はてなキーワード: 二世とは
次世代機のうわさが出てくるたびに、ゲームファンの間では「どんな性能になるのか」「今度はどんな独自機能を搭載するのか」など、大きな期待が膨らむものだ。しかし、正直なところ私は「新しいニンテンドーSwitchが出ても全然期待できない」と思っている。これまでの任天堂ハードの歴史や、現行Switchの路線を考えると、どうしてもそこまで飛躍的な進化は望めないのではないかと感じるのだ。
まず思い浮かぶのは、Switchというハードのコンセプトそのもの。据え置きと携帯機のハイブリッドとして登場した現行Switchは、携帯モードとドックを使ったテレビ出力モードをシームレスに切り替えられる点が最大のセールスポイントだった。それまでの任天堂ハードが持っていた「ファミリー層」「気軽に遊べる」というブランドイメージをうまく継承しつつ、据え置き機としても携帯機としても使える便利さが受けたのだろう。このコンセプトを捨てるとは考えにくい以上、新型も基本路線としてはほぼ同じものになると思われる。もし性能が上がったとしても、それはあくまで“強化版”の域を出ないのではないか。
もちろん、グラフィックや処理能力が高まれば、それなりに魅力は増す。だが任天堂は、常にソニーやマイクロソフトのハードと競い合うような“ハイスペック路線”を求めてはいない。むしろ、どちらかといえば独創的な遊び方や、幅広い層へのアプローチを重視している企業だ。結果的に、他社ハードのような最新鋭のグラフィックを求めるユーザーにとっては期待外れになる可能性が高い。PS5やXbox Series Xのようなハイスペック競争に参戦するとは思えず、現行Switchの延長線上の性能アップだけでは“次世代感”が薄いことは想像に難くない。
さらに、任天堂タイトルの定番作品群を考えると、新ハードの目玉ソフトもなんとなく予想がついてしまうところがある。新しい『マリオ』や『ゼルダ』、そして『ポケモン』シリーズなどがリリースされれば確かに話題性はあるだろう。だが、これらはSwitchというプラットフォーム上でも十分に盛り上がっていたし、任天堂が得意とする「新ギミックを活かしたゲーム体験」は、すでにJoy-Conやタッチパネルなどである程度打ち尽くされている感がある。結局「画面がきれいになった」「ロードが短くなった」といった程度の進化だけでは、ゲームの本質的な楽しみが劇的に変わることはないと感じるのだ。
また、Switchは今でも世界中で売れ続けているヒット商品であり、販売台数も相当な数にのぼる。そうなると、任天堂としては、まだまだ現行Switch向けのソフト開発や販売に力を入れたいはずだ。新ハードを全面推しすると、せっかく普及した現行機とそのユーザーを手放すリスクが生じる。そこで互換性を持たせたり、しばらくは並行してソフトをリリースしたりするなど、慎重な移行期間を設けるだろう。しかし、それは言い換えれば「新ハードならではの強み」がしばらく出にくいとも言える。高い性能や独自機能をアピールしにくければ、ユーザーとしても新ハードをすぐには欲しくならないのではないか。
結局のところ、任天堂のハードは独創的なアイデアによる革新と、ファミリー層への配慮が同居している。一方で最新テクノロジーをガンガン活用しているわけではないので、二世代先の飛躍的な進化を期待するのは酷というものだ。そうなると、次世代Switchはあくまでマイナーチェンジの延長にとどまりそうな予感が拭えない。グラフィックの向上も、ロード時間の短縮も、もちろんユーザーにとっては嬉しいことだが、「このハードでしか体験できない!」という決定的な理由がないかぎり、わざわざ買い替えを急ぐ必然性が薄い気がしてしまう。
以上のように考えると、「新しいニンテンドーSwitchが出ても全然期待できない」と感じてしまう。やはり大きな進化を望むのであれば、他社ハードかPCで最新ゲームを楽しむしかないのだろう。任天堂のゲームは相変わらず面白いと分かっているからこそ、あえて言いたい。もし新型を出すのであれば、従来のユーザーがわくわくするような新しい遊び方やテクノロジーの活用を、ぜひ見せてほしいと。単なる性能アップだけでは、いまのSwitchですでに十分満足しているユーザーに大きなインパクトを与えることはできないだろうから。
ブコメにもあるけど成誠公倫っぽいな。
自分も二世で子供のころは良く親に連れられて「会場」に行っていた。
「会場」は全国にそれなりにあり、場所にもよるだろうが子供向けの本とかおもちゃとかが充実していて、それが楽しみだった。講話は一切聞いてなかった。
中学くらいからめんどくなり行かなくなったが、その頃も親は割と頻繁に講話を聴きに行っていた。別に親から強要されるようなこともなかった。「一緒に来ればいいのに」くらいのことは言ってたかも。
高3の受験期は毎週末通ってた。勉強するのにすごい良い場所が施設内にあったんだよね。当然講話は一切聞いてなかった。
そのあと成人してから本格的に所属する意味がなくなり脱会した。脱会といっても更新手続きしなかっただけだけど(多分それで脱会したことになってるはず)。
自分にとっては何の意味もない宗教だったけど、母親の話を聞いてるとモラハラ気味だった父親が多少なりともまともになったのは、ここのおかげなんだろうなって思うので、悪口言うのもなんか違うなって感じなんだよね。
https://anond.hatelabo.jp/20250107174603 でコメントを頂いたので追記。
【年間いくら払ってるの?】
年会費とお守りみたいなもので一人当たり年2万前後。我が家の宗教団体への出費はこれだけ。
壺だの魔除けのアクセサリーだの意味の分からない値段設定の物は置いてなさそう。
普段の説法を聞くだけなら無料の配布物で参加できるし、より熱心に学ぶなら図書を買ってねというスタンスだが、これも職員が販促しないので本当に積極的な信者向け。
正直もっと金が掛かるものかと思っていたが、真っ当かつ良心的で拍子抜けした。
【教えを守らないとどんな罰があるの?】
豚肉食うなとか鳥居くぐるなとか行動を制限するものは一切無い。
天罰が下る系も無い。あるとすれば、ちゃんとしてないと報道で見るような悪事を働く不届き者になっちゃうぞーって感じ。
だいぶ緩い。
【@daydollarbotch 家族を大切にしろという教義のわりに、家族になろうとする者の宗教的自由は尊重してもらえないのか。信者視点では、正しい教えに導くことこそが家族のため、なのかもしれないが。】
スター付きまくってたのでそのまま引用させてもらいました。この指摘はもっともです。
はじめは私も全く同じことを感じた。
ただ、少なくとも配偶者や配偶者家族は一度入信を薦めただけで、こちらの決断を急かすことなく待ち続けてくれたし、信者籍を置く前から施設職員と何度も話をしたが、入信を薦めるような発言は一切無かった。
つまり組織の方針として、一個人の宗教的自由は十分に配慮するように努めているように感じられた。
この観点で言うと可哀そうだと感じたのは、「家族と共に学ぶことが理想」という趣旨が先行して、無理に家族を入信させようとしてそれが悩みの種となっている信者が存在することだ。
かたや説法では「無理強いするな。相手がその気になるまで待て。」とも言ってくれているのだが、思いの強さが仇となるのは本末転倒で居た堪れない。
【子供はいるの?作らない方がいい。こどもがかわいそう、虐待だ。】
生まれながらに思想バイアスが掛かるのは避けようがない、すまん。
ただ二世の配偶者はそんなにバイアス掛かってるように見えないんだよな。神の存在が疑わしいと思う時があると自白されたときは正直ひっくり返った。
私が親として出来ることは、こんな親の子に生まれたくなかったと思われないように全力を尽くすことくらいだ。
【"人が品行方正で他人に迷惑をかけないで生きることは、神を信じる信じない以前の当たり前の話"ではない。】
これも異口同音に言われ、自分がいかに高慢な姿勢だったか思い知らされました。
私がこのように考えに至れたのは、ひとえに生まれた環境であり親の教育の賜物でした。
神を持ち出さずとも合理的に考えれば協調した方がみんな得する(いわゆる囚人のジレンマ)という後知恵臭い考え方も良くなかったかもしれません。
理屈だけでは回らないのがこの世ですもんね。勉強になりました。
何が言いたかったかというと、宗教の是非や捉え方は人それぞれだし、自身の周りの人間が幸せなら私も幸せ、それでいいじゃないかという事でした。
結局私は内心を侵されずに済んでいるし、作法をこなせば界隈にも馴染むしみんな幸せ。
この部分を見事に掬い取って指摘してくれたブコメもいくつかありましたね。ちゃんと伝わってて嬉しい。
反応が2、3件付けばいいなーと思って投稿したらこんなにも反応を頂けて恐縮です。
増田が居てくれて本当に良かった。(2回目)
こういう話題って誰にも話せないので増田が居てくれて本当に良かった。
ただ申し訳ないが宗教名は伏せさせていただく。不本意に荒れてほしくないので。
私はそもそも神なんて人間の想像の産物としか思っていないが、神社に行けば賽銭して手を叩くし、法事があれば正信偈を読み上げる。
その行為に、何か私の思いを乗せるようなことは全くない。柏手を打った後の黙祷は本当に何も考えていないし、お経もそこに参列したならば読み上げる必要があるから読み上げているだけである。
一方で、私が宗教行為に宗教的意味を見出さないこととは別に、他人が自身の為に宗教を信じることについては寛容だと思うし、そうありたいと思っている。
宗教が心の拠り所になるという人は存在していて、むしろ世界的に見ればそちらが多数派で、宗教のおかげで前を向いて生きていけるならそれこそが宗教の本質だと思う。私には全く不要である。
神頼みすらしない人間が名前を聞いたこともない新興宗教に入信したのは、配偶者が宗教二世で、結婚するなら私も入信しなければ家族として早晩立ち行かなくなるであろうという判断からだ。
実際この宗教は説法の中でやたらと家族を大事にしろと教えてくるし、配偶者もその教えを強く信じているので、決して強制はされていないが実質的に結婚すなわち入信であった。
さて、おおよそ月に一度のペースで宗教施設へ足を運び、説法を聞くことを数年行ってきたが、いまだに神を信じることは出来ていない。
ここの説法はとても道徳的で、人の為になる事ばかりを言ってくれる。
神の啓示とやらを解説する体裁でお説教してくれるのだが、本質的には次の2点しか言っていない。
・他責思考を改めろ
これだけのことを毎度毎度手を変え品を変え様々な表現で教えてくれるのである。
私の思う「人間は斯くあるべし」をうまく言語化して、最初は感心しっぱなしではあったが、同時にお説教ではこうも言っている。
・これは宗教ではない。
・宗教法人に登録しているって?それは法的位置づけの話であって、教えも宗教がましくないでしょ?
宗教アレルギーな人やその風潮から心理的負荷を下げるために宗教じゃないんだよと言っているのは理解できるし戦略的にも正しいのかもしれないが、やっていることは宗教そのものなんだからそれを頻りに否定するのは大変に不誠実な態度だと思う。
おそらく信者から指摘を受けて、宗教法人登録に対する見解を一度だけ述べたのだと想像するが、きっちり税制優遇を受けておいて悪びれも無く大勢の信者の前でこんな言い訳をするのも笑えない。ダブルスタンダード甚だしい。
そして長く説法を受けていまだに神を信じられない決定的な理由がある。
それは、人の生きる姿を説くことと、神を信じることや神に祈る事が、私からすれば全く繋がっていないのである。
人が品行方正で他人に迷惑をかけないで生きることは、神を信じる信じない以前の当たり前の話ではないのか。
幸か不幸か、己の道徳観、倫理観はこの宗教のそれととても似通っているらしく、であるならばここの神を信じる必要性も無いという皮肉にもなってしまった。
やっぱり私に宗教は不要だという認識を強めるばかりというのも救われない。
まぁ、ここの神様からすれば私のような人間は端から救う対象ではないのだろう。
この先も生きていれば半世紀以上通い続けるであろうし、それが家族の幸せに繋がるのだから脱会する理由は無い。宗教三世ももう存在している。
これは私の観測範囲でしかないが、どこぞの悪名高い拝金主義な宗教団体とは違うことは見えたのでそれで手打ちとしようじゃないか。
あまりにも古すぎるゲームのため、公式ホムペにある16bitカラー化によるウィンドウモードを使用しても真っ黒な状態で起動する不具合が起きている
どうもグラフィックボードがCPUオンボード系(iRISなど)でそれが起きるため、ハードウェアを変更する以外に方法はない
一応UbuntuなどのLinuxからWineを経由して起動する方法もあるかもしれないが、日本語入力が出来ない可能性もあるので根本解決にならない
なお、真っ黒な状態でAlt+Enterをしてフルスクリーンにした後、またウィンドウモードに戻すことでチャットなど一部のグラフィックは復活するものの、HPが表示されないなどまともなプレイは難しい
ウィンドウ化して以下のサイトを見るのが鉄板(ウィンドウ化は下のMF日記にあるよw)
なおホームページでよくある質問で「公式ホームページの更新が確認できない」という問題については、ブラウザのスーパーリロードを試すと良い
第1~第7世界まではこれを繰り返すことになる(第7世界クリア後はW8のスカラーの村に飛ばされるが、第7世界のトリビアの洞窟をクリアしないと村から出れない仕様となっている)
町・ダンジョン名 | 大陸 | 備考 |
---|---|---|
メルボンの町 | 第1大陸 | |
大地の洞窟 | 第1大陸 | |
ピラミッド | 第1大陸 | 推奨、しなくても攻略はできるが後半で時間がかかる |
風の塔 | 第1大陸 | 第2大陸へのダンジョン |
ハラーレの村 | 第2大陸 | |
ハラーレの訓練所 | 第2大陸 | ハラーレの村内の北にある、クラスアップ推奨 |
カナンガの大森林 | 第2大陸 | |
北の砂漠 | 第2大陸 | サボボイベント、大体ここで詰まる |
エストの町 | 第3大陸 | 北の砂漠を川で隔てた右側の橋から行ける、生命の洞窟には寄らなくてよい |
ラビリンス | 第3大陸 | |
ジャック・ザ・リッパー | 第1大陸 | メルボンの町に居るジャック・ザ・リッパーを倒す必要がある |
蜃気楼の塔 | 第3大陸 | |
炎のほこら | 第4大陸 | 蜃気楼の塔から北東にある橋から行ける、フレンズダンジョンは寄らなくてよい |
炎の洞窟 | 第4大陸 | |
???? | 第1大陸 | メルボンの町の北にある墓から魔界へ行ける |
魔界の村 | 魔界 | ワープを取ってないならスルーしても構わないが、RTAでもない限りは通常寄るべき |
ラストダンジョン | 魔界 |
誰かと一緒に行かないとワープが使えないという時代は終わっている
実はサブキャラを作ってスイッチの上で切り替えれば一人で行けることが判明している
出現する場所は砂漠であることに間違いはないので、エンカウントするまでひたすら動くしかない
マディスライムや生命の洞窟で全体攻撃できる奴らを使えば戦闘の労力は減る
また世界が違ってもサボボであればクリアできる(第一世界のサボボを第二世界に持って行っても問題ない)
第4大陸へ行くには、ラビリンスと蜃気楼の塔、そしてメルボンの町に居るジャック・ザ・リッパーを倒さなければならない
よくありがちなパターンとして、ラビリンスの後に蜃気楼の塔をクリアして、メルボンの町まで戻ってジャックを倒してからまた行くのは非常に面倒で無駄な往復でしかない
そこで経験値25倍を利用して蜃気楼の塔を攻略する前にジャックを倒せば、蜃気楼の塔へ行った後にすぐ第4大陸まで行けるようになる
最近の報告によると、キャラクターごとではなくIPアドレスごとに行っているということが判明している
ただしキャラクターを変えることでプレイすることが可能となるケースもあるため、IPアドレスとキャラクターのセットで登録されていると思われる
MACアドレスで登録している可能性もあるのだが、もしそうだとしても工夫でどうにでもなる
基本的にマクロ系のソフトはアク禁となる理由の最たる例であるため、このゲームをプレイしている際は変なツールを立ち上げないようにしなければならない
しかし環境によっては無理ゲーでしかないため、仮想OSなどを使ってそこで起動するという荒業もある
ちなみにどういう仕組みなのかはわかっていないが、一部のツールは起動しただけで一発アウトであるため、プロセスを見ているかソフトに介入したプロセスを調査している可能性はある
ユーザー登録時の郵便番号や生年月などは、かつてゲーム内のシステムで使っていた名残で残っているだけなので、完全な架空でも問題はない
というより自分自身の情報を入れてもリスクでしかないので完全架空が推奨される
今は募集するよりもやることを失ったプレイヤーとかがCコースでAコースを開けてくれている可能性があるので、便乗してしまうのもあり
通常画面の状態で1時間以上居るとハラーレの村に転送されるが、戦闘に入って1時間以上経過しても転送されずに、スイッチを押したまま放置することができる
(もちろん戦闘なので放置するためには工夫が必要となるが、モンスター図鑑を見ていればそれに適任なやつは見つかるよw)
この仕様を受けてなのか、2025年の限定サービスでは最後の1時間程に「テレポ」ができる特別仕様となっていたが、おひとりさまで生命マラソンができるわけではなかった
戦闘のゲージは戦闘時に一番敏棲が高いキャラクターが一番速く、値に合わせて進行が遅くなる計算となっている
このため自爆でもしない限りは最低戦闘時間が短くなることは永遠にない
基本的には激しい炎、サンダーボルト、分身切りの全体攻撃をすることになるが、スリープオールとは非常に相性が悪い
当時の同じような規模のネトゲと比較した際、豊富で高機能なチャットシステムが売りではあったが、荒らしに対する過剰反応によりこのゲームの評価を落とすことに
現在ではゲームの外にあるSNSやDiscordなどの別システムでチャットをしているため、ゲーム内チャットを使うことはなくなりつつある
ましてや通常の利用である協力要請をしても妨害されるし、チャット発言したら無視されたりリア凸されるリスクも高いため、ゲーム内チャットを使わないプレイヤーも多い
それまで管理人が元々情報を公開したがらないのと、オフラインにもしたくないので隠し職業などの情報については一切非開示していた
その流れで村社会どころか、独裁国家以上の情報統制がされているため、界隈の民度は非常に悪い(重要な情報であればあるほどWikiやDiscordに書く行為は嫌がられているほど)
2024年12月25日に隠し職業の条件を少し緩和してヒントも公式ページに記載しているが、年に数日しか開始しないのに数年程度で判明するという、焼け石に水レベルの難易度低下でしかない
おそらくゲームで使用するデータのほとんどをサーバに置いており、クライアント側はそれをロードする程度しかないと思われる
どこまでその仕様となっているかは不明だが、通信時に必要な容量も非常に少ないのでそういった芸当が可能となっている
(3DCGなどを大量に使用する現代のゲームでは通信量とロード時間が長すぎるため、事前にダウンロードしてPCのローカルでデータをロードさせるのが普通である)
ヘヴンマウンテンや生命の洞窟など、一部のダンジョンではカプセルというタリスマンとは違うアイテムが落ちており、これが非常に有能なアイテムとして価値が高いものとなっている
しかしヘヴンマウンテンでは自爆走行によるカプセルの回収及び破棄が横行しており、一部のプレイヤーはブルドーザーと蔑称している状況にある
行っているプレイヤーも判明しており、ゲーム内チャットでもブルドーザーの存在を平気で言及しているものの、公式は何もコメントはなく、対策の予定もない模様
「人権派」の家に育って
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20241219215934
この気の毒な若者に対し
「両親のおかしさ」 「”人権派”の違和感 「そういう大人に躾けられてしまった悩み」はガンスルー。
「不謹慎ネタを注意して飲み会しらけさせた君は正しいよ!」と合唱する。
のっぺらぼうから必死に逃げてきて助けを求めた相手がのっぺらぼう。
「リベラル的には正しいんだろう、でも今の自分はそういう正しさがほしいのではなく……」って言ってる若者に
「でもその行いはリベラル的に正しいです!」と合唱する中高年。
なにこのコールアンドレスポンス。
ごめんな、のっぺらぼうのコロニーなんだここ。
俺こいつらに100回は「人の話を聞け」とか「ちゃんと読め」って言ってきたけど
こいつらに悪意はなく能力的に出来ないだけなんだってことももうわかってる。
人の話聞くのが苦手な人たち。不規則な会話が苦手で冗談がつまんないでしょ。
はっきり言っちゃえばおそらくある方面の脳のスペックが足らない。
脳の可塑性が低いというか機動性が悪い。
いろんな基準やいろんな角度を一度に衝突させながら検討することが出来ない。
だから起動する基準が一個に絞られてくる。そこではその基準はぶっちゃけなんでもいいの。
いまアラフィフぐらいの先輩たちはその基準にリベラル正義を選ぶことが多かったってだけ。
で、どう思う?
こういうただ「すべての現実を特定基準で処理する」と決まってるだけっていうのはどういう人だろうか。
たぶんお父さんもお母さんもどっかしらいまいちな部分のあるマシンを頭蓋に積んでて
そのせいで社会にうまく適応できない面があって嫌な気持ちになったり出来損ない扱いされたりしたことがあるんじゃないの。
硬直的な一個のルールで物事を処理するまでは出来るけどその先がさっぱり、とか。
Aさんの話に出てくるBさんがこういった、のような入れ子構造のある話が全く理解できなくなる、とか。
そういう感じの人が低学力なら「自分は頭が悪い」ってあきらめてある意味安心して生きていくんだけど
下手に高学力でありながら脳がデコボコしてる人はあきらめらんないし「いや社会の方がおかしいんだ!」ってなるわけ。
俺が見てきた感じでは、
一生の仕事として学校教師より予備校講師を選ぶ人ってマジでその特性の人が多いんだよね。
学校の先生の方がいろんな角度の仕事があるしいろんな不規則な状況にも対応出来ないといけないでしょ。
それに比べたら受験の準備ってのは相当狭い範囲の尖った競技だよ。
そういうの得意な人ってどういう人だと思う?
デザイナーもさあ…。もちろん全員が同タイプだとは言わないけど、”そういう人”にも務まりやすい職種だよ。
(ちなみに予備校講師や美術教師の雑談が面白い、世界が広がった、とか言う学生は結構いるけどあれは多くの場合子供が初めて出会う”変人”てだけ)
そういう型の人が社会への適応を目指したときどうなるかというと
自分の使える狭い基準をさらに強化して万能にしようって考えるわけ。
特にプライドが高くて「バカでございますへっへっへ」なんて風に力を抜けない場合はとにかく攻撃力を高めようとする。
ご両親もそれでしょ?
旧来こういう脳足りんを救ってきたのは穏健伝統宗教で
頭がハングしやすい人は「いや私は敬虔で宗教基準で生きているからちょっと”固い”かもね」っていいわけが出来た。
社会的にも「頑固で信心深い人、悪い奴じゃない」っていう風に理解されてちゃんとコミュニティに収まれた。
けど宗教が否定された社会のオルタナティブは進歩思想しかないわけよ。
進歩思想だと社会と喧嘩しやすくなって当人も安寧はないし周りにも迷惑だよね。
もともと別に喧嘩したかったんじゃなく「知的な人」として遇されたかっただけの人でも”闘士”になってっちゃう。
……という風にご両親のことを整理すれば、
自分がどういう躾を受けてしまったのか、脳にどんな回路が出来てるのかもとらえやすくなるでしょ。
特定の基準ばっかりやたら強化されてて立ち上がりやすくなってるっていうだけ。
対策して解消できる。
どうやるかというと心の動きに気付くだけでいい。
目の前のことを人権基準でジャッジしようとしてることに気づいたら
その瞬間(人権思想)と念を入れる。これだけ。声に出さずに心の中で言う。
(人権思想)よりなじみ深くてフラットな呼び方が自分の中にあればそっちでいい。
その心が起きることが良いか悪いかじゃなくて、その心が起きたことを念を入れて確認する。
これは秒より短い瞬間の勝負でやる。この習慣をつける。
自動で立ち上がる人権基準ジャッジに素早く気付けるようになる、目指すのはこれだけでいい。
別に人権思想を憎む必要はなくて、ただし勝手に立ち上がることについては厳しく観察して気付いていく。
これを筋トレみたいに訓練するだけでどんどんその心を客観的に見られるようになる。
そうすれば人権基準ジャッジはただの自分の心の動きの一つですという状態になっていく。
その頃には今の悩みや支障はもうなくなってるよ。
勝手に立ち上がらない「一つの基準」でしかなくなれば、別に人権思想って良くも悪くもないし。
人間社会のための沢山あるアイデアの中の一つとしてそれへの自分スタンスを考えてみればいい。
増田は今のところパンチのある家庭に育ったための特異なハンデを背負ってるし
若いとそれを物凄くアンラッキーと感じててその不運自体が悩みになりそうな精神状態かもしれない。
けどそのハンデは意識して筋トレすれば治せる症状だから本当に深刻なものとは違う。
心を明るくしてほしい。
だってそういうことがおかしいとか居心地悪いと感じるって時点で
お父さんお母さんほどそっちの特性を引き継がない脳をしてるってことだから、
同じ生き方はしない方がいいし別の生き方が出来るってことだから。
本当に不運なのは脳も基準もそのまま受け継いだサラブレッド二世で、
いまもう親子二代の活動家っていうのは子の代は厳しい。父母の時代よりはるかに環境が厳しいから。
社会が進歩思想に免疫を持つようになってるし、どんな単一基準やワンイシューにも「より詳しい人」がすぐ現れるようになってるから。
例えばいま気軽に反原発デマなんか叫んでもあっという間にコミュニティノートがつくでしょ。
一般人でもデータ調べてくるし、専門家が気軽にポップアップしてくる。関係先へキャンセル返ししてくる。
マイナーでオルタナティブな基準だからこそ局所的に”権威”として振舞えるのが強みだったのに今はそれが出来ない。
この先もう人権きちがいっていう生き方がニッチとしてすら成り立たないかもしれないよ。
いずれ別の何かは現れるだろうけど、ただでさえ可塑性がない特性の二世が若くなくなってからそこに移行するのは難しいだろうしね。
馬鹿にしてるんじゃなくて気の毒に思ってる。
彼らは本当は人に和しながら聖典の決まりに沿ってシンプルに生きたかっただろうに。
inks
こういう人だよ。わかる?
おれは一回も「一呼吸」なんて書いてねえだろ。
4はふざけて書いてる訳じゃなくて、
この人は俺の話に「確かにあり」と言いながら実は全く読んでなくて、自分の中の既知の別の知識やメソッドを思い浮かべてるわけ。
何を聞いても読んでもすぐ自分のライブラリ参照にいっちゃうし参照精度が極めてガバガバ。
これだといろんな人と会話できないし幅広い基準も使いこなすことが出来ないよね。
単一基準を信奉して固定メンツと狭い会話繰り返すのが居心地いい、ってなる。
右翼左翼とか善悪とかじゃなくて機能的な問題だってわかるだろ。
ご両親のことも憎んでも意味無い。
もっと正確に言うと、人権派と陰謀論者の中間、あるいは地域の名物おじさんみたいなものだった。
この家に育って何が起きたか。
それは認めるし、親としては感謝している。
だが、私はこの家に育って、世間とまったく感性が通じないというか、後天的なコミュ障のような人間になった。
少し前に、発達障害者の人たちが「健常者エミュレーター」という概念を紹介していたが、それを見た時、私は膝を打った。
また、統一協会やエホバの証人の二世問題について知った時、私はこれに近いんじゃないかと思った。
自分が世間から見て「おかしい」ことはわかっている。だが、私に植え付けられた何かが、「いや世間なんて」と茶々を入れ続ける。
私の両親は、あらゆる凶悪事件がまるで発生していないか、あるいはまるで被疑者が英雄みたいに私に話すのだった。
大きな例を挙げると、神戸の連続殺傷事件(酒鬼薔薇)について、両親は冤罪説、つまり少年Aは犯人ではないということをしきりに唱えていて、まだ小さかった私にも、「これは嘘なんだよ」「警察はしっかり調べていないんだよ」と吹き込んだ。
私の父は予備校の会報か講師たちの同人誌か、そういう冊子に、そのことをずっと書いていた。そしてそれを小学生の私に読ませた。
食卓で悲惨なニュースを見ながら、「〇〇ちゃんは、人の心について考えられる人間になってね」と、両親は笑顔で私に話しかけるのだった。だが、「人の心について考えられる」というのは、イコール、死刑廃止活動やあらゆる有名な事件にまとわりつく陰謀論に近い冤罪説を信じろ、ということだった。
母は、左翼の地方議員の勝手連みたいなことをやっていて、時々家が集会場所となった。学校から帰ると、おばあさんとかおばさんが五人くらい集まっていて、きついコロンの香りを漂わせていた。
別に悪い人たちではない。本当なら、私よりもずっと世間に貢献している人なのだろう。お菓子やお土産とかもいっぱいもらった。だが、結局のところ、ある宗教の座談会の人権版が家で行われているのと変わらない。そしてこの集まりから何か発展的なことが生まれたようにも見えない。
こういう家に育って、私は中学生のころまで、いわゆる純粋培養で育った。親の言うことが全てという世界で。
極端に聞こえるかもしれないが、世間のあらゆる犯罪は、冤罪であるか、犯人の非ではない何かの理由があって発生した者であり、警察と政府は悪。端的にそう言う世界だった。
ネット上には、死刑廃止運動に絡めて、ある左翼の議員が、「殺されてしまった人よりは、生きている犯人の人権の方が大切なのだから」と発言した、という情報がある。実際はその議員はそんな発言をしていないらしいのだが。
私が初めて、ちょっとした疑問を覚えたのは、小学校高学年の時だった。
それまで放課後開けていた小学校の校門や校庭を、これからは明確に管理しようという話が、小学校で出たらしい。
しかし、私の両親、特に母親が待ったをかけた。というより、その現場に居合わせた。
母親はその情報を知るや否や、私もつれて、なんと校長に面談を申し入れた。
私は校長室の革椅子に座って、横で母親が延々と「開かれた学校という理念はどうしているのか」「治安というのはつまり何を基準に申しているのか」と校長にまくし立てていたのを覚えている。
なぜ私がそこに連れていかれる必要があったのか、そして半分笑顔でねちねちと喋り続ける母の姿は、子供ながらに、不安だった。その時はそういう言葉を知らなかったが、今考えると、敬語を使うだけのモンスターペアレントではないか、と思う。
そして自分が世間と徐々に乖離していると気づいたのは、中学校に上がってからだった。
両親。家の食卓で両親がわざわざ解説してくれるニュース。両親が取ってる新聞。送られてくる雑誌。友達。漫画。それだけが全てだった私に、携帯電話が買い与えられた。
両親は万能ではなかったし、全てではなかった。むしろ、ピエロの様な、少数者だった。
だが私はそれを知っても、どう処理すればよいかわからなかった。
「いい?憲法にはこう書いてある」と両親は時々言っていた。多分、世間一般の人々より、両親は「知的階級」だ。良いことを言っている。正しいことをしている。多分。恐らく。
だが、世間はそう動いていない。そう育てられた私に対しても。
そこで、当時話題になっていた、ある凶悪犯罪を揶揄するネタを余興としてやる男性がいた。
私は、今考えると、自分でもわからないのだが、「そういうのはやめた方が良いよ。まだ犯人だって決まったわけじゃない」と真顔で伝えた。
場はしらけ、そして私は飲み会に呼ばれなくなった。
SNSなら、これはリベラル的な武勇伝となるのだろう。だが私は、はっきり言って、普通に、なりたかった。
人権は、そしてそれを擁護する存在は重要だろう。犯罪だとか治安だとかに対して、「疑う」ことは重要だろう。だが、それは、宗教と同じく、大人になってから自分で学ぶべきことだったのではないか。
貴方の女の趣味と不満がどう頑張ってもすり合わないので、そんなキメラは居ないです、で終了
治安悪目のいい女だけど根っこは人を思いやれる良い子、なんて幻想は
バブみのある年下お姉ちゃんが僕のママになったら良いな、位現実では無理ある
少年漫画か
そういった類の人間は謝ったら負け・劣った行為と本能的に思っているので、首根っこを押さえて従わせられる位に上下関係が出来ていないと躾は出来ない
学生時代仲間になれた気分で心地良かったんだろうけど、行儀いい不良は無理があるので我慢するか自分がそっち寄りになるかで頑張ってください
そもそも、今本当にそんな子と付き合ってたら謝れるかどうかなんてどうでもいい位二人の周囲も素行悪いんでは
謝れない二世が出来るけど
まずは親族を無くされた方にはお悔やみ申し上げます。ご愁傷さまです。
NHKはクセのある組織で、解約をスムーズに行うためにはいくつかポイントがあります。
ただでさえ相続で大変だと思うので、以下を抑えてスムーズに解約してください。
別世帯で、住んでいない家の、亡くなった方の契約は、返金を要求しない場合、すぐに解約できます。
テレビ等の受信機を設置した住居にどなたもお住まいでない場合、受信契約は解約の対象となります。
https://www.nhk.or.jp/faq-corner/2jushinryou/06/06-06-04.html
そのため、"家"単位で対応され、契約主体の方が亡くなられても、家に住み続ける限り解約は困難です。
例えばお父様が亡くなられた後、実家にだれも住まない場合は、空き家になるのでスムーズに解約できます。
田舎だとこういうケースは割と多く、向こうも慣れているので、結構簡単に解約までもっていけます。
ポイントはテレビの有無では無く、その家にだれも住まない空き家になるかどうか。
自分は、解約を優先して2番目を選びました。(解約の連絡したのが半年後くらいなので勿体無かったが、諦めた)
介護や相続の片づけなどで、しばらく実家に住んでそこから仕事に行く方もいるかと思います。
そういう場合は、世帯同居の手続きを可能ならば亡くなられる前に行うのが良いです。
介護の場合、主たる生計費を自分が全部出しているので、親の契約を自分にしたい、という連絡で一本化できます。
(あまりよろしくないが、例えばお父様が亡くなられた後に、亡くなられたお父様の契約と、自分の契約とを、自分側に一本化する、という連絡をいれてまとめるのも手)
NHKはクセがあり、把握していないと解約や変更は困難です。
ネットなどで良く言われる、NHKが映らないテレビとか、テレビを持っていないのを確認してもらうとかは、かなりハードモードです。
世帯が別である、家が別である、この場合は2契約必要になります。(二世帯住宅や別荘など)
役所の書類上では別世帯であっても、同じ家に住んでいて、生計費を自分が出している場合は契約を1つにしてもらえます。
逆に言えば、その家に誰か住んでいる限り、その家にくっついている契約を解約するのは困難です。
既に実家が空き家であるので、亡くなった親の契約を解約したい、という話が一番スムーズです。
なお、ちゃんと受信料を払いたいので、亡くなった名義人を、生きている名義人に変更したい、契約を一本化したいのだ、という話でも通るようです。
(ただ実家分と自分の家との2契約分を一人で払うことになるパターンもある(というか身近であった)ので、解約が良いと思います)
法律上厳密に言えば、受信機が無ければ契約の必要は無く、また受信機があれば空き家であっても払わなければならないはずですが、運用はそうなっていないです。
あと、亡くなられた方の契約のまま銀行口座が解約 or 凍結で引き落としできなくなっても、普通に請求は続いて延滞料金もかかるので、放置はおススメしないです。