はてなキーワード: 聴覚とは
https://expo2025-kuragepj.com/concept/
クラゲ館では、「五感(特に聴覚・触覚・嗅覚)や身体性」など言語にならない体験や「一期一会の揺らぎのある遊び」を大切にしています。真ん中には創造性の象徴としての創造の木があり、STEAMの揺らぎの遊びがあり、同時に、みんなが短冊にメッセージを残しCo-Kurageを生み出していくことで一緒に創る共創・協奏もあり、いのちのグワっとした感覚もあり、自分の内へと向かう場もあり、祭りもあり。
テレビはかつては新聞やラジオに取って代わるものとして、速報性と視覚聴覚両方の情報の多さでメディアそのものの特徴で主流派になってきた。
ところがSNSの台頭によって、さらに速報性が高くしかも双方向性という新しい特徴を持った媒体がやってきた。それだけでもすでにテレビ業界的には一大事なのに、自主規制や公平性の担保などのチェックに時間がかかり、週刊誌以下の速報性の質になってしまった。ついに二次情報ソースに成り下がってしまった。最近はもはやその自覚をはっきりしているのか取材すらしない。とくに身内が関わるものには。
ラジオが今やマニアのための、また運転中や作業中のながら作業のお供でしか無くなったように、テレビもなにかのためだけのニッチな存在になるのだろうか?
もしくは巻き返せるのか?少なくともテレビは媒体の特徴としては週刊誌に負けてないし,SNSに優位性をとれる領域がある。(SNSは消費前提なので何度も見れる番組や映像を作ることはできない)
新しもの好きなのであれこれと散在しがちなんだけど、この数年で間違いなくトップでよかったものはノイキャンつきのヘッドフォンだった。
買ったのはBoseのQuietComfort Headphonesという製品で4.5万ほどする。
まあまあ高い買い物ではあるんだけど、ノイキャンの性能が高いということでこれにした。ちなみにSONYのも同じくらいノイキャンは良さそうだったので最後までそっちと迷った。
またヘッドフォンじゃないイヤフォンもノイキャンはついてるんだが、ヘッドフォンの持ち運びがあまり苦じゃないのでヘッドフォンにした。
それより以前はノイキャンがついてるイヤフォンやヘッドフォンは使ったことがなかったので、そのインパクトたるや凄まじかった。
自分は都内住みで電車移動だったり人混みの中を歩くことが多い。
家は少し郊外なので静かに散歩できたりするけど、街中に出かける時は大抵疲れてしまう。
しかしヘッドフォンをつけてノイキャンをオンにしてると、街中でのストレスが明らかに激減した。
街中を歩く時って半径10mくらいの空間を意識して疲れやすいんだけど、ノイキャン使ってるとそれが自分の手の届く範囲だけにフォーカスされるような感覚がある。
例えば新宿で周りに100人くらいの人がいるなあって感覚が、10人くらいに感じたりする。
視覚的には変わらず人は大量にいるんだけど、ある程度の距離以上の音が聞こえなくなることのほうが効果は大きいのかもしれない。
聴覚的に静けさを感じるとこれほどまで気分は落ち着くのかという驚きもあった。
個人差は大きいのかもしれない。自分は元から神経質なところがあるので、都内の人混みとかは色んな音に敏感になってしまいがちではあった。
慣れてはいるので調子次第では全然気にならないけど、調子が悪いと無意識に疲れていって家に帰ったらぐったりした気分になることも度々ある。
それがこのヘッドフォンを使うようになってからはメンタル的な疲れはほとんど感じなくなった。
使う前は音を遮ってしまったら危ないのではないかという懸念もあったけど最近の機種だからか、
例えば電車に乗ってる時もノイズは聞こえないけど社内アナウンスの声はちゃんと聞こえたりするのでよく出来てると思う。
唯一問題があるとしたら、ノイキャンが効いた世界を知ってしまったので、もう元には戻れないと感じてることだ。
街中に一人で出かける時は必須アイテムとなってしまったため、人と出かけるときのストレスは逆にやや増えてしまった気がする。
とはいえ通勤も一人だし、街中に出かける時も圧倒的にぼっち行動が多いので大きな問題にはならなそうだ。
今どきノイキャンついてないの使ってる人のほうが少ないのかもしれないけど、少なくともこのboseのこのヘッドフォンは俺の生活を一変させてくれたといってもいいかもしれない。それくらい気に入っている。
そしてこうなってくると、もはや音楽聞けなくていいからノイキャンだけしてくれるコンパクトで安価な製品があってほしいとも思う。それならバッテリーなんかもより持つんじゃないだろうか。
あと話が思い切り飛躍してしまうけど、以前読んだSF小説で、身体改造で発声しなくても遠くの人と話せる機械を埋め込んでいて、
俯瞰してその世界を眺めると誰も話してなくてシーンとしてる、みたいな設定の未来が描かれてるのがあったけど、めちゃくちゃいいなあと思う。
人の話し声ってすごく気になるし、公の場では全員発声しないとかなら不気味だけど静かで良さそうだなあって。
そうなってくると人間の発声機能自体が要らないものとして退化してっちゃうというディストピア的でもあるけど、リモートワーク時の通話の密やかさみたいなのってなんか好きなんだよな。
発達障害を自認しながら身近な発達障害者をSNSで晒してウケ狙ってる人いるじゃん
Xにもはてブにも、他のSNSにもいる、単発の投稿じゃなくて持ちネタになっちゃってる人
過去の検索すると発達障害の兄が~姉が~って数えきれないくらいヒットする人
あれ本人は同じ発達障害だからセーフって思ってるかもしれないけど、単なる差別なんだよね
上肢と下肢でも違うし視覚や聴覚などそれぞれの苦悩があることが当たり前と考えてるから、同じ身体障害者としての発言は相当慎重に行われている
精神障害者ですら精神障害一般については配慮した物言いが当たり前になってる
なのに発達障害についてはそういう発言を頻繁にする人が目立つのは何故なのか
発達障害の詳しい診断が下っていてDSM-5についても知識がありながら差別発言を繰り返しているのは何故なのか
病状や深刻さが近しいならかろうじて自虐として成り立つ余地もあるかもしれない
大学に行く。
土下座と一緒だよ。
土下座したところで何になる?
授業に遅れてきたやつが、教室のドアを開けたままにしやがった。
おい寒いぞ。
ったく、何をやっているんだ!
頼む閉めてくれ。
勤勉な学生さんであった。
蛍雪の功、と思った。
私はドアから遠い席で、それでもこんなに寒いのに、あの席で平気とは。
君が「寒さに打ち勝つ学徒」としてQさまに出演するのもそう遠くない。
感じないのか?この冷気を!?
でも、うん、ああ確かに見えないな。
においはかすかに外のにおいがある。
でも、かすかだから蛍雪の功ニキの集中力のバリアを破壊できないのも無理はない。
味覚、お前はここじゃないな。
応援していてくれ。
そう、触覚を!
でもどうする?
あのトレーナーの下に超極暖ヒートテックが潜んでいるとしたら?
化学を味方につけた蛍雪の功に、いったい誰が勝てるというのだろう。
虎に翼、鬼に金棒、君にヒートテック。
諦めよう。
こんな日もある。
すると、私よりもドアから遠い席の女性が立ち上がり、足音1つ立てずドアに近づき、ドアを、こつんと押した。
徐々に閉まっていくドア。
カチャと音を立てて閉まったとき、冷気は止まった。
止めたんだ。
冷気を。
彼女が。
止めたんだ。
みんな!!!!
一生懸命送り込む暖気が、あっけなく冷気にかっさわれていくのはさぞつらかったろう。
なんだ。
届かないなら動けばよかった。
メリークリスマス、と、言わせてください。勇敢なあの女性と蛍雪の功ニキに心の底からメリークリスマス。
どうか素晴らしいクリスマスを。
要約: 自分を否定する努力より、自分の肯定につながる努力をしよう
https://anond.hatelabo.jp/20241221204350 を読んで https://anond.hatelabo.jp/20241222173557 を書いたら、当事者より「努力するなは死刑宣告のように聞こえる」「何をするかを書いた方が良い」とお叱りを受けたので、再考して書いてみる。
はじめから言っておくと、俺は当事者ではないし、タイトルの答えは知らない。ただ、いろいろASDのことを学んだり、仕事で接するなどしてこうしたら良いらしいと理解したことを書く。
当事者の方が俺に文句を言いたいのであれば、これを叩き台にしてぜひより良い策を書いてほしい。
まず成人のASD当事者が定型発達の社会に沿って生きようと努力すること自体は尊重されるべきだし、それを無碍に否定することは当事者にとって絶望感を与えてしまうかもしれない。
ただ、支援者としては努力を続けて行くことで二次障害を起こしてしまうことを恐れている。ASD当事者の中には常に頑張りすぎて自分が高いストレス状態にあることに気づいていないこともあると思う。
努めて人とコミュニケーションをとろうとするのはいいが、やはり自分自身の心身の健康を最優先してほしい。努力した分と同じくらい、自分がリラックスできる環境や時間の確保をしてほしい。
ASDは感覚の過敏や偏りがあることがあり、例えば聴覚による情報処理が苦手な場合がある。人の空気が読めないといっている人が、実は音声の会話が苦手なことが主要因で、テキストチャットだとうまくコミュニケーションがとれるケースもある。
コミュニケーションの取り方は色々あるので、自分の気持ちを伝えるためにどんなツールや媒体を使うと一番スムーズなのかを考えて、大事な話は極力そうしたツールを使うようにしよう。
ここまではASDと診断されなくてもできることだが、やはりコミュニケーションの困り事がある人は専門の病院にかかって診断をもらった方が良い。その理由はいくつかある。
一つは、自分が遭遇している障害の全体像をきちんと把握するために必要な情報が得られるから。当事者自身はコミュニケーションで悩んでいても、実はそれが聴覚などの感覚の問題が起因だったりすることもあり、当事者が気づかない問題が起こっていることもある。客観的な医学知識に照らしてみることで問題の解決につながることもある。
もう一つは、合理的配慮などの各種取り組みは診断があることが前提になっていることもあり、とれる選択肢が増えるから。以前も書いたけどASDは本人のコミュニケーションスタイルや感覚がマイノリティであることで、周囲の人や環境とミスマッチを起こしていることが障害の原因である。なので、本来は当事者の特性に合わせて生きやすい環境や人との関わり方を調整して行くことが望ましい対処法になる。
環境は不変なもの、正しいものではなく、変えられるものしていけるように、使える選択肢は増やした方がいい。
当事者研究というのは、障害当事者など何らかの困り事のある人が、自分自身の困り事を探求し、自分独自の「病名」をつけてその対処法を研究すること。基本的には当事者のコミュニティの中で「研究会」として開催し、当事者同士が話し合いながら行うスタイルが多い。
当事者研究はもともと精神障害当事者が共同で暮らす「べてるの家」で始まった試みであり、障害者自立活動とアルコール依存症の自助グループ活動の2大潮流が合流して生み出された(綾屋紗月 2023)。精神医学の言葉や概念ではなく、自分自身で生み出した言葉で苦しみを仲間と共有することで、当事者が実践できる生活の方法を考えられるとして2010年代あたりから全国的に認知されるようになった。
こう説明されると、結局当事者が努力してるじゃないかというツッコミを受けるかもしれない。だが当事者研究が普通に頑張るのとは異なる利点がある。
一つは、障害と自己を切り離して考えられること。自身の障害について考えたり「克服」しようと思うと、どうしても自分の人格を否定してしまうことにつながりがちだ。そうなると、努力する分だけ自己肯定感が低くなっていき、過大なストレスを抱えてしまう。当事者研究は自分が抱える障害や症状「研究対象」として名前をつける(例:爆発さん、幻聴さん、おこるちゃん)。そうすることで、障害を自分の一部ではなく、自分のそばで起こっていることとして冷静に考えることができる。
二つ目は、自分だけでなく他の当事者への貢献になるように自分の問題を考えること。当事者研究は「研究」なので、同じような状況に陥る人の役に立つようなソリューションとして言語化することが求められる。そうすると、これまで自分のためにやっていたことが、他人のためになる活動に変換され、自己肯定感を高めることができる。その人はその障害の苦しみを理解できる「専門家」となることで、障害経験をポジティブに捉えることができる。
このように自己の人格を否定することなく、距離をとって自分が遭っている障害を仲間と一緒に見つめることで、建設的に今後のことを考えることができる。
ここまで長々と書いてきたが一言で言えば上の言葉に尽きる。自己を肯定できないソリューションは続かない。どんな方法であれ、ありのままの自分を肯定できることにつながらなければ、本当には当事者を救う術にはならないのではないだろうか。
Copilot に作文を依頼した。
「電源で音質が変わるか」というテーマで、それに否定的に答えたAIに、音楽評論家の人間が反論を語る、という作文を書いて。
以下、回答。
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AI:電源の品質が音質に影響を与えるという主張は、科学的根拠に乏しいと言えます。現代のオーディオ機器は、電源の変動を補正するための高度な技術を備えており、電源の違いが音質に顕著な影響を与えることはほとんどありません。例えば、ノイズフィルターや電圧安定化装置が内蔵されているため、電源の質が音質に与える影響は最小限に抑えられています。
音楽評論家:AIの見解には一理ありますが、実際のオーディオ愛好家やプロフェッショナルの現場では、電源の質が音質に与える影響を無視することはできません。特に高級オーディオ機器においては、電源の質が音の透明感やダイナミクスに大きく影響することが知られています。
例えば、オーディオ評論家の間では、電源ケーブルや電源コンディショナーの違いによって音質が変わることが広く認識されています。これは、電源から供給される電流の質が、アンプやDAC(デジタル・アナログ・コンバーター)の動作に微妙な影響を与えるためです。電源のノイズや不安定な電圧が音質に悪影響を及ぼすことは、実際のリスニングテストでも確認されています。
さらに、オーディオ機器の設置環境や使用する電源の種類によっても音質が変わることがあります。例えば、専用のオーディオルームで使用する場合と、一般的な家庭のリビングルームで使用する場合では、電源の質が異なるため、音質にも違いが生じることがあります。
結論として、電源の質が音質に与える影響を完全に否定することはできません。オーディオ機器の性能を最大限に引き出すためには、電源の質にも注意を払うことが重要です。AIの見解は技術的な側面に焦点を当てていますが、実際のリスニング体験を重視するオーディオ愛好家にとっては、電源の質が音質に与える影響を無視することはできないのです。
以下、Gemini の回答。
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AI:「電源が音質に与える影響は、科学的に証明された事実はありません。音質は、オーディオ機器の設計や素材、再生環境など、様々な要素が複雑に絡み合って決まります。電源の違いが聞き分けられるという声もありますが、それはプラシーボ効果や、他の要因による変化と誤認している可能性が高いです。」
このAIの主張に対して、ベテランの音楽評論家であるB氏は、長年の経験と深い知識に基づいてこう反論する。
B氏:「AIの指摘も一理あるでしょう。しかし、電源が音質に全く影響を与えないと断言するのは、やや短絡的ではないでしょうか。確かに、盲検テストなど厳密な実験を行えば、プラシーボ効果の影響を排除できるかもしれません。しかし、音楽鑑賞は科学的な実験とは異なり、人間の五感と感情が深く関わる、より主観的な体験です。
私は長年、様々なオーディオ機器を試聴してきました。その経験から断言できますが、電源の違いによって、音の広がり方、深み、そして何より音楽の表現力が明らかに変化することがあるのです。例えば、高品質な電源ユニットに交換すると、楽器の音色がよりクリアになり、音場が立体的に広がるように感じることがあります。これは、単なる気のせいではなく、実際に私の耳で確認した事実です。
もちろん、電源一つで劇的な変化が起きるとは限りません。オーディオシステムは、それぞれのコンポーネントが複雑に絡み合って一つの音を作り出しています。電源は、そのシステム全体のパフォーマンスを底上げする、いわば土台のような役割を果たしていると言えるでしょう。
AIは膨大なデータを学習し、高度な分析を行うことができますが、人間の五感や感情、そして音楽に対する深い理解は、まだまだ及ばない部分があるのではないでしょうか。音楽は、科学的なデータだけでは測れない、人間の心に直接響く芸術です。電源が音質に与える影響を、単に科学的な根拠だけで否定するのは、音楽の多面性を軽視していると言えるでしょう。」
AI:「B氏の経験に基づいたご意見は大変興味深く、人間の感覚の複雑さを改めて認識させられました。しかし、音楽の主観的な側面と科学的な根拠は、必ずしも対立するものではありません。例えば、聴覚心理学の研究では、人間の聴覚が様々な要因に影響を受けることが明らかになっています。電源の質も、その要因の一つとして考慮できる可能性は十分にあると考えられます。
今後、より詳細な実験や分析を通じて、電源と音質の関係性を科学的に解明していくことが重要です。その際、人間の主観的な評価も重要なデータとして活用していくべきでしょう。」
B氏:「AIの指摘はもっともです。科学的なアプローチと人間の経験は、互いを補完し合いながら、より深い音楽体験へと繋がっていくはずです。重要なのは、どちらか一方の意見を絶対視することなく、多角的な視点から音楽を捉えることでしょう。
そして、忘れてはいけないのは、音楽は単なる科学的な現象ではなく、私たちの心を揺さぶり、感動を与える芸術であるということです。科学的な分析だけでなく、人間の感性や直感を大切にし、音楽を心から楽しむことが、真のオーディオ体験ではないでしょうか。」
この対話を通じて、電源と音質の関係は、科学的な側面と人間の主観的な側面、両方を考慮することで、より深く理解できることがわかります。AIと人間の知見を組み合わせることで、より豊かな音楽体験が生まれる可能性を秘めていると言えるでしょう。
🤔「猫だから音に敏感なんだよね」
🙄「メス猫だから神経質なんだよね」ではなく、
「目が見えないからそれを補うために音に敏感になった」(視覚障害と聴覚の代償性発達、目の障害の問題)って思うんじゃないかな?
猫 ←ここの話ではない(猫全般に適用出来ない) ├── 身体構造 │ ├── 感覚器 ← ⭐️ここの話⭐️ │ ├── 消化器 │ ├── 呼吸器 │ ├── 循環器 │ ├── 骨格 │ ├── 筋肉 │ └── 神経系 ├── 生殖と行動 │ ├── メス ←ここの話ではない(メス全般に適用出来ない) │ ├── オス │ └── 共通行動 ├── 被毛と外見 └── 健康と疾患
○○は女性的・男性的という過度な一般化には同意しないけど、個性の枠で語ってくれて、優しいじゃないですか
ワイだったら人間や性別属性のカテゴリーの話じゃない、『発達障害(アスペ)やろ』って言いますね
○ご飯
朝:なし。昼:グラコロ。夜:豚丼、たまご、豚汁。間食:スナック菓子。ポッキー。アイス。バウムクーヘン。
○調子
いっぱい食べていっぱい寝た。
二日続けてマクドを食べることでグラブルコラボのアイテムをゲット。
最後の一編だけは好みの範囲外だったが、他の三つは非常に好き。
透明人間が題材の特殊設定もので、その透明人間が犯人の倒叙という構成自体がまずもう面白い。
更にそこから様々な趣向が多様に含まれており、ハウダニット一発ネタにしない怒涛の展開が続くのがすごかった。
ハウダニットとホワイダニットの両面の謎が次々に解かれていく後半も勿論興味深いのだけど、個人的には透明人間は夜の営みをするにはそういう面を気をつける必要があるのかという、透明人間の日常を掘り下げた序盤もかなり好みだ。
とあるアイドルオタク同士の揉め事が発展した殺人事件、その裁判の陪審員達がたまたま同じアイドルオタクだった。
滑稽な冒頭のテンションそのままに一気に駆け抜けるコメディ調の法廷もの。
流石にご都合主義がすぎる前提ながら、アイドルオタクが畳み掛けるような専門用語でオタクのありようの矛盾を見つけるシーンで一気にのめり込んだ。
殺人事件の裁判で何を議論しているんだ? という引いた目線を許さない熱がある短編で、オタクらしさが楽しめる。
コメディ全振りながら、瑣末ながらオタク的には譲れない点が徐々に大きな違和感になって真面目な裁判官達も巻き込んでいく展開が面白く、地に足がついたロジックものとしても読み応えがあった。
・盗聴された殺人
僕としては本書のベスト。
探偵事務所で働く聴覚に優れた美々香を主人公にした王道の探偵と助手もののフーダニット。
犯人当ての趣向なので、作中の探偵が謎を解いた時点で自分も謎を考えてみた。
ノンシリーズものらしい趣向もあるが、本題たる優れた聴覚で解き明かす意外なホワットダニットがいいね。
そもそもそこが謎の焦点であることに中々気づけない構成が見事で、主人公の聴覚は優れているが推理力は控えめな設定が、読者の目線でも推理可能な謎にしているのがにくい。
ミステリ的な点だけでなく、探偵と助手の関係値も心地よく、王道の楽しさが詰まっていた。
脱出ゲームで本当の誘拐が起こったことから始まる、コンゲームっぽさもある「謎解き」もの。
ヤングアダルトとか児童文学系を狙ったのかな? 上記三つとかなり色合いが異なっている上に、全体的にチグハグな内容で、しっくりこなかった。
特に脱出ゲームと誘拐がそれぞれ別に展開するのだが、脱出ゲームパートがあまりにもとってつけた内容で、作中人物たちとの評価の食い違いがつらかった。
最後の怒涛のどんでん返しも、どんでん返しありきの違和感のある構図だったため、驚きよりもそこに至るまでの遅さが気になった。
特性はいつでもトレードオフです。大きな体躯は運動能力に優れ、あらゆる競争で有利な形質に思えます。ところが現代の生活では通勤電車では疎まれ、アパートの部屋は狭すぎて、高い食費に悩むことになります。このシリーズでは人間の特性の二面性に焦点をあてます。
今回は感覚過敏です。増田さんは視覚、聴覚、嗅覚に過敏です。私が増田さんに会った時の彼の格好は、マスクに黄色のサングラスといういでたちでした。
「ソニーのイヤホンのノイズキャンセリング性能は確かに最高です。でも、私にはオーソドックスな耳栓で十分です。これが一番軽くて、なにしろ目立たない」
「感覚過敏で困ったのは、職場の環境選びでした。コンピュータのスクリーンは眩しくて、毎日見つめる仕事はできませんでした。人が集まる環境も、騒がしすぎて耐えられませんでした。でも今は、騒音の大きなトラックの運転席が私の職場です。ここではどんな格好をしてもいいのです。人間関係がないのが私にとっては一番楽でした」
環境に適応するためには奇妙な格好をせざるをえず、奇妙な格好は人間関係を難しくしたといいます。
「感覚過敏でよかったことは…スマホの電池が長持ちすることでしょうか。画面の明るさを常に最弱にしていますから、消費電力を少し節約できます。微妙もいいところですね(暗黒微笑)」
音程の高低を「high, low」(英語)や「高低」(中国語)など、上下方向の比喩で表現するのは多くの文化と言語に共通しており、その理由には人類共通の感覚や認知的・物理的な基盤が関係しています。この現象をエビデンスと共に以下で論じます。
多くの言語では、音程(pitch)を「高い」「低い」という方向性で表現します。
• 英語: high pitch(高音)、low pitch(低音)
• 中国語: 高音(gāo yīn)、低音(dī yīn)
• 日本語: 高い音、低い音
• フランス語: son aigu(高音)、son grave(低音)
• ドイツ語: hohe Töne(高音)、tiefe Töne(低音)
一部の文化や言語では「厚い音」「薄い音」など別のメタファーが使われることもありますが(例: バントゥー語群の一部)、上下方向の表現が主流であることは多くの研究で確認されています。
音程(ピッチ)は音波の周波数(振動数)によって決まり、高音は高周波数、低音は低周波数に対応します。この物理的特性が、上下の比喩に結びついている可能性が高いです。
• 高周波数音(高音): 振動が速く、小型の楽器や高い位置の音源から発せられることが多い。
• 低周波数音(低音): 振動が遅く、大型の楽器や低い位置の音源から発せられることが多い。
この物理的な違いが、音を「高い」「低い」という空間的な比喩で表現する認知の基盤となっています。
人間は音を聞いたときに、音源の高さや方向を判断する能力を持っています。この能力は「高音は上」「低音は下」という空間的な感覚を強化します。
• エビデンス:
• Patel(2008)の研究によると、音程の高低を空間的方向で表現するのは、視覚・聴覚・触覚の相互作用(クロスモーダルマッピング)に起因する可能性があるとされています。
• さらに、楽器演奏においても、高音域の音は楽器の上部または小さい振動源から出ることが多く、これが「高い音」の認識に影響を与えています。
c. 重力の影響
重力が人間の感覚に及ぼす影響も重要です。高い位置にある物体は軽やかで、低い位置にある物体は重厚に感じられるという物理的感覚が、「高い音=軽やか」「低い音=重厚」という比喩につながっています。
• エビデンス:
• Lakoff & Johnson(1980)は比喩が人間の身体的な経験(身体性)に基づくと提唱しており、「高音/低音」の上下比喩もこの理論に合致します。
この上下の表現は、特定の言語から他の言語への翻訳や借用ではなく、人類共通の認知的枠組みに根ざしている可能性が高いです。
• 調査: Yip(2002)の研究では、アフリカ、アジア、ヨーロッパ、アメリカの多数の言語において、音程の高低が上下方向の比喩で表現されていることが確認されています。
• 例外的なケース:
• 一部の言語(例: アフリカのバントゥー語派)では「厚い音」「薄い音」と表現される場合がありますが、これも音の質感や体験に基づく比喩と考えられています。
言語間の翻訳や文化的影響だけでは、このような普遍的表現を説明するには不十分です。むしろ、これは人間の認知の普遍性によるものと考えられます。
4. 結論
音程の「高い」「低い」という表現は、人間の認知や身体感覚に基づく普遍的なメタファーであり、特定の言語が他の言語に影響を与えた結果ではありません。この表現は、音の物理的特性、空間的感覚、そして重力の影響など、多くの要因が相互に作用して生まれたものです。研究によれば、これは文化を超えた人類共通の感覚として認識されています。
参考文献:
• Lakoff, G., & Johnson, M. (1980). Metaphors We Live By.
• Patel, A. D. (2008). Music, Language, and the Brain.
• Yip, M. (2002). Tone. Cambridge University Press.
ニッコマレベルのバカ大学でもなんとなくペタペタ触って遊んでる研究室があるらしいので、あと10年もすればAI絵師と同じレベルで素人のオッサンたちによる趣味としてBMI研究が進むことだろう。
出力するだけのBMIなんてPCにフットペダルを追加する程度のレベルの進歩しか出来ないと思う。
やはり入力だ。
電極ぶっ刺し型は事故のリスクが高いことを考えると、ペースメーカーのようなものを埋め込む形にするほうが安全なのか?
それでも脳みそにそんなものをわざわざ入れる手術をすることがリスキーだ。
割れた頭蓋骨を補修するためにボルトをぶっ刺すのとはリスクのレベルが全然違う。
SFなんかじゃナノマシンが使われているが、ああいうのって使い古した後の古い奴はどうやって捨てるつもりなんだろう。
うむ。
あと20年で出来たら凄い早いと言っていいだろうな。
50年かかっても無理かも。
出力型のBMIについては50年後には流石に実現しているだろうが、そのフィードバックは従来のGUIで終わりになりそうではある。
むしろ、視覚・聴覚・痛覚あたりの神経に対して何らかの入力拡張が出来るような仕組みを作ったほうが手っ取り早い可能性さえある。
たとえば人間は文章を読んでいる時にそこに記載されている物体や情景について視覚的なイメージを脳内に形成することが出来るわけだが、脳みそを直接弄らずにこの機能にアクセス出来るルートを作ってそこに視覚情報を流す形なら脳を焼き切る心配はかなり減るんじゃないだろうか?
重要なのは「今既に人体が持っている情報系を拡張させるような形で入力信号を得られるような仕組みに振れたい」ということなのだ。
いっそのこと睡眠学習的なやり方で人間の感覚を拡張さえてしまうとかもありかも知れないな。
たとえば点字みたいなものをもっと細かくしたような情報を体の特定の部位から得ることが出来るように人体に学習させれば……ブツブツ……
正直、このトラバで改めて『能力の問題』とアニメ・マンガ・ゲーム界隈で起こりがちな地獄みを感じている
まぁワイは、元増田の作文含めて配慮なく思うがままに書き綴ってるのでお互い様ではあるのだけれど、無礼な投げかけには遠慮のない無礼な返事が返ってくるよと
覚えておくといいかもしれない
ねぇねぇ、アニメとかマンガ、ゲームって超すごくない?誰でも楽しめるのが最高の魅力なんだよね!例えばクラシック音楽とか美術館の絵とかって、ちょっと知識がないと難しいじゃん?でもアニメとかは、そんな予備知識なくても「わぁ、おもしろい!」って思えるんだよね。
これってマジやばくない?例えば『スパイダーバース』。子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで、世界中の人が「すげぇ...」ってなれる作品でしょ?マイルスの成長物語に、誰もが自分を重ねられるし、あのぶち上がった映像美と音楽!「誰でもヒーローになれる」っていうメッセージが心に響くよね。
あ、そういえばスラムダンクの話!これ読んでバスケ始める人めっちゃ多いんだよ。「俺も湘北高校の選手みたいになりてぇ!」みたいな(笑)マジで人生変わった人多いよね。
実はドラゴンボールも面白いよね。アメリカのラッパーとかが「ドラゴンボールは俺たち黒人の生き様そのものだ」って言ってたりするの知ってる?悟空みたいに諦めずに強くなっていく姿に勇気をもらったって。スパイダーバースのマイルスも同じように、いろんな人に希望を与えてるんだよね!
スーパーマリオとかもそう。最初は「ジャンプでコイン取るだけ」の簡単なゲームなのに、やればやるほど「おっ、ここにこんな裏技あったの!?」みたいな発見があるでしょ?
要するに、アニメ・マンガ・ゲームってさ、「誰でも入れる」のに「めっちゃ深い」んだよね。「にわかはダメ!」みたいな意見もあるけど、それって違くない?だって、みんなが楽しめるってことが一番大事じゃん!
体調悪い時でも、言葉わかんなくても、年齢関係なく楽しめるって、むしろすごいことじゃない?そこからどんどん深掘りしていける。それってまさに現代のエンタメの理想形かもしれないね!
だからさ、アニメとかマンガ、ゲームが「わかりやすい」っていうのは、全然マイナスじゃないんだ。むしろ、それこそが最高の芸術なのかもね。スパイダーバースみたいに、最先端の表現方法使いながらも、誰もが心から楽しめる作品こそ、これからのエンタメの理想だと思わない?
近年、これらのメディアの「わかりやすさ」を否定的に捉える言説が一部で散見されます。しかし、このような主張には認知科学的、メディア論的な観点から、いくつかの本質的な誤認が含まれていると考えられます。
優れたビジュアルナラティブは、複雑な情報や感情を直感的に伝達する高度な表現技術を要します。例えば、宮崎駿作品における視覚的メタファーや空間表現は、言語的説明を超えた普遍的なコミュニケーションを実現しています。これは決して「単純」な表現ではなく、むしろ高度に洗練された情報設計の成果と評価できます。
アニメ・マンガ・ゲームは、マルチモーダルな情報伝達システムとして機能します。視覚・聴覚・インタラクティブ性を統合した表現は、受容者の認知負荷を最適化しながら、複層的な意味伝達を可能にします。これは現代メディア論における「効果的なコミュニケーション」の典型例といえます。
情報工学の視点からみると、高度な内容を広く伝達可能にすることは、むしろ最も困難な技術的課題の一つです。『スーパーマリオ』シリーズにおけるUI/UXデザインや、『鬼滅の刃』のビジュアル・ストーリーテリングは、この課題に対する革新的なソリューションを提示しているといえます。
芸術社会学の文脈において、文化的価値を「理解の困難さ」と結びつける思考は、しばしば批判的に検討されてきました。現代のメディア環境において重要なのは、むしろ「複雑性の中の明晰さ」を実現する表現技術です。
心理学的観点からみると、メディアの価値を「理解の困難さ」に求める傾向は、しばしば確証バイアスや認知的不協和の現れとして解釈できます。これは作品の本質的価値の客観的評価を妨げる要因となりかねません。
アニメ・マンガ・ゲームにおける「わかりやすさ」は、決して表現の未熟さや単純さを意味するものではありません。それは以下の要素を高度に統合した結果として実現される特質です:
これらのメディアの真の理解者であれば、その「わかりやすさ」の背後にある技術的・芸術的達成を適切に評価できるはずです。それはまた、現代のメディア環境における重要な価値創造の一つとして位置づけられるべきものでしょう。
したがって、「わかりやすさ」を否定する言説は、メディアの本質的特性や現代的価値への理解を欠いた、表層的な判断であると言わざるを得ません。
・ふーん、静岡で椎名林檎ライブやるんや ほなちょっと応募してるみるかウィンとサンドウィッチマンのノリで応募したら当たったので当日まで半信半疑半分・夢見心地半分で過ごし今日…ってワケ…
・当日の午前中、思ったより心が落ち着いてるな…と思ったけどなんかいつもより世界がキラキラしとるな…ってなった
・愛野駅のエスカレーターの時点で心臓がドキドキしとる…自分って認識してるより椎名林檎の事、好き、なんや…って思ったけど愛野駅の階段がハード過ぎるだけだわ
・ライブティシャツ買おうとしたけど生地があまりにペラ過ぎてやめた ¥4000までならわかるけどこの生地とデザインで¥6000は価値観に合わなかった
チケット代も今まで参加したライブで一番高いチケ代+手数料計¥14080+新幹線代でえれえ金額かけてるから冷静になってしまった…
東京のでっけえ箱に比べるとそもそもキャパが小さめなのでどの席もステージを見やすく良席でスナイパーの席は無かったが、
「より近い席」人を羨んでしまう心が無いと言ったら嘘になるのでこれが「上を見続け、羨み続けてしまう人間の心…」ってなった 己の恵まれた現状を認識に現状で目一杯楽しめ!と己に言い聞かせた 人生
・オープニングの映像で「生の椎名林檎がこの世に存在しあまつさえ生歌を聴くことができる」という事実に感動し、今まで椎名林檎の歌を聴き続けた己の人生にうっとりし涙したがその後は割とスンッとしてた
・エコパアリーナは椅子があるし座っての観劇やろなぁと思ったらみんな普通に立ってた…
キョロキョロして立った
・面白くは無かったけど、
私は「今」の椎名林檎じゃなくて「昔」の椎名林檎が好きだったんだな…と思った
3/5は「し、知らない曲ですね…」ってなり1/5は「聴いたことはありますがそこまで刺さらなかったのでそんなにリピはしてない曲ですね…」ってなった
・貝のベッドで歌ってくれてる段階でスンッてなって女豹のレオタードの段階で上記の気付きを得た
・19:00上映で、18:20頃に会場に入って「19:00になったら本当に椎名林檎が目の前に現れる…?!」ってソワソワハァハァしてる時間がいっちゃんおもろかった
・赤安が大爆破する前に緋色の弾丸曲の生歌…聴きたかった…という気持ち半分と生歌聴けて嬉しすぎて呼吸数爆増〜!が同時に来た
・油(聴衆)が大炎上(熱狂)したくてフツフツしているが決定的に沸く火種が投下されずフツフツした状態が継続したライブだった
アンコールの2曲(自由に道連れ・東京オリンピック映像の曲)を序盤にやってたらもっと沸いてた
「主語デカくしてんじゃねーぞ」と思ったけど椎名林檎旗の振りが明らかになんか…こう…揺蕩う川のような…各々一生懸命フリフリしてるような…スポーツとかライブで盛り上がった聴衆の動きの一体感は… やっぱ途中盛り上がってなかったんやなってなった
・まさかの「二次創作」で強めの流れ弾が来たわ…そして「二次創作はいくらクオリティが神、ましてや椎名林檎は日本で指折りのトップアーティストだが二次創作の元ネタが刺さっていなければ刺さらないのはどんなに作り手が神でもそういうものなんだな」かつ「目茶苦茶楽しそうに二次創作する椎名林檎」「二次創作は本人が楽しくて公式様にお目溢し頂ければそれでええんじゃ!」(椎名林檎ほどの神アーティストになると二次創作元から二次創作を依頼されるかもしれませんが…)といつ二次創作の「核」を再認識させて頂いた
ライブでライブの生中継(表情アップ)してくれたんだけど、椎名林檎の目を伏せて口を横に引き結ぶ笑い方、目茶苦茶魅力的な表情だな…と思った
特にアンコールの金髪ボブボクサー、目茶苦茶可愛かった1番好き YUKIみたいなビジュアルの髪型+衣装も目茶苦茶似合ってた
・やきう回
やきうがそもそもあまり…とクサクサしていたが「青春の輝き」生歌+背景の雷鳴轟く野球グラウンドが萌えに直撃(通常の晴天の野球グラウンドにしないところが流石椎名林檎のライブ背景作る神クリエイターさんの仕事やでぇ!ってなった) というか野球ジャンルの◯◯◯◯のイメソンに「青春の輝き」は妄想してると感情が溢れすぎてしまうため禁止カードとして封印していたのに椎名林檎様から最高の環境で直撃させられてしまうと…椎名林檎の声帯、直撃すると生歌一曲でもう心揺さぶられて泣いちゃうからほんまダメ
・椎名林檎の呼吸音とか口のニチャ音をきけたので「マジ実在する人間なんだ…」って思った
・おまいら、「熱狂した」ってことにしようとしてねえか?
・まさか浴室をやってくれると思わなんだ
ありがたすぎて拝んだ
緋色の弾丸の曲と浴室と青春の輝きはハンチョウほパフェ回の「甘いものにロックオンした幼児の眼」で自我をシャットダウンして視覚と聴覚をひたすら研ぎ澄ませていた 興奮しすぎて呼吸数が異常に多くなっていた
・新アルバムのコラボアーティストがライブに来るんやろうなぁ…と思ってた AIが来てた?
・トークとかするんやろなぁ…椎名林檎たそはどんなトークするのかな?ニチャア…してたけどトークはなく「歌唱100%」の密度が凄まじい時間が目の前を通り過ぎていった プ、プロの仕事すぎる
・色々ゆうとりますけど「椎名林檎のライブに行く」のは死ぬまでにやりたいことリストのかなり上位だったので行けてよかった
あとは倉橋ヨエコのライブに言ったら本当に「ライブに行きたいアーティスト」コンプリートだが倉橋ヨエコのチケとれんからコンプは難しそう
「ひと口30回噛んで、美味しく楽しく頂きましょう」と学校で聞いたことがある人が多いと思うのだが、結構過酷じゃないか?言ってることが。ひと口30回噛む、ということがどれだけ難易度が高いことか。
適量の白米を箸で取り、口の中に入れて、ひと噛み、ふた噛みと噛み進めていく。すると、ご噛みほどで「ちょっと嚥下させろ!!嚥下嚥下嚥下!!!」と本能が暴れ出してしまう。「ひと口30回」を実現するには、本能を何とかして抑え込まなければならない。しかし無理に抑え込むと食物が逆流し、「うぷっ」となってしまう可能性がある。これは避けたい。
そうとなれば、やはり高速咀嚼ではないだろうか。1秒間に何度も咀嚼をし、本能が暴れ出す前に30回のノルマを達成するのだ。やはりこれしかないだろう。これならば、確実にノルマも達成できるし、食物の逆流も防げるし一石二鳥である。
これで「ひと口30回噛んで美味しく頂きましょう」は達成できた。しかし、「楽しい」かと言われると、それはどうなんだろうか。高速咀嚼に意識が集中しすぎて、楽しくはないんじゃないか?食事において「楽しい」とは、「触覚、味覚、嗅覚、視覚(聴覚)を活用して、目の前の食べ物を味わうことに意識を使うこと」だとしたら、高速咀嚼は「目の前の食べ物を噛むことに意識を使うこと」だ。うーん、たぶん、楽しくない。それはただひたすら噛んでいるだけだもんな。味は分かるけど、ゆっくり食べるより味が薄く感じそうだ。
『異世界NTR~親友のオンナを最強スキルで堕とす方法~』を読んだ(漫画版)
異世界転移した人間不信チャラ男が、自分を救ってくれた無垢童貞に心酔し、チート能力を持つ童貞が人の良さから騙されないか警戒し、近づいてくる女を片っ端から手籠めにして童貞から遠ざける作品だ
女とセックスしまくる一方で、「童貞を守るため、女なんかどうでもいい、童貞のことが一番大事で一番好き」というBL臭さも漂う
抱いた女たちは「街を守ってもらいたいので旅に出ないよう媚びて引き止めてる」という悪心からではないが打算を持って童貞に接する者もいたが、
結局のところ悪意を持つ女というのは誰もいなかった
無垢な童貞を守りたい、怪しい女は遠ざけたい、そんな思いが結局童貞を決定的に傷つけて修復不可能になってしまう
出落ちでセックスしまくるだけの漫画だと思っていたら、意外にも話が進行してからも面白い
ちな、「最強スキル」とは、人間やモンスターと深く接触することで相手のスキルをコピーできるというもの
死にかけの魔物にトドメを刺す前に、体内に腕を突っ込むと毒耐性やら超聴覚やらを得られる
異世界では負傷などで冒険者を引退して娼婦をやっている女が多く、娼館に通うだけで彼女たちが過去に習得した剣術や魔術のスキルを得られて気持ちよく強くなれる
異世界転移ものは、海外古典ファンタジー小説よりもJRPGの雰囲気が強い
この作品の面白いところは、ゲームによくある「二周目」がはじまるところだ
空回りして童貞を決定的に傷つけ心身を救えない状態にしてしまったチャラ男は、異世界に転移した最初の瞬間からやり直しする道を選ぶ
童貞を守りたいというのは驕りだった、童貞のそばに自分のような汚れた人間がいない方がいいと悟り、思い出の初対面の瞬間からすぐに童貞と袂を分かつ
遺産使い(鳥などを遣うとくに有名人を。優しげな女。FC2_PPVほにゃほにゃそこそこあたりみたいな感じ)
会話使い(ヘビとかを使う。訪問介護をやってる。磯野貴理子みたいな女。人の名前をカーミーヤーヒロシ、みたいに茶化して表記する。)
視聴覚室的なとこで一時間くらい待ってたら遺産使いがグレースーツで遠野桜?のビデオを見せに来た。カミカミで平仄あってないクソビデオ。ファンタジーバトル情報商材として、いっしょに戦おうという気にさせない。そしたら教室の左前の生徒?の出資者的な奴がおいおいどうした遠野桜カネださないぞとヤジった。令和の虎?
会話使いがカーミーヤーテー?という訪問介護の客のエピソードをもとに今回の出演の思いをコメンタリーした。
で!!!このとき、リアルで腕を鼻に回してた感じで、呼吸苦しくて、死にかけたわ!!!!!意識はあるから頑張ってどかそうとしたけど、金縛り的に身体が動かんくて!!!鼻も詰まっててガチ死にかけて、何とか動かしてクソ苦しくて呼吸しまくって、もう一度寝た!!普通に酸欠で落ちるのに近い感じ。多分数分でまた起きてまた書いてるんだが、少し頭痛いので空気をすいすいしてた。
教室はひし形、机配置はくの字で、くの字の始まりと終わりの点にプロジェクターのあるダブルスクリーンだった。俺はくびれ部分つまり奥の方、の左側机の右端で、ちょい知り合い的な旧友とふざけたり、なかなか先生がこないので寝てたりした
金縛り時に小指から動かす法とかを試したり、案外私は冷静だったが、そんな悠長なことやってる場合でもなく、右腕をどかそうと必死に動かした。途中で呼吸を強めにして待つということもした。左肩の近くに右手をまわしてて、右肘の内側が鼻の近くに来る感じ
マジで死ぬと思ったわ。こういうときって身体が緊急で動いたりしないんだ。鼻も詰まってたし。
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右手 "を" 左肩の近くに置く
左肩の近く "に" 右手を置く