の相場を乱高下させ、批判者を嘲笑し、炎上を煽るかのような行動を繰り返す姿は、リーダーというより権力を得た“トリックスター”のようだ。彼の言動を追いかける投資家や支持者は多く、SNSでは絶え間なく祭り上げられている。しかし、そうした「熱狂」が生まれるほどに、私は逆に強い反発を覚える。確かに並外れた頭脳や行動力を持つ人物ではあるが、その影響力をどう使うかという点で、彼はあまりにも無自覚ではないだろうか。
テスラの急成長がもたらした電気自動車市場の拡大は、間違いなく自動車産業に大きな変革をもたらした。それまでガソリン車が主流だった市場をひっくり返し、世界的な環境意識の高まりに合わせて時代を先取りする――その功績は称賛に値する。だが同時に、「内部告発を試みた社員への圧力」「過酷な労働環境」などが報じられるたび、私は苛立ちを禁じ得ない。美しい未来を掲げる一方で、その裏では「効率化」「革新」という名のもとに弱い立場の人々を切り捨ててはいないか。企業トップとして、多大な責任を負っているはずの人物が、利益とスピードのためなら人間性を犠牲にしても良いと思っているのではないか――そんな疑念が拭えないのだ。
さらにツイッターを買収したことによって、彼の性格がより露わになったと感じる。コンテンツ規制や言論の自由をめぐって賛否両論あるのは当然だが、長年にわたって築き上げられてきたプラットフォームの秩序を、一夜にして根本から覆そうとする様子には乱暴さを感じる。彼が純粋に「言論の自由」を守りたいと考えている部分もあるのかもしれない。だがそのやり方は、あまりにも一方的で、議論よりも強制が先に立っているように見えるのだ。市場やユーザーコミュニティに計り知れない影響を及ぼすのに、まるで実験場のように扱っている――そんな印象を拭えない。
イーロン・マスクを支持する人々は、彼の天才性に魅せられているのだろう。既存の常識を打ち破り、火星移住やハイパーループなど、大胆不敵な夢を語る。そのビジョンの壮大さは、多くの人の心を掴むだけのパワーを確かに持っている。だが私は、その華々しい夢の裏側を常に見てしまう。膨大な資金を動かし、何千何万という人々を働かせ、社会のルールを変えてしまうほどの権力を持っていながら、彼の言葉からは「共感」や「謙虚さ」が感じられない。むしろ「自分だけが正しい」という慢心が透けて見え、周囲を振り回すことで注目を集めているようにすら思う。
なぜここまで拒否反応が強いのか。それはひとえに、彼が持つ「影響力の大きさ」にある。誰かが極端な意見を言うこと自体は、表現の自由の範疇だろう。しかし、イーロン・マスクほどの知名度や資本力を伴う人間が放つ言葉は、社会全体を揺るがしかねない重みを持っている。ところが、その発言や行動に時として慎重さがまるで感じられないのだ。「自分はあくまで一般人としてツイートしている」というような言い訳をするが、何千万・何億というフォロワーがいる「一般人」など存在するはずもない。こうした言動を繰り返す彼に対して、憎しみすら覚えてしまうのは、私だけではないだろう。
また、彼のコミュニケーション・スタイルがしばしば相手を嘲笑するように感じられることも、嫌悪の理由だ。議論や批判に対して真摯に向き合うより、自分の正当性を訴え、批判者をからかったり攻撃したりする。そのような姿勢は、強いリーダーシップというよりは、単なる攻撃衝動に近いものではないかと思う。カリスマ性を持つトップがそのように振る舞えば、多くの人が追従し、さらに対立や分断が深まる構図が生まれるだろう。まるで、大きな声で威圧した者が勝つかのような、乱暴な言論空間を助長しているようにさえ感じる。
もちろん、メディアは過剰に彼を煽っている部分もあるかもしれない。私たちが知るイーロン・マスク像は、メディアとSNSを介して編集された一面だけだろう。しかし、そこから受け取れる情報だけでも十分に「過激」であることは間違いない。もし彼に穏やかで思いやり深い一面があったとしても、表に出るのは挑発的な発言や、予測不能な行動ばかり。まるで、彼は注目を浴びるために、あえて波風を立てているようにすら見える。そして、その姿勢こそが彼のカリスマを強化し、信奉者を増やす一方で、私のような反発を覚える人間を確実に増やしているのだ。
私はイーロン・マスクの実績をすべて否定するつもりはない。電気自動車市場の発展は、環境問題への意識を高め、産業構造を大きく変えるほどの影響力を持った。また、宇宙事業への参入によってスペース業界全体が活性化した面もあるだろう。だが、それらの「功績」がすべて肯定されるべきかというと、そうとは思えないのだ。なぜなら、そのプロセスや彼の姿勢に数多くの疑問や問題が散在しているからである。テスラの工場では社員への過重労働が報じられ、Twitter社の買収後には大量解雇が行われた。一方的なリストラは、社員だけでなく利用者の信頼も損ねる結果になったはずだ。
「革命児」と呼ばれる彼だが、そもそもその革命は誰のためのものなのか。人類全体の未来を切り開くために行動しているのか、それとも自己顕示と自己満足のためなのか。もちろん、野心や自己顕示欲が全否定されるわけではないし、彼のような強烈なビジョンに突き動かされてこそ社会が進歩する面もある。だが、そこに「協調」や「周囲への配慮」が欠けていれば、残るのは混沌と犠牲だけではないだろうか。彼の一連の言動を見ていると、より良い未来を本当に望んでいるのか、それとも周囲を振り回しながら称賛を得ることに酔いしれているのか、判断に迷ってしまう。
彼のメディア露出やSNSでの動向は常にセンセーショナルだ。発言のひとつひとつが見出しになり、多くの人が熱狂的に反応する。その状況がさらに彼の影響力を拡大し、支持者は彼を「現代の発明王」として崇拝する。だが、それは彼自身が意図して作り出しているイメージ戦略でもあるかもしれない。自動車からロケット、そしてSNS運営まで、多岐にわたる分野で「既存の常識を壊す男」としてのブランドを強烈に打ち出す。その裏には、おそらく綿密なマーケティングも働いているはずだ。
こうした「自己プロデュース」の巧みさもまた、私の嫌悪感をあおる。もし彼が本当に未来のためだけを思って行動しているのなら、わざわざ挑発的な言動を繰り返したり、周囲を見下すような態度を取ったりしないのではないか。むしろ、その尖った姿勢こそが注目を集める秘訣であり、巨額の利益を生み出すエンジンになっている――そう考えると、ますます彼への不信感が募るばかりである。
また、彼のビジネス戦略や資金調達の手法も、ときに「投機的」であるとして批判されてきた。彼のツイートひとつで暗号通貨の価格が乱高下する様子は、社会全体を巻き込む大博打のようにも見える。もちろん、投資家たちはリスクを承知のうえで参入しているのだろうが、そこに新たに巻き込まれる一般層もいるだろう。巨大な影響力を手にした人物が、その力をどこまで自制しているのか、外からは判断がつきにくい。彼がいかに「自由」を標榜したところで、そうしたパワーバランスの偏りは真の自由からはほど遠いのではないか。
イーロン・マスクが嫌いだ、と口にすると、彼を称賛する人々から「嫉妬」や「時代遅れの思考」と批判されることもある。しかし、それでも私は彼の一挙手一投足に警戒心を解くことができない。彼のような存在が絶対的支持を集める社会は、一種の危うさを孕んでいると感じるからだ。リーダーが強引に物事を推し進めることで、一見スピード感のある変革が進んでいるように見える。しかし、その過程で切り捨てられる価値観や人々の声を、私たちは本当に無視してよいのだろうか。
私が彼を憎む理由は、こうした「社会的影響」を踏まえてもなお、彼があまりにも自己中心的に感じられるからだと言えるかもしれない。自分のビジョンこそが絶対に正しいと信じ、批判する者には容赦なく噛みつき、さらには軽率な一言で世界中を混乱させる。そのカリスマが絶大だからこそ、多くの人が振り回されてしまう。それが彼の望む未来の形であれ、人々に「ついていかざるを得ない」状況を作り出すことこそが、彼の真の目論みなのではないか。そう疑ってしまうほど、彼の支配力は強力だ。
もちろん、この強烈な拒否感は私自身の問題でもある。彼のように型破りな人間を受け入れられない、自分の閉鎖的な思考が投影されているのかもしれない。あるいは、あれほど自由奔放にふるまいながら次々と成果を上げていく姿への嫉妬心や劣等感もあるのだろう。しかし、それでもなお、「イーロン・マスクが憎い」という感情は消えない。むしろ、その感情が湧き上がるほどに、彼の存在が大きいこと、そして社会全体に与えるインパクトが桁外れであることを痛感させられる。
だからこそ、私は敢えて彼を批判し続ける必要を感じている。イーロン・マスクのような人物を「天才」「革命児」として無条件に称賛する風潮は、危うい夢を見せると同時に、多くの問題を覆い隠してしまう可能性がある。私たちは、彼のような突出した才能を「絶対の存在」として祭り上げるのではなく、その言動の裏にある思惑や影響力の行使について常に疑問を持ち、検証し続けなければならない。彼がもたらす革新が本当に世界を良くしているのか、それとも特定の価値観や層だけが恩恵を受け、他の多くが犠牲を強いられているのか、冷静に見極める必要があるのだ。
最終的に、イーロン・マスクをどう評価するかは人それぞれだろう。彼の型破りな行動力こそが新しい地平を切り開く鍵になると信じる人もいれば、私のように憎しみや反発を覚える人もいる。しかし、多様な意見が存在することこそが社会を前進させる。この「憎しみ」の声すらも、一つの大切な批判的視点として意義があるのではないかと思う。彼の眩いばかりの成功とカリスマに目を奪われる一方で、その裏側で踏みにじられているかもしれない人々の声に耳を傾ける必要がある。そうでなければ、未来を創るという名のもとに、ただ独裁的な支配が生まれてしまうかもしれないのだから。
私は、イーロン・マスクの存在自体をすべて否定するわけではない。むしろ、彼ほどの影響力を持つ人間が、もう少し「他者に対する配慮」や「謙虚さ」を備えていれば、今よりももっと多くの人々から純粋に支持されるだろうに、と残念でならない。そして、この憎しみの感情は、そんな「あり得たかもしれない別の姿」への期待を裏切られ続けてきた結果なのだろう。私は彼の言葉を聞くたびに、ああ、また無責任な発言で誰かを傷つけているのではないか、と心配になる。その繰り返しが、私の中の反発心を強固なものにしているのだ。
イーロン・マスクが語る夢やヴィジョンは確かに魅力的だ。火星移住に胸を躍らせる人もいるだろうし、電気自動車によるクリーンな未来に希望を見いだす人もいるだろう。彼が巻き起こしているイノベーションは、間違いなく人類の歴史に残る大きな一歩でもある。だが、その過程で生まれる軋轢や混乱、そして彼自身の傲慢ともいえる態度を見過ごしてはいけない。そこには、私たちの社会が本来持つべき「相互理解」や「多様性の尊重」が欠けているように思えてならない。
だからこそ、「イーロン・マスクが憎い」という私の感情は、単なる個人の感情以上の意味を持つのだと信じたい。彼のように突出した存在が現れるとき、社会は否応なく揺さぶられ、さまざまな価値観の衝突が起こる。そのとき、無批判に称賛するだけでは、本質的な問題には気づけないかもしれない。むしろ、強い反発心を抱く人々の声にこそ、彼の手法や態度が孕む危うさが映し出されていると考えてもよいのではないか。
私たち一人ひとりが彼をどう捉えるかによって、社会の未来は微妙に変化する。もしイーロン・マスクが真に誰もが幸せになる未来を望んでいるのなら、批判や反発の声にも耳を傾け、何が問題とされているのかを真摯に考えてほしい。その一方で、私たちもまた、自分たちが彼に何を求めているのかを見直す必要があるのだろう。彼の冒険心に夢を見たいのか、それとも彼が作るかもしれない新たな秩序に身を委ねたいのか。そして、そうした未来像に抵抗を覚えるならば、なぜ覚えるのか。その理由を自分自身に問い続けることこそが、彼のような巨大な存在に対する「本当の対抗手段」になるはずだ。
私がイーロン・マスクに憎しみに近い感情を抱くのは、彼が象徴するものが、私たちの社会の抱える矛盾や欲望をはっきりと映し出しているからかもしれない。彼の波乱万丈の行動は、私たちの心の奥底にある「常識を超えたい」「歴史に名を残したい」という野心を代弁している。同時に、そのためには他者を踏みにじってもよいという暗黙の了解すら示唆している。私はそこに嫌悪感を覚えずにはいられない。より良い未来を見たいと思いつつ、その実現手段にどうしようもない違和感を覚える。この相反する感情が「憎しみ」という強い言葉となって表出しているのだ。
最終的に、イーロン・マスクを憎むかどうかは個人の価値観によるだろう。彼を救世主のように思う人もいれば、私のように嫌悪感を募らせる人もいる。ただ、どちらの感情も社会にとっては大切な警鐘であり、そこから生まれる議論や検証こそが真の進歩へと繋がっていくのではないかと思う。彼が生み出す革新の光と影を直視し、その功罪を冷静に評価する。それこそが、私たちが「イーロン・マスク」という巨大な存在と向き合うために欠かせない姿勢ではないだろうか。私が「イーロン・マスクが憎い」と感じるのは、きっと彼が放つまばゆい光の強さに目が焼かれ、影に潜む危険を見逃せないからなのである。彼は目を背けられないほどの影響力を持っているがゆえに、私たちに葛藤を強いる。だからこそ、その存在について問い続けることが、社会の未来にとっても重要なのだろう。
Mくん: あの、智子先生。ちょっと相談したいことがあるんですけど…。
智子先生: …なんだ、M。珍しいな。どうした?悩みでもあるのか?
Mくん: はい…最近、なんだか自分が何をやってもダメな気がして…。例えば、自分の文章力が足りないとか、人に迷惑ばかりかけてるんじゃないかとか…。あ、これって僕のせいですよね?
智子先生: なるほどな。お前の言う「何をやってもダメ」ってやつ、心理学では「認知の歪み」って言うんだが、Mの場合、それがいくつか混ざってるっぽいな。
Mくん: 認知の歪み…ですか?
智子先生: そうだ。簡単に言うと、「物事を事実よりも偏った見方で捉えちゃうこと」だ。Mの話を聞く限り、いくつか典型的なパターンが見える。
Mくん: そうかもしれません…。相手が嫌な気分になったら、それは僕が悪いんじゃないかなって…。
智子先生: バカ言うな。相手がどう感じるかは相手の問題だ。もちろん、自分が失礼な態度を取ったんなら反省する必要はあるが、相手が勝手に悪く受け取るのまでお前が背負い込む必要はない。
智子先生: 次に、「全か無か思考」。これもやっかいだ。お前、例えば文章力を「大学生以下」とか言ってたけど、実際にテストでもしたのか?
Mくん: いえ、テストはしてないですけど…。なんとなくそう思うんです。
智子先生: それだよ。「なんとなく」で自分を全否定するな。文章力が足りないと思うなら、どの部分が具体的に課題なのかを見つける方が大事だ。そもそも、他人がすごく見えるのは、お前が自分を過小評価してるからだぞ。
智子先生: あと、「被害妄想」な。裏で悪口を言われてるとか、SNSで何か書かれてるとか考えてるみたいだけど、それ、証拠あるのか?
Mくん: …たぶんないです。でも、過去にそういうことをされたから、また起こるんじゃないかって…。
智子先生: うーん、過去の経験が影響してるのはわかるけどな、それが現実になるとは限らない。今の時点で証拠がないなら、まずは「そうかもしれないけど、違うかもしれない」くらいに考えとけ。
Mくん: でも…僕、都合のいい人扱いされてる気がして…。
智子先生: それ、「自分へのラベリング」ってやつだな。そう決めつけてるのは、他でもないお前自身だ。他人の行動を自分に対する評価だと思うな。実際、Yさんからは頼られたり感謝されることもあるんだろ?
智子先生: それだよ。それを無視して「都合のいい人だ」と決めつける必要はない。
Mくん: わかってきました。でも、どうやって考え方を変えればいいんでしょうか?
「こう思う」は「事実」じゃない。何かを信じ込む前に、「本当にそうなのか?」と一度確認してみろ。
客観的に状況を見る
自分に厳しくなる前に、「もし他の人が同じ状況だったら、自分はどうアドバイスするか?」を考えてみるといい。
文章力が不安なら、短い文でいいから練習して、誰かに見てもらえ。「やればできる」って実感が少しずつ自信につながる。
自分の考えが「いつも」「全て」に当てはまるか、確認してみろ。ほとんどの場合、そんなことはない。
Mくん: ありがとうございます…。なんだか少し気が楽になりました。
智子先生: それでいい。お前のその真面目さ、悪いもんじゃない。ただ、もうちょっと自分に優しくしろよ。お前が自分を否定しすぎると、誰も助けられなくなるからな。
悪行組織相手の民事裁判に関わると、裁判所は責任を負いたくない、お前が刑事被告人になれ、という暗黙の圧力が凄いから、
山上の行動は分かるが、
武器も何もなければ無理だし、誰かを殺したところで経済組織は解散しないでしょ
深夜の書斎に、絶え間ない雨音が響いている。デスクに置かれたコーヒーカップからは、かすかな湯気が立ち上り、Discordの画面から漏れる青白い光の中でゆらめいていた。
私は画面に映る過去のログを見つめながら、このコミュニティでの2年間を振り返っていた。50代の資産家、Aさんが立ち上げたこの場所は、かつて私にとって理想の居場所だった。
初めてボイスチャットに参加した日のことを、今でも鮮明に覚えている。
「ようこそ!気楽に話してください」
Aさんの声には、相手を不思議と安心させる力があった。その後の数時間、私は夢中で話し込んでいた。様々なバックグラウンドを持つメンバーたちと、仕事のこと、趣味のこと、時には人生観まで。誰もが対等に、自由に語り合える空間。それが、このコミュニティだった。
しかし、ある雨の夜を境に、すべてが変わり始めた。
女性メンバーの一人が終電を逃した時のこと。Aさんの何気ない送迎の申し出が、予期せぬ連鎖を引き起こした。
「Aさんって、本当に紳士的よね」 「私も先週、Bさんに素敵なディナーに連れて行ってもらったの」 「このサーバーの男性陣は、みんな優しくて素敵...」
まるで高級クラブのような空気が、静かに、しかし確実にコミュニティを覆い始めた。表面的な「紳士的配慮」の下で、見えない序列が形成されていく。それは、一枚の美しい絵画に、黒いインクが一滴、また一滴と落ちていくかのようだった。
ある日、ふと気づいた。これは、野良猫に餌を与え続けることと同じではないだろうか。確かに、その場では猫は喜ぶ。しかし、それは猫から狩りの本能を奪い、自立する機会を失わせてしまう。私たちは、本当の意味で相手のことを考えているのだろうか。
デスクの上の結婚写真が、私に静かな確信を与えてくれる。妻との関係は、このような表面的な「優しさ」とは全く異なる。互いを理解し、支え合い、時には厳しい言葉も交わす。それこそが、本当の意味での尊重ではないだろうか。
朝8時、待ち合わせたカフェでAさんと向き合った。昨夜からの雨は上がり、窓ガラスに残った雫が朝日に輝いている。
「このコミュニティでの2年間は、私にとってかけがえのない時間でした」
一呼吸置いて、続ける。
「でも最近、違和感を感じることが増えてきました。特に、女性メンバーへの過度な配慮が、意図せず依存関係を生んでいるように思えて...」
Aさんの表情が僅かに曇る。しかし、彼の返答は意外なものだった。
「正直に話してくれてありがとう」彼の声には、深い思慮が滲んでいた。「私も最近、同じような違和感を感じ始めていた。善意のつもりが、逆効果になっていたのかもしれない」
カフェを出ると、清々しい朝の空気が頬を撫でた。スマートフォンに妻からのメッセージが届く。
その言葉に、目頭が熱くなる。これまで感じていた重圧が、少しずつ溶けていくような感覚。
通勤途中の雑踏の中、私は空を見上げた。昨夜までの雨雲は完全に晴れ、澄んだ青空が広がっている。誰かを本当に想うとは、その人の自立を信じ、見守ることなのかもしれない。その思いと共に、私は新しい一歩を踏み出す準備を始めていた。
Mくん
清夏、聞いてほしいんだけどさ。最近、債権に動きが出てきたんだよね。
清夏
へえ、そうなんだ~!債権って、なんか株とはまた違う感じで動きそうだよね。
Mくん
そう!株と債権って基本的に逆相関って言われてるじゃん?だから前から「これは準備しておかないとな」って思ってて。少しずつ債権にも手を出してみたんだ。
清夏
おお~!さすがMくん、準備がいいね~。それで、どうだったの?
Mくん
まだこれからって感じだけど、一番低いところから抜け出そうとしてるんだよ。だから、毎日チェックを欠かさずして、いちばん美味しいタイミングで積み増していこうかなって。
清夏
Mくん
いや、これが意外と楽しいんだよ。ポートフォリオを分散させるっていうより、「ここは一方通行で来る時が来る!」みたいな感覚でやってるからね。株の空売りと、債権価格が上がる方にベットしてるんだけど、これ両方とも当たりそうでさ。
清夏
おお~、すごい!それって、どのぐらいで結果が出そうなの?
Mくん
時間がかかるなら積立を増やすだけだし、すぐ動くなら美味しいところで利確して組み替えればいいかなって。どっちに転んでも大丈夫な感じでやってるんだ。
清夏
なるほど~。なんか、しっかり作戦立ててるのがMくんっぽいね!
Mくん
ありがとう。でもね、こういう運否天賦の勝負をする時は、「これはさすがに勝つでしょ」ってところでしか勝負しないようにしてるんだ。ポーカーもやるけど、このやり方で上位2割には入れるんだよね。
清夏
えっ、ポーカーもやるの!?しかも上位2割って、普通にすごくない?
Mくん
いやいや、そんなことないよ。結局、残りの8割の人は勝負を急ぎすぎたり、引くところで引けなかったりして負けるんだ。固く打つだけで2割には入れるってだけ。
清夏
へえ~、でもその「固く打つ」ってのが、Mくんの得意技なんだね。
Mくん
そうだね。でもさ、優勝狙いに行く人はまた違うんだよ。「ゴミ手でも勝てるタイミングで行く」とか、「高得点で相手にプレッシャーをかけに行く」みたいなテクニックも必要になるしね。俺はそこまでアグレッシブじゃないからさ。
清夏
アグレッシブな戦術って、確かに難しそうだね。でも、Mくんみたいに手堅く行くのもかっこいいと思うよ!
Mくん
ありがと。でもね、実務でも同じなんだよ。「ここを押さえれば勝てる」っていうところに照準を合わせて動くようにしてて。準備期間がきつかったら潔く下がるし、逆算して動くのが大事なんだ。
清夏
そうなんだ~。それって、ちゃんと自分のペースを守って動けてるってことだよね。すごいなあ。
Mくん
いや、そんなにすごくないよ。いつも勝てるほど強かったらこんなことしなくてもいいんだけどさ。いつも勝とうとすると疲れるじゃん?だからここ数年はこういうやり方にしてるんだよね。
清夏
うんうん、それでMくんが「勝ちたい時にちゃんと勝つ」ってできてるのがすごいと思うよ。
Mくん
そうかな?でも最近思うんだよね、次の目標は「平常運転にうまくスライドすること」だって。積み上げるだけじゃなくて、平常運転の時に少ない力で力を保つのが大事だから。
清夏
なるほど~!平常運転を目標にするのっていいね。Mくんならきっとその目標も達成できるよ!
Mくん
そうかな…?ありがとう、清夏。話してて少し自信ついたかも。これからも地道に頑張るよ!
清夏
うん、応援してるよ!また進捗とか聞かせてね~!
同感です
僕は増田さんのような妻と一緒に居たい。お互い褒められて感謝されて嫌な人は居ないし。
最近頂き女子りりちゃん(以下りりちゃん)の判決が確定したんだよね。
懲役9年弱と罰金800万円(所得税とか諸々の罰金は別)だった。
そんで判決出る前は「りりちゃんはごくちゅうです」とかいうふざけたネームで世間に自筆の文章公開してたら何かと話題になってた。
そんで調子に乗って映画を作ろうとか言い出したんだけど、これがメチャクチャ世間の批判を浴びて制作は中止。
SNSやらネットからの収益は被害者への弁済で使いますとか言っておきながら、被害者のインタビューで一切弁済してない事が分かったりもうグダグダになった。
人生において大事な大切な20代の時間を刑務所で臭い飯を食いながら過ごすのはかなり辛いと思う。
詐欺した金でホストに貢ぎシャンパンタワーをした時のアドレナリンや高揚感を知ってる人間からしたら余計に。
そんで今回の判決が決定した後、以前からりりちゃんの周りで動いてた大人がその事に一切触れてないんだよね。
別に出来事全部SNSで発信しろとは思わないが、あれだけ深く関わって支援してきたし少なくとも応援してた奴らもいるんだから何かしらの反応をするのが筋ってもんだろ。
金にならないと分かったから手を引いたと思うやつだっているかもしれない。
多分りりちゃんはずっとこうやって周りにいる人間に裏切られてきたからこんな事になっちゃったのかな。
少なくとも金を使ってる間は確実に相手してくれるホストにハマっちゃったのかな。
なんだかやるせないね。