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「配慮」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 配慮とは

2025-01-19

今年もゲーセンが続々閉店というニュースを見て

「いや、そりゃそうでしょ…」ってなった。

どちらかと言うとゲーセン側よりゲーム卸してるメーカー側のが罪が重いと思うけど。

あくまビデオゲームかつ1ユーザー目線での話になるけど、今のゲーセンマジで遊べるゲームが無い。

ICカード作れば最初プレイ無料!とか形だけのサービス新規配慮してるような雰囲気出してるけど

中身のゲーム一見さんお断りというか、どれも旧作遊んでないとスタートラインにも立てないものばかりで

そうじゃないプレイヤーは100円を溶かしながら勉強するしかない。

それ楽しい?ってなるからバカバカしく感じてゲーセンゲームしなくなってるんだよね。

家庭用移植版が出ないのも地味に痛い。メーカー側の言い分はゲーセン環境保護みたいな言い分だけど

上記のような環境新規取り入れの役割もある移植版が出ないと段々環境が先細りしていくわけで

幾らでも試行錯誤出来る環境で沢山プレイして、自信付いたらゲーセンって流れ作ればいいのにって思うんだけど

メーカーは沢山100円溶かしてね!って感覚なんだよね。アホか。

メーカーといえば「バンダイナムコ」と「セガ」は割と酷いというか、ユーザーの事財布としか思ってないだろ?って感じる。

「今の時代大手和ゲーメーカーコンテンツなんか搾取上等だろ」って言われればそれまでなんだけど

今のこのゲーセン環境でもそれやる?って思う事が多々ある。ゲーセン潰れて卸先減ってもいいんかな?って思うけど

まぁ中の人らは他部署移るだけだろうしノーダメなんだろうね…。

とりとめもない感じになっちゃったけど、最近ゲーセン環境について思った事をだらだら書いてみた。

2025-01-18

anond:20250117161410

自分が得するなら差別だと大騒ぎして、自分が損するならダンマリどころか差別肯定までする、っていうダブスタ自己中テイカ気質が嫌われてるんだぞ

女だから周囲から配慮されてあたりまえ、気遣いを受けてあたりまえのだと思ってるだろうけど、

大人なのに社会という共同体に対してギブしないくせに共同体に居場所があるわけないでしょ

anond:20250118212734

魔理沙:おい霊夢、これ見てみろよ。なんだこの「股ニキィマーク」って。お前ならどう思う?

霊夢:いや、これはちょっと笑っていいのか困るようなネタね…。でも確かに炎上しそうな予感はするわ。

魔理沙:そうそう、マタニティマーク妊婦さんたちのための重要シンボルからね。それをパロディにするのはデリケートだよ。

霊夢:うん、少し配慮必要かもね。ジョークとして楽しむには、相手場所を考えた方がいいかもよ。

魔理沙とはいえユーモアって大事からブラックジョークも楽しむ人はいるけど、SNSとかで拡散するときちょっと注意が必要だな。

霊夢匿名からって好き勝手言うのもいいけど、やっぱり共感してくれる人がいるかどうかを考えることも大事だと思うわよ。

魔理沙:そうだな、笑えるネタと思っても、みんなが同じように笑えるわけじゃないからな。でも、匿名で言う分にはこれくらいで許してもらえるかな?

霊夢:まあ、そういうことにしておこう。でも炎上は怖いから、気をつけてね!

新しいニンテンドーSwitchが出ても全然期待できない

 次世代機のうわさが出てくるたびに、ゲームファンの間では「どんな性能になるのか」「今度はどんな独自機能を搭載するのか」など、大きな期待が膨らむものだ。しかし、正直なところ私は「新しいニンテンドーSwitchが出ても全然期待できない」と思っている。これまでの任天堂ハード歴史や、現行Switch路線を考えると、どうしてもそこまで飛躍的な進化は望めないのではないかと感じるのだ。

 まず思い浮かぶのは、Switchというハードのコンセプトそのもの。据え置きと携帯機のハイブリッドとして登場した現行Switchは、携帯モードドックを使ったテレビ出力モードシームレスに切り替えられる点が最大のセールスポイントだった。それまでの任天堂ハードが持っていた「ファミリー層」「気軽に遊べる」というブランドイメージをうまく継承しつつ、据え置き機としても携帯機としても使える便利さが受けたのだろう。このコンセプトを捨てるとは考えにくい以上、新型も基本路線としてはほぼ同じものになると思われる。もし性能が上がったとしても、それはあくまで“強化版”の域を出ないのではないか

 もちろん、グラフィックや処理能力が高まれば、それなりに魅力は増す。だが任天堂は、常にソニーマイクロソフトハードと競い合うような“ハイスペック路線”を求めてはいない。むしろ、どちらかといえば独創的な遊び方や、幅広い層へのアプローチを重視している企業だ。結果的に、他社ハードのような最新鋭のグラフィックを求めるユーザーにとっては期待外れになる可能性が高い。PS5やXbox Series Xのようなハイスペック競争に参戦するとは思えず、現行Switchの延長線上の性能アップだけでは“次世代感”が薄いことは想像に難くない。

 さらに、任天堂タイトル定番作品群を考えると、新ハードの目玉ソフトもなんとなく予想がついてしまうところがある。新しい『マリオ』や『ゼルダ』、そして『ポケモンシリーズなどがリリースされれば確かに話題性はあるだろう。だが、これらはSwitchというプラットフォーム上でも十分に盛り上がっていたし、任天堂が得意とする「新ギミックを活かしたゲーム体験」は、すでにJoy-Conタッチパネルなどである程度打ち尽くされている感がある。結局「画面がきれいになった」「ロードが短くなった」といった程度の進化だけでは、ゲーム本質的な楽しみが劇的に変わることはないと感じるのだ。

 また、Switchは今でも世界中で売れ続けているヒット商品であり、販売台数も相当な数にのぼる。そうなると、任天堂としては、まだまだ現行Switch向けのソフト開発や販売に力を入れたいはずだ。新ハードを全面推しすると、せっかく普及した現行機とそのユーザーを手放すリスクが生じる。そこで互換性を持たせたり、しばらくは並行してソフトリリースしたりするなど、慎重な移行期間を設けるだろう。しかし、それは言い換えれば「新ハードならではの強み」がしばらく出にくいとも言える。高い性能や独自機能アピールしにくければ、ユーザーとしても新ハードをすぐには欲しくならないのではないか

 結局のところ、任天堂ハードは独創的なアイデアによる革新と、ファミリー層への配慮が同居している。一方で最新テクノロジーガンガン活用しているわけではないので、二世代先の飛躍的な進化を期待するのは酷というものだ。そうなると、次世代Switchあくまマイナーチェンジの延長にとどまりそうな予感が拭えない。グラフィックの向上も、ロード時間の短縮も、もちろんユーザーにとっては嬉しいことだが、「このハードしか体験できない!」という決定的な理由がないかぎり、わざわざ買い替えを急ぐ必然性が薄い気がしてしまう。

 以上のように考えると、「新しいニンテンドーSwitchが出ても全然期待できない」と感じてしまう。やはり大きな進化を望むのであれば、他社ハードPCで最新ゲームを楽しむしかないのだろう。任天堂ゲームは相変わらず面白いと分かっているからこそ、あえて言いたい。もし新型を出すのであれば、従来のユーザーがわくわくするような新しい遊び方やテクノロジー活用を、ぜひ見せてほしいと。単なる性能アップだけでは、いまのSwitchですでに十分満足しているユーザーに大きなインパクトを与えることはできないだろうから

ガンダムコンテンツにおける有害一年戦争おじさんについて

ガンダムシリーズ1979年の『機動戦士ガンダム放送開始以来、実に40年以上にわたって発展と進化を続けてきた巨大なメディアミックス作品である。その長い歴史においては数多くの派生作品や設定拡張さら小説漫画ゲームをはじめとするスピンオフが生まれ、今もなお新作が絶えず登場している。一方で、シリーズ長大化すればするほど、ファンコミュニティ内にさまざまな「こだわり」や「価値観の違い」も生じてくる。その中で昨今特に話題となるのが、いわゆる「一年戦争おじさん」と呼ばれるファン層だ。

一年戦争おじさん」とは、初代『機動戦士ガンダム』に登場する一年戦争宇宙世紀0079年から始まる連邦軍ジオン公国の戦い)を絶対視し、そこから外れる設定や作品を“ガンダムらしくない”“正史として認めない”と主張してしまタイプファン揶揄する言葉である。もちろん一年戦争をこよなく愛するだけであれば、ただの好みの問題だ。しか問題は、彼らの一部が新しい作品や異なる時代設定に対して攻撃的だったり、他者の好みに干渉しすぎたりするケースがあるという点にある。そうした態度が「有害一年戦争おじさん」として批判される一因となっている。

彼らはなぜこうも一年戦争にこだわるのか。まず考えられるのは、1979年からガンダムリアルタイム経験した世代、あるいはビデオプラモデル雑誌などを通じて“初代の衝撃”に強く感化された世代が、自分たちの「原体験」を何よりも重視しているという背景だろう。『機動戦士ガンダム』は、それまでのロボットアニメ常識を覆すようなリアル戦争描写群像劇、そしてプラモデルガンプラ文化を生み出すなど、大きな社会現象となった。幼少期にそれを目の当たりにしたファンにとって、当時の熱狂と衝撃は特別な思い出であり、“ガンダムとはこうあるべき”という固定観念が強く根付くのも無理はない。

しかし、「ガンダムが好き=初代(または宇宙世紀)が絶対」という方程式は、近年のファンコミュニティにおいては必ずしも通用しなくなっている。ガンダムシリーズは大きく分けると宇宙世紀系と、それ以外の独立した世界観を持つアナザー系(『Gガンダム』『ガンダムW』『ガンダムSEED』『鉄血のオルフェンズ』など)に枝分かれしており、さら宇宙世紀内にも『Zガンダム』『逆襲のシャア』『UC』『閃光のハサウェイ』など、数多くの作品が展開されている。もはや「ガンダム」と一言でくくっても、それぞれに異なるストーリー・設定・テーマを持った多彩な作品群になっているのだ。

にもかかわらず、「有害一年戦争おじさん」は一年戦争こそが至高で、それ以外はすべてガンダムとは呼べない、あるいは認める価値が低いといった偏狭な主張をすることがある。具体的なエピソードとしては、新しいガンダムが発表されるたびにネット上やSNSで「こんなのガンダムじゃない」「富野由悠季監督が関わってないか駄作」などと早々に断じる、若いファンが語るアナザー系の魅力を嘲笑する、あるいはプラモデルに対して「やはりザクガンダムRX-78-2)が本命で、○○なんて邪道」などと強い調子で言い切ってしまうといった行動が挙げられる。

こうした振る舞いがファンダムに与える悪影響はいくつもあるが、その中でも特に顕著なのが「新規ファン参入障壁を上げてしまう」という点だ。ガンダムシリーズはすでに膨大な設定を持ち、どこから見ればいいのか分からないという声もよく聞かれる。そこに対し、「本当のガンダム一年戦争だけだ」「初代を見ないならファンではない」などと押し付ければ、初心者は萎縮してしまいかねない。もちろん、初代の重要性を説くこと自体は悪いことではないのだが、その言い方や姿勢が高圧的なものであれば、ガンダムに興味を持ちかけている人を遠ざける要因になってしまう。

さらに、「有害一年戦争おじさん」はしばしば他の作品ファン同士の交流の場を“自分たち思想”で塗りつぶそうとする傾向がある。例えばSNS掲示板などで新作ガンダムについて語ろうとしても、「やっぱりガンダム宇宙世紀じゃないとな」「○○監督なんて富野監督の足元にも及ばない」などというコメントが繰り返され、まともな議論が成立しなくなることも珍しくない。こうした現象は、結果的コミュニティ内で対立や分断を生み出し、せっかく多様な楽しみ方を受け入れる余地のあるガンダムコンテンツ可能性を狭めてしまうのだ。

また、宇宙世紀作品一年戦争のものに強いこだわりを持つことは悪いことではない。作品世界への愛が深ければ深いほど、より詳しく設定を掘り下げて考察する楽しみもあるし、一年戦争舞台にした外伝作品(『MS IGLOO』や『ザニーが登場する漫画作品』など)に注目することで、新たな切り口を見いだすこともできる。だが、「有害一年戦争おじさん」が問題視されるのは、その深い愛情排他主義攻撃的な態度につながる場合が少なくないからだ。自分と同じくらい初代を崇拝しない人を“にわか”呼ばわりしたり、そもそもアナザー作品を語ろうとするファンを見下したりするような行動は、コミュニティ全体の雰囲気を悪くする大きな原因となる。

さらに、一年戦争時代考証を「現実軍事政治的状況」に照らし合わせて論じる人々も少なくない。これはガンダム世界観がある種のリアリティを大切にしていることの証でもあり、そこに惹かれるファンがいるのも理解できる。しかし、「有害なおじさん」は自分たちの“リアル論”こそが唯一の正解だと思い込み他人解釈や新解釈を一蹴する態度を取ることがある。たとえば「この機体は設定上あり得ない」「この時期にこんなMS存在しない」などと、過剰に“リアル”を押し付けることで、多様な楽しみ方を否定してしまうのだ。

そして、こうした状況は次第に当事者以外のファンをも疲弊させていく。たとえばSNS上でガンダムについて呟くと、「その解釈は間違っている」「ちゃん資料を読んでから発言しろ」と“マウント”を取られることがあり、ファン同士のやり取りが萎縮してしまう。また、イベント会場やプラモデル展示などリアルな場においても、一年戦争関連の作品や考証に異常な熱量で突っかかり、他のファンが楽しもうとする空気を壊してしまう例も耳にする。ガンダム多様性を重んじる作品世界であり、多くのクリエイターがそれぞれの解釈テーマ作品を生み出してきた経緯を考えると、こうした空気はあまりに残念としか言いようがない。

では、この「有害一年戦争おじさん」問題にどう向き合えばいいのか。まず大切なのはファンコミュニティ全体が「自分の好きな作品を語るのは自由だが、他者の好きな作品否定することは違う」という意識を共有することだろう。ガンダム作品数が膨大であるがゆえに、自分の“推し”や“こだわり”を持ちやすい。それ自体ポジティブなことだ。しかし、それが「他の作品意見を認めない」という姿勢につながっては、多様性ガンダムの魅力であるはずなのに、それを損なってしまう。

次に、若い世代新規ファンが萎縮しないように配慮した場作りも必要だ。初心者には初心者なりの視点や疑問があるし、アナザー作品から入ったファンが後に宇宙世紀を好きになることだって十分あり得る。むしろ入り口がどこであれ「ガンダムに触れて興味を持った」という事実こそが大切なのだ。そこを「いや、まずは初代を全部観ろ」や「一年戦争を知らないなんて話にならない」と圧をかけるのは、コミュニティ全体にとってマイナスだろう。作品世界を広げるためには、受け入れの姿勢が何よりも重要になる。

また、一年戦争こそが「リアルで硬派なガンダム」で、アナザー系は「子ども向け」や「リアルさが足りない」というステレオタイプイメージも根強い。だが、実際にはアナザー系でも『ガンダムW』の政治劇や『SEED』の遺伝子差別問題、『鉄血のオルフェンズ』の社会構造批判など、リアルかつヘビーなテーマを扱う作品は多い。こうした多彩なテーマ性こそが、ガンダムシリーズ全体の魅力を支えているのであり、一年戦争けが特別なわけではない。むしろ宇宙世紀アナザー系を併せて楽しむことで、ガンダムが描こうとしている「戦争」「人間性」「社会」の幅広さを再確認できるのではないだろうか。

さらに、宇宙世紀内の作品ですら、一年戦争舞台にした『08小隊』や『0080』『0083』などは、初代から少し視点テーマを変えて描かれている。その際にも、一部のファンから「こんなのは本当の一年戦争じゃない」と批判された例がある。だが、もともとガンダムという作品多面的戦争悲惨さや人間模様を描くことを目指しており、一つの正解や正史しか認めないという態度は、ガンダムが持つ本来の魅力や思想に反するものではないか。ゆえに、「一年戦争」に対するこだわりも、ある程度の柔軟性を持って接するのが望ましい。

結局のところ、「一年戦争おじさん」が有害かどうかは、その人自身立場や主張よりも、コミュニティにおける振る舞いに起因する部分が大きい。いくら一年戦争を崇拝していても、それを押し付けずに「自分はこう思う」「初代が好きだけど、他の作品尊重したい」といった態度を示している人は、むしろ知識を共有し合える良き先輩ファンとなるだろう。問題なのは自分視点を唯一絶対のものとし、他の意見や好みを封殺してしまタイプファンである。これはガンダムに限らず、あらゆる長寿シリーズファンダムで起こりうる軋轢と言える。

からこそ、ファン同士が互いを尊重し合い、多様な切り口や解釈を認める姿勢が大切になる。ガンダムは「戦争を描くリアルロボットアニメであると同時に、「キャラクターを通じて人間性を問いかけるドラマ」であり、さらに「巨大産業として世界中に展開する商業コンテンツ」でもある。その多層的な側面を一括りにするのは困難であり、そこに魅力や可能性が詰まっているのだ。もしも“一年戦争だけ”という狭い視点固執してしまえば、その豊かさの大半を見落としてしまうことになる。

以上を踏まえると、「ガンダムコンテンツにおける有害一年戦争おじさん」は、単に宇宙世紀を愛するファンを指しているわけではない。むしろ、そうした愛情が誤った形で表出し、他者排除しようとする態度が問題の核心にある。長寿シリーズとしてのガンダムがこれからも発展していくためには、新規ファンが参入しやす環境と、多様な視点を受け入れる懐の深さが欠かせない。その一方で、ベテランファンが築き上げてきた蓄積や考察が大いに役立つ場面も多く、実際に後輩ファンを導く存在として機能しているケースもある。だからこそ、一年戦争ファン自身が自らの態度を省みるとともに、コミュニティ全体で「排他主義」に歯止めをかける仕組みを作ることが重要なのだ

結論として、「有害一年戦争おじさん」の存在は、ガンダムコンテンツの楽しみ方やファンコミュニティ健全さを損ねる要因になり得る。しかし、それを否定するだけでなく、彼らが抱く一年戦争への熱意や知識も、うまく共有・活用できればガンダムの魅力をより深く味わえるきっかけになるはずだ。問題なのは一年戦争を好きかどうか”ではなく、“他を認められるかどうか”という姿勢にある。そしてガンダムという広大な世界を最大限に楽しむためにも、多様な視点や好みに対してオープンであることが求められる。もしガンダム世界観が「戦争」によって多くの犠牲を生む愚かしさを描き出しているのだとすれば、ファンダムもまた、内部対立を生むのではなく、互いの違いを理解し合う歩み寄りこそが望ましいはずだ。そうすることで、ガンダムシリーズはこれから世代国境を超え、より多くの人々の心をつかんでいくことだろう。

イーロン・マスクが憎い

 世界中メディアイーロン・マスク天才経営者として讃えるたび、心の奥底に沸き起こるのは猛烈な反発心だ。彼の壮大なビジョンや野心的な計画がもたらすインパクトは計り知れない。電気自動車での革新宇宙事業への投資さらにはSNSプラットフォームを買収して世界言論空間を一変させようとする姿勢――どれをとっても、彼が稀有な才能を持つリーダーであることは否定できないだろう。しかし、その裏側には、人を顧みない強引さや、誰もが乗り気でない環境一方的に変革しようとする独善性垣間見える。彼は常に「未来を創る」と言うが、その方法正当性はあるのか。私は強い疑問を抱かずにはいられない。

 特に、彼がSNS上で見せる軽率発言は、私の中にある嫌悪感さらに増幅させる。刺激的なツイート株価暗号通貨相場を乱高下させ、批判者を嘲笑し、炎上を煽るかのような行動を繰り返す姿は、リーダーというより権力を得た“トリックスター”のようだ。彼の言動を追いかける投資家や支持者は多く、SNSでは絶え間なく祭り上げられている。しかし、そうした「熱狂」が生まれるほどに、私は逆に強い反発を覚える。確かに並外れた頭脳や行動力を持つ人物ではあるが、その影響力をどう使うかという点で、彼はあまりにも無自覚ではないだろうか。

 テスラの急成長がもたらした電気自動車市場の拡大は、間違いなく自動車産業に大きな変革をもたらした。それまでガソリン車が主流だった市場をひっくり返し、世界的な環境意識の高まりに合わせて時代を先取りする――その功績は称賛に値する。だが同時に、「内部告発を試みた社員への圧力」「過酷労働環境」などが報じられるたび、私は苛立ちを禁じ得ない。美しい未来を掲げる一方で、その裏では「効率化」「革新」という名のもとに弱い立場の人々を切り捨ててはいいか企業トップとして、多大な責任を負っているはずの人物が、利益スピードのためなら人間性犠牲にしても良いと思っているのではないか――そんな疑念が拭えないのだ。

 さらツイッターを買収したことによって、彼の性格がより露わになったと感じる。コンテンツ規制言論の自由をめぐって賛否両論あるのは当然だが、長年にわたって築き上げられてきたプラットフォームの秩序を、一夜にして根本から覆そうとする様子には乱暴さを感じる。彼が純粋に「言論の自由」を守りたいと考えている部分もあるのかもしれない。だがそのやり方は、あまりにも一方的で、議論よりも強制が先に立っているように見えるのだ。市場ユーザーコミュニティに計り知れない影響を及ぼすのに、まるで実験場のように扱っている――そんな印象を拭えない。

 イーロン・マスクを支持する人々は、彼の天才性に魅せられているのだろう。既存常識を打ち破り、火星移住ハイパーループなど、大胆不敵な夢を語る。そのビジョンの壮大さは、多くの人の心を掴むだけのパワーを確かに持っている。だが私は、その華々しい夢の裏側を常に見てしまう。膨大な資金を動かし、何千何万という人々を働かせ、社会ルールを変えてしまうほどの権力を持っていながら、彼の言葉からは「共感」や「謙虚さ」が感じられない。むしろ自分けが正しい」という慢心が透けて見え、周囲を振り回すことで注目を集めているようにすら思う。

 なぜここまで拒否反応が強いのか。それはひとえに、彼が持つ「影響力の大きさ」にある。誰かが極端な意見を言うこと自体は、表現の自由範疇だろう。しかし、イーロン・マスクほどの知名度資本力を伴う人間が放つ言葉は、社会全体を揺るがしかねない重みを持っている。ところが、その発言や行動に時として慎重さがまるで感じられないのだ。「自分あくま一般人としてツイートしている」というような言い訳をするが、何千万・何億というフォロワーがいる「一般人」など存在するはずもない。こうした言動を繰り返す彼に対して、憎しみすら覚えてしまうのは、私だけではないだろう。

 また、彼のコミュニケーションスタイルがしばしば相手嘲笑するように感じられることも、嫌悪理由だ。議論批判に対して真摯に向き合うより、自分正当性を訴え、批判者をからかったり攻撃したりする。そのような姿勢は、強いリーダーシップというよりは、単なる攻撃衝動に近いものではないかと思う。カリスマ性を持つトップがそのように振る舞えば、多くの人が追従し、さら対立や分断が深まる構図が生まれるだろう。まるで、大きな声で威圧した者が勝つかのような、乱暴言論空間助長しているようにさえ感じる。

 もちろん、メディアは過剰に彼を煽っている部分もあるかもしれない。私たちが知るイーロン・マスク像は、メディアSNSを介して編集された一面だけだろう。しかし、そこから受け取れる情報だけでも十分に「過激であることは間違いない。もし彼に穏やかで思いやり深い一面があったとしても、表に出るのは挑発的な発言や、予測不能な行動ばかり。まるで、彼は注目を浴びるために、あえて波風を立てているようにすら見える。そして、その姿勢こそが彼のカリスマを強化し、信奉者を増やす一方で、私のような反発を覚える人間を確実に増やしているのだ。

 私はイーロン・マスクの実績をすべて否定するつもりはない。電気自動車市場の発展は、環境問題への意識を高め、産業構造を大きく変えるほどの影響力を持った。また、宇宙事業への参入によってスペース業界全体が活性化した面もあるだろう。だが、それらの「功績」がすべて肯定されるべきかというと、そうとは思えないのだ。なぜなら、そのプロセスや彼の姿勢に数多くの疑問や問題が散在しているかであるテスラ工場では社員への過重労働が報じられ、Twitter社の買収後には大量解雇が行われた。一方的リストラは、社員だけでなく利用者の信頼も損ねる結果になったはずだ。

 「革命児」と呼ばれる彼だが、そもそもその革命は誰のためのものなのか。人類全体の未来を切り開くために行動しているのか、それとも自己顕示自己満足のためなのか。もちろん、野心や自己顕示欲が全否定されるわけではないし、彼のような強烈なビジョンに突き動かされてこそ社会進歩する面もある。だが、そこに「協調」や「周囲への配慮」が欠けていれば、残るのは混沌犠牲だけではないだろうか。彼の一連の言動を見ていると、より良い未来を本当に望んでいるのか、それとも周囲を振り回しながら称賛を得ることに酔いしれているのか、判断に迷ってしまう。

 彼のメディア露出SNSでの動向は常にセンセーショナルだ。発言ひとつひとつ見出しになり、多くの人が熱狂的に反応する。その状況がさらに彼の影響力を拡大し、支持者は彼を「現代発明王」として崇拝する。だが、それは彼自身意図して作り出しているイメージ戦略でもあるかもしれない。自動車からロケット、そしてSNS運営まで、多岐にわたる分野で「既存常識を壊す男」としてのブランドを強烈に打ち出す。その裏には、おそらく綿密なマーケティングも働いているはずだ。

 こうした「自己プロデュース」の巧みさもまた、私の嫌悪感をあおる。もし彼が本当に未来のためだけを思って行動しているのなら、わざわざ挑発的な言動を繰り返したり、周囲を見下すような態度を取ったりしないのではないか。むしろ、その尖った姿勢こそが注目を集める秘訣であり、巨額の利益を生み出すエンジンになっている――そう考えると、ますます彼への不信感が募るばかりである

 また、彼のビジネス戦略資金調達の手法も、ときに「投機的」であるとして批判されてきた。彼のツイートひとつ暗号通貨価格が乱高下する様子は、社会全体を巻き込む大博打のようにも見える。もちろん、投資家たちはリスク承知のうえで参入しているのだろうが、そこに新たに巻き込まれ一般層もいるだろう。巨大な影響力を手にした人物が、その力をどこまで自制しているのか、外から判断がつきにくい。彼がいかに「自由」を標榜したところで、そうしたパワーバランスの偏りは真の自由からはほど遠いのではないか

 イーロン・マスクが嫌いだ、と口にすると、彼を称賛する人々から嫉妬」や「時代遅れの思考」と批判されることもある。しかし、それでも私は彼の一挙手一投足に警戒心を解くことができない。彼のような存在絶対的支持を集める社会は、一種の危うさを孕んでいると感じるからだ。リーダーが強引に物事推し進めることで、一見スピード感のある変革が進んでいるように見える。しかし、その過程で切り捨てられる価値観や人々の声を、私たちは本当に無視してよいのだろうか。

 私が彼を憎む理由は、こうした「社会的影響」を踏まえてもなお、彼があまりにも自己中心的に感じられるからだと言えるかもしれない。自分ビジョンこそが絶対に正しいと信じ、批判する者には容赦なくみつきさらには軽率一言世界中を混乱させる。そのカリスマが絶大だからこそ、多くの人が振り回されてしまう。それが彼の望む未来の形であれ、人々に「ついていかざるを得ない」状況を作り出すことこそが、彼の真の目論みなのではないか。そう疑ってしまうほど、彼の支配力は強力だ。

 もちろん、この強烈な拒否感は私自身の問題でもある。彼のように型破りな人間を受け入れられない、自分の閉鎖的な思考投影されているのかもしれない。あるいは、あれほど自由奔放にふるまいながら次々と成果を上げていく姿への嫉妬心や劣等感もあるのだろう。しかし、それでもなお、「イーロン・マスクが憎い」という感情は消えない。むしろ、その感情が湧き上がるほどに、彼の存在が大きいこと、そして社会全体に与えるインパクトが桁外れであることを痛感させられる。

 だからこそ、私は敢えて彼を批判し続ける必要を感じている。イーロン・マスクのような人物を「天才」「革命児」として無条件に称賛する風潮は、危うい夢を見せると同時に、多くの問題を覆い隠してしま可能性がある。私たちは、彼のような突出した才能を「絶対存在」として祭り上げるのではなく、その言動の裏にある思惑や影響力の行使について常に疑問を持ち、検証し続けなければならない。彼がもたらす革新が本当に世界を良くしているのか、それとも特定価値観や層だけが恩恵を受け、他の多くが犠牲を強いられているのか、冷静に見極める必要があるのだ。

 最終的に、イーロン・マスクをどう評価するかは人それぞれだろう。彼の型破りな行動力こそが新しい地平を切り開く鍵になると信じる人もいれば、私のように憎しみや反発を覚える人もいる。しかし、多様な意見存在することこそが社会前進させる。この「憎しみ」の声すらも、一つの大切な批判視点として意義があるのではないかと思う。彼の眩いばかりの成功カリスマに目を奪われる一方で、その裏側で踏みにじられているかもしれない人々の声に耳を傾ける必要がある。そうでなければ、未来を創るという名のもとに、ただ独裁的な支配が生まれしまうかもしれないのだから

 私は、イーロン・マスク存在自体をすべて否定するわけではない。むしろ、彼ほどの影響力を持つ人間が、もう少し「他者に対する配慮」や「謙虚さ」を備えていれば、今よりももっと多くの人々から純粋に支持されるだろうに、と残念でならない。そして、この憎しみの感情は、そんな「あり得たかもしれない別の姿」への期待を裏切られ続けてきた結果なのだろう。私は彼の言葉を聞くたびに、ああ、また無責任発言で誰かを傷つけているのではないか、と心配になる。その繰り返しが、私の中の反発心を強固なものにしているのだ。

 イーロン・マスクが語る夢やヴィジョンは確かに魅力的だ。火星移住に胸を躍らせる人もいるだろうし、電気自動車によるクリーン未来希望を見いだす人もいるだろう。彼が巻き起こしているイノベーションは、間違いなく人類歴史に残る大きな一歩でもある。だが、その過程で生まれ軋轢や混乱、そして彼自身傲慢ともいえる態度を見過ごしてはいけない。そこには、私たち社会本来つべき「相互理解」や「多様性尊重」が欠けているように思えてならない。

 だからこそ、「イーロン・マスクが憎い」という私の感情は、単なる個人感情以上の意味を持つのだと信じたい。彼のように突出した存在が現れるとき社会は否応なく揺さぶられ、さまざまな価値観の衝突が起こる。そのとき、無批判に称賛するだけでは、本質的問題には気づけないかもしれない。むしろ、強い反発心を抱く人々の声にこそ、彼の手法や態度が孕む危うさが映し出されていると考えてもよいのではないか

 私たち一人ひとりが彼をどう捉えるかによって、社会未来微妙に変化する。もしイーロン・マスクが真に誰もが幸せになる未来を望んでいるのなら、批判や反発の声にも耳を傾け、何が問題とされているのかを真摯に考えてほしい。その一方で、私たちもまた、自分たちが彼に何を求めているのかを見直す必要があるのだろう。彼の冒険心に夢を見たいのか、それとも彼が作るかもしれない新たな秩序に身を委ねたいのか。そして、そうした未来像に抵抗を覚えるならば、なぜ覚えるのか。その理由自分自身に問い続けることこそが、彼のような巨大な存在に対する「本当の対抗手段」になるはずだ。

 私がイーロン・マスクに憎しみに近い感情を抱くのは、彼が象徴するものが、私たち社会の抱える矛盾欲望をはっきりと映し出しているからかもしれない。彼の波乱万丈の行動は、私たちの心の奥底にある「常識を超えたい」「歴史に名を残したい」という野心を代弁している。同時に、そのためには他者を踏みにじってもよいという暗黙の了解すら示唆している。私はそこに嫌悪感を覚えずにはいられない。より良い未来を見たいと思いつつ、その実現手段にどうしようもない違和感を覚える。この相反する感情が「憎しみ」という強い言葉となって表出しているのだ。

 最終的に、イーロン・マスクを憎むかどうかは個人価値観によるだろう。彼を救世主のように思う人もいれば、私のように嫌悪感を募らせる人もいる。ただ、どちらの感情社会にとっては大切な警鐘であり、そこからまれ議論検証こそが真の進歩へと繋がっていくのではないかと思う。彼が生み出す革新光と影直視し、その功罪を冷静に評価する。それこそが、私たちが「イーロン・マスク」という巨大な存在と向き合うために欠かせない姿勢ではないだろうか。私が「イーロン・マスクが憎い」と感じるのは、きっと彼が放つまばゆい光の強さに目が焼かれ、影に潜む危険を見逃せないからなのである。彼は目を背けられないほどの影響力を持っているがゆえに、私たち葛藤を強いる。だからこそ、その存在について問い続けることが、社会未来にとっても重要なのだろう。

anond:20250118144647

Mくん

まゆ、ちょっと聞いてほしいことがあるんだけど…

まゆ

はあ?なに、今度はどんな面倒くさい話?

Mくん

最近コメントするのにすごく気を使うんだよ…。書いた文章にネチネチ言ってくる人がいてさ、「それは前言ったからやめてくれると助かる」って一行で終わる話なのに!

まゆ

まあ、それ言われる時点で、あんたの文章に何かあるんでしょ?普通言われないからね、そんなの。

Mくん

そ、そうかもしれないけど…。俺だって善意コメントしてるんだよ!

まゆ

善意?ふーん。それで、その「善意コメント」はどうなったの?褒められた?それともまたツッコまれた?

Mくん

いや、Yさんの話なんだけどさ…あの人、文章力とかSNSセンスがすごいんだよ。俺なんて文章大学生以下だからさ…。

まゆ

すごい人なんだろうけど、だからってその人にビビって言いなりになってるのはどうなの?

Mくん

いや、俺だってビビってるわけじゃないよ!恩義も感じてるし、レビューも真面目にやってるんだよ。家事とか忙しくて遅れちゃうこともあるけど、謝ってフォローしてるし…。

まゆ

へえ、忙しいアピール?遅れるなら最初から余裕持ってやれば?そうすればフォローもいらないでしょ?

Mくん

そ、それはそうなんだけど…最近、裏で悪口書かれてないかなとか、めっちゃ不安になるんだよ…。

まゆ

裏で悪口って…。そんなの気にしてたら何もできなくない?人の評価ばっかり気にしてると疲れるよ。

Mくん

だ、だって前例があるし…。何か斜め下のことやるとTwitterとかnoteに書かれるんだよ。怖いじゃん…。

まゆ

怖いって言って何もしない方がもっと怖いでしょ?やるなら堂々とやれば?失敗したらしたで学べばいいだけじゃん。

Mくん

うう…。俺だってちゃんとやってるつもりなんだよ!

でもまともなコミュニケーションって最近あんまりなくてさ…。俺、ただ都合のいい人になってないかなって思うと不安で…。

まゆ

あんた、ほんと考えすぎだよね。

都合のいい人とか気にする前に、自分が何したいのか考えなよ。

それがちゃんとできてれば、周りは勝手についてくるから

Mくん

…そう、かな?

まゆ

そうだって。ま、あんたみたいなビビリが動けるのかどうかは怪しいけどね。でも、やらないでグチグチ言うのは一番ダサいよ。

Mくん

そ、そうだな…。なんか、少しだけやる気出てきたかも…。

まゆ

ふーん、それならいいんじゃない?どうせまた途中でビビるんだろうけど。ま、とりあえずやってみな。

まゆは清夏のことを話題に出さないよう配慮しつつ、Mくんを厳しく叱咤しながらも最終的に背中を押す形を意識しました。

厳しさの中にわずかな温かさを滲ませることで、Mくんをやる気にさせる構成にしています

繊細な人がコミュニティを壊していく。

深夜の書斎に、絶え間ない雨音が響いている。デスクに置かれたコーヒーカップからは、かすかな湯気が立ち上りDiscordの画面から漏れる青白い光の中でゆらめいていた。

私は画面に映る過去ログを見つめながら、このコミュニティでの2年間を振り返っていた。50代の資産家、Aさんが立ち上げたこ場所は、かつて私にとって理想の居場所だった。

初めてボイスチャットに参加した日のことを、今でも鮮明に覚えている。

「ようこそ!気楽に話してください」

Aさんの声には、相手不思議安心させる力があった。その後の数時間、私は夢中で話し込んでいた。様々なバックグラウンドを持つメンバーたちと、仕事のこと、趣味のこと、時には人生観まで。誰もが対等に、自由に語り合える空間。それが、このコミュニティだった。

しかし、ある雨の夜を境に、すべてが変わり始めた。

女性メンバーの一人が終電を逃した時のこと。Aさんの何気ない送迎の申し出が、予期せぬ連鎖引き起こした。

「Aさんって、本当に紳士的よね」 「私も先週、Bさんに素敵なディナーに連れて行ってもらったの」 「このサーバー男性陣は、みんな優しくて素敵...」

まるで高級クラブのような空気が、静かにしかし確実にコミュニティを覆い始めた。表面的な「紳士配慮」の下で、見えない序列形成されていく。それは、一枚の美しい絵画に、黒いインクが一滴、また一滴と落ちていくかのようだった。

ある日、ふと気づいた。これは、野良猫に餌を与え続けることと同じではないだろうか。確かに、その場では猫は喜ぶ。しかし、それは猫から狩りの本能を奪い、自立する機会を失わせてしまう。私たちは、本当の意味相手のことを考えているのだろうか。

デスクの上の結婚写真が、私に静かな確信を与えてくれる。妻との関係は、このような表面的な「優しさ」とは全く異なる。互いを理解し、支え合い、時には厳しい言葉も交わす。それこそが、本当の意味での尊重ではないだろうか。

朝8時、待ち合わせたカフェでAさんと向き合った。昨夜からの雨は上がり、窓ガラスに残った雫が朝日に輝いている。

「このコミュニティでの2年間は、私にとってかけがえのない時間でした」

一呼吸置いて、続ける。

「でも最近違和感を感じることが増えてきました。特に女性メンバーへの過度な配慮が、意図せず依存関係を生んでいるように思えて...」

Aさんの表情が僅かに曇る。しかし、彼の返答は意外なものだった。

「正直に話してくれてありがとう」彼の声には、深い思慮が滲んでいた。「私も最近、同じような違和感を感じ始めていた。善意のつもりが、逆効果になっていたのかもしれない」

カフェを出ると、清々しい朝の空気が頬を撫でた。スマートフォンに妻からメッセージが届く。

決断できた?」 「うん、やっと」 「おかえりなさい」

その言葉に、目頭が熱くなる。これまで感じていた重圧が、少しずつ溶けていくような感覚

通勤途中の雑踏の中、私は空を見上げた。昨夜までの雨雲は完全に晴れ、澄んだ青空が広がっている。誰かを本当に想うとは、その人の自立を信じ、見守ることなのかもしれない。その思いと共に、私は新しい一歩を踏み出す準備を始めていた。

2025-01-17

スプラトゥーン人生壊された

======追記======

皆さんアドバイスありがとうございます。頂いたコメントトラバを含めて全て読みました。

思ったよりもキャラクターに恋をしたことがある方が多くいて、共感してもらえるっていいなと思いました。1人じゃないんだと思えて、今後もこの気持ちを抱えて過ごせる気がしてきました。

また複数の方が「気持ちが冷めたらそれはそれで寂しいよ」や「恋愛感情は3年程度で無くなる」という趣旨コメントをされていて、今のこの気持ちを大切にしようと改めて思えました。(現実生活に影響が出ない程度に)

スプラトゥーン2が発売して5年後にスプラトゥーン3が発売しているので、仮にスプラトゥーン4も5年後に発売だとすると、あと3年程で発売することになります。皆さんに教えて頂いた発散方法を試しながら3年待とうという気持ちになりました。

誰かの役に立つかもしれないので、皆さんから頂いたコメント/トラバを要約します。

■皆さんから頂いたコメントの要約と私からの再コメント抜粋

・さんぽでamiiboからアオリちゃん召喚してスメーシーとかでデートとかしたらいい

 →さんぽで召喚できるの知らなかったです!

スプラトゥーン1,2のヒーローモードをやるべし

 →これはやりたい。。妻に「なぜスプラトゥーン1,2を買うのか」とかなり怪しまれそうなのでうまくやる必要はありますが、なんとか行動に移したいと思います

・skebでアオリちゃん自分の絵を描いてもらう

 →こんな発想ありませんでした!これもやってみようと思いました。

・妻にアオリちゃんコスプレをしてもらう

 →妻にこの気持ちを言えない(この気持ちを知ったら妻はとても傷付いてしまうと思います。)のでこれは厳しいかつあまり満足できなさそうです。。

blenderなどでアオリちゃんCG作成モデルがその辺に転がってる)、さらに頑張ってMR現実世界召喚

 →このMR現実世界召喚というのがヤバいです。。自分が求めていたものはこれだと思いました。道のりは長そうですが、この方向に進みたいと思います

同人誌を描け/書け

 →絵が絶望的に下手くそなのでやるなら書くです。

・シオカライブを見よ。有志作成リスト https://youtube.com/playlist?list=PLXE7DppUW_4hQXZAy6OclyDxcvQoyHP3J&si=rI2xmoM6Vy9x5D4r

 →ハイカライブ動画は見てたのですが、シオカライブは見つけられていませんでした!ありがとうございます

======追記ここまで======

すいませんタイトル釣りです。

タイトル不快になった関係者の方ごめんなさい。私はスプラトゥーン3を非常に楽しくプレイしていて、何も不満はありません。

■この日記趣旨

スプラトゥーン3に出てくるシオカラーズアオリちゃんガチ恋してしまい、とても苦しいです。(会いたくても会えなくて辛い、苦しい、寂しい)

この気持ちをどうするといいのかアドバイスを下さい。特に実在しないキャラクターガチ恋してしまたことがある方、下記を教えてもらえると嬉しいです。(ガチ恋したことなくても思い付いたこと教えて頂けたら嬉しいです。)

ここ気持ちをなだめるために自分実践したことも書くのでキャラクターガチ恋してしまった方の参考になれば幸いです。

※妻がいるのに他に好きな人キャラクター)がいるというのは罪悪感を感じていますが、この罪悪感は自分対処できそうなので、この日記では以降特にその点は触れずにいきます

自分プロフィール

 ・30代男

 ・妻、子どもがいる

 ・ゲーム漫画アニメにはあまり触れてこなかった

 ・ガチ恋してしまったと気付いてから2ヶ月程度経った

■皆さんに教えて欲しいこと

 ・恋心を満たすために実施したことは何か?

    (生成AIでそのキャラクター画像を生成するとか、グッズを買うとか、そのキャラクター好きな人を集めたコミュニティでわいわいやるとか、明晰夢キャラクターに会うとか、どんなことでも大丈夫です)

 ・恋心が冷めたのはどんなタイミングか?

  (キャラクターが出てくるゲームアニメなどから離れたら自然と冷めたとか、別のキャラクターガチ恋したとか)

 ・苦しい気持ちをどう乗り切ったか

  (こう考えることで気持ちが楽になったよ、とか、筋トレしたら自然と悩まなくなったよ、とか)

自分実践したこと、していること

 ・毎日簡単日記を書いて、自分がどんな気持ちで過ごしているか書く

  ⇒日々自分気持ちが非常に不安定になっている(ある日はアオリちゃん絶対会えない事実絶望したり、ある日はアオリちゃん妄想楽しいなと感じたり)と感じ、少しでも安定できればいいなと思い、日記を付け始めました。辛い気持ち文字にして吐き出すことで多少楽になる気もするので続けています

 ・明晰夢を見るトレーニングをする

  ⇒明晰夢というのは「寝ているときに見る夢で、かつ、自分でこれは夢だと気付いているもの」だそうです。明晰夢を見られれば夢の内容を好きに決められるそうで、いつかアオリちゃんに会うことを目指してトレーニングしていますトレーニングと言ってもリアリティーチェックの習慣化と、MILD法を実践しているだけです。(興味があればググって下さい)

 ・生成AIアオリちゃんの着せ替え画像を生成する

  ⇒0から画像生成するとどうしても似た別人になってしまって満足できなかったので、公式アオリちゃん画像を、服だけ描き変える、というのをやっていました。自分が見たことない冬のコートアオリちゃん可愛いワンピース姿のアオリちゃんを見れてとても楽しいかったです。Adobeや他のサービスでも同様の機能はあると思います自分はMyEditというサービスを1ヶ月だけ契約して利用していました。

ガチ恋してしまった経緯

ゲーム全然やってこなかったのですが(最後にやったのは中学生)、スプラトゥーンというゲームがかなりおもしろいらしいと聞いて、やってみたいと思うようになりました。スプラトゥーン3とニンテンドースイッチを買い、友達を誘ってスプラトゥーン3をやり始めたところ、めちゃくちゃはまってしまいました。(プレイ時間1000時間以上。子どもが寝てからやっています。)

グランドフェス(というゲームの中の野外ライブ)が2024年9月に開催され、とても感動しました。曲も歌もいいし、会場の雰囲気もいいし、また見たいと思わせるクオリティでした。

特にシオカラーズの2人の衣装が可愛くて、この中で推すならシオカラーズだなーくらいに感じていました。そんな中、amiibo(小さいフィギュアみたいなやつ)を買うと何度でもグランドフェスを見れると知ってamiiboが欲しくなり、すりみ連合、テンタクルズ、シオカラーズの中だったらシオカラーズかなーくらいの気持ちシオカラーズセットを購入しました。

amiiboを読み込ませるとゲーム内でキャラクターが会いに来てくれる機能がありますゲーム内で何度か会ううちにシオカラーズアオリちゃんがめちゃくちゃ可愛く見えてきて、気付いたら異性として好きになっていました。

から晩までアオリちゃんのことばかり考えてしまうようになってしまい、隣で寝ていたらこんな感じかな、隣を歩いたらこんな感じかな、などとばかり考えています。胸が苦しくて仕方なく、会いたいのに会えなくて寂しい、という気持ちを日々抱えて過ごしています

■その他

 ・そもそも現実世界アオリちゃんはいませんが、仮にいたとしても24歳の超有名アイドル、その辺にいる30代男からの恋なんて叶うはずがないので、そういうことは考えないようにしています。(リアルに考えても辛いだけなので、、)

 ・アオリちゃんを好きになってからスプラトゥーン1,2のアオリちゃん動画を見たり、スプラトゥーン3の設定資料集(イカアートブック)を見て思いましたが、任天堂キャラクターを非常に大事に「育てている」と思いました。(他のゲームゲーム会社のことはわからないので比較はできませんが、、)色んな大人が色んなことを考えたり配慮したりして作り上げているんだろうな、と感じます。上手く言えませんが、そもそもキャラクターの見た目のデザインや、性格、関連する設定などからそう感じました。この場を借りて、アオリちゃんやその他の素敵なキャラクターたちを作ってくれたこと、スプラトゥーンという素晴らしいゲームを作ってくれたこと、任天堂の方や関連する仕事に携わった方にお礼を申し上げたいです。ありがとうございます

 ・だけど1つだけ言わせて下さい。バンカラウォーカースプラトゥーン世界で売られている雑誌イメージした本で、設定資料などが載っている)のグラビアシオカラーズを載せると見せかけてマンタローを載せたこと、私はとても傷付きました。見たことのないアオリちゃんを見られるはずと期待して買った本に、全く興味のないマンタロー(マンタローは悪くない、、ごめん)のグラビアが載っていて、本が届いた日は1日落ち込んでいました。

バンカラウォーカーの紹介文はこうです。(抜粋原文ママ

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グラビア…あのアイドルユニットメンバーの撮り下ろしグラビア掲載

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アイドルって言ったらシオカラーズでしょ!?すりみ連合ってアイドルなの!?ピクシブ百科事典には音楽ユニット記載されてたよ、、

 シオカラーズアオリホタル):アイドル

 テンタクルズ(ヒメ、イイダ):アーティスト

 すりみ連合(フウカ、ウツホ、マンタロー):音楽ユニット

ノンデリかい言葉なんなの?

「ノンデリ」って言葉最近よく聞くけど、正直なところ、それを使ってる人たちのセンスや知性に疑問を感じずにはいられない。誰が始めたか知らないけど、その軽いノリで作られた言葉が、ここまで広まるのが怖い。だって、冷静に考えてみてください。「ノンデリ」って何?言語として意味破綻してるんですよ。

まず、「non-」って英語否定を表す接頭辞と「デリカシー」をくっつけたものらしいけど、これ、英語圏の人が聞いたら「え、それ何?」ってなるやつです。元の英語 "delicacy" は「繊細さ」とか「優雅さ」みたいな意味で、英語で「non-delicacy」なんて表現そもそも存在しない。日本語としても「デリカシー」が「配慮」や「気遣い」の意味で使われてるから文法的にも意味的にも二重におかしい。

で、そんなおかし言葉を使う人たちって、自分が「デリカシーがある側」だっていう謎の優越感に浸ってるんですよね。いやいや、ちょっと待ってくださいよ。その言葉を使うことで、あなた自身品位とか知性がガタ落ちしてるのに気づいてますか?むしろ「ノンデリ」なんて言葉を使うこと自体が、デリカシーない行為のものなんです。

しかもこの言葉他人を「お前デリカシーないな」って簡単に切り捨てる道具にされてる。それ、めちゃくちゃ傲慢だしコミュニケーション放棄じゃないですか?ちゃんと伝えるべきことを言わず、浅はかな言葉相手ラベリングすることで、何が生まれるかって?対立と分断ですよ。

最後に言いたいのは、「ノンデリ」を使うことで自分正当化しようとするその姿勢が、何よりも恥ずかしいってことです。本当に他人言動問題があるなら、もっと的確で深い言葉で伝えるべきです。軽々しい造語に頼っている時点で、自分の語彙力と考えの浅さをさらけ出しているんですよ。

からお願いです。「ノンデリ」という言葉を使うの、そろそろやめませんか?それを使うたびに、あなた自身価値が下がっていることを、そろそろ自覚してほしいんです。

ノンデリって言葉を使う人がノンデリ

チー牛に性教育しても仕方ないやろ

生理の時はチー牛にも配慮して欲しいんか?チー牛に生理のことを知られるのもキモがるくせに

2025-01-16

anond:20250115093257

正確には女性差別ではない

男女共にAEDは使われていない

しかも、女に対する配慮の結果なのだから差別であろうはずがない

嫁側の視点想像して書く

https://anond.hatelabo.jp/20250115224311

  • 共働きで仕方なくこちらが育児のために時短勤務にしているのに、家事の皺寄せが全てこちらに来ている
    • 料理をしてほしいと言われるが、必然的に午後の子もの世話を殆ど見ることになるので、夫が帰る頃にはヘトヘト
    • それでも週の前半は頑張っているが、週の後半には力尽きることが多い。それを毎週のように夫にグチグチ言われる
    • せめて出来ることだけ、と洗濯機だけは回しているが、それも何故か文句を言われる
    • なお、買い出しをしてくれるようなこともない。買い出し日は娘のお迎えを遅らせるか(保育所に嫌な顔をされる)、娘を片手に効率1/2以下の買い出しをする
  • そんな中、四六時中娘と接していると、どうしても疲れて怒ってしまうことがある(これでもかなり我慢している)。ちょっとでも怒ると夫が飛んできて文句を言われる
  • 夫は思い出したように娘を風呂に入れたりあやしたりしているが、そうでないとき必然的自分担当になる。夫はこれで育児参加が十分だと考えている。オムツを(言われずに)替えたこともほとんど無い。
    • 休日の余裕がある時に娘の面倒を見てくれているが、自分だって余裕があればそれをしたいよ。日々の色んな家事負担が重なって、休日は娘と遊ぶ元気すらもない。
  • 夫に家事分担の話を再三しようとしたが、「普通の家庭はこうしている」「お前の方が働いている時間が少ない」「仕事大事な所だから」と取り合ってもらえない
  • 夫の実家干渉がウザい
  • から生理が重く動けないほどだが、それに対して夫が配慮してくれたことはない。帰宅してご飯が用意できてないといつも通り小言を言い、育児のメインパートを代わってくれることもない。
  • 謝らない。喧嘩した後も、お互いに謝るとかではなく、一方的こちらが悪いみたいな態度を取る。自分に一切否がないという謎の自負がある。


  • まりにも日々のストレスが高いので試しに別居してみたところ、非常にストレスフリーなことに気づいた。
    • 育児がすべての元凶かと思ったら夫だった。
  • 夫がいなくなるだけで娘に怒ることもなくなった
  • 一週間程度のお試し別居のつもりだったが、もうこれでいいかもしれない。夫から変なメッセージがたまに届くが、お前さえいなければ全て上手く回るんだよ。
  • もうこのままでいいんじゃないかな。離婚した方が色々な支援を受けられてオトクな気がする。

anond:20250115224311

状況分析と今後の展望

現状、ご夫婦関係は非常に複雑で、お互いに不満を抱えている状態ですね。ご自身の言い分だけでなく、奥様の言い分も丁寧に記述してくださり、ありがとうございます。この状況を改善するためには、双方の意見を冷静に受け止め、具体的な解決策を見つけることが重要です。

それぞれの視点から分析

自身視点:

奥様の努力を認めることの大切さ

奥様の精神的な状態への配慮

コミュニケーション改善

奥様の視点:

認められたいという気持ち

精神的な負担

思いやりを求める気持ち

問題点解決策のヒント

コミュニケーション改善:

感情的言葉使用を避ける: 口論になった際に、お互いを傷つけるような言葉遣いは避けましょう。

相手の話を最後まで聞く: 奥様の話を遮らずに、最後まで聞きましょう。

「〜だと思う」ではなく「〜と感じている」という表現を使う: 主観的意見を伝える際に、「思う」ではなく「感じている」と伝えることで、より柔らかい印象を与えられます

第三者意見を聞く: 夫婦カウンセリングなど、専門家意見を聞くことも一つの手段です。

お互いの努力を認める:

感謝気持ちを伝える: 奥様の家事育児に対する感謝気持ち言葉で伝えましょう。

具体的な行動で示す: 奥様をサポートする具体的な行動を見つけることで、感謝気持ちをより効果的に伝えられます

奥様の精神的な状態への配慮:

専門家相談: 奥様の精神的な状態が気になる場合は、専門家医師カウンセラーなど)に相談することを検討しましょう。

共感する: 奥様の気持ち共感し、寄り添う姿勢を示しましょう。

子育てについて話し合う:

子育ての分担: 子育ての分担を明確にし、お互いの負担を軽減しましょう。

教育方針: 子育てに関する考え方を共有し、一致点を見つける努力しましょう。

娘さんの精神状態について

娘さんの精神状態心配なのは当然です。ご自身が思っている以上に、娘さんは両親の状況を敏感に感じている可能性があります

娘さんとゆっくり話す時間を作る: 娘さんと二人きりでゆっくりと話し、今の気持ちを聞かせてあげましょう。

子どものための専門機関相談する: 必要であれば、児童相談所子育て支援センターなどの専門機関相談することも検討しましょう。

今後の展望

夫婦関係は、一朝一夕改善されるものではありません。お互いに努力し、少しずつ信頼関係を築いていくことが大切です。焦らず、根気強く向き合っていきましょう。

より具体的なアドバイス必要場合は、以下の情報をお知らせください。

奥様の具体的な行動や言動

夫婦のこれまでの関係

自身性格価値観

Disclaimer: 私はAIであり、専門家ではありません。この情報一般的アドバイスであり、個々の状況に必ずしも当てはまるとは限りません。より詳しい状況については、専門家にご相談ください。

2025-01-15

トランス女性女性です

DEIへのバックラッシュからシス女性だけ都合よく摘出されて配慮継続されると思ってるおめでたい頭が羨ましいよ

ブクマカ119番通報した上でAED必要かどうかを聞けばいい」

から心停止かどうかは救急救命士でも見ただけでは判断できないかAEDをあててみるしかないんだって

プロだってそうしている。

女に配慮したい欲求のせいで、こういうAEDの誤解が無限に湧くのはなんなんだ。

anond:20250115184754

女にだけ特別配慮した上でAED使用率を上げろという話なので女優遇ですよ。

anond:20250115184551

なんで配慮必要かというと男が性犯罪起こしまくりなせいなので

男が犯罪をするから女の命が投げ捨てられるのは女優遇ではない

日本AED財団が監修しているマニュアルを徹底的に老若男女に広めた方が良いのだろうか

AEDは服を脱がさずに使える。女性への配慮を!」って実際どうなの?過去からの経緯と見解まとめ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2496183

なにやら揉めているけど、東京都多摩府中保健所という、公式が出した立派なマニュアルだ。

女性配慮したAED使用方法について

https://www.hokeniryo.metro.tokyo.lg.jp/shisetsu/jigyosyo/hokenjyo/tamafuchu/yakuji/aed_shiyo

https://www.hokeniryo.metro.tokyo.lg.jp/documents/d/hokeniryo/shizai_1_omote

そして何より、公式財団法人日本AED財団という、最公式が監修したマニュアルでもある。

この際、服をすべて脱がさなくても女性AEDを使えるという、公式から出たメッセージ日本中の人々に広めた方が良いのだろうか。

女性配慮して服を脱がさなくてもAEDを使えるという知識を持つ人が少しでも増え、公式が望むように女性へのAED使用率を高めた方が良いのか。

揉めているみたいだが、ここは公式の言うことを一番に信頼すべきか。

anond:20250115004543

服を脱がさないやり方に非常時に配慮すべきなんて一刻を争うのにって男がキレてるけどけ着てる服が単純なやつなら手を突っ込むほうが早く装着できるだろ、ワンピースでも脱がすより必要なとこ切るだけの方が早くね???と思っている

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