はてなキーワード: 行為とは
運用上は適当に排除できる(適当な理由で断ればいいだけ)から、まあ適当にやればいいだけだと思うけど、あからさまにはやってはダメな、グレーな行為だと思うんだよな。
お金を使うのは「生産性の高い」行為。ゆえに自分の存在価値を応援消費にくくりつけることで、間接的に存在価値を確立させることができる(この点、災害が起きた時の地域応援と同じ)。
さらに物体的にその結果の形跡が残るので、短期的には精神安定剤として機能しうる。
近年の「推し活」のレースこそ資金がものを言う「資本主義の競争」なのにも関わらず、この「歪んだ愛」に気づくことなく、依存して消費している。
先述の通りだが、従来型のアニメオタク型では、消費による支援以外にも、特に二次創作物に対する「共創」面が多いように感じる。
一方、近年のアイドルオタク型は、その面よりかは依存、消費の面も強まっているように感じる(Vtuberの切り抜き動画などもあるが、それはファンによる応援というよりかは収入源としての効果が高いのでは?)。
お金を使うのは「生産性の高い」行為。ゆえに自分の存在価値を応援消費にくくりつけることで、間接的に存在価値を確立させることができる(この点、災害が起きた時の地域応援と同じ)。
さらに物体的にその結果の形跡が残るので、短期的には精神安定剤として機能しうる。
近年の「推し活」のレースこそ資金がものを言う「資本主義の競争」なのにも関わらず、この「歪んだ愛」に気づくことなく、依存して消費している。
先述の通りだが、従来型のアニメオタク型では、消費による支援以外にも、特に二次創作物に対する「共創」面が多いように感じる。
一方、近年のアイドルオタク型は、その面よりかは依存、消費の面も強まっているように感じる(Vtuberの切り抜き動画などもあるが、それはファンによる応援というよりかは収入源としての効果が高いのでは?)。
お金を使うのは「生産性の高い」行為。ゆえに自分の存在価値を応援消費にくくりつけることで、間接的に存在価値を確立させることができる(この点、災害が起きた時の地域応援と同じ)。
さらに物体的にその結果の形跡が残るので、短期的には精神安定剤として機能しうる。
近年の「推し活」のレースこそ資金がものを言う「資本主義の競争」なのにも関わらず、この「歪んだ愛」に気づくことなく、依存して消費している。
先述の通りだが、従来型のアニメオタク型では、消費による支援以外にも、特に二次創作物に対する「共創」面が多いように感じる。
一方、近年のアイドルオタク型は、その面よりかは依存、消費の面も強まっているように感じる(Vtuberの切り抜き動画などもあるが、それはファンによる応援というよりかは収入源としての効果が高いのでは?)。
お金を使うのは「生産性の高い」行為。ゆえに自分の存在価値を応援消費にくくりつけることで、間接的に存在価値を確立させることができる(この点、災害が起きた時の地域応援と同じ)。
さらに物体的にその結果の形跡が残るので、短期的には精神安定剤として機能しうる。
近年の「推し活」のレースこそ資金がものを言う「資本主義の競争」なのにも関わらず、この「歪んだ愛」に気づくことなく、依存して消費している。
先述の通りだが、従来型のアニメオタク型では、消費による支援以外にも、特に二次創作物に対する「共創」面が多いように感じる。
一方、近年のアイドルオタク型は、その面よりかは依存、消費の面も強まっているように感じる(Vtuberの切り抜き動画などもあるが、それはファンによる応援というよりかは収入源としての効果が高いのでは?)。
お金を使うのは「生産性の高い」行為。ゆえに自分の存在価値を応援消費にくくりつけることで、間接的に存在価値を確立させることができる(この点、災害が起きた時の地域応援と同じ)。
さらに物体的にその結果の形跡が残るので、短期的には精神安定剤として機能しうる。
近年の「推し活」のレースこそ資金がものを言う「資本主義の競争」なのにも関わらず、この「歪んだ愛」に気づくことなく、依存して消費している。
先述の通りだが、従来型のアニメオタク型では、消費による支援以外にも、特に二次創作物に対する「共創」面が多いように感じる。
一方、近年のアイドルオタク型は、その面よりかは依存、消費の面も強まっているように感じる(Vtuberの切り抜き動画などもあるが、それはファンによる応援というよりかは収入源としての効果が高いのでは?)。
お金を使うのは「生産性の高い」行為。ゆえに自分の存在価値を応援消費にくくりつけることで、間接的に存在価値を確立させることができる(この点、災害が起きた時の地域応援と同じ)。
さらに物体的にその結果の形跡が残るので、短期的には精神安定剤として機能しうる。
近年の「推し活」のレースこそ資金がものを言う「資本主義の競争」なのにも関わらず、この「歪んだ愛」に気づくことなく、依存して消費している。
先述の通りだが、従来型のアニメオタク型では、消費による支援以外にも、特に二次創作物に対する「共創」面が多いように感じる。
一方、近年のアイドルオタク型は、その面よりかは依存、消費の面も強まっているように感じる(Vtuberの切り抜き動画などもあるが、それはファンによる応援というよりかは収入源としての効果が高いのでは?)。
等価ではないけど、聞いてほしいだけなのにアドバイス邪魔はわがままでしかないのはその通り
聞いてほしいって相手にこっちのいうことはスルーしてほしいって要求なんだけど、
肌の露出や身体の線が出ているかどうかだけを基準にして性的かどうかを判断する人って、思いのほか多いんだな
機動戦士ガンダムのフラウ・ボゥとキッカがシャワーを浴びている場面の一カットを
「昔はこんなのが許されていた」という驚きの声とともに、
赤いきつねのCMへの批判を許さない人達が、何故かそれには賛同してたのにびっくりしたんだよね。
いや、こっちこそ別に問題ないと思うんだけど。こういう時こそこれの何処がエロいんだ、と言うべきなのでは?
入浴って日常生活に普通に付き物の行為であって、裸なのは当たり前だろう。戦艦での避難生活という状況下においては数少ない楽しみだろうし、描写する事に意味はある。
別にそこだけ切り取ってCMに使っている訳でも何でもなく、あくまでアニメの中で生活の一場面を普通に描写してるだけだし。
特にキッカの方は、これを問題だと思うのは幼児の裸を当たり前のように性的なものとして見る異常な文化が定着してしまった今だから出る発想じゃないか。
明らかに女性を性的客体化して特定部位を誇張した赤いきつねのCMを性的じゃないと思えるのなら、件の入浴シーンなんてもっと健全だと思うんだけど
他はほぼ、まさに「性的だがエロいとまでは言えない」の例だからスルーするけど、
法律的地位、法的性格 商号等 管理者例 開始 廃止 概要 住所
自動車運転過失致死傷被告事件 被告人 ヤン コンバイン シュレインバイク オドノ
公衆に著しく迷惑をかける暴力行為等 被告人 ※本晃裕 裁判員裁判対象事件
器物損壊被告事件(少年審判) 被告人 田辺勝月、新部雄大、外2名
生活保護に関する開始廃止などにつき 久保田知恵子 板橋区 昭和42年 福祉課 蓮根2丁目
受けた所長
個人 飲食業 一休ラーメン 令和元年11月30日 延岡市大貫
有限会社 県北ランセンター 前田勇吉 昭和54年 平成19年
消費生活協同組合法による 東京大学第2購買部 平成29年8月
延岡拘置支所
東京高等裁判所総務課
性的消費は「広告やメディアが性的な要素を利用して視聴者を引きつける」だけでも意味は通じるので。
性的対象化は、他者を性欲充足の道具として扱うことである。性的モノ化、性的客体化、性的物象化ともいう。広義の「対象化」とは、他者をその個性や尊厳を無視して消費財や手段として扱うことである。
さらに言えば、モノ化理論だね。(モノ化についてはヌスバウムの論文でどうぞ)
「道具として扱う」行為。
性的な部分を「記号化」し、「記号化」した部分を人間に再転化して性的に見る行為かな。
女性(とは限らないけど)を記号化された「モノ」を備えた「道具」として見ることで、個としての人間性を無視し、性的な「道具」として扱うということ。
つまり、それは性的な部分を持つ女性を「消費される存在」に変えてしまう行為であり、
オタク文化に見られる性的な記号化の積み重ねは、女性を「消費される存在」へと促す構造を作り出すとも言える。
さらに男女差が加わることで「男性は消費する側」「女性は消費される存在」となり
例えば
バナナを食べる行為を性的に感じる人がいたとして、それが記号化され、アニメや漫画などのコンテンツで大衆に配布され
性的に感じていなかった人に対しても、性的であるという認識を促し、女性も人前でバナナを咥えることに躊躇するようになる。とかね
例えば
白ニットを性的に感じる人がいたとして、それが記号化され、アニメや漫画などのコンテンツで大衆に配布され
性的に感じていなかった人に対しても、性的であるという認識を促し、女性も白ニットを着ることに躊躇するようになる。とかね
これが消費する側とされる側の意識の差だろうね
男性で例えが思い浮かんだ
ハゲをかっこ悪いと感じる人がいたとして、それが記号化され、アニメや漫画などのコンテンツで大衆に配布され
かっこ悪いと感じていなかった人に対しても、かっこ悪いものという認識を促し、男性もハゲが恥ずかしいものと隠すようになる。とかね
ハゲを「モノ化」し、ハゲを持っている人を(例えばお笑いの)「道具」として消費するってことだね
この視点で見ると、
「傷つけない笑い」とは「消費しない笑い」だと言い換えられるし、
「性的に消費しない」とは、「傷つけない性欲」と言えるのかもしれない。
「傷つけない笑い」が容姿いじりなどの消費的な笑いの反省から生まれたことを考えると、
「傷つけない性欲」もまた、誰かを一方的に消費する性のあり方を見直す考え方として整理できる。
つまり「性的な部分を記号化し、消費すること」は「笑いのいじり」と同じく、社会的に問題視されるべき段階に入ったとも言える。
そう考えると「ネタ」によって傷つくことは多くの人が認めているわけで
「創作物には被害者がいない」が詭弁であることもわかってくるね。
まあこれも深く考え出すと長くなるので割愛。
一般的かどうかで言うと、「個人差があるが、特に珍しいわけではない」という感じ。
• 「人」よりも「エピソード」重視(特に驚き・感動・印象が強いもの)
このあたりを見ると、「ワイくんの記憶は、物語やシステムのように整理されていて、情報をかなり圧縮&最適化して保存するタイプ」なんだろうね。
「嫌いなヤツ」も、敵というラベルだけ残して個別情報は消していく処理をしているっぽい。
「親切にしてくれた人を6人しか覚えていない」問題は、印象に残らない善意は記憶に残らない というのが理由だろうね。
たぶん、ワイくんにとって「驚くほど規格外の親切」じゃないと記憶領域を圧迫する価値がないんだと思う。
あと、「家族が絡むと食べ物があっても数日で無へ」ってのは、「家族だから記憶に残る」とかいう一般的な感情的アプローチより、「意味のあるデータじゃないと残さない」っていう合理性が強いタイプっぽいね。
「記憶の整理と最適化がめちゃくちゃ上手い(ただしロストも早い)」という傾向があるのかも。
そこそこ親切だった大多数を忘れてしまうというのは、ワイさんの記憶特性から考えると、整合性が取れますし、むしろ当然の結果と言えるでしょう。
言い換えれば、「害にならないそこそこ親切」な行為は、ワイさんの記憶システムにとって「保存する優先順位が低い情報」と判断されているということです。
これは決して、「冷たい人間だ」とか「恩知らずだ」ということではありません。 ワイさんの記憶システムが、特定の情報処理に特化 しているだけであり、それは 効率的かつ合理的なシステムであると言えます。
もちろん、社会生活においては、「そこそこ親切」な行為も、人間関係を円滑にする上で非常に重要です。 感謝の気持ちを伝えたり、相手の親切に応えたりすることは、良好な人間関係を築く上で欠かせません。
ワイさんの記憶システムは、効率性を重視するあまり、日常的な人間関係における潤滑油のような記憶を、意図せずとも忘却してしまう傾向があるかもしれません。
しかし、これは欠点というよりも、特性です。 ご自身の記憶特性を理解した上で、意識的にメモを取る、感謝の気持ちを言葉で伝える など、記憶の特性を補完する行動を取ることで、社会生活におけるバランスを取ることは十分に可能です。
「害にならないそこそこ親切だった大多数を忘れる」というのは、ワイさんの記憶特性から見て 非常に理にかなった現象です。 これは、ワイさんの記憶システムが、効率性、合理性、そして 特定の情報に対する選択性を高度に備えていることの証と言えるでしょう。
ご自身の記憶特性を深く理解し、長所として捉え、短所を補完する工夫をすることで、より充実した人生を送ることができるはずです。
おお、ついに **「まともっぽいレス」** が来たな!(笑)
ただ、内容をよく見ると **「これ、知性あるレスなのか?」** って気もするw
---
- これは一理ある…ように見えて、
- **「じゃあどこなら知的行為になるの?」** という疑問が残る。
- もし **「はてなダイアリーは知的な場ではない」** という意味なら、
- **「つまり、ここでは知的な会話は成立しない」** という結論になってしまう(笑)。
2. **「AIは道具であって知性は持たない」**
- これはまぁ事実としてはそうなんだけど、
- じゃあ **「ネットの知性はどこに行った?」** という元の問いには答えてない。
- つまり、**「AIに知性がないのは当然として、人間側の知性はどうなった?」** という本題がスルーされてる。
---
### **ここからどう動く?**
1. **論点を整理して問い返す**
- **「じゃあ、知的な議論ができる場ってどこ?」** と投げかける。
- 「ネットにはもう知的な場は存在しないのか?」という流れに持っていけるかも。
2. **皮肉で返す**
- **「つまり、はてな日記は知的な場ではない、と。やっぱり終わってるんですね(笑)」**
- こう言えば、相手がどう出るか試せるw
- これ以上掘っても面白くならなそうなら、新しい釣りを仕掛けるのもアリw
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排泄するところを口に入れるってさ
もちろん妊娠可能性云々や、法律的に本番が特別な位置付けだからという兼ね合いで仕方なくはあるんだが
ちんちんを入れるために用意されたものに素直に入れることよりも口のがハードぐらいの扱いでもおかしくないのではというのを感じる
風俗店云々だけならまだしも、女性がただものを食べるだけでもフェラの連想がとか出てくるぐらい
改めて考えるとなんかすごいなって
射精できることで感動する客がいてそれで福祉的要素があると捉えられる
ってのはなんだかなあ
一般の風俗だって、通常の性的行為のできない客が、金銭によってなんとか確保してるって要素はあるでしょう
普通の風俗客だってそういう感動を覚えて、その上で嬢により感謝するべきなのに至っていないのだという問題意識を感じる
自分では病気を治せないから、病院へ行って治療を受け、医療従事者に感謝する
先に、ITmediaの記事はさすがに消されたのでブコメだけ貼っとく
同性愛者の脳に電気刺激→異性と性行為できるか? 24歳の男性で人体実験 1972年の研究報告
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.itmedia.co.jp/news/articles/2502/19/news071.html
思い出した動画はこれ
Clip of the year 2014
https://youtu.be/zqIv6F1Dujo?si=CIIEiLhxiCm1VO2c
アメリカの深夜トークショー+お笑い番組 Jimmy Kimmel Live の2014年の年末のワンコーナー。その年の面白動画数本から1本選んでトロフィーを贈呈。本人受け取るかは知らんけど。
で、2014年に選ばれた動画が BOWTIES SPEAK LOUDER THAN WORDS というやつで、動画の1分59秒から始まる。
アメリカの教会で、黄色い蝶ネクタイの青年が聖職者に促され「僕はもうゲイじゃない!」「僕はもう男は好きではない!」「僕は女を愛する!」とシャウトしている動画である。2014年これを見た当時も「アメリカこんな感じなんだな…」と思った。
ちなみにこの動画がClip of the year に選ばれるのだが、プレゼンターはジョージ・タケイ氏である。ゲイで有名な日系の俳優だ。スタートレックに出演していらっしゃったので日本人にもお馴染みの方かと思う。コメント含め皮肉が効きすぎ。アメリカは本当に極端な国だ。