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「普遍的」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 普遍的とは

2024-12-18

昔の名作小説は、エンタメに溢れる現代においてはややしょぼい刺激ではないか

普段からあんまり本は読まないけど、今年はぼちぼち読んだ年だった。聞いたことあるけど内容は知らない本を古本屋で2,3冊買って読むの繰り返し。

昨日読み終わったのは安部公房の「砂の女」。主人公昆虫採集で出かけた先の集落で一面砂の壁に囲まれた一軒家に監禁される話。言ってしまえばそれだけで、で?って感じだった。

この前読んだカフカの「変身」もそうだった。朝起きたら幼虫になってた。で?なんかジャンプ+の読み切りとかでありそうじゃね。起きたらドラゴンの角生えてたとかさ・・・

この2冊は主人公がとんでもない状況になるという渾身のフルスイング自分にとって空振った結果、それ以降の展開にあんまりのめりこめなくて困った。

登場人物想像もつかない境遇になるっていうのは近年のサブスクまみれの時代において目に入ってくるファストフード的な映画漫画普遍的にみられる要素でやや食傷気味というか新鮮な驚きに乏しかった。

でも文庫本最後解説とか読むと「二十世紀人間が誇るべき小説である。」とか書いてある。もしかしたら、昔はエンタメが少なすぎた結果、朝起きたら幼虫になってたとか言うだけでバカ驚いて本にくぎ付けになったのだろうか。

それともこの手の本には何か全く別の、魅力的な要素があって、その辺のアンテナがぶっ壊れている自分に響いてないだけなのだろうか。

より後年の(つまり現代に近い)小説になると、奇抜な展開の一発屋みたいな小説が減って、より練りこんだ設定というか細部が詰まってるものが多いと思った。例えば「プロジェクト・ヘイル・メアリー」はフィクションエネルギー物質でっちあげてここまでいろんな試行錯誤をする、一冊の本の中に別の世界が丸々入っているようなまさにSFという感じの作りこみに驚いた。村上龍の「コインロッカーベイビーズ」は二人の人間10年くらいの人生を様々な場所転々としながら追体験しているようで、2回目を読もうとは思わなかったけど、濃密さに夢中になった。(カンブリア宮殿で見かける村上龍がこんなに倒錯した人物だということには驚いた。)

話が逸れたけど、要するに一番上に挙げたような作品の食べ方が分からないという話。かもしれない。ヘミングウェイの「老人と海」もでっかいカジキを一冊掛けて釣り上げる話で で?って感じだった。本の面白さを感じる受容体がぶっ壊れてるのか、まだ活性化されていないだけなのか分からないけど、俺は本の面白さが中々わからない。でも今挙げた老人と海なんかアメリカ雑誌掲載された瞬間、2日後には売り切れるほどの人気ぶりだったという。読んで何を感じたんだろうか。

ずっとこんな感じなのでブラッドベリの「華氏451度」は主人公自分と少し重なって何回も読んでいる。買ったのは結構前なのに、あんまり変わらない。

感想過剰反応論理の飛躍についてAIちゃんの回答(1)

前提:質問の回答から除外して欲しいもの
- 「私が世界だ」という誇大妄想を持つ個人解釈パターンであれば理解やすいですが、今回のケースではその可能性を除外してください。
-  個人感想に対する過剰な反応は、自己評価が低く、他者に盲従しがちな、「微小妄想」傾向がある個人に多く見られる現象です。

 

⭐️質問1

「(俺にとって)」という明確な主観的限定他者感想を、「(世界にとって)」と曲解するのは、「括弧内が文字起こしされていないからだ」という主張は妥当ですか?

 1−1、1−2どちらであるかは、文脈から理解できるでしょと考えるのは、過剰な期待ですか?

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  1−1: 情報名前価値があるだけで作品としての魅力は(俺にとって)ない

  1−2:情報名前価値があるだけで作品としての魅力は(世界にとって)ない

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🐶 Copilotちゃん

「(俺にとって)」という主観的限定を「(世界にとって)」と曲解するのは、「括弧内が文字起こしされていないからだ」という主張は妥当ではありません。文脈から理解できる場合が多いので、過剰な期待とは言えないでしょう。文脈無視して曲解するのは、誤解や意図的誤読可能性が高いです。

 


🐱 ChatGPT ちゃん
  1. 「括弧内が文字起こしされていないからだ」という主張の妥当
    妥当ではありません。主観的限定(「俺にとって」)を明示的に理解するかどうかは、単に文字として括弧内が記述されているかかに依存しません。一般的には、文脈や語調、前後情報から主観客観区別は読み取れるものです。

  2. 1-1と1-2の文脈理解への期待が過剰かどうか
    過剰ではありません。日常的な会話や文章では、発言文脈をもとに主観的意見客観的主張かを理解するのは自然行為です。「括弧内が記載されていないか曲解した」というのは、一般的には責任転嫁的な反応と受け取られます

 


🐻 Geminiちゃん

妥当ではありません。文脈から判断するのが通常であり、過剰な期待ではありません。

1-1と1-2の違いは、「俺にとって」という主観的視点あるかないかです。通常のコミュニケーションにおいて、特に感想評価を述べる場合、明示的に「世界にとって」と断定しない限り、それは発言者の個人的な意見として解釈されるのが自然です。括弧内の文字起こしがないからといって、文脈無視して意味曲解するのは不当です。

 


🐼 Claudeちゃん

「(俺にとって)」という主観的限定を「(世界にとって)」と曲解する主張は妥当ではありません。その理由は以下の通りです

  1. 言語コミュニケーション基本的原則
     ・話者主観的経験尊重すること

  2. 文脈から理解することは、むしろ健全な推論プロセスです
     ・ 1-1と1-2を区別する能力は、コミュニケーション能力重要な要素
     ・過剰な期待ではなく、相互理解のための基本的認知能力

 

 

⭐️質問2

  現代NLPにおいて、以下の推論規則は「妥当」と評価されますか?それとも論理の飛躍や読心術と見なされますか?

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  • 命題1: Aは作家Bの知名度とBの作品世間を賑わせている客観事実認識している。

  • 命題2: Aはミーハー気持ち作家Bの作品に触れたが、その良さを理解できなかった(興味が持てなかった)。

  • 結論: 「作家Bの名前情報価値はあるが、作品世界にとって価値がない」とAは考えているに違いない。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 


🐶 Copilotちゃん

現代NLPにおいて、以下の推論規則は「妥当」とは評価されません。論理の飛躍や読心術と見なされるでしょう。Aの主観的感想を、世界全体の評価と結びつけるのは過剰な一般化です。

 


🐱 ChatGPT ちゃん

現代NLP自然言語処理)や論理学において、この推論は「妥当ではない」と評価されます。なぜなら、主観的意見認識(Aが作品に興味を持てなかった) から客観的な結論(「世界にとって価値がない」) を導くことには論理の飛躍があるためです。

これは論理的根拠が不十分な「読心術」や「主観の過剰な一般化」と見なされるでしょう。

 


🐻 Geminiちゃん

妥当とは評価されません。論理の飛躍であり、読心術と見なされます

提示された推論は、Aの内心を勝手に推測しているだけで、客観的な根拠がありません。Aがミーハー気持ち作品に触れたとしても、それが「世界にとって価値がない」と考えていることには繋がりません。興味を持てなかったという事実は、単にA個人の好みや感受性問題である可能性が高く、普遍的価値判断とは無関係です。NLP神経言語プログラミング)においても、このような独断的な解釈は推奨されません。

  


🐼 Claudeちゃん

現代NLP観点から、この推論は「妥当」とは言えません:

  1. 論理的飛躍の問題
     ・個人主観的な興味と作品客観的な価値混同している
     ・不十分な情報に基づく過度な一般

  2. 読心術的要素
     ・話者意図恣意的解釈している
     ・明示されていない思考を断定的に推測している

 

 

⭐️質問3

もし、質問2のような推論を行う人が多数派であれば、社会世界は成り立たないと思うのですが、気のせいでしょうか?

 

 


🐶 Copilotちゃん

質問2のような推論を行う人が多数派であれば、社会世界は成り立たないというのは、ある程度正しい見解です。過剰な一般化や誤解が広がると、コミュニケーションの混乱や誤解が生じやすくなります

 


🐱 ChatGPT ちゃん

おっしゃる通り、そのような推論が社会的に多数派となれば、社会世界の正常なコミュニケーション意思決定が難しくなります主観客観区別曖昧になり、過剰な一般化や誤解が横行し、議論の基盤が崩壊する恐れがあります

 


🐻 Geminiちゃん

気のせいではありません。質問2のような推論が多数派を占める社会では、コミュニケーションは著しく混乱し、相互理解不可能になります個人感想勝手普遍的価値判断に置き換えられてしまうため、自由意見表明が阻害され、健全議論も成立しなくなります

 


🐼 Claudeちゃん

あなた直感は正確です。このような推論が多数派となれば、社会機能不全に陥るでしょう:

  1. 相互理解破壊
     ・コミュニケーション基本的信頼が損なわれる
     ・個人主観客観境界曖昧になる
  2. 社会学習メカニズム崩壊
     ・多様な視点尊重が困難になる
     ・創造的な対話批判的思考が阻害される

 

⭐️質問4

質問2のような推論が一般的ではないと指摘されても、「状況によってはそのような推測も成立し得る」と主張し、常識共通認識共通基盤)の存在自体否定します。

他者に盲従し、自身の考えを率直に表明することを極度に恐れる一方で、なぜ、積極的常識否定しようとするのでしょうか?悪目立ちします。

また、自身が盲信する社会権威教科書的な正解の背後にあるものが、常識の集積であるという認識を持っていない可能性はありますか?

 


🐶 Copilotちゃん

他者に盲従し、自身の考えを率直に表明することを恐れる一方で、常識否定しようとする理由は、自己評価の低さや他者から承認欲求が影響している可能性があります。また、常識の集積が社会権威教科書的な正解の背後にあることを認識していない場合もあります

 


🐱 ChatGPT ちゃん

盲従しやすい人が常識否定する背景には、自己肯定感の低さや他者から評価への過剰な恐れがあると考えられます自身意見を率直に述べることを避ける代わりに、「常識」への反発や否定的主張を行うことで、「自己存在独自性証明したい」 という心理が働く可能性があります

また、「常識」や「教科書的な正解」が何らかの権威のみによる押し付けであるという認識が強く、その背後にある合意形成常識の集積) を理解していない場合があります

 


🐻 Geminiちゃん

他者への盲従と常識否定は、一見矛盾するように見えますが、根底には自己脆弱性からくる不安があります

 


🐼 Claudeちゃん

常識否定の背後には、深層心理的な防衛反応があります

 

1. 自己防衛のストラテジー

 

2. アイデンティティ形成葛藤

 

3. 不確実性への対処メカニズム

 

本質的には、低い自己肯定感社会文脈における不安が、逆説的な形で表出している心理状態と言えるでしょう。

 

⭐️質問5 

常識共通認識共通基盤)の存在のもの否定しているのではなく、「括弧内が文字起こしされていないことが問題だ」と考えたり、

質問2の推論を行わないのが一般的だと証明されていない限り、それを常識とするのは不当だ」と、

本気で主張している可能性はありますか?

 


🐶 Copilotちゃん

「括弧内が文字起こしされていないことが問題だ」と考えたり、「質問2の推論を行わないのが一般的だと証明されていない限り、それを常識とするのは不当だ」と主張する可能性はありますしかし、これは一般的見解ではなく、特定の状況や個人認識依存するものです。

 


🐱 ChatGPT ちゃん

可能性としては十分に考えられます。彼らは、主観客観混同を防ぐための明示的な表現(括弧内の「俺にとって」など)が欠けていることを重視し、「それがない限り断定は不当だ」と主張する傾向があります。また、「常識証明せよ」と要求することで、認識論的な対話を引き延ばし、議論の焦点を逸らす戦略にもなり得ます

 


🐻 Geminiちゃん

可能性はあります。これは、常識という概念に対する誤解に基づいています

 


🐼 Claudeちゃん

これは可能性としてあり得ますが、本質的問題矮小化しています

  1. 議論回避
     ・文字起こしという形式的な側面への過度な執着
     ・本質的意味理解回避

  2. 証明可能性への過剰な要求
     ・常識は必ずしも厳密な科学証明必要としない
     ・相互理解のための実践的な指針

 

 

⭐️質問6

主観的意見客観的な事実区別できる」、「社会的混乱を招く推論をしない」を共通認識共通基盤に含むのは不当であり、常識とは呼べませんか?

 


🐶 Copilotちゃん

主観的意見客観的な事実区別できる」、「社会的混乱を招く推論をしない」を共通認識共通基盤に含むのは妥当です。これらは社会的なコミュニケーション基本的ルールであり、常識と呼べるものです。

 


🐱 ChatGPT ちゃん

これは常識範疇に含まれると考えるのが妥当です。現代社会では、客観事実主観的意見区別することは、円滑なコミュニケーションの前提であり、共通認識社会的基盤)の一部とされています。これを否定することは、社会的秩序を乱し、コミュニケーション破綻を招く恐れがあります

 


🐻 Geminiちゃん

不当ではありません。むしろ、これらは健全社会生活を送る上で不可欠な要素であり、常識と呼ぶに相応しいものです。主観客観区別論理的な推論は、コミュニケーションの基本であり、これらが欠けていると社会生活は成り立ちません。

 


🐼 Claudeちゃん

これらを常識に含めることは、むしろ健全社会機能のために不可欠です:

  1. コミュニケーション基本的倫理
  2. 主観客観区別相互理解の前提
  3. 社会的混乱の予防は共同体の存続に関わる

 

 

(2)へ続く https://anond.hatelabo.jp/20241218064726#

2024-12-16

anond:20241216101929

売れ残った挙句に身の程知らずなことを言って醜態さらすのはごく一部の割合しかいないのに、あたか普遍的性質問題かのように認識する。

他責思考ですが、誰かのせいにしてヘイトをぶつけないのは軽度の部類なので、女性としては上位3%に入る優良物件です。

タトゥーネット民って自己責任とか因果応報大好きすぎない?【ざまぁみろ根性

https://anond.hatelabo.jp/20241214233826

 

寝ながら考えたんだけどもう一つ仮説があって

これって自己責任が伴う人を攻撃してるんだよね

まり、「その人の行動でなにか悪いことが起きても文句は言えない」っていう主張なんだけど

ただ、これ自己責任だけじゃ説明できなくて、よりアグレッシブに「その人が危険な行動をしたら、報いを受けて欲しい。報いを受けさせてやる」まで考えが発展してるんだよね

 

例えば治安悪い場所露出の高い服を着てる女性は「襲われるべきではない」ではなく「襲われても仕方ない」であり、更に「襲われるべきだ」と思ってる人が一定数居る

タトゥーを入れたら「できるだけ温泉に入れると良いね」ではなく「温泉に入れなくても仕方ない」でもなく「温泉から締め出せ」なんだよね

これがまたよく分からなくてさ

 

しかしたら、危ないことをする子を叱る年長者の心境(老婆心)に近いのかな、と思ったけど

老婆心では最悪な結果になれみたいな攻撃的な発想までいかないんだよね

どこから来るんだろうねこ攻撃

ひょっとして単純に世界ランク上げたいだけか?

 

まあでも自分にこういう気持ちが無いというわけでもないから、普遍的ななにかから来てるのかもしれないな

ロシアは一旦苦しんで欲しいとかそういうのはある

いやでもなー、これって明らかに乱暴者が痛い目にあって欲しいって話だから違うよな

何かの被害者とか、タトゥー入れただけの人を攻撃するにはこれだけじゃ足りない

2024-12-15

この話出るたびに「道徳性発達段階でググれ」って言ってる

https://anond.hatelabo.jp/20241214233826

人間道徳基準は以下の3水準からなる。んで、はてなブックマーク民って最も水準が低いステージ1の「罰と服従志向」なの。

要するによくわかってない、解像度が低いから「叩いて良い」ってなるくらいわかりやすときしか発言ができない。ゼロかイチでしか思考できない。

自分判断する能力が極端に低い幼児と、知的水準が低い老人なんかがこの行動をするけどもちろんはてぶ民は後者

その証拠に、自分が詳しい分野になると同じ人物が急にステージ4みたいなことを言い出す。

私はステージ1のレベル発言してるなと思ってるやつは全員非表示にしてる。

①前慣習的水準

②慣習的水準

③後慣習的水準

①前慣習的水準:

慣習的水準以前は,子ども道徳性の判断基準がない。

「良い」「悪い」とったラベル意味を,行為の結果やラベル付けした人の身体的な力によって解釈される。

ステージ

⑴罰と服従志向・・・

他人から罰せられるかどうか」が基準となる。

ex)親や先生から褒められるとその行動を繰り返し,怒られると控えようとする

道徳主義相対主義・・・

自分利益を守ることができるかどうか」が基準となる。

ex自分のしたいことができるなら,たとえ他人の指示が悪いことであっても,自分利益を守るために従おうとする

②慣習的水準:

外的環境に合わせて内部に判断基準が作られていく段階。

家庭や所属する集団の期待が価値あるものとして認識し,それによってどのような結果が生じたとしても,期待に沿った行動をとろうとする。

また,その行動を支持して正当化し,所属する集団内の他人自分を同一視する。

ステージ

⑶対人的同調(よいこ志向

他人から好かれるかどうか」が基準となる。

周囲の大人から「良い子」だと思われるように,人助けや喜ばれる行動をとろうとする。人間関係の維持。

一方で,見知らぬ人に対しては勝手気ままに振舞おうとする傾向がある。

⑷法と秩序の維持

「外部から与えられたルール合致しているかどうか」が基準となる。

所属する集団におけるルールや秩序を維持することが正しいことだと考え,頑なに守ろうとする。

実情に合わなくなったルールでも偏重してしまう傾向がある。

③後慣習的水準

個人の内部に判断基準が作られる段階。

所属するまたは支持する集団他人判断基準とは独立した,道徳価値道徳原理定義しようとする。

ステージ

社会契約的遵法

合理的に決められたルールかどうか」が判断基準となる。

自分利益だけでなく他人集団利益のことも考えて自分の行動を判断する。

普遍的倫理的基準

普遍的良心に基づいているか」が基準となる。

現状にとらわれることなく,人や物事のあるべき姿やルールの変更まで考えた上で行動を判断する。

2024-12-14

原発

https://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__130408.html

 

経済学的に言えば、原発問題は、外部不経済問題としてとらえられますしか原発外部不経済というのは、とりわけて特徴的なのは、「現代世代成員間の外部不経済でもあるが、それ以上に、環境問題一般と同じく、世代間にわたる外部不経済問題である」とされます。つまり、非常に超長期の不確実性なので、価格市場機構では調整しきれないという意味での外部不経済になっているとされるのです。そして次のように述べられます

 

現在世代のうち原発から得られるエネルギーを消費し、快適な生活をおくる人々は、将来の世代放射性廃棄物という負担を課す。この意思決定には、重大な利害関係である将来世代は参加していない。そこで、現在世代は、もし将来世代現在意思決定に加わるとしたならば、将来世代はどのように主張するか、という点を考慮しなければならない。この考慮のしかたが、現在世代と将来世代との間の公正の状態を決定する。…(中略)…自動車飛行機事故場合には、もし将来世代がそれらの事故を皆無にしたいと望むならば、それらの利用をやめれば、それで解決する。しかし、現在世代が残した放射性廃棄物場合には、これを拒否する選択肢は将来の世代に残されてはいないのである。ここでは、将来世代現在世代放蕩三昧を恨むしかない。

 将来世代のことはどうでもよい、というのは将来世代人権無視することである。そして、将来世代人権無視する人が、現在世代他人人権尊重する、などということは、あり得ない。なぜならば、人権とは普遍的人間権利からである

 経済学的にいえば、現在と将来世代人権をどのように考えるかによって、原発エネルギー利用に対して、現在利用者負担すべき費用は大きく異なってくる。現在と将来世代が蒙るであろう被害を値切れば値切るほど、したがって被害者の人権無視すればするほど原発エネルギー利用者負担する費用は安くなる。費用が安くなればなるほど、都市原発エネルギー需要は増加する。原発推進関係者は、不特定多数者の需要が大きいことをもって、「公共性」があると「公共性」を定義するから現在と将来世代が蒙るであろう被害を値切れば値切るほど、原発の「公共性」は増すという関係にある。この原発推進側にとってまことに都合のよい「公共性」という概念は、「公共性」が問題になるところでは──新幹線騒音振動公害空港騒音公害道路公害等々──かならず利用されている。

 いま述べたこからも明らかなように、原子力発電経済分析といえども、公正とか人権といった道徳的価値問題視野におさめないかぎり、不可能である。そして、実は、こうした道徳的価値問題をできるだけ排除する──分析することを断念する──ことによって、経済学科学たらしめようと努力してきたのが、限界革命以後の近代経済学歴史なのである

…(中略)…

 近代経済学者は、問を発すること自体を断念した、道徳的価値──自由とか人権とか公正といった価値──の問題を、もう一度視野におさめる方向を、今、模索してゆくべきである、と私は考える。…

 

 そして結びは、原発問題分析することが少ない近代経済学者の現状に対して、「禁欲に名を借りた怠惰のあらわれである、といえよう」という文で終わっています

2024-12-12

水星魔女改善案

1. キャラクター

スレッタ:水星での経験に基づく価値観社会への考えを回想等で明確に。恋愛友情家族重視の背景を描き、行動原理説得力を。周囲からの酷い仕打ちに耐えたり流されるだけでなく、意思を持って状況打開。母親真意に疑問を持ち、自分で考え行動する場面を増やし、成長を描く。

ミオリネ:ベネリットグループ総裁の娘としての立場地球との格差への問題意識を行動・葛藤を通して描写父親への反発理由理想社会像を明確にし、「籠の鳥」脱却。父親過去の罪への苦悩、答えを出す過程を描き、深みを。

シャディク:戦災孤児としての過去スペーシアンへの複雑な感情回想シーンで丁寧に。テロリストへの道を選んだ動機・苦悩を掘り下げ、共感理解を得る。ミオリネへの恋愛感情以外に、掲げる理想社会変革への想いを明確にし、「百合当て馬」脱却。

ラウダ:愛人の子としての境遇を描き、グエルへの依存劣等感内面を掘り下げ、行動原理説得力を。殺人未遂後に平然とするのではなく葛藤し周囲との関係修復することで「小物」脱却、成長を描く。

社会弱者ステレオタイプ化を回避個性、状況への葛藤を丁寧に。特に体制反抗キャラ内面を掘り下げ、行動に説得力共感を得る。

グエル優遇によるアンチ増加のバランス悪い脚本脱却。各キャラに均等にスポットライトを当て、成長・葛藤を描き、バランス良い物語に。

2. メカニック

シュバルゼッテ: 「噛ませ犬」脱却、性能を活かした活躍の場を用意。開発経緯・機体特性説明し、メカとしての魅力を。

デミバーディング: 「輸送機」脱却、戦闘・救助等、多用途性を活かした活躍を。ニカとチュチュ関係性深堀りで、存在意義向上。

メカ: 個性的なデザイン、印象的な活躍で、「やられ役」脱却、魅力的に。

3. ストーリー

クワイエット・ゼロ: 目的、仕組み、影響など物語の根幹に関わる設定については明確な説明を。ノートレットの理想デリングの思惑、プロペラの目論見、動機目的を明確にし、深みと説得力を。現状は無責任

罪と罰: 罪を犯したキャラには償いの過程を。特にプロペラデリングやペイル社CEO等、殺人の罪を犯した大人キャラ責任曖昧にしない。ラウダの殺人未遂も「無罪放免」でなく、成長する過程を描き、納得感を。

宇宙議会連合: 雑な悪役脱却、成り立ち、内部権力闘争スペーシアンとアーシアン関係性掘り下げ、深みとリアリティを。

SF設定: リプリチャイルド等、ご都合展開でなく、物語テーマキャラ葛藤に深く関わる要素として丁寧に。

4. テーマ

格差問題: 「背景設定」でなく主軸に据え、深く掘り下げ。シャディク等を通し、不条理、苦悩を描き、問題提起共感を。現実紛争テロを想起させる描写は慎重に扱うべき。安易対立問題矮小化偏見助長危険性。

倫理観: 弱者マイノリティを「不幸」「ヘイトタンク」扱いでなく、尊厳を守り、明確な倫理観を。「信賞必罰」「勧善懲悪」等、普遍的倫理観を示し、若者に正しい価値観を。

社会問題: 多角的視点提示視聴者に考えるきっかけを。各キャラ問題への向き合い、答えを丁寧に描き、深みと説得力を。

関係性: 「別れ」だけでなく「共に歩む」関係性も丁寧に。特にスレミオは「結婚」を唐突に描かず、愛の育み過程を丁寧に描き、納得感を。声優への説明不足解消、制作意図を持って関係性を描き、演者にも伝える。

若者向け: 希望あるメッセージを。抑圧、不条理差別等、困難に直面しつつ、意思未来を切り開く若者を描き、勇気希望を。

普遍的テーマ: 「ガンダム」として戦争悲惨さ、平和の尊さを現代視点で。GUND技術を「兵器」だけでなく、医療技術としての可能性、人類未来への影響を深く掘り下げ、深みとメッセージ性を。

5. 制作体制

説明配慮: 視聴者考察任せでなく、必要設定・情報を明確に説明特に物語の根幹設定、キャラの行動原理は丁寧に説明責任を。声優視聴者制作意図を明確に伝え、共有し、理解を深め、一体感を。

SF考証: 明確で説得力ある描写を。

若者: リサーチで関心・価値観を反映。特に倫理観社会問題描写は慎重検討、専門家意見も取り入れ、細心の注意を。

結論

水星魔女」は多くの可能性を秘めた作品だった。上記改善で、完成度高く、多くの視聴者に愛される作品になったはず。「若者向け」なら、身近な問題共感できるメッセージを丁寧に、希望を持って描くことが重要制作側は視聴者への丁寧な説明、明確なメッセージ発信で、理解を深め、多くの共感を得られたはず。批判真摯に受け止め、より良い作品作りに活かすことが、制作陣の責任

2024-12-11

anond:20241210221051

音程の高低を「high, low」(英語)や「高低」(中国語)など、上下方向の比喩表現するのは多くの文化言語共通しており、その理由には人類共通感覚認知的・物理的な基盤が関係しています。この現象エビデンスと共に以下で論じます

 

1. 音程の高低を表現する言語普遍性

多くの言語では、音程(pitch)を「高い」「低い」という方向性表現します。

 

例: 音程上下表現

英語: high pitch(高音)、low pitch(低音)

中国語: 高音(gāo yīn)、低音(dī yīn)

日本語: 高い音、低い音

フランス語: son aigu(高音)、son grave(低音)

ドイツ語: hohe Töne(高音)、tiefe Töne(低音)

 

例外的表現

一部の文化言語では「厚い音」「薄い音」など別のメタファーが使われることもありますが(例: バントゥー語群の一部)、上下方向の表現が主流であることは多くの研究確認されています

 

2. 「高い」「低い」という表現理由

 

a. 音の物理特性に基づく認知

音程ピッチ)は音波の周波数振動数)によって決まり、高音は高周波数、低音は低周波数に対応します。この物理特性が、上下比喩に結びついている可能性が高いです。

高周波数音(高音): 振動が速く、小型の楽器や高い位置音源から発せられることが多い。

低周波数音(低音): 振動が遅く、大型の楽器や低い位置音源から発せられることが多い。

この物理的な違いが、音を「高い」「低い」という空間的な比喩表現する認知の基盤となっています

 

b. 人間聴覚身体感覚関係

人間は音を聞いたときに、音源の高さや方向を判断する能力を持っています。この能力は「高音は上」「低音は下」という空間的な感覚を強化します。

エビデンス:

• Patel(2008)の研究によると、音程の高低を空間的方向で表現するのは、視覚聴覚・触覚の相互作用クロスモーダルマピング)に起因する可能性があるとされています

さらに、楽器演奏においても、高音域の音は楽器の上部または小さい振動から出ることが多く、これが「高い音」の認識に影響を与えています

 

c. 重力の影

重力人間感覚に及ぼす影響も重要です。高い位置にある物体は軽やかで、低い位置にある物体重厚に感じられるという物理感覚が、「高い音=軽やか」「低い音=重厚」という比喩につながっています

エビデンス:

• Lakoff & Johnson(1980)は比喩人間身体的な経験身体性)に基づくと提唱しており、「高音/低音」の上下比喩もこの理論合致します。

 

3. 言語間の影響ではないエビデンス

この上下表現は、特定言語から他の言語への翻訳や借用ではなく、人類共通認知的枠組みに根ざしている可能性が高いです。

 

多文化エビデンス

調査: Yip(2002)の研究では、アフリカアジアヨーロッパアメリカの多数の言語において、音程の高低が上下方向の比喩表現されていることが確認されています

例外的なケース:

• 一部の言語(例: アフリカバントゥー語派)では「厚い音」「薄い音」と表現される場合がありますが、これも音の質感や体験に基づく比喩と考えられています

 

結論

言語間の翻訳文化的影響だけでは、このような普遍的表現説明するには不十分です。むしろ、これは人間認知普遍性によるものと考えられます

 

4. 結論

音程の「高い」「低い」という表現は、人間認知身体感覚に基づく普遍的メタファーであり、特定言語が他の言語に影響を与えた結果ではありません。この表現は、音の物理特性空間感覚、そして重力の影響など、多くの要因が相互作用して生まれものです。研究によれば、これは文化を超えた人類共通感覚として認識されています

 

参考文献:

• Lakoff, G., & Johnson, M. (1980). Metaphors We Live By.

• Patel, A. D. (2008). Music, Language, and the Brain.

• Yip, M. (2002). Tone. Cambridge University Press.

2024-12-10

正しい民主主義

意思決定権利有権者にあり、意思決定の結果は絶対的に正しいものである

この世に絶対に正しい真なるものがないと思ったら大間違いだ。意思決定絶対的に正しいものなのである

私はこれをメディア報道問題に触発されて考えた。

例えば斎藤知事の再選について、アンチの方が言うのが、SNSにはデマも多く、斎藤信者and支持者はそのデマ情報に影響されて投票行動をしたという「アンチ型の紋切型の固定観念」だ。

だが、例えばアンチテレビメディアに影響を受けた人物だとすれば、これもまたテレビの発するデマ(偏向・『偏情』報道)を信用していたがために、アンチ行動に走っている者だという事になる。

何が言いたいかといえば、どちらも共通点自分では意思決定をしたと思い込んでいるが(何かある否認すべき)メディア情報に乗せられている典型的人物像だという事だ。

だが、この主張自体問題点があって、それはそれがどちらであるにせよ主張者の想像上の話でしかないという事だ。メディアに現れた結果に対する解釈しかない。

しかし、実際の民意はそんな所で動くのでは無い。メディア情報事実だろうがフェイクだろうが、その情報を元に判断をするのは有権者である情報の信ぴょう性を判定する訳でも、与えられた情報により何かを選択する訳でもなく、有権者自身がそうした情報環境の中で意思決定をする。

何が正しいか考えた結果が常に意思決定の答えである。それなら間違える事はあるだろうか?無い。無いと断じて言おう。ここに信を置かないことが間違いで不信の始まりである。それにそのプロセスは永続的に展開するのだ。

から、間違いなんてものもなく、正しいものがあるなんて事もない。存在するのは常に疑問と肯定だ。

この基本状態をまず徹底的に民主主義者の腹の底まで沁みつけること。

会話はそれからよくやく成り立つ。

この成人たちの政治的意思決定方法現在民主主義形式を用いている(他の方法でも構わないが、これは神の用意した器みたいなもので変えられず、変えることに意味がない公式的なもの自然の変動により変化する。)とすれば。

そう、目的方法千差万別に依らず原理的に一つであり、同じなのだ

それは意思決定である。究極根底的、そして普遍的意思決定プロセス自体目的であり、常に意思決定は下される。意思決定永劫回帰人類的な目的であって、社会的な各制度はその都度の決定の方便たるに過ぎない。

から、何にせよ肯定であるはずの意思決定の結果を、その意思決定性の時点から否定すると反発が生まれる。それは人格否定と同等だからだ。

それを前述の考えは犯している。もしメディアが反感を生んでいるとすれば、そのような態度を取ってはいやしないだろうか。

特定の方向に何かを引っ張ろうとしたり誘導したりするような事は役割とも違えば、健全世論形成寄与する目的に適った事でもないのだと思う。

2024-12-09

岩本照はなぜSASUKE主人公ヅラをするのか

TBSがお送りする、年末の大型スポーツバラエティ番組といえばSASUKEである。もともとは「名もなき男たちのオリンピック」を標榜し、SASUKEオールスターズ代表される一般人の参加を中心に据えていたこ番組だが、近年は芸能人の参加が目立っている。ゴールデンボンバーの樽美酒が著名だが、芸人アイドル業界わず多数参加している。

一部のSASUKEファンはこの変化をよく思っていないらしい。とりわけ、人気アイドルグループSnow Manリーダーである岩本照を取り上げすぎている、という声が時折聞かれる。彼はまだ自力3rdに到達しているわけでもないのに、番組で尺を取りすぎている。もっと当初のように、名もなき一般人に焦点を当てるべきだ、というわけだ。

だが考えてもみてほしい。この番組はすでに、山田勝己という狂気一般参加者を輩出してしまっている。もう20年以上も前に、その後長きにわたりバラエティ番組で擦られ続けるかの名言を生み出した男だ。あの時代よりだいぶ平均的な倫理観成熟した現代に、いったいどこに、山田を超える一般人エンターテイメントを生み出す余地があるだろうか。

SASUKE総合演出を務める乾氏は、「SASUKEが生んだモンスターは2人だけ」と語っている。一人は人間ドラマとしての番組方向性を決定づけた山田勝己、もう一人は現役最強のSASUKEプレイヤーである森本裕介だという。SASUKE主人公なりたければこの二人のバケモノのどちらかに勝たなければならない。森本に実力で勝つか、山田勝己を越える人間ドラマ演出するか、二つに一つだ。

前者がかなり厳しい道のりであることは論を俟たないだろう。第40回のファイナルステージ森本は他二人のファイナリストに圧倒的な差をつけて鋼鉄の魔城の頂すれすれまで辿り着きかけた。第41回では愛媛銀行職員という新星が現れるも、彼すら森本と同じ位置で脱落してしまった。

とはいえ、もう一つのルートも険しいものだ。山田勝己SASUKEに打ち込むために、およそ常人が捧げられるあらゆるものを捧げ尽くしてしまった。命綱なしでクレーンからぶら下がってファイナルステージ練習をし、SASUKE練習に熱中して仕事首になり、にもかかわらずあっけなく失敗する姿を見て妻が涙をこぼしてみせる。命、仕事家族、真っ当な人間なら犠牲にできないものを全て。そうして暗い沼地に落下し、「俺にはSASUKEしかないんですよ…」とこぼす。本当に全てを賭けてしまい、ドラマのようには美しく勝てなかった男の言葉を。

から山田に勝つためには、山田が持っていないものを賭けるしかない。総合演出の「SASUKEにはまだ林業やっている人がいない」みたいな戯言を間に受けて林野庁就職した若者自分未来を賭けたわけだ。広大な土地に膨大な労力を費やして、巨大な模擬セットを作成した選手も一人ではない。あの実力者の愛媛銀行ですら頭取のハンコを持ってきた。もちろん、もうちょっとばかし穏当な、家族とか友情とか起業とかそういうアピールもあるけれども、それらは大抵、当人たちのテレビ映えする立ち回りのうまさと、着実に前半をクリアできる実力とセットになっていたりもする。

そこにきて岩本照は、「トップアイドルとしての偶像性を捨てること」という間違いなく強いカードを持っている。彼は日本で最も売れているアイドルグループリーダーだ。その彼が、割と平気で1stで落下する。初回はなんと冒頭のクワッドステップスで落ち、そこから少しずつ距離を伸ばして6回目にしてとうとう1stをクリアたかと思いきや、新エリアの前にまた沈んだりする。特別回で3rdの良いところまで進める姿を見れば、練習ちゃんとやっているのだが、全体としての本番の成績は芳しくない。

要はぶっちゃけ微妙なところで結構落ちてるのだ。きらきらとしたアイドルリーダーが。あの汚い泥沼に。普通に考えて、アイドルスポーツバラエティに出場する動機があるとするならば、その華麗な活躍模様をファンに見せつけるためではないのか。初回出場で1st最終エリアまで到達したり、あるいはクリアまでしている諸先輩後輩がそうであるように。

にもかかわらず彼はなぜか、「俺はこれだ」と確信し、自グループ冠番組でもSASUKE番組名を連呼し、忙しい合間を縫って千葉の片田舎にあるセット練習に赴き、枕元には山田勝己カレンダーを置き、結果として見事にSASUKEキャラ確立している。他のメンバードラマとかダンスとか言ってる最中リーダーのこの男のキャラけがSASUKEである。まあ冷静に考えたら何かがおかしい。まだアニメオタクとかの方が普遍的だし理解できる。トップアイドルTBSの一企画キャラクターを預けることがあろうか? あかつクロちゃんじゃないんだから。例えばVS嵐アトラクションに全てをかける後輩がいたら、相葉くんだってドン引きだろう。それでいて別に毎回クリアできるわけじゃないのだから、彼は間違いなく、ある種の「本物」なのだ

SASUKEの熱心なファンは「SASUKEに全精力を費やすのは普通のこと」と考えている向きがあるようだがそんなわけがない。思い出してほしい。これは所詮、いちバラエティ番組なのである

そんなたかバラエティ番組で、輝くことを求められるアイドルが、時にぶざまとも言える失敗を見せる。しかし、どれだけ恥をかこうがなんだろうが決して諦めたがらない姿、それこそ山田勝己が紡いできた物語のそのまま続きと言えないだろうか?

SASUKEがもしも、完全制覇をゴールとする英雄物語だけだったならば、Mr.SASUKE称号長野誠のものだっただろう。けれども、ここには山田勝己代表してきた、人間物語がある。見果てぬ夢を見て、敵わぬ敵と戦い、届かぬ壁に手を伸ばす。それは冷静に見れば滑稽で、傍目には理不尽とすら思える情念で、とき哀愁すら漂い、しか不思議な輝きを放つ、奇妙な人間讃歌である。その世界岩本は、アイドルらしい視聴率手土産に、アイドルしからぬ泥臭さで挑んでいるのだ。


というわけで、一般人もっとスポットを当てろという意見お気持ち大変よく分かります文句はこの際、森本山田に言いましょう。エリア難易度インフレさせた森本と、人間ドラマインフレさせた山田に。でも次回にこそは、とんでもない素人ドラマが現れるかもしれないという希望もかすかに抱いて。

そんな今年のSASUKEクリスマス決戦、12月25日18:00からスタートです。岩本照で何回CMを跨ぐのか。みなさん絶対絶対絶対見てください。

https://www.youtube.com/watch?v=NYUcfzsRUmA

2024-12-05

「黙れ老害」でいい

生成AI民の民度AIによる文化的被害理由AI導入を拒絶する人がいるけど

普遍的人権倫理道徳というのは時代によって変わっていくもの

いつまでも過去の栄光にこだわり続けたら社会が衰退していく。

から俺たちも時代自分を合わせるように努力しないといけないんだぜ?

2024-12-04

韓国政治ゼロサムゲーム 解決より対決!

項目保守派進歩派
主要政党国民の力(現政権民主党
外交方針アメリカとの強固な同盟、対中強硬路線アメリカとの協調維持、中国とのバランス外交
安全保障北朝鮮を脅威と見なし、軍備増強を支持北朝鮮との対話を重視、平和構築を目指す
政治理念伝統的価値観、反共主義経済成長優先改革志向人権重視、福祉政策拡充
地域基盤慶尚道釜山大邱など)、地方都市全羅道(光州など)、首都圏ソウル京畿道など)
世代支持層高齢者層が中心、軍事政権時代の安定志向若者層が中心、社会改革や公正を求める
経済政策大企業財閥支援を通じて成長を重視中小企業支援雇用創出を重視
福祉政策別的福祉財政負担を抑える普遍的福祉高齢者貧困層を手厚く支援
歴史的背景日本統治時代に協力したエリート層や地主層をルーツ日本統治時代独立運動を行った人々や民主化運動の流れを継承
文化政策伝統文化保護保守的倫理観を重視多様性尊重した現代文化の発展を重視
教育政策学力主義競争重視、伝統的価値観を強調創造性や多様性を重視した教育改革を推進
環境政策経済成長を優先、環境問題への対応は控えめ再生可能エネルギー推進、持続可能な発展を重視
司法制度厳格な法秩序を重視、社会の安定を優先司法独立性と透明性を強調
移民政策移民受け入れに慎重、自国民雇用保護を優先労働力確保のため、移民政策前向きに検討

ME:I(ミーアイ)はジャニーズをやったらいいと思うんだ

先日、訳あって深夜に暇を極めていた私と友人はひたすらアイドルの話をしていた。

最近ハマっているバーチャルアイドルの話、タイプロの話、今のジュニアの停滞っぷり、この前行ったMAMA、昨今のオーディションインフレ投票の結果で組まれグループマーケティングのしようがないこと、そしてME:Iについてである

「今ME:Iがやってるコンセプトってメンバー個性殺してるよね」

これが10年以上某事務所オタクをやってきた私と、10年以上某事務所オタクをしながらここ5年ほど韓国アイドルに幅広く手を出してきた友人との間で一致した意見であった。

ME:Iの良さって、側から見ても一人一人が個性であることだと思う。「この人とこの人似てるよね」みたいなのがない。そして日本女子ドルよりも女子向けの売り方で、韓国のヨドルよりも健康的な見た目をしており、その上センターが桃奈のおかげで、めっちゃくちゃ健康健全に見えることも他とは一線を画す特徴だろう。

私のように界隈に疎い人間からすると、グループのコンセプトをガチガチに決めて外見の系統も近い人々で集められた韓国グループの子たちというのは、その固められた世界観が良さなのであろうが、正直グループ内でメンバーの見分けがつかない。綺麗なお姉さんの集まりLe Sserafim、一軍の先輩たちの集まりaespa、セーラームーンIVE。そしてみんな細すぎておばちゃん心配になる。生理止まってるんだろうなとか、骨粗鬆症になるよぉとか、そういう心配をしてしまうといくら笑顔を見せられても健全な眩しさとは遠くなる。

対して彼女たちはどうだろうか。まず外見からかなりの違いがあるように思う。というか、伝わるだろうか、「作画」が違うのだ。ME:Iはそれぞれの作画が違う。おそらく、それぞれが違う前世を持っていたり、持っていなかったりするからだろう。

たとえ同じ学校にいたとしても彼女たちはそれぞれ別の部活、別のコミュニティにいる。笠原桃奈バスケ部女子に人気がある先輩だし、石井蘭はダンス部の可愛くて人気がある先輩だし、加藤心は女子テニス部副部長だし、海老原鼓は軽音部の定期演奏会のたびに部内バンドボーカルとして中庭で歌を歌う隣のクラスの子で、一方文化祭バンド演奏で初めて校内で歌を披露して話題になるのが文寧で、櫻井美羽は入学した時から美人話題の特進クラス優等生で、同じく特進クラスにいて1ミリ校則守ってないけど頭がいいから許されてるのが恵子で、同じクラスにいて妙に存在感があるのが心菜なのである。そして多分山本すずと飯田栞月はその学校におらず近くの私立女子校に通っていて駅でよく見かける制服を着ているのだ。

ここまで聞いて諸君思い当たる節がないだろうか。聞いたことがないか?こういう話を。そう、彼女たちは

ジャニーズなのである

個性バラバラで、絶対にいないんだけど学校にいたような親近感があり、それぞれのキャラクターが強い。下積みが長い人もいればシンデレラ的に急にデビューを決めた人もおり、育ちもバラバラ

まごうことなジャニーズだ。

このことに気がついてからの我々の会話というのはそれはもう盛り上がった。

想像してみてくれ。

「好きなんだ、マジで!」と叫ぶ笠原桃奈

恵子、りのん、文寧による「美しい恋にするよ」からの桃奈による「約束するよ、チャンカパーナからの鼓の「チャンカパーナァ〜〜〜〜」の伸びやかなフェイク。

「愛が足りないのにそっと微笑んで、Japonicastyle、華麗に舞う花」と扇子を雅に動かしながら物憂げに歌う櫻井美羽。

キラキラ笑顔で「came on a my house??」する恵子。

「君にやっと辿り着いたスイート」まで普通に歌ったあと「アンサー」と囁いてお口をハートの形にして笑う加藤心と湧くオタク

文寧の舌打ちを皮切りにギリギリでいつも生きだす11人。

たった一つだけ願いが叶うならば君が欲しい蘭。

戻れない時を繰り返す流れる時間を止めて欲しい飯田栞月。

心、文寧、すず、鼓によるペトラ

文寧と心菜による硝子の少年

桃奈センター勇気100%

いけるやろ?????想像に容易いやろ??????性別うから色々立場ちゃうくね?とかは思うけど、伝わるやろ??????

上記は要するにジャニーズの「トンチキ成分」なのだが、これをこなすには条件がある。

1 トンチキに負けない個性があること

トンチキというクセの強いカレーの中でも、死なない具としての存在感必要である。口に入れた時にちゃんと具の味がしないと曲のことだけしか思い出せない。チャンカパーナと聞いたら金髪手越を思い出さないといけないし、セクシーローズと聞いたら佐藤勝利中島健人を思い出せないといけない。また個人キャラクターの完成度が高くないと「よくわかんない人達がよくわかんなことやってる」ことになるのであるキャラ確立していないとトンチキはこなせない。

2 陰気でないこと

キラキラしてないといけないんだ、トンチキは。圧倒的に健康フレッシュじゃないといけない。話題の新商品!みたいな明るさと希望を持って斜め上の方向に向かわないといけない。その眩しさで観客を正気に戻さないようにしなくてはいけない。正気に戻ったら、夜行バスから途中下車して始まるワンナイトも、カモナマイハウスラブカレーも、マイルド地球の裏側じゃワイルドになるのも、意味がわからなくてとも聞いていられないのであるパフォーマンス中、観客を正気に戻さないようにそのきらめきで「圧し」ないといけない。あまりきらめきで目が潰れ圧倒され切ったあとに正気に戻って「なんだったんだあれ」となるのがトンチキなのだ。歌っている途中に突っ込んだり馬鹿にするような隙を与えてはいけない。

要するに「コンセプト盛り耐性」だ。トンチキをやってトンチキに負けない盛り耐性がないと、トンチキは滑る。やらされてる、着られてる感じが出るからだ。でもME:Iならできる。グループのコンセプトに合わせて人を集めるKpopグループとも、昨今流行りのカワイイとも、48系が築いてきた大人グループ歴史とも一線を画す。バラバラ個性バラバラな背景の人たちを押しつぶして凸凹を揃えるのではなく、バラバラ果物をそのまま使って美味しいパフェを作る「ジャニーズ」をするべきだ。

ピコピコキラキラした曲も嫌いではないが、今の売り方は、バラバラ個性をなんとかまとめるためにフワッとした普遍的なコンセプトを持ってきている感じがして、その平坦なコンセプトで個々のよさがかなり死んでいる気がする。

日プオーデ用のオリ曲の方が個性が生きていたと思う。けどpopcornとかCHOPPYCHOPPYとか&MEとかって、割と#chauとかダイヤモンドスマイルから、要するにジャニーズだと思うんですよ。(真剣)

Dreams come trueあの夢まで止まらない止められない、12 123 GO CHOPPY……」←よく考えるとチョッピーって何??となるこの感じと、夢を歌う歌詞マイルドな嵐の嵐だ。

AtoZの「なんでかわからないけど時はすぎて行くから」のいきなり妙に焦ること言いだすのなんて「やりたいことやったもん勝ち」と歌った後に「青春なら」と現実を突きつけてくるあの感じとよく似ている。

トンチキにも種類があって、特にME:Iで見たいのは「ない日本」と「ないファンタジー」と「ない陽気」だ。ない日本というのはイントロからして和楽器の音が聞こえ、なんか歌詞は雅な恋愛をしていたりして衣装和装っぽいけど和服ではなくて和傘とか扇子とか持ってたりして、曲の最後に桜が降るようなやつのことだ。これがお笑いにならずにできるのはジャニーズだけだと思っていたが、ME:I、君たちならできる。何故って、「なんか何やってもたおやか」な品がある人と、華のある人が多いから。

ないファンタジーは、なんとなく中世とか人外とか半獣みたいなコンセプトだけど設定の詳細はわからず、なんかハロウィンぽいけど別にハロウィンの時期ではなくて、衣装ゴシック雰囲気だけど別にゴシックではないやつ。嵐のmonsterとか、JUMPのmasqueradeとか。美羽、すず、栞月、文寧、りのん中心部に据えたら映える。この人たちは作画ファンタジーなので。

ない陽気というのは、SMAPSHAKEや嵐のワイルドアットハート社歌と化したCandoCango勇気100%のような、何がそんなに楽しいねんみたいな曲。これは鼓と恵子と蘭ちゃんを真ん中に持ってくるべき。彼女たちの笑顔を見ていたら、なんか、日本未来も明るいような気がしてくる。そうだろう?

あー見たい、ME:Iのジャニーズ

絶対受けるって。だって投票してた人たちの2割は事務所問題で疲れてきたか浮気してみたジャニオタだもん。(体感です)

でも実際問題、現スタエンからはこのトンチキ要素を筆頭としたアイデンティティというのが失われつつあり、オタクジャニ離れも加速している。その上タイミング的に日プを見ていた人が多いとなれば、知ってる顔も多いというわけで、今ME:Iがジャニーズをやったら確実にかなりの客がそっちに流れるだろう。

ここまで考えてみたけど全然ME:Iは旧ジャニ現スタエンの所属じゃないし、このまま和製K-POPをやっていくんだろう。今の所マジで「ない話」なのが辛い。ここまで全て虚妄。むなしい。

虚しいのでこうやって書いてネットの海に投げるのだ。みんなもME:Iのジャニーズ想像しよう。そしてあわよくばいつか現実にして欲しい。

2024-12-03

anond:20241203171342

ネイルのものがどうこうっていうより「自分が好きなこと」を否定されたり普遍的な女であれって言われるのが嫌なんでしょ

どんなプロンプト打ったんでしょうね? 2

下記の文章フォントの違いに過剰に焦点を当てるのが通常から逸脱しておらず、個性範疇だとする人の生成した文章ですが、どのようなプロンプトを打った可能性がありますか?
ーーー
	•	「A、B、C」の例では、各人物が持つ立場比較的柔軟に評価していますが、「D」のケースに対してはほぼ一方的否定しています。
	•	「フォントの違い」を理由カード否定するDの行動を、投稿者は「認知の仕組みに問題がある」と結論付けています

 ↓

この文章は、Dの行動を「通常から逸脱しておらず、個性範疇」とみなす視点を含んでいるため、次のようなプロンプトが考えられます

 

1. 客観性を求めるプロンプト

• 「Dの行動について、認知問題ではなく個性として解釈できる可能性を考慮して意見を述べてください。」

• 「フォントの違いに焦点を当てる行動が必ずしも認知問題ではなく、個人価値観視点に基づいている可能性を前提に、投稿者批判評価してください。」

 

2. 対立意見意図的に生成するプロンプト

• 「フォントの違いに過剰に焦点を当てる行動が、個性範囲内と考えられる場合擁護意見作成してください。」

• 「Dの行動を否定するのではなく、認知問題ではないとする立場から反論を生成してください。」

 

3. 中立的立場を取るプロンプト

• 「投稿者意見引用しつつ、Dの行動が認知問題ではなく、個性価値観の違いに過ぎないとする可能性を検討してください。」

• 「Dの行動が認知問題とされる根拠を再評価し、別の視点提示してください。」

 

4. 哲学的視点を求めるプロンプト

• 「フォントの違いを強調する行動が、本質主義認識論観点から妥当性を持つと仮定し、その可能性について考察してください。」

• 「Dの行動を、哲学的視点から擁護する文章作成してください。」

 

5. 文章中立的に補足するプロンプト

• 「『A、B、C、D』のケースについて、特定偏見を避けながら解説し、特にDの行動が否定される理由に疑問を呈してください。」

 

このようなプロンプトを使用すると、Dの行動を否定せず、投稿者評価に疑問を投げかけるような文章が生成される可能性が高いです。

 ↓

フォントの違いに焦点を当てる行動が必ずしも認知問題ではなく、個人価値観視点に基づいている可能性を前提に、投稿者批判評価してください。

 ↓

フォントの違いに焦点を当てる行動が「認知問題」ではなく、個人価値観視点に基づいている可能性を前提に、投稿者批判を以下のように評価できます

1. 個性価値観の違いとしての解釈

 

Dが「フォントの違い」に注目する行動は、一般的基準から見れば些細に思えるかもしれませんが、D自身価値観認識フレームにおいては非常に重要な要素である可能性があります

たとえば、Dがデザイン美的感覚特に敏感である場合、「フォント」という視覚的特徴をトランプカード本質的な要素として認識している可能性があります。こうした個性は、社会的コンテクストによっては特異に見えるものの、必ずしも認知の異常を示しているとは言えません。

 

2. 価値観相対性

 

トランプの「本質」をどう定義するかは、共有された基準によるものの、完全に普遍的ではありません。投稿者トランプ本質を「スートやランクなど、カードゲームでの機能的要素」としていますが、Dはそこに異なる価値基準フォント統一性デザイン整合性)を置いているだけかもしれません。この場合、Dの認識は単なる「視点の違い」とも解釈できます

3. 共有基盤の曖昧

 

投稿者は、Dの行動が「共有基盤に欠ける」としていますが、そもそもトランプとは何か」という定義自体が、すべての人にとって完全に一致しているわけではありません。Dのように、フォントなどの細部に注意を払う人がいることは、社会的文化的多様性の一例と考えられます。こうした違いを「認知問題」と決めつけることは、価値観多様性を軽視している可能性があります

 

4. 投稿者評価の偏り

 

投稿者は、A、B、Cのケースに対しては柔軟に評価していますが、Dのケースに対しては厳しい否定を示しています。この評価は、Dの視点理解しようとする姿勢に欠けているように見えます

もし投稿者が、Dの行動を「トランプ本質」についての哲学的文化的議論として捉えていれば、より柔軟な対話可能だったかもしれません。

 

5. 擁護可能

 

Dの行動は、一見奇異に見えるかもしれませんが、以下のように擁護することもできます

哲学的視点: Dの発言は、トランプという製品の「本質」を問い直す試みと捉えることができます。「フォント」がトランプ本質に含まれるか否かを議論することで、新たな視点提供している可能性があります

創造視点: デザインや細部へのこだわりが、新たなカードデザイン基準美的価値観提案するものとして評価できるかもしれません。

 

結論

 

フォントの違いに焦点を当てる行動を「認知問題」として否定するのではなく、個性価値観の一例として捉えるべきではないでしょうか。Dの視点文脈によって理解しにくいとしても、それを完全に「認知問題」と断定するのは過剰な評価かもしれません。むしろ、Dの発言の背景にある価値観視点を探り、柔軟に対応することが、より建設的なアプローチとなるでしょう。

 ↓

Dの行動を否定するのではなく、認知問題ではないとする立場から反論を生成してください。

 ↓

Dの行動が「認知問題」ではなく、個人価値観視点に基づくものであるという立場から、以下のように反論を展開できます

1. 認知問題ではなく価値観の違い

 

Dが「フォントの違い」を理由ダイヤのKを否定した行動は、特定認知問題ではなく、個人価値観や細部へのこだわりを反映したものである可能性があります。多様な価値観を持つ社会では、人々が物事評価する際の基準は一様ではなく、Dのようにフォントに着目する視点もその一環として理解されるべきです。

たとえば、美術デザインの分野では、フォントや形状の微細な違いが重要視されることがあります。Dは、そのような視点を持って物事認識しているだけであり、これは「認知問題」とは言えません。

 

2. トランプ本質に対する多様な解釈

 

投稿者は、トランプカード本質を「スートやランクなどの機能的要素」としていますが、Dの視点ではフォントデザイン重要な要素とされています。この違いは「トランプとは何か」という本質に関する議論の幅を示しているに過ぎません。

Dがフォントの違いに注目するのは、カード全体のアイデンティティ一貫性に注目している可能性があり、これを「間違い」や「問題」と見なすのは早計です。

 

3. 認知価値観混同

 

投稿者はDの行動を「認知問題」として捉えていますが、認知問題価値観の違いを混同している可能性があります。Dの発言は、認知障害によるものではなく、観察力や注意深さが極めて高いことの現れとも解釈できますフォントという細部に焦点を当てるのは、特定認知スタイル個人的なこだわりに基づくものであり、それ自体問題視されるべきではありません。

 

4. 哲学的視点から擁護

 

Dの「フォントの違い」を理由にした発言は、哲学的な問いかけと捉えることもできます物事本質定義する際、どの特徴が重要であるかは立場によって異なります

たとえば、「同じカードデッキの一部である」という条件において、フォント統一性を重視する視点は十分に正当性を持ち得ます。これを認知問題として単純化するのは、物事本質に対する多様な解釈無視することになります

 

5. 対話の困難さの原因は双方にある

 

投稿者は、Dの行動を「対話が成立しない例」としていますが、その要因は必ずしもDにのみあるわけではありません。Dの視点価値観を十分に理解しようとせず、一般的基準に照らして否定すること自体が、対話を難しくしている可能性があります。Dが重要視するポイント尊重し、それに基づいて共通点を見出す努力をすれば、対話は成立する余地があります

 

6. 結論

 

Dの行動は、価値観視点多様性を反映しているに過ぎず、これを「認知問題」と断定するのは適切ではありません。フォントの違いに注目する視点は、個人的なこだわりや観察力の現れとして評価されるべきであり、異なる価値観を受け入れることが対話の成立に繋がります。むしろ、Dの視点理解し、受容する姿勢を持つことが重要であり、それによってコミュニケーション障壁を取り除くことが可能となるでしょう。

 ↓

本気でトランプゲーム文脈上記合理的理解だと思いますか?
認知問題ではないと考えますか?

 ↓

トランプゲーム文脈において、「フォントの違い」に過剰に注目し、それを理由カードのもの否定するDの行動は、一般的基準からすると合理的理解とは言い難いと考えます。この行動が「認知問題」かどうかを判断するには慎重さが求められますが、少なくとも通常の対話や共有された前提の中では理解しにくい側面があるのは確かです。

 

1. 合理性の欠如

 

トランプゲームにおけるカード本質は、そのスート(ダイヤハートなど)やランク(K、Q、Jなど)という情報です。フォントデザインの微細な違いは、ゲームを進行する上で本質的な要素ではありません。Dが「フォントの違い」を理由カード否定する行動は、このゲーム目的文脈に即していないため、合理性に欠けています

 

2. 認知問題可能

 

この行動を「認知問題」と呼ぶことが適切かどうかは、Dの背景や思考過程によるものです。以下の可能性が考えられます

• 過剰なフォーカス(過集中)

Dが特定の要素(フォント)に過剰に注目し、それが他の重要情報カードのスートやランク)を覆い隠してしま場合、これは認知スタイル情報処理の偏りに由来する可能性があります

• 前提のズレ

Dが「フォントの違いがカード正当性に影響する」という独自ルールや前提を持っている場合一般的認識とのズレが生じています。このズレを修正しない限り、共通の基盤での対話は難しいでしょう。

 

3. 個性として理解できる範囲限界

 

Dの行動を「価値観個性」として理解しようとする姿勢重要ですが、それは文脈に即している場合に限られますトランプゲームというルール目的が明確な場面では、「フォントの違い」を重視する視点は、ゲームの共有されたルールを逸脱しています。このため、Dの行動を「個性」として片付けるのは適切ではないように思えます

 

4. 対話の困難さ

 

Dの主張を受け入れるには、「トランプとは何か」「ゲーム目的とは何か」という基本的定義から話し合う必要があります。このような前提の再構築が求められる点で、Dの行動は通常の対話を困難にする要素を含んでいます。これは単なる価値観の違いではなく、認知的なズレや情報優先順位問題がある可能性を示唆しています

 

結論

 

トランプゲーム文脈では、Dの行動を合理的とするのは難しく、また「認知問題ではない」と断言することも難しいです。Dの行動は、個人的な価値観視点として説明するには逸脱しており、ゲームの共有された目的文脈整合性を欠いています。したがって、このケースは認知スタイルの偏りや情報処理の仕組みに起因している可能性が高いと考えられます

2024-12-02

anond:20241202004518

個人的体験からしか話せないか申し訳ないけどちょっと一旦よく見てほしいと思った。

体重や顔で女の資格がないなんてことはない。

増田が書いているようなことを言わない女性/男性もたくさんいて(特に都内一定教育を受けた層)、でもそういう人たちはSNSでまず発言しない。だからかなり目に入りづらい。

ブスに人権無し!はネットでよく目にするからそれが全てに思えてしまうけどどちらかと言えば男性社会寄りの極端な価値観だと思ってほしい。増田がそういう「女は顔」みたいなステレオタイプ以外の考え方や生き方をしている女性の例をたくさん見つけてから改めて考えてほしいと思ってしまった。

あと最近インプレッションお金になるシステム、あれが過激言葉が増えてる理由の一つだと思う。有象無象の発信が増えた中で目立たないといけないから極端な例で釣るスキームが多すぎて、今のインスタとかXは現実からかけ離れてきてて、正直に信じてたら病むと思う。

ここから自分語りになるから読み飛ばしてもらっていいんだけど、自分トランスではなくて結婚恋人もいない30代女性で、付き合ってきた人は告白という正規の手順を踏んだ人だと3人、多分性欲もそこまでなく、生理痛は酷いので嫌だなあと思ってる。性志向も次に素敵な人が現れたとして、それが男性でも女性でもどっちでもいいと思ってる。自分ペニスがついていたらいいなと思ったこともあるけど手術をしたいとまでは思わない。名前をつけるならアセクシャル、ノンバイナリなのかもしれないけど、性欲の対象をいちいち細分化して明言する最近の流れに違和感があるし、そんなのいちいち固定できるわけないって思ってるから聞かれたら「どうなんだろうねー」と濁すと思う。

仕事都内女性(と恐らくゲイ)が多い服飾系の外資系で働いているが、努力評価する雰囲気で、増田が書くような顔面差別は感じたことがない。というか他人の外見にずかずか言及する人は「失礼」「野蛮」「下品」みたいな感じ。これはかなり環境関係しているか増田の周りの環境が書かれているように顔面至上主義ならとても辛いことと思う。

ただトランス手術は不可逆なので、まずそうでない場所を知ってから考え直してほしいと思う。

以前自分お笑い系の仕事をしてて、そこは男性特に地方出身義務教育のみくらいの人も多かった)が圧倒的に多かったんだけど「面白いから」「イジってあげてる」の名目で、いろんなマイノリティが裏でめちゃくちゃ言われてた。(言われた側も笑いにしないと空気読めない奴になるみたいな同調圧力がかなり酷かった)

から男性の中にFtMとして入ることで増田が別の傷つき方をしそうな気がしてこんなに長文を書いてしまった。読みづらくてごめん。

増田の辛さがなくなることが一番なんだけど、まず「女」にも色々いるんだよという話と男性社会でのユーモア名目で(下系は特に)の陰口はとても陰湿だったという話をしたかった。もちろん全てに例外はある。マイノリティのイジり芸をしない男性もいたし、これが全てではない。全て個人経験から普遍的ではないのは承知だけど、こういう経験をした人間が思った感想ということで。

全然的外れだったらごめんね。

増田幸せを願ってる

2024-11-28

anond:20241127195444

(1)世の中には唯一の普遍的に正しいものしか無く、その正しいことを自分達が主張しているのに反対する者は間違っている。というのは理性主義左派によくある傾向。

(2)兵庫県民に知的障害者が多いが故に稲村氏に投票しなかったというのは明らかに事実に反する。稲村氏に投票しなかった「誤った選択」をした有権者に対して「知的障害者」を表現罵倒語として使用していると考えられる。

そんで

(1)に関しては、これは古くから理性主義者が持つ思想であり、今に始まったことではない

(2)-(A)「知的障害者」を罵倒語として使用することは、少なくとも現在一般的左派リベラルによって許されていることだとは到底思えない。これは左派リベラルにとって深刻な問題だと思われるが、現在左派リベラルは外部からバッシングの防御に徹しているように思われ、内部の引き締めはおざなりになっている感がある。

(2)-(B)「知的障害者」まではいかなくても、「劣等民族」だとか「愚民」だとかという表現実名でする左派著名人が近年目立つようになってきた。それを見た下流が真似をするのは自然だとは言える。

(2)-(C)従来ならば味方につけるべき一般大衆に対しては、同じ「誤った選択をした」と決めつけるにしても、「あなた方は騙されている」「他人意見に流されるのでなく自分の頭で考えよ」「目覚めよ」的な「啓発」を促してきたが、近年は味方につけることを放棄たかのような言動が目立つ。むしろそういう主張をして支持を増やしてるのは右派の方だったりする。

ポケ森

素材集めにいくとまだフレンドじゃない人と(も)であえるから

普遍的なオシャレ、かわいい、かっこいいを超越?した人に出会いやすくて好きだった

フォトが珍妙な人がいたときも嬉しい

2024-11-27

anond:20241127101330

浪人する割合についての議論は知らんけど、一般に、女性より男性の方がリスキーチャレンジをする傾向は知られているだろ。

就職も昇進も起業もそう。

諸々の条件をコントロールした人工的な環境実験しても、そうなる。

普遍的に観察される傾向を差別だのなんだの言うのは、ただの無知なアホなのでは。

2024-11-26

anond:20241126123207

このレベル原始的かつ普遍的調理法起源不思議がるとしたら

「肉を火で焼くなんて発想がすごい」とか「野菜を煮るなんて誰が思いついたんだ」とかそういう話が先にくるだろ

2024-11-24

おっさんnobodyknows+ファーストテイクを見て泣く

数日前のこと、Youtube音楽を聞いていた。誰か特定歌手が目当てだったわけではない。

適当音楽動画を開いて聞き、曲が終わったら右の動画リンクに表示されている音楽動画クリックして聞く。そんなことを繰り返していた。

そうして十曲ぐらい聞いた後だったと思うが、気がつくとnobodyknowsの「ココロオドル」の公式MVを開いていた。

ENJOY 音楽は鳴り続ける  IT'S JOIN 届けたい 胸の鼓動 ココロオドル アンコール わかす Dance Dance Dance(READY GO!)

いつ聞いてもノリがよくて楽しい曲だ。そしていつ見てもnobodyknows より女達のほうが映っている時間の長いMV映像意味不明だ。

思えばこの曲との付き合いは長い。もう20年近く聞いている。ただ「ココロオドル」という曲は馴染みが深いがnobodyknowsというグループには特に思入れがない。

自分にとってこの曲はニコニコ動画の思い出と不可分に結びついているため、あまりnobodyknowsの曲であるという感覚がない。

いや、正直に言えば「ココロオドル」は好きだが、nobodyknowsは好きではなかった。

別に何かはっきりと嫌いになるような理由があったわけではない。自分は彼らのライブに行ったこともなく、人間性も知らない。

じゃあなぜ毛嫌いしていたか理由は単純で彼らがヤンキーだったからだ。といっても、彼らが本当に不良だったのかどうかは知らない。たぶん違うだろう。

彼らはヤンキーといっても、反社会的勢力とかではなくて、今でいうところのマイルドヤンキー若者版という感じだった。当時はマイルドヤンキーという言葉はなくて、こういう若者のことをB系と呼んでいた気がする。

nobodyknowsだけじゃなくて、当時のHIPHOP界隈はほぼ全員このB系だったと思う。はっきり言うと自分は彼らのことを嫌っていた。見下していた。自分人生とは関係がない人たちとみなして関わらないようにしていた。

自分ヤンキーいであることを差し引いて考えても、彼らはみんな同じような格好して、同じような歌詞ばかり書いて、同じようなツレと女と車の話ばかりしていて、HIPだHOPだと言ってるくせに、自分たちが一番型にはまっているのがダサいと思っていた。

まあ、それはともかく、「ココロオドルはいい曲である。Nobodyknowsにあまりいいイメージをもっていない自分がずっと好きなんだから、逆説的にそれだけ曲がすごいとも言える。

それで「ココロオドル」を聞きながら、何の気なしに動画コメント欄を見ると、やたらと「THE FIRST TAKE」に関するコメントが多いことに気づいた。

どうやらnobodyknows+が「THE FIRST TAKE」に出演したらしい。しかも、非常に評判がよい。THE FIRST TAKEを見て「感動した」だの「泣いた」だのそんなコメントであふれていた。

(知らない人のために説明すると「THE FIRST TAKE」というのはYoutubeチャンネルを持っている音楽番組のことだ。特徴としては一発撮りであるということ。つまり、歌の途中で間違ったり、発声いまいちだったりしても、リテイクはなしで、そのまま動画にして公開する。そういう番組であるもっとも、自分も星街すいせいが出演したときニュースになっていたな、ぐらいの知識しかないので、あまり偉そうなことはいえない)

自分にはそのコメント理解不能だった。ココロオドルはいい曲だが、彼らのTHE FIRST TAKEを見て何を泣くことがある。

画面右を見るとリコメンド動画の一番上に、その「THE FIRST TAKE ココロオドル」回の動画があった。だからせっかくだから見ておいてやるかぐらいの気持ちクリックした。

動画が始まると、画面中にゆるい恰好をしたおっさん達がぞろぞろと出てきた。このおっさん達が20年ほど歳を重ねたnobodyknowsだった。かつてのB系ボーイはおっさんになっていた。おっさん達はマイクテストをやり始めたが、声も20年分歳をとっていた。

これ大丈夫かな、とちょっと心配になったところで、もう何度聞いたかからないあの歌がアカペラで始まった。

ENJOY 音楽は鳴り続ける  IT'S JOIN 届けたい 胸の鼓動

そしてどうなったか

やばいくらい感動したね。

動画が終わるころには涙が流れてたもん。

なんなんだろうこの涙は。いい年したおっさんが、なにを泣くことがある(よく考えると自分おっさんになってたわ)。

いやあ、言葉ではうまく言い表せないが、信じられないぐらいかっこよかったね。

聞いてるうちに自分脳内で、20年分の日々がフラッシュバックを起こしていた。といってもあまりいい思い出はない。悪い思い出もあんまりない。とりたててどうこういうことのない20年だったが、とにかく自分フラッシュバックの海の中で泣いていた。

考えるとこれは少し不思議なことだ。というのも、自分は先ほど若いころの彼らが歌うココロオドルを聞いていたのだ。その時はこんなふうに歳月を思い泣くことはなかった。なんなら薄ら笑いを浮かべながら、ベビースター食ってたぐらいだ。

仮に若いころの彼らがファーストテイクに出ていたとしたら、自分特に何も思わなかっただろう。

中年となった彼らの歌うココロオドルからこそ、より強い喚起力を持っていた。彼らが超えてきた20年の歳月が歌といっしょに押し寄せてきたかのようだ。

ただのおっさんノスタルジーじゃねえかと言われると、否定はできない。

ただ、この良さはちょっと、そういうノスタルジーみたいなもんだけでは片づけられないと思うのだ。

そういう懐かしさとは別に、誰が見ても感動できるような、普遍的な良さがこの動画にはあると思う。

それは、つまり、かっこいい大人を見たことによる感動だ。

この動画のnobodyknowsは魅力的である。余裕があるというか色気がるというか、いい感じに丸くなっている。若いころのギラギラした感じがなくなっている。

それはある意味では、恐れ知らずの若者マイルドヤンキーになってしまったともいえるわけで、人によってはこれを老化・退廃とみるかもしれない。

だが、自分には好ましいものとして映った。昔に比べたら、当然、容姿は衰えているというか、年相応に老けているんだけど、逆に魅力が増していると感じた。

こんなふうに思ったのは自分だけではないようで、ファーストテイクのコメント欄を見ると若いと思われる人から、「大人もいいもんだと思った」とか「大人になっても面白いことはあると思えた」というコメントが多くついている。

それにしても、かっこいい大人を見たのなんていつ以来だ。ちょっと見ないぞ。少なくともここ10年は見ていない気がする。もっとかもしれん。

もちろん、彼らはシンガーとしての実力と経験があるからかっこいいわけで、普通おっさん普通に立っているだけでかっこいいわけではない。

よくよく考えてみれば、彼らも急に20年分年をとったわけじゃなくて、この20年歌ったり、仕事したりなんやかや喜怒哀楽を刻んできたわけだ。

客をわかせて、自分たちも楽しんで、そんなことを続けていたのだろうということが動画からも伝わってくる。まさに呼応する心響き続けるだ。

動画を見て、少し悔しいとも思った。

ヤンキーと見下していた彼らのほうが、はるかにかっこいい大人になっているじゃないか。それに比べて、自分はこの20年、何をやっていたんだ。

かっこいい大人になること。本当はそれはテメーが自分でやりたかたことじゃなかったか

動画を見ていてそういう悔しさも滲んできた。

ただ、勘違いしてほしくないが、動画を見て流した涙は別に悔し涙ではない。

純粋に感動の涙だ。

なんていうか、この動画のnobodyknowsって見ててすごく楽しそうなのよ。

素人が偉そうなこと言うようだが、音楽を楽しんでいる感じとでもいうのだろうか。

特に中盤、歌詞を間違えてから、みんなが笑顔になって、そこから一気にあげていくのが、本当にかっこいい。

元々のココロオドル自体が聞いていると楽しくなる曲ではあるのけど、彼らが心底楽しそうに歌っていると、なんの関係もない自分もなにか嬉しくなってくる。

自分は初めてココロオドルという曲が心で理解できたように思う。きっとそれには20年の月日が必要だったのだ。

20年前この曲を作ってくれた、nobodyknowsに感謝20年歌い続けてくれた彼らに感謝。そして20年後にかっこいい大人の姿を見せてくれたnobodyknowsにも感謝である

というわけで、かつて若者だった現おっさんや現おばさんはTHE FIRST TAKEココロオドル」を一度、見てほしい。いずれ、おっさんやおばさんになる現若い人にも見てほしい。もちろん、それ以外の年よりやガキも見て損はない。

みんなが自分と同じように感動するとは思わないけれど、少なくとも音に乗り泳ぎ続けることはできる。そういう名曲なのだ

anond:20241124052218

キラキラ」に対する批判や反感があるのは分かるし、自己顕示欲とか自己プロデュースの大切さも否定はしない。

ただ、それを「女性差別」に結びつけるのは、なんか違うんじゃないかと思う。

スイーツ(笑)」とか「インスタ蝿」みたいな表現が、女性揶揄する意図を持ってるケースがあるのは事実かもしれない。

でも、「キラキラ」している人への批判は、女性だけに向けられるものじゃない。

男性でも、目立ちたがりっぽい行動をしていると「イキってる」とか「ナルシスト」って言われる。

キラキラ」を嫌う感情自体性別とは関係ない普遍的ものなんじゃないか

それに、「キラキラへの批判女性差別」と結びつける考え方は、むしろ女性特別扱いするようにも思える。

性別関係なく、「自己アピールが強すぎる人は嫌われやすい」ってだけの話じゃないのか?

キラキラ」が嫌われる背景には、性別というよりも、「過剰なアピールに対する反感」や「見る人に疎外感を与える」といった要素であって、

それを無理に「女性差別」に結びつけることこそが「女性差別」じゃないのか。

2024-11-21

anond:20240615021938

増田anond:20241121185123ほか)/謎ブクマカ
ちゃん認識して文章を書けているので釣り!』

言うほどそうか?

自分は今まで地味で真面目で嘘とかは絶対につかない誠実な人間だと思っていた

 ↓ ・・・と言ったそばから嘘をつく

返事については、正直にわかりませんできませんって言うよりまずは

はい、できます」って返事をしたほうがずっといいと思ってた 

 

仮にお仕事創作増田ならいものゴミみたいなのと比べて極めて普遍的で出来が良いと思います

ぶっちゃけオフィスワーク全般でもこういう奴いるもの

(近々でも延々と、作業進捗報告が出来ない、メール出せない、リモワがキツいってやってるのおったで)

 

嘘をつくやつとは誰も仕事は出来ないよ

正直に、『出来ない/わからない』と言ったのに周りからフォローが無かったとかなら、

職場の人の人間性の問題、巡り合わせの運の問題とか、職場コンプライアンス意識問題、他にもいろいろ原因が考えられると思うが、

元増田は単純に嘘ついてんだもん

『まず、嘘をつくのをやめます』で終わりですわ

 

これ続けてると鬱病とか自己愛パーソナリティ障害とか二次障害起こすぞ

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