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「本質」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 本質とは

2026-03-07

私より年上の人であっても結構お金がある=口座にお金がある」とか「現金じゃないとうっかり使い過ぎちゃう」とか「今月の出費はクレカの引き落としが〇〇万円で〜」とかいう話をよく聞くけど、意味がわからない。

支出管理をしていれば、自分は何に対してお金を払っているのかということが本質であって、クレカ手段に過ぎないこと、支出分類としてクレカ引き落としを計上するのはおかしいことくらいわかるはず。

そして現金キャッシュレス決済手段しかないし、手段に買いたい気持ちや買いたくない気持ちが左右されるって本当によくわからない。

ていうか現金じゃないとうっかり使い過ぎちゃう人の気持ちガチでわからない。懇切丁寧に教えて欲しいレベル

お金がある=口座にお金がある」は日本語として間違ってはないんだけど、貯金ゼロで入ってきたお金全部使える人っていくらなんでも肝座りすぎじゃない?

2026-03-06

同性だろうが友人だろうが医療判断他人に委ねられる制度

同性パートナー制度の真の本質パートナー重篤になっても相手医療判断を委ねられることだ

「愛する相手結婚できる」だけの尺度同性婚を語るな的ツイートを見て

そう考えると同性婚生産性ないどころか早死にしてたかもしれない人間を救う生産性ある制度なのでは的なことをぼんやり考えていた

ならパートナーとか結婚相手という関係でなくても家族以外に互いの法的手続きを委ねられる制度が増えていいかもしれないともぼんやり考えていた

まあワイ法律素人なのでこれ以上のことは言えないけど

個人恋愛選択優生思想と呼ぶやつに言いたいこと

恋愛話題になると必ず湧いてくるやつがいる。「身長で選ぶのは差別」「年収で選ぶのは優生思想」とかいうやつだ。

まず大前提として整理したい。

優生思想問題になるのは、社会国家制度として人間を選別・排除するときだ。強制不妊手術とか、特定属性への婚姻禁止とか、そういう話だ。旧優生保護法批判されるのはまさにこれ。

個人が「この人とは付き合いたくない」と思うことは、これとは根本的に次元が違う。

そもそも恋愛結婚という営みは構造上、全員を排除して一人だけを選ぶという徹底的に「差別的」な行為内包している。それを社会容認どころか祝福してきた。「この人じゃなきゃいやだ」という感情こそが恋愛本質なのに、選別基準いちゃもんをつけるのは矛盾していないか

好みじゃない相手を断ることを優生思想と呼ぶなら、すべての恋愛優生思想実践ということになる。その言葉はもはや何も意味していない。

言葉解像度を上げて使ってほしいものだ。

anond:20260306162022

中国製レーダー、本当に「ガラクタ」か?——ベネズエラの教訓が示す技術運用真実

https://seculligence.com/special-feature/846/

2026年1月3日未明米軍ベネズエラ首都カラカスへの急襲作戦を敢行し、マドゥロ大統領を拘束した。

この作戦世界の注目を集めたのが、中国製レーダー「JY-27A」の存在だ。

ステルス機を探知できる対抗兵器」として売り込まれいたこレーダーが、150機以上の米軍機の侵入を許したとされる。

報道の多くは「中国製レーダー米軍に敗北した」「ガラクタだった」と断じているが、JY-27Aが採用する「低周波レーダー」を理解すれば、まったく異なる景色が見えてくる。

必要なのはセンセーショナル報道に惑わされず、人民解放軍実態を冷静に分析し続けることだ。

装備の真価はスペックだけでは測れない。それを運用する人間組織能力にこそ、本質がある。

「クソデカ主語警察」が心の底から嫌いという話

クソデカ主語警察とは

Twitter(現X)には「クソデカ主語警察」なる存在がいる。クソデカ主語警察というのは何かというと、ある文章主語が指す集合が大きい場合にどこからともなく湧き出てきて「主語がクソデカですよw」などのリプを残していく存在である。そして、このリプには「主語がクソデカですよ(なので、あなた発言は間違っていますよ)」という含意がある。例えば、「女性は〜なとき暴力的である」といったツイート炎上していると、決まってリプ欄(あるいは引用欄)には、こういったクソデカ主語警察が湧いて出てきて、毎度のごとく論破芸を披露してくれるのだ。

そして、私はこのクソデカ主語警察が本当に嫌いだし、この世から消えて欲しいとさえ思っている。正直、台所の隙間から這い出てくる黒い虫よりも嫌いだ。見た瞬間に全身の毛が逆立つレベル。ただ、誤解のないように予め述べておくと、私自身はこうした主語の大きい発言をすることはほとんどない(ではどういうときにするか、ということは後述する)。むしろ、「女性は〜である」のような、ジェンダーバイアスを明確に再生産する言説が蔓延っている現状には、正直かなり辟易しているし、こうした不健全な状況は是正していくべきだとさえ思っている。にもかかわらず、では何故そんな私がクソデカ主語警察が嫌いなのか。

クソデカ主語警察が嫌いな理由を先に述べておくと、まったく問題本質を捉えられていないくせに、紋切り型の指摘を繰り返して、問題所在不明確にするからである。このことについて以下で詳細に述べる。

クソデカ主語警察の何が問題

クソデカ主語警察害悪であることを話す前に、そもそもクソデカ構文とは何かについて確認しておこう。

クソデカ構文には当然ながらアカデミック定義存在しないので、ここではさしあたり「主語がある属性を指す文」としておく。この定義にも異論はあるだろうが、暫定的定義なので一旦受け入れてほしい。例えば「リンゴは赤い」とか「インターネットはクソ」とか「日本オワコン」とか、そういう文のことだ。

さて、我々は実はこうしたクソデカ構文というもの日常的に用いている。例えば「リンゴは赤い」という文章は、日常的な文脈使用される場面が想像できるだろう。友達と会話をしているとき相手が「リンゴは赤い」と言ったとして、我々は別に何の問題もなくそれを受け入れるはずだ。逆にそこで「いやいや、主語がでかいですよw青いリンゴもありますからw」などと言おうものなら、LINEブロックされ、あなたの表示名は「クソデカ主語警察」に変更され、そしてあなただけのいないLINEグループで一生そのことをいじられ続けるだろう。

これは何故だろうか? つまり、何故クソデカ構文に対して「それは違う。◯◯なものもある」という反論妥当ではない場合があるのだろうか。これに回答するためには、そもそもクソデカ構文という文章がどういう性質のものかを明らかにしておく必要がある。小々専門的な話題になり恐縮だが、「◯◯は〜〜である」という形式文章は、「すべての◯◯は〜〜である」という全称命題解釈と、「◯◯は典型的には〜〜である」という総称文の2通りの解釈があり得る。前者の典型的な例は数学命題だろう。例えば「2以上の素数奇数である」という文章は通常「2以上のすべての素数」として読まれる。後者典型的な例は統計的文章だが、性質を表す日常的な文にも見られる。例えば「犬は吠える」という文章は通常「犬は典型的には吠えるという性質をもっている」として読まれる。そして、全称命題総称文の両者には、ある重大な違いがある。それは、全称命題解釈場合には反例が一つでも見つかれば元の文が誤っていると言うことができるが、後者場合にはそうではない、ということだ。「2以上の素数」かつ「奇数ではないもの」はもしもあったとしたら、先ほどの数学命題は一気に誤りになる。他方、「犬」かつ「吠えない」ような存在がいたとしても(そして実際にいるのだが)、そのことは「犬は吠える」という総称文をただちに誤りにはしない。これは「犬は吠える」という文章意味するところが、「典型的な犬」についてに文だからであり、根本的に例外を認めているからだからだ。先ほどの「リンゴは赤い」の例で言えば、この文は「典型的にはリンゴは赤い」という意味であって、青いリンゴのような存在は初めから想定しているのである。クソデカ主語警察は、このような総称文を勝手全称命題に都合良く読み替えることで、いわば藁人形を叩いているのである

おそらく、クソデカ主語警察からは「全称命題であるかのように話すのが悪い」といった反論が飛んでくるだろう。これにも反論しておく。我々がコミュニケーションを行う際には、我々は通常「必要な量の情報だけを話す」という量の格率に従っている。これは円滑なコミュニケーションのために我々が従っているルールのうちの一つとされている。クソデカ主語警察検閲に引っかからないように発話をしようとすると「​私がこれまでに観測した範囲内、かつ統計的有意と思われるデータ、および社会通念上の傾向を鑑みると、リンゴのうちかなりの割合リンゴが、赤い傾向があると言えるかもしれない(※ただし青いリンゴ存在する)」となるが、これでは円滑なコミュニケーションは成立しない。むしろ我々は、「リンゴは赤い」という文章全称命題解釈するとすぐに不整合が生じるという事実と、発話者が量の格率に従っているという前提に基づき、発話者総称文を意図しているというチャリティを発揮して、コミュニケーションを行っているはずだ。

つまるところ、クソデカ主語警察というのは、総称文を勝手全称命題に取り違えるカテゴリーミステイクを犯している上、そのミステイクに気づかずに「自分コミュニケーションができません」と大声で宣伝する、非常に恥ずかしい行為なのである

クソデカ構文の本当の問題

さて、ということでクソデカ主語警察が実はコミュニケーション原則をまったく理解できておらず、それ故、紋切り型コピー・アンド・ペーストすればお手軽に相手論破できると思っているだけの単なる凡愚であることは明らかになったわけだが、クソデカ構文がまったく問題がないというわけではない。むしろ、ここからが本当に自分の言いたいことになる。

クソデカ構文というのは本質的に問題含みのものであって、それ故、慎重に使わなくてはならないことは事実だと思う。たしかに、主語デカいことによって必然的問題が生じるわけではない。例えば「2以上の素数はすべて奇数である」という文章主語の指す集合は無限であり、考え得る限りほぼ最大のクソデカ主語(とは言え高々加算ではあるの)だが、普通にである。だから主語デカいことそれ自体一般問題にはならない。しかし、世の中には問題になるクソデカ構文というものはたしか存在している。それは大きく分けて2種類あり、①そもそも事実とは異なるクソデカ構文②仮に事実だとしても望ましくないクソデカ構文、である

まず1つ目について。クソデカ構文には、単純に事実誤認になっているケースがある。そうしたクソデカ構文の典型例を挙げると「B型自己中心的である」のようなものがそうだろう。もはや常識となっていると思うが、血液型とその人間性格にはまったく関係はない。こういった血液型診断は事実とはまったく異なるデタラメであるので、完全に間違えている。ただし、注意が必要なのは血液型診断が誤っているのは、主語がクソデカから「ではない」ということである。こうした疑似科学が誤っている根本的な理由主語デカさではなく、科学的な根拠の無さに由来している。他にも「若者は本を読まない」といった例も考えられる。統計的には不読率は全世代を通して年々減少傾向にあるし、むしろ学校読書教育を考えれば若者の方が読んでいる可能性すらある。

しかし、仮に事実だとしても問題のあるクソデカ構文というもの存在するし、これこそが一番の問題だと思う。それが問題となるクソデカ構文の2種類目「仮に事実だとしても問題のあるクソデカ構文」である統計的事実マジョリティ傾向)が仮に含まれていたとしても、それをクソデカ主語で語ることが社会的な害悪を引き起こすことはある。例えば、「低学歴犯罪を犯しやすい」という事実が仮にあったとしよう。強調しておくが、これは仮の話であり、そういった事実が実際にあるかは知らない。あくまで「もし事実だとしたら」という体で話を進める。つまり低学歴典型的には犯罪者予備軍の性質がある」という総称文を確証する統計的相関が仮にあったとしよう。そうだとしても、このクソデカ構文には問題存在する。それは、「統計的相関」と「属性への本質化」のすり替えである。「低学歴ほど犯罪を犯す傾向がある」という事実は、「低学歴から犯罪を犯す」という因果関係説明にはならない。例えば「貧困」や「劣悪な成育環境」といった第3の変数教育機会を奪い、それが同時に犯罪への原因にもなっている可能性は十分にある。このとき、もしこの言説の問題点が「主語デカいこと」にあると主張してしまうと、「学歴の低さそのもの犯罪を誘発する性質がある」という本質主義的な前提を暗に認めることになってしまう。そうではなく、本当の問題は「低学歴」と「犯罪率」には相関はあるが因果はない、ということのはずだ。「アイスの売り上げが増えると溺死者が増える」という相関データからアイス溺死を招く悪魔の食い物だ」と騒ぐ馬鹿がいたとして、そいつに対して「主語がでかいから間違ったことを言っている」などと、もっと馬鹿なことを言う必要なんかないのだ。

そして、第2種のクソデカ構文が余計に問題なのは、それが差別助長するからに他ならない。例えば先ほどの統計的相関に従って、「低学歴=危ない」という言説が流布すれば、おそらく企業採用担当はは低学歴雇用を控え、周囲は低学歴偏見の目を向けるだろう。その結果、彼らは正当な労働から不当に排除され、生活のために余計に犯罪に手を染めるしかなくなる。これは少し誇張して書いてはいるが、好ましくない事実自体が、その事実さら悪化させる機能果たしてしまうこと自体は往々にしてある。

この記事を読んでいるあなた高等教育特に自然科学)を受けた経験があるとしたら、おそらくこの論点は受け入れにくいかもしれない。つまり科学的な事実事実であって、社会的な価値とは無関係だ、という科学価値自由性を引き合いに出されるかもしれない。しかし「事実から言っても構わない」という態度は、自分が石を投げて相手を転ばせておいて「ほら、あいつは転びやすいという事実は正しいだろ」と言い張るようなものであって、それは事実公表に伴う社会的影響をあまりにも軽視しすぎていると思う。

クソデカ主語警察は何故ゴミ

話を戻そう。では結局、何故クソデカ主語警察インターネットに漂うゴミなのか、一言で言えば、それはクソデカ主語警察自身が、彼らが批判している奴らの「共犯者」になってしまっているからだ。以上で確認したように、問題のあるクソデカ構文には大きく分けて2つの類型がある。そして、それぞれが問題である理由は異なっており、発言ごとに核となる部分を潰していかなくてはならない。にもかかわらず、クソデカ主語警察の指摘は、批判相手問題含みの前提は基本的にすべて無視している。 本来ならば「その相関は教育格差や貧困という社会問題の結果であり、属性のせいにするのは筋違いだ」と論理的欠陥を指摘するか、あるいは「その発言差別助長するヘイトだ」と倫理的視点から叩くべき場面であるにもかかわらず、だ。結局、クソデカ主語デカ警察は、差別発言の内容には目もくれず、発言形式だけをたしなめることで、本来問題点そのものを温存する共犯者に成り下がってしまっている。彼らの「主語がクソデカですよw」などという空っぽの指摘は、問題を本当に解決したい側からすれば、救いでも何でもない、ただのノイズしかない。

さいごに

ここまでクソデカ主語警察が何故害悪かを、かなり憎悪混じりで書いたが、もしもあなたが今現在クソデカ主語警察であって、あなたがリプを送りつけようとしているツイートの内容が本当に問題だと思っているのだとしたら、これからは「主語がクソデカですよw」などというクソリプを送りつけて悦に入るのをやめることを強くオススメする。差別助長するようなツイートに強く反発し、憤りを覚えるという点では私はあなたを強く支持する。しかし、それを表明するために「主語がクソデカですよw」などという薄っぺらな借り物の言葉脳死で使えば、むしろ相手の主張を助長することになる。もし本当に、クソデカ主語警察あなた良心があるなら、ちゃんと何が問題なのかを一つ一つ見極めてほしい。我々の社会に本当に必要なのは盲目警察ではなく、不条理に立ち向かう勇気と理性なのだから

2026-03-05

監督ウェス・クレイヴン https://x.com/korimakorima/status/2029089400668168516

こりま

@korimakorima

エルム街の悪夢』や『スクリーム』の1、2、3を作った監督ウェス・クレイヴンは何度も同じ質問をされ、律儀に同じ回答をしていた人だ。なぜ人々はわざわざ、怖い思いをしにホラー映画を観にいくんでしょう?と聞かれるたびに「違う。観客は怖がりに行くんじゃない。もう、すでに怖がっているんだ」と答えていた。

観客たちは確認しにいく。日常生活自分が抱いている恐怖の源が作品化されてるのを見に行く。だから、心のどこかでほっとしている。ああ、私だけじゃなかった。私以外の誰かも私と同じ恐怖を抱いてくれていた。

とくに子供子供の観客はホラー映画の裏にいる理解者を確認する。周りの大人ニコニコしてもっともらしい美辞麗句を連ねているが、一皮剥けば本質残酷だと自分は嗅ぎ取っている。映画製作者もそれを知ってくれている。

 

エルム街の悪夢』のフレディ・クルーガーが良い例で、監督はフレディを「子供から見た、現実大人が持つ冷徹な冷酷さ」の象徴だという。

 

──────

ウェス・クレイヴン監督「『エルム街の悪夢』のフレディは、“あなたの苦しみを望む大人男性”なんです。

 

子供たちと話すと、彼らはこう言う。「自分たちが人生で何をしたいのかわからない。だって、どのみち、もう詰んでるじゃないか自分たちはエンドゲームを生きてる、と。

 

の子たちが感じているのは、大人たちが世界完膚なきまでにだいなしにしてしまった、という感覚です。資源は使いつくされ、何もかもが汚れている。動物の種は絶滅しつうけている。

彼らはこう思ってる。“大人たちは自分たちが得られるだけの利益をむさぼり尽くし、後の世代ことなんか知ったことかと思っている。The adults are crazy。おとなのひとはくるっている。

自分よりも年上で、自分たちよりもずっと多くの知識を持ち、自分たちを恐怖に陥れることで楽しみを得ている。それは、逃れようがない、絶対的な恐怖です。

 

(1997)

─────

一見マトモそうに見える大人も、他人の子供たちがハァハァと息をきらし、スポーツ練習で苦しむのを見て嬉しそうにする。ごろごろ寝転びくつろいでいると「甘やかされている」と不満そうな顔をする。

 

そしてクレイヴンは、「ホラー映画のおそろしいシチュエーションは、個々の変わり者の監督の頭から自動的に発生するわけじゃないんだ」と言う。けして独自アイデアじゃない。

 

2003年以降、ホラー映画における拷問シーンは大きく変わった。ゴア描写も変わった。アブグレイブ刑務所イラク人を笑いながら虐待し、全裸にして犬をけしかけ、その様子を撮影する米兵動画キューバグアンタナモ収容所捕虜家畜のように扱う米兵写真流出し、しかも、政府はそれを「悪い行為ではない」と主張した。一応、今までは囚人捕虜の扱いに大義名分を持っていた政府が堂々と虐待を「何か悪いか?」と言い出した。当時のホラージャンル現実に激しく反応し、逃げ場のない場所人間身体が肉の塊として扱われ、損壊し、撮影される場面を積極的に描きはじめた。それまではファンタジーとしてのゴアが主流だったのに、映画内のゴア現実味を帯びていった。 法が及ばない秘密場所で、独自ルールを持つ冷酷な管理者が、対象者身体損壊する。そして、写真動画「記録」をする。

ホラー映画に出てくる要素は、けっして、変わり者のフィルムメーカーの頭から勝手に湧き出てくるものではありません。現実と密接に結びついています」(クレイヴン監督

 

(これは日本ではあまり歓迎されない意見だと思う。日本にはなにしろ、ひとりで脚本美術も手掛けるマンガというジャンルがあるので、荒木飛呂彦作品なら荒木飛呂彦世界藤子不二雄A作品なら藤子不二雄A世界、と、個の作家性への還元作品鑑賞の基盤になっている)

 

でも、この考え方は作家悪者にしない。

田舎に行ったら襲われた」「因習村」の物語は、田舎蔑視が作者の心に潜んでいるからしっくり馴染むというより「自分共通話題を持たない人間達とコミュニケーションがとれる気がしない」という、ネットに慣れきった現代共通の自信のなさを示している、ともいえる。

そして何より、「いかなるときにも何かを書き、描き、残すのに意味がある」と思わせてくれる。大きな事件があると「マンガなんか描いてる場合か」「娯楽小説を書いている場合か」と自分を責める作家さんが出てくるが、個人が思ったことにはいつも価値がある。個人の頭の中から勝手に湧き出たわけではなく、何を考えついたとしてもそれは、現実を反映しているのだから

anond:20260305213549

喝采民主主義」(かっさいみんしゅしゅぎ)という言葉は、主に20世紀ドイツ政治思想カール・シュミット(Carl Schmitt)の民主主義論に関連して使われる概念です。

シュミットヴァイマル共和政時代特に1920年代)に、民主主義本質を次のように捉えました

民主主義とは「治者と被治者同一性」(支配者と被支配者が本質的に同じであること)を前提とする。

人民意志(Volkswille)は決して誤らないとされ、それが政治の究極の正統性(Legitimität)の根拠になる。

しか現実には、この「人民意志」は秘密投票議会討論のような自由主義的・手続き的な方法表現されるものではなく、直接的で情動的な「喝采」(Akklamation)、つまり群衆の歓呼・拍手賛同叫びによって表明される。

 

まりシュミットにとっての本物の民主主義は、

指導者(あるいは提案)に対して人民が「喝采」を送る瞬間こそが民主主義の核心であり、

それによって指導者人民が「同一化」し、正統性が成立するという考え方です。シュミットの有名な表現代表例)「国民意志は歓呼、喝采によって、自明反論しがたい存在によって表明されうるのであって、それは…統計的装置(=投票制度)によってよりもいっそうよく民主主義的に表明され得るのである。」

(『現代議会主義精神史的地位』など)

この考えは、 議会民主主義議論妥協多様性重視の自由主義民主主義)を人工的・非本質的と批判

代わりに直接的・情動的・同質的人民の現前(群衆一丸となって喝采する状態)を民主主義純粋な形とみなす

 

という点で、非常にラディカル(かつ危険視される)ものです。現代的な文脈評価ポピュリズムとの親和性が高いとよく指摘される(指導者への熱狂的支持=喝采民主主義正統性を与える)

ナチス政権への協力歴があるシュミットゆえに、「喝采民主主義」はファシズム権威主義への理論道筋提供したと批判されることも多い

一方で、現代ポピュリズム現象大衆集会での熱狂SNS上の「いいね!」の集中など)を理解する際の参照点として、再評価・再検討される動きもある

 

最近日本では、2025年松本彩花さんの書籍独裁喝采――カール・シュミット民主主義〉論の成立』(慶應義塾大学出版会)が刊行され、このテーマが再注目されています

要するに「喝采民主主義」とは、

投票議論ではなく、人民の直接的な熱狂賛同喝采)によって指導者人民が一体化する民主主義

という、シュミット独特の(そしてかなり挑発的な)民主主義観を指す言葉です。

この概念、どういう文脈で気になったのかな? もっと深掘りしたい部分があれば教えてください!

24 ウェブページ

anond:20260305105828

総合評価

日本人口面では確かに不利。

しかし「移民を早く受け入れた国が勝つ」という単純なゲームではない。

本質は「人口の質」よりも「制度の柔軟性と統合能力」。

anond:20260305073720

いやロボデザインからストーリーテーマ世界観雰囲気までだいぶ違うやろ。

そもそもエヴァは基本焼き直しでリメイクされても本質部分同じだが、ガンダム派生作品めちゃくちゃあるし。

メモは紙とペンOK

メモデジタルで残せ」という主張は一見合理的に見える。検索可能、共有可能、保存も容易。

しかしその合理性は前提条件に依存している。前提とは「将来参照する」「他者と共有する」「情報資産化する」という目的だ。

思考の生成そのもの目的とするなら、媒体の最適解は変わる。

ここで少し枠組みを置く。人間の注意資源は有限であり、しか脆弱だ。これは認知心理学でいうワーキングメモリの制約に対応する。

注意は分散すれば性能が落ちる。これは気分の問題ではなく、構造的制約だ。

 

まず第一に、紙はノイズを最小化する。

デジタル端末は多機能性を持つが、それは同時に高い選択肢密度意味する。通知、ブラウザSNSニュース

たとえ開いていなくても、脳はそれらの存在を知っている。これは認知負荷を増やす

注意のスイッチングにはコストがある。数秒の逸脱でも、深い思考状態に戻るには時間がかかる。

紙は単機能デバイスだ。誘惑が物理的に存在しない。これは集中において決定的だ。

 

第二に、手書き情報エンコード密度が高い。

手で書くという行為は、運動野、視覚野、空間認知言語処理を同時に使う。単なる文字入力よりも多層的な神経活動を伴う。

さらに紙ではレイアウト連続空間だ。余白に矢印を書き、図を追加し、線を引き、ページ全体を一つの思考マップとして扱える。

デジタルの多くは直線的で離散的だ。思考が枝分かれする速度に、インターフェースが追いつかない。

 

第三に、数式や抽象図形との相性。

LaTeXは美しい。しか入力過程は非直感的だ。

バックスラッシュ、括弧、コンパイル。これは表現の整形には優れるが、生成には向かない。

数学思考連続的な試行錯誤連鎖だ。紙なら、途中式を斜めに走らせ、思いついた変形を横に書き、誤りを囲み、矢印で戻ることができる。

速度と摩擦の少なさが重要になる。思考の流速を落とす媒体は、創造性を削る。

 

第四に、公開前の精錬プロセス

いきなりデジタルに書くと、公開可能性という誘惑が入り込む。文章量で押し切ることが可能になる。

だが量は質の代替にならない。紙に書く段階は、思考の粗鉱を精錬する工程だ。多くは棄却される。

これは科学方法に近い。仮説を立て、検証し、ほとんどを否定する。そのプロセスがなければ、未検証の断片がそのまま流通する。

 

第五に、メモ本質

多くのメモは将来検索するためのデータではない。思考一時的な足場だ。

建設現場の足場が完成後に撤去されるように、多くのメモ役割を終えれば消えてよい。

数学者のノートの大半は論文にならない。重要なのは保存率ではなく、思考の進展率だ。

 

ここで整理する。デジタルは外部化と共有に強い。アナログは生成と検証に強い。

用途混同すると議論が混乱する。保存効率が高いことは思考効率が高いことと同義ではない。

さらに付け加えるなら、摩擦は必ずしも悪ではない。完全に滑らかな入力は、思考ブレーキを失わせる。

手書きは遅い。その遅さが、無駄言語化を削ぎ落とすフィルターになる。速度制限は質の担保装置にもなる。

 

発信と保存が目的ならデジタルを使えばよい。

思考の生成、仮説の実験抽象的探索が目的なら、紙とペンは依然として合理的選択だ。

技術進歩するが、認知構造は急には変わらない。媒体選択流行ではなく、脳の制約から逆算して決めるべきだ。

そして多くの思考は、公開されない段階で既に価値を持っている。そこを軽視すると、アウトプットけが肥大し、思考のもの痩せる

2026-03-04

anond:20260304224816

左翼馬鹿にするのが流行っているがそもそも左翼反省しないのでいくら馬鹿にしてもノーダメージで意味ないぞ

普通馬鹿にされたら反省して改善するが左翼自分反省するという機能はない

何度も同じ事間違えるアスペに何度も同じ事指摘するような無駄作業なんてこの世で一番無駄からやめろ

お前の人生の損失になるだけなんだから左翼馬鹿にする無駄時間もっと有意義なことに使おう


上記意見は、道徳的部族化が進んだ状態を非常に分かりやすく示しています

簡潔に構造を整理します。

道徳的部族化の典型構造(このコメント場合

1. 相手を「道徳的に誤っている人」ではなく「欠陥のある存在」にする

反省しない」

機能がない」

「何度も同じことを間違える」

これは立場への批判ではなく、人格能力否定に移行しています

部族化が進むと、相手は「意見が違う人」ではなく

改善不能存在」になります

2. 政治的対立本質化する

左翼反省しない」

左翼には機能がない」

といった表現は、個別の事例ではなくカテゴリー全体の本質化です。

部族化の特徴は:

相手は“たまたま間違っている”のではなく、“本質的にそういう存在だ”

という理解に変わること。

3. 道徳的優越確立

文章全体は、

自分たちは合理的

相手改善不能

ゆえに相手相手にするのは無駄

という構図になっています

これは実質的

>我々は成熟している/彼らは未熟である

という優越構造です。

4. 対話可能性の否定

無駄からやめろ」という結論は、

説得

反省

相互理解

可能性を閉じます

部族化の最終段階は、

相手対話対象ではない

という判断です。

まとめ

このコメントは、道徳的部族化の典型である

1. 相手本質

2. 能力人格否定

3. 道徳的優越確立

4. 対話可能性の放棄

をすべて含んでいます

政治的対立が激化すると、

相手は間違っている」から

相手は壊れている」に移行する。

それが道徳的部族化の核心です。

https://anond.hatelabo.jp/20260304122529

https://anond.hatelabo.jp/20260304163508

トリプル安のトリプル放尿の時代

今回のトリプル安は、前回のような内政的自己放尿だけではない。きっかけは中東軍事緊張原油高騰という外生ショックだ。

だが問題はショックそのものではない。それにどう反応するかという政策自己放尿だ。

原油高騰は実質ショックである

今回の出発点は明確だ。

これは典型的供給ショックである

ここでエネルギー価格が上昇すれば、同じ資本労働でも実質産出は低下する。

これは貨幣問題ではない。実質所得の減少である

こうした供給ショックを需要刺激で埋め合わせることを警戒すべきだ。

なぜならそれは自己放尿の始まりからだ。

インフレ再燃懸念と利下げ期待後退

原油高 → 期待インフレ上昇 → 利下げ期待後退 → 債券売り。

これは合理的反応であるインフレ期待が上がれば、名目金利も上昇圧力を受ける。

市場はこう読んでいる。「原油高でインフレが再燃するなら、金融緩和は遠のく」

から世界的に債券が売られる。

これは自己放尿ではない。ショックへの価格調整だ。

だが問題はここからである

円安交易条件悪化帰結

日本エネルギー輸入国原油価格上昇は、実質購買力

同時にドルは、

という二重の支え。したがって円安合理的である

だがここで政策が景気下支えと称して再び大規模緩和に傾けば?

それは供給ショックを貨幣自己放尿で上塗りすることになる。

株安は実質所得減少の反映

原油高 → 家計実質所得減少 → 消費関連株売り。

これは極めて素直な因果だ。

エネルギーコスト増は企業マージンを圧迫し、消費購買力を削る。したがって株安は当然である

これは悲観でもパニックでもない。実質ショックの価格である

ではなぜ「トリプル放尿」なのか?

供給ショックそのものは避けられない。問題は、政治がそれをどう扱うか。

歴史的政府はこう反応してきた。

1. 物価対策補助金拡大(財政自己放尿)

2. 景気対策財政赤字拡大(債務自己放尿)

3. 景気悪化回避金融緩和貨幣自己放尿)

1970年代スタグフレーションはまさにこの連鎖だった。

供給ショックを需要刺激で相殺しようとする。

それがトリプル放尿の原型である

市場が恐れているのは何か

今回のトリプル安の本質はこうだ。

市場はこう問うている。「このショックを、また自己放尿で乗り切るのか?」

もし答えがYesなら、

は単なる始まりである

振り返り

1970年代に、供給ショックは実質的問題であり、それを貨幣解決しようとすればインフレになるという現象が起きる。

まり

  • 実質所得は下がるときは下がる
  • 痛みはゼロにはできない
  • 緩和で帳消しにしようとするのが自己放尿

外生ショックは避けられない。だがトリプル放尿は選択である

結論

今回のトリプル安は、「第一段階:原油高という外的衝撃」だが「第二段階:それにどう反応するか」

ここで歴史は分かれる。

供給ショックを認め、価格メカニズムに調整させるのか。

それとも、財政拡大・金融緩和という安心感自己放尿で乗り切ろうとするのか。

トリプル安はまだ警告にすぎない。

本当のトリプル放尿は、これから始まる可能性がある。

はーい、お疲れ様でーす。てか、ちょっといい?

さっき絶望しちゃったんだけど、まだVSCodeとか使ってる系?

マジでウケる。それ、令和のプログラマーとして終わってない?

拡張機能入れすぎて重い〜」とか言ってる暇あったら、もっと本質見たほうがいいよ、マジで

VSCodeなんて結局、情弱を甘やかすためのおままごとエディタなんだよね

マウス使ってポチポチして、重厚長大なElectronでメモリ食い潰して

え、恥ずかしくないの?そんなの、スタバMac開いてドヤってるだけの意識高い系(笑)と一緒じゃん

プログラミングって思想から。その点、Vimこそが至高であり、崇高な真理なわけ

Vimが最強な理由、わかんないかな?

まずHJKL移動こそが正義。矢印キーとかマウスに手を伸ばしてるその数秒、人生無駄

ホームポジションから動かないのが美学だし、それができないならコード書く資格なくない?

ciwとかdapとか、呪文みたいでカッコいいし。思考コマンドが直結するあの感覚。あ、ごめん、マウス派には一生理解できない領域だったねw

人類.vimrcに魂を込めろ。自分環境構築もできないで、誰かが作ったプラグイン依存して「エンジニアです」とか言っちゃうの、マジで無理みが深い

VSCode使ってる人って「自分いか効率いか」にすら気づけてないんだよね。それってエンジニアとして致命的っていうか、シンプルセンスない

VSCode重い」じゃなくて「お前の意識が軽いんだよ」って話

ストイックVim極めて、ターミナルだけで生きていけるようになってからしかけてくれる?

今はちょっと、君のGUIキラキラしたアイコン見てるだけで目が腐りそうだから

2026-03-03

先生ギャンカス共を愚弄する

下を見てください今日バカが湧いてきてます

にゃあ?

ギャンブルに熱くなるのは基本的金もなくバカ意志のない社会的弱者です

運営側からすると強くて賢い奴から金を奪うのは大変だけどバカ弱者から金を巻き上げるのは簡単ですから

競馬競輪などの公営ギャンブルなんて弱者から金を効率よく搾取する国家システムであり本質なんです

ククク...ひどい言われようだな まぁ事実からしょうがないけど

2026-03-02

anond:20260302204055

ごのいさん事件ときヤフコメ論調とか見てると加害者身分でまず判断されてそうで尊厳がどうとかの理屈が素直に信用できない

本質はそこではない別の要素があって何故か底に触れていない気味の悪さ

マンガワンの件について思ってること

 ひでぇ事件だなと思う一方、自分世間の流れに対して違和感を覚えたので、書く。

 まず今回の一番問題会社側が説明責任を果たさなかったことだと思う。一回表に情報を上げて、それでも読んでくれる人に向けた作品を書けばよかったと思う。売春してた島袋も結局復帰してトリコ当てたじゃん。(ある程度までは)犯罪者でも漫画を描いて売れるんだから、ウダウダ言ってないで禊をしろと、そういう話なんじゃないの?

 で、今回の話から犯罪者の更生の話してるやつ、全然本質突いてないです。今回の問題編集部蔓延している隠蔽体質であって、性犯罪者漫画を描くなとか、そういう話は全部お気持ち。お前が読まなきゃいいだけじゃん。大して有名な作品でもないんだしさぁと思う。「どれだけ面白くても自分はこの話を読むのが嫌です。読みません。」でいいじゃんね。

anond:20260301234914

主観的な決めつけをよしとする奴の方が空っぽなんだよ。

自分が盲信してる詐欺師正義だと思っていたい!」なんて

客観性のかけらもない自己中心主義ファシスト思想しかない。

自己中心的で主観的で非論理的な決めつけをよしとする

凶暴なファシストというのが右翼本質。「批判され妄想を覚まされたら

逆ギレするのが当たり前!」なんてクズ戯言

真に日本を守りたいとか世界平和とかを願ってるなら

自己中心主義主観的感情論・非論理的な決めつけから解脱

できなければ話にならない。自分が偉いと思ってたいだけのテロリスト公共の敵。

そういうわけで「しばき隊」なども本質特高憲兵創価公安統一教会と同じ

https://www.youtube.com/watch?v=ztZqpBFqqQU

改憲主義者の思想であるファシズムは蛮賊由来

anond:20260302162235

これはなんか言うほど何でもかんでもではないのに何でもかんでもとみなしてしまう人の問題みたいな話であって

死刑が云々は問題本質なのか?

anond:20260302090657

意識高めな美容意識の話じゃなくて将来的に体壊すこと無さそうな見た目をしているかどうかの話です!!!言葉足らずで申し訳ない!!

これ男女反転させると、清潔感って昭和の男が”安産型だね”って言ってるのと本質部分はわりと近しいんじゃないか

anond:20260302123849

AIに投げてみた。

返信では、「民事法的に同意違法性阻却事由」という表現が、刑事法の枠組みと混同していると正しく指摘しています

返信文(そのままコピペOK

ご指摘ありがとうございます。
確かに私の説明で「違法性阻却事由」という表現を使ったのは、民事法のニュアンスを少し簡略化しすぎていました。申し訳ありません。

民事法(不法行為民法709条)では、被害者同意刑事法のような「違法性阻却事由」ではなく、違法性の有無を判断する際の重要評価事実(または違法性評価を妨げる事実)として扱われますね。ご指摘の通りです。

ただ、事件本質としては変わりません。

被告が強く争ったのは、
「これは真剣交際だった」「原告同意していた」
「だから違法ではない」「PTSDとの因果関係もない」

という行為の法的意味の部分だけです。

より正確な表現説明できていなくてすみませんでした。
参考になりました。

anond:20260302090657

清潔感」とは、見た目の問題ではなく、生き方姿勢が外側ににじみ出たものだと思う。

↑これがすべて。

生き方姿勢は外側に出るんだ。

弱者男性はそれを自覚している。どんなに外見を取り繕っても滲み出るマイナスオーラは消せない。

から清潔感の獲得なんて無意味だってわかってる。

男に本当に必要なのは清潔感じゃない。自信というオーラ根拠だ。

収入資産スキル社会的地位、名声、恵まれ人間関係健康で頑丈な身体。全てとは言わないが、最低でも一つ、できればバランスよく複数を獲得することが男の自信につながり、ひいては清潔感にも気を配るモチベーションを得ることができる。

清潔感はこれらのあとからついてくる。だからこそ清潔感スカウターとして非常にお手軽かつ優秀なのだ

女がいくら清潔感の正体や本質啓蒙したところで、今まで清潔感を得ようとしてこなかった男が意識を変えることなんてないよ。

20代、30代、40代日本で働いてもうまみはないのか?

20代

特徴

初任給上昇(2023–2025で顕著)

人手不足で売り手市場

転職市場も活発

リターンの源泉

スキル投資複利

転職による賃金ジャンプ

リスク

非正規固定化

生産性業種に定着

結論

20代は最も期待値が高い層。

ただし「業種選択」で格差が大きい。

② 30代

特徴

賃金カーブ分岐点

管理職候補か停滞層かで差

うまみが出る条件

専門性あり

成長産業

転職可能性あり

停滞するケース

中小企業内需依存

昇進枠が限定

結論

戦略差が最も大きい世代

40代

特徴

昇給ペース鈍化

ポスト競争激化

強い層

高度専門職

マネジメント

外資グローバル企業

弱い層

非正規

用事務職

結論

固定化が進む。逆転は難しくなる。

マクロ構造

日本は:

低成長

社会保険負担

人口減少

だが同時に:

人手不足

IT半導体医療需要

全体が沈んでいるわけではない。

本質

日本で働くこと」にうまみがないのではなく、

生産性の高い領域に入れないとリターンが薄い。

⑥ 数量感(単純化

年収カーブ例(中央値イメージ

20代後半:400万前後

30代後半:500–600万

40代後半:600–700万

上位層はこの1.5〜2倍。

分散が拡大。

結論

20代期待値は高い

✔ 30代:分岐点

40代固定化

問題世代ではなく「ポジション」。

[]冤罪があり得ない理由[堕天作戦事件]

結論

この事件は、被告は『自分は何もしていない』とは主張しておらず、

『やったことはやったけど、それは犯罪でも不法行為でもない』

という立場を取っていたんです。

被告(元講師)は、裁判の中で

・『排泄物を食べさせた』

・『屋外で全裸にして撮影した』

・『グリセリン浣腸をして腹痛を誘発した』

など、具体的な被害行為ほとんどを争っていません。

裁判所もこれを事実として認定しています

被告が強く争ったのは、

『これは真剣交際だった』

原告同意していた』

PTSDなどの精神的損害との因果関係はない』という

行為の法的意味責任の程度だけです。

裁判所はそれを退けて、

教員立場を利用したグルーミング

被害者の性的自己決定権侵害

PTSDとの明確な因果関係

認定し、1100万円の賠償を命じました。

冤罪主張をする人はよく『全部嘘なんじゃないか』と言いますが、被告本人が法廷被害事実の大部分を認めていて、しかも笑いながら平然と陳述していたことまで判決文に書かれているので、

『全部被害者の嘘』という主張はかなり難しい状況です。

『何をしたか』はほぼ確定していて、『それが違法かどうか』だけが争われたというのが、この裁判本質です。」

解説

これを法律用語で整理すると以下のようになります

被告の法的立場(主張の構造
1 事実認定レベルではほぼ争わず

◦ 「排泄物を食べさせた」「屋外全裸撮影をした」「グリセリン浣腸をした」など、具体的な行為自体ほとんど認めていた(争わなかった)。

裁判所もこれを事実として認定しています

2 法的評価レベルで全力で争った(ここが核心)

◦ 「同意があった」 → 行為原告自由意思に基づくものだった。

◦ 「違法性がない」 → 暴行脅迫はなく、強制性交等罪・強制わいせつ罪は成立しない。

◦ 「因果関係がない」 → PTSDなどの精神的損害は、行為とは無関係(または原告既存問題)。

3. 学校法人責任使用者責任)は棄却

被告(加害教師)と学校法人立場被告個人として1100万円支払い命令学校法人(恭敬学園)は請求棄却(免責)。

理由被害行為の多くが授業外・課外時間・校外 で発生し、職務(授業)と密接に関連しない私的関係認定されたため、使用者責任民法715条)は生じない。

法律的に言うと、被告はこう主張していた

刑事法的に(事件当時=2023年改正前)
「暴行または脅迫を用いていない」「被害者が反抗を著しく困難にされるような状態ではなかった」
→ 強制性交等罪・強制わいせつ罪は成立しない。
(だから児童ポルノ所持でしか立件されなかった)

民事法的に(不法行為民法709条)
「原告性的行為同意していた(真剣交際だった)」
→ 違法性阻却事由違法性を阻む事情)があるので、不法行為は成立しない。
仮に成立するとしても、損害との因果関係はないので賠償責任はない。

被告は
「事実(何をしたか)は認めるが、法的責任違法性・損害賠償義務)は否定する」
という、民事裁判ではよくある部分認諾・争点絞り込み戦略を取っていました。

裁判所の判断判決ポイント

裁判所は被告の主張をほぼ退け、以下のように認定しました:

グルーミングによる同意無効教員の優位性・30歳の年齢差・被害者の未熟さ・自己肯定感の低さを悪用して

自由同意」を形成させなかった→ 行為違法不法行為

因果関係認定行為PTSD解離性同一性障害の間に相当因果関係があると明確に認定

反省の欠如を慰謝料増額の根拠に
法廷で笑いながら陳述し、「彼女自身に対しては特に思うことはありません」と述べた態度を問題視し、慰謝料を1100万円まで引き上げた。

まとめ(法律的な本質

被告が取っていたのは、
「事実レベルでは認めるが、法的評価レベルでは全力で争う」
という典型的民事防御戦略でした。

これは冤罪主張(「何もしていない」)とは全く異なり、
「やったことは認めるけど、違法ではないし、損害も発生していない」
という、かなり高度な法的ポジションです。

からこそ、
「冤罪かも」という人は、まず

被告被害事実自体を争っていない」

という点を押さえる必要があります

「闘う君の唄を闘わない奴等が笑うだろう」???

「闘わない奴等」と「やつら」呼ばわりされてる人々が、「違う持ち場」で闘ってる可能性は?

この曲は単に「闘っている自分」を美化、絶対化、崇高化して自己陶酔してるイタいナルシストの歌では?

このような「自分たちの闘い方こそが絶対的に正しくて、他のやつらは冷笑するだけのクズ」という

被害者意識特権意識自意識が過剰すぎる自己中心的で幼稚で分断が大好きな「知性」こそが、

連合赤軍事件本質では? 内ゲバ本質では? 戦争が起きる原因では?

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