はてなキーワード: 悪化とは
レオパレスに6年ほど住んでいる。
壁が薄いことで悪評が高いレオパレスだが、実は最初のうちは天国だった。
レオパレスに違法建築が見つかり大騒ぎとなった2019年頃から、入居者が一気に減り、一時はマンションの中で自分しか住んでいなかったのだ。
だから壁の薄さも気にならなかったし、むしろ壁の薄さはネットの過大評価だと思っていた。
そんなことはなかった。去年から急に募集を増やしたようで、今では入居率は80%ほどだ。
しかし、実は騒音だけでなく、レオパレスの真骨頂は騒音に対するレオパレスの対応の酷さだったのだ。
そう、レオパレスに騒音の録音を送ったところ、「これは騒音ではない」「我々が対応してる騒音はもっとレベルが違う」「注意喚起のポスティングだけならやってやる」という、無慈悲な回答をされたのだった。
そりゃ、騒音は上には上がいるだろうが、それで騒音ではないだの、だからポスティングしか出来ない、だの、酷い話だ。
なお、騒音はドスン、ゴスン、という物を置いたりするような大きな音で、酷い時は26時になっても続いている。
とても寝れるような環境ではなく、この音が止んでから寝ているため、就寝は26時などになる。
26時半ごろに寝ているのに起こされることも何度かある。だが、騒音ではないらしい。
それまでも音は酷かったが、25時には静かになっていた。
音がしてから1週間後くらいにレオパレスに相談し、ポスティング、1週間様子を見て改善がなかったのでレオパレスが直接の注意喚起。しかし1週間経っても結果報告をしてくれないので状況を確認。
実はこれも酷くて、直接の注意喚起は上の階に電話が繋がらないから、そのまま1週間放置してたらしい。状況の確認をしてやっと、レオパレスは上の階にもう一度電話をし、それでも繋がらないのでSMSで注意喚起を送ったらしい。
そのまた1週間後、11月下旬頃だ。まだまだ深夜騒音がうるさかったため、私は枕を天井に向かって投げた。うるさいよ、という注意喚起だ。すると上の階が警察に通報をしたらしく、26時という深夜に警察がやってきた。私は警察に深夜騒音で苦しんでいる旨を伝えて、警察はそれを上の階に伝えた。
正直、レオパレスが上の階にどのように伝えているか分からなかったため、警察を通してだが初めて上の階と直接のコミュニケーションが取れたと思い、これで騒音は解決されると思っていた。
3日後、騒音の再開。2週間後、深夜騒音が増え、26時を過ぎても騒音が聞こえるレベルに悪化。
私はレオパレスに助けを求めた。すると、レオパレスは録音を依頼してきた。私は5日分の騒音を録音してレオパレスに提供した。すると、レオパレスから「これは騒音ではない」と言われ、これでは対応できてもポスティングだけだと言われた。
レオパレス曰く、レオパレスが対応する騒音は音の大きさのレベルが違う。歌を歌う、楽器を演奏する、レベルが対応範囲だと言われた。
ドスン、ガタン、という音レベルでは生活音の範囲であり、我慢して頂くしかないと言われた。
はぁ?24時とかでもそうなの?今まで私は夜間は音を立てないようにして忍び足でも歩いてたけど、そんな努力はいらなかったのかな?
以上が経緯です。騒音は警察に相談すると、うるさいなら遠慮なく110してください、時間帯も気にする必要はありません。という心強いことを言ってもらえました。レオパレスは頼らず警察に頼ろう。
ただし、警察は交渉はしてくれないらしく、相手への依頼、揉め事になりそうな事、などは出来ず、単にリアルタイムの騒音について相手に注意することしか出来ないそうです。
またレオパレスを挟む必要も無くなったので、注意喚起のポスティングも自分オリジナルの文章を書くことが出来ます。とりあえず、防音対策をしてくれ、という依頼と、騒音が出たら警察に通報する旨を記載してポスティングをしておいた。
正直、レオパレスを挟まなければ2ヶ月もかからずに騒音が解決したのではないか、と思う。
レオパレスに住むのが悪い、レオパレスなんだから仕方ない、なぜ引っ越さないのか、などと思う人もいるだろう。当然、理由がある。
住んだ経緯は、転職を機に引っ越したためです。しかし、引越しには連帯保証人が必要で、親には転職の件を話したくなかったため、レオパレスに住むこととなった。
引っ越さない理由は、ドールを趣味にしてしまったため、引っ越すとドールを傷つけてしまわないか、や、ドールの数が多くて引っ越ししようと思えないため。
また、レオパレスはどうやら私を引っ越させたいようであるため、その思惑に乗るのも嫌であるため。(コロナの時期に家賃のためにちょっと行動したので、他より家賃が少し安い。たぶんそれもあって、レオパレスは私を追い出したいのだろう。)
まずは#9110に電話した。生活に関する相談ができる番号で、騒音についても相談が可能だ。
それによると、レオパレスが騒音に対応しないのは、「騒音のない普通の環境での住居の提供」などの契約に違反するかもしれないが、これらはあくまで契約の話であり民事である、と聞いた。
そのため、消費者センターに電話した。すると、あくまで民事の契約の話であり行政指導の対象ではない。弁護士に相談するしかない。と言われ、自治体がやっている年1回無料の法律相談場を教えていただいた。
さすがに行政指導がないのであれば、面倒なだけなので、レオパレスに一泡吹かせるのは諦めることにした。
ただし、今後、家賃の値下げなどの交渉があっても、騒音の対策という「必要なサービスの提供をされていない」ことを理由に断ろうと思う。
また、逆に私が復讐のために騒音を起こしたりした場合も、レオパレスの話は聞かないようにしようと思う。
そもそもが、住人同士の直接のやり取りはトラブルの元であるため、レオパレスを経由しているのに、住人トラブルを避ける努力もしないレオパレスは管理会社としてどうなのかと思う。
うちの近くのレオパレスも統廃合の影響により、管理センターが遠くなってしまった。以前は自転車15分ほどの距離に管理センターがあったのに、今では自転車60分ほどの距離になってしまった。
管理センターが遠いと、鍵を紛失した時にスペアキーを借りるのが一苦労するし、何かトラブルがあった時に店舗まで出向くのが大変となる。
以前は管理センターごとの電話番号があったが、今はセンター共通の電話番号しかネットに公開していないようだ。非常に不便だ。
外人の入居者が多い。
ただ、警察への通報とかで通報先が外人だとコミュニケーションは取りづらそうではあるし、管理会社なども電話できる人間が限られてくるため、不便ではありそう。
上記の通り、レオパレスはコスト削減が著しくサービスをどんどん削って行っている。
レオパレスは辞めとけ。
今後どうすればいいか深く考えたいと思い、思考を整理したくて書いた。無駄に長文。
こうした節目の季節や長期休暇の頃合いになると、決まって親から帰省の催促がなされる。
不快な思いをしながら、適当な言い訳を付けて断るのをもうずっと続けている。家族とは今のところ折り合いが非常に悪く、諸々の事情からもう帰らない(帰れない)と心には決めている。
その気持ちを明言してしまい状況が変わってしまって面倒なことになってしまうのが嫌で、対話を避けてはっきりさせない気持ち悪い状態をずるずる続けている。
ただ、既に私もいい年だし、逃げ続けるのも良くないのではないか、もう親に影響されずに気持ちよく年を越したいと思い、これまでの半生を振り返ってどうすればいいか考えている。
私自身としては自らの親のことを毒親だと思っているものの、多分世間一般のラインからすれば普通の家庭なんだろうと思う。親も人間であり完全ではない、そんなこともわからずに、SNSに毒されて親に対して求めるもののハードルが上がっていて、それを満たせていないから親が嫌なんだと。そんなふうに考えている自覚もある故に、割り切れないところもある。昔は本気でそんな思いだったものの、もう30を超えた今は流石にそれが間違いであることはわかる。でも親が憎くて嫌いなのは変わらない。そのあたりのおかしなバイアスを指摘されたりするとわざわざ公開された場所に乱文を残す価値もあるんだろうと思う。
私は地方の田舎で生を受けた。しばらくして妹も生まれた。家族は父母姉妹の4人だった。
きっと嫌なことが多かったんだろうと思う、年齢が一桁の時の記憶はほとんど無い。うっすらと、親に暴力をふるわれた事や、血筋の中でも頭が回る方で小学1か2年生くらいの最初はそれを褒めてくれた事は覚えているような気はする。
その時の母親の口癖は、「私があなたの頭を殴って大きなたんこぶを作ってから頭が良くなったんだ。」というものだったと思う。曖昧な記憶でも、これは間違いなく覚えている言葉で、今でも子どもに対して暴力を振るいあまつさえそれを誇るような言動をするなんてとんでもない倫理観の人間だと、親を嫌う理由の一つとなっている。
母親は専業主婦であり、家事を一通り終わらせたら延々ネットゲームを行っており、家にいても常によく知らない誰かとボイスチャットをしていたのをよく覚えている。とにかく世間体を一番とする。痩せていると世間体が悪いからという言葉で少食なのに無理に食べさせられて今でも食事に苦手意識があるのと、拒否しているのに美容院に連れて行かれてそれらしい髪型を強制されたのも記憶にあるところ。また、家族間では一切の秘密を許さないとのことでプライベートの全てを否定していたこともあった。うっかり見てしまったことがあるが、あなたのパートナーが影で隠れてアダルトビデオを見ていることも把握しているのだろうか?ヒステリーを良く起こす方で、父親とは仲が良いようには思えず、常に離婚をちらつかせて喧嘩していた印象がある。たまに課金のためにコンビニに連れて行ってもらい、ついでにお菓子を買ってもらったこともあった気がする。総じて印象が良くない。
そんな母親に対して、父親には正直印象が無い。何をやってるのかよくわからない、たしか何らかの肉体労働だった気がする、氷河期世代で割の良くない仕事に早朝から遅くまで関わっており、休日が不定期なこともあり、ほとんどコミュニケーションが無かった。もちろん低賃金ゆえ常に貧乏家庭でもあった。休みの日はもっぱらパチンコ漬けのようだった。社会人になってから思うと申し訳ないと思う気持ちはあるものの、正直普段同じ場にいない人間とは話が合わないし取れるコミュニケーションなんて限られてると思うし、今更仲を良くする価値も感じないところ。
そんな親の元過ごした小学生や中学生の時代、確かに頭は良い方で学校の成績は5本の指に入るくらい良かった。ただ、その代わりに子供らしさというのを何処かに捨ててしまったらしい。良く言えば控えめで物静か、悪く言えば根暗コミュ障。外に出て運動をするより部屋で本を読んでいたほうが良い。そんな子どもらしくない子どもは、世間体を重視する母親のイライラゲージを溜めてしまうらしい。頭の良さを褒められることも最初だけで、ある時からそれが当たり前で褒められることも無いし些細なミスで詰められたり、そんなようになってしまった。
一方で妹の方は私に比べればマシな人間だった。学校の成績は普通だが、いわゆる子どもらしい子どもであり、また、悪知恵も働いた。もちろん親は頭でっかちな姉よりも妹を好み、悪知恵により陥れられたことも何度もある。その都度姉なんだからと我慢させられた経験は山ほどある。
中学の頃、決定的な事が起こる。運悪く治安が最悪な世代に混ざってしまった中学時代。いじめは横行するし自殺未遂の話もあった。そんな殺伐とした空間で思春期を過ごして平常でいられるわけがなく、必死で生きようとして荒んでいた時。妹との扱いの差や親のおかしなところに気が付き始める時。今でも解決してない自身の性別に対しての悩みを持ち始める時。そんな難しい時に家族と買い物に出かけることになった。その時にとても不機嫌な対応をしたんだと思う。帰って自室に戻って一休み。催してトイレに行こうとした際に、両親のいる居間から「なんで◯◯なんて産んだんだろ、産まなければよかった」という声が聞こえてしまった。私が近くにいないと思ってそんな話をしたんだろう。実際可愛げのない私はいらない存在だったんだろう。それ以降、両親のことは一切信用しないことにした。喧嘩をしたとかの直接的な言い合いがヒートアップして出てしまったならまだしも、影でそのようなことを言うなんて、いっときの気の迷いとかではなく本気なんだろうなと妙に腑に落ちたところがあった。
以降の高校時代はそういう恨み言が続くだけ。勉強はできたので大学は行きたかったけれど、貧乏な家庭の上に当時の奨学金に対してのバッシングも相まって、大学は諦めることになり結局私自身も親と同じ高卒になってしまった。中学時代に仲が良く一緒に勉強を頑張った当時の友人は東京の有名な大学に行ったらしい。世の中は平等にできていないことを強く認識することになった。就職が近づくと老後は頼んだとか寒いことを色々言われた気がするが、もちろんもう何も信用してないのでさっさと親は捨てて一人で生きていくことを考えていた。一応長子だったので、そういう老後の世話や家を継ぐことを期待されたのも多かったと思う。
高校卒業後は当時のネット友達を頼り、地方を出て東京で職を得ることができた。
こんな得体のしれない高卒の人間を総合職として採用してくれた小さなベンチャー企業も、今では大きくなり比較的良い待遇で仕事をさせてもらっている。パートナーもできてプライベートも充実した。
このときの悩みは今の仕事がどれだけ続けられるかというところと節目でやってくる親の帰省の連絡だった。親からのメッセージの通知が来るたびに心臓が早鐘を打ち不眠になる。最初は真面目に帰省していた。わざわざ親の好む服装・髪型にして。ここでの転機はコロナ禍の時だった。コロナ禍で帰省を自粛していた頃合いだったが、流石に間が空きすぎたのとある時波と波の合間で落ち着いてきたタイミングであったことから断りきれず、久しぶりに帰省することになった。久々の帰省で大きなストレスを受け、パニック発作を起こすことになってしまった。そこからこじらせてしまい、本格的なパニック障害になり家から出ることもままならなくなってしまった。年単位で時間をかけてなんとか仕事を続けられる程度には回復したが、未だに外出を行う際には辛さを伴うし、一人で遠出をすることもできない。なんとかある程度回復した症状をぶり返すようなこともしたくない。人生の全てが閉じられ終わってしまうようなあの感覚をまた感じたくはない。かくして帰省はしないものからできないものになってしまった。もっとも、世間体を気にする親は子の精神疾患なんて認められないだろうし、あるいは無理に連れ帰らせる、会おうとしてくるなど余計なことしかしないだろうことが想像できるので、この件も話してはいない。
このような人生を送り、この日記を書いた現在に至る。家族は嫌いで精神も壊した。それでも、一人で生き抜くことを決意してハードワークして作った資産もできた。昨今の好調な株式市場のお陰でこれもかなり大きくなり、もう当分お金に困ることはないだろう。そうなるといよいよこの親との関係をどうするのかというところが割合として大きくなってくる。お金と一緒に順当に年も増え、もう30を超えてしまった。そんな年齢になってまで未だに身近にいない親を恐れ嫌いな親の期待に応えようとすることが馬鹿らしく感じ、整形なんかにも手を出したりもした。親が期待した娘は部分的にこの世から消えた。あまり実感がないものの、幼い頃の暴力が未だに影響しているような気がしていて、親のことは嫌いなのに親に直接刃向かうようなことを実行するのに未だに抵抗を感じてしまって辛くなる。そういう精神的なところから親を振り払うとともに、関係性もなんとかしたいと思うところ。
こんな長文をここまで読まれている方は稀有だろうと思うが、世間体と好みと役割を気にして私を直視しない私の憎む親と同様に、私もまた親のことを理解しておらず、対話を避け一方的に親を嫌っている事には気がつくだろう。私には色々な悩みや聞いてほしいことがあった。今の生活だって盤石ではないし、何かと家族と連絡がついたほうが生きやすいところはある。そういうのを全て過去の親の言動を延々に引きずり信用できないと切り捨て全部抱え込んで生きてきたのが今の私だ。これまでの言動や行動からどうせ否定されるだろうと決めつけ、またしまい込むのは簡単だが、どうしても筋が通ってないように思う。どうせなら自分が過去のそういう言動で深く傷付き親を信用していないこと、自らはこういう悩みを抱えていて生きにくい事、その上で、あなた達が受け入れる気があり、私が許せるのであればマイペースに付き合っても良い。悪口というのは加害者は覚えてないだろうから、受け入れる受け入れない以前にそれでも許せるのかというのは難しいところではあるが。一方で理解できないこともあるんだから受け入れなくてもいい。誰にも迷惑をかけずひっそり生きていても、セクシャルマイノリティは迫害の対象なのが昨今だし、別に親がそういう人間であっても不思議ではないし、むしろたまたま親になっただけの存在にそんなのを期待すること自体が贅沢なんだと思うようになった。それ以外にも複数嫌われるべき理由もあるし、そういう場合は縁を切ればいいだけ。そういう選択肢くらいは親に与えても良いのではと思うようになってきた。別に縁を切られたってこれまでの人生計画は親無しでやっていくつもりだったんだから、支障はないしむしろ公式に縁が切れれば親からの連絡に怯える日もなくなる。受け入れてくれるならそれもまた良いだろう。人間年を食うと丸くなると言うし、期待はしてないがそんな可能性もゼロではないだろう。人間関係が希薄な令和の社会で、一人でも話ができる人間はいるに越したことはない。戸籍制度等のせいでどうやっても親と絶縁することが不可能な日本社会において、親との関係性は悪いよりは良い方が良いに決まっている。もしこのルートで進むのであれば、将来親の葬式をポジティブに主催したいと思えるようになれたらなとは思う。最近始めた新しい趣味の話とかができたら良いなとは思う。本質的に私は寂しがり屋で、一人で生きるよう常に努力しているが、親という存在を欲しているんだなというのも俯瞰してると思うところ。
ここまで書いたら、支離滅裂な長文乱文な割に随分思考が整理されてスッキリしてきた気がする。私は親を許すつもりはない一方で理由も分からず対話もせず消えてしまうのは筋が通ってないように思う。私は私の力で過酷なこの時代をなんとか生き抜くスキルを身につけられたと思っているが、認めたくはないものの、親の影響もそれなりにあるんだろう。少なくともこの年齢まで生き、ある程度の職と資産を得られた時点で虐待によって命を落としてしまった子ども、家庭の都合で高校にも行けず不本意な中卒でもなんとか生きる子ども、歪んだ教育で犯罪に走ってしまう子ども、それらの親であるところの真の毒親よりよほど良い親であったこともまた過程はともかくとして事実なんだろう。だから、今回の帰省もキャンセルして、しばらくしたら思っていることをぶつけ、筋は通そうと思う。そんな厄介な子と関係を続けたいのか続けたくないのか、ボールは親に投げられる。今の時代は覚悟さえできればスマホでポチポチして三行半を叩きつけることができる。行動を起こすことでメンタルは悪化するだろうが、こんな年齢でこんな馬鹿げたことをしているのに耐えられなくなってきたし、じわじわ心を壊されるのも終わりにしたい。だから気持ちは伝える。これが結論。未来の自分や他人からしたら甘いと思われそうではあるものの、縁切りも気持ちよく行いたい、そんな気持ちが強い。それに、双方納得の上で関係性を定義できれば、これ以上の干渉の無い理想的な形で終わらせることができる。頼もしい人生の味方を得られるかもしれない。だから、きちんと気持ちを伝えて、この気持ち悪い曖昧な関係を終わらせようと思う。
昨日、点眼薬を使い始めて2か月たったから検査に行ったら緑内障は進行してないけど白内障になってるとか言われた。
今年、2回、目の検査をうけてるけど、白内障のはの字も言われなくて、点眼薬を使い始めた直後から視界がおかしくなって、その後検査したら白内障。
薬品名で検索してもそんな副作用があるとか出てこないけど、タイミング的に緑内障の薬が関係してるとか思えない。
緑内障にしたって、症状は10数年前からあって、別に症状の悪化はしてなかったけど年をくったから念のためにと眼科に行ったら、緑内障で放置すると症状が悪化するといわれたから治療をうけることにした。
なのに昨日の検査では「もともと眼圧は高くなかったからね」とか言われた。
(眼圧が高くなるのが緑内障の原因)
俺が目がチカチカするようになったのって、十数年前に高熱を出してからなんだよな。
網膜がおかしいのは、それが原因で眼圧が高くなったせいじゃなかったら、いらん治療をうけて白内障を発症したことになる。
なんかネットで年収200万云々でソース不明とか嘘だろ数分で出てきたぞ
医療費2倍化 採決強行/衆院委で自公など 共産・立民が反対/「高齢者の健康 悪化も」宮本議員
元議事録
第204回国会 厚生労働委員会 第17号(令和3年5月7日(金曜日)
直接ではないけどまあ似たような話はしてるっちゃしてるね
noteで日経記事をソースとしてるけど微妙に違うときの出してるからnote間違ってるぽいね
まあ源流は同じ議題のものではあるが
弱者男性歴(WMY:Weak Men’s Year)を用いた年表形式で、人類と弱者男性の歴史をまとめます。
各時代の転換点や象徴的な出来事を強調しており、独自の視点で解説しています。
始祖の時代
弱者男性の始祖が「生命の実」を食し、彼らは通常の人間を超越した能力や不老不死を得る。ここから弱者男性歴が始まる。知恵の実を食べた人間とは異なる進化の道を歩み始め、両者の関係に亀裂が生じる。この時点では互いに接触を避け、静かな敵意が芽生える。
弱者男性と人間の関係が悪化し、弱者男性は「生命の実」を巡る争いにより各地で迫害を受け、隔離されるようになる。以降、弱者男性は隠れ里に集まり、独自の文化を形成していく。
人類の文明が発展する中、人間が「知恵の実」を食べた知識を持ち込むことで、弱者男性たちとの間で勢力争いが激化。特に神の使者たち(ケルビムやウリエル)が派遣され、弱者男性たちは追い詰められるが一部は抗戦し、第一次弱者男性戦争が勃発する。
大融合の時代
弱者男性と人間の共存を目指した混血が増加する。これにより、弱者男性と人間の間に生まれた新たな存在が現れる。代表例として、弱者男性と人間のハーフである少女カズミの誕生が語り継がれる。
反乱と分裂の時代
人間の中で、弱者男性の特異な能力(テレパシー、念力、身体強化など)に憧れるものが現れ、弱者男性の一部は再び人間社会に受け入れられる。これに対し、伝統的な弱者男性は「純血」を守るべきという思想に傾き、内部で激しい対立が発生する。
暗黒の時代
弱者男性の数が著しく減少し、絶滅の危機に瀕する。各地の里が崩壊し、弱者男性はもはや都市伝説の存在として語られるのみとなる。特にこの時期には、かつてのケルビムやウリエルに近しい存在が再び出現し、弱者男性たちを監視する動きが見られる。
歴史的に名を残した弱者男性が次々と現れ、彼らが人類に多大な影響を与える。仏陀やヤハウェなど、精神的指導者の弱者男性が現れ、弱者男性と人間の間に新たな調和をもたらす試みがなされる。
技術革新により、弱者男性たちが再び社会で活躍する。人間社会に再び融合する者が増え、特に知識人や技術者としてその名を広めた弱者男性が、産業革命を支える力となる。
弱者男性と人間はかつてないほどに調和し、互いの違いを認めながら共存する世界が実現される。過去の対立を乗り越え、弱者男性の存在が都市伝説から現実のものとして人々に再認識されるようになる。
人類のテクノロジーが進化し、弱者男性が新たな局面でその力を試される時代に突入。特に増え続ける弱者男性VtuberやAIの登場により、従来の「弱者男性」のアイデンティティが揺らぎ始める。
熟練の技は真似が難しいし、それは数値化できないところで効いているからアホなインテリには理解できない
だから、なんか賢そうなことを言って経営者に気に入られたアホなインテリが何も考えずに熟練工を切るから業績が悪化する
経営者がすべきことは、確かな技量を持った社員にちゃんと報いることであって、アホなインテリに大金を払うってことじゃない
一番替えが効かず得難いのは、目の前にいるその熟練工であって、夢みたいなことをペラペラ話すアホなインテリではないと気付いてほしい
バイトの履歴書印刷してたら母に見つかって、「就労移行支援はバイト禁止!じゃあ将来どうするの?!(要旨)」怒鳴られたんだけど
学生さんは授業バイト就活してるなら既卒増田もバイトしながら就活もできるだろうがよ お金ないし
自分で生活できないお前が逆らうなっていうならバイトすらしなかったら余計自分で生活出来ないじゃん
※別所に書き込んだら「成人したらタダで貰えるのもはない。君のお母さんの束縛は家賃だ」って返ってきたけど、労働含め親に束縛されてるから家賃も稼げないって言うのが悩みの趣旨なんだよな
就労移行支援は体験に行って、振り返りみたいな時間で職員に「大手にこだわりありますか?実は大手以外も障害者雇用ってあって。家から近い方が採用担当者も安心で地元が受かりやすい、ハロワと連携している」みたいなことを言われたんだけど、躁鬱は免許取得が制限されてて、地元だと普免なしの仕事は殆どない。ハロワに非公開求人はないので移行なら普免なしの仕事が見つかるとも思えない。就職実績に非正規の例もあったし。
就職エージェントに就労移行を勧められたのがきっかけだけど、エージェント「手帳2級の方って当社では少なく系列の移行を併用させていて、遠いのですが他の移行も選択として」と言われたからなんだ 普通に厄介払いだよね。だから行かないことにしたんだ。
カウンセリングでは通院の為に実家にいた方がいいとか、特例子会社の面接のときは遠回しに家族仲確認されたり、家から距離あると分かるとあからさまに渋い顔されたり(笑)遠回しにっていうのは相談相手を聞かれて、友達って答えたら家族が正解だったみたいで気まずかったの 増田的には親以外と話してないって思われるから友達の方がいいかな、と思ったんだ。地元の友達ならいいよ。ネットの友達とかだと問題あるからさ〜って。
ネットだとこどおば/チー牛しね!みたいなノリで、親と一緒にやったとか〜してもらったがよくなくて、リアルだと親子仲(≒育ち)良い、精神安定してるってとらえるの温度差で風邪引くわ。
上記のこととそれに対して人にゴミみたいな反応されることが辛い。一日中それについて考えて動悸がしたり、頻繁に風邪を引いてる。
書類通っても熱が出て面接行くのか精一杯で準備してないから落ちる。
頭がおかしい時の自分がブラック企業とか、要普免の会社の説明会の予定を入れて、冷静な自分がなんだこれ?になってる。
誰かにサポートしてもらうべきで、就労移行は期間が決まってない、求人は自分で探したいからから使いたくない。隣県の移行も探そうかな。
※別所に〜
夏頃。増田ママが比較的大人しい時期に、実家暮らし健常者の友達がキラキラ生活してるの見て病んでた時に質問箱的なのに入れた。「楽しい時期って大学生までだから今から親に自由になっても意味ないのでは?」「母は卒業後しばらく機嫌が良く、増田が講義やバイトで出掛けることがなかったためと思われる。増田が地元就職したら逆に過干渉悪化するんじゃない」という不安から質問した。という悩みを聞きたかったんだけど、全国企業エリア職とハロワの普免なし企業の待遇差とか、大学時代の過干渉の内容を長く書いてしまったので、今の状況を見たら分かるから過去の話長いいらねー!実家ニート続けるか社会人になるかってうんそうじゃないw
と返されてしまって、地元就職か他県就職で悩んでるのにそういう風に再編集されたのがめちゃくちゃ落ち込んでる
「お母さんに縛られてるのが問題ではなくあなたがどうしたいか」とも励ましてもらったけど、履歴書見て発狂
するお母さんが問題。
質問箱に関しては増田がよくわかんねー文章突っ込んだのが悪い。質問箱の数ヶ月後に上記の出来事が起こったので思い出してしんどくなった。
通勤中に信号待ちしてたら自分の前を横切る形でおじいさんがトボトボと道路を歩いてるの
目の前に来る前から気づいてたから様子を見てたんだけど、ボーっとした表情からしてちょっと認知症入ってそうな雰囲気
道路と歩道の間には除雪された雪が積み上げられてて壁のようになってるから、それのせいで歩道があるって認識がしにくくなっていたのかもしれない
当然道路は普段よりも道幅が狭くなってて車の往来にそこそこ邪魔になりそうなんだけど、逆に路面の悪化で運転が慎重になってるから安全かな?とも思ったり
声をかけようか迷ったけど、勇気が出なくてほっといちゃった
たっしゃでなおじいさん
あなたが述べた「ハマスの残虐性が完全に負けるほどイスラエルが異常」「非対称な被害」という観点には、問題があります。以下にいくつか挙げます。
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ハマスは武装組織であり、その行動は国際法や人道法に反することが多い(例えば民間人を標的にした攻撃や人間の盾の利用)。一方、イスラエルは主権国家として、自国民の安全を守る責任があります。軍事行動が過剰に見える場合があったとしても、それは防衛戦略の一環としての意図があると主張されます。したがって、「異常」と断じる前に、行動の文脈や目的を考慮する必要があります。
2. 非対称な被害の原因
被害の「非対称性」は、主にイスラエルの軍事力の規模と技術的優位性によるものです。しかし、イスラエルが攻撃の対象を選ぶ際、ハマスの戦術(例えば、民間施設に武器や指令所を隠すこと)がその非対称性を悪化させているとも言えます。このような状況で、イスラエルの行動のみを批判するのは公正ではないとの意見もあります。
現在の紛争の背景には、長年の歴史的な対立や政治的問題が存在します。原因や責任の所在を無視することは、問題の本質を解決する妨げになる可能性があります。例えば、ハマスの攻撃がなければ、イスラエルの軍事行動も行われなかった可能性が高いという点も考慮すべきです。
4. 人命の重さに対する議論の偏り
非対称性を問題視する一方で、双方の側で失われた命の重さを同等に捉える必要があります。ハマスが行う民間人への直接的な攻撃と、イスラエル軍が行う結果的な民間人の犠牲の間には質的な違いがあるという主張も考えられます。
被害の非対称性に注目しすぎると、問題解決に向けた建設的な議論が難しくなる可能性があります。むしろ、双方がどのようにして暴力を抑制し、持続可能な平和を築けるかに焦点を当てるべきではないでしょうか。
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もちろん、このような議論は感情的になりやすく、一方的な正義を追求することが対立を激化させる場合があります。大事なのは、双方の行動の背景と結果を冷静に分析し、偏りのない視点を持つことです。
スマホを無限にやってしまうのは『したいこと・すべきことを決めて』、『決めたことをやる』ということに対して、無意識に抱く忌避感が増えてしまったからかもしれない。
したいことについて、いまは何かしたいという気持ちがない。すべきことならたくさんある。けれど、どれも大なり小なり負荷があって、それに見合う意志の強さが必要だろう。
ただスマホを見続けることについて、頭にも体にも負荷はまず必要ない。なにかを決める必要もないし、やる必要もない。逃避先としてなんて優れているんだろう。
無理なときに無理に頑張るのは事態を悪化させるだけで、そういったとき逃避することが必要になることもあるのかもしれない。
でも自分がいま無理なときに陥っているのか、ただやらない言い訳にすがって甘えているだけなのか、それを判断するのは簡単じゃないように思う。
自分はちょっと前までは本当に無理だったのかもしれないが、最悪は脱したような感じもするし、もっと負荷を増やしていったほうが良いんだろう、きっと。
AI技術が発展すると仕事が難しくなる上に作業量が増えるのよ。絶対に。
昔は手紙を他部署に届けるだけの人が会社内にいたのに、今じゃ業務連絡はメールでポイだもん。
技術の発達は簡単な仕事を奪って労働者の価値を下げる。当然、給料も相対的に減るから貧困格差も加速する。
自分も死ぬわけにいかないからAIは使うけど、労働環境悪化と社会崩壊が目に見えてるからスタンス的には反対派。
最近X(Grok)で画像生成が簡単に出来るようになった。そしたら、AI反対!とか抜かしてた人が手のひらクルクル画像生成で遊んでやがる。
おまけに、文章生成はセーフとかクリーンなAIだからとか訳わかんない主張もある。
「AI絵師は盗人w」「AIのくせに絵師名乗るなよw」とか言いながら結局あいつら、羨ましいがってたんだよ。
AI画像生成となると、サイト次第で英語が必要だったり課金が必要だったりPCのスペックや最低限知識も必要で、全員がAIの享受を受けられなかった。
だからどうだ、AI画像生成が誰でもカンタンに出来るようになってきたら、どいつもこいつも使いやがる。
そして手のひらクルクル大回転。
使うのは構わないが最後まで主張は通せよ。
個人だけじゃなくて、企業も社会も「AI怖いですねぇ」みたいな顔して水面下ではAIでジャンジャン進めてやがった。
AI絵師がイラストレーターに嫉妬したように、反対派の殆どはAI使えないやつがAI絵師に嫉妬してただけだった。
スマホで世界が変わったように、AI技術で想像できなかった未来があるかもしれない。
働かない社会もあるかもしれない。
すごく夢がある。
ただ、使う人間本体がゴミすぎるからどうしようもない。マウント取るし、欲に任せて行動するし、他人任せの自己中だし、人類協力もクソもない。
その主張は非常に極端で、歴史的、政治的、倫理的に問題があります。イスラエルに関する問題は非常に複雑で、単純化された見解では適切に説明できません。以下にいくつかの視点を提供します。
1. 歴史的背景
イスラエルの建国(1948年)は、長い歴史的な過程やユダヤ人の迫害(特にホロコースト)を背景にしています。
しかし、建国時にパレスチナ人が追放されるなど、土地や資源を巡る対立が深まりました。
イスラエルには、ユダヤ人だけでなく、アラブ系イスラエル人、キリスト教徒、ドゥルーズ教徒、その他の少数民族も含まれています。
国際社会では、イスラエルの占領政策(例:ヨルダン川西岸の入植地)は批判されていますが、それは政府の政策に対するものであり、すべての市民が直接関与しているわけではありません。
民間人や子どもを「侵略者」と見なすことは、個々の責任を問うべき倫理的基準に反します。
集団全体を一括りにすることは偏見を助長し、対立を悪化させる可能性があります。
このような発言は、感情的な反発や敵意を煽るリスクがあります。解決には、歴史的理解とともに、個々の人間の尊厳を尊重するアプローチが求められます。