はてなキーワード: ラベリングとは
男って性格が悪い。
仕事をしてて最近それをすごい思う。え、なんでそう思うかって?いやマジでナチュラルにいじめとかし始めるから。やめろよ。
私は女だが、べーつに女が性格がいいと言っているわけではない。女同士のいじめはあるし、面倒くさい部分がある。否定しない。でも、正直社会人として働いてて、男性社会で暮らしてると、男も大概というか、男の方がよほど陰湿だなと思う。
私が働いているのは外資系の総コンである。女性は増えたけどまぁまぁな男性社会である。
そんな中で働いてると、本当に割とサラッと派閥争いに巻き込まれる。男同士の。
社長派〜とか、部長派〜みたいなやつじゃない。プロジェクト内で気がつくとマネージャー同士の派閥が出来てるという狭い世界感である。
いやさ、たかだが数十人の世界で派閥とか作んなよって思うけど、マジで出来る。そして喧嘩する。
前あったのが、一つの資料を別派閥のマネージャー2人が作ってた時に、意図的に片方のマネージャーをコミュニケーションから外したうえで、「あれって〇〇さんの担当でしょ?出来てないけど大丈夫?」と宣うとかいうやばムーブである。誰ももう1人のマネージャーに伝えずに「大丈夫じゃないですか?〇〇さんですしやってるでしょw」みたいな会話をしてて戦慄した。もちろん資料が手付かずなのは認識済みである。というかコミュニケーションから外されてるので相手のマネはその状況を知る由もない。
いや怖えよ。てかその資料2時間後にはクライアントに見せるんですよね?え?え?本気ですか??社内の派閥争いのために、お客さんに迷惑かけるの?まじ?
私は空気を読まなかったので、その横で全力でそのマネにチャットを送り(もちろん口ではその場の雰囲気には合わせてる)、そのマネは2時間で資料を完璧に仕上げてみせた。ので特に何も起きず、お客さんとの会議は終わったのだけど。
いや、こわ。なんのためにこんなことするんですかね。
2時間で仕上げたというとこからも分かると思うけど、コミュニケーションから外されてた方のマネージャーは頭が良くて優秀である。まぁ正直側から見てるとあれは嫉妬によるものだし、何かで泥を塗りたい、蹴落としたいという意図が見え見えである。
本当にこの点においては男の方がマジで醜いと思う。自分が1番になりたいって気持ちが強い人が、男性の方が多い。フジテレビの騒動とか見てても思うけど。
男は競争社会で生きているのだと、男性はいう。まぁそうなんだと思う。狭いプロジェクト内で、そこそこのレベルの人同士なら、どっちが上下が結局あり、将来を考えれば自分が上になれるようにすきあらばガンガン蹴飛ばす。そんな感じなんだろう。
で、当たり前にそれを社会全体でやってるわけである。多分私は女なので真の意味で男性社会が分からないが、たぶんSNS、プライベート、学校、地域の町内会。あまたのところでその戦いが繰り広げられてるんだろう。カードゲームの大会とかもそうだ。
そりゃあ、そうしたら、ねぇ。必然的に生まれるわけですよ「弱者男性」なるものが。
だって常に競争してるのだから、全部負ける人がいるのは当然である。そして、どの界隈でも競争しだすので、男性の方が友達が出来づらい。同じレベルなら友達認定するのかもしれないけど、多分そうじゃない時点でお互い仲良くなれないから。
女性同士は意外とその辺の意識が希薄である。何というか、別に競争はどうでもいいやと思ってる節がある。いや、全くないとは言わないし、マウントをとりたいクソ女は当たり前にいるが。変な話、それは性格が悪いだけなので仲間内から弾かれて終わる。そう、謎の競争でマウント取り出す奴の方が、コミュニティから弾かれるのが女性社会である。
「女は誰かに手を差し伸べてもらえる!ずるい!」という主張があるが、これはシンプルに女性社会がそうだからとしか言いようがない。性格がまぁまともでいい子なら社会的な地位とかどうでもいいし、友達として助けるよ。ってなる。だから、多分体感として女性の方が「弱者女性」のラベリングに当たる人が少ないんだと思う。
だってまぁ、収入少なくても友達がいて、家族がいる。なら、まぁ幸せかな、と思えるからだ。困った時に手を差し伸べてくれるのは、なんだかんだで最後は女の子の友達である。
弱者男性は可哀想だから、ケアできる女性を当てがおうとか、そんなことで解決する問題ではない。
弱者男性と呼ばれる人達はどうみても同性の友達が少ない。モテないよりもよほどそちらが問題である。
競争がいけないのではなくて、友達とはそれを傍に置いて付き合うとか、プライベートにて競争を持ち込まないとか。なんというか、女性社会のいい側面だけを男性社会に持ち込んだらいいんだと思う。男同士でも助け合えれば、友達がいれば、独身でも幸せだと思えると思う。仲良くしようよ。
人間はどこまでいっても孤独だし、結局最期、死ぬ時は1人である。でもさ、生きてる間くらい、信頼出来る友人や同僚、家族と、仲良く平和に暮らせたらいいと思う。
Mくん: あの、智子先生。ちょっと相談したいことがあるんですけど…。
智子先生: …なんだ、M。珍しいな。どうした?悩みでもあるのか?
Mくん: はい…最近、なんだか自分が何をやってもダメな気がして…。例えば、自分の文章力が足りないとか、人に迷惑ばかりかけてるんじゃないかとか…。あ、これって僕のせいですよね?
智子先生: なるほどな。お前の言う「何をやってもダメ」ってやつ、心理学では「認知の歪み」って言うんだが、Mの場合、それがいくつか混ざってるっぽいな。
Mくん: 認知の歪み…ですか?
智子先生: そうだ。簡単に言うと、「物事を事実よりも偏った見方で捉えちゃうこと」だ。Mの話を聞く限り、いくつか典型的なパターンが見える。
Mくん: そうかもしれません…。相手が嫌な気分になったら、それは僕が悪いんじゃないかなって…。
智子先生: バカ言うな。相手がどう感じるかは相手の問題だ。もちろん、自分が失礼な態度を取ったんなら反省する必要はあるが、相手が勝手に悪く受け取るのまでお前が背負い込む必要はない。
智子先生: 次に、「全か無か思考」。これもやっかいだ。お前、例えば文章力を「大学生以下」とか言ってたけど、実際にテストでもしたのか?
Mくん: いえ、テストはしてないですけど…。なんとなくそう思うんです。
智子先生: それだよ。「なんとなく」で自分を全否定するな。文章力が足りないと思うなら、どの部分が具体的に課題なのかを見つける方が大事だ。そもそも、他人がすごく見えるのは、お前が自分を過小評価してるからだぞ。
智子先生: あと、「被害妄想」な。裏で悪口を言われてるとか、SNSで何か書かれてるとか考えてるみたいだけど、それ、証拠あるのか?
Mくん: …たぶんないです。でも、過去にそういうことをされたから、また起こるんじゃないかって…。
智子先生: うーん、過去の経験が影響してるのはわかるけどな、それが現実になるとは限らない。今の時点で証拠がないなら、まずは「そうかもしれないけど、違うかもしれない」くらいに考えとけ。
Mくん: でも…僕、都合のいい人扱いされてる気がして…。
智子先生: それ、「自分へのラベリング」ってやつだな。そう決めつけてるのは、他でもないお前自身だ。他人の行動を自分に対する評価だと思うな。実際、Yさんからは頼られたり感謝されることもあるんだろ?
智子先生: それだよ。それを無視して「都合のいい人だ」と決めつける必要はない。
Mくん: わかってきました。でも、どうやって考え方を変えればいいんでしょうか?
「こう思う」は「事実」じゃない。何かを信じ込む前に、「本当にそうなのか?」と一度確認してみろ。
客観的に状況を見る
自分に厳しくなる前に、「もし他の人が同じ状況だったら、自分はどうアドバイスするか?」を考えてみるといい。
文章力が不安なら、短い文でいいから練習して、誰かに見てもらえ。「やればできる」って実感が少しずつ自信につながる。
自分の考えが「いつも」「全て」に当てはまるか、確認してみろ。ほとんどの場合、そんなことはない。
Mくん: ありがとうございます…。なんだか少し気が楽になりました。
智子先生: それでいい。お前のその真面目さ、悪いもんじゃない。ただ、もうちょっと自分に優しくしろよ。お前が自分を否定しすぎると、誰も助けられなくなるからな。
Mくんの発言からは、いくつかの認知の歪みが見られます。それぞれ解説します。
1. 個人化
症状: 自分の責任ではないことまで自分に原因があると考える。
例: Mくんは他人の指摘や批判に対して「自分の文章力が劣っているから」「自分が至らないせいだ」と感じています。
解説: 実際には、批判する側の意図や性格、背景も関係している可能性があります。すべてを自分のせいにすることで、不必要に自信を失っています。
症状: 状況や自分の能力を「完全に成功」か「完全に失敗」のどちらかで捉える。
例: 「自分は大学生以下の文章力しかない」と、能力を極端に低く見積もり、他人と比較して落ち込んでいます。
解説: Mくんは「少しでも他人に劣る部分があると全体がダメ」と捉えがちですが、実際には得意分野と不得意分野があって当然です。
3. 被害妄想(過度な警戒心)
症状: 他人が自分を批判しようとしている、悪口を書かれていると考える。
例: 「裏で悪口を書かれているんじゃないか」「何か斜め下のことをするとTwitterやnoteに書かれる」と不安に思っています。
解説: 根拠のない想像や過去の経験に囚われすぎることで、実際には起きていないことに過剰に反応しています。
4. 過度な一般化
例: 「Yさんが過去に他人のことを書いた」という経験を、今も必ず自分に対して行われていると信じています。
解説: 過去の出来事が特別なケースである可能性を無視し、すべての場面で起きると考えています。
例: 「都合のいい人なんじゃないか」と考え、自分の価値を過小評価しています。
解説: 他人にとっての自分の役割をネガティブに捉え、それをあたかも事実のように受け入れています。
症状: ポジティブな情報を無視し、ネガティブな情報だけを取り上げる。
例: 「まともなコミュニケーションがない」「都合よく扱われている」と感じる一方で、Yさんからインフルエンザを心配されたりドリルのレビューを頼まれたポジティブな行動を軽視しています。
解説: 他人が見せている好意やポジティブな意図を認識できず、不安や不満だけを感じています。
症状: 自分を犠牲にして他人のために尽くすべきだと思い込む。
例: 「Yさんに恩義があるからレビューをしている」「家事や忙しいスケジュールの中でやっている」といった発言から、無理をしてでも他人に応えなければならないと感じています。
解説: 他人に尽くすことが当然だと思い込み、必要以上に負担を抱えています。
総括
Mくんの認知の歪みは、自己評価の低さや他者の行動に対する過剰な解釈、責任感の偏りなどが影響しています。このような歪みは、ストレスや自己否定感を増幅させ、現実的な解決策を見つける妨げになります。彼がもう少し柔軟に物事を考えられるようになると、今抱えている不安が軽減するでしょう。
「マジモンなのか判断に困る」とは、結局何を判断したいのか明確にしてもらえないかな?
「童貞の語るセックス」が理解できなかったなら、「学卒が騙る博論」なんてコンプレックスを煽るだけの比喩を出されても、議論として何の進展もない。
具体的な話ではなく、ただ相手を見下そうとする意図だけが透けて見えるよ。
さらに、「どうせ氷河期の文系卒だろうから」という偏見丸出しの一言。
こういった根拠のないラベリングを繰り返している時点で、自分自身の議論の正当性を壊しているのに気づいている?
人の学歴や時代背景をあてこすりにしても、BYDとアルファードの比較やクルマの性能の話には何の関係もないよね。
議論で重要なのは、相手を見下す言葉を並べることじゃなくて、データや具体的な事実に基づいて反論すること。
「学卒が騙る博論」という例えを使うなら、それがどのようにこの議論に関連しているのか、きちんと説明してもらわないと意味を成さない。
もし本当にBYDとアルファードの比較について具体的な意見があるなら、根拠を示して話してほしい。
文系卒だとか氷河期だとか、関係のない個人攻撃を続けるのはただの議論放棄にしか見えないし、そもそも誰にとっても有益な話にならないよ。
「ノンデリ」って言葉、最近よく聞くけど、正直なところ、それを使ってる人たちのセンスや知性に疑問を感じずにはいられない。誰が始めたか知らないけど、その軽いノリで作られた言葉が、ここまで広まるのが怖い。だって、冷静に考えてみてください。「ノンデリ」って何?言語として意味が破綻してるんですよ。
まず、「non-」って英語の否定を表す接頭辞と「デリカシー」をくっつけたものらしいけど、これ、英語圏の人が聞いたら「え、それ何?」ってなるやつです。元の英語 "delicacy" は「繊細さ」とか「優雅さ」みたいな意味で、英語で「non-delicacy」なんて表現、そもそも存在しない。日本語としても「デリカシー」が「配慮」や「気遣い」の意味で使われてるから、文法的にも意味的にも二重におかしい。
で、そんなおかしな言葉を使う人たちって、自分が「デリカシーがある側」だっていう謎の優越感に浸ってるんですよね。いやいや、ちょっと待ってくださいよ。その言葉を使うことで、あなた自身の品位とか知性がガタ落ちしてるのに気づいてますか?むしろ「ノンデリ」なんて言葉を使うこと自体が、デリカシーない行為そのものなんです。
しかもこの言葉、他人を「お前デリカシーないな」って簡単に切り捨てる道具にされてる。それ、めちゃくちゃ傲慢だしコミュニケーションの放棄じゃないですか?ちゃんと伝えるべきことを言わず、浅はかな言葉で相手をラベリングすることで、何が生まれるかって?対立と分断ですよ。
最後に言いたいのは、「ノンデリ」を使うことで自分を正当化しようとするその姿勢が、何よりも恥ずかしいってことです。本当に他人の言動に問題があるなら、もっと的確で深い言葉で伝えるべきです。軽々しい造語に頼っている時点で、自分の語彙力と考えの浅さをさらけ出しているんですよ。
だからお願いです。「ノンデリ」という言葉を使うの、そろそろやめませんか?それを使うたびに、あなた自身の価値が下がっていることを、そろそろ自覚してほしいんです。
私の時代から一世紀以上を経たこの地上に舞い戻り、「弱者男性」「強者男性」という言葉が流行っていると聞いた。どうやら“弱い”と“強い”の二元論で男の価値が安易に測られ、その一方で人々は皆、自らがどちらに属するかに怯え、もしくは誇らしげに語っているらしい。だが諸君、それが本質的な人間の力の在り方を示していると本気で信じるのか?
私はこう問う。「弱者男性」「強者男性」という区分は果たして誰のためにあるのか、と。もしそれがただ社会の視線や他者の評価から与えられ、個々人がそれに媚びたり振り回されたりするだけなのであれば、それは“価値の奴隷化”の証でしかない。人が自分で自分の価値を創造するのではなく、他者にゆだねているのであれば、それは私が『道徳の系譜』で指摘した“奴隷道徳”の時代が形を変えて続いているにすぎないのだ。
では私が現代の諸君にあてて、「弱者男性」「強者男性」という言葉を再定義するとしたらどうなるか? 私は「弱者男性」という呼び名を「自己否定の迷宮に囚われた者」、そして「強者男性」という呼び名を「自己創造の悦びを知る者」と呼び替えたい。
いわゆる弱さを抱えている――それは悪いことではない。むしろ人間誰しもが不安や恐怖に襲われ、失敗し、弱さを自覚する瞬間がある。それ自体は自然だ。だが問題は、そこから抜け出せずに自己否定の淵に沈んでしまい、「自分はどうせ弱者だ」と開き直り、あるいは周囲の同情や嘲笑に身を委ねてしまうことだ。
“弱さ”をアイデンティティにしてしまう者は、自らを狭い牢獄に閉じ込める。ここで私が言う“弱さ”とは、他人によって規定された評価や属性に自分でとどまり、みずからの可能性を放棄してしまう心理状態を指す。諸君、他人の期待や既存の価値観に絡めとられてはならない。
世間でいう“強さ”とは、権力や金、あるいは身体的な力で他者を支配することだと思われているかもしれない。だが私に言わせれば、それは浅い理解にすぎぬ。真の“強さ”とは何か? ――それは、自らの弱さをも肯定し、それを力へと転じるための創造的エネルギーをもつ者のことだ。
「自分はどうありたいのか?」「何を生み出したいのか?」――この問いに対して他人からの評価に惑わされることなく、自分の意志に基づいて行動し、生きる歓びを“新たな価値”として打ち立てられる者。自らの軸をもって世界に挑戦し、困難や苦しみによって磨かれながら高みに至ろうとする者。それこそが、“自己創造の悦びを知る強き存在”なのだ。
私は「力への意志」という言葉を残したが、それは単純な“他者への支配衝動”ではない。人間存在そのものが自己を拡張し、高め、価値を生み出そうとする根源的な力のことを指している。自分という存在を創造するために、時にこれまでの自分を壊すことも必要だ。たとえ社会に認められなくとも、自分の歩む道を新たにデザインし、己の生を音楽のように奏でることができる者こそが、私の言う“真の強者”である。
「弱者男性」「強者男性」といった言葉を、社会のラベリングとして機械的に受け取ることはやめ、各々が“弱さ”や“強さ”を自分で再解釈してほしい。そして自分の内奥にある意志を見つめ、何を創り出したいのかを問い直してほしい。
名声や金や地位を求めるもよし、家族や仲間と幸福を築くもよし。ただし重要なのは、そこに自らの意思が宿っているかどうかだ。他人の期待や世間の評価に引きずられるままに生きてはならない。己の足で立ち、新たな価値を見出すことを忘れてはならない。
さあ、諸君。今こそ“自己否定の迷宮”を抜け出し、“自己創造の悦び”へと飛び込むのだ。激しい葛藤や痛みから逃れず、それを通してこそ自分が研ぎ澄まされる。その先にある高みを目指す諸君の姿こそが、私の望む“人間の未来”の一端であると信じているのだ。
『フェミニズム』に対する理解が極端に表層的で単純におかしいので、やっぱラベリングではなくて認知のフレームワークの問題だよね
『昔の日本人男性は女性差別主義者』も同じだよね。単純におかしい
『日本人男性』と『女性差別主義者』この2つは異なるレベルの概念だよね
この2つは役割も違うよね
変数と条件式は混同しないように、会話でも混同しないのが望ましいよね
自然言語処理でも、『昔の日本人男性は女性差別主義者』という推論は過度な一般化と扱われると思うし、
『現代のNLPでは下記の推論規則を妥当なものとして許容しますか?』って聞いたら『許容しません』って返すと思うよ
<ほかの例>
例1: 日本の猫好き
2chはそれぞれの話題で板やスレが分かれてたしローカルルールがあったがツイッターなどSNSはそれがなくなって全部一緒なのでグチャグチャになる、みたいな批評はしばらく前から見るし、はてなブックマーカも結構それに同意してるけどさ、はてなーって精神性としては(完全ではないにせよある程度の)モヒカン族気味なのに、棲み分けに賛成なの?
モヒカン族らしさがよくわかる代表例は、無断リンク論争である。
貴様らモヒカン族は、インターネットは根本思想としてリンクフリーを当然としているし、インターネットは情報交換手段なのだから情報は自由に流通すればするほどよいという立場に立つ。それによって多少の軋轢や不快感が生まれるとしても人間の理性はそれを制御できるしするべきで、最終的には共有した情報を生かして人類は幸福に近づけるという思想だ。
これは棲み分けなどというものとは全く相いれない考え方である。
たとえ実用的な便利さのために棲み分け的なものやラベリング――さながら検索性のために本棚を分けるような――が求められるとしても、それはプラットフォームに規定されたり厳守するルールとしてではなく、利用者側の自主性から生まれ、そして自由意思で利用するやり方であれという意見になるだろう。
まさにハッシュタグというのが、互いが自主的に使いだし、また参加せずとも外部から観測して情報を得られる素晴らしいやり方だな。
そんなモヒカン族のお前らなのに、棲み分けに賛成なのか? どうした? hageてモヒカンヘアにできなくなったのか? 全く思想的堕落という他ないぞ。
例えば、↓ちょうどこのトピックでリベラルと保守が大喧嘩してる。
〈18年前の女児刺傷容疑で逮捕〉「少女が腹部から血を流してると興奮する」男は過去、70件以上余罪も「死刑が怖かった」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/shueisha.online/articles/-/252087
保守派
tune2011 ↓ 人の心配する前に自分のおつむのチェックをしてくれよ…。この稀有な欲望の異常者とこの間の生協学生が関連するというcinefukさんの主張には1ミリの根拠も科学性もない。感情ではなく理性で発言する様に出来ない?
リベラル派
Domino-R ↓オマエこそ本格的にぶっ壊れてるな。異常者とラベリングすればノーカンか? どうせ正常と異常の間に手前勝手に引いた分割線だろそれ。つかそれが違法かどうかにしか問題性を見いだせないか?
保守派
preciar こんなナチュラル異常者の犯行に、エロマンガが何の関係あるっつうんだよ?あからさまな関係妄想は病気だから頭の病院へ行け <上位コメ/女の子を刃物で刺すのは違法ですよ?
リベラル派
cinefuk ロリリョナ漫画を生協で買えるとアピールした学生の何処が悪い!の延長線にこれがあるのかも知れんのだよ。「合法」(禁止されない)と、「大手を振ってアピールできる」(世間からの許容、常識の範囲)には差がある
保守の皆さんね、エログロ変態漫画を擁護しようとしすぎて完全に変になってんのよ。
社会風紀の維持や犯罪予防というのは、本来は保守派の方がよっぽど大事にしてた価値観だと思ってたけど。