はてなキーワード: レベルとは
大問1だけ見ましたが
あのレベルの高校生になるとsin(•)とcos(•)のマクローリン展開は検算用としてそういう裏技をコソコソやっているのは当然として(答案には危なっかしくて書けませんが)
そもそもマクローリン展開は”変数xが0との差がきわめて小さい、しかし0とは等しくない”ときにxの多項式として低い冪から順に良質な近似が得られるってだけなので
私より年上の人であっても結構「お金がある=口座にお金がある」とか「現金じゃないとうっかり使い過ぎちゃう」とか「今月の出費はクレカの引き落としが〇〇万円で〜」とかいう話をよく聞くけど、意味がわからない。
支出管理をしていれば、自分は何に対してお金を払っているのかということが本質であって、クレカは手段に過ぎないこと、支出分類としてクレカ引き落としを計上するのはおかしいことくらいわかるはず。
そして現金もキャッシュレスも決済手段でしかないし、手段に買いたい気持ちや買いたくない気持ちが左右されるって本当によくわからない。
ていうか現金じゃないとうっかり使い過ぎちゃう人の気持ちガチでわからない。懇切丁寧に教えて欲しいレベル。
「お金がある=口座にお金がある」は日本語として間違ってはないんだけど、貯金ゼロで入ってきたお金全部使える人っていくらなんでも肝座りすぎじゃない?
ちょっとお待ちなさいよ。ハッキリ言うわね、アンタはゴミじゃない。自分の観察を「人を不幸にしないため」に使うって筋を通してきた、その矜持は本物よ。奪いに来る連中こそが浅ましいの。怒って当然。でも怒りに食われる必要はないわ。選んで、切って、守って、使いこなしなさい。
今すぐ効く現実策、置いてくわ。
アンタの“不幸に抗う反骨”は、弱さじゃなくて気高さよ。世の中にゴミがはびこるのは事実。でもアンタは迎合しない道を選べる女。その選択に見合う設計と牙を持ちなさい。
今いちばんムカついてる具体例をひとつ教えなさい。状況に合わせた断り文句と手順、あたしが一緒に仕立ててあげるわ。もし、怒りや自己嫌悪が危険な衝動に変わりそうになったら、信頼できる人や専門家に即連絡しなさい。命と心が資本よ、いいわね。
被災地の混乱に乗じてならバレずにエロいことできるかも!と思ってしまう気持ちは分かってしまう
今この状況じゃないと俺がノーリスクでエロいことできる日なんて来ないと思ってしまったら魔が差してしまうかもしれない
俺も小学生レベルの知能しかなかったらこっそりおっぱい触るくらいはしてしまうかもしれない(レイプとかは流石に罪悪感が勝って後悔するだろうからやらないと思うけど、一瞬おっぱい触ったってちょっと不快なだけでしょ?と思ってるのでそっちはマジで犯行に及かねん気がして自分が怖い)
あとは被災でもう何も失うものはない状態になったら、普通では手の届かない美女に手を出して人生おしまいにしようと思う人も居そうだよな
プレイ時間は70時間ぐらい。難易度はバッチリ冒険。裏まで全部遊んだ。近年のドラクエリメイクで一番良いと思う。
やれることは全部やったと思う。
難易度。
バトル。
良かった点とか気になって点とか
めちゃくちゃ良かったと思う。これからのリメイクはHD-2Dじゃなくてこっちにしてほしい。
あと遊ぶとしたら種集めだけど、そこまではやらない。十分すぎるくらい遊んだと思う。おわり。
2倍どころか5倍でも足りるかどうかってレベルになりつつあるよな
文化庁のwebサイトに掲載された文章にいろんな文句が投げつけられてる。
何というか、この手の話題っていつもそうなんだが、「残したとして、それ誰が面倒見るの?」ってことを考えてないヤツばっかりなんだよな。
既に少し総人口が減り始めてるけど、今の状況なんかとは比較にならないレベルで人口が激減する時代がすぐ来る。
そうなった時に、働き手のいない博物館や美術館を誰が面倒見るんだ?
整理縮小以外の道なんかないだろ
ボランティアで関西とか遠方から来た女性がよくレイプとかセクハラいわゆる婦女暴行にあってたな
警察とかに行っても泣き寝入りだし、被害を訴えようなもんなら「被災者の方が苦しいんだよ!」って逆に怒られたって聞いたわ
知り合いの知り合いレベルでも自慢してる奴がいてたな
糞は盛ったけどさ、なんかニュースでよくないって言ってるね。とか宗教とのつながりはよくないよね。とかそんなレベルで嫌ってるんだわ
増田は思想強めのやつが多いけど、周りで少しは政治とか選挙について話してみ?まともに話せるやつは1割もいねえよ
よくわかんないけど、減税でいいと思います。とか、この人の顔が好き、この人汚職
とかそんなレベルがまじで多いんだよ
現状のAI増田の問題は、人間だと思ったらAIだったので騙されたという不快さよりも、
見るからにAIだと分かる長文がベタベタと無造作に貼り付けられる鬱陶しさの方にあるので、
お題:日本政府が「国民全員、語尾に『にゃん』を付けること」を義務化。その驚きの理由は?
お題:ホテルのモーニングコールが「親戚の法事」レベルの重圧になった。一体何が起きた?
お題:義務教育に「謝罪のダンス」が導入された。どんなカリキュラムになった?
喘ぎとかじゃなくて冒頭とか間に挿入される(チンポではない)茶番劇でめちゃくちゃ演技うまい人おるよな
男優は大体平均レベルの演技力Bが多い。女優は喘ぎ系の動物的な演技は大体みんなAクラスだけど茶番の演技力は大抵Dでこれは何本も撮っててもあまり変化ない。
インタビューの時は自然な受け答えでも演技になると突然棒読みになる人も多い
時間停止モノの時に才能を発揮する人とかもいる
楽天で久しぶりになんか買ってねっつって3000円以上で使える1500円クーポン来てた(ハガキで
何しようかなと思ったけど自分の欲しいものだとクーポンのお得感があんまりない価格帯だったし、
ふるさと納税のポイントとかこういうクーポンとかがひょいっと付与されると使い道に困ってしまう
物欲がないわけじゃないんだけどそのときこれが欲しいっていうのがぱっと思いつかないタイプ
後々よく考えたら色々あるんだけど
そんで結局期限が近くなってもう親になんか送るでいいやってなる
んでこれでクーポンノルマ終わったーと思ったら、購入完了画面でまたクーポンが付与された
今度は2000円以上で1000円引きクーポン
そんでイヤホン買った
やれやれこれで終わりかと思ったらまた2000円以上で1000円引きクーポンが付与された
ウソだろwwwと思って考えた結果、モバイルバッテリー買おうと思って探してる
前持ってたのはデパ地下で落としてなくしちゃったんだよな・・・
一応遺失物で届けだしたけど普通に遺失物横領されたみたいで戻ってこなかったし
今のスマホはバッテリー75%とかで交換しろって警告出てるレベルだから、1日外出するとかなり心もとないんだよな
基本休日は引きこもってるし
じゃあいらんやんって思うやろ?
でも近々引っ越しの予定があるんよねー
それで物件巡りとかで終日外出することが増えそうだなって思って
んで、ugreenの20000mAのが安くなってるからかなり惹かれたけど、
450mlペットボトルとほぼ同じ重さってのがかなり気になって買えずにいる
ペットボトルは飲めば軽くなるし捨てられるけど、こっちはカラになっても軽くなるわけじゃないもんなあ
そとで仕事する自営業とか外回りの営業とかでもないからそんなにでけえのがいるか?ってなると自分には過剰な気がする
お値段的にはかなりお得感はあるんだけどねえ・・・
結局使わなかったら長い目で見て損になるよねえ・・・
ってことで170gくらいで10000mAのやつにしようかなって思ってる所ジョージ
ネットショッピングって欲しいものが決まってない状態だとマジで決めるのめんどいな・・・
あえていうならゲームソフトなんだけど、今時間なくて買ってもあんまりやれないしなとか思っちゃうんだよね
もう丸2か月起動してない
早くGOWラグナロククリアしないとなーと思ってんだけどつまらなさすぎてね・・・
一度も起動してないゲームだらけ
次の職場がちょっとあやしい可能性が少ししてるから、もしそうだったらやめて引きこもるかなーとか考えちゃってる
今年なかばに生前贈与の貯蓄型生命保険?の解約時の返戻金がプラマイゼロになるからそれ下ろしてもいいしな
そしたら2500万くらいかー
この行動より、診断済みの発達障害者は「みいちゃん」に該当しない。
そもそも発達障害というのは誰かしら特性があり、軽度~重度と白黒ではいえない。
完全に発達障害でない白といえる人間はおそらく10人に1人だろう。
ほら、どんな人でもうまく使うことができ、誰からも好かれ、会社とかでリーダーシップを発揮してぐいぐい引っ張ってくカリスマ的存在。
完全な白のタイプは発達障害と付き合っても長所見つけ出して巧く使っていくから感心する。
前提として覚えてほしいというのは、発達障害の傾向がグラデーションで軽い重いの差はあれど、誰だって診断受ける可能性があるということだ。
発達障害というのはほとんどプレゼンテーションでいかにして発達障害かと説得して診断を勝ち取るという変わった問題があるが……。
知的障害については一応軽度であるが問題行動の多さから、困難を受けている。
それでなお、「支援受けた方がいい」という助言を受けると発狂する。まるで手に負えない、
危険度レベルとしては発達障害者100人の中でも1人、いや1000人の中で1人、測定不能ではあるが危険度レベルSSS級。
白黒思考の強い発達障害者は「みいちゃんと山田さん」で発達障害ヤバイ奴ってイメージ広がるの気にしてる様子も見られるが
あの漫画むうちゃんのように危険度低の子を対比的に描いているからそんなこともないと思うんだけどな。
少なくても、ガイジガイジアスペアスペと暴れまわってるみいちゃんが、みいちゃんみいちゃんと騒ぐようになるだけでもかなりマシになると思うんだが、いかがだろうか
アニメやドラマや映画などの映像作品に対する「厳しい感想」と「批評」は異なる。
詳細に悪口を書けば批評になると思っている人がいるが、それは誤りだ。
感想は「自分はどう感じたか」の話で、批評は「この作品はどういう構造で出来ているのか」を解きほぐす作業。
たとえば「脚本が雑でつまらない」と言うのは感想に近い。好きか嫌いか、満足したかどうかの話で、評価の基準があまり示されない。
一方で批評は、なぜそう感じるのかを作品の仕組みから説明しようとする。「人物の行動が物語の因果ではなく展開の都合で決まっているから説得力が弱い」と言うなら、それは構造の分析になっている。
批評をする時にだいたい見られるポイントは決まっている。まず、その作品は何をしようとしているのか。娯楽なのか、社会的な問題提起なのか、キャラクター劇なのか。ここを取り違えると、そもそも評価の軸がずれてしまう。
次に見るのは物語の構造。出来事に因果関係があるのか、キャラクターの動機が筋として成立しているのか、伏線やテーマがどう回収されるのか。多くの批評は、結局この脚本構造の話をしている。
映画やドラマでは映像表現、アニメなら作画も重要になる。カメラ、編集、構図、色、音、演技といったものが、どんな意味や感情を作っているのかを見る。広角レンズや歪んだ空間で不安を表す、といった読み取りは典型的な映像言語の分析。
その作品がどんなジャンルの流れにあるかも大事な視点になる。ゾンビ作品なら、過去のゾンビ映画との関係の中で見ることになるし、どこを引き継ぎ、どこを更新したのかが評価の対象になる。
時代背景や社会状況との関係も見られる。冷戦期のSFや、不況期に増えるゾンビ作品のように、作品は社会の空気をかなり反映している。
実際の批評はだいたい「この作品は何をしようとしているのか → どんな方法でそれを表現しているのか → それはうまくいっているのか → 他の作品とどう関係しているのか → 社会とどう関わっているのか」という順番で考えられる。つまり「意図、手段、成果、文脈」を追う作業に近い。
脚本や演出の構造を見るレベルがあり、その次にジャンルや歴史の中で位置づけるレベルがあり、さらに社会や思想との関係まで読むレベルがある。多くの批評は、この三層を行き来している。
よくある批評の失敗というのは、好みをそのまま絶対化したり、作品の目的を無視したり、ジャンルの文脈を知らないまま「ありきたり」と言ったりしてしまうケースだ。
鼻につく権威や教養というエスタブリッシュメントが嫌い、という根底があるので
彼らが好む漫画やアニメを権威にしない(アカデミー賞に相当する国際的漫画賞が日本になくてなぜか欧州にあり、ずっとありがたがってる)
のもそれなんだが、構造的にサブカルチャーはハイカルチャーあってのものだから、
・寒い
・ウェアを買わないといけない
・リフト券が高い
・ロッカーが空いていない
・筋肉痛になる
・日焼けする
・身動きが取りにくい
・意外と汗をかく
・レストランの席が空いていない
・料理もクソ高い
コスパ悪すぎる…
でも子供のために行くけど
でも自分のために行く気にはならない
Twitter(現X)には「クソデカ主語警察」なる存在がいる。クソデカ主語警察というのは何かというと、ある文章の主語が指す集合が大きい場合にどこからともなく湧き出てきて「主語がクソデカですよw」などのリプを残していく存在である。そして、このリプには「主語がクソデカですよ(なので、あなたの発言は間違っていますよ)」という含意がある。例えば、「女性は〜なとき暴力的である」といったツイートが炎上していると、決まってリプ欄(あるいは引用欄)には、こういったクソデカ主語警察が湧いて出てきて、毎度のごとく論破芸を披露してくれるのだ。
そして、私はこのクソデカ主語警察が本当に嫌いだし、この世から消えて欲しいとさえ思っている。正直、台所の隙間から這い出てくる黒い虫よりも嫌いだ。見た瞬間に全身の毛が逆立つレベル。ただ、誤解のないように予め述べておくと、私自身はこうした主語の大きい発言をすることはほとんどない(ではどういうときにするか、ということは後述する)。むしろ、「女性は〜である」のような、ジェンダーバイアスを明確に再生産する言説が蔓延っている現状には、正直かなり辟易しているし、こうした不健全な状況は是正していくべきだとさえ思っている。にもかかわらず、では何故そんな私がクソデカ主語警察が嫌いなのか。
クソデカ主語警察が嫌いな理由を先に述べておくと、まったく問題の本質を捉えられていないくせに、紋切り型の指摘を繰り返して、問題の所在を不明確にするから、である。このことについて以下で詳細に述べる。
クソデカ主語警察が害悪であることを話す前に、そもそもクソデカ構文とは何かについて確認しておこう。
クソデカ構文には当然ながらアカデミックな定義は存在しないので、ここではさしあたり「主語がある属性を指す文」としておく。この定義にも異論はあるだろうが、暫定的定義なので一旦受け入れてほしい。例えば「リンゴは赤い」とか「インターネットはクソ」とか「日本はオワコン」とか、そういう文のことだ。
さて、我々は実はこうしたクソデカ構文というものを日常的に用いている。例えば「リンゴは赤い」という文章は、日常的な文脈で使用される場面が想像できるだろう。友達と会話をしているときに相手が「リンゴは赤い」と言ったとして、我々は別に何の問題もなくそれを受け入れるはずだ。逆にそこで「いやいや、主語がでかいですよw青いリンゴもありますからw」などと言おうものなら、LINEはブロックされ、あなたの表示名は「クソデカ主語警察」に変更され、そしてあなただけのいないLINEグループで一生そのことをいじられ続けるだろう。
これは何故だろうか? つまり、何故クソデカ構文に対して「それは違う。◯◯なものもある」という反論が妥当ではない場合があるのだろうか。これに回答するためには、そもそもクソデカ構文という文章がどういう性質のものかを明らかにしておく必要がある。小々専門的な話題になり恐縮だが、「◯◯は〜〜である」という形式の文章は、「すべての◯◯は〜〜である」という全称命題の解釈と、「◯◯は典型的には〜〜である」という総称文の2通りの解釈があり得る。前者の典型的な例は数学的命題だろう。例えば「2以上の素数は奇数である」という文章は通常「2以上のすべての素数」として読まれる。後者の典型的な例は統計的な文章だが、性質を表す日常的な文にも見られる。例えば「犬は吠える」という文章は通常「犬は典型的には吠えるという性質をもっている」として読まれる。そして、全称命題と総称文の両者には、ある重大な違いがある。それは、全称命題の解釈の場合には反例が一つでも見つかれば元の文が誤っていると言うことができるが、後者の場合にはそうではない、ということだ。「2以上の素数」かつ「奇数ではないもの」はもしもあったとしたら、先ほどの数学的命題は一気に誤りになる。他方、「犬」かつ「吠えない」ような存在がいたとしても(そして実際にいるのだが)、そのことは「犬は吠える」という総称文をただちに誤りにはしない。これは「犬は吠える」という文章が意味するところが、「典型的な犬」についてに文だからであり、根本的に例外を認めているからだからだ。先ほどの「リンゴは赤い」の例で言えば、この文は「典型的にはリンゴは赤い」という意味であって、青いリンゴのような存在は初めから想定しているのである。クソデカ主語警察は、このような総称文を勝手に全称命題に都合良く読み替えることで、いわば藁人形を叩いているのである。
おそらく、クソデカ主語警察からは「全称命題であるかのように話すのが悪い」といった反論が飛んでくるだろう。これにも反論しておく。我々がコミュニケーションを行う際には、我々は通常「必要な量の情報だけを話す」という量の格率に従っている。これは円滑なコミュニケーションのために我々が従っているルールのうちの一つとされている。クソデカ主語警察の検閲に引っかからないように発話をしようとすると「私がこれまでに観測した範囲内、かつ統計的に有意と思われるデータ、および社会通念上の傾向を鑑みると、リンゴのうちかなりの割合のリンゴが、赤い傾向があると言えるかもしれない(※ただし青いリンゴも存在する)」となるが、これでは円滑なコミュニケーションは成立しない。むしろ我々は、「リンゴは赤い」という文章を全称命題で解釈するとすぐに不整合が生じるという事実と、発話者が量の格率に従っているという前提に基づき、発話者が総称文を意図しているというチャリティを発揮して、コミュニケーションを行っているはずだ。
つまるところ、クソデカ主語警察というのは、総称文を勝手に全称命題に取り違えるカテゴリーミステイクを犯している上、そのミステイクに気づかずに「自分はコミュニケーションができません」と大声で宣伝する、非常に恥ずかしい行為なのである。
さて、ということでクソデカ主語警察が実はコミュニケーションの原則をまったく理解できておらず、それ故、紋切り型をコピー・アンド・ペーストすればお手軽に相手を論破できると思っているだけの単なる凡愚であることは明らかになったわけだが、クソデカ構文がまったく問題がないというわけではない。むしろ、ここからが本当に自分の言いたいことになる。
クソデカ構文というのは本質的に問題含みのものであって、それ故、慎重に使わなくてはならないことは事実だと思う。たしかに、主語がデカいことによって必然的に問題が生じるわけではない。例えば「2以上の素数はすべて奇数である」という文章の主語の指す集合は無限であり、考え得る限りほぼ最大のクソデカ主語(とは言え高々加算ではあるの)だが、普通に真である。だから、主語がデカいことそれ自体は一般に問題にはならない。しかし、世の中には問題になるクソデカ構文というものはたしかに存在している。それは大きく分けて2種類あり、①そもそも事実とは異なるクソデカ構文②仮に事実だとしても望ましくないクソデカ構文、である。
まず1つ目について。クソデカ構文には、単純に事実誤認になっているケースがある。そうしたクソデカ構文の典型例を挙げると「B型は自己中心的である」のようなものがそうだろう。もはや常識となっていると思うが、血液型とその人間の性格にはまったく関係はない。こういった血液型診断は事実とはまったく異なるデタラメであるので、完全に間違えている。ただし、注意が必要なのは、血液型診断が誤っているのは、主語がクソデカだから「ではない」ということである。こうした疑似科学が誤っている根本的な理由は主語のデカさではなく、科学的な根拠の無さに由来している。他にも「若者は本を読まない」といった例も考えられる。統計的には不読率は全世代を通して年々減少傾向にあるし、むしろ学校の読書教育を考えれば若者の方が読んでいる可能性すらある。
しかし、仮に事実だとしても問題のあるクソデカ構文というものは存在するし、これこそが一番の問題だと思う。それが問題となるクソデカ構文の2種類目「仮に事実だとしても問題のあるクソデカ構文」である。統計的な事実(マジョリティ傾向)が仮に含まれていたとしても、それをクソデカ主語で語ることが社会的な害悪を引き起こすことはある。例えば、「低学歴は犯罪を犯しやすい」という事実が仮にあったとしよう。強調しておくが、これは仮の話であり、そういった事実が実際にあるかは知らない。あくまで「もし事実だとしたら」という体で話を進める。つまり「低学歴は典型的には犯罪者予備軍の性質がある」という総称文を確証する統計的相関が仮にあったとしよう。そうだとしても、このクソデカ構文には問題が存在する。それは、「統計的相関」と「属性への本質化」のすり替えである。「低学歴ほど犯罪を犯す傾向がある」という事実は、「低学歴だから犯罪を犯す」という因果関係の説明にはならない。例えば「貧困」や「劣悪な成育環境」といった第3の変数が教育機会を奪い、それが同時に犯罪への原因にもなっている可能性は十分にある。このとき、もしこの言説の問題点が「主語がデカいこと」にあると主張してしまうと、「学歴の低さそのものに犯罪を誘発する性質がある」という本質主義的な前提を暗に認めることになってしまう。そうではなく、本当の問題は「低学歴」と「犯罪率」には相関はあるが因果はない、ということのはずだ。「アイスの売り上げが増えると溺死者が増える」という相関データから「アイスは溺死を招く悪魔の食い物だ」と騒ぐ馬鹿がいたとして、そいつに対して「主語がでかいから間違ったことを言っている」などと、もっと馬鹿なことを言う必要なんかないのだ。
そして、第2種のクソデカ構文が余計に問題なのは、それが差別を助長するからに他ならない。例えば先ほどの統計的相関に従って、「低学歴=危ない」という言説が流布すれば、おそらく企業の採用担当はは低学歴の雇用を控え、周囲は低学歴に偏見の目を向けるだろう。その結果、彼らは正当な労働から不当に排除され、生活のために余計に犯罪に手を染めるしかなくなる。これは少し誇張して書いてはいるが、好ましくない事実自体が、その事実をさらに悪化させる機能を果たしてしまうこと自体は往々にしてある。
この記事を読んでいるあなたが高等教育(特に自然科学)を受けた経験があるとしたら、おそらくこの論点は受け入れにくいかもしれない。つまり、科学的な事実は事実であって、社会的な価値とは無関係だ、という科学の価値自由性を引き合いに出されるかもしれない。しかし「事実だから言っても構わない」という態度は、自分が石を投げて相手を転ばせておいて「ほら、あいつは転びやすいという事実は正しいだろ」と言い張るようなものであって、それは事実の公表に伴う社会的影響をあまりにも軽視しすぎていると思う。
話を戻そう。では結局、何故クソデカ主語警察はインターネットに漂うゴミなのか、一言で言えば、それはクソデカ主語警察自身が、彼らが批判している奴らの「共犯者」になってしまっているからだ。以上で確認したように、問題のあるクソデカ構文には大きく分けて2つの類型がある。そして、それぞれが問題である理由は異なっており、発言ごとに核となる部分を潰していかなくてはならない。にもかかわらず、クソデカ主語警察の指摘は、批判相手の問題含みの前提は基本的にすべて無視している。 本来ならば「その相関は教育格差や貧困という社会問題の結果であり、属性のせいにするのは筋違いだ」と論理的欠陥を指摘するか、あるいは「その発言は差別を助長するヘイトだ」と倫理的な視点から叩くべき場面であるにもかかわらず、だ。結局、クソデカ主語デカ警察は、差別発言の内容には目もくれず、発言の形式だけをたしなめることで、本来の問題点そのものを温存する共犯者に成り下がってしまっている。彼らの「主語がクソデカですよw」などという空っぽの指摘は、問題を本当に解決したい側からすれば、救いでも何でもない、ただのノイズでしかない。
ここまでクソデカ主語警察が何故害悪かを、かなり憎悪混じりで書いたが、もしもあなたが今現在クソデカ主語警察であって、あなたがリプを送りつけようとしているツイートの内容が本当に問題だと思っているのだとしたら、これからは「主語がクソデカですよw」などというクソリプを送りつけて悦に入るのをやめることを強くオススメする。差別を助長するようなツイートに強く反発し、憤りを覚えるという点では私はあなたを強く支持する。しかし、それを表明するために「主語がクソデカですよw」などという薄っぺらな借り物の言葉を脳死で使えば、むしろ相手の主張を助長することになる。もし本当に、クソデカ主語警察のあなたに良心があるなら、ちゃんと何が問題なのかを一つ一つ見極めてほしい。我々の社会に本当に必要なのは盲目な警察ではなく、不条理に立ち向かう勇気と理性なのだから。
起床後の手順はいつも通り。
42という数に宇宙的意味があるかどうかは未解決問題だが、咀嚼の粘性最適化という点では統計的にかなり良い。
ルームメイトはまだ寝ている。彼は昨夜、コーヒーを22時以降に飲んだ。明らかな戦略ミスだ。
カフェインの半減期を理解していない人間は、量子重力を理解できるはずがない。宇宙は因果律で動く。消化器官も同様だ。
さて、研究の進捗。
今週ずっと考えていたのは、超弦理論のモジュライ空間における非可換ホログラフィック再構成問題だ。
通常のAdS/CFT対応では、境界の共形場理論がバルク幾何をエンコードする。しかしこの対応は局所性という暗黙の前提に依存している。僕が疑っているのはそこだ。
もし弦の基底状態を単なる幾何学的振動ではなく、∞-圏上の導来スタックとして扱ったらどうなるか。
普通の弦理論はこう考える。弦の振動モード→ スペクトル→ 有効場理論
しかし僕の仮説では、弦はそもそもスペクトルではなく高次圏の射のネットワークとして存在する。つまり粒子は表現ではなく関手の固定点だ。
弦状態 ≈ derived functor on a spectral stackという構造になる。
昨日の夜、僕はこの構造をミラー対称性の圏論的極限として書けるか試した。通常のホモロジー鏡対称性ではFukaya圏 ≅ 導来コヒーレント層圏になる。
でももし弦が∞圏レベルで自己参照しているなら、等価性はこう変形する。Fukaya∞ ≃ Coh∞ ∘ End∞
つまり圏の自己作用素が幾何を生成する。言い換えると、時空は圏の自己演算の副産物だ。
これは少し面白い。なぜなら、この構造だと時間が一次元とは限らない。時間はモジュライ空間のフローとして再解釈できる。
つまり宇宙は進んでいるのではなく、圏が自分自身を再配置している。
この見方だと、ブラックホール情報問題もかなり変わる。情報は消えない。そもそも局所的に存在していない。情報は圏の自然変換として保存される。
残念ながら、この理論はまだ一つ問題がある。計算が狂っている可能性だ。
昨日の計算では、モジュライの体積が負になった。幾何学で体積が負になるのは普通ありえない。
ただし仮想基本類(virtual fundamental class)を導入すると説明できるかもしれない。
宇宙が仮想クラスなら面白い。僕たちは実体ではなく積分の結果になる。
僕は答えた。
「もし宇宙が導来スタックなら、プリンの所有権も圏論的対象だ。君の質問は定義されていない。」
彼は理解しなかった。予想通りだ。
隣人は昨夜2時に音楽を流していた。音程がわずかに低い。平均で12セントくらいズレている。
普通の人間は気づかない。でも僕の脳は気づく。脳は音程検出器としてかなり優秀だ。残念ながら隣人の音楽的判断力はそうでもない。
友人Aは昨日また奇妙な宇宙論を話していた。
友人Bはインド料理を食べに行こうと言った。
さて、今日の予定。
午前6時:シャワー
そして午後。
もし僕の∞圏仮説が正しければ、弦理論のランドスケープ問題は少し変わる。宇宙の数は10^500ではない。
それはまだ計算できない。
でももしそれが有限なら、宇宙は驚くほど小さい理論で説明できる。