なんでろくに考えもせず刑罰が罪を償うためのものだなんて間違って理解してしまったのって、どっかで刑罰が罪を償うためのものではないって目にしたまま間違って理解して言ってしまったの。
これ自分も今の旦那と付き合った時と全く同じ状況だったのでコメントします。
男性は(特に初めての場合は)プレッシャーで入れる前に萎えることかあるらしく、交際序盤我々も度々あったんだけど
「入れるだけが行為じゃないんだし、できるまで気長にトレーニング頑張ろうぜ!」と気楽にやってたらいつの間にか出来るようになってた。
EDの治療(セックスレスだったかな?)においても、パートナーが協力的であればあるほど効果が高いともいうし、増田が寄り添ってあげてればそのうち大丈夫なんじゃないかな
夜が暗いことを思い出すと、すぐ、夜が暗くなる
口止め料9,000万円が漏れた時点で、世間からの扱いが「そんな大金を支払わないといけないことをしたんだ」になるから、名誉挽回の方法が無い。
口止め料の意味が無い。「金額など和解の内容を漏らしたら、口止め料は返さなければならない」という条件も付けておくべきだった。
「そんなこと言っても実は」などコメントされそうだが、本当に不細工なので、本当に互いに心配がない。
本人が希望するちょっとしたスイーツとか買ったらすごい喜ぶ。金かからない。
可愛くないと辛い時はまぁある。しんどいからちゃんと書かないけど察してほしい。
自分の情けなさが問題で、職場の同僚や友人に中々紹介しにくい。
家族にはちゃんと紹介してるけど、正直どう思われてるか想像すると怖い。
デメリットはお互い様だろうし、実は普通に生活してたら全然やり過ごせる。
メリットに書いてることの方が普段重要だから、その点ではかなり良い妻。
でも、もし妻が痩せたら全然気持ちは変わるだろうなってぐらいには妻は元の素材がいい。
その前に俺がやせるべき。妻には1mmも言えないし、他の誰にも言えない殴り書き。
子どもがもっと長い冬休みが欲しいといったのに、パパももっと長い休みが欲しいといったら、ママは休みが取れてないとボヤかれた。
こっちは朝子どもの対応して昼仕事して夜子どもの対応して寝かしつけまでやってそのあとまた仕事してて、子どもの対応とか家のことに専念できる休みが欲しいって意味なのに、仕事してないで家事(まあかなり負担させてるのはわかるが)の休みがない状態ってのがそこまでしんどいもんかね。ママは仕事に出たいっていうならわかるんだけど(子どもの対応で仕事に出られない事情あり)。
礼には及ばんでござるの巻…😟
10年前に初任給30万円とか見たら呪詛叫んで目玉えぐり出して発狂してた自分が懐かしい😂
なんでこんなに変われたんだろ?って考えてたけど...
実は...😌✨
・資産1.5億円
・不労所得monthly 200万円
だからかもです!笑
諦めないで頑張れば誰でも変われます...!
○ご飯
朝:なし。昼:海鮮丼。おにぎり。ドーナツ。夜:ギョニソ。目玉焼き。バナナ。ヨーグルト。ワカメふりかけ冷奴。納豆。人参と玉ねぎとシメジの和風スープ。間食:ラムネ。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、それなりー。
英検一級とIELTSのリーディング、リスニングはテキスト読んだり音声聞けばわかる
TOEICの一部の文章と設問は英語で読んでも日本語で読んでも意味がわからない
単語はほぼわかるし熟語も句動詞も分かるけど、何を言わんとしてるのかわからないし回答も「は?」ってなる
これあれだ、いわゆる悪文って奴な気がする
もっともなこと言うなぁ
だけど元増田はそのスピリチュアルで原始的な罪の償いが刑務所や現代の司法社会のルールでは不可能だという、罪の不可逆性について問題意識してるんでしょ。
だからまあ分かってると思いますが、「刑務所では罪の償いはできない」という解答は、
単に議論の前提を繰り返しているだけの、元増田が求めている本題へと発展し得る回答ではないわけ。
「刑務所は犯罪者を更生・復帰する為の施設」だという指摘(補足)の主旨は、元増田の「刑務所は罪を償う場所である」という反語的前提に向けられたものだと思うけれど、そうと理解しても「刑務所は罪の償いにはならない」という結論は同じだから、それだけで何かを語り得たかのように知ったかぶるのはやめてください。
元増田の結論にオーバーラップしてるだけなのにさも自分が何かを言い得たかのように、的違いな結論で勝手に議論を閉じないで頂きたい。そういうのを『自己満足』というんです。
そこで『罪を憎んで人を憎まず』、『覆水盆に返らず』とか人倫的なキーワードを盛り付け、あたかも自説に説得力があるかのように見せかけなければならなくなるのです。それがこの増田の手の内です。
だから、重複論理で苦しくなって神力でもないと無理とか(罪の償いはできないという元増田の主張を色相転換してるだけ)、語りたい内容に届かずじれったくなって挙げ句の果てにはそこに執着したって何も産まないなどと問題放棄することになる。(尚刑務所の問題から突然飛躍している模様)
“ならば、はじめから自説の論点を明確にし、「あくまでも補足を入れておくと、刑務所は犯罪者を更生・復帰させる為の施設であって、贖罪の為の場所ではないよ」といった主旨でもってリプライすべきだった。”
そうすれば論理/文脈破綻する事もなく、自身の文章作成能力の足りなさを見破られる事もなく済んだであろうに。それではまるで間抜けのようだと、思いはしませんでしょうか。
そこに執着したって何も生まないのは、こういった重複論理にかこつけた自己満足自体なのです。
しかし、ある意味ナイスアシストです。私はこの増田の主張に関連して私自身の罪の不可逆性についての理論を展開する事ができるのですから。
私が思うに、罪を償うことは不可能だと思います。刑務所に入ろうが入るまいが罪の事実は消えません。罰が与えられても罪が消えることはないし、また、罪がない罰も存在すると考えます。その場合、罰を与えている方が罪を被ることになるでしょう。
つまり、罰とは法規(恣意的な妥当性)に基づくものであって、罪に対する社会的な手続きと考えます。そして法規は、罪を対象として定められたものです。
ここから即ち、罪とは、罰に対して単独に存在しているものと考えられます。つまり、罰というような一定の社会的合意を生む可能性のある、人間の倫理観ともいうべきものが先に、現実に独立して存在していると言えるということです。
罪と罰は=で結ばれるものではありません。したがって、罰の意見を借りて、罪の問題に執着しても無意味だという類の結論を出すこと自体が、無意味であり、また罪にも該当するのです。
本当に、何に執着しているのでしょうか──?
そう思うと、罰も罪の償いの一種であるような気はしてくるのですが、罪の撤回ができない以上、必要となるのが社会的な手続きなのでしょう。
やはり罪は消えません。が、罰を受けたという事実は成立します。その点で社会は受刑者を受け入れなければならないのだと考えます。
しかし罪は一生消えません。一生の後も消えません。これこそまさしく永遠に消えません。
これは確かに真理であり、また元増田が辿り着いた答えの一部でしょう。
罪を犯した者にとっては、(それが正当な要求である限り)、罰を超えても罪と向き合い続ける事が必要でしょう。許される事はありません。
罪のないものにとっては、罪は不可逆的である為に、そのような罪が起きない為の世の中づくりが必要とされるのではないでしょうか。
これで議論は多少展開したかと思います。以上が私の見解です。単なる反論や提訴(したいだけ)ではなく、誰かが何かを加えてくださると嬉しい限りです。