はてなキーワード: 喪女とは
30代で喪女――それは社会の枠組みから自由になった者たちだ。恋愛至上主義という虚構に縛られず、自分だけの世界を築き上げる選ばれた存在。周囲が婚活だ、恋人だと浮かれている間、喪女は一人で静かに本物の自由を噛みしめている。喪女とは孤独の達人であり、その孤独こそが人間を深く耕すのだ。
恋愛市場という狭苦しい闘技場から一歩外に出たとき、人は初めて本当の自分を見つけられる。30代喪女は、その外側から冷静に世の中を眺め、他者に左右されない選択を取る。結婚を人生のゴールだと盲信する人々がいる中で、喪女はその欺瞞を知っている。そしてその視点こそが彼女たちに深みを与え、社会的な"普通"を超越した存在へと押し上げる。
朝はお気に入りの紅茶を淹れ、静かな部屋で本を開く。休日は誰にも邪魔されずに映画館へ向かい、名画をじっくり堪能する。SNSで誰かの承認を求める必要もなく、派手な生活を演出する気もない。自分と向き合う時間をたっぷり持ち、自分が好きなことに情熱を注ぐ。それが喪女の生活だ。そして、それは決して孤独ではない。むしろ喧騒の中にいる他者よりも豊かで、誇り高い生活だ。
30代喪女という言葉には時にネガティブな響きが伴う。しかしそれはただの偏見にすぎない。彼女たちは恋愛や結婚という「社会的成功」の幻想に惑わされず、真に価値のあるものを手にしている。喪女とは、選ばれし孤高の存在であり、その自由と深みは羨望の的となるべきだ。
私は筋金入りの喪女だ。
なぜ異性から好意を寄せられないか。理由は明白であり、今回の話の本筋はそこではないので軽く触れる程度にしておく。
そんなブサイクの性悪だとしても、恋愛に憧れはある。それくらいは許して欲しい。
私にも、好きな人がいたことはある。初恋は小学校低学年、2回目の恋は中学1年生の時。2人とも本当にいい子だった。「こんな私にも優しいなんて、素敵!」と密かに恋心を抱いていたが、思いを伝えないまま疎遠になった。告白しなくて本当によかった、今は心の底からそう思う。
それはそうと、好きな人がいた頃の私はかなり人生を楽しめていた気がする。今が楽しくないわけではないが、毎日に心が弾むようなことが少しずつ散らばっていて、それが生きる活力になっていたような。まあ、この辺りは思い出を美化しているだけかもしれない。
なので、もう一度そんな経験をしたい。そう、私は恋がしたい。恋愛じゃなくて、恋でいい。こんな言い方をしたら、運悪くその相手に選ばれてしまった人に失礼だが。
これは、喪女が恋をするための自己分析的な、メモ書きとも言えないような駄文だ。「こんな哀れで愚かな人間もいるんだな」と皆様に笑っていただけたら、幸い。最後まで読んで、「時間を無駄にした!」と思わせてしまったら大変申し訳ない。
→異性との関わり
・ほぼ無いに等しい。学生であるにも関わらず、授業でグループワークなどがない限り会話が発生しない。
・昔馴染みの友人はいるが、年に数回程度しか会わない。会う時は男女混合のグループで会うため、1対1になることはない。
・(あまりにも異性との関わりがないためこれをカウントしてしまうのは悲しいが)ナンパしてくる男(女であれば誰でもいい)はいるが、毎回一言も交わすことなく走って逃げている。
=まずは積極的に関わりを持つ?
そもそも恋をするには、好きになれる相手がいる必要がある。そう簡単に、狭い世界から見つけ出せるものではないだろう。異性として興味があるなし関係なく、とにかく間口を広げる。人との交流が生まれやすい趣味を増やすのもあり? 根っからのインドアなので、例えばどんなものがあるかパッと思いつかないが。地域のボランティアとか?ボランティアは趣味に入るのか?
周りを見た時に、学生なので当たり前だが部活や友達の紹介で出会ったカップルが多く、この辺はあまり参考にならない。「好きな人を作りたいので部活に入りました」はその部活を真剣にやっている人たちに失礼なので、案からは外す。それで言うとボランティアを案に入れたままなのも、ボランティアを真剣にやっている人たちに失礼だな…。
→異性への接し方
・避けることもなければ自分から積極的に話しかけることもない。接客の時と同じような気持ちで話している。当たり障りのないことを、愛想笑いで淡々と…。
・友人に「(異性に対して)冷たい」「そっけない」と言われるが、全くそんなつもりはない。
・知人に「心の壁が信じられないくらい高い」、「リスク回避志向が高すぎる」と言われるが、全くそんなつもりはない。
=意識的に優しくする?
自分ではそんなつもりはなかったが、振り返ってみると私はブサイクで性悪なくせに異性に相当冷たい女のようだ。どの立場でこんな振る舞いをしているんだ?同性の友人に同じようなことを言われたことはない(有難いことに、人に恵まれているため「優しい」と頻繁に言ってもらえる。本当に優しいのはそう言ってくれる彼女たちの方である)ので、恐らく異性に対してのみ酷いのだろう。せめてそうであって欲しい。
しかし、原因は分かっている。私は異性に「コイツ俺を好きなんじゃないか?」と思われることを心の底から恐れている。そう、恋ができない理由もこれだ。ちょっといいな、素敵な人だな、と思っても、それを伝えられない。私は人に弱みを見せることを極端に嫌っている。常に明るく(根暗による当社比)、悩み事のない人間のように振舞っている。だからこそ、人に相談せずにこんなところに匿名で書き込んでいるのだが…。私は精神年齢が小学生付近で止まっており、前述の初恋が「私を嫌っていた女子に『(私)ちゃん、(相手)くんのこと好きなんだって!』とバラされて、告白することも出来ずに散る」という終わり方をしたトラウマ(?)で、「自分の好意は弱みになりえる」という意識が根付いている。のだと思う。
加えて、「こんな喪女に好かれる人が可哀想」という気持ちもある。ブサイク性悪喪女は怪異のようなものだし、そんなのに好かれるなんて恐ろしすぎる。私の好意は凶器だ。私以外誰も幸せにしない。前述の性格とこの自覚が原因で、逆に冷たい態度をとる癖がついてしまい、それが今でも抜けていないのだろう。しかし、それは言い訳にならない。なんの罪もない異性に対してやけに冷たい女など、そりゃ誰も関わりたがらないはずである。私だって嫌だ。性格が悪すぎる。歪みきっている。なので、私の場合は同性以上に優しくすることを心がけた方がいいのだと思う。それでコイツ俺のこと~と思われてしまったら、それはその時に考えよう。
よく考えたら、人の恋を言いふらしたり嫌がらせしてくるような人、この歳になるともういないな。私は何を恐れているんだ。
→己
軽く触れる程度に、と最初に言ったが己あっての恋である。ここを避けて、というか逃げてはいけないと思う。向き合う覚悟を持とう。
・性格が悪い。
・根暗あるあるの「実際よりも頭がよく見える」のせいでかなり苦労している。
・恋に憧れを持っているが縁がない
・正直、この歳になって一切経験がないのはマズイのではないかと焦りだした。
・ここ数年の間に「彼氏いないの?」(はい、いたこともないです。)「いたことないの!?」(はい、なんなら告白もないです。)「告白すらも!?」(はい。)「いつかできるよ!」という会話を100回くらいしている。この世の中は嫌味を言う人間で溢れており、本当に疲れる。
=自分磨きしようね
結局ここだと思う。私が悪いんだから、私が変わらないと始まらない。「関わりたい」と性別関係なく思ってもらえる人間にならないと、人と交流は出来ないし、恋ができるくらい相手のことを知ることができない。コスメもネイルも服も好きだけど、多分「好き」というだけで上手ではないんだろう。いや、自覚はある。あんまり上手ではない。自分にとっては大満足の、気に入っている格好をしているが、世間から少しズレている。そのズレを直していく作業をしなければならない。X(旧Twitter)ばかり見るのではなく、逆張りを拗らせてインストールしていないTikTokを見て「今」を学ぼう。そして、どうすればそれに近づけるのか考えよう。顔の造形はある程度仕方ないが、雰囲気くらいは、ざっくりとした印象くらいは見れるものに、世界に溶け込めるものにしておこう。あとありえないくらい悪い姿勢を直そう。背筋の曲がったブサイクと背筋の伸びたブサイクだったら背筋の伸びたブサイクのほうが体感マシな気がするから。
性格については、言葉遣いを改めるところから始めよう。考え方をすぐに直すのは難しいだろうが、表面くらいは頑張ればなんとかなるだろう。使っている言葉が綺麗だったら性格もよく…見えるか…?どうだろう…。分からないけど、どちらかというと品のいいブサイクのほうがいい気がするし。あと、すぐに人の自分より優れている部分を見つけては嫉妬したり「本当に何もないのは自分だけなんだ!」と絶望する癖をやめたい。その後に「でもこの人こんなところがあるし…」と悪いところを探そうとするのもやめたい。「すごいね!憧れる!私も頑張るぞ!」くらいになりたい。脱根暗を目指そう。表情筋が鍛えられてないのも問題な気がする。顔のトレーニングをしよう。笑顔の練習もしたい。そのためには鏡で自分の笑顔を見続ける必要があるが…。
そして、人と関わることを、傷つくことを恐れない。ただ、自分が良かれと思ってやったことや好意が相手を傷つける可能性については絶対に忘れない。
多い。やることが、やることが多い…。ひとつずつ、出来ることから始めよう。まずは、言葉遣いから。
頑張ろう、恋するために。普通の人になるために。
異性とセックスしたことがないと、プライベートで恋愛目的で異性と接したときずっっっっと初々しいこと
20代で恋愛したことなくて、お付き合いしたことなくて、ともじもじしているのはかわいいけど
これを40代のいいおじさんおばさんがモジモジしてるとキモい!!ってなる
童貞だけど、処女だけど、自分は自分。誰かと比べない。人生充実してるし、自信がたっぷりという人は全く痛々しくない
男性女性問わず、需要がある20代のうちに経験しとくと変にこじらせず、度胸もついていいと思うなぁ
実体験より
喪女だったけど、勇気だして、異性と会って、ヤって、「男の人ってこういう感じなんだー」と単純に経験積んで、知識増えて、世界が広がって、男性たちには感謝している。
自分は20代で喪女卒業したけど、20代の女だと自分より年下の若い男性、同年代、年上のおじさんも抱きたがってくれたので、そこはありがたかった。自信のない喪女だったから男性から「ヤりたいです」って意思表示されたら「あ、私は求められているんだ」とわかって嬉しかった。
容姿が優れている人なら40代になってもモテるんだろうけども、それほど自分に自信がない人ほど20代で童貞処女を喪失したほうがいいのではないかと考えている。風俗以外の人と
もともと結婚願望皆無の喪女からすると、周りの友人たちが結婚して裏切られたーとかショックーとかいう感情がよく分からないというか。
そんな些細なことで焦ったり、ショックを受けたりするのって
他人の言うことをそっくりそのまま受け取ってしまう単純さと、被害者意識の強さが心配になる
そりゃあ人生って長いし、人を取り巻く環境もどんどん変わっていくし
当時は結婚に興味がなくても、心変わりすることもあるだろうと普通は分かるのではないか
それに別に結婚って、したら人生の最後まで安泰ってわけじゃない
子育ては大変だし
友達が結婚したくらいで不安に苛まれたり苦い気持ちになるくらいなら
傷ついたり、嫌な思いも沢山すると思うよ
そういう苦難を乗り越えて結婚した女たちを私は強いと尊敬するし
結婚したけど離婚してひとりで生きてる女たちのことも立派だと思っているよ
ちなみに恋愛市場からおりるどころか最初から参戦しなかった高齢独身喪女はそれなりに楽しく生きてるよ
天海祐希とか石田ゆり子とか、他人から憧れられるようなスターを例に出す必要もないよ
働いて小銭稼いで休みの日はガーデニングや野菜を育てたりペットの散歩をしたり
https://web.archive.org/web/20241125085458/https://anond.hatelabo.jp/20241125084310
28歳喪女、このままいくと今話題の高齢独身女性になりそうだったので、一人でも不安なく生活できるようにまずは金銭面を安定させようと大手企業総合職に転職し半年経った現時点での感想を書いていく。
まず、残業がありますが大丈夫ですか?と面接で何度も念押しされた。
そんなに念押しをされないといけないほどの残業があるって、大手企業というのは怖いところだな…と怯えていたのに蓋を開けてみたら1日1時間〜2時間程度で、定時上がりもできるし、残業代も1分単位でつく。
有休も仕事が回るのであれば基本的にはいつでも取れて、それ以外の福利厚生についても文句なし。
大手総合職ということでお給料もかなりしっかり貰える分、パワハラとか精神的にきつくなるような類のことが起こるのも覚悟してたんだけど、ちゃんとしてる会社って勤務する人もちゃんとしてるみたいで、上司も同僚も優しくて仕事が出来る人ばかりで尊敬しかない。
ちゃんとしてるところにはちゃんとした人が集まり、ちゃんとしてないところにはちゃんとしてない人が集まる、社会はそういうレイヤーがあると実感した。
業務習得のフローも確立されてて、20代後半なのにOJTもついて、丁寧に指導してもらえた。
初めて顧客対応をしたときは「丁寧な受け答えができてて言うことないよ〜!」とアラサーだからできて当たり前のことを口に出して褒めてもらえて普通にうれしかった。
あと上司が部下や特に若手に対してガンガン仕事を振っていて、最初はこんな若い子にこんな仕事を?!とびっくりしてたけど、一緒に考えてアドバイスもくれてなにかあったら助けてくれて絶対に見捨てないでくれる。
偉い人が楽をしたいから下っ端に仕事を押し付けてると不満感が出るけど、そうじゃなくてあくまでも若手に経験を積ませるためって感じが伝わってきて、イヤな感じがない。
一つ想定外なところがあるとすると、女性総合職比率もやや高めなのでゴリゴリ働く独身高齢女性も多いのかな?と思ったら全然おらず、みんな結婚してて、喪女は少し恥ずかしい。
これは男性もそうで、高齢独身男性もほぼおらず、みんな結婚してる。
男性社員から「子供の送迎の関係で出社が遅れそうなので今日は在宅勤務にします」みたいなチャットが当たり前のように入ったりする。
男女問わずちゃんとした人にはちゃんと恋愛や結婚のチャンスが訪れているらしい。
だからといって独身だから肩身が狭くて…というわけでもなく、「彼氏は?結婚は?」みたいなノンデリな質問もされない。
ハラスメント対策なのかもしれないけど、ちゃんとしてる人はデリカシーまであるのかと感動した。
長々書いといて何が言いたいかというと、部署ガチャとか上司ガチャとかはあるかもしれないけど、やっぱり大手って会社としても働く人もすごいんだなーってのが感想。
でも私からしたらいい会社だけど、新卒から勤めてる方は会社に対して文句も多いみたいで、一回わけのわからん会社で働いてみてほしいと思ったりする。
いやでももしかしたらさらに上の階層の人が勤める、もっといい会社ってあるのかもしれないけど、私には今以上の会社に入れるポテンシャルは現時点ではないのでひとまずは今の会社で勤めていきたいと思う。
余談ですが、この転職は資格とか前職での経験とかを評価してもらって入社できたって感じなので、男女限らず、配偶者とか家族とか守るべきものがないうえに時間が無限にある独身は、勉強する時間もあれば、職務経歴書に書けるような実績をつけるために仕事に打ち込む時間もあれば、自分の経験を活かせる・評価してくれる今よりも高待遇な企業を転職サイトで探す時間もあるのが、転職においてかなり強みだなと思った。
正しくはわからないが、物心ついた頃にはもう我が家は生活保護だったと思う。
父親と母親は離婚しており、シングルマザーで姉妹で育ててもらった。
私は他人とぶつかりたくなかったから、文句をあまり言わず従っておりそのたびに母親に褒められていた。
母親によく、「私ちゃんの子どもとして次は生まれてきたいな」と抱きつかれながら言われた。気持ちが悪かった。
母にとって私は都合の良い恋人であり、友人であり、娘であったのだと思う。
保育園にはお昼寝があるが、自分だけお昼寝で眠れず、虚空を眺める日々を送っていた。
そのまま小学生になり、軽度のいじめを受けながら常に自殺することを考えながら空を見て数時間過ごす日々だった。
アパートに暮らしており、自分の部屋などあるはずもなく、物だらけの汚い部屋に小さな棚と机を置いて、そこで勉強していた。
姉は努力家で見た目も良く、出来がよく人気者だった。
私は努力ができない怠け者で、見た目も悪く、人見知りだった。
地方住みの貧困家庭だった為、中学までは公立の近いところに入学し、高校は”普通と違って楽しそうだから”という理由で農業高校に入った。
家から片道4kmほどある高校で、自転車で通っていたがほとんどギリギリの出席数だった。
小学生から過敏性大腸症候群に悩まされていて、すぐにお腹を下し、授業中に何度もトイレに行くことが多かった。
そのことで陰で悪口を言われていたことを知ってる。しかし仕方なかった。
高校二年のときに大腸検査をしたが異常がなく、その頃に母親が通っていた心療内科を勧められた。
最悪の出会いだった。
医者の口癖は「楽しいことを見つけなさい」「箸が転んでも笑える年頃なんだから」だった。
この時過敏性大腸症候群への効果は無かったが、薬への依存だけが残った。
母親にお金のことは気にしなくていいから大学に通って良い、と言われた。
底辺高校だったので成績と家庭の経済状況から奨学金一種も狙えたが、そう言われたから奨学金を借りなかった。
入学してすぐに「あんたを大学に行かせるお金なんて無い」と言われた。
そんなことある?それなら大学なんて行かずに就職しておけばよかったと思った。
もう大学に入学してしまったからにはここから行かない選択肢を選べるほど私は強くなかった。
利子が60万ついた。
私が大学に入る頃、ここで生活保護を抜けて、姉が看護師で働き出した。
親は姉に10万家に入れることを強いていた。私はあまり知らなかったが、手取りのうち10万も家に入れていたら働く気力なんて無くなると思う。
しかし確かにその期間姉のおかげで私達家族は生活保護を抜けて生活をしていた。
短大に入ってからは通うのに苦労した。片道バスで2時間だった。
この頃にはうつ病の症状が重く、月~土の1限から6限の必修授業についていくのが大変で必死だった。
ただ何度も休学をしたくなったり、大学を辞めたくなった。
学校のカウンセラーを利用したが、大して効果もなく、授業と授業の間に行く時間が無くなって通うのを辞めた。
栄養士として働くイメージが足りていなかったな、と今になると思う。
考えなしの馬鹿だった。
勉強も苦手で努力もできないのに奨学金という借金を背負ってまで大学に行く意味がなかった。
なんとか卒業できたが、就活がうまく行かず、結局小売の接客販売業に就職した。
実家からどうしても離れたくて地元以外の場所の店舗の希望を出したが、配属が決まったのは地元の端っこだった。
実家から店舗への距離が10km以内だったからか、通勤手当が出ず、結局店舗の近くのアパートに引っ越した。
その頃姉は結婚し、引っ越して家を出ていた。母は姉のことを「裏切り者」と罵った。
ここまで話には出してこなかったが、母方の実家の祖母は気狂いだ。
宗教に傾倒していて、そのことで近所の人や親戚に迷惑をかけまくっていた。
昔の人だから働いたこともなく、祖父のお金だけで暮らしてきた人だった。
私は祖母に友達の家に遊びに行っちゃ駄目と言われたり、祖母がたまたま私が友達の家に入っていくのを見ていたらしく、勝手に友達の家に侵入してきたことがあった。
ホラーだった。この時の友達の家の人に警察に行かれなかっただけ良かったと思う。
こういう人だから、いつ学校に不法侵入してくるか怖くてたまらなかった。
中学の時に祖父が亡くなり、母の精神がさらに不安定になり、苛烈だった母は弱い人間になってしまった。
母には妹がいたが、関東に住んでおり、祖母の面倒を見れる状況ではなかった。
そのため今も母は祖母の世話に苦しんでいる。
だから祖母の世話を任せっきりにされている母が親族を恨むのは当然だと思った。
話を戻す、新卒で入った店舗は、パワハラとセクハラが横行するブラックだった。
ドラッグストアだったのだが、笑顔と声のトーンで厳しく言われ、なんでこんなこと言われなきゃならないんだと思って何度も泣いた。
エリアマネージャーは客の前で上司を怒鳴るし、上司も客の前で私を叱った。
また、登録販売者の資格を入社した年に取れないと晒し上げにされるようだった。
その結果は上司に送られる。
そこで結果が悪いと、休憩時間、休日も店舗に強制出勤させ、勉強をさせられた。
家に帰ってもずっと勉強をしていた。
私は馬鹿で記憶力も悪く毎回テストの点数が悪く、その度上司から叱られた。
仕事の中で棚の整理(商品がばらついてたら綺麗にする)があったのだが、遅すぎて叱られ、仕事で出来ないことがあるとその度バイトの大学生と比べられることが多かった。
店長は2つの店舗を兼任しており、ほとんど私のいる店舗にはいなかった。
店舗にはパワハラをしてくる上司二人と私だけがいる状態だった。
出勤しても上司に「その顔は何?」と言われ(普通の表情をしていただけなのだが、笑顔でいないと気に食わないらしい)、少し調子が悪そうにすると「体調悪い状態でいても迷惑だから休むなら休むで帰って」と言われるようになった。
後者はその通りかもしれないが、私は「冷たいな」と感じてしまった。
期待するな。
あまり覚えてないが、3ヶ月目には上司に辞めることを伝え、店長を交え泣きながら辞める理由を伝えた。
こちらは主にパワハラや、店長がいなくて相談できなかったことを伝えたつもりだったが、店長は「バイトと比べられるのがイヤねぇ……」そこに引っかかっていた。
「ああ、この人たちとは話が通じないんだ」と思った。
院内でいじめが横行しており、手取り13万でやることが無いか聞いてから動いているのに「やること聞いたりしなよ」と院長に言われ、毎日全身に湿疹が出て、連日救急にかかってやっていけないと感じ、3日で退職した。
辞める日は、全員がいる前で辞めることを言わされた。公開処刑だなーと思った。
生活費はカードローンを借りて自転車操業でやっていた。実家にいても生活費は無いのだった。
実家にいても親と二人で改善に向かわない、地獄のような蠱毒で暮らしてるだけになってしまうから。
生活保護は案外すんなり通った。
その頃は「うつ病」ではなく「自律神経失調症」と言われていたので、就労不可が降りなかったからだ。
しかしメンタルが安定せず、長く離れていた父親と同居することにした。
ここで生活保護を抜けた。
2年ほどだった。
父親と同居が始まってしばらくは良かったが、突然姉と叔母が家に来て、私を社会復帰させるための会議が始まった。
毎日家事をこなし、毎日2時間以上の外出をし、就労支援事業所に行き、アルバイトをし、など様々な条件を出された。
叔母の金で病院を変え、二万以上かかる謎の脳波検査で統合失調症か、躁鬱か、ADHDか、うつ病か判断する検査をした。
うつ病だった。
その後3ヶ月ほど姉たちに言われた通りの生活をした。
希死念慮がひどく、気持ちとは裏腹に体が勝手にベランダから落ちようとするのだ。
流石にそのことを姉たちに打ち上けた。
ひどく失望された。
これ以上ここにはいられないと思った。その頃父親が女性と毎晩会っていることを感づいていたこともあり、余計に居づらくなった。
通った。
生活保護を抜けては申請し、抜けては申請する人間になっていた。
色々あって、結果的に新卒の会社を辞めてから大雑把に空白期間が7年経った。
メンタルは良くなってはおらず、悪化してからずっと現状維持の状態が続いていた。
外に出るとたまになにもないのに涙が出た。家の中にいても不安で、スマホでyoutubeを流して横になっていた。
最近になって急に働こうと思いたち(今思えば究極の躁状態だったのだと思う)、フルリモートの営業を二ヶ月だけやった。
何故二ヶ月だけかと言うと二ヶ月で切られたからだ。私が無能だったのかもしれないが、ベンチャー企業だったこともあり、経営不振での派遣切りだった。
全部メールとチャットでの対応だったため、4時間ほど働けば残りの4時間は寝ていても気づかれないのだ。そういうところも駄目だったのかもしれない。
下手に二ヶ月ほど働いたため、二ヶ月だけ保護費を大きく超える給料が入り、現在保護停止状態で、国保や医療費を払っている。
ちなみに稼いだ金は二ヶ月で合計35万ぐらいだ。一ヶ月の生活費が13万のため、9万ほど手元に残る予定だった。
ここまで話していなかったが、実は私は今猫を二匹飼っている。経緯は省くが、知人から預けられた。
猫のうち片方の歯が突然抜け、病院に行ったら歯周病で治療費がちょうど9万だった。
たまたま働いていたからなんとかなったものの、働いていなかったらどうにもならなかった。
偶然に助けられた。
正直自分の世話もまともに出来ないのに何故猫を飼っているのかよくわからない。
だが大事な命だからいつまでも健康に生きて欲しい。寿命まで面倒を見たいと思っている。
不要不急の出費がなければ通常猫にかかる費用は人間に比べたら大したことなかった。
でも働いていなかったら?どうなっていたかわからない。まぁ多分病院に分割返済を頼んでいたのだと思う。
話は変わるが、中学の頃から仲良くしている友達が、30までに結婚できなかったらルームシェアをしようという話を出してきた。
欲が出た。
ルームシェアをしたいと思った。
ただそのためには生活保護ではいけないし、貯金も100万以上ないと引っ越しは難しい。
私は焦りだした。すぐに働かなければいけないと。
どこも受からなかった。
クローズ就労がほとんどだったが、一つだけ応募した障害者雇用も、3週間ほど時間をかけて待機させられたが有耶無耶になって見送りになった。
でも続かなければ意味が無いし、自分が甘えた考えの障害者だと思ってるから応募していない。
色々な企業から引っ越せば仕事があるとは言われたが、猫がいるので転居費用が出ず、無理だった。
このまま一生働くところも無いまま生活保護に甘えて生きていくのかなと思った。
今の医者には働くことは難しいと言われてるし、自分も外出ただけで意味もなく不安になり泣く病気なのでやっていける気がしない。
だけど金が欲しい、ルームシェアがしたいと思い、仕事を応募し続けている。
7年の空白期間はでかすぎた。
正直夜職やチャトレも考えたが、夜職に関しては見た目が悪くデブで喪女なので無理だしチャトレもそうだが職歴に書けないものはやっても意味がないのだ。
そもそも精神不安定な自分ができると思えない。世の中の働いてる人間は凄い。
田舎なのでまともなB型、A型作業所もなく、求人もなく、就労支援事業所も無い。
もう諦めるしかないのかな。
就労支援事業所はバスに乗れば通えるが、何度も言ってる通り外出すると精神が不安定になる。
それを考えると何もかも駄目だと思ってしまう。
フルリモートで働きたい。電話はできなくは無いが、コールセンター的なところに勤めたことが無いから続けられるかわからない。
生活保護停止がいつまで続くのかは知らないが、この状態で病院に行くことを考えると不安で無理をしたくない。
ニュースを見ると手取りが減るやらなんやら書かれてるしより不安を煽るな、と思う。
障害年金3級があるから2ヶ月に1回14万入る。だから手取りは多少低くても大丈夫だが、流石に手取り10万となると少し厳しい。
13万以上は欲しいと思うのは贅沢なんだろうか。
何か今更手に職をつけたほうがいいのか、と思わないこともないがその努力も勉強もできないから今の自分があるんだと思い手が止まる。
駄目人間だ。
だけどそこから抜けて貯金できる生活をしたいと考えると途端何も出来ないと泣くだけの無能女が表に出てくる。
親も貧乏だしほぼ絶縁してるし頼るという考えはまず無い。
というかこの状態でいてもそのうち親の面倒を見なくてはならなくなるのではないか?未来のことを考えると憂鬱になる。
隣の芝生は青いというが、
せめてどれかはまともであれよと願ってしまう。
ダイエットをしたいが飯でしかストレスの発散ができない。睡眠欲も性欲も無いのに食欲だけはどれだけ体調もメンタルも悪くても人一倍はあるのが笑える。
糖尿病と診断されており、好きだった白米も食べれなくなった。まあそんなに制限してない。ソーセージなどは控えてる、程度だ。
正直どうにでもなれと思いUber Eatsを使って贅沢して飯を食い自己嫌悪する日々をここ最近は送ってる。最悪だ。何やってんだ。
本当にどうしよう。
恐らくここから辿った未来が少し前ネットで流行った「美緒48歳」なんだと思う。
誰か教えてくれ