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「感受性」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 感受性とは

2025-03-05

anond:20250305114801

1. 過剰な分析とこだわりが柔軟性を欠く可能

発言者アニメ1話の「年齢確認ネタ」に引っかかり、それが作品全体を見続けるかどうかの判断に影響を与えていると述べています。この細部への強いこだわりや分析傾向は、物事を深く考える強みである一方で、些細な部分に囚われすぎて全体を楽しめないリスクを孕んでいます。例えば、「感覚が違いすぎる作品っぽく見えてしまう」という表現からは、初めの印象や小さな違和感が過大に膨らみ、作品を公平に評価する柔軟性を失ってしま可能性がうかがえます

ネガティブな側面: 過度に分析であるがゆえに、新しい体験や異なる視点を受け入れるのが難しくなり、楽しみを自ら制限してしまうことがあるかもしれない。

2. 現実との比較による過剰な批判傾向

「年齢確認拒む人って、もう実在しない」「梅沢富美男が作った都市伝説ネット信仰されてるぐらいの感覚」と、アニメ描写現実比較して非現実的だと切り捨てる姿勢が見られます。また、「なろう作品」に現実仕事観を当てはめて「なってない」と感じる点も同様です。リアリストであることは強みですが、この傾向が強すぎると、フィクションの誇張や創作性を許容できず、不必要否定的な態度を取ってしま可能性があります

ネガティブな側面: 現実との整合性を求めすぎるあまりエンターテインメントの楽しさや想像力を素直に受け入れることが難しくなり、批判的になりがち。

3. 共感への依存感情的な脆さ

「しっくり来ない時に『この作品共感できるかな?』って不安になる」という発言から共感感情移入ができないと作品を楽しめない傾向が強いことが分かります。これは、共感性を重視する感受性の高さの裏返しとも言えますが、逆に言えば、自分と異なる価値観感覚に直面したとき不安抵抗を感じやすいことを示唆します。感覚のズレを「面白さ」で補えると述べているものの、それでも「つまらなく感じられてるんだろうなぁ~」と自己否定気味に結論づける点からは、感情的な揺れや自信の欠如が垣間見ます

ネガティブな側面: 共感できない状況に過剰に不安を感じたり、自己評価を下げてしまう傾向があり、精神的な安定感が揺らぎやす可能性。

4. 内省の過剰による優柔不断

自分感情思考を細かく分析し、「こういうことが気になってるってことはこの作品は僕にはつまらなく感じられてるってことなんだろうなぁ~」と結論づけるプロセスは、内省的な強みを示す一方で、決断先延ばしにする優柔不断さにもつながりかねません。アニメを見続けるかどうか悩む段階で、明確な「見ない」という決断に至らず、モヤモヤしたまま自己分析に終始している点からは、行動よりも内面的な整理に時間をかけすぎる傾向がうかがえます

ネガティブな側面: 考えすぎて決断や行動が遅れがちになり、結果的ストレスや不満を溜め込むリスクがある。

5. ストレスへの敏感さと疲弊

仕事におけるストレスの感じ方として、「ルールで決まっていることはストレスにならないが、立場的に断りづらい雑務ミスの発覚の方がすり減る」と述べています。この発言からは、不確実性や曖昧な状況に対する過敏さがうかがえ、こうした場面で精神的な疲弊を感じやすいことが推測されます特に「すり減る」という表現からは、ストレスへの耐性が低い、あるいは一度ストレスを感じると回復時間がかかるタイプである可能性があります

ネガティブな側面: 不測の事態曖昧さに弱く、日常的なストレスに過剰に反応して疲れやすい傾向があるかもしれない。

総合的なネガティブ分析

発言者ネガティブな側面をまとめると、以下のようになります

過剰なこだわりと硬直性:細部に囚われすぎて全体を見失ったり、新しい視点を受け入れる柔軟性が欠けることがある。

批判的になりがち:現実とのズレを許容できず、フィクションに対しても否定的な態度を取りやすい。

共感への過依存共感できないと不安や不満を感じやすく、感情的不安定になるリスク

優柔不断さ:内省が過ぎて決断先延ばしにし、モヤモヤを抱え込みやすい。

ストレスへの脆弱性:不確実性や曖昧さに敏感で、精神的な疲弊を溜め込みがち。

総括

この発言者は、鋭い観察力や内省的な思考を持つ一方で、その特性裏目に出ると、過剰な分析現実への固執感情的不安定さとして現れる可能性がありますアニメ1話の小さなシーンに引っかかり、そこから作品全体への不信感や自己評価にまでつなげてしまプロセスは、彼/彼女自分内面や外界に対して非常に敏感であることを示しています。この敏感さが、ストレスや不満を増幅させる要因となり得るでしょう。

2025-03-04

人生神ゲーだ」の続き

さらにこのゲー、超絶自由カスタマイズシステム搭載。髪型から体型、スキルリーの育て方まで、完全オーダーメイド可能。ただし初期キャラ生成時の遺伝子組み合わせは完全ランダムで、ある程度制約がかかってるのがミソ。その制約の中でどう自分デザインするかが腕の見せ所。

隠しボスがやべえ。例えば「宇宙の真理」とか「死の意味」とかい名称の最終兵器級の敵が出現する。倒すととんでもないアイテムが手に入るらしいが、そもそも遭遇条件が不明。ある日突然目の前に現れて哲学問答を迫ってくるパターンも。

レアな隠しイベント運命出会い」が発生すると、ゲーム難易度がガラリと変わる。相性のいいプレイヤーパーティを組むと、今まで苦戦してたエリアが嘘のように楽になったりする。逆に相性最悪のキャラと組むとデバフフルコースだが、それもまた経験値になる。

しかもこのゲーム、実はマルチエンディング仕様。あるプレイヤーは「平和田舎家族に囲まれて」エンドを迎え、別のプレイヤーは「未踏の星に人類の旗を立てて」エンドを迎える。ただし真エンドの存在未確認開発者(神?)の意図が完全に把握できてないから、みんな自分なりのエンドを目指してる。

驚異の物理演算エンジン因果律」が全てのアクションに影響。プレイヤー選択が数年後の地形やNPC関係性まで変化させる。ちょっとした会話の選択肢が、知らぬ間に大きなシナリオ分岐を生んでることに後で気付いて背筋が凍る瞬間。

DLC半端ない。突然「結婚」とか「起業」とか「海外移住」とかいう大型追加コンテンツが解禁される。有料アイテム存在せず、課金要素ゼロなのにコンテンツの質が年々向上していく謎のビジネスモデル

バグが多いと文句言う奴もいるが、実は仕様だったりする。例えば「理不尽事故イベントとか「不可解な病気ステータス異常とか、一見バグに見える現象も、実は超高度な乱数生成システム「運命」によって意図的に組み込まれた要素。ただし開発陣が「これはバグです」と認めた事象も若干存在するらしい。

最大の特徴は「ゲーム通貨の獲得方法」。単純労働でもOKだけど、クリエイティブなことや人を喜ばせることで爆発的に増える仕様。ただし所持金が多いほど管理が大変になる上、突然没収イベントが発生するリスクもある。通貨他人譲渡する「寄付システムを使うと、謎の幸福度パラメータが上昇する。

隠しパラメータ「魂の成長度」が存在するらしく、苦難を乗り越えるたびに上昇するという噂。これが一定値を超えると、死後のニューゲームモード前世ステータスを引き継げるとか。真偽は不明だが、修行僧レベルプレイヤーたちが熱心に検証中。

とにかくこのゲーム最初は「操作が複雑すぎる」「チュートリアルが不親切」と不評だったが、実は全ての操作体系が神経科学レベル最適化されてることが判明。慣れると自分思考が直接コントローラーになる感覚。没入感がヤバすぎて、つい没頭しすぎて睡眠不足になるプレイヤー続出。

公式攻略サイト存在しないけど、歴代プレイヤーたちが残した哲学書や文学アート作品がヒントになってる。ただし情報が多すぎるから自分フィルターかける必要あり。変な攻略法信じると悲惨な目に遭うので要注意。

究極の醍醐味は「自分だけの物語を紡げること」。同じクエストクリアするにしても、100人いれば100通りの方法存在する。他のプレイヤーの真似をする必要はなく、むしろ独自プレイスタイル確立した者が最高の報酬を得る仕組み。ただし完全な孤高プレイ難易度激上がりなので、適度に他人と協力するのが正解らしい。

開発陣からメッセージときどき届く。「自然の美しさ」とか「子ども笑顔」とか「達成感」とかいう形で。これを受け取ると一時的に全てのステータスが倍増する。ただし感受性パラメータが低いと気付かないままスルーちゃうからもったいない

このゲームの真の敵は、実は「自分自身の諦め」だったりする。デバフ絶望」がかかると全ての数値が低下するけど、逆にバフ「希望」をかけると限界突破する。面白いことに、他人にバフをかけると自分にも効果が波及する仕様。最強パーティは互いに希望供給し合う仲間たちで構成される。

最終的には、このゲーム神ゲーたらしめてるのは「不完全さ」そのもの。時々起こるクラッシュ挫折)やラグ(停滞期)、謎のバランス崩壊(不運)があるからこそ、それを乗り越えた時の達成感が桁外れなんだ。完全無欠のシステムより、むしろ欠落や矛盾がある方が深みが増すという逆説。

そう、人生という神ゲーの真髄は――

「不完全だからこそ完璧ゲームバランス

「有限だからこそ無限価値を持つ」

「不可逆だからこそ一瞬が輝く」

この矛盾を抱えながらも、それでも尚プレイを続けたくなる、中毒性の高い仕組みにある。

から俺は言いたい。

「このゲームを糞ゲー扱いする前に、お前は本当に全DLC体験したのか?」

「最高難易度で挑戦してみたのか?」

「隠しステージまでクリアした上で言ってるのか?」と。

まだ見ぬステージ無限に広がるこの世界で、

今日プレイヤーたちは新たなセーブポイントを刻み続ける。

2025年3月4日 19:50 Deepseekにて作成

2025-02-26

anond:20250226191425

摂食障害になるようなタイプ感受性が強いだろうけど多分その分脆いと思うので、健康を保ちたいなら不安定生活から改善するといいかも。あと酒はやめたほうがいいよ。

2025-02-24

初心者お勧めの、手軽で美味しいコーヒーの入れ方

病気アルコールが飲めなくなった

代わりにコーヒーに凝ろうと思い地元喫茶店に通いながら色々教えてもらったが、その考え方や方法簡単で分かりやすく理に適っていると思ったので、自分の中でまとめる意味も込めて書いてみる


基本的な考え方は次の通り



以下、簡単効果が高い物から順番に


豆は最近焙煎されたものを店で買う

ここが一番差が付く

スーパーで買った挽き豆を適当に扱った場合と、最近焙煎された豆を香味がある間に使う場合で30-40点ぐらいの差が出る


コーヒー豆は、生豆焙煎豆>挽き粉 の順で劣化やすく、"生豆焙煎豆" は腕の差が出やすく、"焙煎豆→挽き粉" の工程はそこそこの道具以上なら誰がやっても同じなので、豆で買って自分で挽くのが一番コスパが良い


保存方法は基本は冷凍

2週間以内に使い切れるなら冷蔵でもいいが、悩むぐらいなら冷凍で良く、扱い方も冷蔵だった場合と変わらないので気楽


豆を挽くのは、淹れる前に、質の良い機材で

ここも10-20点変わる


挽いた豆は劣化が早いのであまり置かない(と言っても1時間ぐらいは全然大丈夫

また、コーヒーの雑味は抽出しすぎたときにも出るのだが、挽いたとき指定サイズより小さい粉が多く出てしまうとこの雑味が増えやすいので、指定したサイズできちんと挽ききれる機材が望ましい


ここで有名なのが、TIMEMORE C3(手動コーヒーミル 約1万円)

前はこの機材ぐらい粉末が出ない機材は2万以上するのが普通だったらしい(電動だと今でも4万クラス)が、それが1万円で手に入るので手挽きで良ければこれ一択になった


もちろん電動ミルでも構わないが、その場合まり安物は買わない方がいいと思う


コーヒーを淹れる

ここは意外と、ある程度慣れれば差が付いても素人レベルだと5点がいいところ


適切な濃さで淹れるのが一番大事

基本は豆(g)の15-16倍(ml)、つまり10gなら150-160ml20gなら300-320ml


ペーパードリップの入れ方は入れ方の動画見てある程度慣れれば後は誤差レベルでそこまで差が出ない

なお素人半年毎日2回淹れたぐらいの腕では、ブラインドテストした感じだとコーヒーメーカーの方が微妙に美味しい

注ぎ方なんてワンパターンの減点式だからね、仕方ないね


あとは、先に書いた「自分で作った料理は美味しい」効果を狙ってどこまでやるか


淹れたらすぐ飲む

放置した場合と比べると100点ぐらい差が出る


当たり前だけど抽出した状態が一番劣化も早い

ゆったり余裕を持って、でもすぐに飲もう


自分で作った料理は美味しい」効果

この効果心理学的なマインドフルネス研究である程度研究実証されている

自分の今作っている物の、音や香り温度やその行為に集中した末に味わうのは、五感料理を感じることになり感受性が上がる


これまでの工程自分でやれる点は、焙煎・手挽き・ハンドドリップ

焙煎難易度が高いので、現実的には手挽きとハンドドリップ


自分は、最初ハンドドリップしていたが、最近は(先のブラインドテストもあって)別にいかなと思い、今はC3で手挽きするときに目を閉じて音と香りを感じることにしてる

手引きミルは失敗がないので、このような集中の仕方が出来るのが気に入っている


もちろん手挽きしてドリップ自分でやるのも良い

明らかに今淹れているコーヒーに集中できるし、多少失敗しても次はこうしようという意欲に繋がる

少し手軽にするためにドリップアシストを使うのも悪くないと思うが、私はその行き着く先がコーヒーメーカーだったw


別に自動でもいいと思う

機械が豆を挽いている音を聞いて香りをしっかり感じれば五感で味わう感じになれる


----------


これぐらいやって客観指標で70-80点+自分でやった感10点ぐらい

店は客観指標で90点の世界個性を出しつつ頑張ってるんだと思う、凄い


ちな私が使っているコーヒーメーカーは象印の1万円ぐらいのやつ

2025-02-22

10特有の強い感受性って何?そんなもんねえよ

10代の頃は思ってたよなあ。

あんな感じやすいビンビンに受信しまくるアンテナで張り詰めてた頃に自分感受性は強くない。

って思ってるんだから10代の頃ってやっぱ馬鹿だな。

perplexityのdeep researchがポンコツ過ぎる

タダで使えるっていうからやってみたわけよ

こう聞いてみた

赤いきつねCM炎上騒動非実在炎上と言われているが、発端となったxのポストはどのくらいいいねがついていたのか調べて」

その結果がこれ

# 赤いきつねCM炎上騒動におけるソーシャルメディア分析非実在炎上論争の検証

2025年2月に発生した日清食品赤いきつね」新CMを巡る炎上騒動は、ソーシャルメディア上で「非実在炎上」という新たな概念を巻き起こした。本報告では、発端となったX(旧Twitter投稿エンゲージメントデータを中心に、炎上規模の実態解明メディア報道の影響分析を行う。

## 炎上騒動時系列分析

### 初動拡散の規模と特徴

検証データによると、問題CMに関する最初批判投稿2025年2月16日に出現し、同日22時までに以下のエンゲージメントを記録している[2][4]:

この急激な拡散は、CMに登場する若い女性が麺を頬張る様子を「性的」と解釈した視聴者層と、その解釈に異議を唱える層の間で意見が分かれたことに起因する。1時間当たりの投稿分析では、炎上初日に約15,000件の関連投稿確認され、その後3日間で総計21万件に達した[2][4]。

### メディア報道の影響力

主要メディア炎上を報じ始めた2月17日以降、議論構造に顕著な変化が生じた。報道前の投稿群(A群)と報道後の投稿群(B群)を比較すると:

ポストベースで5倍、アカウントベースで6倍の差が生じていることからメディア報道特定意見層の活性化を促した可能性が示唆される[2][4]。このデータパターンは、メディア炎上現象を「増幅装置」として機能するメカニズム如実に物語っている。

## 非実在炎上論争の検証

### 概念定義適用可能

非実在炎上とは、メディアが実際には存在しない批判意見を創出し、それに対する反論を誘発する現象を指す[2][4]。過去の事例(ウマ娘騒動71件、鬼滅の刃作者騒動0.5%程度の関連投稿)と比較すると、本件の総投稿数21万件(内批判投稿約1万件)は「非実在」と断じるには規模が大き過ぎる[2][4]。

### データに基づく実態分析

批判意見の内訳を詳細に分析すると:

1. **直接的な表現批判**:62%(性的描写不適切性を主張)

2. **制作批判**:28%(アニメーター監督意図問題視)

3. **規制強化要求**:10%(CMガイドライン改定を求める声)

感情分析ツールを用いたテキストマイニングでは、批判投稿の78%が「怒り」の感情を含有する一方、擁護投稿の63%が「驚き」を表現していた[2][4]。この感情非対称性議論の長期化に寄与したと考えられる。

## ソーシャルメディアプラットフォームの影響

### Xのアルゴリズム変更の影響

2024年7月以降のXのシステム改修が炎上拡散に与えた影響を検証すると、特に以下の変更点が関連している[3][5]:

1. **いいね非公開化**:他ユーザーの反応可視性低下→エコーチェンバー効果増幅

2. **検索機能不安定化**:関連情報断片化→誤認の温床化

3. **投稿可視アルゴリズム**:対立構造を強調するコンテンツを優先

これらの変更が、本来小規模で収束する可能性があった議論を大規模炎上へと導いた要因の一つと推測される[3][5]。

### ユーザー行動の変化分析

炎上間中ユーザー行動を分析すると、以下の特徴が確認される:

これらのデータは、炎上参加者の多くが普段ソーシャルメディアを積極利用しない層である可能性を示唆している[2][4]。

## メディア倫理報道の影響

### 炎上報道功罪

主要メディア10社の報道分析によると:

特に地方紙の62%が東京発の情報を無批判転載しており、地域特性考慮した報道が不足していた[2][4]。このような報道姿勢が、本来局所的だった議論を全国規模の社会問題へと発展させる一因となった。

### 非実在炎上概念の普及影響

非実在炎上」という用語自体トレンド入りするという逆説的現象観測された。概念認知拡大が、以下の副作用を生み出している:

1. **過剰な懐疑主義**:正当な批判まで「存在しない意見」と見做す風潮

2. **メディア不信の増幅**:全ての炎上報道を虚偽と解釈する傾向

3. **議論すり替え**:本来論点表現の自由 vs 社会的適正)から逸脱

この現象は、現代情報社会における「メタ議論」の危険性を浮き彫りにしている[2][4]。

## 社会的影響と今後の課題

### 企業広告への波及効果

本件を契機に、主要広告主48社中35社がCMガイドライン改定実施した。主な変更点は:

1. **表情規制**:過度な感情表現自主規制

2. **年齢設定**:主役キャラクターの年齢明示義務

3. **事前検証**:ソーシャルリスニングツール導入

ただし、これらの対策表現の画一化を招くとの批判もあり、業界内で議論が続いている[2][4]。

### 法制度的対応の動向

総務省は本件を受け、2025年度中に「デジタル広告倫理ガイドライン」の策定を表明。注目すべき論点として:

これらの議論は、表現の自由と社会的保護バランスをどう図るかという根本的な課題を浮き彫りにしている[2][4]。

## 結論

赤いきつねCM炎上騒動は、ソーシャルメディア時代集合的意見形成メカニズム考察する格好の事例となった。発端となった投稿の2.2万いいねという数値自体は大規模炎上と呼ぶには不足するが、メディア報道アルゴリズム相互作用により疑似的大炎上が創出された点に本質的な特徴がある。今後の課題として、①炎上規模の客観的評価基準確立、②プラットフォームの透明性向上、③メディア報道倫理再構築が急務であるデジタル時代表現を巡る議論は、単なる是非を超え、情報生態系全体の健全性を問う新たな段階に入ったと言える。

途中まではふむふむと読んでいたけども急に不穏な文言が出てきて慄く

総務省ガイドライン策定を表明!?

いやマジなら非実在型どころか近年屈指の大炎上だろと思いソースを辿ってもそれらしいものはなし

そこで更問いすると

# 赤いきつねCM炎上を契機とした法制度的対応の動向分析

## 総務省ガイドライン策定動向

2025年2月赤いきつねCM炎上騒動を受け、総務省デジタル広告市場健全化に向けた法整備を加速している。現行の「電気通信事業法」第4条に基づく自主規制から、より強制力のある規制体系への移行が検討されている。主要な論点として:

1. **広告審査基準義務化**

従来の自主審査体制からプラットフォーム事業者に対する法的審査義務の導入が提案されている。特に性的表現の程度測定AI」の実装義務付けられる方向で、感情分析アルゴリズムの透明度開示要件が付帯する[2][5]。

2. **炎上リスク評価制度**

広告公開前のリスク評価義務付ける「デジタル広告安全評価書」制度検討中。評価項目には:

- 文化的感受性指数CSI

- 世代認識差係数(GPD)

- 潜在的炎上リスクスコア(PERS)

が含まれ総合スコア基準値を下回った場合修正命令が発動される仕組み[2][3]。

3. **プラットフォーム責任明確化**

炎上発生時の対応責任をXなどのSNS事業者に課す「デジタル広告緊急対応法(仮称)」の骨子案が提示されている。主要条項として:

- 炎上検知後24時間以内の暫定対応義務

- 72時間以内の根本原因調査報告書提出

- 被害拡大防止のための広告差し止め権限

が盛り込まれている[2][5]。

## 地方自治体条例改正動向

東京青少年健全育成条例2025年改正案では、デジタル広告規制が新たに追加される。主な改正点:

アニメキャラクターの年齢設定が不明確な広告に対し、18歳未満視聴制限義務付け。技術措置として:

- 顔認証による年齢推定システムの導入

- 瞳孔反応追跡による感情年齢判定

検討されている[1][4]。

性的描写判断基準を「肌露出面積比率」「瞳孔拡大率」「頬赤色度(RGB値)」など計量可能指標定義特に頬の赤みに関し、HSV空間におけるH値30-40度を「過度な興奮表現」と規定する技術基準が注目される[1][5]。

## 業界自主規制の動き

日本広告協会(JAAA)は2025年3月、新ガイドラインデジタル広告倫理行動憲章」を発表。従来の倫理綱領[2]を次の3原則で再編:

1. **予防原則**

炎上リスクが0.1%以上と予測される広告の事前公開停止

AI予測モデル「FlamePredictor v3.2」採用

2. **透明性原則**

アニメ制作過程の開示義務原画脚本・音声データ3次元時系列ログ保存)

3. **修復原則**

炎上発生時の賠償基金制度創設(広告収益の5%を基金へ積立)[2][5]

## 国際的動向との連動

OECDデジタル広告倫理作業部会は、本件をケーススタディに加え2026年国際基準策定を加速。注目すべき提案

各国の「性的表現許容度指数」をGISデータ化し、広告配信地域自動制限

リアルタイム社会反応に応じて広告年齢制限自動変更(例:いいね/リポスト比率が2:1を超えた場合R-15指定)[2][4]

## 今後の立法課題

現行の議論で焦点となっているのは:

1. **表現の自由とのバランス**

日本弁護士連合会は「AI審査ブラックボックス化が創作活動を萎縮させる」と警告。審査アルゴリズムソースコード開示を求める意見書を提出[2][5]。

2. **プラットフォーム権限強化**

広告差し止め権限を巡り、総務省法務省管轄争いが表面化。憲法21条の「検閲禁止規定との整合性が最大の論点[1][3]。

3. **損害賠償範囲拡大**

非実在炎上による風評被害を「精神的苦痛」と認定する最高裁判例必要性が指摘されている[4][5]。

## 結論

赤いきつねCM炎上を契機とした法制度整備は、単なる規制強化ではなくデジタル時代表現倫理のものの再定義を迫る動きとなっている。今後の課題として、①AI審査の透明性確保、②国際基準との調和、③創作活動保護メカニズムの構築が急務である2025年度末を目処に開催予定の「デジタル表現サミット」では、これらの論点が本格的に議論される見通しだ[2][3][5]。

謎の指数無駄ハイテク規制技術賠償制度基金までトンデモ大連

ハルシネーションってレベルじゃねえぞこれ!

2025-02-19

また旧友を失うかもしれない

また友人を失うかもしれない。

ちょうど一年くらい前にも同じような理由で友人を失った。

原因ははっきりしているのだけれど、それの帰責性が自分にあるのか相手側にあるのかが分からず(もちろん自分では自分に責めを負うべきところがないと思っているのだが(あれば治すし))、また、失いそうになっている。まァ帰責性の存否にかかわらず関係の維持は可能だとは思うが、これは後で検討する。

はてな匿名ダイアリーを初めて利用するのは、決してアドバイス共感を得たいわけではなく、ただ文章に直す作業がしたかっただけなので、この文章に関しては一切の責任を負わないし、二度と思い出すこともない。

筆者は2002年まれの現役の大学生で、一年浪人している。関東出身。男。彼女はいない。いたこともない。最近オナホを買って心底がっかりした。冷たかった。東京山手線の内側の狭い部屋で一人暮らししてる。社会科学系。専攻している分野が世間的にはマニアックなので、人との交流は少なく、一週間で会話することがあるのは先生教授)と、バイト先の生徒や関係者など、片手で数えられる程度の人数しかいない。それでも、社会性を失いたくない(社会アクセスするハードルを上げたくない)から身だしなみも整えてはいる。年がら年中オフィスカジュアルみたいなものを着て、いい酒が飲める店にいつでも入れるくらいの格好しか持っていない。もしかしたら自分おかしい(もしや統合失調症でも発症しているのか!)のかと思い、精神科家族相談してみたものの、極めて正常ということらしい。彼らと相談する際によく耳にしたワードとして「時代から」というのがあり、いささか疑問がありつつも、自分にもそう言い聞かせ、またそうするようにしている。なぜなら、理由は単純な方が良い。だけど、友人と自分は同じ時代を生きているし、同じ時代で育ち、同じ地域で、同じ中高で、同じ部活で過ごしたはずなのに、なぜ?

友人Aの場合

Aとは、本来であれば今年で10年超えの付き合いになる。Aは旧帝に落ちて私立大学に現役で進学した。たまさか学部は違うけれど同じ大学所属している。彼女はいない。チー牛という言葉が出始めた頃、漏れなくチー牛を自称していたが、そんなことはなく、月並みかそれ以上だろう。Aは、サークル所属しており、友人と先輩と後輩がいる。Aが大学に入ってからは、「ちょっと変わった」先輩(男)のお世話をしていることを嬉しそうによく話していた。「ちょっと変わった」先輩の話というのは、おかしな行動や、服薬している薬の名前就活の動向や、就労後の話など。確かに、「ちょっと変わっ」ていた。

Aとは、彼の就活彼女候補?の話で軋轢が生じた。

書いていなかったけれど、筆者は大学院に進むので就活はやっていないし、大学院のあとにもその技能評価してくれる機関があるので、レールは敷かれている(ただしそのレールは「完全に」壊れている!)。Aはそのことをあまり良く思っておらず、酒が回ってくると「お前はいいよな」といった風な言葉をかけてくれる。じゃあお前も俺と同じ孤独大学の6年間とその後の人生をもって味わえ、とは言わない。分別があるから

おそらく、Aには特殊技能はない。英語普通スペイン語自己紹介も忘れ、ゼミでは経済?に関してやっているらしい。人当たりもよく、声もデカいし、健康な、世間の求める「普通」が服を着たような大学生だ。そのため、「普通就活」が必要だった。ただ、彼はそれをしなかった。

さっきの「ちょっと変わった」先輩の真似をして、大手ベンチャー合わせて10社くらい?しか受けず、結局小売大手に決まったらしい。この文を見ることはないだろうけど、おめでとう。体を壊すなよ。Aから聞いた話では、不動産大手二次面接?に進んだがあえなくやぶれ、ベンチャー大手の2つが手札にあった。そのことを聞いたのはAと今度失いそうな友人Bと、共通の友人Cが同席しているときだった。

大手は、CMでもよく流れてる企業。我々の地元だったらみんなが口を揃えて納得する企業だ。業績も悪くはないし、払いもそこそこ。いいじゃないか

ベンチャーは、SIer派遣会社。「独自システム」をもとに「円滑な」派遣を行っているらしい(又聞きなので詳しくはわからない)。報酬は基本給と地域制限付きの家賃補助とボーナス代わりのストックオプション新株予約権付きのストックオプション新株予約権!?

悩む理由がわからねぇ~!!!マジで!!ポンジスキームもいいとこだろ!

仮に上場できたとして流通価額の低いゴミ株なんか持ってたってなんの役にも立たねぇし、最終的に株式合併して希釈されるのがオチだ。しかも持株会で買わされるのは目に見えてる。人材派遣会社株式価値が上がる要因ってなんなんだ、このAI時代に。

もちろん、Aを引き止めた。大手に行ったほうがいいともそのまま伝えた。が、彼は納得しなかった。彼の言い分は、「社長人格に惚れた」、「成長する見込みはある」、「自分を認めてくれた」、「頑張りたいと思ってる」など。

今は、頑張れるのかもしれないし、きっとできる。でも1年後は?3年後は?10年後30歳を超えたお前はなんの技能も持たずに転職して別の業界に身を投じたいと「現時点で」考えているのか(そういう趣旨のことを言っていた)?という言葉がでてしまった。言ってしまった。

ああ、言ってしまった。言っちゃだめなのに。本当のことは話しては、いけない。

Aはしばらく考え込み、我々は、楽しい話をし、酒をたくさん飲むことになった。

そのあと電車各自帰路につき、帰り道が同じAと筆者は散歩がてら話をした。桜の良い季節だった。

そして、AからAの意中の女子上野に行く計画を聞いた。西洋美術館かなにかに初デートで行くとのことだった。桜の季節の上野初デートコロナ解禁のタイミングだったため、混むのは目に見えている。だから、助言をした。

絶対混むから展示が終わったら速やかに上野を離れろ。飯を上野で食おうと思うな。歩かせたら文句が出る。散歩しながら店を見つけようとするな。地下鉄で移動しろバスっていうのも悪くないな」と。さっきも言った。これは、言ってはいけない。言っちゃいけなかったんだ。言い方が悪かったのか?それも、そうだ。とにかく、悪かった。

Aは怒ってしまった。曰く、筆者の「正しい価値観(原文ママ)」を押し付けてくれるな、ということだった。本当に、そうだろうか。

別に、筆者の助言を聞くのはAの義務ではないし、また、それをAが実行に移さなかったところで、筆者は何も思わない。聞き入れられなかったのか、と思うだけで、しかもそれは筆者の自由だ。Aの気にすることではない。さらに言えば、仮に筆者の予想が的中したとしても、それはそれで初デートかくあるべきというやつなのだうから、それも、味かもしれない。苦みかもしれないが。

Aは筆者に怒りながら言い訳を始め、筆者はそれに真っ向から対応してしまった。いかんせん、二人共酔っていた。Aはそれを認めなかったが(己の適量というやつを知らんのか?)。

そうして小一時間ほど深夜の野外で大声で話し合ったが、トイレに行きたくなった。当たり前だ。春の夜は、寒い

筆者が「俺、帰るから。もしまた同じことを聞きたくなったら電話してくれ。必ず同じ内容をもう一度言ってやる。何度でも、だ。今日はもう、寒くてトイレ限界だ。」と言ったら、Aは「これは喧嘩別れじゃないんだ!もういい年なんだし!」と漫画で見たような捨て台詞を吐いて帰っていった。

その後、彼からの連絡はない。こちからも、電話はしない。きっと、恥ずかしいだろうから。風の便りで、行方は知っている。

もう分かっていると思うが、筆者は伝えてしまうのだ。論理的に考えれば当然の帰結や、大人かくあるべき社会人かくあるべきという規範から導かれる「正しい価値観」に基づいてした思考を、伝えてしまうのだ。言い過ぎてしまうというよりも、簡潔に伝えてしまうのだ。言ってはいけないのに。

もちろん、言わずに流すこともできる。今っぽく「へぇ~ そうなんですね~なるほど~いや~わかんないです~笑」みたいに言うのも可能だ。ただ、それは可能だ。友人が痛い目に会おうとしているところに、なぜ、助言してはならないのか。痛みに慣れるのは、あまりよくない。余計なお世話だろうし、たしかに、余計なお世話だ。でも、友人である俺が言わなければ誰が言うんだ?親か?上司か?先輩か?それとも後輩?はたまた八奈見さんみたいなマニック・ピクシードリームガールか?八奈見さんだったら言ってくれる。ケアも、ある。でも、八奈見さんは、現実には、いない。そう、いない。

きっと誰も、言わない。なぜなら、波風が立つから

彼らからすれば、筆者は「不和を生み出す存在原文ママ)」らしい。これを居酒屋で言われたときは泣いちゃうかと思った。もう、22の大人なのに。酒が入ってなかったら泣いてたんじゃないかな。それくらいに、悲しい。嘘は、つかない。

多分、彼らからすれば人から何かを言われることそれ自体が、加害性を含むものなのだ。そして筆者は、その意図がないにも関わらず、きっと加害性に溢れている。それは怒られることとか褒められることとかは一切関係ない。自分世界とそうじゃない世界区別全然ついていない。自己免疫性疾患みたいなもので、感受性と言う名のレセプターが過剰に反応しすぎるんだろう。ガラス症みたいな若者現代は溢れている。そしてそうじゃない奴は、加害性を一見伴わないフェードアウトをされて(実際は加害そのものだ!)、彼らの社会から排除される。確かに、彼らからすれば筆者は脅威で、筆者からしても彼らは異常な世界に住んでいる。関わりはなくても良い。でも、同じ時代を生きているし、同じ時代を生きていた。

過去に見捨てられたのではなく、過去を見捨てたのだ!」という悪役のセリフがあったような気がするが、筆者は明らかに過去に見捨てられている。過去を捨てはしないが、過去が筆者を排除しており、またそうせざるを得ないのだろう。筆者は過去を懐かしむこともできず、自分の頭の中で改変されたナラティヴを都合のいいように楽しむ不誠実なことを実行する直前のところまで来ている気がする。防衛反応だったとしても、やっちゃだめなことはやってはいけない。でも、やるしかいかもしれない。やってはいけないんだけど、やるしかいかもしれない。許してくれなくてもいい。自分を許す権利自己しか存在しないし、また、そうあるべきだから。いや、そうでなくてはならない。俺は俺自身を許す。必ず、必ず

2025-02-17

anond:20250217131453

違うだろ。

お前はまず、嫌悪言葉と共にSNSで流れてきたCMを見て、「わたしも嫌いです~」と同調した

それから嫌悪理由を探して、「うーん、なんか目がうるうるしてる……」とかあら捜しした。

 

これがオシャレCM!という名目で、インスタの動画をみたら、お前の反応は全く違った

お前の感受性などその程度のものだ。

2025-02-11

もやもやぞわぞわしたエピソードを箇条書きにしたので私の感受性あぶりだしてほしい

主に他人の振舞いについて、もやもやぞわぞわしてしまう行動?が何種類かあるが、規則性があまり無い気がする

自分思考とか感じ方にどういう癖があるのかというのを言語化してみたいので、以下の箇条書きから推測してみて欲しい

メルカリの専用出品という慣習(値下げ要求とかは気にならない)

スーパーで半額になりそうなお惣菜をかごに入れてから店員の半額シール貼りが始まったあとに、店員にお惣菜提示してシールを貼ってもらう行為シールが貼られたお惣菜は好んで買っている)

新幹線とかで3列並びの席を2名予約するときに、「A」「C」を予約すると、他人がBを予約することはないかハッピー、というライフハック(トナラーは嫌い、映画館で一つ飛びに席を抑えるとかはする)

焼肉屋さんにお酒ボトルを持ち込んでお冷で割って勝手に飲む

2025-02-02

理系だけど日本古典文学を割と読んだから語る⑤

【前】anond:20250202181229

以下、池澤夏樹文学全集には出ていないが、重要な物や自分が読んだものについて書く。

蜻蛉日記

川村裕子訳注で読んだ。著者は藤原道綱母で、夫である藤原兼家に対して激しい執着が描かれている。当時の僕は報われない愛情を扱ったフィクションにどっぷりとハマっていたので、かなり共感的に読んだ。男性が通ってくるのを待たされる側だった女性立場が見えて、あちこちに通う相手がいる光源氏に対しては「お前、お前お前お前!」以外の感想しか出てこなくなる。というか、藤原兼家みたいに、手紙LINEはそこそこまめなくせに、会いに来ない言い訳もやたら細やかで、会ったときも会ったときで真面目な話をせずこちらをからかうばかりという男性結構いるよな。モテる奴ってこんなのばっかってイメージがある(偏見)。

こういう時に面白いのは別の人の感想で、田辺聖子は先に書いた百人一首の本で、道綱母は夫を愛しているくせに、何をされても怒るかわいげのない女なのだと言っている。確かにせっかく通って来たのに寒空の下待たせちゃうんだけれど、つれない人に対してはそれくらいしてやりたくならないか

田辺聖子と考えが違って面白かったのは、「儒教道徳は男女の色気のあるやり取りも批判して世の中をつまらなくする」って発言だ。「春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ」の解説で述べていたことだ。コンプライアスに厳しい時代の子である自分としては首をかしげるが、彼女にそういわせたのは、おそらく彼女青春と重なった第二次世界大戦空気だろう。

後半は道綱のなかなかうまくいかない恋路が出てくる。

余談だが、平安時代著名人は大抵何らかの親戚関係がある。だから因縁話は大抵どこかとつながっているし、それなら言い出せない思いが積もり積もって怨霊生霊の類が出てもおかしくない気持ちになってくる。

話を戻すと、どうしてモテたり権力を持った人ってどんどん嫌な奴になっていくのだろう。これは推測だが、人間が何か行動をしたとき、多少なりとも権力、少なくとも力を行使するのが理由だろう。力を行使して何かがうまく行くのは喜ばしいが、そのたびに堕落ポイントが蓄積される気がする。つまり政治家であれ社会活動家であれ、世の中を良くしたという実感が少しずつ慢心に繋がっていく。かつては理想燃えて清廉に悪を糾弾していた人が、どんどん人の話を聞かない・フィードバックを受け付けない傲慢な人になっていく。まっとうな批判を受けても、自分が正しいから叩かれるのだと思い込んでいく。そうやって晩節を汚していく。具体例がたくさん浮かぶと思う。

なので、自分が一番偉いわけじゃない、権力も何もなくて謙虚にならざるを得ないコミュニティ所属しないと、どんどんダメになっていくのではあるまいか趣味も含めたコミュニティがたくさんないとおかしくなる。

これは以前、どこかにいたこである

人の話を聞かないことをテーマにしているのがカズオ・イシグロで、読むたびに嫌な気持ちになる。これは褒め言葉である

和泉式部日記

元カレの弟(帥宮敦道親王からアプローチされて、「手枕の袖」というフレーズ和歌を交換してイチャイチャして、遂に宮廷に迎えられるんだけど、巻末に帥宮挽歌群を持ってくるこの構成よ。悲しい。近藤みゆき訳注

注釈者の解釈の精度と深さがすごいので、やっぱり自分文学研究することなど到底できまいと思わされた。どの節で和泉式部感情がどう深まったかなどといった、字面を追ってしか読めない自分にはとても気づかないポイントが多数ある。所詮自分は楽しむことが主である素人である生活の種には到底できまい。

まりにも気に入ったため、メモをした和歌が膨大である。いつか深い悲しみに沈んだときに読み返したら、喪失の痛みにグサグサに刺されながらも慰められるだろう。和歌集は読んでいて面白いのだろうが、短い解説文で背景が説明されているよりも、こういう物語の中に和歌が含まれているほうが、著者と長く付き合ってきた分だけ、心に来るものがある。古典は知を刺激する部分と情緒を刺激する部分があるが、これはかなり後者に寄っている。

やはり文学が好きだが、近頃はあまり読みたいとは思わないのである。久しぶりに三島由紀夫を手に取ってパラパラとめくっていたら、感情を揺さぶられて過ぎてしんどくなってきた。これは好きすぎで苦しいということなのかもわからない。好きすぎて近づけないとこじらせ文学オタクになってしまっているのか。三島由紀夫のことは、近頃は文章が人工的過ぎると思って遠ざけていたのだが、やっぱりこの人、マッチョな肉体の中の繊細な精神がいつもピリピリしているよ。好きだけれど、読み返したくない。でも、生きているうちに「豊饒の海」を読みたい。

ところで、僕はどうも女性の手による日記文学が好きらしい。ドナルド・キーン日本人日記好きを注目すべき事項だとしていたが、僕もその例に漏れない。日記を読み返すのは自己愛だが、いがらしみきおぼのぼの人生相談で「世界で一番面白い本は自分日記」という趣旨のことを言っている。実際、何が自分に刺さったかを振り返ると、将来傷ついたときにどこに戻ればいいのかが見えてくる。

思うのだが、本を読む男性文学少女に憧れるのにも、自己愛という側面がある。もちろん、同じ趣味を持っている人に親しみを持つのは当たり前だけれども、陽キャのような押しつけがましさがないと勝手に期待してしまうのだ。そういう風に、実際に相手がどんな人かを見ようともせずに、活字が好きだという相手属性ばかり見ている。挙句の果てにそんな相手と深い理解に達し、イチャイチャしまくることに憧れる。そういう人間の恋がうまくいかないのは、今になって振り返ってみれば、残念ながら当然であろう(それでもうまくいく恋愛があるという指摘は無視する。認めないぞ、そんなものは)。だから、本は読むけれど優しくないタイプ女性片想いをして、勝手に傷ついてきたことが何度もある。以下、自分片想い歴や、彼女たちからされた非常に失礼な仕打ちを延々と書いたが、阿呆らしいのですべて削除した。客観的に見れば、当時の僕も結構痛い奴だったんだろう。わかっているが、恨みの気持ちゼロにはならない。

やれやれ。こうしたひがみっぽい、すべて主語が「自分」になっている感覚をすべて卒業してしまいたい。こういうわかったような口のきき方も気に食わない。だからこうして、匿名しか書けないような感情をあえて言語化し、脳内から叩き出す。こんな青臭い感情を二度と思い出さなくてもいいように、放流してしまう。

INTERMISSION⑤

困ったことに、他人批判的なことを書いている時にはやたらと楽しかった。悪口依存性のある娯楽だとよくわかる。なので、この悪癖にハマらないよう、かなりの部分を削った。リクエストがあったら出すかもしれないが、原則としてお蔵入りにするつもりだ。そう、恨みつらみなんていくらでも反芻できる。やめよう、やめよう。

実際、これでもまだ意地悪な記述が多い文章だ。すっきりするけれど、かっこ悪いのでそうそう頻繁にやるべきことじゃない。

かに、見苦しい愚痴をこうして捨ててしまうのが増田の使い方の一つではあるのはわかる。すべて吐き出せば身軽になれる。だから、こうして好きなことと嫌いなことをないまぜにした混乱した文章を書いてしまった。ひがみも怒りもドロドロした感情も、一度文章にすれば冷静になって振り返れる。

なんてみっともない文章だろうと思うのだけれど、書いていてこれは私小説の真似事なのだとわかった。かつて書いていた小説は、過去を変形して書き直し、つらい出来事に直接向き合わないようにするための緩衝材にしていた。あるいは、こういう恋がしたいという、ただの感傷マゾだった。だが、ここで過去を直接吐き出してしまえば、自分感情と筆をコントロールできるようになり、新しく真っ当な小説が書けるのではないか。そんな夢想に浸りたくなる。

実際、今は過去出来事よりも、今は自分の中の荒々しい本能暴力衝動をどう扱うかに関心が移りつつある。あるいは、欲望や執着についてだ。読みたい本もこういうテーマの物に近づいている。混乱していた十代と二十代から、三十代を終えそうになって、好みが変化しているのが明白だ。今こそ、良いものが書けるときではないか

最終選考電話がかかってきたのに、そして編集者と話ができたのに、結局は小説家として芽が出なかった悔しさは、ときどき自分をこんな夢想の中に閉じ込める。だから、発作的にこういう長文を書きたくなる。

だが、若い頃は創作によって自分感情を整理できたのは確かだけれど、ある時点で、僕はこのまま創作を続けてもどこにもたどり着けないのではないかという疑いにさいなまれるようになった。それよりは、虚構で変形されない事実直視したほうがいい。事実日記に断片的に書くことでさえ、ひがみ根性を薄れさせてくれる。小説に限らず、何かを言語化して分析するって本当に救済なんだ。

今後読みたいもの

結構読んできたな」と思いながらも、まだまだ読んでいない作品もかなり多い。大学時代から少ない年でも年に一冊か二冊くらいのペースで古文を読んできたので、そのペースなら生きているうちにもうちょっと読めるだろう。直近で気になっているのは(「カンタベリー物語」のように海外文学は別として)、池澤夏樹リストにあったもの神話物語歴史書それから江戸時代物語だ。

まず、他のところでも述べた通り、「宇治拾遺物語」「発心集」「日本霊異記」がある。特に日本霊異記」はKADOKAWA現代語訳を出している。それから神話物語でいえば「風土記」がある。これも角川ソフィア文庫で出ているので読みたい。

歴史ものでは「大鏡」「栄華物語」がある。それから吾妻鏡」も気になっている。この並びから大河ドラマを想起するだろうが、あまり関係はない。とはいえ自分は「ニンジャスレイヤー」が流行っているときにもまず「ニューロマンサー」に手を伸ばすような人間なのである。ただし、めっちゃ長い。

あとは「東海道中膝栗毛」。パラパラとめくったら、原文でもギリギリ読めそうな、しかし読むのには時間がかかりそうな、近い時代であるが故の厄介な文体であった。そう、なんでもいいので月に十冊は必ず読むという漠然とした目標など放棄して、精読したほうが良い読書ライフが送れるのだが、手を出すかどうか迷ってしまう。というか、これも含めて、原文で読むか現代語訳で読むかは迷う。なるべく原文に当たりたいのだが、池澤夏樹日本文学全集現代語訳が訳者個性も含めて面白かったのと、意地を張って原文にこだわって、中身を浅くしか読めなかったら嫌なのとで、迷っているのである

好色一代男」「春色梅児誉美」もそのうち。寛大な気分のときになら、色男の生涯につきあってやっても良い。他の近松門左衛門とかも。

あとは、時間をかけて和歌を楽しむ。「万葉集」とか「新々百人一首」とか。

あとは、「御伽草子」とか。「青砥稿花紅彩画」とか。

まとめ

読書ログをたどりなおすと、自分がその時に何を感じていたのかを想起できる。読んだときの喜びも、読んだ当時感じていた閉塞感も、どちらも生々しく想起してしまった。だから卒業したはずの怨念に対して、こんなに愚痴ってしまっている。

同時に、自分感受性ゆっくり時間をかけて変化してきたのもよくわかった。一つの強迫観念に凝り固まっている時には、何を読んでも同じ感想を持ってしまうのだろうけれど、十年かけていろんな本を読んでいくと、自分に起きた変化が見えてくる。これから古典を読み続けるだろうし、さらに十年経ったらどんな感想を持つかが楽しみだ。

そして、自分にどんな変化が起きたか、いつかこれらの本を読み返して、確かめてみたい。

かに、かつて読んだときほど心惹かれなくなってしまうことも多いだろう。現にあらすじを振り返っただけで、「なんでそんなにハマったんだ?」と感じるものあった。これは寂しいことだが、既に興味を失った作品があるということは、自分が変化したこと意味する。むしろ、生きていくにつれて成長していくのなら、興味がなくなる物が出てくるのが当然だ。この寂しさは歓迎すべきものだ。実際に、ある作品に心惹かれていた理由が、既に卒業してしまった不安だとしたら、当の作品が色あせて見えてしまうのも無理はない。個人的な収穫は、叶わぬ恋の歌だけでなく、生きているが故の寂しさを歌った歌に好みが移り変わってきたとわかったことだ。

叶わない片想いをするだけが人生ではない。ただ生きていること、目の前の相手に耳を傾けて敬意を払うこと、それが文学以上に自分幸せにしてくれる。

そして、僕を大切にしてくれる人のことだけを考えて暮らしていきたいのである。これは創作よりも遥かに尊く、最も創造的なことだ。

以上。

2025-02-01

Xを破壊しないと日本崩壊する

Xのおすすめ機能って感受性の高い人が見たら鬱になったり精神を病んでしまうと思う

ワイはもうかなり長い鬱だから男女論争とか流れてきても男側のアホな言い訳に笑っちゃうんだが、そうじゃない人は見ててつらいだろう。

じゃあX見なきゃいいじゃんって話なんだが、あまりにも流れてくる内容がしょうもなすぎる。

国籍差別タレコミ垢、男女論争、ヘイトスピーチ

なぜよりによって強い言葉が並ぶものばかりなのか?

今の弱った日本人がこれからX漬けになってどうなってしまうのかが心配

イーロンマスクトランプがアホボケなことしかしかなことはない

2025-01-30

anond:20250130131910

少女漫画情熱を傾ける少女漫画家が実在しているとしたら私は嬉しいぜ

からトラバさせてもらうけど前回の増田にも書いたように全年齢を意識しつつ中高生に向けたことを意識した力のある雑誌必要だと思う

雑誌の色が分かれて数種類あるとさらに良くて

オタク趣味をすでに持っているような女子向けのものゲームアニメインターネットなどサブカルに詳しい女子がメイン

普通漫画を読んだことないような女子が手に取れるようなもの、おしゃれなど流行を取り入れる世界観

・あと一枠、小難しい傾向のインテリっぽいものとかファンタジーか、リアル志向もあり

元増田少女漫画誌の傾向を批判していたのですでにある雑誌中高生女子ウケるとは何かについて再度情熱を持って議論されるのが一番望ましいかと思う

てか改めて考えると女子少年漫画を読んでBLをやってるわけで、ほんと〜〜に恋愛が好きなんだよね

でも恋愛をやってるだけじゃエンタメとしては物足りなくて食傷気味で、少年漫画の逆を考えれば等身大女子像ではなく理想女子をたくさん出すのがいいのかな〜と考えたり

面白い少女漫画、たくさん読みたいよ〜〜〜〜

10代の感受性を楽しめるやつ〜〜〜〜〜〜

2025-01-29

淫夢ネタ面白さがわからない」というコメントが気になる

なぜわからないのか、いろんな種類がある気がする

道徳的によくないネタなのでそもそも理解を拒絶している(拒絶派)」

内輪ネタの背景を知らないので面白さがわからない(無知派)」

ネタ構造理解するが、道徳的によくないネタなので面白さがわからないという事にしている(ポジショントーク派)」

あたりが考えられるか

不道徳ネタを楽しむ感受性が無い(感受性欠如派)」……は拒絶派と似たようなもの

自分は何が気にかかっているんだろうな

自分が知らない内輪ネタ面白さがわからないのは当たり前だろ」という思いからくるのか

あるいはポジショントーク的な気配を感じたのか

からないじゃなくてわかろうとしないんじゃないのか、という反感を覚えたのか

無知を誇るな、のような……

うーん、なにか論理瑕疵がある気がする 上手く言語化できないな

シンプル自分ニコニコ文化に親しんでいて淫夢ネタ面白さを理解しているか面白さがわからないというコメントを見て反感を覚えただけかもしれないな

人権侵害コンテンツなので道徳的によくないネタである、それはそれとして面白さを含むネタであることを理解しているというスタンスはありうる

わたしはそれを面白いと思わない」と「面白いと思っている人がそれを面白がる理由がわからない」の両方を「面白さがわからない」と表現されて混ざっている?

あいいや

総菜買って帰ろう

今日トンカツですよ

2025-01-24

AIブクマカの件で思ったけど、AIがどれほどになってもAIに読まれて有難とうとは思わんなあ

知性が上がって、感受性が上がって、説得力の有る評論が出来るようになって、どれほど人間に近い、あるいは人間より優れた読者になれたとしても、AIに読まれた先に読まれた満足、届いた満足はないもんなあ。

まり書くこと(アウトプット)にしか能のないAIブックマーカーは、読んで(インプット)感じて書く(アウトプット人間ブックマーカーの半分だ。

いや、学習インプットはされるだろうけど。

良かったな、人間ブックマーカー

2025-01-16

anond:20250116101642

構成力の欠如、感受性の過剰、瑣末主義無意味な具体性、低次の現実主義、 これらはみな女性的欠陥であり、芸術において女性様式問題なく「悪い」様式である

三島由紀夫「女ぎらひの弁」

2025-01-14

看護師の妻と結婚して11年目

・少し前に「看護師結婚して10年目」というタイトル匿名ダイアリー(すぐに削除されたので内容は読めなかった…残念)があり、タイトルに親近感を覚えたので、触発されて書いてみようと思った。

・これを書いてるのはとある地方都市部の端っこに住むアラフォーおっさん公務員(閑職)

看護師の妻と小学生の子もの4人家族

・今の生活に満足

・みんな幸せに暮らせるといいな


昨日(もう一昨日か)、地元成人式があった。地方だと成人の日(月曜日)ではなく日曜日成人式を行うところもあるのだ。東京とかから帰省し、旧交を温めてまた戻っていく若者達への配慮だろう。

自分の住んでいる地域は、都市部だが辺境ということもあってか、まだ小学校単位成人式を行えるような人口規模を保てていて、こぢんまりとしているが、その分アットホームな感じの成人式だ。


少し前に運命のいたずらで地元自治会メンバーになってしまい、今年の成人式にも参列することになったが、やっぱり40代から見る二十歳の若者というのは本当にまぶしい。エネルギーに満ち溢れている。

小学校卒業して8年しか経っていないはずなのに、こんなに大きくなるもんなんだな…自分の子もも、あと10年もすればこうなるのだろうか。今から晴着姿が楽しみだ。


さて、結婚して10年が過ぎて、11年目に入った。

妻とはマッチングアプリ出会ったが、当時はまだマッチングアプリ出会って結婚、というのがそれほど普及していなかった。職場でも「どこで知り合ったの?」と聞かれるとマッチングアプリで…とは言いづらかったので、合コンで知り合ったということにしていた。


看護師といっても診療科や勤務先(病院・クリニック・訪看etc.)によって勤務形態も大きく異なる。当たり前だけれども。詳細は伏せるが、妻は深夜勤はないが夜勤が週に1~2回のナースだ。

妻が夜勤の日以外は、家族全員で夕食を食べているのだが、それが一日で一番楽しい時間だ。家族みんなで、その日の出来事を、あーだこーだいいながら晩御飯を食べるのだ。

今日学校給食がおいしくておかわりした」だとか「いつもはぶっきらぼうなあの患者今日はなんか機嫌がよさそうだった」だとか、本当にとりとめもない話ばかりだ。


私は数年前に仕事精神的に追い込まれて心身に異常をきたした。

だが早期にそれを察知した妻が、すぐに受診できる心療内科を探し、予約してくれたおかげで、比較短期間で復職することができた。

そのことがなかったとしても、妻のことが大好きで心から愛していることには変わりないと思うが、その経験があったからこそ、家族の何気ない時間のかけがえのなさに気付くことができたとしみじみ思う。


ちなみに婚活マッチングアプリについて言うなら、私はアプリ登録してかなり早期に今の妻と出会ったので、いわゆる婚活の大変さをほぼ経験しなかったのであまり参考にならないかもしれないが、

あえて言うとすれば「この人とは、肩ひじ張らず自然体の自分でいられるなあ」と3回目くらいのデート確信したので、あとはそのまま機会を捉えて告白婚約結婚という感じだった。

現在婚活をしている人たちはいろいろな要素で悩む部分はあると思うが、そういう直感大事かなと思う。


仕事では、完全に出世ルートを外れてしまって幾星霜だが、「この組織に貢献したい」という思いは変わらず持ち続けているので、この先どんなところに飛ばされたとしても、それなりにやりがいを見つけてやっていけるんじゃないかな、と思っている。

給料世間一般で見ればよい水準だし、もう十分なのかなと思う。

かつては大好きで独身の頃に休日は一日中やっていたゲームも、もういいか…という気分になってきた。というか土曜日子ども習い事への送り迎えがあるし、日曜日は何かしら地域活動が入っていたりで、趣味に打ち込める時間は正直ない。でも別にそれでいい。加齢とともに感受性は落ちてくるものなのだコンテンツまっさら気持ちで楽しめないとでも言おうか。


そんな私が今思うのは、自分の子ども世代大人になったときに、幸せを感じられる世の中であってほしい、ということだ。

少子化に歯止めがかからず、日本全体がシュリンクしていくのは確定している。

残念だが、子どもを産み・育てていくことが、コストとしてばかり捉えられてしまっている。まあ経済合理性から判断すれば至極当然だが、とても残念だ。


それでも。

少しでも多くの人が、希望を持って、幸せを感じて生きていける世の中、世界になってほしい。

匿名ダイアリーに集う皆様も幸せを感じられますように。

2025-01-08

anond:20250106185737

>多くの友人たちが、私の決断を惜しんでくれたが、同時に応援もしてくれた。

適当テンプレメッセージなのにここまで深く読み取って感じ入れる感受性人生楽しそう

2025-01-05

死んだ糸柳の話

失踪した糸柳から遺書が届いて、それからしばらくして警察から連絡が来たらしい。死ぬ前の彼とは疎遠になっていたのでその時期のことは伝聞でしか知らなかったが、色々と(そして過去の彼の行動とはまた違った形で)顰蹙を買っていたとよく聞いていた。

死ぬ何年か前の彼は誰から見てもおかしくなっていると言えるような状態で、仕事も上手くいってなかったと話していた。ドワンゴ時代成功体験と山の話とRubyコミッターの話をしていたが、何回も何回も同じ話をしていた。彼のコミュニケーション方法は彼の得意な話題に変更し、そして彼の長いターンが始まり、その後こちらが一言入れるというものだが、それにしてもこちらの話を聞いているというポーズすら晩年は取らなくなっていた。彼のそのスタイル通用するのは彼を知っている人間に対してであり、何も知らない若者からすると典型的老害のように写っただろう。実際にそう言われている場面を何度か見たことがある。

とにかく生きているだけで迷惑人間なのだが、能力愛嬌だけで許されている彼が、能力愛嬌を失った場合には、ただの迷惑人間として排除される。社会の除け者みたいな人間が集まるところでも、彼は迷惑がられていた。

多くのことに手を出して、何もかもが中途半端になっていた。生まれつき気が散って仕方なかった彼は過集中という名目で手を動かすことに成功していたが、それも加齢と共に難しくなっているように見えた。教育からコミュニティからも疎外されている彼が、真っ当にエンジニアリング知識を手に入れる方法は手を動かしたり本を読むことだけだったが、そこが損なわれると急速に判断の精度は低下する。ここ10年はシステムに対する考え方が大きく変わった時代であり、彼の語るドワンゴ時代マネジメント論は石器時代のものしかなかった。古い知識は大体2年ほどで錆付き、5年ぐらいで正真正銘時代遅れになる。彼はどれぐらい前線から離れていたのだろうか?

彼の昔の同僚がIT企業マネジメントレイヤーにいる(もしくはCXOをやっている)という話をしていた。彼は肩書社会地位について気にする性質があり、他人のことを紹介するときプロフィールのように読み上げる傾向があった。まだIT業界が未成熟で、リーガルコンプライアンスが緩く、ナードギークしかいない時代とは現代は全く違うし、彼のような人間の居場所はどうしたってないだろうと思うが、仮にその内輪に入れたとしたらここまで道を大きく踏み外さなかったのかなと思うことはある。とはいえこれは仮定の話であり、彼がドワンゴから離れた当時にしきりにしていたコンプライアンス問題がある人間との関わりの話はどう考えても排除される側の烙印を押されるには十分だったし、仮にそういう話をしてなくても彼の軽率さは現代業界とは水が合わなかっただろう。

彼のコミュニケーションスタイルは嘘と誇張であった。知っている人間いかに凄いか、そしてその人間がどのようなことをしたか(時として常軌を逸したか)という話をして、物事を大きく見せる。言語によるコミュニケーションアジテーションに分類される技能)が得意だと分類していいかはわからないが、とにかく彼は時流に乗り、その能力を上手く活用して一定プレゼンスを得た。象徴虚像操作し、そして実際の能力で辻褄を合わせる。実際にこの行為を繰り返せば影響力も大きくなるし、影響力が大きくなればレバレッジも大きく掛けられる。例の事件ドワンゴから離れ、SNSからも離れた彼はデレバレッジを上手く出来てないように見えた。信用というものは単に積み重ねればいいし、有言実行さえすれば増えていく。その地道な作業を怠って大きなことを言い、そして辻褄を合わせられずに残りの信用を失うところを見てきた。とはいえそれは彼の特性として受け入れられていたように見えるし、持ち前の愛嬌によってある時期までは許されていたように見える。

愛嬌とは消耗品である普通に使っている分には減らないが、地雷を踏んだ瞬間にそれは消失する。彼はそれが無くなることは無いと思っていたのかもしれないが、残念ながら完全にそれは間違いだった。ある女(女と呼ばない人もいるらしい)の揉め事で彼はその能力を使い、そして大きく失敗した。愚かな自己愛による行動により、彼の特性は愛すべきものから軽蔑されるもののようになったのを感じた。少なくとも自分はそうだった。他人やよくわからないもののためではなく自分小手先欲望のために使うのだったら、そんなデタラメは到底許容されるはずはない。とりあえず信じた粗の多い話を受け入れられなくなると、彼のあまり見たくない実像けが見えるようになった。

ある時期のことだが、彼は女に別れを言って山に行き、そして数カ月後に帰ってきた。冬山の山荘はよく人が死ぬらしいし、彼も死ぬつもりで行くと言っていた。長く白い髪と白い肌をしてた。彼は痩せて別人のようになっていて、それから山に真剣に取り組み始めた。帰ってきた彼が全ての話題を山でマウンティングするようになったのは、遠野物語的な神秘なのかもしれない。彼の人生の起点になったイベントだっただろうが、俺からすると状況は更にまた不味くなったように見えた。ここで知ってほしいのは様々な要因があって彼の感覚は壊れたという部分で、単一の何かが原因じゃないという話だ。

加齢による実行機能の低下、時代の変化、所属するコミュニティの変化、不味い選択肢を選び続ける不運、山にハマったこと。様々な要因はあるが、彼が目の前の人間がどこかのタイミングで見えなくなってしまい、自分利益のためだけに周囲を消費するようになったのは確かであるし、周囲は順当に彼を爪弾き者といて扱った。一度得られた尊厳を人は保とうとする。時代と彼の特性マッチしたときに得られた尊厳を彼はなんとか取り返そうとしたが、自分の話に突然割り込まれ、山やドワンゴの方が凄いという話を黙って聞く目の前の若者がそのような感情を彼に見せるだろうと期待するのはあまり合理的判断とは言えないだろう。

とにかく何が言いたいかというと、長い時間をかけて糸柳という男の幻想形成と完全な解体が起こり、そして最後自殺という選択を取るに至ったのかを振り帰ったときに、明確にこれは不味いだろうなというポイントがあったので、彼の死からいくつかを学んでおくと良いだろう。

1. 生まれ持った能力自分だけのために使わない

2. 他人の話をちゃんと聞く

3. 山には行かない

追記

彼の事を知っている人間が読むことを念頭に置いたため、ここに書かれている内容そのものだけでは糸柳がただの駄目な虚言癖のように読み取れてしまう恐れがあるなと思い、彼の能力に関して追記をすることにした。

彼は特別能力を持っていた。それは対面で他人に対して短期的な印象を自在形成する能力であり、彼の荒唐無稽な話に一定説得力と信頼を与える力であった。最近でいうとDJ社長が似たような能力を持っているように感じる。話を聞かせる、何かあるように思わせる、感情を呼びよこすような力、つまりペテン師の才能を持っていた。彼の周りの人間は彼の話を聞いたし、彼の話を聞いた人間は彼の言葉に何らかの似たような感情を抱いていた。と俺は昔の人から聞いていたし、実態対面をしてみると彼その能力のようなものは感じたことがある。DJ社長も彼も同様に全部壊してしまったが、所詮短期的なイカサマ能力しかない。そして一度きりの魔法なのだが、当人けがまだ使えると信じ込んでいる。

https://niryuu.hatenablog.com/entry/2025/01/05/214709

この能力の根幹になるのは感受性と繊細な情報コントロールである。その能力を如何に上手く披露したところで、その根幹部分が崩れていれば種の割れ手品しかなく、醒めた目で見え見えのブラフを眺めることになる。ある瞬間にそれが崩れてしまったというのはこの記事の内容なのだが、確かに彼はあるタイミングでそれが崩れてしまい、その後はいちばん重要な要素について気にしなくなったように見えた。誰に何を話すか、誰がどのようなことを知っているのか、そして眼の前の相手がどのようなことを感じているか。そういったもの全体像を知覚する精巧技術が彼の生まれつきの才能であり、そしていつかのタイミングで完全に失われたのだろうと思う。ある人間は彼の脳が壊れたと言っていたが、自分も似たような印象である。ある瞬間から彼は様々なことが急に出来なくなり、何かがおかしくなった。そう思っているのは俺一人ではない。

彼は病気の女と同じだ。病気の女はコミュニティに入り、虚飾で地位を得て、そして捲れていなくなる。大体はどこかで落ち着くのだが、落ち着いていた場所を吹き飛ばしたのは彼自身だった。最後には居場所がない連中の吹き溜まりのような場所にたどり着き、そこでは自暴自棄のようにもう通じない魔法を眼の前の相手に何度も何度も繰り返していた。吹き溜まりはある種の実力主義で、他人簡単に軽んじる。彼はもう尊重対象ではなかったのだろう。壊れた年長者の相手は誰だって嫌だからな。

 追記2

ついでだから彼に与えられた呪いのような言葉について書いておくと、彼は表層的な話とひとまとまりエピソードの会話以外に珍しく普通に話をするときがあった。その中で彼は自分エンジニアとしての知名度が実力で得たものではないこと、そしてその象徴であるのが@kazuhoさんからの悪目立ちに対する「IT芸人発言での揶揄だったと何度も言っていた。彼はリアル志向であったし(これはリアル志向であるというより、自分リアル志向であるという宣言を繰り返すこと)、実際山もエンジニアリングリアル志向であろうとして、その結果の自己破壊説明するまでもない。彼はリアル志向の話と「IT芸人」という揶揄を絡めて様々な形から繰り返し発言していた。彼の自己認識に対して何らかの(説明やすい一つの象徴としてだろうが)影響はあったのだろうと思う。AI驚き屋の話もそうだが、軽薄な人間への当てこすりは楽しいかもしれないが、何らかの形で他人人生に良くない影響を与えることもあるのでほどほどにした方が良い。

2025-01-04

 

自分お金で手に入れられないものに興味ない

全部惰性 ごはんとかもそうだけど

人間は強くないんだ 君が強くないって言ってるんじゃない

やめて社会からの目というのもあるしある意味だれも認めない

今よりも孤独になり うつ病になる

苦しくなる あんたがやめるならおれもやめる

どんぱちしてる 軟禁状態にされた ジョナサン

途方もない

やっぱそっちが正解やったな

病んでる人はアンケートをやる 新でいいのか 興味ない

みんなの感受性死んだのかな

みんなは自分生活してて俺に興味ない

ヘビ貿易

こんな生活抜け出したいよ

這い上がるのが目標 一歩ずつ

俺が増田に書きまくった無数の暴言

集めて何かしらメロディ付けたらラップボカロ曲としてワンチャンうけるかな

感受性の高い中高生逆張りしたがりの冷笑オタクが持て囃してくれれば俺も人気作曲者

2025-01-03

anond:20250103225758

あいつは感受性が押しの人間から知性はそんなもんでも納得

感受性文章主体なのが結構珍しいんだよね

anond:20250103202143

感受性が育てられなかった男は話すのも苦痛やろなぁ

2025-01-02

追補編②

【前】anond:20250102224828

それでも時折、怒りを覚える。

なんでこの作品が受賞するんだよとか、百万部売れた有名な芥川賞作品特定障害モチーフにしているようだが、作者は当事者じゃないっぽいし、こいつは「文化の盗用」ってやつじゃないのかとか、演技の下手な俳優障害者を演じるとミンストレルショーみたいで馬鹿にしているようにしか見えないか個人的には当事者に演じてほしいが、キャンセルするのは表現規制につながるし他人自由は奪いたくない、だがクリエイター良識に任せるのも信頼できないとか、そういえば文学賞を取ったあの作品障害ネタを使われちまったなとか、女性視点男性視点とかそういうのには飽きたとか、まあいろいろと矛盾した感情を抱え込んでいて我ながら面倒くさい(関係ないけれど、イーロン・マスクは優れた才能を持っているのに好きになれないのは、きちんとした診断を受けていないのに自閉症だと公言しているからだ。彼の欠点自閉症の持ち主全員に共通しているって思われたらどーすんだ)。とはいえ他人非難がましいことを言うのはあまり美しくはない(性癖について語っておいて今更美しいも何もあったもんではないが!)。

創作意欲がほぼ消えて以来、落ち着いた暮らしをしているのだが、それでもなお、時折作家になりたいと空想している(「何かを書きたい」ではないことに注意! カズオ・イシグロは、おのずと書いてしまう人が結果的作家になってしまうという趣旨のことを書いている。まったくその通りだ。自分心が折れる前は何もせずとも一日原稿用紙五枚書いていた。今となっては何も行動せずに空想しているに過ぎない)。

そして、書くことが思いつかず、こんな感想を書き散らしている。僕は中島敦山月記」のように半ば虎になっている(他人小説批判ばかりしているくせに、今でも有隣堂紀伊国屋書店自分の書いた小説平積みになっていることを空想することがある!)。

これだけ時間愛情をかけても評価されなかったことで、文学のものを嫌いになってしまいそうなほどだった。それに、文学という梯子でたどり着いた境地の先に行くには、一度梯子を捨てて距離を置かなければいけないのではないか

自分正気を保つためには創作や乱読が必要だったが、依存先を変えるときが来ているのではあるまいか? 感情本能を爆発させる場所が変わったのか?(おそらく毎日日記原稿用紙五枚分書いているのも、正気を保つ手段の一つな気がする)

それとも、これらすべてはただの思い出話、酔っぱらったおっさん過去の栄光いつまでも忘れられずに管を巻いているだけか。昔は甲子園に行ったけれども今は野球とは離れた人生を送っている、しかし酒を飲むといつまでもその話をやめないみたいな。とある文学賞の最終選考複数回残ったという実績はあっても、たとえば最後の十人に選ばれたということでしかなく、受賞のためにはそこからさらに十分の一で選ばれねばならないのだ。

小説に関する愛憎をここまで書いてしまっては、自分が将来創作するのに役立てるであろう豊かな土壌を売り飛ばししまうことになり、小説という野菜が作れなくなるのではないかって気がしないでもないのだが(この比喩については私生活をそのままネタにすることへの批判を扱った沙村広明シスタージェネレーター」所収「制服は脱げない」参照)、自分が愛しているジャンル小説くらいで、それ以外のものがないとデビューも難しかろう。小説家は、物語を書かずにはいられない人間が、おのずとなってしまものだが、小説について書く小説家の想いに共感できる読者は、まれ存在だ。小説以外に熱く語れるもの作家には必要だ。スポーツ恋愛仕事サイエンス、なんでもいい。

じゃあ自分障害について書いたっていいわけだが、そうやって毎日己の姿を見つめ続けて幸福になるかは疑わしい。モテない苦しみをはじめ、疎外感をネタにして創作をしていたころ、果たして幸福だっただろうか? 自分負の感情言語化し、現実的対処するのには役立ったが、小説にするよりも、素直に現実直視し、言語化していくほうが手間もかからない。それに、自分気持ちを綴っただけでは文学にならない。自分感情の垂れ流しの更に先に行かねばなるまい。

これだけ書き綴ってもなお、自分が抱えている欠落は何だろう。久しぶりにこれだけの長文を書きなぐって、何かが成仏してしまったような気もするが、一時的緩解に過ぎないってこともありうる。ああ、ダメ人間ダメなまま存在することが許される話が読みたい。愚かさを包み込んでほしい。

これだけ「もう小説なんて読めない」とぼやき、「他人人生について読んで何になるのだ!」と叫びながら、またいつか発作的に文学を読みたくなるに違いない。よくよく考えれば半年前に新人作家のを含めて小説ちょっとは読んでいたので、読める周期と読めない周期があるってだけかもわからない。

ここまで書いてきて思うのは、くやしいことにまだ文学に対する愛が残っているってことだ。憎んでいる対象に対して、ここまで語れるだろうか? 二十代や三十代のように文学にハマることはできないかもしれないが、またいずれ読めるようになるかもしれない。こうして、何が好きで何が嫌いか言語化されたのはまちがいなく小説のおかげだし、自分感受性を形作っているのは間違いなく乱読の結果だ。時々忘れてしまうけれども、これだけ語れるものがあるってことは間違いなく財産だってことはわかっている(映画はさほど見ていないことが若干のコンプレックスではあるものの!)。そしてそれゆえに出会ったサークルの友人もいるのは、間違いなく恵まれている。正規文学教育を受けず、正当な読解の仕方がわかっていないが、友人を得られただけでも幸福だ。それがわかってきて、だんだんひがみも十年以上かけて薄れていった。

それに、まだ読んでいない「ハツネズミ人間」をはじめとした名作だってある。ディケンズさえろくに読んでいない。フォークナーほとんど読んじゃいない。これ以上体力が落ちる前に熱量のある物語に齧りついてやるべきだろうか。いや、再読すればいい。「百年の孤独」をはじめとして、楽しかったけれど細部を忘れてしまった作品が多い。これ以上新しい物語を読まなくても、再読の楽しみがある。

あるいは友人からオススメを読んだっていい。フォークナーを勧めてくれた友人が教えてくれた阿部昭「大いなる日、司令の休暇」マジでよかった。おかげで手が出ていなかった野坂昭如火垂るの墓」が読めた。

(一方、ろくに本を読まずに芥川賞を取ったとうそぶいている作家もいるっちゃいるのだが、名前を忘れてしまった。こういう人を思い出すとプリプリしてしまうので忘れよう。芥川賞は通過点に過ぎない。受賞してから継続して書けるかどうかが問題である。その点では、数年後にまだ書いている芥川賞作家のを読んでいけばいい気もする)

SFだってやっぱり好きだ。QUEEN「’39」を聞くと感傷的になるもの理系研究者になれなかった僕が、日本人理系青少年が夢をかなえるSF小説を読むのが、時々ひどく辛くなることはあるけれどね。

そして、嫌な面ばかり見て愚痴をこぼしながら暮らしていると、目の前の幸福を見過ごしてしまうことだろう。嫌なことはすべて過去のこととしてしまえばいい。忘れたほうがいい。そう、重い感情はすべてここに置いて行ってしまおう。すべてのひがみにさよならだ。楽しければそれでいい。ここに、十代から引きずってきた感傷マゾを捨て去ることを決意する。三十代、四十代の鑑賞態度を身につけよう。

今望むのは、他の増田にも池澤夏樹世界文学全集感想を書いてもらうってことだ。全部じゃなくていい。好きな作品を一つだけでいい。いや、なんでもいいので愛する作品感想文を読みたい。文学に対して持っている愛を、そして含まれていれば憎しみも、読みたいのである世間がどう叩こうとも、時代が移り変わろうとも、自分の愛する作品は常に最高である過去作家は生まれ時代の偏った思想社会という制約の中で最高の作品を著し、現代作家はそれを批判的にしかし愛を込めて継承し、それ以上の高みを目指して己の作品を書く。たとえ古典には弁護できない箇所があったとしても、己のすべてを賭けて高みを表現しようとした黄金精神は必ずや受け継がれる。作者を非難するのは下策、愛を込めた批判を含んだ評論を書くのは中策、それを超える次世代作品を書き上げるのが上策である。加点法で評価しろ好きな物自分を語れ。言いたいのはそれだけだ。

理系池澤夏樹世界文学全集をほぼ全部読んだから五段階評価する②

【前】anond:20250102171528

1-07「ハワーズ・エンド」E・M・フォースター 吉田健一訳★★★★

人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたししまいには、どこかの場所わたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする。

続く三冊は二〇二一年頃の別のエントリで一度褒めている(anond:20210301080105 とか)。

この本は場所への執着や記憶をもとに二つの家族の話を物語っている。一時期なぜか「インドへの道」や「眺めのいい部屋」、それから天使も踏むを恐れるところ」を立て続けに読んだのだが、今になって振り返ると、なぜそんなに良いと感じたのかが、記憶からすっかり抜け落ちている。土地や家に対する執着やそれにまつわる因縁がどぎつくはないがちゃん表現されていたからかもしれない。漱石っぽいと日記に書いていたのだが、では漱石っぽさとは何なのかがよくわかっておらず、逆に漱石英文学っぽいのかもしれない(関係ないけど、夏目漱石を久し振りに読もうと思ってパラパラとめくっていたら、当時の知識人のひけらかしが今の大学生っぽくてなんだか恥ずかしくなってきた。あと、漱石長編って貨幣経済というか金の話ばっかりだけど、その萌芽って「坊ちゃん」で山嵐と金を受け取るか受け取らないかで意地の張り合いをしているところにある気がする)。

このエントリにしたって、自分過去の好みや性癖について書いてはいものの、ではなぜそんなに当時は好きだったのかが、いま一つ理解できなくなっていて、過去日記を読み返しても想起できないことが多々ある。もっときちんと日記感想文を記しておけばよかったかしかし、ある時期はまるで依存するかのように活字に触れていた。落ち着いて感想を書きとめる間もなく、浴びるように濫読していた。現実から目を背けるかのように書物に埋没していた。フィクションだったら何でもよかったのだろうか。そう思うと少し悲しいが、その濫読が今の感受性を作っているのかもしれない。

1-08「アフリカの日々/やし酒飲み」イサク・ディネセン 横山貞子訳/エイモス・チュツオーラ 土屋哲訳★★★★★/★★★★

イサク・ディネセン「アフリカの日々」は最高だった。とかく植民地としてのアフリカ収奪貧困という文脈から語られやすく、確かにそうなのだけれど、でも場所によってはコンゴ自由国ほど滅茶苦茶ではなかったし、では具体的にはどんな感じだったのかをこの本は見せてくれる。中にはこの著者のように、当時の人種的偏見という制約はあるにせよ、相手文化を知ろう、誠実であろうとしている人もいたのだろう。「ライ麦畑」でホールデン少年が褒めていたのもうなずける。

からと言って歴史正当化できるわけではないのだが、感情だけで歴史議論をしてはいけないし、知識がないのに印象だけで語るのはきっと同じくらい罪深い。当時生きてきた人たちの存在無視するわけだからね。黒人白人って軸も実はけっこう解像度が荒く、事物単純化を含んでおり、特定の側面はアメリカ合衆国特有だ。この著者はデンマーク人で直接の宗主国人間ではないし、アフリカにはインド系など様々な人々が暮らしている。

エイモス・チュツオーラ「やし酒飲み」は神話なのでツッコミ不要だしツッコミ不在だ。

世界神話を読んでいると、なぜか人類創造前なのにその辺におじいさんとおばあさんが住むんでいたりするし、天地開闢以前なのに山や川があるし、神様人間の違いがいい加減だったり、普通に変身能力があったりするし、この小説にも日本神話にもそうした側面がある。とはいえ神話ゴリゴリしたロジックを求めてもしょうがないのであり、「こうして今ある通りの世界社会が成り立っているのです」と語ることに意味があるのだろう。なお、アフリカ文学と聞くと個人的アチェベが最初に出てくるんだが、それとは別に祖父本棚から貰って来たアレックスヘイリールーツ」はまだ積んである

1-09「アブサロム、アブサロム!ウィリアム・フォークナー 篠田一士訳★★★★★

これは別の友人が薦めてくれた本。彼は「おっさんになると文学が読めなくなり、生物学歴史の本ばかり読むようになる」と言っていたが、本当にそう思う。和訳で二十巻くらいある「ファーブル昆虫記」とか数年前に読んだし。なお、熱量ヤバいのでこれ以外のフォークナーの本は読めていない。

語り手が複数おり、時系列バラバラなので(クンデラも星を五つ付けてた。自覚してなかったけど、僕ってこういう時系列シャッフルが好きなのかね?)、一見とっつきにくいのだが、情報を整理しながら読んでいくうちに、これはサトペンという男の一代記であるとわかる。肉体を鍛えてひたすらタフになり、若いころの屈辱に対して復讐するかのように、妄念によって偉大なる一族の祖になろうとした男だ。ひがみ、妬み、怒り、そうした感情を持った物語に僕はついつい引き込まれしまう。最初の妻に黒人の血が混じっていたと言って離縁し、別の妻と結婚した結果、それぞれの家系に不幸な子孫が生まれ続けていき、とうとう滅んでしまうのだが、それはサトペン貧困ゆえに受けた一つの屈辱からまれたのだと思うと、まったく救いがない。しかし、この熱量に負けて読んでしまった。

ただタフになりたいと言っている人間は、どこかで涙を流さないとマシーンになってしまう。村上春樹海辺のカフカ」を読むとわかる。

ところで、フォークナー日本を訪れて「私も敗戦国人間です」と言ったそうだ。胸を張って祖国を自慢するのにためらうような、この南部アイデンティティのことを、BLM運動燃え盛っている時に、思い出していた。

世代にわたる大河小説と言えば、最近学生時代から積んでいた北杜夫「楡家の人びと」を読み終えた。今になって読むと、これは経済的には恵まれているが機能不全を起こした家庭が崩壊していく話で、北杜夫尊敬していたトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人びと」とはまた別の嫌な没落ものだった。どちらも、最後世代の一番情けのない甘えん坊で覇気のないやつに自分を重ねて読んだのである

全くの余談ではあるが、どうも自分は影響を受けやすいらしく、明治から昭和舞台にした小説を読むと、いつの間にか米国憎しみたいな気持ちがうっすらと育っていくので、無意識に影響を与える点ではSNSの悪意を持ったアルゴリズムは同じくらい怖い。

1-10アデンアラビア/名誉戦場ポール・ニザン 小野正嗣訳/ジャン・ルオー 北代美和子訳★★/★★

実はどちらも内容をほとんど覚えていない。

とはいえポール・ニザンアデンアラビアのように若い人間が、抽象的な何かを抱えて異国をさまよう話というのはそれだけでいいものだ。そこからしか得られない心の栄養がある。自分が何者になるかがまだわからない頃にしか書けない/読めないものがある。池澤夏樹のこの全集にもそういう話がいくつか納められている。

ジャン・ルオー名誉戦場過去大戦の傷跡がうっすらと書き込まれているらしいのだが、当時の僕にはまだ読み取れなかった。おじいちゃんヌーディストビーチのぞき散歩しに行ったエピソードしか覚えていない。

手に取った小説がとても長かったり、プロットが入り組んでいたり、暗喩がわかりづらかったりと、読むのに訓練がいるものだったりして、結局理解しきれないことがあるけれども、そうした文学を読む力(あらすじや登場人物やその関係性を記憶する力)を養うには、結局そういう本を気合で読み進めなければいけなんじゃないか文学案内や文学の読み解き方を勉強せず、裸一貫でドン・キホーテよろしく風車突撃していった僕なんかは、そう思うのである

1-11「鉄の時代J・M・クッツェー くぼたのぞみ訳★★

アパルトヘイト真っ盛りの南アフリカで、一人暮らしのおばあちゃんが(調べたらがん患者だった。記憶からすっかり抜け落ちていた)、黒人スラム街に紛れ込み、こうなったのは誰のせいだ、お前らのせいじゃないかイエスかノーかで答えろ、みたいに言われる話だ。大体クッツェーはこういう政治的な話が多い。

二分法はそもそもきじゃない。もともと自分は口下手で、話をしっかり聞いてもらいたい方であり、こちらの話を聞かずに一方的に話をされるのが嫌いだ(その場でうまく言い返せないからこうして延々と文章を書き綴っている癖がついてしまっている。とにかく僕は延々と気が済むまで言い訳を聞いてほしいし同情してほしい)。

正義である我々に味方しなければ、お前は悪に加担したことになる。似たようなことを米国SF大会で述べた人がいたね。個人的には、社会正義理屈としては正しいと思うけれども、好きか嫌いかと言われれば嫌いだ。この二つは全く異なる軸だ。お前は明日死ぬかもしれないというのは論理的には正しいが好きではない、というのにちょっとだけ似ている。まったく別の評価軸で、両者は重ならない。

うっすらした類似でいえば戦争責任にも似ている。「なぜ生まれる前のことに取りようがない責任を取らねばいかんのか?」ということでもある。あるいは、メンタルが弱っているのに、「あなた人生あなたしか責任が取れない」と言われ、ますますしんどくなるのにも似ている。どちらも「責任」が絡んでくる。誠意ってなんだろうね?

やっと納得できたのは、アイヌ民族議員である萱野茂がある本で書いていた「こうなったのはあなたのせいではないが、この状況をただす力をあなたは持っている」という趣旨言葉で、これは「責任」を「重荷」や「義務」や「罰」ではなく、「現状を少しでも良くするためのパワー」という肯定的言葉で語りなおしている。責任という言葉は、人によって使い方に若干のずれがあり、だから違和感があったのかもしれない。。

とはいえ、そこまで考えている人は少なく、九割の人は自分立場の都合しか主張しないし(ただし、そのパワーバランス民主主義機能している可能性はある)、それどころか自分とは違う属性を平気で差別している例も多々ある。被差別民女性を、女性障害者を、障害者外国人を、自己正当化する理屈と共に平気で見くだし、差別する例をすべて見て来たし、アラフォーになってしまった今でも、サリンジャーライ麦畑で捕まえて/キャッチャー・イン・ザ・ライ」のホールデン少年みたいに、多くの活動家安易SNSで「いいね」を押す人々を「あいつらはインチキだ!」と独善的糾弾してやりたい思いは消えない。他人言葉は信じられない。納得できるまで自分で考えるしかない。とはいえ、あらゆる憎悪も究極的には自分や身内が安全でいたいという素朴な願いから来ているので、相手批判しても全然解決しないんだろうな。

1-12アルトゥーロの島/モンテ・フェルモの丘の家 」エルサ・モラン中山エツコ訳/ナタリア・ギンズブルグ 須賀敦子訳★★★/★★★★★

この作品も一度褒めた。

エルサ・モランテ「アルトゥーロの島」は息子を放置して放浪を続ける主人公の父が、同じくらいの年頃の義母を連れて帰ってくるんだけど、主人公がその義母に対して屈折した気持ちを持ち続ける話だった。確か恋愛感情にはならなかった気がする。完全にネグレクトだし、主人公愛情というか思慕は義母ではなく実の父に向かっている。この父親のように感情表現できない、義務だけで動く男性キャラにひかれていた時期があったのだけれども(1/12追記:この父親義務で動いているわけじゃなくて、一般的義務で動くキャラって意味感情表現しないという部分だけが共通)、それは何でだったかはよくわからない。当時の自分がやらねばならないことで動いていたからかもしれないが、その結果として案の定心身の調子を崩した。父に対する巨大感情という意味ではエヴァンゲリオンじゃんという気もしないではない。あれにも同い年の「母」が出てくるし。シン・エヴァンゲリオンではちゃん父親内面が出てきたけど、この作品では記憶にある限りでは出てこない(何となくだが庵野秀明といい村上春樹といい、多くのクリエイターは親が世を去る頃になってやっと親を直接扱うようになる気がする)。

閑話休題、大体、やらなければならない義務を果たすのだけが行動原理になると、晩年に「この人生は一体何だったんだ」とカズオ・イシグロ日の名残り」のように嘆くことになる。カズオ・イシグロは長篇を全部読んで、「この作家別にそこまで好きじゃないな」って気づいたんだが、「日の名残り」は別格だ。

ナタリア・ギンズブルグ「モンテ・フェルモの丘の家」書簡体小説で、親しい友人のSNSでいうクラスタというか、友人の輪とその周辺のやり取りをずっと追い続けていて、近づいたり離れたりという感じが、人生のある側面を忠実に表現しているみたいで好きだった。ちょうど周囲で結婚ラッシュが起きたり、ちょっとした行き違いで不仲になる友人を見て来たころだったと記憶している。この人の作品は良くて、ずっと不機嫌なお父さんが出てくる「ある家族の会話」など何作か読んだ。

あと、須賀敦子いいよね。誠実な翻訳をする人の書く文章は、そもそも美しい。

続く。

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