はてなキーワード: デザインとは
機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)のネタバレを含みます。
情報を閉ざしていても、
ジオンが連邦に勝利した世界線のガンダム世界を舞台にしている、
というようなことは耳に入っていることだろう。
なんだよ、バラすなよ。
とお怒りになる方もいらっしゃるかもしれないが、
心配しなくてもいい。
新しいガンダムは間違いなく楽しめる。
なぜか?
いや、これはもう楽しめないわけがない構造だからだ、としか言いようがない。
ジオンが勝利した世界線のガンダムのアニメというものは作られたことがなかった。
つまり新奇性がある。
これを楽しめない一年戦争世代はよっぽど斜に構えてアニメを見ている人だけだろう。
もちろん見終わってから、ああだ、こうだ、と文句を言いたくなる人はいるだろう。
その瞬間には夢中になって見入ってしまう。
それだけの力がある。
そして映像的な興味深さ。
このアニメはリメイクではないが映像的には初代ガンダムのリメイクに挑戦している。
あのおなじみの名場面を最新のデザイン、最新の技術を使ってリメイクしている。
あえてグリグリと動かせる3DCGで作っている造形物を、
具体的にはスペースコロニーなどをグリグリと動かさずに引きセル風に処理したりしている。
(ただ流石にこの演出を全編でやるのは無理があるので冒頭の数十秒部分だけだったようだが。)
そういった映像的な魅力でも初代ガンダムファンなら思わず見入ってしまうだろう。
そして何より重要なことだが、
という部分だ。
これがうるさがたの多い一年戦争世代のハードルを下げることになる。
「初代((ファースト)とすら呼びたがらない人たち))」の信者が
納得する初代ガンダムのリメイクを作ることは実質的に不可能だ。
どんなものをつくっても首を横に振るだろう。
かろうじて納得する、というラインではないだろうか?
これだけでとてつもなくハードルが下がるのだ。
実は筆者も以前、自分が寝ているときに見たガンダムの夢を増田に書いたことがある。
当時、寝起きの頭の中、忘れないうちにと思ってザーッっとメモ書きのように
夢の内容を書いたのが、
投稿したあとに
多分、初代好きが多いブクマカたちにメチャクチャ怒られるんじゃないかと心配だった。
しかし、驚いたことに当時ついたブックマークは概ね好評だった。
え?そんなことあるのか?なぜだ?
ひょっとして俺はストーリーテラーの才能があるのか?
とか一瞬だけ思いかけたが、それは違う。
この話を作って面白くしなくするほうが難しいのだ。
が、これは実は難易度が高い。
すでに先の話が決まっているからだ。
これなどはもう何がどう転んでも、
とかお話が決まっている。
結局は何の意味もないというのが決まっている。
そういう先がガッチリと決まってて動かしようがない。
と同時に宇宙世紀という枠組み設定のすべてに制約され
自由があるのだ。
これも強い。
ただ、ただ、ただ、だ。
肝心の主ストーリーはどうなんだろうなあ?とこっちは未知。
実はこのガンダム、
新しいガンダムの企画としてはかなりどうしようもない設定のガンダムに
無理やりジオンが勝利した世界線のガンダムを足したようなガンダムなのだ。
実際に見た人ならわかるだろうが、
初代の世界線がなくても、
ガンダムバトルを戦う主人公たちだけでお話としては独立させることが可能だ。
ある日主人公がひょんなことからガンダムバトルに巻き込まれる。
それだけでお話としては成立する。
どうすれば面白くすることが出来るんだろうか?
ということを考えて作り直した企画、とも見ることも出来る。
おそらくガンダムバトルのアニメだったらかなりつまらないはずだ。
そこで問題になるのが、
このアニメを見なかった層、
あるいは
開始15分で見るのを止めていたであろう層を
このアニメに引っ張り込んでおいたにも関わらず
そこの部分がわりとどうでもよくなっていく可能性があるということだ。
みたいな展開になってしまったときのガッカリ感はすごいだろうなあ、と思う。
このアニメは見るよ、俺。
たださ、そうやって引っ張り込むんだからちゃんと責任取ってくれよな。
いや、シャアとか一年戦争とかは単なる「ヒキ」でお話としてはどうでもいいんすよ、
とか言うのは許さないぞ。
みたいな感じのことを思いました。
見終わったあとに、ザーッと印象だけで書いてるので
読み苦しいところや
他の人の感想とか、
書いてるのでとても見当違いのことも書いてるかもしれません。
https://anond.hatelabo.jp/20250128154514
Apple Watchをありがたがっている奴らは、一体何を考えているのか。60,000円も払って、毎日充電しなければ動かない「欠陥品」を有難がるとか、もはやカルトの域に達している。時計の本分は「いつでも時間を確認できること」だ。それが、充電を忘れたらただの金属の塊になるような代物を、なぜそんなに持ち上げるのか?
カシオの腕時計なら1,500円で5~7年バッテリー交換不要。時間を知りたければ腕を上げるだけで済む。それに対してApple Watchは、「バッテリーの持ちが…」「健康管理が…」「iPhoneと連携が…」と苦しい言い訳を並べ立てるしかない。だが、それらの言い訳はことごとく破綻している。
信者たちは「18時間というのは理論値で、実際にはもっと持つ!」と必死に擁護するが、根本的に論点がズレている。カシオの腕時計をつけている人間は、バッテリー残量なんて考えもしない。なぜなら、そんなことを気にする必要がないからだ。
「思ったよりバッテリーが持つ」などと誤魔化しても、Apple Watchは毎日充電しなければならない時点で論外。うっかり充電を忘れたら、翌日には腕にゴミを巻いていることになる。時計としての最低限の機能すら満たしていないものに60,000円払うのは、もはや狂気の沙汰である。
「毎日の充電なんて大した手間じゃない」「入浴中に充電すれば問題ない」と信者たちは言う。だが、そもそも充電を意識しなければならない時点で、時計として終わっている。
カシオの時計をつけている人間は、朝起きて腕を見れば時間がわかる。Apple Watchユーザーは、まず「昨日ちゃんと充電したか?」を確認しなければならない。この時点で、Apple Watchは「時計」ではなく「毎日世話をしないといけない電子ペット」になっている。そんな手間のかかる時計をありがたがるとか、もはや時計の概念を破壊する行為でしかない。
「Apple Watchは健康管理機能があるから、単なる時計ではない!」とドヤ顔で語る者がいるが、時計にそんな機能を求めている人間がどれだけいるのか?
本気で健康を管理したいなら、Apple Watchよりも精度の高い専用の医療機器を使うべきだろう。心拍数を測りたい? 数千円で買えるフィットネストラッカーのほうがコスパがいい。転倒検知が必要? そんなに転ぶなら病院行け。
結局、健康機能をありがたがっているのは「機能があるから何となく便利そう」という薄っぺらい思考の人間だけだ。大半のApple Watchユーザーは、「今日は○○歩歩きました!」とSNSに投稿するくらいで、結局のところ自己満足のオモチャにしかなっていない。
「Apple WatchはiPhoneと連携して、通知を手首で確認できる!」とかいう謎の利点を挙げる者がいるが、そもそもスマホがポケットやカバンに入っているなら、それを取り出せば済む話では?
ポケットに手を突っ込む動作を省くために60,000円払うとか、冷静に考えればバカバカしすぎる。しかも、その通知機能も結局はiPhoneがないと成り立たないわけで、つまりApple Watch単体では何もできない。カシオの腕時計は単体で100%の性能を発揮するが、Apple WatchはiPhoneがなければ半分の価値もない。
60,000円の時計が「スマホのアクセサリー」としてしか機能しない時点で、完全に負けている。
「Apple Watchはデザインが洗練されていて高級感がある!」と誇らしげに語る奴もいるが、その「高級品」も数年で型落ちになり、買い替えを迫られる。
機械式時計なら何十年も使えるし、ブランド時計なら資産価値もある。でも、Apple Watchは毎年のように新型が出て、古いモデルはあっという間に「過去の遺物」と化す。数年で買い替えが必要なものを「高級品」と呼ぶのは、さすがに無理があるだろう。
しかもバッテリーが劣化したら交換も容易ではなく、新モデルを買う羽目になる。つまり、Apple Watchは「短期間で買い替えが必要な消耗品」に過ぎない。そんなものに60,000円払うのは、ただの浪費でしかない。
結局のところ、Apple Watch信者の言い訳は、すべて「不便を受け入れるための自己暗示」に過ぎない。
本当に価値がある時計とは、充電を気にせず、腕を上げるだけで時間がわかるものだ。その点で、Apple Watchは圧倒的に劣っている。充電を怠ればただの文鎮と化す時点で、時計としての最低限の条件すら満たしていない。
一方、カシオの腕時計は1,500円で5年以上持ち、時間を見るという本来の役割を完璧に果たす。Apple Watch信者は、毎日充電の手間を増やしながら「自分は最先端のライフスタイルを送っている」と勘違いしているが、実態は「金を払って不便を買っている」だけの哀れな存在だ。
60,000円でApple Watchを買う奴は、「最も無駄な金の使い方をしている愚か者」である。
まずデザイン界隈における地位を向上させるために、増田が言うような「デザインの仕事」はもちろん受ける
一方でその何倍も街の治療院とか保育園とかの普通のサイト製作(見た目にもこだわるが、採算性がより重要)をたくさん受ける
これで回していくのが普通
おしゃれなデザイン会社って、一体どうやって生きてるんだろう?いや、わかる。見た目が大事な仕事だし、トレンド感あるし、「カッコイイ!」「センスいい!」って評価されるのは気持ちいい。でもな、金にならんのよ。
うちの会社も、そこそこ名の知れたデザイン事務所だ。ポートフォリオに並ぶのは、SNS映え抜群のスタイリッシュなサイトたち。案件が途切れることはないし、求人も「デザイナーになりたい!」って若者が群がってくる。でも、現実問題として、給与は低い。なぜなら、映え系の仕事は基本的に金がない。発注側も「かっこいいのがほしい!」「バズらせたい!」とは言うけど、「予算?ないよ?愛とセンスでカバーして?」ってスタンス。
それでも、つい頑張っちゃうんだよなあ。クライアントの「こだわり」には一切妥協しない。たとえ「この1pxの違いが世界を変えるんです!」と言われても、「いや、そこ本当に意味ある?」って思いながら微調整を繰り返す。そして気づけば1週間が溶けている。
気づけばそこそこ勤めてしまった。そして伸びたのは、映え特化のデザイン力。転職しようと思っても、ポートフォリオに並ぶのはひたすらキラキラした広告やビジュアル系サイトばかり。「UIもできます!」って言っても、実績が広告寄りすぎて、「また似たような会社にしか受からないのでは?」という恐怖が頭をよぎる。抜け出したいのに、同じ業界の磁力に引っ張られ続ける…映えの呪いだ。
もしかして、企業相手にデザインやってるからダメなのか?いっそ「SNSでキラキラアカウント作って、素人から金を取る」みたいなルートのほうが生き残れるのでは?「デザインのコツ、教えます!」とか言いながらオンライン講座を開き、「あなたもプロのデザイナーになれる!」みたいなコンテンツを売れば、今よりマシな生活ができるのでは?
いや、それってもうデザイナーじゃなくて、デザイナーの皮をかぶったインフルエンサーじゃないか?
考えれば考えるほど、この業界、出口が見えない。おしゃれなデザインを作るたびに、「映えてる!すごい!」と褒められるたびに、どんどん深みにハマっていく気がする。
なんでこんなことになったんだっけ?デザインが好きだから?クリエイティブでいたかったから?それとも単に、おしゃれなものに囲まれてる自分が好きだっただけなのか?
絵が上手い
二次創作はしない
アニメを片っ端から見るが容赦無く視聴を切る。完走するアニメは1季節平均0から1作品
SNSでは誰ともコミュニケーションを取らない。黙々と絵をあげる。好きな作家からフォローされてもフォローバックしない。好きなのはその作家ではなく作品だからだ
テレビを見ない
ハリウッド映画は見る。人間だけど人種が違うから過剰演技がわかりにくくなっておりだって人間だぜ感が薄いから見れる
スクエニとソニーは見た目がいいだけで中身がないと思っているし広報がダサくて距離を置いている
ゲームのキャラのステータスあげるなら自分のステタータスを上げたいと思ってしまうのでシミュレーションゲームはやらない。アクションゲームだけやる
ゲーム実況は見ない
コテンテンツ提供者の人格(キャラクター)は評価しない。したがってバラエティ番組とVチューバー実況動画とは距離をとっている
オナホを使うのは甘えと思っている
女体は好きだが女は嫌いと思い込むことで童貞である自分を許容している
ソシャゲはやらない
自炊する
ぶっちゃけアニメ顔の美少女コンテンツのキャラデザってどれも似たり寄ったりだと思っている。キャラクターデザイナーって所詮コンパチ作業してるだけじゃんと思っている
ポケモンのモンスターデザインくらい幅広くしてくれよと思っている
コミュニケーションの手段としてオタクコンテンツが使われ始めてこの界隈も末期だと思い始めているが次の戦場を見つけられないでいる
絵師としてAIは嫌いだが適応できなければ淘汰されるだけなので反AI活動してる者を見下している
巻数が10巻を超えるものはテーマを絞った方が良いのではないかと思っている。漫画長期連載とアメリカドラマの際限ない長期シーズンものは資本主義の悪い面が出ており作品ファーストになっていないと考えている
フィギュアを大量に買って全て並べてるコレクターはアホだと思っている。自分の器を超えた際限のない欲望を展示してるし一つ一つを愛でることもできない見る目のないアホだと思っている
本当は彼女が欲しい
メガネをしている
家族仲が良い
性器が大きい
身長170cm〜175cm
痩せ型
猫が好き
音楽は興味ないのでYOUTUBEで適当に流すだけだが演奏するならやっぱベースでしょと思っておりギターとボーカルを見下している。ドラムとキーボードは許してやってもいい
Apple Watch、自分はすごいフィットしてるけどな
充電も自分の使い方だと24時間以上もつよ、お風呂入るタイミングで充電してとけばOK
いまんとこ、Apple Watch以外の時計を持ちたいとは思わないな
ペロッ!これはChatGPTの味!
俺がもっと上手く書いてやる。
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おおおお!ついに、真実を語る時が来た!!みんな、聞いてくれ!!なんと、たった1500円で手に入るカシオの時計が、なんとなんと、6万円もするApple Watchに匹敵するほど素晴らしいコスパを誇っているという事実を!!もう、これには言葉を失うほどだぜ!!
まず、1500円のカシオの時計だって? いやいや、舐めちゃいけないよ。君たちが思っている以上に、カシオの時計はそのコスパの高さが異常なんだ。だって、あのカシオが作る時計って、あのデザイン、あのシンプルさ、あの機能性、全部含めて、1500円で買えるってどういうことだよ! まるで、「時間」というものの本質を、無駄なく凝縮して、しかも絶対に壊れない!って感じなんだよね。
そして、あの超高級感あふれるApple Watch! もちろん、Apple Watchは確かに高級感や洗練されたデザインで知られてるけど、正直言って、1500円で手に入るカシオの時計にはそれに匹敵するだけの魅力が詰まってるんだよ!だってさ、Apple Watchって、あれってただの時計じゃないんだよ。むしろ、時計という名の「高性能スマートデバイス」って感じで、便利なのはわかるけど、それ、ただの高いおもちゃじゃないのか!? いや、まあ、機能面では確かにApple Watchが圧倒的だよ。健康管理とか、通知機能とか、心拍数測定とか。だけど、それって「時計として」の価値なのか? それとも単に「生活の一部としてのガジェット」なのか? ここが大きなポイントだ!
1500円のカシオはさ、シンプルなデザイン、耐久性、信頼性、そして何より「時計としての本来の機能」に特化している。時間を正確に、そしてシンプルに見るためのものなんだよ。シンプルだからこそ、何年経っても古さを感じさせないし、時代を超越したデザインで、どんなシーンでも合わせられる。だって、カシオの時計は、学生からお年寄りまで、誰でも手に取って使える素晴らしい普遍的なデザインなんだよ!
それに比べてApple Watchは、確かにすごい!でも、使いこなさなければただの「高い時計」になっちゃう。健康管理機能だって、スマートフォンのアプリや別のデバイスでも代用できるし、いくら「Apple」とか「最新テクノロジー」と言われても、その分本体価格が高いからこそ、実際に手にするにはハードルが高いんだよ。高すぎる!6万円!? なにそれ、時計を買うお金で超豪華なディナーを食べられるじゃん!いや、食べられるというか、むしろそのディナーを食べるために時計が必要だろ、って感じだよね。
カシオの時計は、時計としての基本に忠実。毎日、どんな状況でも確実に時間を確認できる。バッテリーが切れることもないし、壊れない。どんなに過酷な環境でも、ちゃんと動き続ける。雨が降っても、汗かいても、日常生活で困ることは一切ない。Apple Watchはどうだ? バッテリーが1日で切れることもあるし、もしや運動中に汗で故障したらどうするんだ? とにかく、カシオの時計は、オタク心をくすぐるほどの「無敵感」があるんだよ! 時計としての本質を突き詰め、さらにその価格で「神の領域」にまで達しているんだよ!!
そして、何よりカシオの時計は、その耐久性が違う。水に強い、衝撃に強い、まさに「戦士の時計」。万が一壊れたとしても、1500円で再購入できるってどういうことだ!? しかも、その再購入してもまた新しい時計として使えるから、むしろ愛着が湧いて、何度もリピートしちゃうんだよ! Apple Watchは6万で買ったとしても、万が一壊れた時に修理代がどれだけかかるか分かってるか!? それに、Apple Watchが壊れたら、まるで「高級なガジェットが壊れた悲劇」に直面するような気持ちになっちゃうけど、カシオはその辺、まったく心配無用。強さが違うんだ。
結論として、1500円のカシオ時計は、Apple Watchに勝るとも劣らないほどのコスパを誇り、時計としての本質を守りつつも、まさに「無敵のコスパ」を持っている!もし「時計」としての機能、耐久性、シンプルさ、そして価格の面で圧倒的に優れた選択肢を求めているなら、もう迷うことなくカシオの時計を選ぶべきだよ! だってさ、カシオの時計を手に入れるだけで、6万円のApple Watchなんて目じゃないほどの価値が手に入るんだから!みんなもこの素晴らしい時計の世界に飛び込んで、カシオの魅力を実感してくれよな!!
Apple Watchに60,000円も払うことは、愚の骨頂である。最新のテクノロジーを搭載しているという触れ込みだが、実態を見ればその価値は極めて疑わしい。たった18時間しかバッテリーが持たない時計など、もはや時計としての基本性能を満たしていない。
時計の本質は、いつでも時間を確認できることである。しかし、Apple Watchは毎日充電を要し、充電を忘れればただの役立たずな金属の塊と化す。しかも、その充電にかかる手間を考えると、時間を確認するというシンプルな行為のために、なぜこれほどまでに煩雑な手間を強いられなければならないのか理解に苦しむ。
一方、カシオの腕時計はどうだろうか。1,500円程度で購入可能でありながら、5~7年という長期間にわたり電池交換が不要である。これぞ真の時計である。時間を知りたければ腕を上げるだけで済む。充電も不要、バッテリー切れの心配もない。それこそが時計としてのあるべき姿であり、Apple Watchのような中途半端な「おもちゃ」とは一線を画している。
さらに、60,000円という金額の重みを考えるべきである。この金額でカシオの時計を何本購入できるか。数十年分の時計代を一度に浪費するのは、もはや愚行以外の何物でもない。余ったお金で高品質なスマートフォンや家電を購入する方が遥かに賢明であり、実用性も高い。
Apple Watchを購入するのは、「高価なガジェットを持っている」という虚栄心を満たす行為に過ぎない。それに対してカシオの時計は、時計としての役割を全うしながら、圧倒的なコストパフォーマンスを誇る。腕時計に必要なのは華美なデザインでも目新しい機能でもなく、信頼性と実用性である。Apple Watchに60,000円を払うより、カシオの時計に1,500円を払う方が、遥かに理にかなっている。
ソフトウェアにおける「LAMP」とは、Webアプリケーション開発や運用のためのオープンソースソフトウェアの組み合わせを指します。
LAMP登場以前のソフトウェア開発環境は、現在に比べて選択肢が限られており、多くの場合、コストが高かったり技術的なハードルが高かったりしました。
1990年代初頭まで、UNIXベースのシステムがエンタープライズレベルで広く利用されていました。これには、Sun MicrosystemsのSolarisやIBMのAIXなどがあり、これらのシステムは高価でありながら強力なサーバーとして機能しました。
OracleやIBM DB2などの商用データベースが一般的で、これらは高価なライセンス料が必要でした。MySQLのようなオープンソースのデータベースが広まる前は、大規模なデータ管理には高い投資が必要でした。
Webアプリケーションにおいては、CGI(Common Gateway Interface)スクリプトが利用されていました。これにはPerlがよく使われており、サーバーとブラウザ間のデータ交換を扱っていました。しかし、CGIはプロセスごとに新たにスタートするため、スケーリングには不向きで、リソースを大量に消費する傾向がありました。
Apache登場以前は、NCSA HTTPdのような初期のWebサーバーソフトウェアが利用されていましたが、設定や管理が複雑で、今日ほど柔軟ではありませんでした。
フロントエンドの開発では、HTMLが基本的であり、JavaScriptが登場し始めたばかりで、CSSはまだ普及していませんでした。このため、デザインと機能性は限られており、ユーザー体験は今日見られるようなリッチなインタラクティビティには程遠いものでした。
LAMPスタックの登場は、ソフトウェア開発とインターネットのWebサービスの領域に大きな変革をもたらしました。
以下に、その主な影響を挙げます。
LAMPスタックの各コンポーネント(Linux, Apache, MySQL, PHP/Perl/Python)はオープンソースであり、無料で利用可能です。
これにより、企業や個人開発者は高額なライセンス料を払うことなく強力なWebアプリケーションを構築できるようになりました。
この低コストのアプローチは特にスタートアップ企業や小規模プロジェクトに大きなメリットをもたらし、革新的なアイディアが資金の制約なく試される土壌を提供しました。
LAMPスタックは、その設置と運用のしやすさから、多くの開発者に受け入れられました。
オープンソースであることから、コードのカスタマイズや改良が可能で、コミュニティからのサポートも豊富でした。
これにより、Web開発の敷居が大きく下がり、より多くの人々が開発活動に参加できるようになりました。
Apache Webサーバーは、高いカスタマイズ性と拡張性を持っており、MySQLは大規模なデータセットでも高性能を発揮することができました。
PHPは動的なWebページの生成に適しており、これらの技術が組み合わさることで、性能が要求される大規模アプリケーションも効率的に運用可能になりました。
LAMPスタックの普及により、Web開発プラットフォームとしての成熟が進み、企業や開発者は、安定した基盤の上でさらに複雑なアプリケーションを構築することが可能になりました。
これにより、電子商取引、コンテンツ管理システム(CMS)、およびその他多くのWebベースのサービスが急速に広がりました。
低コストかつ高機能な開発環境が広く利用可能になったことで、新しいタイプのWebサービスやビジネスモデルが登場しました。
LAMPを基盤とする多くのスタートアップが、業界に新風を吹き込み、既存の市場構造を変革する原動力となりました。
LAMPスタックの影響は、テクノロジー業界全体において、コストの効率化、アクセスの拡大、そしてイノベーションの加速という形で現れました。
いまから10年ほど前、初めて「人工知能(AI)」という言葉を聞いたとき、正直なところ、私はたいして興味を持てませんでした。ニュースや雑誌などで、「近い将来、AIが人間の仕事を奪う」とか「自動運転が当たり前になる」などの特集が組まれていても、当時の私はどこか他人事のように感じていたのです。なぜなら、それまでの人生で「AI」などという最先端の技術に触れる機会はほとんどなく、自分の日常に結びつけて想像することが難しかったから。正直、「そんなに早くは普及しないだろう」と楽観的に思っていました。
しかし、それから数年が経ち、スマートフォンを買い替えるたびに「音声アシスタント機能」が進化しているのを体験し始めてから、私の中でAIという存在は少しずつ身近なものとして意識されるようになりました。最初は「どうせ大したことはできないだろう」と思いながら試しに使ってみたところ、「近くのカフェを探して」「明日の天気は?」といった問いかけに対して、瞬時に的確な答えや地図情報を返してくれる。ちょっとした会話のようなやりとりもできる。これには正直、驚かされました。
その頃はまだ、「便利だけれども、あくまで“おもちゃ”の延長のようなもの」という感覚だったのですが、さらに数年経つと、AI関連のサービスや機能が私の生活に溶け込んでいることに気づきました。たとえば、ネットショップでの商品のレコメンド機能です。以前は「おすすめ」といってもあまり精度が高くなく、「どうしてこれを薦められているのだろう?」と思うことが多かったのに、いまでは「自分が欲しがりそうなもの」をしっかり見抜いており、うっかり買ってしまうこともしばしばあります。それが嬉しいような、怖いような、不思議な気持ちでした。
しかも、その「AIレコメンド」は私の行動を学習し、時間が経つほどにおすすめ精度が上がるというのです。これこそ、いわゆる“機械学習”の成果なのだと聞くと、最先端の技術が私たちの何気ない日常に深く入り込んでいるのを実感せざるを得ませんでした。
さらに私の職場でも、AIの存在は一気に大きくなりました。私は以前から営業関連の仕事をしていたのですが、最近では「顧客データの分析」や「需要予測」の分野でAIを活用するケースが増えています。上司が「AI導入で業務効率を上げる」と意気込む横で、私は「そんなにうまくいくものだろうか」と懐疑的でした。というのも、過去の私はExcelや独自の分析ツールを使って自分なりに顧客動向を予測していましたが、その結果が大きく外れることも少なくなかったからです。
しかし実際にAIを使い始めてみると、膨大なデータを瞬時に処理し、私が気づかなかった小さな傾向やパターンを見つけ出してくれるではありませんか。初めのうちはAIの結果に半信半疑だったのですが、何度かテストを繰り返すうちに、その精度の高さに感服しました。以前は何日もかけて、あるいは時には自分の「勘」に頼っていた分析が、いまではAIによって高速かつ正確に行われるようになったのです。
こうして仕事の現場でも、私の生活の中でも、徐々にAIが入り込んできたと思っていた矢先、決定的だったのは「対話型AI」の登場でした。インターネット上で入力した問いかけに対し、まるで人間のような自然な文章で返答してくれる。最初にこの技術を知ったときは、真偽を疑うレベルで衝撃を受けました。実際に使ってみると、その回答の的確さや文章の流暢さは、まさに“機械が喋っている”というよりは“人間と会話している”感覚に近いのです。もちろん、まだまだ粗削りな部分や、間違った情報を示すケースもあるのですが、それでも「ここまで来たのか」と感慨を覚えました。
とくに私が驚いたのは、これらの対話型AIが「文章作成」や「翻訳」、「アイデアの提案」といったクリエイティブな領域にまで踏み込んでいることです。私自身、仕事でプレゼン資料を作る際に、対話型AIを使ってキーワードや構成のヒントをもらうことが増えてきました。恥ずかしながら、頭の中でなかなかアイデアがまとまらないとき、ちょっとAIに尋ねてみると「なるほど、そういう考え方もあるのか」と新しい視点が得られたりするんです。昔ならば一人で悶々と考え、ネットの検索エンジンを使っても結局は似通った情報ばかり……という状況に陥ることがしばしばありました。ところが、いまではAIが発想のヒントを「文章」という形で提示してくれるので、自分が思い描いていた以上にアイデアが広がることがあるのです。
また、クリエイティブと言えば、画像生成AIの進歩も目覚ましいですね。これまでデザインのソフトを使いこなせずに苦労していた私のような人間からすると、「こういうイメージの絵が欲しい」と要望を入力すれば、それに近い画像を生成してくれるなんて、未来の話のようでした。もちろん、プロのデザイナーやクリエイターからすれば、現段階ではまだ微妙なところもあるのでしょうが、それでも一般ユーザーからすれば十分に魅力的で、遊び感覚でも仕事上のアイデア出しでも使えるツールになっています。
こうして振り返ってみると、AIはいつの間にか私の生活のさまざまな場面に入り込み、役立ってくれていることに気づきます。スマートフォンの顔認証も、カメラの撮影モードの自動判別も、あるいはメールのフィルタリング機能も、みんな大なり小なりAIの力を借りて動いています。仕事でもプライベートでも、「AIに任せておけばとりあえず間違いない」という安心感が、少しずつ育ってきているのかもしれません。
そして同時に、これほど便利なAIがこれから先どう進化するのか、想像するとワクワクすると同時に、ほんの少しの不安も感じるようになりました。便利さを享受する代わりに、私たちはAIに多くの個人データや行動パターンを預けているわけですから、もしそのデータが悪用されたり、誤った使われ方をしたりするリスクも存在します。
しかし、少なくとも現時点では、私はAIの発展を前向きにとらえています。ほんの10年前には「こんなことにはならないだろう」と高を括っていた私が、いまやAIなしでは考えられないくらい、多くの恩恵を受けているのです。しかも、技術はまだまだ進歩の途上らしく、5年先、10年先には想像を絶するサービスやプロダクトが当たり前になっている可能性があります。自動運転の車が普通に街を走り、医療現場では正確な診断をAIが補助し、教育現場では生徒一人ひとりに合わせた学習教材をリアルタイムで提案するような未来がやってくるのかもしれません。そう考えると、「私が生きている間にこんなにAIが普及するなんて、誰が予想しただろう?」と改めて驚きを禁じ得ません。
もちろん、AIに任せきりにするのではなく、あくまで人間の意志や倫理観をコントロールの舵取りとして残しておくことが重要なのは間違いありません。どれだけAIが進化したとしても、最後に物事を判断し、責任を負うのは人間です。私自身、仕事や日常生活でAIを活用しながらも、「最終的にどう行動するか」は自分で決める、という意識を忘れないようにしています。
とはいえ、日常のあらゆる場面に当たり前のようにAIの手が入るようになった今、本当に「こんなに普及するとは思わなかった」という気持ちでいっぱいです。わずか10年ほどの間に、まさにSF映画のような世界が少しずつ現実化してきているのを目の当たりにしているのですから。次の10年、20年後には、いま以上に私たちの常識を超える技術が生まれていることでしょう。AIはただの流行やブームではなく、今後も確実に社会や生活様式を変革していく核となる存在になっているのだと、今なら素直にそう思えます。
思えば昔は、スマートフォンひとつとっても、「こんな小さな端末で何でもできるようになるなんて」と感動したものですが、その何十倍ものスピードでAIが私たちの暮らしを変えつつあるのかもしれません。私はこれからも、急速に進化するAIの波に戸惑いながらも、その可能性に期待し、上手に付き合っていきたいと考えています。今の私に言えるのは、「AIの普及を甘く見ていてごめんなさい」という一言と、それを超えるくらいの未来への期待だけです。振り返れば、本当に驚かされることばかりでした。今後どんな技術が生まれるのか、どんな便利なサービスが登場するのか、胸が高鳴る思いです。いつかまた数年後、「あのときはまだまだ序章に過ぎなかったんだなあ」と懐かしく振り返る日が来るかもしれません。
「目が2つついててアンテナがあればガンダム」というおハゲ様の定義から別に外れてないのに、
よく見るとすげえ異質感があるデザインになってるな
2つと言っても複眼っぽいし、たいへん昆虫みがある
――ありがとうございます。最後に個人的な質問になってしまうのですが、Dansereauさんが手掛けたデザインの中で一番のお気に入りについてお聞かせください。
環境まわり、特に「植生」のデザインですね。実際に見て学ぶべく、フィールドトリップとして日本に来たとき、最初に印象に残ったのは植生の密度でした。これを是非ゲームに反映させたいと思い、どのようにして実現するか?という試行錯誤が始まりました。
(中略)
多くの苦労がありましたが、私たちはこれを達成することができました。ゲームのスクリーンショットや動画を見ていただければわかると思いますが……季節によって変化する、非常に密度の高い植生と環境を実現できたことが本当に嬉しい。プレイヤーの皆さんに実際にプレイしてもらえるのが待ちきれませんね。
ニューバランスなんてっ!
履いてるとバカにされたんだよ?
それが今やどう?
でも!
でも!!
うわわーーん!!
でも!
そこでっ!
調べました!
すると、2014年の時点でニューバランスの復権は起こっていたみたいですね。
https://elastic.seesaa.net/article/435888081.html?amp=1
なるほど!
ニューバランスはデザインをアップデートしたから、ダサくなくなったんだ!
じゃあ、今のニューバランス履くのは、抵抗感じなくていいんでは????
と思いつつ、やっぱり履けない。
悲しい。
著作権や肖像権的に問題のある出力を避けたければ、そもそも問題になるデータをデータセットから外すしかないので、特定絵師に似て揉める例が怖いなら全部許諾取ってる物を使うしかない。
自分が知らないだけの有名絵師に似てしまう問題は避けられない。
※みんなの反応に別の増田で返信したので良かったら見てね
https://anond.hatelabo.jp/20250127024139
もともとゲームが好きで、以前は仲の良いフレンド達といろんなゲームをDiscordで通話しながらやっていたのだけれども
仲良くなるにつれて「私がお勧めしたゲームを貴方は買ってくれない」ってメンドクセーことを言われたり
その他にもなんか仲良くなった故に見えてきた醜い部分みたいなのが出てきてしまったので、自身が好きに遊べそうなゲーム配信に切り替えてみた
まだ始めて1週間程度だけど、正直こっちの方が好きかもしれない
もともと見る専だったので投稿者としての活動実績は0で、無名かつ宣伝活動とかそういうのを一切してないので、偶然見つけてくれた人達がコメントくれる感じの配信
基本的に3時間を目安に配信していて、最初の1時間ぐらいはいつも視聴人数0人の状態で喋りながらゲームをしてる。コメントが0でも3時間喋り続ける自信アリ
Vの者ではないし、そもそも男だし、滑舌も良くないので、自分の配信を見直すと自分でも聞き取れない場面があるので滑舌を良くするトレーニングを始めた
視聴者の人に教えてもらってXのアカウントは開設したけど、どういう風に扱えばいいのかが分からないので告知と配信終えた後の感想を呟くアカウントになってる程度にはSNSに疎い
一応ターゲット層は20代~30代ぐらいの男性、ゲーム好きを対象として、主軸のゲームは視聴者も参加できるタイプのPvPゲーム
軽くやってみた感想としては以下が良いなと思った
・自分の考えを言葉に出したりクソデカリアクションをしても問題ない(通話しながらだとたまにリアクションがデカすぎて怒られた)
・コメントが来るとなんか嬉しい
・複数の人が何回も顔を出してくれるのでなんか嬉しい
・配信画面を飾り付けたり、一時休憩の画面を作るのが楽しい(物を組み立てる時のワクワク感がある)
・目に見える形で数字が増える(フォロワーやコメント数、同時視聴人数とか)ので楽しい
・あわよくば副業にできる(期待はしてない。できたとしても1年後とかだろうからコスパが悪い)
逆に良くないと思う点もちょっとあった
・気が付いたら数時間経ってる(視聴者の悪ノリに付き合ったら最長で9時間ぐらい配信してた)
・気軽に始めるには配信機材が高い(配信用に1万6000円ぐらいのマイクを新調した)
・たまにめんどくせえコメントがある(ネタかと思ったら本気で書いてそうな〇〇よわいよ ○○しなよ等)
・どうしても視聴者数が気になる
・1週間の時点で話すネタが無い(マッチング~ゲーム開始まで間がもたない)
・規模を拡大しようとすると横の繋がりが大事らしい(これが一番気に入らない)
冒頭にも書いた通り、始めて1週間程度にも関わらず何回も顔を出してくれる方が複数人居るので
そういう人達が居るだけでも全然違うんだなと配信する側に回ってメチャクチャ強く実感した
少しコメントして去っていく人も居れば、ゲームに参加したいだけの人も居るし
なぜか自国の言葉を日本語にわざわざ翻訳して、それをコメント欄に打ち込んでコミュニケーションを取って参加してくれる外人も居る。しかもちょっと日本語が上手い
みんなそうやって千差万別なので、できるだけ人を呼び込もうとすると、結局のところ人を集める為の人を集めるのが一番手っ取り早いんだなと配信してみて気づいた。一休さんかよ
ただ性格的に一人でも喋れるような人間だったのと、運と縁に恵まれて強い孤独感を特に感じないので
ネットに転がっている主張ほど辛いものか?と聞かれると個人的にはそうでもない感じがしている。もちろん誰も来ない時間は少し寂しい
子供向けアニメというか、子供向けのフォーマットで作られた映像作品全般、基本的にはスポンサーである玩具メーカーが商品を売るためのプロモーションという目的は、絶対に無視できない。
おかげさまで初代ガンダムは後年「ガンプラ」という言葉を生み出すくらいの、まあ歴史的大成功だったわけだ。
そんな1stの後光にあやかり、当時のバンダイはMSVまで出してガンプラを推しまくってきた。
そこに突如として登場したのがマクロス。
「マクロスに対抗して変形メカを目玉にガンダムの新作出せ(主役のガンダムが変形するのは暗黙の了解)」
→お富さん「だからガンダムはあれでおしまいなの!そもそもアニメはおもちゃ屋の宣伝映像じゃねえ」
というやりとりからZガンダムが出来上がったという噂が、未だにファンの間で囁かれているが、それが信憑性を帯びて伝わるくらい、実際Zガンダムの逆張りっぷりはすごい。
ざっと挙げるだけでも
結果的にマクロスが今もなおシリーズを通して堅持している「オタクの好きなもの全部入り」というコンセプトに対しても、カウンターになるようなアニメになったと。
しかもお富さんがすごいのは、Ζをバッドエンドにした埋め合わせをするかのように、続編としてグッドエンドのΖΖを作り、更にトゥルーエンドに当たる逆シャアを作ったところ。