はてなキーワード: 本末転倒とは
しゃぶ葉行ったことある人なら分かると思うけど、あの猫ロボ、ぶっちゃけ問題の元凶だよね。なんか可愛いとか言ってるやついるけどさ、実際使ってみると「これ、いる?」ってなることばっか。だってさ、配膳ロボットって便利にするためのもんじゃん?なのに、こいつのおかげで店内がカオスになってるってどういうこと?
まず、複数卓の料理を一気に運ぶ仕様がダメすぎる。安い豚肉コース頼んだやつが、隣の牛肉や寿司を堂々とパクっていくって話、Xでバズってたけど、あれ完全に猫ロボのせいじゃん。だって、青いランプで「これがあなたのです」って分かりづらい表示してるだけで、誰がどれ取っていいのかハッキリしないんだもん。そりゃ治安悪くなるよ。人間のモラルに頼りすぎなんだよ、このシステム。猫ロボが「間違って取らないでね!」って声でも出せば別だけど、ニャーニャー言ってるだけで何の役にも立たねえ。
しかもさ、店員が減ってるのも猫ロボ導入のせいだろって思うわけ。だって、人件費削減のために入れたんだろ?でも実際は、間違って取られた客が店員に文句言って、結局店員が走り回って対応してるって本末転倒じゃん。俺が行ったときは、空っぽの猫ロボが虚無顔でテーブルに来て、「お前何しに来たの?」ってなったわ。隣のテーブルでは高校生らしきグループが寿司皿ガッて持ってってたし。あれ見て、しゃぶ葉の猫ロボってただの犯罪助長マシンじゃね?って思ったね。
あと、子供が喜ぶとか言ってるけど、それも怪しい。確かに最初は「可愛い~」って触るけど、料理遅いとか間違ってるとかで親がイライラしてるの見たら、子供だってテンション下がるよ。誕生日モードでハッピーバースデー流すとかやってるらしいけど、そんなんよりちゃんと注文した肉を時間通りに持ってきてくれよって話。
すかいらーくは「わかりづらい点があってご不便を~」とか謝ってるらしいけど、改善するならまず猫ロボの設計見直せよ。複数卓分載せるのやめて、一卓一配膳にするとかさ。でなきゃ、カメラ付けて注文外取ったら警告出すとかさ。技術あるならやれるだろ?可愛さ優先で実用性無視した結果がこれなんだよ。猫ロボ、見た目はいいけど中身がダメすぎ。しゃぶ葉行くたびに思うけど、こいついなかったらもっと平和に食えたのになぁ。
いまさ絶賛プレイ中の『NIKKE』なんだけど、
エヴァンゲリオンとのコラボ企画やっててイベントストーリーよろしく、
エヴァンゲリオン見てないのでぜんぜんなんか私置いてけぼりって感じの、
ストーリーの中でおのおののキャラクターがしゃべって勝手に進んでいるって感じなのよね。
うーん、
ぜんぜん頭に入ってこないわ。
なので
申し訳ないけれど、
それはそれでいいんだけど、
エヴァンゲリオンのキャラクター鈴原サクラが独り取り残される感じになるの。
アスカもレイも企画が終わったらいなくなるしガチャも引き当てられなくなるし、
鈴原サクラだけがNIKKEの世界に残されてって感じになるのが気の毒だなぁって思うの。
いやこれきっと運営はそれを分かってて、
鈴原サクラが独りなの可哀想だから他のエヴァのキャラもガチャ引かせようって作戦かもしれないわ!
そんな作戦には乗らないの!
だって次は『ステラーブレイド』とのコラボ企画でイヴやってくるの間違いないから、
それ待ちで「高級募集チケット」はちょっと今たくさん貯まってきたとは言え、
ちょっと回そうかな!って油断ならないの!
これはイヴ用!
いま60枚ぐらい貯まったから、
これもうほぼイヴ確定!
60連ガチャしてイヴが当たる確率70パーセントなのでほぼもう確定よね!
来たわこれ!
鈴原サクラが独りNIKKEの世界に取り残されるの可哀想だなって思うの。
でもここは心を鬼にして
グッと我慢よ。
いつものように早々にデイリーミッションなどは毎日こなしまくりまくりすてぃーで
即毎日やることが無くなるのよね。
相変わらず巨鯨は強すぎて歯が立たないし、
これって本当に勝てるの?って
そんでちょっとずつ強くなってきているからハードのストーリーもちょっと進められるようになってきて良い感じなのよ。
ハードの方って、
戦闘力よりも、
部隊の編成メンバーで良し悪し変わってくる?ってのが強くない?
嬉しい誤算よ!
とりあえず
あと前哨基地でTIER9の装備もゲット出来るようになったので、
1時間半とかだったら
あと30分待ってもしかしたらTIER9くるかも!って時間の計算もしちゃってるようになってきたわ。
こつこつとTIER9を集めていったら結構強くなれるかもって。
レヴェルアップももはや週1回でおのおののニケが150ぐらいしか戦闘力上がんないから地味だわーって辛いレヴェルアップに耐えているところよ。
そんでさ
チラッと見えるときがあって
ニケのレヴェルが500超えてるとか
巨鯨なんて瞬殺なのかしら?
これもう強課金勢よね?きっと。
なんか本当にやることがなさ過ぎて、
暇だから別アカウントでまたNIKKE始めちゃおうかしら?って思うけど
それはさすがにナンセンスかも。
そう言う人も居るかも知れないけど、
でも本垢がほぼもう毎日デイリーミッションみにあふれる毎日になってきてるわ。
ウィークリーミッションもその日のうちにクリアってレヴェルだし。
笑っちゃうわ。
あー
もう敵ラプチャーが強過ぎんのよね。
暇なので回想から過去のアーカイブストーリーも見たりするんだけど、
今回観たいのが
ルピーって何か印象ガサツでーって思ってたけど
このNとの絡みのストーリーでは
その配慮する気遣いがなんかジーンとくる優しいルピーじゃん!ってちょっとガラッと印象変わっちゃったわ。
最後泣いちゃったわ。
良い話だーって。
最初私ストーリーIIのハードの最後の最後のストーリー見るの忘れちゃってて、
なんて酷いドイヒーな終わり方なの!?ってちょっとさすがにそれは酷くない?って思ったけど、
うー
NIKKE泣ける!
そんな泣けるストーリー観ておきながら
地上の戦場に立ち向かわせていく指揮官いや私のことなんだけど、
酷くない?って我ながら思っちゃったわ。
いやNだけじゃなくって、
戦闘用じゃないニケを地上に連れてって戦わせるのってなんか罪悪感があるわ。
よし!行くわよ!ってなるけど、
街での役割を担ってるニケを連れていくのは
ちょっと気が引けるわ。
とにかく、
強くなれない時はそれ観るのに限るわ。
おかげで
こっちの方が枯渇必須じゃない?
こっちはぜんぜん入ってこないのよね。
これもエヴァンゲリオンの前回のストーリーも見れるから見るべきなのかしら?
考えちゃうわね。
うふふ。
短いのであっと言う間にまた週末頑張るっきゃないとよ!
寒くって辛いけど。
早く暖かくなってほしいものよね。
ホッツ白湯ばかりなので、
と言うかこれといってまた同じだけどホッツルイボスティーウォーラー。
大きな容器で作って量産体制!
おかげでゴクゴク飲めてホッツが捗るわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
それって本末転倒だと思うの。
責任と給料が発生する仕事を休んでまで優先させなければいけない 育児。
私は経験がないけど、新生児の場合 2時間おきにミルクあげる とか聞く。
なくなった飼い犬の介護の時も夜泣きがひどかったので似たような経験をしたからわかるけど、常に寝不足で頭が全く働かなかった。
そんな状態でさ、何で TOEIC の点数取れると思うんだろうね。
復帰した時に困らないようにって皆さんおっしゃるけど、社会から取り残されたような不安感があるとかいう声も 散々聞いたけど、単純に 語学を教える立場から言うと、めちゃくちゃ 非効率 だから。
コーチング なんかつけると何十万も飛ぶのにどうして この時期を選んだか。
子育てに対しても、英語学習に対しても、ちょっと失礼な気がする。
ほんとすごく嫌な言い方するとさ、育休中に英語習得できる人は、独身時代にすでに習得してたと思うよ。
リフレッシュや 十分な睡眠をとるための ご自身の時間は存分にとっていただきたいと思う。
それは育児をする上で 絶対に必要で、育てる人が心身ともに健康でないと共倒れになってしまうと思うから。
焦る気持ちはわかるけど、独身時代、新婚時代に時間はあったんじゃないかな?
週に1回の 英会話 レッスンとかであれば まだしも、英語コーチングのような
まとまった時間と学習量のコミットが絶対的に必要とされる場に来るべきでない。
隙間時間で学習できるって言うけどさ、隙間時間 はまとまった時間を別途確保した上で追加の学習時間として忙しい人が捻出する時間のことを指すの。
何よりも 育児だけでただでさえ追い込まれるのになぜ さらに自分の首を絞めるような真似をするのか。
今しなくてもいいことなのに。
こういう人多いんだ。
ディスってるわけでも否定してるわけでもなくただ思う。
今自分 そこまで追い込めなくていいよ
なんかさぁ、あるだろ、こう、日本製の電話機もプリンターも複雑過ぎて使いにくい、みてぇな国外からのクレームがよ。
ITに疎いとかそういう次元じゃねぇの、もっとこう、センスの話なのよ。
日本の技術者たちがどれだけ優れた製品を作ろうとしても、使う側のことを全然考えていないんじゃねぇかって思うわけ。
例えばさ、最近買ったプリンターなんて、初期設定するだけで一苦労だよ。
説明書は分厚くて、まるで小説を読んでいるみたいだし、肝心なことが書いてない。
結局、ネットで調べてみたら、「このボタンを押すとこうなる」なんて情報が出てくる始末。だったら最初から簡潔に書けよ!って叫びたくなるよな。
シンプルなデザインと直感的な操作性。ボタン一つで何でもできる。あれこそが「使いやすさ」ってもんだろ。
日本製品は機能が多すぎて、逆に使う気が失せるんだよ。ユーザーのニーズを無視して、高度な機能ばかり追求しているように見える。
さらに言えば、日本の企業文化自体が問題なんじゃねぇかと思うわけ。
開発チームが「これが最新技術だ!」って自慢する一方で、ユーザーの声には耳を傾けない。
現場の意見を無視して、エリートたちだけで決めた製品が市場に出回る。
その結果、使い手は困惑し、結局「日本製は難しい」とレッテルを貼られる。
それでも、日本人は「品質」が大事だって言うけど、その品質が使いやすさを犠牲にしているなら、本末転倒じゃねぇか?
確かに壊れにくいし、耐久性は抜群だけど、それだけじゃダメなんだよ。使う人間がストレスなく使えることこそが、本当の品質なんじゃねぇか?
だからさ、これからはもっとユーザー目線で考えた製品作りをしてほしいわけよ。
「使いやすさ」を追求することで、日本製品の評価も上がるし、海外市場でも勝負できるようになるんじゃねぇかな。
そうすれば、「日本製は難しい」なんて言われなくなる日も来るかもしれねぇぞ。
まぁ、俺みたいなオヤジが言ったところでどうなるもんでもねぇけどさ。
近年、人工知能(AI)技術は目覚ましい進化を遂げ、さまざまな分野で革新的なサービスや製品が登場している。とりわけ、自然言語処理や画像認識といった分野では、数年前には考えられなかったような精度と速度が実現され、ビジネスや研究開発に欠かせない存在となった。しかしながら、その一方で「AI」の看板を掲げていても、性能面で期待を大きく裏切る製品も少なくない。そうした中で、最近話題にのぼる中国製AI「DeepSeek」については、「使えたもんじゃない」という厳しい評価を下さざるを得ないと感じている。
まず問題となるのは、その性能の低さだ。AIが人間の作業を支援する上で最も重要なのは「正確な情報を素早く提示する」ことだが、DeepSeekはこの点で大きく劣っている。例えば、自然言語処理を用いた文書解析や要約機能を試してみても、肝心な部分の抽出が弱いため、内容の重複や不要情報が目立つケースが多かった。こちらが求める回答とはズレた情報が混在しており、結局、手動で整理し直さなければならない事態が頻繁に発生するのだ。これでは、AIによる効率化よりも、むしろ余計な手間がかかってしまう。
さらに、精度の低さだけでなく、処理スピードにも問題がある。大容量のデータや複数のタスクを同時に扱うAIとして期待していたのだが、DeepSeekの場合、サーバーの負荷や回線状況によって処理が明らかに遅延することが散見される。大量のデータを扱う現場や、リアルタイムの応答が求められるシステムに組み込むのはリスキーだと言わざるを得ない。AIによって業務を効率化するはずが、待ち時間のストレスが大きくなるようでは本末転倒である。
また、サポート体制の不十分さも見逃せない点だ。海外のAIツールを導入する際には、使用言語の問題やタイムゾーンの違いから、どうしても問い合わせやアップデートの対応が遅れることがある。しかしDeepSeekに関しては、それを差し引いてもサポートが不安定であり、技術的なトラブルに遭遇しても解決までに多くの時間と手間を要する。問い合わせに対する回答が曖昧なまま放置されてしまったり、更新版を導入しても修正が不完全だったりと、ユーザー側のストレスは増すばかりだ。導入後の運用を考えると、明確なサポートが受けられないツールを使うのはリスクが高い。
データセキュリティの面でも懸念材料がある。AIツールを利用する際には、多かれ少なかれ機密情報や個人情報を扱う可能性がある。これらの情報が外部サーバーに送信され、どのように保管・処理されるかは非常に重要だ。DeepSeekでは、プライバシーポリシーやデータ取扱いの詳細説明が不十分であり、さらにユーザーコミュニティでもセキュリティに関する不安の声が多く上がっている。いかに優れた機能をうたっていても、根本的な安全性の保証が得られない製品を業務に導入するのはリスクが大きいと言わざるを得ない。
もちろん、中国製だからすべてが悪いというわけではない。実際、中国のIT・AI分野には世界でも注目される革新的な技術が多く存在し、優れた製品やサービスを提供する企業も多い。しかし、DeepSeekに関しては、肝心のAI技術自体の成熟度が低く、安定性や信頼性に欠ける部分があまりにも目立つ。このような状況では「使えたもんじゃない」と評されても仕方がないだろう。
総じて、DeepSeekはビジネス現場や研究開発の現場で頼れるパートナーとなるには程遠い。その性能の低さ、処理速度の遅さ、サポート体制やデータセキュリティへの不安要素など、導入の際に考慮しなければならないマイナス点が多すぎる。たとえ導入コストが他のAIツールより安価だったとしても、後々のトラブル対策や、AIが正常に稼働しなかった場合の損失を考えると、逆に高くつく可能性があることを否定できない。
今後、DeepSeekがアップデートや改良を重ねて飛躍的に性能を向上させる可能性がゼロとは言い切れない。しかし、現時点での完成度に限って言えば、非常に厳しい評価をせざるを得ない。「中国製AI、DeepSeekは使えたもんじゃない」という言葉を、ただの誹謗ではなく、事実にもとづく警告として受け止めるべきではないだろうか。もし本格的に導入を検討している企業や研究機関があるならば、慎重に比較検討を行い、テスト導入などを十分に行う必要があるだろう。
AIがビジネスや研究の現場で日常的に活用されるようになったいま、選択肢は豊富にある。性能やサポート、セキュリティ面で優れたAIを選ぶことが、結果的にはコスト削減にもつながるし、企業や組織の生産性の向上にも寄与する。時間と資金を費やして導入した結果、「使い物にならなかった」という事態を招くのは避けたいものだ。DeepSeekについては、導入メリットとリスクをしっかり検討したうえで、よほどの理由がない限りは慎重な姿勢を貫くことを強くおすすめする。
今回、私が広報担当として指揮を執ったフジテレビの記者会見は、間違いなく「広報の総合格闘技」と呼ぶにふさわしいものでした。経営統治の不備やガバナンスへの不信感に加えて、あの中居正広さんと女性とのトラブルが引き金となり、広告主・株主からの批判が噴出。さらに初動の遅さが炎上を招き、もはや打つ手は限られた状態でした。しかも、事前にキャッチコピーを作り込んだり、議題をコントロールしたりといった一般的な記者会見の下準備をする余裕すらなく、結果的に「真っ向勝負で説明し切る」という選択肢しか残されていなかったのです。
それでも「なんとか世論をこちらに振り向かせたい」という思いから、私はあえて「途中休憩ゼロ」という強硬策を打ちました。これは過去に何度か危機管理広報の現場を経験してきた私の現場感覚がなければ躊躇していたかもしれません。会見の長丁場化は予想していましたが、10時間を超えることになるとは正直、私自身も想定以上でした。普通なら1時間半、長くても2時間程度が限度でしょう。ところが今回は「途中退席すら許さない」「中途半端な説明で逃げるのを防ぐ」という方針を徹底するために、どうしても会見そのものを“終わらせない”という選択をしたのです。
ただし、これほど長時間になると、経営陣の身体的負担は計り知れません。中には体力が限界を超える人も出かねないし、トイレ問題も当然出てきます。そこで、私が下した結論は「着用できる方にはおむつを履いてもらう」というものでした。最初は「企業のトップがそこまでするなんてあり得ない」「逆に恥を晒すだけでは」と反対意見も多かったのですが、企業の信頼が大きく揺らぐ非常事態だからこそ“常識”にとらわれている場合ではないと思ったのです。実際、一部の経営陣は顔をしかめながらも最終的には納得してくれました。結果、「トイレ休憩ゼロ」で会見を駆け抜ける覚悟を示すための、“ある意味での必殺技”となったわけです。
しかし、ただ「休憩なしで座り続ける」だけでは説得力が弱いと感じていたのも事実です。そこで、今回はもう一つ演出的な工夫を凝らしました。それが経営陣のメイクです。長時間の質疑応答で表情が崩れていくのは避けられないにしても、最初からやたら「元気そう」では逆に「まだまだ余裕があるのでは」と見られてしまう。そこでプロのヘアメイクさんに依頼して「深刻さや悲壮感が伝わるメイクをお願いします」と、あえて目の下のクマを強調させたり、肌の血色を落とすなどの技術を駆使してもらいました。「ここまで追い詰められている」「会見前から眠れずやつれている」という雰囲気を演出することで、世間に本気度や過酷さを伝えようとしたのです。
さらに、私は「10時間」という長丁場に耐えるための体力面にも気を配りました。長時間の拘束により、本当に病人が出てしまっては本末転倒です。会見直前ににんにく注射(ビタミンB1などを主成分とする疲労回復用注射)を受けてもらうよう手配したのもその一環です。もちろん、にんにく注射が万能薬というわけではありませんが、「とにかく極限まで身体を持たせて、最後まで答え続ける姿勢を崩さない」――この必死さを表すためには、思いつく限りの手段を使わざるを得ませんでした。実はこの一連の準備を知った広告代理店や業界関係者からは「やり過ぎでは?」という声も聞かれましたが、私は「現状のままでは何も変わらない」と信じて突き進んだのです。
会見が始まると、予想通り、いや予想以上に批判的な質問が次々と投げかけられました。初動の遅れ、被害女性への対応、第三者委員会の独立性への疑念、広告主や株主の不信感――矢継ぎ早に問い詰められる経営陣は、表情も声もどんどん疲労の色を帯びていきます。それを見て、私は内心「これが狙いでもある」と思っていました。というのも、今回の会見はただ“綺麗な釈明”をするのではなく、「企業のトップたちが全力で問題に向き合っている」という“過酷なまでの姿”を見せつけることで、何とか世論の“厳しさの中にもわずかな理解”を引き出したいと考えていたからです。
実際、時間が経つほど、SNS上でも「まだ打ち切る様子がない」「トイレ休憩させてあげて...」と戸惑い、少しずつ空気が変わっていきました。(開始6時間後におむつ交換のため一度のみトイレ休憩を実施しました)「フジテレビかわいそう」「批判は当然だけど、確かに逃げない姿勢は見える」といった声が散見され、会見後は一部の広告主が「とりあえず引き続き見守ってみようかな」と態度を軟化させる動きも出始めたのです。もちろん完全に信用を回復できたわけではありませんが、少なくとも「何も説明しない・弁明ばかりの企業」というレッテルを多少は拭えたのではないかと感じています。
こうした「広報の総合格闘技」的アプローチは、一歩間違えれば単なる“奇策”として失敗に終わる危険性も高いです。おむつや悲壮感メイク、にんにく注射などのあらゆる手段を駆使するなんて、「そこまでしないとこの企業は立ち直れないのか」と呆れられかねないリスクが常に付きまといます。事実、私も「大丈夫か」「逆効果にならないか」と自問自答を繰り返しました。しかし、それでも「あえてここまでやるしか、この炎上は収まらない」と確信するに至ったのは、私自身が過去に積んできた危機管理広報の実績と、ここで何もせず中途半端に終わるとフジテレビが本当に沈む、という強い危機感があったからです。
結果として、記者会見は10時間を超える日本史上最長クラスの“異様な”長丁場になりました。けれども、経営トップたちが極限状態に追い込まれながらもなお説明を続ける姿は、炎上中の世間やメディアに対して「ここまでやって初めて、本当に反省していると見てもらえる」という一定の効果を生み出したと思います。もちろん問題の根幹はまだ解決していませんし、企業風土の改善や被害者への誠実な対応、株主・スポンサーへの信頼回復にはまだまだ時間が必要です。それでも、私としては「少なくとも企業として逃げずに向き合った」という揺るぎない事実を残せたことに意味があると感じています。
広報という仕事は、単なる“宣伝役”ではなく、こういった「総合格闘技」とでも言うべき様々なアプローチを駆使して、企業や組織が抱えている根本的な課題に向き合い、世間との接点を作る役割だと改めて実感しました。綺麗ごとだけでは済まされない現場で、身体を張って危機を乗り越えるための戦略を作り上げる――それが私の真骨頂でもあります。今回の壮絶な経験を糧に、フジテレビの再生に向け、そしてこれからの広報の未来に向け、まだまだ闘いは続きます。私自身、これほど辛い戦いは滅多にありませんでしたが、「何もやらなければ企業は沈む」という危機感を共有できたことで、最後まで全力を注ぎ込めたと思っています。確かにハイリスクな一手でしたが、現状を変えるには総合格闘技さながらの捨て身の覚悟が必要でした。その覚悟が少しでも多くの人に伝わっていれば、これからの信頼回復への一歩として報われるのではないでしょうか。
変身ヒロインもののアニメにおいて、そのコスチュームは子供たちの憧れを引き出す重要な要素である。
特に、リボンやフリル、キラキラした装飾は、女児向け作品において鉄板のデザインだろう。
現実世界では、こうした衣装が「なりきりグッズ」として販売され、多くの子供たちがキャラクターになりきる遊びを楽しんできた。
筆者自身も、子供時代に憧れのキャラクターの衣装を親に買ってもらい、その姿で遊んだ記憶がある。変身ヒロインたちは、身近にある「ヒーロー」だったのだ。
しかし、最近発表されたある女児向けアニメでは、主人公たちの衣装がレオタード風のデザインとなっており、疑問を感じざるを得ない。
特に注目すべきは、アニメ本編の衣装と、関連商品である「なりきり衣装」におけるデザインの乖離である。
アニメ本編のレオタード風デザインに対し、実際に販売されるなりきり衣装や、声優のライブイベントで着用された衣装はスカートが追加されたアレンジとなっている。
この事実は、「なぜ初めからスカートを採用しなかったのか?」という疑問を呼び起こす。
アニメ的なファンタジー表現としてレオタードを採用したのかもしれないが、果たして本来のターゲット層である女児たちがその衣装に憧れるだろうか。レオタードという選択が、保護者たちにどう受け取られるかも気になるところだ。
アニメの世界観としてレオタードを採用した意図があるのかもしれない。
しかし、演じる声優がイベントでスカート姿となると、「じゃあリアルの女の子たちには適応できないデザインということなのか?」と疑問を抱かざるを得ない。
結局、声優たちが普通にスカートで登場している時点で、「レオタードはあくまでアニメ的なファンタジー表現として消費してください」というメッセージなのだろう。
だが、それならばそもそも「なぜ女児向けアニメでレオタードを採用したのか?」という矛盾が残る。結果的に、誰に向けたデザインなのかが見えにくい。
子供向けのヒーローものにおいて、「憧れ」は非常に重要なポイントだ。
「私もあのキャラみたいにかっこよく戦いたい!」と子供たちが思えることが作品の魅力に直結する。
しかし、現実ではその憧れのキャラの衣装が再現しにくかったり、違和感を覚えるようなデザインであると、子供たちの気持ちとズレてしまうのではないか。
この問題は、「製作者が本当に子供たちや保護者の目線に立って考えたのか?」という疑問にもつながる。
ファンタジー表現としてのアニメ的デザインが必ずしも悪いわけではない。
だが、それがターゲット層にきちんと伝わらなかったり、混乱を招くような形になってしまうのは、本末転倒と言えるだろう。
男は男がインターネットの過半数だと思っているので、筆者が男だということは周知の事実だとして、わざわざ自分の性別を書かないんだよね。
逆に女は、自分が女だと明示しないと信じてもらえない。だから性別はカミングアウトしないと信じてもらいないという強迫観念がある。
イタコ論法がどうとか、お気持ち表明だけで何か言ったような雰囲気を出しているとか以前に、性別カミングアウトという所作がこのうえなく女らしいんだよな。
本当に男を騙りたいんだったら、性別カミングアウトなしに女に対してマンさん呼びを徹底すれば、少なくとも増田においては成立する。そこまで書けば誰も元増田が女だと思わないだろう。
まぁ、男騙りをする理由の大半は女の擁護が目的だから、騙り目的としてもマンさん呼びをしてしまっては本末転倒なのかもしれんが……
ある日、街中を歩いていたときに突然、人が倒れる場面に遭遇したら――。そんな場面を想像すると、自分は咄嗟に行動できるのだろうか、と不安になる。さらに、それが女性の救助であった場合、AED(自動体外式除細動器)を用いるときにためらいが生じる人もいるのではないだろうか。実際に「異性の身体に触れることに抵抗がある」「万が一、セクハラとみなされないか不安だ」といった声を耳にすることもある。しかし、目の前で倒れている人がいれば、その方の性別にかかわらず、一刻も早く命を救う行動を取ることが最優先されるべきなのだ。俺も、もし女性が倒れていてAEDが必要な状況であれば、しっかり使い方を知っていて、ためらいなく行動できるようになりたいと強く思う。
まず大前提として、AEDは心室細動や心停止状態にある人の心臓を正常なリズムに戻すために電気ショックを与える装置だ。救急医療の知識がない一般市民でも、手順書や音声ガイダンスに従うことで使用できるように設計されている。多くの人が「AEDの場所はどこにあるのかは知っているが、いざ使おうと思うと緊張してしまう」と感じるかもしれない。だからこそ、普段からAEDの使用方法を知識として知っておき、「使うべき瞬間に迷わない」心構えを持つことが重要だ。
さらに、AEDを使用するときには、胸部へのパッド装着が必要になる。男性と比べて女性の場合は、ブラジャーや衣類で胸が隠れていることも多く、パッドを正確に貼るためにはある程度、衣服をずらしたり、肌を露出させたりする必要が生じる。それをためらってしまい、手間取っているうちに救命のタイミングを逃してしまう危険性がある。心臓が停止している状況では、時間との闘いだ。1分遅れるごとに救命率は大きく低下する。この事実を踏まえれば、「異性の胸に手を触れるのが失礼かも」とか「後で問題にならないか」などと迷っている時間はない。救命行為は相手の人生を左右する重大な局面であり、そこに遠慮は必要ない。
もちろん、プライバシーや人権への配慮は大切だ。周囲にいる人に声をかけて上着やタオルを使って視線を遮るなど、できる限りの配慮をしながら実施できれば理想的だろう。しかし、それらの配慮をするあまりAEDの装着が遅れてしまっては本末転倒だ。救命の基本的な考え方として、まずは心停止状態であるかどうかの確認を素早く行い、心肺蘇生(CPR)とAEDの準備を並行して行う。その過程で周囲に人がいれば協力を求め、「衣服を下げてもらう」「通報をお願いする」など、各人が役割分担をすることでスムーズに救命処置を進めることができる。
日本では、AEDが駅や公共施設、商業施設など、あらゆる場所に設置されつつある。しかし、実際に使われる場面となると「なんだか怖い」「失敗したらどうしよう」と心理的なハードルが高いのも事実だ。さらに、女性への使用に際しては、上述のような「セクハラだと思われないか」という余計な不安が加わることで、救命処置がためらわれるケースもあり得る。こうした状況を打開するには、AEDの使用方法や救命措置に関する正しい知識と、周囲の目を気にせず行動に移せる意識改革が欠かせない。
俺自身も、「もし自分が心停止で倒れたなら、誰かが戸惑わずにAEDを使ってほしい」と思う。逆の立場であれば、女性であれ男性であれ、誰しもが命を救われることを望むはずだ。だからこそ、自分が救助者の立場になったときには「その人が自分の大切な家族や友人だったら、何をするか」をイメージして、行動できるようになりたい。現場で大事なのは、“できることを全力でする”ことだ。どんな状況でも冷静に対応できるよう、心の準備だけでなく日頃の訓練や学習が必要になる。
救命講習などの研修に参加すると、胸骨圧迫(心臓マッサージ)や人工呼吸の手順に加えて、AEDの使用手順を実際に体験できる。講習の人形は性別の区別がないものが多いが、インストラクターからは「女性の場合はブラジャーを外す必要がある」「パッドを貼る位置はこうだ」など、具体的なアドバイスを受けることができる。初めは戸惑いがあっても、実際に手順を踏むことで自信につながるし、いざというとき落ち着いて対処できるようになる。
また、AEDの使用でセクハラなどのトラブルにつながる可能性を気にする声もあるが、日本においては「善意の救命措置」で法的責任を問われるケースは非常にまれだとされる。実際、救命行為を行って訴えられる例はほとんど報告されていない。むしろ、心停止状態の人を前にして何もしないことで責められるリスクの方が、社会的には大きいと考えられるだろう。もちろんトラブルをゼロにするためには、周囲の人に「AEDを使います」「衣服をはだけます」など一言伝えることが望ましい。しかし、何よりも大切なのは、一秒でも早く命を救う行動を取ることだ。
結果として、俺が「女性にAEDを使用したい」と思う気持ちは、単純に“女性だから”ということではない。誰であろうと、目の前で倒れている人がいれば助けたい。その中で特に女性への使用に関しては、社会的に根強く残る「性差による遠慮や戸惑い」から救命処置が遅れてしまうことをなくしたいのだ。男女問わず、AEDの使用に戸惑う理由が「相手の性別」であってはならない。大切なのは命であり、人として当然の行動をとるための心構えだと思う。
もし未来のどこかで、俺が通りすがりの女性の命を救う場面に直面したならば、しっかりとAEDを使い、協力してくれる人がいれば迅速に声をかけ、万全の態勢で救命処置を行いたい。そして、その行動が当たり前の社会になってほしい。性別にとらわれず、お互いを助け合える世界であれば、助けられる命はもっと増えるはずだ。いつか必ずやってくる“いざというとき”のために、俺は救命に対する知識と技術を身につけ、臆することなく行動できるようになりたい。そうすることで、一人でも多くの人の命を守れると信じている。
どうも、40代のプログラマーだ。最近、仕事の効率を上げるために「ポモドーロテクニック」なるものを試してみた。良い点も悪い点も含めて、語ってやるぜ。
まず、ポモドーロテクニックってのは、25分間ひたすら集中して作業し、その後5分間休憩するという方法だ。これを4回繰り返した後に、長めの休憩(15〜30分)を取る。
25分という短い時間で集中することで、脳が疲れにくくなる。特にプログラミングなんて、一度思考が途切れると再び集中するまでに時間がかかる。しかし、この方法だと短いサイクルで頭をリフレッシュできる。まるで、短距離走を何度も繰り返すような感覚だ。自分の限界を知りながらも、次々とタスクをクリアしていく快感は病みつきになる。
タイマーが鳴った瞬間、「やった!」という達成感が得られる。この感覚は単なる作業の終わりではなく、自分自身を認める瞬間でもある。この達成感が次のポモドーロへのモチベーションとなり、自分を鼓舞する力になる。小さな成功体験が積み重なることで、自己肯定感も高まっていく。
5分間の休憩は単なる息抜きではない。コーヒーを淹れたり、窓の外を眺めたりすることで、脳がリセットされ、新たな視点が得られる。特にプログラミングでは、行き詰まった時にこの休憩が効果的だ。頭を冷やすことで、新しいアイデアや解決策が浮かぶことも多々あった。
複雑なコードを書いているときや、大きな問題に取り組んでいるときには、この25分という枠組みが逆効果になることもある。「今この瞬間に集中しているのに!」という思いから、タイマーに振り回されることもしばしばだった。このジレンマは非常にストレスフルだ。
タイマーが鳴ると、途中で作業を中断しなければならない。それがストレスになることも多かった。このタイマーは、一種の監視者のようになってしまう。自分自身との戦いでもあるから、時にはその存在が重荷になることもある。
休憩中にダラダラしてしまうこともあった。5分じゃ足りないと思っちまって、そのまま10分、15分…なんてことになったら、本末転倒だ。この誘惑には勝てない時もあるから、自制心との戦いでもある。自分を律することが求められるわけだが、この誘惑には勝てない時もある。
ポモドーロテクニックは良い点も悪い点もあったけど、自分のスタイルに合えば使えるツールだと思う。ただし、全ての人に合うわけじゃないから、自分のタスクや状況に応じて調整する必要がある。
自分の限界を知りつつ、このテクニックを使いこなすことで、より効率的な仕事を目指していくつもりだ。そして、お前らにもこの挑戦を勧めたい。試してみろ!ただし、自分自身との戦いになる覚悟はしておけよ!
先日、友人に誘われて初めて婚活パーティーに参加した。世間では「婚活市場は女性優位」と言われるが、実際に足を運んでみると、その空気感にはまるで女王様のような傲慢さが漂っていた。失礼ながら、そんな態度を目の当たりにしてしまうと、こちらからも一歩引いてしまうものだ。もちろん参加者全員がそうではないにしても、当たり前のように男性に条件を突きつける人々が多く、正直驚きを禁じ得なかった。
どんな条件を突きつけられたかというと、まず年収が最低でも500万円以上、身長は170センチを超えていてほしい、学歴は四年制大学卒業以上が望ましい……という具合だ。こういったリクエスト自体は、ある程度の価値観や希望を明確にするためには必要なのかもしれない。しかし、それを口にする際の態度が問題なのだ。まるで「私は選ぶ側にいる」という意識を隠そうともせず、相手が自分の条件に合致するかどうかだけを確認して、少しでも合わないとわかると容赦なく切り捨てる。あるいは、興味がない相手に対して挨拶もろくにしないというケースまであった。そうした姿勢を見ると、人として大切な部分が欠けているのではないかと感じてしまう。
実際に会話をしていても、自分の理想や要求ばかりを語り、こちらの話に耳を傾けようとしない女性が散見された。たとえば仕事や趣味の話を振っても、あからさまに興味がなさそうな表情を浮かべ、「へえ、そうなんだ」で終わりにされることもしばしば。まるで、男性をただの『条件の羅列』としか見ていないかのようだった。
さらに驚いたのは、そうした女性たちが「何でいい人がいないの?」と嘆いている姿だ。傍から見れば、その態度こそが「いい人」を遠ざけてしまう一因になっているのだが、当の本人にはなかなか気づけないらしい。もちろん、男性側にも問題があるケースはあるだろう。だが、少なくとも私が出会った場面では、多くの男性が真剣に向き合おうとしていた印象がある。それにもかかわらず、女性の側が高飛車な態度を取り続けることで、せっかくのチャンスを自ら逃しているように見えた。もしかすると、彼女たちは結婚そのものよりも「周囲から羨ましがられるような完璧な相手」を探すことに固執しているのではないか。もしそうだとすれば、それは本末転倒と言わざるを得ない。
もちろん、希望条件を持つこと自体は悪いことではない。誰だって、自分が幸せになれる相手を見つけたいのだから、ある程度の要望を抱くのは自然な流れだ。ただし、相手を思いやる気持ちやコミュニケーションを大切にする姿勢を忘れてしまえば、本来の婚活の意義はどこへやら、ただの『条件比較ゲーム』に成り下がってしまうだろう。お互いに譲れない部分はあるかもしれないが、最低限の礼儀と相手への関心を示すことは、人としての基本中の基本ではないだろうか。もし婚活で真剣にパートナーを探しているのならば、単に条件を並べるだけでなく、相手の個性や考え方を尊重し、自分自身も成長していくという姿勢が必要不可欠だと思う。にもかかわらず、傲慢な態度をとる女性を見るたびに、「なぜそこに気づけないのか」と残念な気持ちにならざるを得ない。結局のところ、自分自身を高める努力を怠り、相手にばかり理想を押しつける人は、どれほど条件の合う相手と結婚しても、心からの幸せを得ることは難しいのではないだろうか。
婚活はあくまでパートナー探しの場であり、相互理解と尊重が前提であるはずだ。もし女性が自らを“選ぶ側”と勘違いし、その立場を振りかざすような振る舞いを続けるのであれば、その傲慢さに呆れる男性は増えていくばかりだろう。真の意味で幸せな関係を築くためには、まずは謙虚さと思いやりを取り戻すことが大切だと強く感じる。