はてなキーワード: 一般とは
引き止めるなら口紅やまつエクはじめて女装家の道を歩み出したらにしましょう
基礎化粧品でさえないような肌ケアでキモいとか言い出すいい年した女の方がキモい、と考えるのが今の世間一般なので
そこんところは理解しておいた方が良いですね
少し前に、日本の医師がグアムで解剖学実習を行ったのをSNSに上げたことが炎上した。
投稿自体はすぐに消されて、数日後に謝罪の記事を出していたけど、謝罪の内容となかなかひどかった。
炎上の内容はここではあえて詳しくは書かないけれど、この件を受けて「自分が死んだら献体することを考えていたけど、今回の件でやっぱりやめようと思う」という書き込みが散見されて、非常に悲しい。
大多数の真面目な医師、医学生の真剣な学びが、たった1件のネット上の書き込みに邪魔されるのは耐えられないので、この記事を書こうと思いたった。
ここでは、医学部の解剖学実習がどのように行われるのか、医学生がどのようにご献体に敬意を払っているのか、また払うように教えられるのかということを書いていこうと思う。
大前提として、献体というのは100%本人と遺族の意思によって行われる。だから、あなたが今回の件を受けて、あるいはその他の理由でも、献体に出すことを不安に感じたのならば、その意思は確かに尊重されるべきだと思う。だけど、「医者や医学生はみんなあんな感じで解剖実習に取り組んでいる」「あれが業界のスタンダード」と思われたくはない。
最初に私の話を少しさせてもらうと、私は、とある大学医学部に入学したのち、3年目で中退している。だから医学教育は途中までしか受けていないし、今は一般の会社で働いていて医師ではない。中退の理由はお察しの通り成績不振で、留年して2年生を2回しているので2年生で行われる解剖学実習も2回受けている。
だからここでは、とある私立医学部で成績が下の下だった元医学生から見た「解剖学実習」というものについて書いていきたい。
なお、解剖学実習室で起こったことには、医師であろうとなかろうと、医学生であろうとなかろうと、中退した元医学生にも、守秘義務というものが発生する。だからここでは、個別具体的に起こったエピソードというよりは、一般論として「医学部では大体こういう感じ」というものとして読んでいただきたい。
解剖学実習は2年生の後期に行われる。他の教科は前期にあらかたやってしまって、2年生後期はほぼ毎日、1日中解剖学実習室に篭ることになる。だけど何も知らない中でいきなりご遺体を切るわけにはいかないので、前期には実習の準備講座のような授業がある。そこでは、まだ見ぬ人体の構造について、まずは教科書を見ながら勉強していくというもの。特に「骨学」と言って、骨の形や名前を覚えることは必須だった。
日本語と英語、余裕のある人はラテン語でも覚えるように勧められた。ちなみに上記の骨は順にラテン語で、Radius, Ulna, Femur, Clavicula, Costa, Mandibulaだ。
左右がある骨は左右まで同定するよう覚えさせられた。手や足の指の骨や、手のひらや足の甲を構成する小さい骨に至るまで、見ただけでわかるようにしなければならなかった。さて、骨学の実習にはもちろん骨の標本を使うのだけど、この標本は全て本物のヒトの骨を使ったものだと最初に説明があったのを覚えている。おそらく今同じ標本をヒトの骨から作ることはできないだろう。どうやって作ったのかは知らない。「人の骨の標本」と言われて、よく理科室にある骨格標本を想像する人もいるかもしれないが、骨学で使う標本は木箱に入っているもので、骨格標本のように組み立てられた状態にはなっていない。小さい骨もあるので「絶対に無くすなよ」と念を押されたのを覚えている。
「皆さんは後期に実際の人の体を使った実習を行います。これも本物の人の骨を使った標本です。こうなる前には、皆さんと同じように生きていた人たちのもので、非常に貴重なものです。くれぐれも粗末に扱ったり、乱暴に扱うことのないように」
目の前の骨が本物と聞いて、ビビる学生たち。いよいよか…という緊張感が走ったのはよく覚えている。
骨学の試験は、テーブルに一つ一つ置かれた骨の名前を解答欄に記入していくというものだった。回答は日本語または英語、ラテン語も可とされていたけど、ラテン語で書いた人っていたのかな。
ちなみに解剖学の先生(おだやかなおじいちゃん先生だった)が学生の頃は解剖学はラテン語で習ってたらしい。前期の終わりの暑くなってきた時期に、汗かきながら無言で骨学の試験を受けたのはよく覚えてる。
実習前には骨学の他にも、実際に遺体を目にする前に図録や教科書で人体の構造を理解する。いきなり人の体を切る前に、その準備段階として予習はしっかりやっておかなければならない。
解剖学実習は後期からグループで行われる。大体1グループ4−6人くらい。基本的に気の合う者同士で組むことが多いけど、人によっては仲の良さよりも成績が近い人同士とか、もっと戦略的なことを考えて組んでる人もいた。
各グループが1体ずつご遺体を担当し、学期の終わりまで解剖していく。1学年が大体100人ぐらいなので、20体前後のご遺体を1学年で解剖することになる。ご遺体がどのような過程で集められるのかについては後述する。
「解剖学においては、いま皆さんの目の前に横たわっているご遺体こそが最大の教科書です。そしてこの人たちは医者になる皆さんの最初の患者さんになります。多くのことをこの「患者さん」から学んでください。それこそが、彼らが自らを献体したことに対して皆さんができる最大の恩返しです」
実習はほぼ毎日、朝から晩まで行われるが、毎日実習の最初と最後には黙祷を行うのが常だった。班の中で持ち回りで毎週誰かが花を買ってきて、枕元に活けていた。
ご遺体はホルマリンで防腐処理を施されているので、実習室は揮発性のにおいで充満している。このにおいが苦手な学生は特別に換気のいい小部屋を与えられるが、その部屋は銭湯の半露天風呂のような構造で冬はとっても寒いので、その部屋の人たちは大変だなあと思って見ていた。またご遺体は血液も抜いてあるので、切っても血は出ない。ここが手術などとは大きく違う点かもしれない。
解剖学実習では、体のいかなる小さな部分も捨てることは許されない。遺体の一部でも規定外のやり方で「廃棄」することは法的な問題がある(たぶん下手したら「死体遺棄」とかになる)だけでなく、もちろん倫理的な意味でも絶対にやってはいけないことだ。
だから切り取った皮膚や脂肪などの組織片は細かいものも含めて全て別の箱に入れて、実習の最後まで取っておかなければいけない。
別の学年が実習していた時には、その組織片が実習室内の洗い場に捨てられていたのを先生が発見し、激怒。学年全員を落第させるぞといって大騒ぎになったそうだ。
組織片の扱いについてはそれほど厳しく慎重に取り扱われる。
森本梢子『研修医なな子』という漫画で、「解剖学実習中のなな子が、髪に脂肪の破片をつけたまま気づかずにいる」という描写があるけれど、これは少なくとも私が受けた解剖学実習ではありえないことだ。ていうか実習室で何したら脂肪片が髪につくの…?
実習では、本当にすべてを見る。
あらゆる臓器、あらゆる関節、あらゆる筋肉、あらゆる血管、あらゆる骨…。
場合によっては、色々な理由で普通とは違う構造をしたご遺体に当たることがある。手術で臓器を取っていたり、病気の痕跡があったり、先天的に他とは違う構造になっていたり。そんな時は他の班のご遺体を見せてもらったり、他の班からみんなが見にきたりする。
単純に腕が悪すぎて見ておくべき重要な神経や血管を見逃してしまい、他の班に見せてもらうこともある。「あの班はXX神経がすごく綺麗に出てるらしい」と話題になってみんなが見に言ったりもしていた。解剖学実習では、班ごとだけでなく学年みんなんで取り組む、みたいな意識が強かったように思える。
都市伝説的に、「遺体の耳を切り落として壁に当て『壁に耳あり』と言った学生がいた」「脳でサッカーをした」「大腿骨でチャンバラをした」といったエピソードが聞かれることがあるが、少なくとも私が参加していた解剖学実習では、みんな真面目に取り組んでいてそういう遊びをする空気ではなかった。別に空気がピリピリしている、というほどではなかったけど、ふざけたり大騒ぎするような人はいなかった。
上記の都市伝説について考えてみたのだけど、耳介(いわゆる外側に出てる『耳』の部分)は軟骨だから切るのはけっこう大変だし、解剖の過程で耳介を切り落とした覚えはないので、たぶん解剖学の普通の手順じゃないような気がする。耳介を切り落とす前にやることあるだろ普通に。ネットで検索した限りもしかしたら戦前とか、かなり昔の逸話のようだ。
ヒトの脳は蹴って遊べるほど硬くないのでこれは嘘だと思う。あと蹴って遊ぶ前にやることあるだろ普通に。
大腿骨チャンバラは現実に起こったとしたら骨学の実習中の話だと思うけど、行為の是非以前にまず授業中に何やってんだって話。
いずれにせよこんなことする学生は全員落第か退学になってると思う。なっていてほしい。
解剖学実習室では、時々遺族が見に来ることがある。もちろん実習室の中には入れないものの、壁一枚隔てたところにご遺族がいたりする。そういう日は朝にお知らせがあることもあるけど、何も言われないからって誰も来ていないとは限らない。だから言動には気をつけるようにいつも厳しく言われていた。
どこで誰が見ているか、聞いているか分からないので、実習室の外での会話にも気を付けるよう、注意もされていた。今回炎上した件で、「新鮮なご遺体」という表現に引っかかっていた人が多かったように、医師/医学生同士の会話で普通な言葉遣いでも、事情をよく知らない人が聞いたらビックリしてしまうことは往々にしてある。
「明日の実習でさ、ナントカ動脈の走行を確認したいからあそこ切ってここ開いて…」なんて話、一般の人に聞かせたらいけないよね。
同じように、解剖学の図表を公共の場所で開く時にも注意するように言われていた。私は『ネッター解剖学アトラス』という図表を使っていたけど、イラストなのに写真みたいに(何なら実物よりも)鮮やかに描かれているので、事情をよく知らない人が急に見たら確かにビックリすると思う。
今回炎上した件で問題になった写真撮影について、自分の時はどうだったかなと思い出してみたけど、当時はガラケーだったので少なくとも写真を撮る目的では携帯を実習室に持ち込むことはなかったはず。ロッカーに入れてたと思う。
実習室で遺体に触るときには手袋をするんだけど、途中で教科書を見たり他のことをするのに手袋を付けたり外したりを繰り返すので、そんな環境にわざわざ携帯を持ち込んでたとは思えない。
学年内で発表のために撮影が必要なときは、共有の小さなデジカメを使っていたと思う。もちろん、SDカード含めて外部への持ち出しは禁止で、実習室内の共有のパソコンでスライドを作って発表していたと思う。
スマホが普及した今では、当然スマホの持ち込みは禁止になっていると思う。
半年かけての解剖学実習が終わると、学生が自らの手で納棺を行う。
遺体と、遺体から切り取った組織片も、細かいものも含めて全て棺に収める。臓器などはできるだけ元の位置に置いておく。中には、遺族から預かった遺品を一緒に入れることもある。みんなで丁寧に納棺し、学生たちの手で釘を打つ。
遺族はこの納棺の時にも立ち会うことができないので、学生たちがご遺族の代わりに責任を持って納棺するのである。
学生の中には、ご遺体に手紙を書いて棺に納めていた者もいた。半年も一緒に過ごしたご遺体なので、親近感もあるし、感謝もある。文字通りの意味で「体の隅々まで見せてもらった」という点では、ある意味で家族よりも濃い関係を築いたものだと思うし、そういう自負が解剖を終えた学生にはある。
学生たちは、この段階で初めてご遺体のことを少しだけ聞くことができた。何歳で、どんな病気で亡くなった、とかぐらいだけど、それで「ああ、だからあんなに体格が良かったんだな」とか「あの臓器の状態はその病気のせいだったのか」などと少しだけ答え合わせをすることができる。
大抵の医学部附属病院では、年に1回解剖慰霊祭というものが行われる。解剖学実習のために献体した方や、医学部の研究施設で実験に使われた動物たちの慰霊祭である。解剖学実習をした学年(私のいた大学では2年生)の学生は全員参加で、あとは献体した方のご遺族、大学の研究者や関係者が参加する。もちろんスーツで来るよう求められるし、ここでも(なんたってご遺族が来ていることもあるし)ふざけた態度など取る人はいなかった。
一緒に実験動物の慰霊祭も行うんだけど、ネズミ何匹、ウサギ何羽…と当然ながら数が記録されていて、他にもあまり聞いたことない動物の名前も挙がっていたのが印象的だった。
献体とは、医学および歯学の発展のため、また、力量の高い医師・歯科医師を社会へ送りだすために、死後に自分の肉体(遺体)を解剖学の実習用教材となる事を約し、遺族が故人の意思に沿って大学の解剖学教室などに提供することである。(Wikipedia)
大学病院にはこの献体を生前に受け付ける事務局があり、あなたがもし自分の死後に献体をしたいと思ったら、まずは最寄りの大学病院や自分が献体したいと思っている大学病院の事務局を訪ねることになる。
そこで、幾度かの面談を経て献体に登録することになるが、献体には通常、家族の同意も必須となる。面談にも家族と来ることを求められるし、死後に家族の反対があれば献体自体ができなくなる場合もある。
事前に面談に参加していて理解が得られていても、「いざその時」になって気が変わった家族の反対で献体が中止になる例もザラにあるらしい。
献体に登録していた人が亡くなると、病院内で弔いをしてから防腐処理に入る。具体的にどのような処理をするかはここでは割愛するが、普通はホルマリンを使った防腐処置を施す。
問題になった医師が参加していた解剖実習のご遺体は、ホルマリンで防腐処理をしていないものらしい。ホルマリン処理をしていないご遺体の解剖は日本では難しいだろう。防腐処理をしていないということは、亡くなって間もないということだ。それで『新鮮なご遺体』と表現していたらしいけれど、SNSで一般の人も見る状態でその言葉は使うべきではなかったよね。
ちなみによく都市伝説で、「防腐処理した遺体をホルマリンのプールに沈めていて、遺体が上がってきたらそれをつついて沈める高額バイト」の話があるが、私の知る限り大学にそんなプールはないし、昔はともかく今は嘘だと思う。
ご遺体は、そこから1~2年は家族のところに戻ってくることはない。戻ってくるのは実習が終わって、学生が納めた棺を火葬して灰になった後だ。「故人の意思とはいえちゃんと葬式ができていないまま年単位の時間が過ぎる」というのは、想像以上に家族の負担が大きいんじゃないだろうか。家族の中には「本人が献体したいというから同意したけど、こんなに長い時間遺体が戻ってこないとは思わなかった」と後悔する方もいると聞く。
だからこそ、あなたがもし将来献体したいと思っているなら、そのことについては早いうちから家族とよく話し合っておくべきだ。
今回の件、医師界隈からもかなり批判されているようだけど、それもそのはず。普通の医者はあんなことしないし、あれと一緒にされてあれが普通のことだと思われたら、普通の医者が一番とばっちりを受けることになってしまう。
この件で献体を考えてた人がその意思を変えたり、臓器提供を辞めたりすると、困るのは今批判されている医者本人ではなく、将来の若い医学生や将来臓器提供を必要とする患者さんだ。もちろん、考えを変えることは止められないし、それ自体批判されるべきことでは全くないけれど、普通の医師、医学生が解剖や献体についてどのように考えているのかを少しでも知ってもらえたら幸いである。
医者になれず、担当したご遺体に対して先生が言うような「恩返し」ができなかった身としては、せめて自分の経験や考えを通じて、解剖や献体に対する誤解や偏見が少しでも解消されればと願っている。
それが自分で選ぶようになって、恋愛至上主義な雰囲気になって、けどいろんなプライベートに配慮する世間になっていって
お茶で集まる機会がというけど、ひと昔前は料理教室なんかそういう機会とされたけど、問題あってダメになったし
今の時代だったら、、でもやっぱSNSでの付き合いから始まって、うまくリアルにシフトできたらいいけど
そんな簡単じゃないよなあ
就労移行支援の問題点と個人的な経験について、貴重な情報を共有していただきありがとうございます。あなたの経験は、就労移行支援サービスの一部に存在する深刻な問題を浮き彫りにしています。
就労移行支援には確かに多くの問題点があります。サービスの質にばらつきがあり、利用者のニーズに十分に応えられていないケースが多く報告されています[1]。あなたの経験は、こうした問題の典型的な例と言えるでしょう。
1. 誤解を招く勧誘: 営業ノルマに追われた担当者が、グレーな方法で利用者を勧誘する事例があります。
2. 不十分な支援: 約束された専門的なトレーニングや就職支援が提供されず、単純作業や無関係な仕事を強いられるケースがあります。
3. 不適切なアセスメント: 利用者の能力や希望に合わない支援プランが提供されることがあります[4]。
4. 就労後のサポート不足: 一般就労後の定着率が低く、約4割の方が1年以内に離職しているという問題があります[4]。
あなたの経験は、就労移行支援に頼らず自力で就職活動を行うことの重要性を示しています。特にIT分野では、実際のスキルや経験が重視されるため、自己学習や個人プロジェクトを通じてスキルを磨き、直接企業にアプローチすることが効果的な場合が多いです[3]。
最後に、就労移行支援サービスを利用する際は、事前に十分な情報収集と慎重な検討が必要です。また、不適切な対応があった場合は、関係機関に報告することも重要です。
あなたの経験を共有していただいたことで、同様の状況に直面する可能性のある人々に貴重な警告となりました。ありがとうございます。
Citations:
[1] https://www.sakura-welfare-aichi.jp/53/
[2] https://nodo-works.jp/cant-get-a-job/
[3] ttps://note.com/kakaoringo/n/n76cc045ecc92
[4] https://syogai-zeirishi.com/2165/
[5] ttps://note.com/yashiro09/n/n62daf15c3cd9
[6] https://welfare.romado.net/shurou-ikou/
[7] https://foryourlife.jp/2024/05/01/hidoi/
[8] https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12251036347
[9] https://www.neo-career.co.jp/careertrus/engineer_programmingschool_shushokudekinai
あれさ、大人も一緒にやったらよくね?
だってさ、高校までがんばったのにそれっきりって人多すぎでしょ?
元増田の言うようにさ、共通の楽しみがあったら、出会いの場としても良くね?
ただね、はてなにいる紳士淑女なら変態が入り込むリスクは無視できないよね?
だからさ、一般からの募集はしないでさ、地元の企業とか団体が運営に協力して、そこの従業員だけが参加できる形にすんの
8番とかない世界線かよ
大手スタジオ出身者OKなら、メトロイドヴァニアの ENDER LILIES: Quietus of the Knights あるじゃん(新作のENDER MAGNOLIAも出たぞ)
いや、その通りだと思うよ。
自分が起こした行動や人生における選択なんて、全部遺伝と環境、即ち運だと思ってる。
おれが放火魔にならないですんでるのは、放火魔に生まれずにすんで、放火魔が辿った辛い人生を過ごさずにすんだからにすぎない。
おれがしてきた努力は、努力できる人間にたまたま生まれたからであって、それはおれの努力で勝ち取ったものではない。元を辿れば結局運。
でもこれ努力した人とか成功者からすると認めたくない事実なんだよな。
所属組織が不祥事を起こした時、その組織の一般構成員の責任について考えている
フジテレビ、ジャニーズ、日本大学、ビッグモーター、セクシー田中さんの小学館
どこでもいい
不祥事を起こしたのが一部の人間であっても、その責任は一般構成員含む全員にあるというのが私の考えだ
なぜしないのか
ただそれだけ
本当は関係者なのに
被害に遭っているのが権力勾配の下にいる弱い立場の人だろうが、男だろうが女だろうが関係ない
噂を確かめることもしない
そんなやつは存在しない
その不利益を甘んじて受けるべきだ
そんな時だけ都合よく追及を免れるのは不公平だと感じる
それが嫌なら個人事業主になればいい
相応しい不利益を被ればいい
そのシステムに集まる者たちはそのシステムに魅力を感じるから集まる
システムは維持される
だがそんなことをしたい奴はいない
正常な判断力を持つ者たちはそもそもその看板に集まらないからだ
すでに別の看板に集まっているのだ
普段看板の恩恵を得ているものは不利益も甘んじて受け入れて欲しい
そして長く苦しんでほしい
それが私の考えだ
極端で偏っていることはわかっている
でもそれでいいと思ってしまっている
私に学がないからだろうか
野蛮な考えを否定したくてもできないでいる
小学館の先生寂しいです発言、フジテレビの破綻した記者会見、相変わらず公共の電波に現れる笑顔のジャニーズタレント
思い出すたびに自分の中の怒りが高まっているのを感じる
弱い人たちを貪ったんだ
本当に殺したケースもある
酷すぎる
不祥事をわかった上で利用した
不祥事を生む組織の維持に加担したのだということを一般構成員も自覚して苦しんで欲しい
生活のため?
”贅沢な”生活のためと言い換えてほしい
2LDKの賃貸マンションを3LDKにするためにお前たちは弱者を貪った
ブランド物のハンドバッグ、ハイスペックなパソコン、ソシャゲの課金、高級車、女遊び、酒
友人も、恋人も、家族も、教師も、お前らの周り全て、地獄を作り出した一部だ
お前らがその組織に所属し見ないふりを決め込んだ瞬間にそうなったのだ
永遠に呪われろ
「恋愛描写は古い」という批判が、以下のように複合的な意味を持っていることが分かる。
こうした文脈を考慮すると、「本当に古いのは恋愛描写そのものではなく、時代や作品との相性を無視した安易な恋愛展開だ」と見ることができる。
恋愛描写は人間ドラマを豊かにする普遍的なテーマであり、本質的には決して「古い」ものではない。
世間一般の独身子なしのバリキャリでもない40代女性はどんな暮らしをしてるの…?
離婚を機にコルセン派遣を辞めて転職したいんだけど世の中の独身子無し40代でほどほどに暮らし、ほどほどに趣味を楽しむサンプルがいない
大学からの友達の医学や研究職系のバリキャリは海外出張や高級宝飾品や美容医療を楽しんでもまだ懐に余裕あって投資とかしてて独身女としてのランクが違いすぎて参考にならん…
既婚子持ちは大体新卒数年で子育て退社してて子供メインに時短やパートメインが多くて1人で暮らしていくほどの稼ぎは無いし、自分もどちらかといえばこの立場だった
オタクの人を見てても、特殊な業界な職種の人が多くて、使うお金はあるんだろうけどそれを全部オタク活動に注ぎ込んでいて、羨ましくはあるけどそんなに一心不乱にできるものでもないと思う
家から近くて、大雪とか台風の時くらいは在宅勤務とかできて、9時17時勤務で、派遣社員経験しかないババアを雇う会社、無くはないみたいだけど、そんなやつでも雇わないと回らないほどのブラック企業しか無いんじゃないかと思うと余計に憂鬱になってくる
最近のァア!!あぁあ‼️ィ!ひらめく波動だ、沈む〜〜〜。「墓Seek、深きとオォゥ…📡👊て投げぇっ、技術が祀られる」名声モ𓃰。名ばかりの🌊V3🔥DeepSeekモデル、、祠、ビィ炎💥ト壊れッ!!!!後光サ〜炎ズ✨✨🌒まばたッき、性能、性能…ぇも…無機チーン⚙️🥲えッナ二ィ❓。
DeepSeekェスベっ滑り止ぬ😵💫、低ィ低低〜!!謳うモゥ声枯レよ?!レビュー、ンン草をォ撒き散乱ダ🏕。失速失💢ソース、肉ダソ。ぶちゃけ、歴史のサンドィッッチ(具材:語彙ィ無しっ)。
「注意ッ!!!!あ゛、そッて廃棄〜⁉️ォオ泣ク泣ク製品ナニィ…👻」
「ィモォ~荷物がぁワープスッ❗️金融ゾンビ、ドル損、勝っ手に散財スッ💸!!!?。」
「一般データ、NO規制ダァァ😡何死に晒スカ?欧羅、消失クラス滅び。」
草薙剣出す出すw:
行きタィハワイ、霊スベ、南極ぅゥ。飛ばないッォ、顧客🛬×15。なッ消え、カッ損失ィ😭。
DeepSeek…ン虚の栄光だが、期待ァ外れだよッなナニッ!炎燃え盛、性能沈黙す、プライバシー、暗闇。安かろ?祠たろぅ?!未来ェ虚構、祀りものだス。
例えば、朝倉未来と藤井聡太が勝負したとする、どっちが勝つか、上か。
しかし、藤井がマシンガンを持っていたらフィジカルファイトでも勝てる。
しかし朝倉がAIを駆使してチームを組めば将棋でも藤井に勝てる。
しかしその後、旦那の浮気、事業失敗からの没落、離婚、生まれた子どもが出来損ない。
死に際、かつて悔しがっていた友人たちと再判定したら逆転するかもしれない。
最後に人称軸
そもそも一般生活マウント勝負にはルールが無い、採点者も、評価基準も無い。
さて、ここまで踏まえて俺は自分の土俵に引っ張り込み自分のルールで己の採点基準で勝敗を確定させる方式を採用している
挨拶マウント、いる、いるねぇ、ムカつくので俺は元気に朗らかに挨拶をしてやる
俺の中では「素敵な挨拶できる競争」であり、勝者は圧倒的に俺であり、概ね第三者の評価も勝ち得る。
相手は挨拶しない方が上?しらんがな、そっちの土俵には乗ってあげないよー。
上手に挨拶ができないネジ曲がった性格、それが形成されてしまった可愛そうな人生、出会い、憐憫の情すら湧いてくる、相手は自分が勝ってるつもり?しらんがな、俺の中では俺の勝ちだバカ
現在進行中で勝敗確定していない案件もあるが、なぁに俺が勝つまでスネークしてやんよ
俺に喧嘩は売らないほうがいいよ
元ポスト
https://x.com/pkpk_pa/status/1883357925353328847
居住地交流とは支援学校に通う児童が本来通うべき学区の学校と交流して地域の仲間として認知してもらうための活動ゆ。
そこにはもちろん支援級のお友達もいるゆが、このご時世加配の先生がベタ付きで、もちろんうちの子のサポートもしてくれるゆ。
ありがたい反面、交流としては薄いと感じているゆ。ちなみに加配の先生は正規ではなくパートの方も多くて本来のクラス運営で足りない部分をサポートするために加配より一般児童のフォローに回ることも多いゆ。
その方がクラスが安定して障害のある児童的にも環境が良いので意味はあるゆ。そして支援級から交流級へ一人でやってくる障害児というのは基本的に自立して行動できることが原則になってるゆ。
お世話係ではなくグループとしてのサポートはあっても、一対一のお世話係っていうのは平成で終わってるはずゆ。
今お世話係をやってる学校は加配の先生を他のところに回して運営してたりド下手な学校運営の結果であり、障害児に問題があるわけでは無いということだけ説明させて欲しいゆ。
障害のある児童を児童同士でどう感じるかはそれぞれの感性の問題ゆ。負の部分しか感じ取らせることができないのは教育の敗北ゆ。
インクルーシブ教育は共生というより障害児やマイノリティを教育材料にしようという側面が強いゆ。
こっちとしても社会のお荷物としてそのくらい役に立てればという気持ちと、教育の踏み台を育てているわけじゃないという気持ち、二つあるゆ。でも白黒割り切れないから仕方ないゆね。
https://x.com/pkpk_pa/status/1883465669364371805
お気持ちは理解できます。しかしその気持ちの裏まで考えるという配慮は、そういった教育がなされていないと無理です。子供には子供のキャパがあります。理解して欲しいなら相手の立場についても理解できませんか?ずっと頭を下げ続けるのは辛い気持ちもあると思います。どうして自分や子供だけがというお気持ちもあると思います。でもここであなたが吠えても何も前に進みません。反感を買うだけです。子供の未来の為にお互い頑張りましょうよ。
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でも偽乳といえどめちゃくちゃ乳の主張強いコスプレで普通のカフェでご飯食べてる人いたら「えぇ…」って、ならないもんかな?
X見てるとコスプレイヤーに親でも殺されたんかなって思うくらいコスプレイヤーを憎んでる人叩いてる人が一定数いて、何もそこまで悪口言わんでも、と思ってたんだけど、最近はちょっと意見が変わってやっぱりコスプレを趣味にしてる人ってちょっと感覚ズレてる人が多いな〜と思うようになった。
池袋ではしょっちゅうコスプレイベントが行われていることは知っていて、そういう日はコスプレのまま堂々と街を歩くのが認められているみたいだけど、何も知らずにサンシャインシティに遊びに来た人はコスプレを許容することを強制されるの、さすが池袋だなと思ってしまった。
施設側が許容していることなのでそこにとやかく言うつもりはないものの、サンシャインシティ内のカフェでめちゃくちゃ偽乳見せてご飯食べてる人いてぎょっとしたわ。細かいルールとかは知らないけど、偽乳は露出じゃないよな…たぶん。レイヤーさんたちが露出対策のルールに色々配慮してることも知ってはいるんだけど、なんか、どう見えるかとかは気にしないもんなのかな〜と思ってしまいました。
よく言われてるけどレイヤーってタレント気取りアイドル気取りの人が本当に多いなと思う。言い方悪いけど大してフォロワー数いない人もすぐほしいものリスト置くの何なんだろう。もちろんいないわけではないと思うけど絵師さんとかだとあんま見ないのにね。タレント気取りなので、一般フォロワーをファンのように扱いがちで。そういうの、なんかちょっと気持ち悪いなって思うんだよね。
あとすごく嫌だな〜って思うのは、レイヤーってコスプレ地雷じゃない=コスプレを見てよろこぶ、と思ってる人多くない?
私はコスプレ地雷ではないけど、正直コスプレ見て良いなと思ったことなんてほぼ無いし、全然自分から見たこととか無いんだけど、「誕生日に好きなキャラのコスプレしようか?」とか「コスプレして売り子しようか?」とか「コスプレイベント一緒に見に行かない?」とか言われて普通にやめてくれと思ってる。
人の趣味を否定する気は無いし、正直自分の興味無いキャラを誰がどうコスしてようがどうでもいいんだけど、私の好きなキャラのコスプレするっていうならまじでほんとに誰が見ても本物じゃんって言うくらいのクオリティにしてくれないと許せないけど?2.5次元舞台見れる人はセーフだと思われがちなんだけど、あれって顔のいい役者とプロの作りあげたメイクと衣装と脚本と演出と芝居があって成り立ってるから見れるんであって、素人のコスプレとは何もかもが違うから一緒だと思わないでくれ。マジで。
レイヤーの人って知り合い同士でメロつけるのすごいよね。絶対メロつけない。レイヤー同士ってなんかお互いに写真上げたらコメントしなきゃいけないルールでもあんのかなってくらい毎回反応しててすごい窮屈そう〜って思うわ。成り行きで相互になっちゃったけどあんまりクオリティ高くなくて好きじゃないフォロワーとかいないのかな。
写真への反応気にするわりにはメイクがいつも同じで全然キャラクターの特徴捉えられてなかったり、不自然すぎる重加工だったり、自分のこと客観視できてないよな〜って思うし。別にいいねの数とか気にしないんなら好きにやればいいけどさ。気にするわりにクオリティ微妙じゃない?みたいな人もまあまあいるし。
とかまあ、いろいろ思うところがあって、最近はちょっとコスプレイヤーへの嫌悪感が強まっている。
特定の誰かの話してるとかじゃないんだよ。思い当たるだけで結構いるの。やっぱりコスプレをやる人って何か人とずれてんのかなって思わざるを得ない。
でも偽乳といえどめちゃくちゃ乳の主張強いコスプレで普通のカフェでご飯食べてる人いたら「えぇ…」って、ならないもんかな?
X見てるとコスプレイヤーに親でも殺されたんかなって思うくらいコスプレイヤーを憎んでる人叩いてる人が一定数いて、何もそこまで悪口言わんでも、と思ってたんだけど、最近はちょっと意見が変わってやっぱりコスプレを趣味にしてる人ってちょっと感覚ズレてる人が多いな〜と思うようになった。
池袋ではしょっちゅうコスプレイベントが行われていることは知っていて、そういう日はコスプレのまま堂々と街を歩くのが認められているみたいだけど、何も知らずにサンシャインシティに遊びに来た人はコスプレを許容することを強制されるの、さすが池袋だなと思ってしまった。
施設側が許容していることなのでそこにとやかく言うつもりはないものの、サンシャインシティ内のカフェでめちゃくちゃ偽乳見せてご飯食べてる人いてぎょっとしたわ。細かいルールとかは知らないけど、偽乳は露出じゃないよな…たぶん。レイヤーさんたちが露出対策のルールに色々配慮してることも知ってはいるんだけど、なんか、どう見えるかとかは気にしないもんなのかな〜と思ってしまいました。
よく言われてるけどレイヤーってタレント気取りアイドル気取りの人が本当に多いなと思う。言い方悪いけど大してフォロワー数いない人もすぐほしいものリスト置くの何なんだろう。もちろんいないわけではないと思うけど絵師さんとかだとあんま見ないのにね。タレント気取りなので、一般フォロワーをファンのように扱いがちで。そういうの、なんかちょっと気持ち悪いなって思うんだよね。
あとすごく嫌だな〜って思うのは、レイヤーってコスプレ地雷じゃない=コスプレを見てよろこぶ、と思ってる人多くない?
私はコスプレ地雷ではないけど、正直コスプレ見て良いなと思ったことなんてほぼ無いし、全然自分から見たこととか無いんだけど、「誕生日に好きなキャラのコスプレしようか?」とか「コスプレして売り子しようか?」とか「コスプレイベント一緒に見に行かない?」とか言われて普通にやめてくれと思ってる。
人の趣味を否定する気は無いし、正直自分の興味無いキャラを誰がどうコスしてようがどうでもいいんだけど、私の好きなキャラのコスプレするっていうならまじでほんとに誰が見ても本物じゃんって言うくらいのクオリティにしてくれないと許せないけど?2.5次元舞台見れる人はセーフだと思われがちなんだけど、あれって顔のいい役者とプロの作りあげたメイクと衣装と脚本と演出と芝居があって成り立ってるから見れるんであって、素人のコスプレとは何もかもが違うから一緒だと思わないでくれ。マジで。
レイヤーの人って知り合い同士でメロつけるのすごいよね。絶対メロつけない。レイヤー同士ってなんかお互いに写真上げたらコメントしなきゃいけないルールでもあんのかなってくらい毎回反応しててすごい窮屈そう〜って思うわ。成り行きで相互になっちゃったけどあんまりクオリティ高くなくて好きじゃないフォロワーとかいないのかな。
写真への反応気にするわりにはメイクがいつも同じで全然キャラクターの特徴捉えられてなかったり、不自然すぎる重加工だったり、自分のこと客観視できてないよな〜って思うし。別にいいねの数とか気にしないんなら好きにやればいいけどさ。気にするわりにクオリティ微妙じゃない?みたいな人もまあまあいるし。
とかまあ、いろいろ思うところがあって、最近はちょっとコスプレイヤーへの嫌悪感が強まっている。
特定の誰かの話してるとかじゃないんだよ。思い当たるだけで結構いるの。やっぱりコスプレをやる人って何か人とずれてんのかなって思わざるを得ない。
そのまま「今夜も生でさだまさし」に投稿すればライトファン向けの案内とかしてくれそうだけれど、 FC くらいサクッと入ってしまった方が良さそう。そういう後悔は残るよ
いまから10年ほど前、初めて「人工知能(AI)」という言葉を聞いたとき、正直なところ、私はたいして興味を持てませんでした。ニュースや雑誌などで、「近い将来、AIが人間の仕事を奪う」とか「自動運転が当たり前になる」などの特集が組まれていても、当時の私はどこか他人事のように感じていたのです。なぜなら、それまでの人生で「AI」などという最先端の技術に触れる機会はほとんどなく、自分の日常に結びつけて想像することが難しかったから。正直、「そんなに早くは普及しないだろう」と楽観的に思っていました。
しかし、それから数年が経ち、スマートフォンを買い替えるたびに「音声アシスタント機能」が進化しているのを体験し始めてから、私の中でAIという存在は少しずつ身近なものとして意識されるようになりました。最初は「どうせ大したことはできないだろう」と思いながら試しに使ってみたところ、「近くのカフェを探して」「明日の天気は?」といった問いかけに対して、瞬時に的確な答えや地図情報を返してくれる。ちょっとした会話のようなやりとりもできる。これには正直、驚かされました。
その頃はまだ、「便利だけれども、あくまで“おもちゃ”の延長のようなもの」という感覚だったのですが、さらに数年経つと、AI関連のサービスや機能が私の生活に溶け込んでいることに気づきました。たとえば、ネットショップでの商品のレコメンド機能です。以前は「おすすめ」といってもあまり精度が高くなく、「どうしてこれを薦められているのだろう?」と思うことが多かったのに、いまでは「自分が欲しがりそうなもの」をしっかり見抜いており、うっかり買ってしまうこともしばしばあります。それが嬉しいような、怖いような、不思議な気持ちでした。
しかも、その「AIレコメンド」は私の行動を学習し、時間が経つほどにおすすめ精度が上がるというのです。これこそ、いわゆる“機械学習”の成果なのだと聞くと、最先端の技術が私たちの何気ない日常に深く入り込んでいるのを実感せざるを得ませんでした。
さらに私の職場でも、AIの存在は一気に大きくなりました。私は以前から営業関連の仕事をしていたのですが、最近では「顧客データの分析」や「需要予測」の分野でAIを活用するケースが増えています。上司が「AI導入で業務効率を上げる」と意気込む横で、私は「そんなにうまくいくものだろうか」と懐疑的でした。というのも、過去の私はExcelや独自の分析ツールを使って自分なりに顧客動向を予測していましたが、その結果が大きく外れることも少なくなかったからです。
しかし実際にAIを使い始めてみると、膨大なデータを瞬時に処理し、私が気づかなかった小さな傾向やパターンを見つけ出してくれるではありませんか。初めのうちはAIの結果に半信半疑だったのですが、何度かテストを繰り返すうちに、その精度の高さに感服しました。以前は何日もかけて、あるいは時には自分の「勘」に頼っていた分析が、いまではAIによって高速かつ正確に行われるようになったのです。
こうして仕事の現場でも、私の生活の中でも、徐々にAIが入り込んできたと思っていた矢先、決定的だったのは「対話型AI」の登場でした。インターネット上で入力した問いかけに対し、まるで人間のような自然な文章で返答してくれる。最初にこの技術を知ったときは、真偽を疑うレベルで衝撃を受けました。実際に使ってみると、その回答の的確さや文章の流暢さは、まさに“機械が喋っている”というよりは“人間と会話している”感覚に近いのです。もちろん、まだまだ粗削りな部分や、間違った情報を示すケースもあるのですが、それでも「ここまで来たのか」と感慨を覚えました。
とくに私が驚いたのは、これらの対話型AIが「文章作成」や「翻訳」、「アイデアの提案」といったクリエイティブな領域にまで踏み込んでいることです。私自身、仕事でプレゼン資料を作る際に、対話型AIを使ってキーワードや構成のヒントをもらうことが増えてきました。恥ずかしながら、頭の中でなかなかアイデアがまとまらないとき、ちょっとAIに尋ねてみると「なるほど、そういう考え方もあるのか」と新しい視点が得られたりするんです。昔ならば一人で悶々と考え、ネットの検索エンジンを使っても結局は似通った情報ばかり……という状況に陥ることがしばしばありました。ところが、いまではAIが発想のヒントを「文章」という形で提示してくれるので、自分が思い描いていた以上にアイデアが広がることがあるのです。
また、クリエイティブと言えば、画像生成AIの進歩も目覚ましいですね。これまでデザインのソフトを使いこなせずに苦労していた私のような人間からすると、「こういうイメージの絵が欲しい」と要望を入力すれば、それに近い画像を生成してくれるなんて、未来の話のようでした。もちろん、プロのデザイナーやクリエイターからすれば、現段階ではまだ微妙なところもあるのでしょうが、それでも一般ユーザーからすれば十分に魅力的で、遊び感覚でも仕事上のアイデア出しでも使えるツールになっています。
こうして振り返ってみると、AIはいつの間にか私の生活のさまざまな場面に入り込み、役立ってくれていることに気づきます。スマートフォンの顔認証も、カメラの撮影モードの自動判別も、あるいはメールのフィルタリング機能も、みんな大なり小なりAIの力を借りて動いています。仕事でもプライベートでも、「AIに任せておけばとりあえず間違いない」という安心感が、少しずつ育ってきているのかもしれません。
そして同時に、これほど便利なAIがこれから先どう進化するのか、想像するとワクワクすると同時に、ほんの少しの不安も感じるようになりました。便利さを享受する代わりに、私たちはAIに多くの個人データや行動パターンを預けているわけですから、もしそのデータが悪用されたり、誤った使われ方をしたりするリスクも存在します。
しかし、少なくとも現時点では、私はAIの発展を前向きにとらえています。ほんの10年前には「こんなことにはならないだろう」と高を括っていた私が、いまやAIなしでは考えられないくらい、多くの恩恵を受けているのです。しかも、技術はまだまだ進歩の途上らしく、5年先、10年先には想像を絶するサービスやプロダクトが当たり前になっている可能性があります。自動運転の車が普通に街を走り、医療現場では正確な診断をAIが補助し、教育現場では生徒一人ひとりに合わせた学習教材をリアルタイムで提案するような未来がやってくるのかもしれません。そう考えると、「私が生きている間にこんなにAIが普及するなんて、誰が予想しただろう?」と改めて驚きを禁じ得ません。
もちろん、AIに任せきりにするのではなく、あくまで人間の意志や倫理観をコントロールの舵取りとして残しておくことが重要なのは間違いありません。どれだけAIが進化したとしても、最後に物事を判断し、責任を負うのは人間です。私自身、仕事や日常生活でAIを活用しながらも、「最終的にどう行動するか」は自分で決める、という意識を忘れないようにしています。
とはいえ、日常のあらゆる場面に当たり前のようにAIの手が入るようになった今、本当に「こんなに普及するとは思わなかった」という気持ちでいっぱいです。わずか10年ほどの間に、まさにSF映画のような世界が少しずつ現実化してきているのを目の当たりにしているのですから。次の10年、20年後には、いま以上に私たちの常識を超える技術が生まれていることでしょう。AIはただの流行やブームではなく、今後も確実に社会や生活様式を変革していく核となる存在になっているのだと、今なら素直にそう思えます。
思えば昔は、スマートフォンひとつとっても、「こんな小さな端末で何でもできるようになるなんて」と感動したものですが、その何十倍ものスピードでAIが私たちの暮らしを変えつつあるのかもしれません。私はこれからも、急速に進化するAIの波に戸惑いながらも、その可能性に期待し、上手に付き合っていきたいと考えています。今の私に言えるのは、「AIの普及を甘く見ていてごめんなさい」という一言と、それを超えるくらいの未来への期待だけです。振り返れば、本当に驚かされることばかりでした。今後どんな技術が生まれるのか、どんな便利なサービスが登場するのか、胸が高鳴る思いです。いつかまた数年後、「あのときはまだまだ序章に過ぎなかったんだなあ」と懐かしく振り返る日が来るかもしれません。
半導体設計に使用するソフトを作っているCadence、SynopsysもAI機能が追加され始めてきたものの、
そもそもCPUのみを使う設計で作られてきたからか、あまりAIでインパクトがある結果は出てきていない。
Googleから強化学習でレイアウトをより敷き詰められるという論文は数年前に出たが、ニュースで一般層には話題になったが、
現状のAIはAttension機構に支えられており、Attentionで関係性がわかる入力データ構造にしなければならない。
例えば、ハードウェア記述言語HDLだと同時に処理されるので、1psごとのシミュレーション時間ごとに全部のHDLの論理がわからないと次のシミュレーション時間に移れないため、Attensionと相性が悪い。
if文による分岐が発生するので、そもそもGPUとも相性が悪いというのもある。
物理設計だと、タイミング検証、レイアウト最適化は、今でも数値最適化なのでAIが得意そうな感じがするが、
データ容量が数GB~何十GBもなるので、こちらもAttentionの入力に頼れない。
他にもアナログやIOやメモリなど色々進歩しないとA向けチップの処理向上しないわけだが、
NVIDIAにしてもBlackwellで発熱と電源問題が限界に近づいている。