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「父親」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 父親とは

2024-12-19

anond:20241217174441

話の趣旨とはズレるけど、冒頭の「高齢出産」は「遅くにできた子」とかの表現のが適切だと思う

そのあとも彼女父親の話の流れだし

話の本筋に対しては、別れとけそんなもん

2024-12-18

自転車規則を強める前にさ

そもそもの話。

これは「信号なんて意味ねえよ!」って思ってる層をどうにかせなあかんのと違う?

特に東京まれ東京育ちの人間

まあ、周りにいる人間がそういうバックボーンから東京まれ東京育ちであろうとちゃん信号守る人はいっぱいいるんだろうけど。

よくあるよ、うちの父親とかさ。

「なんでこんなとこに信号なんかあるんだよ!」って言いながら信号無視して自転車横断歩道渡ってるところとか見たよ。

よくあるよ、うちの母親とかさ。

短い横断歩道についてた信号が赤になってるの全く見ずに渡ってるところとか見たよ。

これは両親ともにだけどさ。

徒歩だろうが自転車だろうが、車の通らないタイミング横断歩道もないところ渡ってるの見たよ。

もちろんちゃんとその都度注意するさ。

でも、二人から返ってくる答えって一緒なんだよね。

都内じゃこれが普通だよ」ってさ。

からそもそもそういう人間たちをちゃんと「信号はどこについていようが守る」とか「ちゃん横断歩道を渡る」とか、そういうとこから教育が先なんじゃねえのって思っちゃう

anond:20241218041816

「そんな言い方は女性差別でしょ!」

に、うちのマンさんが何か言ってる・・・程度にしか父親は思ってない。

この時期になると思うこと。家族がつらい話

今後どうすればいいか深く考えたいと思い、思考を整理したくて書いた。無駄に長文。

こうした節目の季節や長期休暇の頃合いになると、決まって親から帰省の催促がなされる。

不快な思いをしながら、適当言い訳を付けて断るのをもうずっと続けている。家族とは今のところ折り合いが非常に悪く、諸々の事情からもう帰らない(帰れない)と心には決めている。

その気持ちを明言してしまい状況が変わってしまって面倒なことになってしまうのが嫌で、対話を避けてはっきりさせない気持ち悪い状態をずるずる続けている。

ただ、既に私もいい年だし、逃げ続けるのも良くないのではないか、もう親に影響されずに気持ちよく年を越したいと思い、これまでの半生を振り返ってどうすればいいか考えている。

私自身としては自らの親のことを毒親だと思っているものの、多分世間一般ラインからすれば普通の家庭なんだろうと思う。親も人間であり完全ではない、そんなこともわからずに、SNSに毒されて親に対して求めるものハードルが上がっていて、それを満たせていないから親が嫌なんだと。そんなふうに考えている自覚もある故に、割り切れないところもある。昔は本気でそんな思いだったものの、もう30を超えた今は流石にそれが間違いであることはわかる。でも親が憎くて嫌いなのは変わらない。そのあたりのおかしバイアスを指摘されたりするとわざわざ公開された場所に乱文を残す価値もあるんだろうと思う。

私は地方田舎で生を受けた。しばらくして妹も生まれた。家族は父母姉妹の4人だった。

きっと嫌なことが多かったんだろうと思う、年齢が一桁の時の記憶ほとんど無い。うっすらと、親に暴力をふるわれた事や、血筋の中でも頭が回る方で小学1か2年生くらいの最初はそれを褒めてくれた事は覚えているような気はする。

その時の母親の口癖は、「私があなたの頭を殴って大きなたんこぶを作ってから頭が良くなったんだ。」というものだったと思う。曖昧記憶でも、これは間違いなく覚えている言葉で、今でも子どもに対して暴力を振るいあまつさえそれを誇るような言動をするなんてとんでもない倫理観人間だと、親を嫌う理由の一つとなっている。

母親専業主婦であり、家事を一通り終わらせたら延々ネットゲームを行っており、家にいても常によく知らない誰かとボイスチャットをしていたのをよく覚えている。とにかく世間体を一番とする。痩せていると世間体が悪いからという言葉で少食なのに無理に食べさせられて今でも食事に苦手意識があるのと、拒否しているのに美容院に連れて行かれてそれらしい髪型強制されたのも記憶にあるところ。また、家族間では一切の秘密を許さないとのことでプライベートの全てを否定していたこともあった。うっかり見てしまたことがあるが、あなたパートナーが影で隠れてアダルトビデオを見ていることも把握しているのだろうか?ヒステリーを良く起こす方で、父親とは仲が良いようには思えず、常に離婚をちらつかせて喧嘩していた印象がある。たまに課金のためにコンビニに連れて行ってもらい、ついでにお菓子を買ってもらったこともあった気がする。総じて印象が良くない。

そんな母親に対して、父親には正直印象が無い。何をやってるのかよくわからない、たしか何らかの肉体労働だった気がする、氷河期世代で割の良くない仕事に早朝から遅くまで関わっており、休日不定期なこともあり、ほとんどコミュニケーションが無かった。もちろん低賃金ゆえ常に貧乏家庭でもあった。休みの日はもっぱらパチンコ漬けのようだった。社会人になってから思うと申し訳ないと思う気持ちはあるものの、正直普段同じ場にいない人間とは話が合わないし取れるコミュニケーションなんて限られてると思うし、今更仲を良くする価値も感じないところ。

そんな親の元過ごした小学生や中学生時代、確かに頭は良い方で学校の成績は5本の指に入るくらい良かった。ただ、その代わりに子供らしさというのを何処かに捨ててしまったらしい。良く言えば控えめで物静か、悪く言えば根暗コミュ障。外に出て運動をするより部屋で本を読んでいたほうが良い。そんな子どもらしくない子どもは、世間体を重視する母親イライラゲージを溜めてしまうらしい。頭の良さを褒められることも最初だけで、ある時からそれが当たり前で褒められることも無いし些細なミスで詰められたり、そんなようになってしまった。

一方で妹の方は私に比べればマシな人間だった。学校の成績は普通だが、いわゆる子どもらしい子どもであり、また、悪知恵も働いた。もちろん親は頭でっかちな姉よりも妹を好み、悪知恵により陥れられたことも何度もある。その都度姉なんだから我慢させられた経験は山ほどある。

中学の頃、決定的な事が起こる。運悪く治安が最悪な世代に混ざってしまった中学時代いじめは横行するし自殺未遂の話もあった。そんな殺伐とした空間思春期を過ごして平常でいられるわけがなく、必死で生きようとして荒んでいた時。妹との扱いの差や親のおかしなところに気が付き始める時。今でも解決してない自身性別に対しての悩みを持ち始める時。そんな難しい時に家族と買い物に出かけることになった。その時にとても不機嫌な対応をしたんだと思う。帰って自室に戻って一休み。催してトイレに行こうとした際に、両親のいる居間から「なんで◯◯なんて産んだんだろ、産まなければよかった」という声が聞こえてしまった。私が近くにいないと思ってそんな話をしたんだろう。実際可愛げのない私はいらない存在だったんだろう。それ以降、両親のことは一切信用しないことにした。喧嘩をしたとかの直接的な言い合いがヒートアップして出てしまったならまだしも、影でそのようなことを言うなんて、いっときの気の迷いとかではなく本気なんだろうなと妙に腑に落ちたところがあった。

以降の高校時代はそういう恨み言が続くだけ。勉強はできたので大学は行きたかったけれど、貧乏な家庭の上に当時の奨学金に対してのバッシングも相まって、大学は諦めることになり結局私自身も親と同じ高卒になってしまった。中学時代に仲が良く一緒に勉強を頑張った当時の友人は東京の有名な大学に行ったらしい。世の中は平等にできていないことを強く認識することになった。就職が近づくと老後は頼んだとか寒いことを色々言われた気がするが、もちろんもう何も信用してないのでさっさと親は捨てて一人で生きていくことを考えていた。一応長子だったので、そういう老後の世話や家を継ぐことを期待されたのも多かったと思う。

高校卒業後は当時のネット友達を頼り、地方を出て東京で職を得ることができた。

こんな得体のしれない高卒人間総合職として採用してくれた小さなベンチャー企業も、今では大きくなり比較的良い待遇仕事をさせてもらっている。パートナーもできてプライベートも充実した。

このときの悩みは今の仕事がどれだけ続けられるかというところと節目でやってくる親の帰省の連絡だった。親からメッセージの通知が来るたびに心臓が早鐘を打ち不眠になる。最初は真面目に帰省していた。わざわざ親の好む服装髪型にして。ここでの転機はコロナ禍の時だった。コロナ禍で帰省自粛していた頃合いだったが、流石に間が空きすぎたのとある時波と波の合間で落ち着いてきたタイミングであったこから断りきれず、久しぶりに帰省することになった。久々の帰省で大きなストレスを受け、パニック発作を起こすことになってしまった。そこからこじらせてしまい、本格的なパニック障害になり家から出ることもままならなくなってしまった。年単位時間をかけてなんとか仕事を続けられる程度には回復したが、未だに外出を行う際には辛さを伴うし、一人で遠出をすることもできない。なんとかある程度回復した症状をぶり返すようなこともしたくない。人生の全てが閉じられ終わってしまうようなあの感覚をまた感じたくはない。かくして帰省はしないものからできないものになってしまった。もっとも、世間体を気にする親は子の精神疾患なんて認められないだろうし、あるいは無理に連れ帰らせる、会おうとしてくるなど余計なことしかしないだろうことが想像できるので、この件も話してはいない。

このような人生を送り、この日記を書いた現在に至る。家族は嫌いで精神も壊した。それでも、一人で生き抜くことを決意してハードワークして作った資産もできた。昨今の好調株式市場のお陰でこれもかなり大きくなり、もう当分お金に困ることはないだろう。そうなるといよいよこの親との関係をどうするのかというところが割合として大きくなってくる。お金と一緒に順当に年も増え、もう30を超えてしまった。そんな年齢になってまで未だに身近にいない親を恐れ嫌いな親の期待に応えようとすることが馬鹿らしく感じ、整形なんかにも手を出したりもした。親が期待した娘は部分的にこの世から消えた。あまり実感がないものの、幼い頃の暴力が未だに影響しているような気がしていて、親のことは嫌いなのに親に直接刃向かうようなことを実行するのに未だに抵抗を感じてしまって辛くなる。そういう精神的なところから親を振り払うとともに、関係性もなんとかしたいと思うところ。

こんな長文をここまで読まれている方は稀有だろうと思うが、世間体と好みと役割を気にして私を直視しない私の憎む親と同様に、私もまた親のことを理解しておらず、対話を避け一方的に親を嫌っている事には気がつくだろう。私には色々な悩みや聞いてほしいことがあった。今の生活だって盤石ではないし、何かと家族と連絡がついたほうが生きやすいところはある。そういうのを全て過去の親の言動を延々に引きずり信用できないと切り捨て全部抱え込んで生きてきたのが今の私だ。これまでの言動や行動からどうせ否定されるだろうと決めつけ、またしまい込むのは簡単だが、どうしても筋が通ってないように思う。どうせなら自分過去のそういう言動で深く傷付き親を信用していないこと、自らはこういう悩みを抱えていて生きにくい事、その上で、あなた達が受け入れる気があり、私が許せるのであればマイペースに付き合っても良い。悪口というのは加害者は覚えてないだろうから、受け入れる受け入れない以前にそれでも許せるのかというのは難しいところではあるが。一方で理解できないこともあるんだから受け入れなくてもいい。誰にも迷惑をかけずひっそり生きていても、セクシャルマイノリティ迫害対象なのが昨今だし、別に親がそういう人間であっても不思議ではないし、むしろたまたま親になっただけの存在にそんなのを期待すること自体が贅沢なんだと思うようになった。それ以外にも複数嫌われるべき理由もあるし、そういう場合は縁を切ればいいだけ。そういう選択肢くらいは親に与えても良いのではと思うようになってきた。別に縁を切られたってこれまでの人生計画は親無しでやっていくつもりだったんだから、支障はないしむしろ公式に縁が切れれば親からの連絡に怯える日もなくなる。受け入れてくれるならそれもまた良いだろう。人間年を食うと丸くなると言うし、期待はしてないがそんな可能性もゼロではないだろう。人間関係希薄な令和の社会で、一人でも話ができる人間はいるに越したことはない。戸籍制度等のせいでどうやっても親と絶縁することが不可能日本社会において、親との関係性は悪いよりは良い方が良いに決まっている。もしこのルートで進むのであれば、将来親の葬式ポジティブ主催したいと思えるようになれたらなとは思う。最近始めた新しい趣味の話とかができたら良いなとは思う。本質的に私は寂しがり屋で、一人で生きるよう常に努力しているが、親という存在を欲しているんだなというのも俯瞰してると思うところ。

ここまで書いたら、支離滅裂な長文乱文な割に随分思考が整理されてスッキリしてきた気がする。私は親を許すつもりはない一方で理由も分から対話もせず消えてしまうのは筋が通ってないように思う。私は私の力で過酷なこの時代をなんとか生き抜くスキルを身につけられたと思っているが、認めたくはないものの、親の影響もそれなりにあるんだろう。少なくともこの年齢まで生き、ある程度の職と資産を得られた時点で虐待によって命を落としてしまった子ども、家庭の都合で高校にも行けず不本意な中卒でもなんとか生きる子ども、歪んだ教育犯罪に走ってしま子ども、それらの親であるところの真の毒親よりよほど良い親であったこともまた過程はともかくとして事実なんだろう。だから、今回の帰省キャンセルして、しばらくしたら思っていることをぶつけ、筋は通そうと思う。そんな厄介な子と関係を続けたいのか続けたくないのか、ボールは親に投げられる。今の時代覚悟さえできればスマホポチポチして三行半を叩きつけることができる。行動を起こすことでメンタル悪化するだろうが、こんな年齢でこんな馬鹿たことをしているのに耐えられなくなってきたし、じわじわ心を壊されるのも終わりにしたい。だから気持ちは伝える。これが結論未来自分他人からしたら甘いと思われそうではあるものの、縁切りも気持ちよく行いたい、そんな気持ちが強い。それに、双方納得の上で関係性を定義できれば、これ以上の干渉の無い理想的な形で終わらせることができる。頼もしい人生の味方を得られるかもしれない。だから、きちんと気持ちを伝えて、この気持ち悪い曖昧関係を終わらせようと思う。

2024-12-17

Under the Rose最新刊10巻が出てからもうすぐ7年が経とうとしている

ずっと止まっているのだ

作者はなんかオリジナル同人活動したりしているが、そちらには敢えて興味を持たずにおいて続きを待っている

もうだめかもわからんね

前身作品Honey Rose』は2001年掲載された

孤児少女が、なにやら不吉な過去を持つ貴族の家に引き取られる話だ

Under the Roseはその「不吉な過去」を描く話

誰それは飛び降り死ぬ、誰それは首を吊って死ぬ、誰それは燃え死ぬ、誰それは毒で死ぬ

そんな断片的な情報が既に明かされた上で、一体どのようにその末路を辿っていくかが描かれる…のだが、首吊死がもうすぐ描かれるってところで止まってしまった

大筋はもう決まっているのだが、モチベーションが絶えてしまったのだろうか

20年以上同じ話に取り掛かっていることになるのだ、若い頃の妄想情熱を持ち続けるのは難しいのか

Under the Roseのメインカップルは、16歳の貴族少年と25歳女性家庭教師であり、レイプから恋愛が始まっちゃう二人だ

レイプから恋愛が始まっちゃう年の差ラブストーリーとか、正直作者が年を取り世論意識も高まっていく中で、しゃらくせえとなりそうなんだよな

若いうちの勢いがないとね

分家教師妊娠してしまうのだろう、そして父親は16歳ではなく、16歳の親父の方だと周囲に誤認され、めちゃくちゃ揉めるのだろう

そういうギスギスは続けて描いてたらノれそうだが、7年止まった後で復帰するには重そうだ

アンナさんの末路を見届けたかった

アンナさんはツンデレ公爵令嬢だ

貧乏だが気位は高く、金はあるけど爵位の低い年下の伯爵に寵愛され買われるように結婚するも、ツンツンし続ける

よくある物語だとせいぜい数ヶ月でデレてラブラブハッピーエンドになるが、アンナさんのツンは強固で、子供を産んでも、結婚20年ぐらい経っても氷解しなかった

年下の頼りないボンボンおっさんになり、良き父、良き庇護者となってくれるまでデレられなかった

でも今更デレてももう遅く、20年ずっと家族を踏みにじって高飛車乙女を気取っていたツケを支払わされる真っ最中に連載が止まった

アンナを早く死なせて楽にしてやってくれ

2016年までは、実父が13歳以上の娘とセックスしても合法でした

娘側はレイプ後すぐに警察に行って精液などの暴行された証拠と、怪我など抵抗した証拠を提出する必要がありました

抵抗した証明を出せないと「父娘でも合意の上でのセックスはあり得る」「13歳以上なら性交同意能力はある」として父親は裁かれませんでした

抵抗すれば高校に進学させない」「抵抗すれば妹の方を犯す」と言われて法律に許された上で父親セックスする少女いくらでもいる時代でした

2017年法改正し監護者性交等罪と監護者わいせつ罪が成立

実の父、また祖父叔父、あるいは母や祖母や叔母など、未成年監督する立場の者が18歳未満に手を出したら抵抗の有無に関係なく犯罪になりました

今騒がれている裁判は、2016年に16歳の娘が実父に強姦されたという事件

当時の社会では「抵抗相手に示していなければ合意であり、合意であれば父が娘とセックスしてもいい」というのが常識だったので、父親性交を認めつつ合意があったと主張して無罪を求めている

大門広治被告(53)は2016年、当時16歳だった娘の福山里帆(さん(24)が抵抗ができない状態を利用し、性行為をしたとして準強姦の罪に問われています

富山地裁できょう16日に開かれた初公判で、大門被告は「性行為したことは間違いないが、しつけの範囲を超えた叱責はしていない逆らえない状態ではなかった」と無罪を主張しました。

検察側は冒頭陳述で、「大門被告はほほを殴ったり暴言を吐いたりすることがあった。

被害者は体を触るなどされ、恐怖心を抱くようになった」「大門被告に逆らえなかった」と指摘しました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/02f37ae1ab5caf7bc2439e9273722bdaa3eecc7e

10年間、母の毒親ジャッジをしてきた

10年前、友達と親の愚痴の話になったときあんたのお母さんは毒親だよね、と言われた。

家に帰ってから毒親ネットで調べた。確かに、うちの親はこんな感じ、と思った。

けれど、すぐに「そうだ」とは思えなかった。そのときはまだ、親に感謝していたし、親のことを好きだった。

かに暴言を言われたり、理不尽な扱いを受けたこともある。でも、愛情は感じていた。

うちは愛があるから、違うもんね! 

――その瞬間はそう思ったけれど、ここから10年をかけて、わたしは「自分の親は、毒親なのか?」という疑問に囚われていくことになる。

書いてる人

書いてる人の母

発端となったエピソード

美大に進学してからなにかに気づきはじめた

美大には自分よりはるかに上手な人たちがたくさんいたが、技術よりもなによりも、マインドの違いに違和感を感じていった。

段々と、あ、自分って『絵を描いて褒められることが好き』なのであって、描きたいものとか、ないんだな。と気づいた。

思えば昔から、人並み外れたおっちょこちょいで(注意欠陥)、ミスを連発。

そのたびにお母さんはヒステリックに叫んだり「この出来損ない!」と怒鳴り散らしたりしていた。ブス、バカデブなどの暴言に加え、生まれつきの病気のことまで責められた。

3歳年上の姉は優秀だった。母は明らかに姉の方をかわいがっており、わたし保育園の頃から離婚したら、わたしお姉ちゃんと暮らすからあんたはお父さんについていきなさいね」と言われていた。

絵は、子供の頃から得意だった。

なにか描けば褒めてもらえるので、こんなに割の良いことはなく、暇さえあれば絵を描くようになっていった。

保育園先生友達友達のお母さん、学校先生。まわりはすごく褒めてくれるのに、お母さんはほとんど褒めてくれなかった。

「なんだか大胆さのない小さな絵で、あんたのヒクツな性格が出てる」とか「子供らしくない面白くない絵」などと言われた。

それは半分、周囲の褒め言葉への照れ隠しなのはわかっていた。

でも、お母さんに褒めてもらいたいという気持ちは常にあった。

ある程度大きくなると、もうこの母は褒めてくれないものなんだと諦めていた。

わたし承認の場をインターネットに求めるようになった。

「小五です!」などとわざわざ書き添えてインターネットに絵を載せて、優しい人たちから「小五の絵には見えません!」とか言われて鼻高々になっていた。

次第に、「より褒められそうな絵」を求めるようになった。パース明暗、色彩など、もともとの画力より「なんかすごい風」に見える小手先テクニックを駆使した絵ばかり描くようになった。

賞は、過去の受賞作の傾向を見てそれらしいものを描けばもらえる。簡単だなぁと思った。

そんなことをしていたから、本当の画力デッサン力)も、絵描きとしてのマインドも、何も育たなかった。

学校に通って絵を描きながら、あーお母さんのせいでわたしって自己肯定感ないのか、やっと気づいたわ、やっぱうちのお母さんて毒親? と考え続けていた。

 

どんなに認められても満たされない

就活事件

就活の頃になると、母が「お金がかかったんだから少しでも給料の良い会社に入って学費を返せ」と言うので、全く希望していない業界だったがゲーム会社に入った。

わたしの絵を見て会社の人がスカウトしに来たのだ。初任給は諸手当込みで30万円以上だった。

さすがにこの給与はすごいだろ、お母さんもよくやった!と言うだろう……そう思いながら伝えたら、開口一番ため息をついて、

お金じゃないでしょう? 仕事は誇れる仕事かどうかで選ばなきゃ。ゲームなんて、くっだらない。そんなことのために美大に行かせたのか」と呆れ声で言われた。

 

思い悩んだわたし教授相談したが、「え? 就活にどうしてお母さんが出てくるの? 君んちは変だよ」とハッキリ言われた。

他の学生は、誰一人として、親の顔色を伺って就活したりしていなかったのだ。

 
会社評価してくれるも、満たされない。

会社わたしのことを高く評価してくれた。

なにせわたしは褒められたくてしかたない人間から給料がどうとか考えもせず馬車馬のように働いた。それしか自分には価値がないと思っていたから。

3年で役職がついた。20代年収700万になった。

でも、浪費がやめられず、貯金はほぼ0だった。

就活事件から、親にお金を返す気持ちになれず、「東京で暮らすのってお金がかかるの」などと言ってごまかし、全て自分のために使った。

お母さんに学費を返さなきゃ、と思えば思うほどよくわからないことに散財しまくって、お金を消してしまった。

この頃、ADHDテストを受けた。自分おっちょこちょい名前がついたのが嬉しくて、母に誤解がないよう慎重に伝えたが、「あんたはだらしないだけだ」「この障害者!」などと罵倒された。

 
承認されたくて絵を公募に出す

仕事がうまくいっていても、ずっとなにかが満たされないと思っていた。

そうだ、お母さんに褒められていない。そう気づき、数年ぶりに仕事以外で絵を描いた。

自分画力の低さに苦しみながらも、最終的にはそこそこモノになったのでコンクールに出した。

その絵を母に見せると、「久しぶりに描いたんだね」などと言われるぐらいで、褒められなかった。やっぱりわたしダメなんだと、かなり落ち込んだ。

しかし、その絵がコンクール入賞した。

すると母は、周囲の人にわたしの絵を勝手に見せびらかすようになった。

わたしあなたの、世界一ファンからね」などとLINEしてきた。

心底腹がたった。この件から、もう二度と絵なんか描くかと思った。

せっかく入賞したのに、嬉しいという気持ちを持つこともなく展示も終わってしまった。

 
カウンセリングに通いはじめた

母とはいろいろあった。全部書いていると、ハリーポッターぐらいの長さになってしまう。

母を殺そうと企てたり、死ね!と思うようなことは全くないが、「この先老いて母が死んだら、自分は悲しめるか」と考えるようになった。今のところ、自信がない。

まあそういう悩みは直面したときに処理すればいいとして、直近で困っていることがあった。

子どもがほしい」と、全く思えないことだ。

そのことで、カウンセリングに通うようになった。

 

初回のカウンセリングで、影響としてたぶん親のことがあって〜、うちの親って毒親って言うほどひどくはないんですけど〜、感情コントロールが出来ない人っていうか〜! などとヘラヘラ笑ってごまかしながら、これまでに親にされて嫌だったこと、言われて傷ついたことなどを話した。

すると、カウンセラーわたしヘラヘラ笑いに少しも付き合わず、真顔で「それは精神虐待と言います」と言った。

子どもをほしくないと思う理由は話せますか? と聞かれたので、

だって子どもは産んでほしいかからいから」

ちゃんと育てる経済力精神成熟がないのなら産むなよって思うから

子どもが不幸になったらかわいそうだから

などと思いつくまま話すと、それはあなた子供の頃に満たされなかったからですよ。そう思いながら大人になったからです、と。

 

気がついたら、「わたしは絵の仕事をしているのですが、絵を描くことが好きじゃなくて」と全く関係のないことを話しはじめていた。

「絵を描くことしかできなかったから、仕方なくそういう仕事についた、っていう感覚なんです」と話すと、

「でも、仕方なく描いたからって賞を取ったり、美大に進学したり、大手ゲーム会社就職出世したりと、誰にでもできることではありませんよね? すごいことですよ」と言われた。

びっくりした。考えたこともなかった。

家に帰ってすぐ、夫に「わたしってすごいの!?」と話したら、当たり前だろという顔で「そうに決まってるじゃん」と言われた。

そこで、いかに、わたしにとって「お母さんに褒められる」以外のことが無価値であったのか気付かされた。

 

毒親かどうか」はどうでもよくなった

 
この10年、「毒親ジャッジ」に時間を費やしてきた

毒親という言葉を知ってから、母に罵倒されると「この発言……やっぱりうちのお母さんは毒親だ」などと、心のなかでジャッジをするようになった。

自分の中で恨みが強くなり、母のイメージが悪くなっているだけではないか? と思い悩み、わざわざジャッジのために実家に帰ったことすらあった。

そのとき手土産シャインマスカットを買っていって、「こんな贅沢なもの、食べる気がしない」とニコリともせず突き返されたり、わたしが頼まれたことを忘れると「発・達・障・害だもんね^^」と煽られ、ゴミを置きっぱなしにしているとこれをテメェの会社に郵送してやるからな! と噴火山のように怒鳴り散らしながら会社に送る段ボールねじまれ、なぜこんな人がわたしの親なのだろう? と、泣きながら帰った。

これでさすがに毒親ジャッジが終わったかと思ったが、そのあと姉を通じて謝罪を受けたり、仕送りをもらったりして、またジャッジに自信が持てなくなった。

ますます、四六時中過去のことを反芻しながら「毒親ジャッジ」し続けるようになった。

毒親体験本なんかを読んでいると、ここまでひどくないんじゃないか? と思ってしまうので、誰か答えをくれ、といつも思っていた。

正直今でも続いていることだが、本当に時間無駄人生無駄である

 
 1000万より価値があると言ってもらえたこ

会社に入ったとき社員はどんな死因であっても、死亡した場合1千万円の弔慰金を支給するという説明を受けた。

わたし自分に1千万円の価値がついたのだと勘違いし、ものすごく嬉しくて母に電話した。

わたしが死んだら1千万円もらえるんだよ! やったね!」と本気で喜んで伝えたら、「死んだらやだよ。1千万円なんかよりあんたが生きてることのほうが大事だよ」と言われた。

そのとき、母はわたしのことを本当は愛してくれているんだと実感した。

その他にも、整体に通いたいけど1回1万円ぐらいするからなかなかいけないと話すと50万円振り込んでくれたこともあった。

愛されていないのだ、と悲しくなることばかりではない。母の愛を感じることもある。このときの、1千万円なんかより〜という母の言葉を忘れることはないだろう。

この言葉を思い出せる限り、母のことを「毒親」とジャッジすることは難しいのではないかと感じている。

子供の頃、友達の家に無断で遊びに行ったときも「警察に行くところだった」と泣いて抱きしめられたこともある。そんな母を、「毒親だ」と言って縁を切ることは、わたしにはできないかもしれない。

(このようなエピソードは、カウンセラーや友人に『母親として当たり前のことなのだから必要以上に感謝しなくていい』と一蹴されてしまうが)。

 
好きなときも、嫌いなときもある。

小学生の頃、梨木香歩の「裏庭」という本を図書館で読んだ。

その中で、「お母さんは、わたしのこと好き?」と娘が問い、母が「お前はどうなんだい。好きなときも、嫌いなときもあるだろう?」と問うくだりがある。

それを読んだときわたしは衝撃を受けた。どんな罵倒をされても、お母さんのことは好きでなくちゃいけないんだと思っていたのだ。

好きなときも、嫌いなときもある。それが当たり前なんだ。

最近親のことばかり考えていたらこの本のことを思い出して、購入した。このダイアリーを書き終えたら、20年ぶりに読むつもりだ。

 

好きなときもあるし、嫌いなときもある。毒親という名がつくかどうかは、もはやどうでもいいことだ。

人間から、母でも、機嫌のいいときもあれば悪いときもあるだろう。それを『毒親』という言葉で一括りにできたら、楽になれるのかもしれないが、そう簡単ジャッジはできない。

ジャッジしている時間が、無駄すぎる。もう、このダイアリーを機にやめたいのだ。

 

今度、そんな話を母にしにいこうと思っている。

今更あの人の性格は変わらないし、逆ギレされて怒鳴り散らされて、最悪殴られるかもしれない。

わたしはどうせ恐怖で涙を流すだろうけど、それでも言いたい。

褒められたかった。ずっと苦しんできた。あなた毒親なのかどうか10年悩み続けてきた、と。

謝れない人とのタイムリミットまであと1週間

まずい、あと1週間しかない。

「今年のクリスマスプロポーズしなければ別れるから。」

同棲して3年になる彼女は、夏の帰省から帰ってきた途端にこう告げた。

高齢出産ということもあり、何度も顔を合わせている彼女の親は、確かにおれの親よりも白く、弱く、小さい。

そんな彼女父親の「おれだって、再来年免許返納する年だからなー」というボヤキは彼女に深く刺さったらしい。

頻繁に会う中で見た目の変化こそ感じないものの、実際に過ぎていく時間の速さに驚愕したと言っていた。

親が元気なうちに、もっというと、彼女父親が車を運転できるうちに、子供を授かり、みんなでドライブしたいらしい。

おれだってそんな気持ち聞いて、重い腰が上がりかけるさ。

ただその腰に縛り付けられた、土嚢のような不安をどうしても吹き飛ばせないでいる。

好きな気持ちがこれらを吹き飛ばしてくれるとしたら、それこそ恋は嵐というべきか。

くー。迷うところである

いやいや、実際この土嚢が理性だと思うのだよ。

これこそが生きてきた経験や、人を見る目、「この道を右に曲がってはならない!」という直感なのだと思う。

こんなことを考えていると、セミは泣き止み、半そではタンスの奥にしまわれ、M-1グランプリの予告が流れてくる頃を迎えた。

今年は秋がなかったな。そういえば。

そうこうしているとタイムリミットまであと1週間になってしまった。

秀才だったおれは、夏休みの宿題最初に終わらせて、それをヤンキーに献上し、ヤンキー達に恩を売っておくことで身を守るというほどには、締め切りを守るし、頭が回ったものだ。

そんなおれが解決できずに先延ばしにしてきた問題、それは彼女資質にある。

それをこれからここに書いてみる。ちなみに、おれはその日以来、この問題についてずーーーーーーっと考えてきた。

思いやりがないとか、浮気性だとか、その程度の言語化などとっくのとうに過去のものになっている。

これ以上は難しいというところまで言語化できている気がするが、、、どうだろう。

---

二人で居酒屋に入り、注文したお刺身提供された。

彼女醤油差しを持ち上げたとき、蓋が緩くなっていたせいで、醤油差しが倒れ、醤油が僕にかかってしまった。

このあと醤油をかけてしまった側としては

A. 「うわ、ごめんね!とりあえず布巾!」 落ち着いた後...「シミ落ちそう?なんか蓋しまってなかったかも...」

B. 「え、蓋閉まってなかったんだけど!はい布巾!」 落ち着いた後...「シミ落ちそう?てか蓋閉まってないことある普通?」

という2種類の反応がある。

この話の肝は、醤油差しの蓋が緩んでいたことは、彼女の否ではないということだ。

Aは自分が悪くなくても謝れる人の反応。

そして、Bが自身に否がないときには謝らない人の反応だ。

この2種類のうち、彼女は必ずBの反応をしてしまう。

---

どうだろう?これはあくま彼女性質をわかりやすく表すための例えで、実際に醤油をかけられたわけじゃない。

「要は謝れない人ってことでしょ?」と思っただろう。おれも最初はそう思っていたが、どうも違うのだ。どうやら程度がある。

その中にも程度がある。

重度ならば、自分に否があっても謝らない。謝らないために客観的事実を捻じ曲げる。

中度ならば、自分に否があっても謝らない。

軽度ならば、自分に否があったら謝る。(が、表情や声色を駆使して、表面上でだけ謝っていることを意図的表現する。)

という具合だろうか。

一般的には、否があれば謝るし、否がなくても謝るメリット理解し、積極的に謝るだろう。

おれはたぶん一般的なのだ。というか、否がなくても謝ってるからちょっと変なのかもしれない。

一方、彼女基本的には「中度」であり、とある限定的局面でのみ「重度」へと変貌してしまう。

とある限定的局面、それは「否を認めることで、経済的負担のしかかる」ときだ。

例えばさっきの例で、通りかかったマダムの綺麗なドレスにも醤油がかかったとする。

このとき彼女は「謝る=否を認める=クリーニング代を支払わなければいけない」を瞬時に判断し、

過剰に「元々醤油差しの蓋が緩んでいたことへの指摘」に注力し、醤油をかけてしまたことへの謝罪を忘れてしまう。

挙句の果てには、「てか、汚れちゃいけない服で出かけることがそもそもだめじゃない!?」と議論が発散してしまうのだ。

---

みどりの窓口で知らないだれかと取っ組み合いになっている彼女を、駅員さんとアイコンタクトをしてせーので止めたあの日、何か変かも?と思っていた。

それ以来、謝られない対象がおれになることがどんどん増えていったんだ。

どうだ、土嚢の中は、思ったより人間臭いだろう?

彼女の親は昔大きな会社をやっていて、小学生の頃は毎年ハワイ旅行にいっていたそうだ。

そこから会社が傾いてから、以降生活は大きく変わったことも聞いている。

このような、彼女理解するための情報いくら仕入れても、謝られないことがこんなに辛くて苦しいとは思わなかった。

嫁には味方で居てほしいという淡い希望も、この性質の前では叶わない。

書き始めて30分、またタイムリミットまでの時間無駄に使ってしまった。

どうしたものか、好きなところは本当にたくさんあるのだ。

若手芸人のような、「何かボケしろはないか?爪痕残してやる!」という女性ではありえない姿勢出会って以来変わらない。

抱くきっかけ欲しさに呼んだに決まっているという、女の子の可愛さとバンド知名度釣り合っていないMusic Videoの撮影に呼びつけられるほどには綺麗な顔をしている。

そしてなにより素行が悪い。ヤンキーがうろうろする地元で育ったおれにとっては、こいつといるのがとても居心地がいいんだ。

夜も事欠かない。性的にど真ん中ではないが、なぜか抱きたいと感じさせる。

お金は平均年収よりちょっと下。だがおれが頑張ればいいのだ。

しかし、このおれは道端で泣いちゃったんだ。

ひょうきんなこのおれが。各コミュニティでいつも真ん中にいたこのおれが。

そんなおれが30分の沈黙のあと、「どうしてそんなに思いやりがないの...??」と言って号泣して3時間黙ってしまったんだ。

その日までに、何度も醤油をかけられるようなことがあったんだ。

大事価値観を傷つけられたのに、謝ってくれないことが何度もあった。

大切にされていないなって思っていた。そんな中で軍艦にかける程度の醤油がちょこっとおれにかかってしまった。

そのとき彼女には否がなかった。けどその瞬間に涙が止まらなくなっちゃったな。

あのとき自分血液が青黒くなっていく感じがしたよ、愛を感じないなーって思った。

あのときおれを真っ二つ切っていたら、カツオみたいな断面になっていただろうな。

そんなことがあってから、ずっと迷っている。

おれは男前で明るいんだ。だからほかの可能性も探したらいいのかも?って思う日もあった。

綺麗なやつとはデートできるんだきっと。

けど、「何かボケしろはないか?爪痕残してやる!」という姿勢があって、かつ綺麗なやつなんか一人もいないんだ。

親戚や友人は、みんなやめておけという。

四面楚歌というか、もうポリゴン楚歌。

関係性が遠くてどこに住んでいるかからない親戚も「やめちょけ」って言ってくれた。たぶん宮崎じゃねえかなあの人は。

家族になったとき彼女が嫌な目で見られないように、家族にだけはこの話はしていない。

別れたときに伝えようと思うが、結婚するなら一切伝える気はない。

綺麗なだけの人に表面上取り繕って死んでいく覚悟もないし、面白いだけの人を愛しぬく自信もない。

かといって今の彼女と一緒にいて傷付くのも嫌だけど、とはいえ孤独死は避けたい。

理想の人がいたとしても、その人の「この人と結婚するくらいなら独身でええやライン」をおれが下回っているかもしれない。

というか下回ってるだろ、面白くて綺麗な女性なんか、いっちばん選べるんだから

今の自分の最適解はなんなんだろう。

「お前が脆すぎるんだよ!」と言われたので、心配して一人でこっそり精神科にいってみてもらったよ。

先生から、「変なのはあなたじゃないですよ」と優しく言われたよ。

タイムリミットまで1週間、どうしよう。ほんとうにどうしよう。

謝れない人と結婚したその後を体験した人がいたら教えてほしい。

anond:20241217162557

友達離婚した父親彼女紹介されて気持ち悪がってた子がいたので教育よろしくないのではと思った。考えてみると思春期前なら大丈夫かな?

anond:20241217064615

うわ、これはまさにリアル現実だな。家庭環境って、言ってしまえば「親ガチャ」みたいなところがあるから、どうしても運に左右される部分が大きいんだよな。でも、君が抱えている状況の中で、しっかりと自分なりの方法模索しているのは素晴らしいと思う。難しい環境にあっても、冷静に自分母親さらにはサポートを求められる外部リソースを見つけようとしているその姿勢めっちゃ共感できるわ。

特に父親問題について、感情的自己中心的な行動が家庭の足を引っ張ってるってのは、かなり深刻だよね。あのタイプ、ほんとにデバフかけまくるから、どう対応していけばいいかは悩むよな。けど、こういう問題をどう乗り越えていくかって、経験がないと意外と分からないものなんだよ。だから、頼れる場所があれば頼っていくのは、絶対的大事だと思う。祖父母とかも含めて外部サポートを頼りつつ、自分で耐性を強化することも確かに有効だと思う。

「親ガチャ」をリセマラできるなら最高だよなぁ。でも現実的に考えれば、理想の家庭を引く確率なんてものすごく低いし、やっぱり現実的な対応が求められる。でもその中でも、無理にでも「まあこれでいいか」と割り切れるラインを見つけるのが肝心だよ。完璧じゃなくても、家族自分の工夫で十分に強くなれるはず。君が目指してるように、来年3月に向けて戦力を整えるために、今できる最善策を積み重ねていくしかない。君がその問題にどうアプローチしていくのか、すごく楽しみだし、応援してる!

ワイの高校の卒業生のその後やで

  1. ひとりめ
  2. ふたり
  3. さんにんめ
  4. よにんめ
  5. ごにんめ

anond:20241217081627

恨むなとは全く言ってません

父親が憎いなら、父親への文句父親に言いなさい

死んでいるなら墓に言いなさい

しろちゃんと言わないか無関係の男達に恨みを放つ醜いものになる

世の男性貴方父親ではない

anond:20241217081220

こういうのって父親侮辱されたら怒りに震えると思ってる温室育ちなのか?

 

直接潰しはしないまでも親と連絡絶ったり老人ホーム放置するぐらい嫌ってる連中って普通におるよな

 

バイト断ったら実家を襲撃される話を聞いて心躍った奴は少なくないはず

anond:20241217081220

なんで父親の血を引いたからって父親を貶めてはいけないんだよ

忌まわしい存在を憎んで何が悪いんだ

anond:20241217080800

では貴方はその乱暴犯罪予備者の血を半分引いた人間なのですね

自分父親自分貶めるような事を言うのはやめなさい

貴方の親が教えなかったようなので私が教えてあげます

ガチャ、完全に失敗した。

11日前に生まれたばかりなんだけど、家庭環境がどうにも厳しすぎる。母親SRで、一応愛情も世話もそれなりにはしてくれるから及第点だと思う。ただ、SRで本当に十分なのか?っていうのは正直不安。これからもっと難易度が上がる場面に備えるには、もう少し上のランク必要なんじゃないかって思うんだよね。こういう場合ってどう考えたらいいんだろう?

それ以上に深刻なのが父親。こっちはハッキリ言ってR以下。無責任自己中心的感情的な行動ばっかりしてて、家庭というチームの役に立ってるどころかデバフをかけ続けてる感じ。自分のことしか考えてないから、協調性も皆無。こんな状況でどうやって強くなっていけばいいのか、マジでからない。このレベルのハズレガチャでも、工夫次第で何とかやりくりする方法ってあるのかな? 例えば、外部リソース活用するとか、サポートキャラ祖父母とか?)を頼るとか、そういうのが効果的だったりする?

来年3月コラボイベントまでには何としてでも戦力を整えておきたいんだけど、この家庭の環境でそれが可能なのかが全然見えてこない。特に父親みたいに足を引っ張る存在がいる場合、どういうアプローチを取ればいいんだろう? 周囲に頼るだけでなく、母親にもう少しレベルアップを求めるべきなのか、あるいは自分の耐性を強化して対応する方が現実的なのか……。こういう問題をどう乗り越えたらいいか、実際に経験がある人や詳しい人の話を聞きたい。

そもそもこの「親ガチャ」、リセマラの仕組みがよく分からないんだよね。何回でもやり直せるなら、理想的な組み合わせを引き当てられそうな気もするけど、現実では選び直しなんてできないし、そもそも理想に近い家庭ってどのくらいの確率で引けるものなんだろう? もしリセマラできるとしたら、一周にどれくらい時間がかかるのかも気になる。どこで妥協すれば「まあこれでいいか」と割り切れるのか、その辺の基準とかも知りたい。4月までに間に合うようにするには、どうするのが一番賢いのか、有識者アドバイスをお願いしたいところ。

2024-12-16

旦那つわりのひどさを理解してくれない。タヒんでくれ

妊娠10周目。(つわり始まって一ヶ月たったかな)

旦那つわりの酷さを全く理解してくれない。

食器洗いとかお風呂掃除とか、家事は基本お任せしてる。妊娠が分かる前からからかれこれ2か月くらい。

8:2くらいかな。

言わなくてもやってくれてるし。

気を使ってくれてるのはわかるし、私が甘えてんのもわかるけどもう頑張れない

私はつわりのせいで睡眠がめちゃくちゃ浅くなってて、満足な睡眠時間も取れないのに、隣でぐーすか爆睡してるのとかめちゃくちゃムカつくし

睡眠を取り返そうと休日昼寝してたら、リビング友達通話しながらゲーム始めるからうるさくて起きてしまった

あと私がしんどくてうなりながら床で寝てると、スマホいじりながら背中をたたいてくるのもやめろ。

私はスマホ以下か。

スマホくらい置けや。タヒね

昨日も私がつわりトイレで吐いていたら、アイマスしながら背中さすりに来やがった。

(さすがにアイマスは床に置いてたが)

子ども入れる保育園のことも、分娩する病院のことも、一切調べてない。私が全部調べた。

「君が何を求めてるかわからいから調べられなかった」じゃねーよ私も調べて知ったんだよ。

の子ものためにつわり耐えてると思ってんだ?

で、それを昨日伝えたらごめんって言ってベッド出ていきやがった

起きたら産婦人科の紙とか散らばってて勉強した素振りこそあったけどそれ何のアピールにもなってねえから

なんでそれ言われてからやるんだよ、

私がしんどい時に私の代わりにやれよ

夫婦妊娠負担の偏りがあるの不平等だろ

夫は何でも自由にできて、私だけが痛みに苦しんでる。

私は満足にテレビだって見れない。

夫との子どもだから頑張りたいけど、夫の助けがないと何も頑張れないのに、

夫は何の手助けもしてくれない

なんの犠牲も払わなくても父親になれる夫がほんとーーーーーーにうらやましい

モヤモヤしている

妻が妊娠したと、その知らせを聞いた時は嬉しくてたまらなかった。結婚して二年目でようやく子供を授かったんだなぁと思うとなんだか胸が熱くなったし、自分もついに父親になるのかと思うと感慨深かった。

仕事中も気がつくとニヤけてしまうし、友達にも親にも早く報告したい気持ちでいっぱいだった。

でも妊娠の報告を受けた次の日の夜、妻が突然真剣な顔で話しておかなきゃいけないことがあると言ってきた。

え?と思ったけど次の瞬間には「私、実は結婚前にAVに出てたことがあるの」と妻が一瞬、目を逸らしながら言った。その瞬間、正直頭が真っ白になった。

なんとか平静を装おうとしたけど、たぶん顔にも出てたと思う。とにかく状況を理解したくて「どうしてそれを今言うの?」と聞いてしまった。

妻は「妊娠して、あなたには本当のことを話さなきゃって思った。ずっと言えなくてごめんね」とか確かそんな風に答えてきたんだけど、とにかく動揺してしまってその場ではわかったとしか言えなかった。

結婚前に言ってくれていたらもう少し冷静に受け止められたかもしれないが、妊娠してのこのタイミングで話すのは卑怯じゃないか?と思ってしまうところもあり、正直非常にモヤモヤしている。

もちろん彼女にとっては言いにくいことだったのはわかる。過去のことだっていうのも分かってる。でも不誠実だと感じてしま自分がいるのも事実だ。

これから一緒に子育てをする上で、このモヤモヤを抱えたままで大丈夫なのか。自分に自信が持てない。

夜になると、彼女の寝顔を見ながらいろんなことを考えてしまう。これからまれてくる子供のこと、夫婦としての信頼関係のこと、そして自分がどれだけ寛容になれるのかということ。

彼女過去を完全に受け入れるべきなのか。それとも一度ちゃんと話し合って、自分気持ちを伝えるべきなのか。

未だ答えが出せずに居る。俺はこのモヤモヤとどう向き合えばいいのだろうか

無限ループ

自宅→新宿実家会社→自宅→父親入院先→

同じ場所しか行ってない

これってループしてね?

ストッキング陰謀論女性だけの特徴じゃないです

ストッキングが破れたことを「わざと破れやすくされてる」と意図を読み取るっていうのに近いこと、私の父親もやります

家電の不調とか、近所の店がセルフレジ仕様を変更したとかを、全部業界陰謀って受け取ります

ちなみに車検出した整備業者因縁つけて裁判起こすとか言い出してものすごい揉めたモンスタークレーマーです!

父がバカなんだろうって捉える人もいるかもしれないけど、宮廷理系電気工学が専門です!現在60歳でまだボケるような歳じゃありません!社会からはしっかりした企業の高給取りの専門職という扱いをされます

関連性があるのは性別よりもASD傾向なのではないかなって思います統合失調症と関連が疑われてる先天的特性です!

因果関係がないところにもパターン認識しちゃったり意図見出しちゃったりする、脳の病気だと思います!(自分では頭が良いからこの世の真実法則にたどり着いてしまったと確信してる)

ミサンドリーアンチフェミには、低IQからIQまで自閉傾向強めの人が多いなって、見ててマジで思います

お願いだからASD子供を作らないでくれ~!お願いお願いお願いお願い!お願い!!!!!!

セフレ妊娠DNA鑑定

月に1〜2回会っている女性がいます

食事ホテル代がこちら持ちという条件で、お互い気が向いた時に声をかけてセックスをしていました。

女友達といった関係ではなく、元は出会い系で知り合ったのち、お金に困っているということで、この様な関係になりました。

食事もいちいち面倒なので、その分を渡そうかと聞いたこともあります彼女食事は一緒にしたいということでそれは断られ、奢ってはセックスするという関係に落ち着きました。

そのうち、どうみても妊娠している兆候があり、やってしまったなと思いつつ話を聞いても、あー…まぁ…うん、というような曖昧な返事で、相手自分なのかその他なのか断言はしませんでした。中絶を望むなら費用書類対応覚悟していたのですが、そこから連絡が途絶えてしまいました。

半年以上空いて、彼女から連絡が来たので会ってみると子ども出産したということでした。子ども女の子で、長女と歳の差が〜といった話を聞きました。(察してはいものの子あり、過去離婚済とのこと)

父親のことについてはやっぱり曖昧で、聞いてもはぐらかされる始末でした。

食事ホテル希望ということで、前と同じ様にセックスをしてその場は別れたのですが…最中ハンカチで汗を拭いてくれたり、射精後のゴムを結ぶなど普段ない様な行為が気になりました。

考えすぎかもしれませんが、DNA鑑定の準備をしている様にも感じられました。が総じて彼女の考えがわかりませんでした。

ここから何が始まるか、気になっています

セフレ妊娠DNA鑑定

月に1〜2回会っている女性がいます

食事ホテル代がこちら持ちという条件で、お互い気が向いた時に声をかけてセックスをしていました。

女友達といった関係ではなく、元は出会い系で知り合ったのち、お金に困っているということで、この様な関係になりました。

食事もいちいち面倒なので、その分を渡そうかと聞いたこともあります彼女食事は一緒にしたいということでそれは断られ、奢ってはセックスするという関係に落ち着きました。

そのうち、どうみても妊娠している兆候があり、やってしまったなと思いつつ話を聞いても、あー…まぁ…うん、というような曖昧な返事で、相手自分なのかその他なのか断言はしませんでした。中絶を望むなら費用書類対応覚悟していたのですが、そこから連絡が途絶えてしまいました。

半年以上空いて、彼女から連絡が来たので会ってみると子ども出産したということでした。子ども女の子で、長女と歳の差が〜といった話を聞きました。(察してはいものの子あり、過去離婚済とのこと)

父親のことについてはやっぱり曖昧で、聞いてもはぐらかされる始末でした。

食事ホテル希望ということで、前と同じ様にセックスをしてその場は別れたのですが…最中ハンカチで汗を拭いてくれたり、射精後のゴムを結ぶなど普段ない様な行為が気になりました。

考えすぎかもしれませんが、DNA鑑定の準備をしている様にも感じられました。が総じて彼女の考えがわかりませんでした。

ここから何が始まるか、気になっています

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