はてなキーワード: 葬式とは
今後どうすればいいか深く考えたいと思い、思考を整理したくて書いた。無駄に長文。
こうした節目の季節や長期休暇の頃合いになると、決まって親から帰省の催促がなされる。
不快な思いをしながら、適当な言い訳を付けて断るのをもうずっと続けている。家族とは今のところ折り合いが非常に悪く、諸々の事情からもう帰らない(帰れない)と心には決めている。
その気持ちを明言してしまい状況が変わってしまって面倒なことになってしまうのが嫌で、対話を避けてはっきりさせない気持ち悪い状態をずるずる続けている。
ただ、既に私もいい年だし、逃げ続けるのも良くないのではないか、もう親に影響されずに気持ちよく年を越したいと思い、これまでの半生を振り返ってどうすればいいか考えている。
私自身としては自らの親のことを毒親だと思っているものの、多分世間一般のラインからすれば普通の家庭なんだろうと思う。親も人間であり完全ではない、そんなこともわからずに、SNSに毒されて親に対して求めるもののハードルが上がっていて、それを満たせていないから親が嫌なんだと。そんなふうに考えている自覚もある故に、割り切れないところもある。昔は本気でそんな思いだったものの、もう30を超えた今は流石にそれが間違いであることはわかる。でも親が憎くて嫌いなのは変わらない。そのあたりのおかしなバイアスを指摘されたりするとわざわざ公開された場所に乱文を残す価値もあるんだろうと思う。
私は地方の田舎で生を受けた。しばらくして妹も生まれた。家族は父母姉妹の4人だった。
きっと嫌なことが多かったんだろうと思う、年齢が一桁の時の記憶はほとんど無い。うっすらと、親に暴力をふるわれた事や、血筋の中でも頭が回る方で小学1か2年生くらいの最初はそれを褒めてくれた事は覚えているような気はする。
その時の母親の口癖は、「私があなたの頭を殴って大きなたんこぶを作ってから頭が良くなったんだ。」というものだったと思う。曖昧な記憶でも、これは間違いなく覚えている言葉で、今でも子どもに対して暴力を振るいあまつさえそれを誇るような言動をするなんてとんでもない倫理観の人間だと、親を嫌う理由の一つとなっている。
母親は専業主婦であり、家事を一通り終わらせたら延々ネットゲームを行っており、家にいても常によく知らない誰かとボイスチャットをしていたのをよく覚えている。とにかく世間体を一番とする。痩せていると世間体が悪いからという言葉で少食なのに無理に食べさせられて今でも食事に苦手意識があるのと、拒否しているのに美容院に連れて行かれてそれらしい髪型を強制されたのも記憶にあるところ。また、家族間では一切の秘密を許さないとのことでプライベートの全てを否定していたこともあった。うっかり見てしまったことがあるが、あなたのパートナーが影で隠れてアダルトビデオを見ていることも把握しているのだろうか?ヒステリーを良く起こす方で、父親とは仲が良いようには思えず、常に離婚をちらつかせて喧嘩していた印象がある。たまに課金のためにコンビニに連れて行ってもらい、ついでにお菓子を買ってもらったこともあった気がする。総じて印象が良くない。
そんな母親に対して、父親には正直印象が無い。何をやってるのかよくわからない、たしか何らかの肉体労働だった気がする、氷河期世代で割の良くない仕事に早朝から遅くまで関わっており、休日が不定期なこともあり、ほとんどコミュニケーションが無かった。もちろん低賃金ゆえ常に貧乏家庭でもあった。休みの日はもっぱらパチンコ漬けのようだった。社会人になってから思うと申し訳ないと思う気持ちはあるものの、正直普段同じ場にいない人間とは話が合わないし取れるコミュニケーションなんて限られてると思うし、今更仲を良くする価値も感じないところ。
そんな親の元過ごした小学生や中学生の時代、確かに頭は良い方で学校の成績は5本の指に入るくらい良かった。ただ、その代わりに子供らしさというのを何処かに捨ててしまったらしい。良く言えば控えめで物静か、悪く言えば根暗コミュ障。外に出て運動をするより部屋で本を読んでいたほうが良い。そんな子どもらしくない子どもは、世間体を重視する母親のイライラゲージを溜めてしまうらしい。頭の良さを褒められることも最初だけで、ある時からそれが当たり前で褒められることも無いし些細なミスで詰められたり、そんなようになってしまった。
一方で妹の方は私に比べればマシな人間だった。学校の成績は普通だが、いわゆる子どもらしい子どもであり、また、悪知恵も働いた。もちろん親は頭でっかちな姉よりも妹を好み、悪知恵により陥れられたことも何度もある。その都度姉なんだからと我慢させられた経験は山ほどある。
中学の頃、決定的な事が起こる。運悪く治安が最悪な世代に混ざってしまった中学時代。いじめは横行するし自殺未遂の話もあった。そんな殺伐とした空間で思春期を過ごして平常でいられるわけがなく、必死で生きようとして荒んでいた時。妹との扱いの差や親のおかしなところに気が付き始める時。今でも解決してない自身の性別に対しての悩みを持ち始める時。そんな難しい時に家族と買い物に出かけることになった。その時にとても不機嫌な対応をしたんだと思う。帰って自室に戻って一休み。催してトイレに行こうとした際に、両親のいる居間から「なんで◯◯なんて産んだんだろ、産まなければよかった」という声が聞こえてしまった。私が近くにいないと思ってそんな話をしたんだろう。実際可愛げのない私はいらない存在だったんだろう。それ以降、両親のことは一切信用しないことにした。喧嘩をしたとかの直接的な言い合いがヒートアップして出てしまったならまだしも、影でそのようなことを言うなんて、いっときの気の迷いとかではなく本気なんだろうなと妙に腑に落ちたところがあった。
以降の高校時代はそういう恨み言が続くだけ。勉強はできたので大学は行きたかったけれど、貧乏な家庭の上に当時の奨学金に対してのバッシングも相まって、大学は諦めることになり結局私自身も親と同じ高卒になってしまった。中学時代に仲が良く一緒に勉強を頑張った当時の友人は東京の有名な大学に行ったらしい。世の中は平等にできていないことを強く認識することになった。就職が近づくと老後は頼んだとか寒いことを色々言われた気がするが、もちろんもう何も信用してないのでさっさと親は捨てて一人で生きていくことを考えていた。一応長子だったので、そういう老後の世話や家を継ぐことを期待されたのも多かったと思う。
高校卒業後は当時のネット友達を頼り、地方を出て東京で職を得ることができた。
こんな得体のしれない高卒の人間を総合職として採用してくれた小さなベンチャー企業も、今では大きくなり比較的良い待遇で仕事をさせてもらっている。パートナーもできてプライベートも充実した。
このときの悩みは今の仕事がどれだけ続けられるかというところと節目でやってくる親の帰省の連絡だった。親からのメッセージの通知が来るたびに心臓が早鐘を打ち不眠になる。最初は真面目に帰省していた。わざわざ親の好む服装・髪型にして。ここでの転機はコロナ禍の時だった。コロナ禍で帰省を自粛していた頃合いだったが、流石に間が空きすぎたのとある時波と波の合間で落ち着いてきたタイミングであったことから断りきれず、久しぶりに帰省することになった。久々の帰省で大きなストレスを受け、パニック発作を起こすことになってしまった。そこからこじらせてしまい、本格的なパニック障害になり家から出ることもままならなくなってしまった。年単位で時間をかけてなんとか仕事を続けられる程度には回復したが、未だに外出を行う際には辛さを伴うし、一人で遠出をすることもできない。なんとかある程度回復した症状をぶり返すようなこともしたくない。人生の全てが閉じられ終わってしまうようなあの感覚をまた感じたくはない。かくして帰省はしないものからできないものになってしまった。もっとも、世間体を気にする親は子の精神疾患なんて認められないだろうし、あるいは無理に連れ帰らせる、会おうとしてくるなど余計なことしかしないだろうことが想像できるので、この件も話してはいない。
このような人生を送り、この日記を書いた現在に至る。家族は嫌いで精神も壊した。それでも、一人で生き抜くことを決意してハードワークして作った資産もできた。昨今の好調な株式市場のお陰でこれもかなり大きくなり、もう当分お金に困ることはないだろう。そうなるといよいよこの親との関係をどうするのかというところが割合として大きくなってくる。お金と一緒に順当に年も増え、もう30を超えてしまった。そんな年齢になってまで未だに身近にいない親を恐れ嫌いな親の期待に応えようとすることが馬鹿らしく感じ、整形なんかにも手を出したりもした。親が期待した娘は部分的にこの世から消えた。あまり実感がないものの、幼い頃の暴力が未だに影響しているような気がしていて、親のことは嫌いなのに親に直接刃向かうようなことを実行するのに未だに抵抗を感じてしまって辛くなる。そういう精神的なところから親を振り払うとともに、関係性もなんとかしたいと思うところ。
こんな長文をここまで読まれている方は稀有だろうと思うが、世間体と好みと役割を気にして私を直視しない私の憎む親と同様に、私もまた親のことを理解しておらず、対話を避け一方的に親を嫌っている事には気がつくだろう。私には色々な悩みや聞いてほしいことがあった。今の生活だって盤石ではないし、何かと家族と連絡がついたほうが生きやすいところはある。そういうのを全て過去の親の言動を延々に引きずり信用できないと切り捨て全部抱え込んで生きてきたのが今の私だ。これまでの言動や行動からどうせ否定されるだろうと決めつけ、またしまい込むのは簡単だが、どうしても筋が通ってないように思う。どうせなら自分が過去のそういう言動で深く傷付き親を信用していないこと、自らはこういう悩みを抱えていて生きにくい事、その上で、あなた達が受け入れる気があり、私が許せるのであればマイペースに付き合っても良い。悪口というのは加害者は覚えてないだろうから、受け入れる受け入れない以前にそれでも許せるのかというのは難しいところではあるが。一方で理解できないこともあるんだから受け入れなくてもいい。誰にも迷惑をかけずひっそり生きていても、セクシャルマイノリティは迫害の対象なのが昨今だし、別に親がそういう人間であっても不思議ではないし、むしろたまたま親になっただけの存在にそんなのを期待すること自体が贅沢なんだと思うようになった。それ以外にも複数嫌われるべき理由もあるし、そういう場合は縁を切ればいいだけ。そういう選択肢くらいは親に与えても良いのではと思うようになってきた。別に縁を切られたってこれまでの人生計画は親無しでやっていくつもりだったんだから、支障はないしむしろ公式に縁が切れれば親からの連絡に怯える日もなくなる。受け入れてくれるならそれもまた良いだろう。人間年を食うと丸くなると言うし、期待はしてないがそんな可能性もゼロではないだろう。人間関係が希薄な令和の社会で、一人でも話ができる人間はいるに越したことはない。戸籍制度等のせいでどうやっても親と絶縁することが不可能な日本社会において、親との関係性は悪いよりは良い方が良いに決まっている。もしこのルートで進むのであれば、将来親の葬式をポジティブに主催したいと思えるようになれたらなとは思う。最近始めた新しい趣味の話とかができたら良いなとは思う。本質的に私は寂しがり屋で、一人で生きるよう常に努力しているが、親という存在を欲しているんだなというのも俯瞰してると思うところ。
ここまで書いたら、支離滅裂な長文乱文な割に随分思考が整理されてスッキリしてきた気がする。私は親を許すつもりはない一方で理由も分からず対話もせず消えてしまうのは筋が通ってないように思う。私は私の力で過酷なこの時代をなんとか生き抜くスキルを身につけられたと思っているが、認めたくはないものの、親の影響もそれなりにあるんだろう。少なくともこの年齢まで生き、ある程度の職と資産を得られた時点で虐待によって命を落としてしまった子ども、家庭の都合で高校にも行けず不本意な中卒でもなんとか生きる子ども、歪んだ教育で犯罪に走ってしまう子ども、それらの親であるところの真の毒親よりよほど良い親であったこともまた過程はともかくとして事実なんだろう。だから、今回の帰省もキャンセルして、しばらくしたら思っていることをぶつけ、筋は通そうと思う。そんな厄介な子と関係を続けたいのか続けたくないのか、ボールは親に投げられる。今の時代は覚悟さえできればスマホでポチポチして三行半を叩きつけることができる。行動を起こすことでメンタルは悪化するだろうが、こんな年齢でこんな馬鹿げたことをしているのに耐えられなくなってきたし、じわじわ心を壊されるのも終わりにしたい。だから気持ちは伝える。これが結論。未来の自分や他人からしたら甘いと思われそうではあるものの、縁切りも気持ちよく行いたい、そんな気持ちが強い。それに、双方納得の上で関係性を定義できれば、これ以上の干渉の無い理想的な形で終わらせることができる。頼もしい人生の味方を得られるかもしれない。だから、きちんと気持ちを伝えて、この気持ち悪い曖昧な関係を終わらせようと思う。
それで一番衝突したのは、子供について話し合った時。私はあんまり欲しくないって考え。彼は子供欲しい派。意見の食い違いからヒートアップして、思わず「あなたの両親が勝手に私たちの子を入信させるかもしれない。あなた自身がそうだったように。それは宗教虐待だ」って言ってしまった。
ていうか日本は宗教文化が日常に溶け込み過ぎてて自覚薄いけど、増田が普通だと思ってる葬式の様式とかもひとつの宗教の形だぞ。
夫がまさにそれ。夫自身は信仰心ゼロで、私を勧誘したり行事に参加させることは絶対にない、何も問題ないから安心してって言われたけどね。
でも、昔付き合ってた人にそれで距離置かれた経験があるのに、聞くまで黙ってた。隠されてたことが本当にショックで、不信感が消えなかったから、脱会するまで入籍を延期したよ。
「信仰心がないなら辞めて」と言って脱会させたけど、実際どうなったのかは不明。脱会届を彼の親が郵送してくれたらしいけど、それが受理されたのか、名簿から名前が消えたのか、証拠がないから分からない。でも、一切創価に関わらないって約束させたし、今のところ変な新聞が届いたり、学会員が家に来たりっていうことはない。
ただ、結婚してから気づいたこともある。彼は七五三とか、お盆の墓参りとか、三回忌の法要みたいな一般的な宗教行事を全然経験したことがなかったらしい。そういうの当たり前の家庭で育ったから、夫はそうじゃなかったんだなって結婚してから分かった。
それで一番衝突したのは、子供について話し合った時。私はあんまり欲しくないって考え。彼は子供欲しい派。意見の食い違いからヒートアップして、思わず「あなたの両親が勝手に私たちの子を入信させるかもしれない。あなた自身がそうだったように。それは宗教虐待だ」って言ってしまった。そしたら「両親をそんな風に言うなんてひどい」って悲しまれた。でも、配偶者の両親なんて他人だし、何考えてるかなんて分かんないじゃん。ウチみたいにならないように、その辺も結婚前によく確認しておくことをおすすめするよ
あと懸念があるとすれば、いつか相手の祖父母が亡くなったら葬式はアッチ流でやるだろうなってこと。正直、拒否感半端なくて参加できるのか不安だけど、今から心配しても仕方ないからあんまり考えないようにしてる。
まとめると、結婚して数年だけど、今のところ目立った害はないから静観してる。ただし、これから問題が表面化する可能性は十分あるなと思ってる。彼の親族と話す時は、その辺の発言にはかなり気をつけてる。
アドバイスとしては、まず結婚前に分かってよかったね。それだけでも大きい。あと、「元増田にも入信してほしいと思ってるのか?」「どれくらい創価に本気なのか?」みたいなことは、結婚する前に根掘り葉掘り聞いといたほうがいいよ。知っといて損はないし、嘘ついてないか、隠し事してないかよく見極めてね。
子供でも理解できる超簡単な「宗教由来の選民思想」以外の何物でもないぞ?
要するにアイツラは「我らが教典にはこの様に書いてある。つまり、俺達は正しい」で全部説明しきれると本気で信じてる宗教バカなんだよ。
「神に選ばれたユダヤ人を民族浄化するのは悪。ユダヤ人による民族浄化は聖戦」ただこれだけの話なのよ。
宗教的価値観が第一優先であり、それ以外のあらゆる道徳は二番手以下なわけ。
アイツラが定期的に他民族をぶっ殺してるのなんて、オウム真理教がサリンばら撒いてたのと何も変わらねえんだわ。
そんで自分らがやられたときに騒ぐのはダブスタでもなんでもなく「俺達は神に選ばれた民族なんだぞ!」ってだけなの。
チャチなフィクションの悪役が言うような「偉大なる俺たちに逆らうなんて許されないぞ2等市民共!ましてや異教徒の豚を殺すことを悪と呼ぶとは神託に対する冒涜だ!」を本気で信じてるだけのおバカちゃんなんだ。
まーしゃーないわな、歪んだ教育を幼少期から受け続けてきた人間ってのはそういうもんだよ。
宗教なんてのは葬式や祭りのときにだけ借りてくるようなカビの生えたフィクションだと割り切ってる現代人とは世界観が違うのよ。
昔は日本も天皇が本当に神様で本気出せば神風起こせると信じてたパッパラパーが大勢いたろ?
あのノリがまだ抜けてーのよ。
誰かが責任持って玉音放送でもながしゃいいものをダラダラ先延ばしにしてんだよねー。
大人になって「こんな悪いことしたらゴレンジャーが黙ってないぞ!プリキュアがお前らをやっつけにくるぞ!」と言ってる奴がいたら頭がガキすぎてドン引きだけど、宗教の世界だとそういうやつが沢山いるから不思議だよね。
父親か、お祖母さんの近所の人か、葬式を取り行った教会?寺?の人に聞いて、墓の場所は割り出せないだろうか。
2年前の祖母の死が乗り越えられない。
正確には、次の2月で亡くなって2年だけど。
小さい時から両親が不仲で、それゆえに父方の実家にはほとんど寄り付かなかったし、祖母には物心ついた時からも数えるほどしか会ったことがない。
父方の実家は海外で、日本から飛行機の直行便はない。片道だけの交通費もバカにならないぐらいかかった。
もちろん祖母は日本語なんて話せなくて、祖母の話す言語を自分は話すことはできない。単語単語でつっかえながらならできる程度。
愛想がいいとは言えない性格をしているし、そもそも自分が小さい頃から父親のことが嫌っていたのも知っていたかもしれない。
それでも会うたびに涙を流すほど喜んでくれて、滞在中は、他の孫も同居してるはずなのに、さすがに贔屓のしすぎじゃないのか、と思うぐらい可愛がってくれた。
超がつくぐらい田舎街で、長く小学校の校長をやっていた人だから、二人で街を歩くといろんな人に声をかけられた。
その度に「この子私の孫なの、日本から来たのよ」とニコニコしながら紹介するもんだから、目的地に辿り着くのもかなりの時間がかかった。
その時繋いだしわしわの手の感触は、今も覚えている。もう8年以上も前なのに。
長く不仲だった両親は、それでもずっと離婚までは踏み切ってなくて、
自分が大学生で成人してからようやく離婚の決心がついたらしい。それが5年前。
その前後に、急にチャットアプリを通じて祖母が連絡を寄越すようになってきた。多分父が手を回したんだと思う。
最初は、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで父方の親戚全員が嫌いで、祖母のこともそんなに好きではなかったけど、
数ヶ月に一回、翻訳機能を通じて細々とチャットで連絡をとっていた。
祖母への感情が薄まってきたぐらいのタイミングで社会人になった。久々に会いたいかもなー、と思えるようになっていた。
でも、長期で海外なんていけない仕事に就いてしまっていたし、何よりも世の中がコロナのせいで、海外なんてもってのほか、という雰囲気だった。てか普通に渡航禁止だったし。
コロナが明けたら、数年働いて転職したら、祖母に会いに行こう、とどこかぼんやりと考えていた。
残業で終電帰りになってしまい、夜中にご飯を食べていた時のことだった。
その時はまだマスクは厳守の時代で、PCRの検査結果がないと海外にいけなかった。明日から急に海外行こう、なんてもってのほかだった。
忌引き休みを使う?今から行ったら到着まで何時間かかるんだ?葬式にすら間に合わないかもしれない。言葉すら通じない国へ?嫌いな親戚たちに囲まれて?祖母がいないのに?
亡くなる2週間前に「会いたいな」とチャットをもらったばかりだった。
翻訳機を通じて「私も会えたら嬉しい。近いうちにそちらに行きたい」と送ったばかりだった。きっと私が言葉を話せないことだったり、父とほぼ絶縁の状態だったことに気を遣ってくれたんだろう。自分から祖母にチャットを送ることなんてなかったし、祖母はいつも短文かスタンプしか送ってこなかった。
本当は会って話したかった。しわしわの手をまた握りたかった。チャットなんてチャチなことしてないでその場でビデオ通話でもすればよかった。涙が蛇口を捻ったみたいに止まらなかった。
それでも、合間合間の一人の時間では何度も涙を堪えた。大阪は、そこらに元気なおばちゃんがたくさん歩いていて、似ても似つかないはずなのに祖母をどうしても連想してしまった。マスクの中は鼻水でぐちゃぐちゃだった。マスクがある時代でよかったと思う。
それから2年も経とうとしているのに、祖母の死が乗り越えられない。
本当はお墓参りがしたい。でも参るお墓の場所もわからない。こっそり行こうにも、小さい田舎町なんてあっという間に話が回るだろう。
本当は、辛い悩みは母や周囲の友人に話して解決するようにしているけど、
これは結局どうしようもできない問題だから、下手に慰められて終わりにしたくない。
話して終わりにしたくない。でも、時々、話さないと爆発しそうなぐらい後悔に襲われて、涙が止まらなくなることがある。昨晩がそうだった。朝まで寝られなかった。
自分の後悔は、一体誰にどう贖えばいいんだろうか。助けてください。
母方の祖父が死に、祖母を引き取ったり家の片付けとかしてるんだけど
母には兄がいるし(私から見て)叔父の方が色んなもの相続してるし片付けてる家だって叔父が相続してる
何代も住み続けてきた古い家だからゴミも多いし業者呼んだりなんだりのお金を私も出してる
葬式の時おじの嫁はずっと座ってて何もしないし、叔父と従兄弟が読む挨拶の原稿とかも私が書かされてそれを読んで他の親戚から感動したとかでお小遣貰ったりよくできた息子だと褒められるのは叔父と叔父嫁と従兄
身を切ってまであの家を何とかする必要はないから辞めろと母を説得するも私がやらなきゃ……の自己犠牲精神で辞めないし、金は無心してくるし、いたわらなきゃ発狂するしで全員死んで欲しい
わかる。ネタとして盛り上がってるだけなんだろうけどなんか、寒い目で見ちゃう。それ誰が用意すると思ってんの?っていう。
仏教のせいで葬式とかそこらへんのことが面倒だしお金もかかるんよ
信仰の自由があるから迫害はできないけど、日本人が「仏教って害悪だよね」という総意ができてくれば、自然と消滅すると思うんだよね
神道はまああってもいいよ。そんなお金取らないし、陰気臭くないしさ。
単なる好みだけど、お経が苦手なんよ。暗いし、効果も別に感じないしさ。
俺はないね。みんなはあるの?
遊んでいたソシャゲのサービスが終了することになった。世間的には、円満なサービス終了である。
ずっと作品の中心として紡がれていたメインストーリーが終わり、それをもって作品として完結する。
それから数日後にでオンライン版のサービスが終了し、今後はオフライン版としてサービスを行う。
大団円だ。
ソーシャルゲームという、どこで終わるかわからない綱渡りを常に強いられるゲームにとって、当初から予定していたシナリオを完結させて終わることができるというのは、この上ない最高の終わり方だと思う。
そのうえ、全くなくなるのではなく、オフライン版として遊びたい人はまだ遊び続けることができる。
私も、今までに志半ばで終わってしまうゲームをいくつか経てきたので、これは本当に最高の幸せな終わり方だとわかる。
なのに、どうしてか、涙が止まらない。
それは、このゲームが、昨年亡くなった私の伴侶が、私と共にメチャクチャハマっていたゲームだからだ。
始まりは5年ほど前。特に深い理由もなく、「このゲーム、尖ってて面白いですよ!」的なプロモーションをTwitterで見かけて、興味を持って初めてみた。その後無事にハマり、楽しくイベントをこなすなどしていた。
あるとき、そのゲームの生配信があり、それが夕食時だったので、食卓はともに囲むというルールだったため「食事の時にこの生配信を見ていい?」と打診したところ、快諾されて一緒に見た。
興味がないゲームの配信ではあるものの、「このキャラって〇〇?」などと時折聞いてくれ、それに応えたりしながら時はながれた。
そんなことがあったことをすっかり忘れていたとき、ある日突然、「楽しそうに遊んでるから、このゲーム始ようかな」と、そのゲームのトップページを見せられた。
面白いゲームだからぜひやってほしいということと、最初のガチャで何度でも引き直しができるので、(ごく一部のキャラは対象外だが)好きなキャラが出てから始めるとよいと伝えた。
伴侶はそれからしばらくずっと引き直しをしているらしかった。私が見かねて、「どのキャラ目当て?」と聞くと、引き直しでは出ないキャラクターを狙っていることがわかった。
私のミスなのだが、当初の見立てでは、普段好きになる傾向のキャラは全員引き直し対象だったので、そこの注意は必要ないと思って伝えていなかった。
長年のつきあいがあるはずの相手の好みの把握の甘さに反省しつつ、その子は出ないから好きに始めたらいいよと伝えて、ようやくプレイを始めたようだった。
ここから、伴侶のつたないプレイを応援して二人三脚で・・・で、みたいな展開が通常はあるかと思うが、伴侶は普通にそのゲームに興味がなかっただけのゲーマーなので、めきめきと上達していった。
まだゲームに慣れていなかった時代には、「コイツはこうやって倒すんだよ」などと、3ターンキルを見せてあげるなど、上級者ぶりを見せつけて悦に入っていたころもあったが、ほんのわずかな期間だった。
ゲームは好きだが他のゲームに浮気しまくっている私と、このゲームに一途にプレイしている伴侶とでおもしろいほどに差が産まれ、いつの間にか練度は追い越されていた。
とあるむずかしいメインストーリーのボス攻略に苦しんでいる私に、「これで突破したけど?」と、育成しきったキャラと編成でこともなげに攻略する様を見せつけられたときは、BSS…とつぶやいてしまった。(全然違う!
ありがたいことに、きっかけとなった生配信の後も定期的に公式生配信をしてくれていたので、一緒に生配信を観ていた。
お互い、新規キャラの実装で気になるキャラがいると、テレビに走り、間近で配信を観た。
あのキャラクターもあのキャラクターも、実装時の一番最初の記憶で頭に浮かぶのは、残念ながら伴侶の尻である。(人間が目線より下の角度に置いてあるテレビにひざをついてかじりついていると、その後ろにいる人から最初に目に入るのは見ている人の尻になるのだ)
新しい衣装が実装されると、一緒にテレビの間近まで近寄って、衣装イラストに散りばめられた小ネタを探した。
キャラクターの性能について語り合ったりもした。
気は合うが好みは合わないので、あまり一緒にハマれるコンテンツがなく、数少ない一緒に語れる作品だった。
もちろん、それぞれが別の作品にハマることには不満はない。お互いが好みを尊重しているので、無理に勧めることもない。
だから同時にハマれる作品がないのは仕方なく、それも承知でこれまで長年共にいたので、この作品ばかりが特異なだけだった。
カラオケコラボが始まり、田舎住まいだが辛うじて遠征できそうな場所でやってくれていたので、初めて一緒にコラボイベントに出かけた。
カフェコラボが始まり、ちょっと頑張れば行けそうな場所でやっていたので、わざわざ旅行の予定をいれてコラボイベントに出かけた。
ストーリーの更新があるたびに、お話の「これから」はどうなるか語り合った。
生意気なオタクなので、クオリティにばらつきがある、イベントストーリーの良し悪しの話もしたりした。
私は時々コミケに出るタイプの創作寄りのオタクなのだが、伴侶はそうでもないのに、珍しく「コミケに出てみたいな」と言っており、二人で合同誌を出すことを企画した。(残念ながら、コロナで中止になって叶わなかった)
こういったことは、このゲームがなければできなかった体験だし発想だった。
コミケはわりとまじめに出たかった。伴侶が元気になったら出たいとずっと思っていたし、今でもなんとか無理してでも出られなかったかなと思っている。
同じゲームにハマってからだいたい2・3年くらい経ってからだろうか。うろ覚えなので違うかもしれない。(追記:改めて見返したらやっぱり間違ってたので直した)
大変申し訳ないが、私はちょっとそのゲームへの熱量が下がってしまった。
メインストーリー見た?と言われても、敵が強くてまだだな~みたいな感じで濁すようになっていた。
伴侶も同じくらいで止まっていると言っていたが、それが本当に止まっていたか気を使って言っていたかがわからない。
これこそが私の最大の後悔だ。
伴侶は、昨年に持病をこじらせて亡くなってしまった。
私の手元には、しばらくサボっていたソシャゲが残った。
その年の秋か冬か春かくらいだっただろうか(暑くなかったので夏ではなかったくらいしか記憶がない)。・そのゲームは、「メインストーリーのシナリオ、今なら全部読めますよ!」という、まあまあどうかしているキャンペーンを始めた。
ちょうど暇だったので、キャンペーンに合わせてストーリーを読んでみた。
めちゃくちゃ面白かった。
物語が佳境に差し掛かっていることもあって、伏線が鮮やかに回収され、巧みに回収されていくストーリーに目を見張った。
更新されたシナリオが、古いものばかりならそうも思わなかったのだが、伴侶が元気だったうちに更新されたものもそれなりにある。
「共有できる機会があったのにできなかった」ものがいくつもあるのだ。
めんどくさがらずにストーリーを進めていたら、この面白さの少しくらいは、一緒に楽しめただろうか。
もしかしたら、気を使って言わなかったけど、ここまでは進めていて、本当には早く進めてここまで読んで欲しかったのではないだろうか。
「共有したかった」と、ここまで思ったゲームは始めてだった。珍しく好みが合ったというのもあるが。
そのゲームの、完結が発表された。
私は、「共有したかった」と思った。
ずっと生配信を一緒に見ていた。おそらく伴侶が興味を持ったきっかけも生配信だったのではと思う。生配信で終了が発表されるゲームは稀だという。そんな、レアな「終了を発表する生配信」を一緒に見たかった。
完結の喜びと、もう見られない悲しみを共有したかった。ぐちゃぐちゃな気持ちをぐちゃぐちゃなままで共有したかった。
SNSに書くときは、どうしても感情を一旦整理してしまう。整理されないままの生の感情を共有できるのはリアルのコミュニケーションならではだ。
私はもともとコンシューマーゲームが好きな人間なので、ゲームが終わってしまうこと自体はそんなに悲しくはない(全く悲しくないわけではない、念のため)。
そもそもコンシューマーゲームであれば発売の時点でシナリオは完結しているのが普通だからだ。
だから終わってしまうことそのものよりも、終わってしまう悲しみを、「これから」が亡くなってしまう悲しみを、今までずっとゲームの「これから」を一緒に楽しんできた相手と共有したかった。でもその相手はもういない。
葬儀というのはわかりやすい。人が死んだから悲しいのだ。それを紙に記す。
ソシャゲの終わりを紙に記す人はそういない。さらに、そのゲームが好きだった人のことを紙に記す人は、もっといない。さらに、そのゲームのことがどれだけ好きだったか、そこに付随する気持ちがどれだけあるのか、これはもう、もっとどこにも記されない。
確かにこのゲームのことを、私の伴侶は愛していたのだ。でも、オンライン版のサービスが終了することで、アカウントは消えてしまう。こんなにたくさん衣装を買っていて、手持ちを全員レベルMAXにしていて、編成をたくさん作っていても、ゲームが終わったら消えてしまうのだ。
よくSNSで、お金がないけど3人目の子供を産みます!みんな応援してね!という母親をよくみます。
中には「三人目の子供を育てる経済的余裕はないけれど夫をうまいこと騙して子供を産みました」という妻もいます。
子供を育てていくに当たって、塾に行かせたり、習い事をさせたり、旅行に行ったり、レジャーを楽しませたり
お金持ちが子供を三人育てることは可能ですが、庶民が子供三人、それなりにお金をかけて育てるのは厳しいです。
この間子供が三人いる親が広いマイホームのローンが払えなくなり、狭い賃貸に引っ越したという記事を見ましたが、子供三人育てながら新築マイホームのローンなんてそりゃ無理ですよ
これからは、自分の人生の満足度をあげていくために独身でいること、子供を持たないことを選ぶ人がどんどん増えていくし
夫婦が子供を作ったとしても、親も子供も経済的に満足度の高い生活をするために一人っ子を選ぶ家庭が増えていくでしょう
一人っ子、とってもいいですよ。親は精神的にも経済的にも余裕がありますし。デメリットは親が死んだときに子供が親の葬式の相談をするきょうだいがいないことくらいです。(きょうだいいなくても自分の配偶者と協力すればいいもんね)
最近育児ノイローゼで自分の子供を殺す母親が増えています。父親が育児ノイローゼで子供を殺すという事例は少なくて、父親が我が子を殺すときは父親の人格に問題があることがほとんどでしょう
母親が育児で苦しんで子供を殺すのは、経済的な苦しみも少なからずあるのではと思います。
昨日、嫌いだった姑の葬式にサンバの格好で行ったら、旦那の親族にブチギレられて帰らされた。いや、別に私は盛り上げようと思って、羽つけてかなりキマってたんだよ?お経に合わせてステップ踏んだり腰振ったりしたかったのに、全然理解してもらえなかった。
みんな「場違いだ」とか「冗談じゃない」とか言ってきたけど、葬式だって一つのパーティーみたいなもんでしょ? もっと楽しんでも良くない?どうしても私のやり方が気に入らなかったみたいで、最終的には追い出される羽目に…。
まぁ、私としてはもっとおどけたステップでみんなを驚かせたかったんだけど、それを阻止されて悲しい。こんなことで怒られるなら、最初から行かなきゃよかったわ。