はてなキーワード: 擁護とは
絶対に結婚しないと言って憚らなかった時期を経て、今は普通に結婚したい。人生の選択を何もかも間違い続けて今もずっと自業自得の下り坂にいるが、“既婚者”の称号を手に入れて一発逆転したい。既婚という一点でしか擁護されないような異常者たちの仲間に私もなりたい。
私の意思に関わらずそもそも相手がいないし、婚活サイトに登録して玉砕しまくる勇気も金も出ないが、以下にスペックを記載する。
・年齢26歳
・無職
・うつ病(服薬中)
・実家こどおば
・貯金100万程度
結婚相手に求めるものは、私がパート賃金を稼ぐくらいで生計を立てられる経済力だ。その条件で添い遂げてさえくれるなら、年齢差も身長も浮気もダブル不倫も気にしない。贅沢を言うなら普通免許を持っていて、車の運転をし慣れていて、週末に時々巨大イオンに連れて行って放流してくれたら嬉しい。
ずっと結婚したくなかったのは子供を産みたくないからで、でもそれもだんだんどうでも良くなってきた。私はそもそも子ガキが嫌いだ。私の血が入った子ならまず間違いなく精神病の気があって、無駄に賢しく生意気で感じが悪く、自己承認欲求だけが肥大したクソガキだろうが、多くの経産婦が産めば何とかなる赤ちゃんは可愛いと言っているのだから何とかなるのではないだろうか?
ならなければ風呂に子を沈めるとか、首を絞めるとかして逮捕されるのだろうが、それでも今の停滞したこどおば地獄よりはましではないか?
結婚したくないと言っていた頃と変わったのは人生に対する責任意識の向上ではなく、どちらかと言うと遵法意識の低下のようだ。
自分の人生に対して責任を取りたくないという欲はずっと感じていて、正直それが主原因として結婚したさが高まっている。結婚にそんな重い意味はないと思っていたのだが、意外にも私の父は私の母の人生の責任をかなり最期まで見るつもりでいて、急に母のことが羨ましくなった。私も誰かの人生の助手席に乗りながら、自分が産み出した子供の苦しみに「早く自分で責任を取れ」と言いたい。自分の人生の責任の重さに押しつぶされて、様々な方法で苦しみながら生から逃げようとしている人たちに、なぜそんなことをするの?生きることは子供を育てることは素晴らしいよ?と無責任に言い放ちたい。もちろん、私と同じうつ病に苦しむであろう我が子にも。
大阪はレイプされた女性が駆け込んでアフターピル処方してもらうための施設も廃止しちゃったし
「嫌だ、やめて、助けてはプレイの一貫で言うから殴られて縛られてレイプされても無罪」と滋賀医大生の事件でむちゃくちゃやるし
「氷河期のせいだ」「女はいいけど男は辛い」と言って犯罪者擁護に走るネット民、はっきり言って異常でしょ
容疑者は立派な家や車も持っていて経済的には裕福だったらしいのに
年齢だけで無条件に弱者男性扱いして同情って
これは擁護できない
あの件だと寧ろフローレンスに対しあんたらのせいで面倒な事になった、ってムカついても良い案件だと思うけど
何故かフローレンスへの怒りは全く感じなかったし
再投稿は人権である。その理由は、再投稿という行為が自己表現の自由の一環であり、投稿者が自身の声を何度でも届ける権利を守るものであるからだ。表現の自由は、個人が自らの考えや体験を伝える基本的な権利であり、それが匿名で行われる場であろうと、その価値は変わらない。再投稿の否定は、この表現の自由を制限し、声を上げる機会を奪うものであり、許されるべきではない。
再投稿を「甘え」と批判する声は、表現の自由の本質を理解していない。その批判は、投稿者が同じ内容を繰り返すことで伝えたいメッセージの重要性や切実さを無視し、表現の場を狭める行為である。特に匿名の場においては、投稿者が自分の言葉を届けるために選ぶ唯一の手段が再投稿であることも少なくない。これを否定することは、声を届ける術を持たない者の人権を奪う行為に他ならない。
再投稿は、情報の流れを断絶しないための行動である。匿名ダイアリーのような速いペースで更新されるプラットフォームでは、一度の投稿では多くの読者に届かない可能性が高い。そのため、再投稿は投稿者が平等に自身の意見を広める権利を確保するために必要不可欠な手段である。再投稿を否定することは、社会的に価値のある情報が共有される機会を減らすだけでなく、投稿者の自己表現の権利を奪う暴力的な抑圧である。
再投稿は自己表現の自由であり、平等な情報発信の機会を確保するための基本的な権利である。これを揶揄し否定する行為は、個人の尊厳を踏みにじり、匿名ダイアリーが持つ多様な声を育む場としての価値を損なうものである。再投稿を否定することは、人間の基本的権利に対する挑戦であり、それに対抗するために再投稿の正当性を擁護し続けることこそが、自由で公平な社会を維持するために必要不可欠である。再投稿は人権であり、それを守ることが私たち全員の責任である。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4763623042345955104/comment/Capricornus
同情しかない。こう言う人を裏切って来たんだよ。colaboも共産党も赤い羽根も。恐ろしいのは、この件で明るみに出なかったらこの人は知らずして死ぬまで赤い羽根を信じて募金募ってたんだろうなと言うこと。
https://togetter.com/li/2054234 昨日は伊藤忠、今日はアカい羽根。その渦中には村木厚子。この繋がりっぷり、暇空氏の嗅覚ヤバいな。ナニカグループなんて突っつきからこんな動くとは思わなかった。
日本共産党はこのWBPC込みの公金チューチュースキームにどんだけ噛んでたらこんなに捨て身になれるのかね。いつもは黒塗りも不正もとことん追求するのに本件に関しては真逆な上、無理筋な話題逸らしに必死過ぎる
一連の暇空氏disも結局ここに落とし込むの、腑じゃなくて語るに落ちてますよ。数字や公文書を根拠に挙げられてる疑惑は相手を貶める印象操作じゃ払拭出来ません。WBPC利権疑惑はもはや暇空氏だけの問題じゃないし。
迅速且つシンプルに問題点である不正疑惑へ言及。嘘がなさそうでちゃんとしてる組織という印象。WBPCの息かかってるところは全部不正疑惑から目を背けて頓珍漢な方向で自己擁護始めるからある意味分かり易い。
その言葉、パソナやらに使って追求しても良いけど、使うなら使うでWBPCも取り上げろよ。都合よくWBPCは知りませんでしたなんて不誠実は許されないだろう。その時は毎日もグルということで。
なんか、WBPはCの件に学んでとっとと不備謝罪して訂正しそうな気がする。そうなると暇空氏は監査やら怖い公的機関が入る前に監査まがいな事して不備を指摘してくれるただの親切な一般人!
https://x.com/KSakanako/status/1868642247237107826
富山 実の娘に性的暴行の罪 初公判で父親が無罪主張 | NHK
「どこの世界に父からの性行為を受け入れる娘がいるのでしょうか。今、被害を受けている子どもたち、被害を受けた子どもたちが勇気を持って一歩を踏み出すためにも、父が厳正に裁かれますことを心から祈ります」
https://selforganizedseminar.files.wordpress.com/2011/07/butler-undoing_gender.pdf
親子の近親相姦を、親による子への一方的な侵害と考える必要はない。実際、近親相姦がもたらす蹂躙を理解し、近親相姦が蹂躙である場合とそうでない場合を区別するためには、子どもの身体を外部から押しつけられた表面としてのみ捉える必要はない。
子どもの身体を受動的な表面として再定義することは、理論的なレベルでは、子どものさらなる剥奪、すなわち精神的生命の剥奪を構成することになる。それはまた、別の次元の剥奪を犯していると言えるかもしれない。
もっと正確に言うと、人権派と陰謀論者の中間、あるいは地域の名物おじさんみたいなものだった。
この家に育って何が起きたか。
それは認めるし、親としては感謝している。
だが、私はこの家に育って、世間とまったく感性が通じないというか、後天的なコミュ障のような人間になった。
少し前に、発達障害者の人たちが「健常者エミュレーター」という概念を紹介していたが、それを見た時、私は膝を打った。
また、統一協会やエホバの証人の二世問題について知った時、私はこれに近いんじゃないかと思った。
自分が世間から見て「おかしい」ことはわかっている。だが、私に植え付けられた何かが、「いや世間なんて」と茶々を入れ続ける。
私の両親は、あらゆる凶悪事件がまるで発生していないか、あるいはまるで被疑者が英雄みたいに私に話すのだった。
大きな例を挙げると、神戸の連続殺傷事件(酒鬼薔薇)について、両親は冤罪説、つまり少年Aは犯人ではないということをしきりに唱えていて、まだ小さかった私にも、「これは嘘なんだよ」「警察はしっかり調べていないんだよ」と吹き込んだ。
私の父は予備校の会報か講師たちの同人誌か、そういう冊子に、そのことをずっと書いていた。そしてそれを小学生の私に読ませた。
食卓で悲惨なニュースを見ながら、「〇〇ちゃんは、人の心について考えられる人間になってね」と、両親は笑顔で私に話しかけるのだった。だが、「人の心について考えられる」というのは、イコール、死刑廃止活動やあらゆる有名な事件にまとわりつく陰謀論に近い冤罪説を信じろ、ということだった。
母は、左翼の地方議員の勝手連みたいなことをやっていて、時々家が集会場所となった。学校から帰ると、おばあさんとかおばさんが五人くらい集まっていて、きついコロンの香りを漂わせていた。
別に悪い人たちではない。本当なら、私よりもずっと世間に貢献している人なのだろう。お菓子やお土産とかもいっぱいもらった。だが、結局のところ、ある宗教の座談会の人権版が家で行われているのと変わらない。そしてこの集まりから何か発展的なことが生まれたようにも見えない。
こういう家に育って、私は中学生のころまで、いわゆる純粋培養で育った。親の言うことが全てという世界で。
極端に聞こえるかもしれないが、世間のあらゆる犯罪は、冤罪であるか、犯人の非ではない何かの理由があって発生した者であり、警察と政府は悪。端的にそう言う世界だった。
ネット上には、死刑廃止運動に絡めて、ある左翼の議員が、「殺されてしまった人よりは、生きている犯人の人権の方が大切なのだから」と発言した、という情報がある。実際はその議員はそんな発言をしていないらしいのだが。
私が初めて、ちょっとした疑問を覚えたのは、小学校高学年の時だった。
それまで放課後開けていた小学校の校門や校庭を、これからは明確に管理しようという話が、小学校で出たらしい。
しかし、私の両親、特に母親が待ったをかけた。というより、その現場に居合わせた。
母親はその情報を知るや否や、私もつれて、なんと校長に面談を申し入れた。
私は校長室の革椅子に座って、横で母親が延々と「開かれた学校という理念はどうしているのか」「治安というのはつまり何を基準に申しているのか」と校長にまくし立てていたのを覚えている。
なぜ私がそこに連れていかれる必要があったのか、そして半分笑顔でねちねちと喋り続ける母の姿は、子供ながらに、不安だった。その時はそういう言葉を知らなかったが、今考えると、敬語を使うだけのモンスターペアレントではないか、と思う。
そして自分が世間と徐々に乖離していると気づいたのは、中学校に上がってからだった。
両親。家の食卓で両親がわざわざ解説してくれるニュース。両親が取ってる新聞。送られてくる雑誌。友達。漫画。それだけが全てだった私に、携帯電話が買い与えられた。
両親は万能ではなかったし、全てではなかった。むしろ、ピエロの様な、少数者だった。
だが私はそれを知っても、どう処理すればよいかわからなかった。
「いい?憲法にはこう書いてある」と両親は時々言っていた。多分、世間一般の人々より、両親は「知的階級」だ。良いことを言っている。正しいことをしている。多分。恐らく。
だが、世間はそう動いていない。そう育てられた私に対しても。
そこで、当時話題になっていた、ある凶悪犯罪を揶揄するネタを余興としてやる男性がいた。
私は、今考えると、自分でもわからないのだが、「そういうのはやめた方が良いよ。まだ犯人だって決まったわけじゃない」と真顔で伝えた。
場はしらけ、そして私は飲み会に呼ばれなくなった。
SNSなら、これはリベラル的な武勇伝となるのだろう。だが私は、はっきり言って、普通に、なりたかった。
人権は、そしてそれを擁護する存在は重要だろう。犯罪だとか治安だとかに対して、「疑う」ことは重要だろう。だが、それは、宗教と同じく、大人になってから自分で学ぶべきことだったのではないか。
男性アナウンサーが「もちろん選手を軽視したわけではないと思う」とコメントしていて、驚愕した。
例えば「たかがアナウンサーが」といえばどう考えてもアナウンサー軽視ないし蔑視の意味であり、そう認識できないなら日本語が不自由と断じて良い。
俺に謝れない人と結婚したその後を書いて欲しいのか?いいだろう。我が妻の話。
妻はよく働くし、自分よりも年収は高い。働きながらに資格をとったりキャリア形成についても熱心だ。常に面白いことを言わないと死ぬ病にかかっていて、おまけに美人だ。まあ、控えめに言って自分には勿体無いほどの完璧な妻だ。そう、致命的に謝れないという一点を除いては。
俺はその日何かの用事で留守をしていて、妻は子どもを車に乗せて某施設に遊びに行っていた。翌日、子どもを保育園に送った帰りに車のバンパーに傷があることに気づく。帰った妻を問いただすと、前日に駐車場で車にぶつけたかもしれないと言い始めた。そしてぶつけた車の持ち主も知らないし、何も対処をせずに帰ってきたとのことだった。
彼女の言い分をまとめると以下の通り。
「私は悪くない」
「せっかく子どもと楽しい気分で遊びに来たのにそれが台無しになるのが嫌だった」
「私が帰るときに車はなかったので多分気づいてない」
「バンパーに多少傷がついたくらい車としてはなんの問題もない」
おそらく彼女は当てたことには気づいたが、黙っておけば問題が発生しない可能性に賭けて黙殺しようとした。その証拠にしっかり相手方のナンバープレートまで確認している。その件についてはどうにも対処のしようがなく、そのまま何も起きずに今日まで過ごせてしまっている。本件については、
1.どんなに軽度だろうと車をぶつけた際にはひとまず警察、保険会社、自分に連絡を入れて指示を待つこと。
2.ぶつけても保険でなんとかなる場合が多いから、素直に謝った方が良い。そのために高い保険料払ってる。
3.その場をやり過ごせても、相手方にドライブレコーダーに衝撃を探知して録画機能があれば普通にバレるし、その後の損害賠償請求されて民事・刑事責任を追い少なくとも免停、最悪致命傷になる可能性がある。
といった内容を伝え、今後やらかした時は反射的に責任回避行動を取ろうとせずに、まずは落ち着いて俺に連絡をよこす事、と口を酸っぱくして言い聞かせたが、彼女はあまり納得していない様子だった。
とまあ、これはそこそこ大きめのやらかしであって、そんなに頻発する話ではない。せいぜい数年に一度くらいの頻度だ。日常の細かいところで言うと、子どもと遊んでいて何かの拍子に頭をぶつけたりして子どもが泣いたときに「私は悪くない。こいつが自分でやった。」とかその程度のこと。そのたびに、子どもはやらかすんだから、そうならないように気をつけてくださいねって繰り返し伝えている。
一見すると彼女はとても常識人だ。手土産なども詳しいし、友人や我が家の家族にも気遣いや手土産も欠かさない。非常に頭が良く回る人物だと思う。だが、何かやらかすと反射的に責任回避行動をとってしまう。それが重大なものになればなるほどその傾向は増すように思う。
付き合っていたころは単純にガキなんだろうと思っていたけど、結婚して3年も経つと、これはもう習慣みたいなものでそう簡単に改善するようなものでもないように思う。
彼女はいずれどこかでその代償を負うのだろう。いや、すでに自分の知らないところ職場や友人関係などで信用の喪失という少なくない代償を支払続けているのかもしれない。
いずれその代償を支払わなくてはならなくなった時に、それが「高い勉強代」で済むことを願っている。身体や子どもの安全など取り返しのつかない事故に繋がらなければ良いのだが。もしそうなった時に、自分が彼女の味方で居たいと思うのなら結婚したらいいと思う。それが無理そうならやめておけ。
一点だけ増田の彼女を擁護するとしたら、彼女はおそらく決して増田を大切にしていないわけではないと思う。これは生まれ持った何かや育った環境で培われてきた彼女の生存本能のようなもので、一種の反射的な性格なのだろう。それを理解した上でなお自分がおおらかになれるかどうか(謝れない程度のことでメンタルに支障をきたすなら言わずもがな)、何か大きな事件が起きた時に一蓮托生で責任を取りたいと思えるかどうか、そんなところで腹を括るかどうかを決めたら良いんではなかろうか。
北九州の中学生殺傷事件の犯人が捕まったね。娘を産んだことで人生観も色々変わったがこの年末ほど怒りと恐怖感で頭がキリキリする年の瀬もないと思う
>犯人は40代男性で「事件が起きた現場近くの住民によると、逮捕された平原政徳容疑者は普段から奇声をあげるなどして、警察がかけつけることもあったということです。」
とある。
https://news.yahoo.co.jp/articles/90797a84f3dbc1a9be81e7fa3265a34aebfe0b1a
要するに精神障害者だよね。弱者男性で、精神障害者。ネットで男性社会に負けた恨みを女性への加害にむけているのも弱者男性だし、発達とかも含めると相当程度精神障害者も含まれてると思う。
精神障害者の危険を口にするとすぐに「イメージほど危険な存在じゃない!」とか、極まってる人になると「閉鎖病棟は人権侵害!」とか言ってくる怖い人に絡まれるんだけど、
現役の精神科医の人によるとそういうデータってあまり信用できないというのを見た:
https://x.com/Drmiidrdr/status/1864645869393625423
>何度も言っているけど、このデータは意味不明だから、精神障害者が犯罪率が低い根拠にはならない。
>2、さらに実臨床として、触法行為をしても、起訴されない。入院。
そうそう、精神障害者の暴力って、社会にとってだけじゃなくてケアラーにとっても地獄でしょ。男性は障害者であろうとなんであろうと男性支配の構造による特権に浴しているけれど、この場合でも障害者の男性が家で暴力を振るうというのは男性性の問題だと思う
あと女たちのデータベースで知ったけど、汚言症を公言して顔を出してメディアとかに出てる男、あれも障害者なんだろうけど、路上で「ブス!死ね!」とか女性が前に来たタイミングで言ってるのを見てびっくりした。しかもXで裏垢を持ってるのがバレてそこの発言がミソジニーまみれだった・・
中年男性の障害者と社会って、どうやって折り合っていけばいいんだろうね。私は独身中年男性の障害者が近くに住んでいてほしくない。ナチスの話に戻るけど、戦後の西ドイツだって実は無理やりな医学実験をしたり障害者に死んでもらうことによって質の良い人間が残って先進国になったってきくしね。
こういうことをXで直接田野先生みたいな人に聞いてみたいんだけど、所詮彼も男だしなあ。 トランスカルトとか擁護してる人権派によってたかって通報されても嫌だし。
誰か代わりに聞いてみてくれませんか
これ釣りとかじゃないんで、男性の障害者の人権を奪わないことの社会的なメリットを真剣に教えてくれる人がいたら普通に感謝しますよ。
増田はそれを嘲笑する側だと思ってたんだけど、最近は普通にここでも女さんは男はって言いだしてんのな
靴下屋のやつもヤバイ特定の女が発端で企業側は広報赤なのに口調がまずくて、それを擁護する中に特定のやばい男がいて、更に燃えてる特定のやばい女がいるってくらいの話でしょうに
ここ数年のはてブでは、LUUPと刺青(タトゥー)の話題になると多くの増田がそれきたことか、と難癖をつけ始める。
LUUPとタトゥーは本質的には全く別のものなので一緒に語ることは難しいと思われるかもしれないが、抽象化すればほぼ同じ事象なんよ。
元々世の中には存在したけど、比較的最近新しい価値が見出されたものという点で。
キックボードは元々存在したし、子供のおもちゃか若者の遊び道具程度のものだったのがテクノロジーの発展で電動化し、GPSが内蔵されて、シェアされる乗り物として突如街中に現れたもの。
タトゥーは日本では昔は不良や反社の象徴だったものが、ファッションやカルチャーとして若者の間で流行りだしたもの。
日本では高齢化も相まって保守的な層が非常に分厚いので、こういう新しい文化はまず拒否、いうところからのスタートとなる。
元々あった価値観で新しく生み出された価値をジャッジするのよね。
LUUPという便利なものが出来たのだから、安全性を高めるために古いルールや法、インフラを改善していこうという視点はほぼない。
タトゥーが若者に流行り出したから、偏見や温泉、プールの規制を見直すべきという意見はほぼ出ない。
そういう態度が日本を衰退させ、息苦しくさせてると思いませんか?
二次元も含めるべきだと思う。
しずかちゃんの入浴シーン守れ署名集めてた男が塾の生徒たちの下着を盗撮して、ロリコン仲間に盗撮写真と住所学校顔写真などの個人情報流して輪姦しよう!と盛り上がってたのを見ても
埼玉のエロ水着写真撮影会に中学生を参加させた問題でオタク達が気が狂ったように埼玉バッシングして写真撮影会擁護していたのを見ても
くじらっくすの漫画の手口を模倣して強姦した男にしても、それで警察がくじらっくすに話を聞きに行ったら被害児童ガン無視で表現の自由と喚いてたオタクを見ても
児童ポルノを入り口にロリコンになり、実在の児童へ加害を何とも思わない人たちが、オタクの中に結構な規模で存在していると思う。
オタクは児童が被害に遭った性犯罪でもハニトラとか平気で叩くし、多分実在の子供はエロ漫画のメスガキみたいな存在だと思っているのだと思う。