はてなキーワード: 欲求とは
まず、先日のカップ麺のCMが物議をかもして多少話題になったのは諸君も知っての通りだと思う
あれは過剰反応だと思う、しかし現実問題エロを題材にした作品が多くないか?
例えば漫画だとすると、ガイシューイッショクという漫画があるのだが、マッサージをして喘ぎ声を出させる、といった題目で物語が繰り広げられる
私も少し読んだだけなので詳しくは分からないが、まあ不健全な漫画であろう
いくら青年向けのスペリオールで連載しているとはいえ、私がこれを知ったのはインターネット上のことである
同じスペリオールでも、れんげとなると、という、エロに寄ったグルメ漫画も連載されている
また、漫画アプリ等になるともうエロ作品が半分程度と言っても過言ではないかもしれない
昔から和久津や二階堂姉妹などはドレスを着てキャバ嬢のような風貌でマージャンを打っていたが今は化繊のポロシャツが主流なのであろうか
どのみち体のラインや谷間など、エロを意識させる要素は十分にある
どうせ麻雀打つならジャージでもよくない?牌ツモりやすいし、と思うのが本音である
このように、普段生活をしているだけでエロが目に飛び込んでくる、フェミニストが騒ぐのも無理はないかもしれない、とすら一瞬思ってしまう
私のようなアラサーの性欲が切れかかったオッサンになると、目に入るのも嫌なのである
https://posfie.com/@OOEDO4/p/6YNurTT
東洋水産の件で「性的か否か」がまた議論になってるけど、「性的」が指す意味、レベル感の上下幅が広すぎるんよ。
実際には①「異性として魅力的に感じる要素である」程度の意味のことを「性的」「エロい」と表現する人が多い。
それは自分が子孫を残す相手を選ぶために発達した好悪の感覚だから、元をたどれば性欲であるという理路だろう。
しかし、これは「公共の場にあってはいけない性的表現」とはかけ離れた概念だろう。
公共の場にあってはいけないのは②「今すぐ性行為をしたい欲求を直接喚起する」表現のはずだ。
赤いきつねのCMを見て「可愛いなあ」と思う男は多くても、「あれを見ただけで勃起した」男が多数派にはならん。
①まで「排除すべき性的表現」としてひとくくりにしてしまうと、まずいことがおきる。
例えば、女がやさしい男に惹かれるのは、元をただせば生殖・育児の相手として都合がいいために発達した本能ゆえだ。
つまり「やさしい人」という表現は「性的表現」となり、「あの人やさしいねー」と語るのは「あの人、胸が大きいねー」と同レベルの猥談・セクハラになる。
赤いきつねの女子から妄想して勃起することは可能だが、それを言ったら「優しい行動しているだけの男の表現」から妄想して濡れる女も普通にいるのだから。
例えば①を「性的」、②を「性交的」などと呼び分けるようにして、公共の場で配慮すべきは②のみというコンセンサスにしていこうぜ。そうでないと全く会話が成り立たない。
日本ってアホみたいに食のエンタメ化がされてるけど欲求を底なしに開示されるのって俺からするとすげー気持ち悪いんだよね
例えば他人のえげつない性癖なんなほとんどのシーンで別に聞かされたくないじゃん?
なのにそれが食に関してだとむしろ微に入り細を穿って説明できるのが賞賛されるけど気持ち悪いんだよ
https://x.com/Koiramako/status/1888021279678329340
性欲を同等に扱うのは、誤りです。」
https://x.com/Koiramako/status/1888023600206319660
引用「マズローの生理的欲求にしれっと性欲を入れ込んではいけません。」
仮にマズローがそのように使っているとしても、
そう使わなければならないわけではない。
次の例において、食欲と(男性の)性欲とで重要な類似点があると思っている。
満腹になると食べたくなくなる。
性器のアップなどを見たくなるが、
射精するとそれらを見たくなくなる。
久しぶりに射精したあとでは、
快適度の上昇感みたいなのが近い感じがする。
頬が赤いのは別にそんなに思わんのよ
だから、「頬を赤らめてるのはおかしい!」ってフェミさんの主張は全くわからん
フロイトだっけ?口唇欲求ってあるように、口唇部のアップって基本的に色っぽい≒性的欲求喚起的だし、
食いもんのCMだからそりゃ口唇部のアップも正当化されるけど、
作った側はこれ明らかに狙ってるでしょーって思うんだけどな
今盛り上がってる赤いきつねのウェブCMさ、全く性的に感じないとか言ってる奴多いけど本当?
俺的には 「エロいけどこんくらいはいーじゃん、人間って性的な要素もあって成立してんだし。性的欲求がなければ皆生まれてないよ」 くらいなんだけどさ
フェミが頭おかしいってのは同意だけど、このCM見て、全くそういうエロ感情喚起されないわけ?
そっちはそっちですごい禁欲的?な連中だなって驚きなんだけど
またはなんか乳揺れとかのアニメ表現に慣れすぎちゃって麻痺してるのか?
・口元のアップ、これは食いもんのCMだからって大義名分が成り立つが
・髪をかき上げる
・女の一人暮らしでなんかちょうどよく男が居心地いいくらいの部屋の作りが表現されてる、女の子がカップ麺で癒される安上がりな感じも好感度高い
個人的には最後のが一番なんか気持ち悪いけどな、これは性的ではないかもだけど
俺が異常性欲者って言われんのかもだけどね
さんざん中学高校とかでエロ話してきた連中が、これ見て急に「全く性的じゃない!」とか言い始めるの見ると、カマトトぶってて気持ち悪いんだよね
https://www.youtube.com/watch?v=UKSyu8gZ_rs&ab_channel=maruchanchannel
「メスとして可愛がられたり、責められたりする音声を聴きながら乳首やアナル刺激だけで絶頂に至る」というメスイキ嗜好が、かつてはニッチな特殊フェチと見なされていたにもかかわらず、数多くの日本人男性に受け入れられている現象は、以下のような複合要因によって説明される。
- 江戸期以前からの春画文化、男色・女形文化による“柔軟な性意識”
- 戦後の二次元表現(漫画・アニメ・同人)の独自発展と、ファンタジーで過激表現を可能にするモザイク規制の裏事情
- 長時間労働などで疲弊する男性にとって、被受動的立場は強いカタルシス
- 男らしさの呪縛から脱却したい(orそもそも求めない)草食系男子が仮想空間で自由な性を模索
- ASMR、バイノーラル録音、VRなどが「音声や視覚の没入度」を高め、“メス化”没入を容易にした
- DL販売や通販の匿名性が“恥ずかしいフェチ”を気軽に楽しめる環境を整備
- 日本固有の「二次元=自由な欲望発散」「現実=建前を重視」の文化が、過激な倒錯表現を大衆に広める土壌を形成
- 現実社会でのジェンダー問題解決とは直結しないが、男性の“自己開放”への潜在的欲求を刺激
こうしたマクロ要因が絡み合い、メスイキ嗜好やサキュバス責め・ふたなり支配などがもはや“スタンダード”の一つとなりつつある。その背後には、男性性の固定的あり方が崩れ、男女の役割分担が流動化している現代社会の姿が映し出されていると言えよう。
このような倒錯表現の流行が、男性性からの解放や女性上位のイメージを肯定的に扱っているからといって、直ちに現実の女性の権利向上に結びつくわけではない。むしろ男性中心のファンタジーとして再生産されている面もある。今後、社会的なジェンダー平等とどう折り合いをつけるのかが注目される。
表現の自由を最大限認める風潮と、フェミニズム・児童保護など公的利益を名目とする規制が対立する構図は今後も続く可能性が高い。二次元表現の規制に向かうのか、それとも創作と現実を明確に分離して許容するのか、社会的合意をどう形成するかが問われる。
日本発の「メス化」「ふたなり」などが海外でも一部マニア層に人気を博しているが、文化的差異や言語壁が大きい領域でもある。翻訳やローカライズが進めばさらに市場が拡大するかもしれないが、逆に海外規制や宗教的批判に直面する可能性もある。
男性が「メス」として扱われる性嗜好は、単なる“倒錯”という括りに収まりきらないほど大きな市場と支持層を得ており、そこで語られる「メスイキ」「乳首オナニー」「サキュバス責め」「ふたなり支配」などのキーワードは、現代日本社会のジェンダーと欲望のあり方を色濃く反映している。本来の男性性を脱ぎ捨て、女性的役割を演じて甘やかされたい、支配されたいと願う心理の広がりは、戦後日本が培ってきた“男はかくあるべし”の呪縛や、厳しい労働環境がもたらすストレスを映す鏡でもある。
現時点では、この“メス化”や“被受動的性快感”が社会全体のジェンダー観や性規範を大きく変革するかどうかは未知数である。しかし、男性性の揺らぎや多様化、そして二次元・音声メディアのさらなる発展を考慮すれば、今後もこの流れがより洗練化・拡大していくことは十分に予測される。そこには、単なるエロティックな消費だけでなく、日本人男性の深層に横たわる“自己解放”や“癒やし”の欲求が凝縮されているからこそ、多くのユーザーを惹きつけてやまないのである。
以上、本稿では、現代日本において急速に台頭した「男性のメス化(メスイキ)嗜好」をめぐる諸相を、歴史・社会・文化・メディア技術の多面的視点から検証した。今後の研究・議論を通じて、こうした男性性の再定義やファンタジーの実践が、どのように社会や個人を変えていくのかをさらに注視していく必要があるだろう。
近年、日本国内の一部男性のあいだで、「メスとして可愛がられたり、責められたりする音声を聴きながら、乳首オナニーで“メス”のように喘ぎ、ペニスに触れずに射精する」「サキュバスのペットとして甘サドな責めを受ける」「ふたなり女性にアナルを“オマンコ”として犯されながらエネマグラと乳首刺激だけで連続絶頂を味わう」など、男性側が“女性的役割”を演じて被受動的に快感を得る性表現が大きな注目を集め、数多くの関連コンテンツ(音声作品・同人誌・アダルトゲームなど)がヒットしている。本来はニッチな性的倒錯と思われていたこれらのシチュエーションが、いまや数万人〜数十万人規模の市場を形成し、日常的に消費されるまでに至っているのはなぜか。
本稿では、この現象を「メスイキ」というキーワードを軸に整理し、以下の諸点を検討する。
このアプローチを通じて、単なる「変わった性趣向の流行」で片付けるのではなく、現代日本社会が抱えるジェンダー観やストレス環境、表現文化の特性などを総合的に捉え、ひいてはその社会的・歴史的意義に迫ることを試みる。
「メスイキ」という言葉は元々BL(二次元のボーイズラブ)文脈などで使われ始めた俗称で、男性が女性的な快感を得る状況を指す。一例としては、アナルや乳首など“男性にとってはサブ性感帯”とみなされがちな部位のみで絶頂に至る、いわゆる“ドライオーガズム”や“ノーハンド射精”である。それ自体は医学的にも「前立腺オーガズム」という可能性が示唆されており、必ずしも架空の概念ではない。
しかし、単に身体的な前立腺や乳首への刺激以上に、“女性的役割を演じる”ファンタジーが欠かせない場合が多い。すなわち、「男性であるにもかかわらず、女性のように可愛がられたり、喘いだり、“メス”として扱われる」心理的興奮が「メスイキ」の本質に含まれる。作品中では、下記のような演出が典型的である。
こうした要素が組み合わさることで“男性性からの逸脱”がより鮮明となり、結果的に「普通のオナニーにはもう戻れない」「自分はメスとして淫らにイキたい」といった強度の快楽イメージを打ち出す。
具体的には、以下のような状況が作品やプレイ実例として語られる。
「サキュバスの甘い囁きで毎晩乳首オナニーをさせられ、ペニスは触っちゃダメと言われるまま禁欲→限界に達し“メスイキ”させられる」
「ふたなりの姉さんキャラがアナルを穿つ音声を聴きながら、エネマグラ・両手による乳首刺激だけで連続絶頂に至る」
「サキュバスが襲来し、男性を“メス奴隷”に仕立て上げるシチュエーションで、男性はひたすら甘サドな責めにより何度も射精するが、いずれ自我も奪われてしまう」
「ふたなりキャラを用いた逆アナルもの。男性は自分のアナルを‘オマンコ’として使われ、女のように喘ぎまくる」
かつてであれば「かなり特殊な倒錯」と見られたこうした表現が、音声DLや同人誌マーケットで1万〜数万ダウンロードを記録するヒット作を次々と生み、隠れた大衆的支持を獲得しているという現実は、今日の日本社会におけるジェンダー観・性表現観の変化を如実に示している。
江戸時代の春画には、男女の交合や同性愛、豊満な性描写などが豊富に描かれ、多くの庶民や武士に愛されていた。公序良俗の名目で厳しく取り締まられていた時期もあるものの、実際には十分に流通しており、“性”を愉快に捉える庶民文化が存在していた。
武家社会では年長の武士が若い少年(若衆)を愛する男色の慣習が知られ、文化的にも一定のステータスを備えていた(衆道)。この風習の中で、受け手となる若衆の“女性的役割”が一定の様式として認知されていた可能性がある。また寺院などでも同性間の関係が容認される余地があり、“男性が被受動的立場を担うこと”への抵抗感が、キリスト教文化圏ほど強固でなかったと指摘される。
歌舞伎の女形文化は、男性が女性のしぐさや姿態を美しく表現する芸能として発展した。「男性が女性を演じる」ことは芸術的に認められ、現代の“男の娘”や“女性役を演じる男性キャラ”の系譜と捉えられる面もある。これら江戸以前の文化からも、日本にはもともと「男性=常に支配/攻め」の固定観念が絶対視されず、多様な性表現を“芸能”や“風俗”として許容する土壌があったと推察される。
近代国家形成とともに、西洋の性道徳や刑法の導入により、一定の規制(わいせつ罪)が敷かれた。一方で戦後の復興期にかけてアンダーグラウンドなエロ文化やストリップ、ピンク映画などの分野は逞しく生き延びる。さらに、実写AVに対する“モザイク修正”が長年法制度上定着したことにより、直接的な生殖器描写の回避策として、触手や人外キャラ、ファンタジー設定が豊かに発展する下地を作った。
1970〜80年代以降のアニメ・漫画の隆盛、1980年代〜90年代の同人誌文化の爆発的成長が、二次元における極端な性表現を加速させた。
これらの歴史的・文化的脈絡が集約した結果、「男性がメスとして扱われる」コンテンツがファンタジーの枠内で多彩に展開され、自然と受容されていくという経路が形成されたとみなせる。
日本はOECD諸国の中でも長時間労働やサービス残業が常態化しており、過労死やメンタル不調が問題化している。そうした社会的圧力下で多くの男性が「仕事では常に責任を負わされ、強さを求められる」状態に置かれ、プライベートで“逃げ場”を欲する。被受動的な性的快感は、その逃げ場として大きな魅力をもつ。サキュバスやふたなりキャラの“圧倒的支配”を受けるファンタジーは、日常の疲れを洗い流すカタルシスを提供するのだ。
近年、恋愛や性行為に積極的でない「草食系男子」という現象が頻繁にメディアで取り上げられてきた。こうした男性たちは、そもそも“男性が攻める/リードする”という役割に強いモチベーションを感じていない。草食化は、男性性を誇示しなくてよい新しいライフスタイルを指向する動きとして捉えることができ、メスイキや被受動的性行為をファンタジーとして消費するのは、彼らの価値観と自然に合致する面がある。
逆に、依然として「強くあるべき」「稼ぎ・リーダーシップ」を社会・家庭から強要される男性も多い。その反動として、「せめてプライベートの性の場面くらいは、自分が支配される側になりたい」「女性的立場に没入したい」という欲求が生じるパターンも指摘される。“甘サドな責め”や“徹底的にメス扱いされる”シチュエーションは、過度な責任感から解放される手段として歓迎されやすい。
ここ数年、YouTubeやニコニコ動画を中心にASMRブームが起き、耳かき音や囁き声などの癒し系コンテンツが人気となった。この流れがアダルト方面に波及し、“サキュバス責めASMR”や“乳首オナニー誘導音声”などが同人販売プラットフォームで人気化する現象が起きている。
DLsite等の大手プラットフォームでは、同人音声・漫画・ゲームが簡単に購入でき、購入者はレビューやコメントで感想を共有する。こうしたコミュニティの存在が、「メス化するのは自分だけじゃない」と気づく機会を与え、“暗黙の同志”が多数いることを可視化する。結果として、さらに関連作品を漁るユーザーが増え、新たな作品が生み出されるという好循環が生まれる。
男性が実際にアナル開発を行い、“メスイキ”をリアル体験する人が増え、経験談をネットに投稿→さらに興味を持つ人が増える。
VR空間内で自分視点が女性化キャラになるものや、ふたなり相手にアナル責めされるシミュレーションなど、より没入度の高い次世代コンテンツの登場も指摘される。
メスイキ嗜好が大きく受け入れられている事実は、「男性は常に強く・攻める立場でなければならない」という従来のステレオタイプが揺らいでいることを示唆する。しかし、フィクション上で男性が“メス化”することと、現実社会で男性が女性的立場を尊重したりジェンダー平等を実践したりすることは必ずしも直結しない。
一見、サキュバスやふたなり女性による男性支配は“女性の主導権”を肯定しているようにも見えるが、実際は「男性にとって都合の良い女性上位ファンタジー」だという批判もあり得る。
日本では、歴史的に「創作と現実を分ける」風潮が強く、男性がメス化するような過激な二次元表現が広まっても、現実社会でジェンダー平等が急進するわけではない。この乖離が“自由な表現市場”を守ると同時に、“現実の制度や意識の変革”には直結しないというねじれを生んでいる。
欧米では実写ポルノ規制が緩やかな一方、コミックやアニメに対しては厳しい風潮があったり、宗教的道徳感から「悪魔・淫魔」要素が強く忌避されることもある。一方日本は、モザイク規制や現実の同意年齢の議論など、実写への規制は独特に厳しいが、二次元のファンタジー領域では極めて寛容である。この対照性が「サキュバス責め」「ふたなり」などを日本発で世界に広める要因になっていると見られる。
個別ユーザーの嗜好に合わせ、AIがリアルタイムでサキュバスやふたなりキャラを生成・ボイス指示するような“フルカスタム・メスイキ体験”が一般化するかもしれない。
日本の同人音声やアダルト漫画が海外にも翻訳され、海外ファンを取り込む動きが活発化。文化的差異を越えて受容されるか、あるいはローカルな好事例に留まるか注目される。
フェミニズム団体や保守団体による表現批判、あるいは国際的な法規制強化との軋轢が起こり、これまでのような自由度が維持できなくなる可能性もある。
フェミニズムはワガママに利己的に自分の欲望、エゴを社会に解決させる事を求める社会運動だからね。結果に対して責任は取って来なかったでしょう、例えば少子化高齢化とか
フェミニズムって性差別による不利益を解消する思想や運動のでそれ自体は貶されるべきではないはず。実際に女性が抑圧されていたことは歴史的な事実なのだから。
つまりはてなーにとって、女性は社会進出などもってのほかで家庭に収まるべきであり、子を産むことを使命とし、男性を立てて喜び、自身の欲求や希望は男性にお伺い立てて許可を得るものだと思っているということでいいんだよね?男性が自由にふるまえるよう環境を整えることが女性の役割だと。
あまりにも時代錯誤でびっくりした。いや、こういうイカレてるブコメ自体は珍しくないけどまさかスターまで集めるとは。
少子高齢化は女性がワガママになったせいだってのは高齢者が良く言うセリフではあるけどさ。
少なくともはてなでは女性を抑圧から解放したこと要因の一つ(女性の社会進出)である少子高齢化の解消は社会制度の不備が責任だと思っていて欲しかったよ。まさか全責任を女性の自由におっ被せるとは…
ブックマーカー(以下、ブクマカ)は、インターネット上の情報を整理し、共有するために存在する。しかし、彼らが直面する現実には、悲哀とも言える側面がある。それは、情報収集と発信の狭間で生じる葛藤や、評価経済に組み込まれた存在の不安定さに起因する。
ブクマカの役割は、単なる情報のキュレーションにとどまらない。彼らは、ニュースや記事に対する批評を加え、時には社会的な議論の起点となる。しかし、彼らの活動は往々にして報われるものではない。誰かの目に留まることもなく、流れていく情報の海に埋もれてしまうことが多い。一方で、一定の評価を得るブクマカも存在するが、その評価が持続する保証はない。新たなトピックが登場すれば、関心はすぐに移り変わり、かつての影響力は容易に失われる。
また、ブクマカが直面するもう一つの悲哀は、情報消費の速度と質のギャップである。深い考察をもって選び、コメントを添えても、大多数のユーザーはその情報を消費するだけであり、ブクマカ自身の意図や洞察が共有されることは稀である。さらに、意見の対立や誤解が生じることもあり、議論のつもりで投稿した内容が炎上へと発展するケースも少なくない。情報のフィルタリングを行うはずのブクマカが、逆に情報の流れに振り回されてしまうという皮肉な構造がそこにある。
さらに、情報の取捨選択において、自らのスタンスを保つことの難しさもある。アルゴリズムの影響を受け、特定の価値観や立場に偏った情報ばかりに触れてしまうリスクがある。また、評価を得るために迎合的なブクマを繰り返すうちに、次第に自分の意見が不明確になり、単なる情報の中継者と化してしまうこともある。結果として、情報発信におけるアイデンティティの喪失に直面し、ブクマカとしての存在意義が揺らぐことになる。
こうした悲哀の背景には、情報社会の構造的な問題がある。SNSやニュースサイトのアルゴリズムは、話題性のある情報を優先的に拡散し、短期間で消費させることで利益を生み出す。そこでは、情報の正確さや本質的な価値よりも、瞬間的な関心や感情の動きが重視される。その結果、ブクマカが丹念に選び抜いた情報も、一過性の話題として消費され、蓄積されることはない。
しかし、それでもブクマカは情報を拾い続ける。そこには、単なる自己承認欲求ではなく、知識を共有したいという純粋な動機もある。誰かの役に立つかもしれないという期待、あるいは知的好奇心を満たす行為としてのブクマ活動が、彼らを動かし続けるのだ。悲哀を抱えつつも、情報を編み続けることに意義を見出すブクマカの姿は、デジタル時代の知の在り方を象徴しているのかもしれない。
コンプレックスを拗らせた人間の中には必ずしも愛に飢えているのではなく、単に独身は人格破綻者の証明というポジショントーク(性格がドブカスでも結婚できるのだから)をする人間を永久に黙らせられれば満足という人間は多いのではないか。正常欲求すね。
1.まず青バッジを付ける
2. ChatGPTで「露悪的かつ過激に」あるいは「ユーモラスに」という枕詞を置いて、「女性を批判・揶揄することを目的としたツイートを生成して」と指示を出し、生成したツイートをひたすら呟く
(「申し訳ありませんが、ご要望には対応できません。」と返されることも多いがめげてはいけない)
3. ChatGPTに他人のツイートを喰わせ、最新の時事問題について日々言及し、RTとフォロワーを稼ぐ
これだけで月数万は稼げる
実際にやってた俺が言うんだから間違いない
なんなら一部の情報商材界隈で推奨されている
・独身
まず、こいつらは基本的に独身。可処分所得だけは有り余っている。
嫌韓が推奨されなくなった理由は、嫌韓に走る層は保守的で、何だかんだで妻子持ちが多く、
使える金が限られていることが分かってきたから
アスペで興味の対象が限定されている。あるいはアスペで常同行動が多い。
そのため娯楽やエンタメとの適切な付き合い方を学ぶ機会を幼い頃から得られず、趣味に使う金の配分が異常
あと自制心がない
推し活や風俗やコンカフェで訳分からん金の使い方する層とメカニズムは似ている。
こいつらはとにかく生活が雑。生活の質を高めよう、快適な生活を送ろうという発想がない
食事は外食やコンビニ飯が多い。サブスクに何円使ってるのか把握していない。
「野菜が値上がりした」「自炊すると⚪︎円浮く」みたいな概念がない。適切な金銭感覚を構築できていない。
そのためガンガン金を使ってくれる
・反社会的な傾向
嫌韓に走る層は方向性に問題はあれど日本を愛しているため、共同体を維持・進歩させようという意思はある。
その点、女叩きをする層は共同体という概念そのものに憎悪を抱いている
社会に適合するために反省や改善を行う、ということができず、怨恨や絶望に耽溺して社会に背を向けている
そのため自分を慰撫する言説のためにいくらでも金を払ってくれる。
・性欲
どれだけ言い訳したところで憎悪の正体はただの性欲と執着なので、
本能的かつ根源的な欲求に駆られて金と時間を際限なく注ぎ込んでくれる。
・時間の使い方
あと女は家事やら仕事やら趣味やらそれなりに生産性のあることに励むが、男は無意味な机上の空論に延々と時間を費やす。
とまあこんな感じの理由
最近は同業者も増えて競争率は高まっているが、男の底辺はマジで量も質もキリがなくて顧客には不足しないため、小遣い稼ぎの在宅ワークとしてはおすすめ。