はてなキーワード: 観劇とは
土日にやってるアイドルとか声優のライブは普通に男で埋まってる。
男は平日働いてる
女性の社会進出が進んだとは言え以前としてまだそういう勤務状態の差はある
業界もそんなことは把握してるから男向けのミュージカルも少ない
そりゃいくわけない
感覚的には逆だけどな。男って好きなコンテンツでも金落とさないイメージあるし、直ぐに飽きるイメージある。
女は好きなコンテンツに金落とすし年単位で好きで居続けるから、コンテンツが生き続けられるのは女のおかげであることが多いと思う
めちゃくちゃ分かりやすいのが2.5次元舞台だと思うんだけど、男ってコンテンツに金払わないから1回1万以上する観劇なんてする気ないしだから男性向けの2.5は流行らない。女はメディミにも興味もってちゃんと金払って見に行くから2.5が流行る。これがジャンルが生き続けるデカい理由になるんだよね。
腐媚びや恋愛要素が増えたり女性への配慮で表現を工夫するようになる事を「腐る」と表現してるのは分かってるんやけども、じゃあ公式がそういう方向に舵を切るようになるのは何故か?という話なんすよ。本誌読むだけで終わる男の意見より、グッズやイベントで金を落とす女の意見の方が大事になるよね
あと2.5は元々女性向けというのも違うと思う。「演劇」「役者」というカテゴリに性別の差は無い。別に男性向けジャンルを舞台化する事だってできるしあるにはある。でも男性向けの舞台化は採算取れないから増えない。1万払って見に行く男性ファンがほとんど居ないから。そういうことなんすよ
「女オタクはプラモデルを買わないから明らかなように好きなコンテンツに金を落とさない」なんていう男がいたら狂人だけど、男女を逆にすると1万いいねは草なのだ
いま、凄い夢を視た。
どこかの文化ホールのような所。視点はステージ側。そこに居る。味噌汁の注がれたお椀を両手で受けて立っていた。なんだかナーロッパに出て来そうなカタカナ名前と風貌でフォーマルな格好、いや典型的なステージ衣装の青年歌手がこれからオンステージなのだ。(ま、たまにはこういうのもいいやね)とおもいつつ、彼の斜め後ろ位置の視点で立ち見のようにして観劇?するのがきょうの私の立場()らしい。それにしても若手というのにエラく人気者のようで、歌い始める前の挨拶の段階でさかんに声をかけられ、いちいちそれに個別に丁寧に返事をしている。お、そろそろ歌唱がスタートしそうだぞ。ん?んん?そのナーロッパ風の洋風青年歌手の両脇から、新沼謙治と五木ひろしが寄り添うように、忽然とステージに現れた。ケンジ・ニイヌマールは言う「すみませんねぇ、彼、正規の手順?教育?(筆者:この辺り上手く聴きとれなくて不明)を受けていないので」唐突にしかしごくさりげなくでも素早くマイクロフォンの先を口に近づけて、コ、コォーンと音を発した。するとまるで水面上を衝撃で輪が拡がってゆくように私と会場の観客の意識は吸い寄せられて、たたみかけるように続いた怒濤のような伴奏と彼等の歌声に、濁流に呑まれて流された聴衆は、会場の壁を通り抜けて!ますます大きくなる音の奔流と共に!青年歌手と五木ひろしとケンジ・ニイヌマールと歌声と演奏と聴衆はみんな渾然一体となって文化ホールから外へ外へと去って行く!!そうかそうなのか!私もゆくのだな!しかしなかなか存在がホールの壁を通り抜けてくれないッ!とくにこの味噌汁?!豚汁ッ?!のなみなみとそそがれて両手で捧げ持ったお椀がァッ!!妙にそれが意識されるからだめなのか、壁の材質に引っ掛かるようで、なかなか通り抜けてくれない。どんどん遠ざかって聴こえる音楽になんとか意識と身を任せようと焦っているうちに、無理やり居場所から引きちぎるようにして、会場の外、山の中を切り拓いて造成したのか未だ未舗装の山道や土地が開けた場所に、ドサりと転がり落ちるように転移できた。周囲には、やはり私と同様に苦労して抜け出てこられた方々が、疎らにクルマに乗ってあの音楽を追い掛けようとアタフタとしている。それの最も手前に居たのに私も同乗しようと駆け寄ろうとしたが、どうもそれは会場の計らいではなく、その方の家族?の方のものらしい。なんだって?!焦ってキョロキョロして私は事の次第を説明してくれそうなスタッフを探して目線で訴えると、疎らに立って応対していた人たちのひとりから「ええ、行きたくても行けなかったということは、そういうことですから」暗に察して欲しいという含みのこもった声をかけられた。あっ、そーゆーことね…
今回はそこでがっかりして目が醒めたら、敷布団の下にセットしてたホットカーペットの温度調整が効き過ぎてたみたいで、背中からふくらはぎの裏まで汗かいてた。
ナーロッパ青年エンカ歌手君のことはわからんけど、五木ひろしは、一昨日の休日に田原俊彦と『ハッ!として、Good』を唄ってたYouTube動画を視ていたのと、だいぶ以前に何かの拍子でたまたまみつけた、彼が若手の頃にソウルミュージックを、それもガチのをステージで汗だくで熱唱するアルバムがあるのを知って、それも捜して聴いていたからだとおもう。新沼謙治は、なぜかゲームのサントラに関わったのをどこかで調べたら出て来たのでインタビューもみつけて読んだら自分は普通の演歌歌手ではない!(あと「演歌の前はドラムやってた」て言っていた)と盛んに発言していた記述をおぼえていたのと、やっぱりおとつい視てたYouTubeのCMまとめ動画に出て来たからだとおもう。
「私は9年間、性奴隷だった」観劇後に泥酔させられ太客の相手を…全裸写真で脅された被害者が「大衆演劇の闇」を決死の告発【画像あり】 - Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/smart-flash.jp/showbiz/317184/1/1/
kohgethu 日本の「文化」とされている、男色、陰間、衆道、の現実。男色に夢見過ぎている輩も多いけど、所詮は権力ある男からのセクハラに過ぎない。/権力者による性加害は「男女関係無い」。それはそう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4762180553688163328/comment/kohgethu
官製婚活に参加者の女性がいない、誰か参加してくれって指導があったので
この前行って来ました
開催場所のカフェに行ってみると、当然の如く女男ともちょ待てよって感じでしたね
(婚活イベントなのに、ジャケットも来てこずパーカーを来てる人までいて驚きました)
男性参加者のプロフィールをみてると、高卒や専門学校卒が多かったです
大卒も何人かいてましたが後で調べると偏差値45前後の大学でしたね
そこで自己紹介や会話をして趣味の話をしました。私はミニシアターや観劇が趣味なので、研修や会議で東京に出張に行った時に次の日や週末休んで見て楽しんでくるんですよ
と言うと参加者の男は、東京に行かない、そもそも県外出張がないと言い出してカルチャーギャップに衝撃を受けました
・ふーん、静岡で椎名林檎ライブやるんや ほなちょっと応募してるみるかウィンとサンドウィッチマンのノリで応募したら当たったので当日まで半信半疑半分・夢見心地半分で過ごし今日…ってワケ…
・当日の午前中、思ったより心が落ち着いてるな…と思ったけどなんかいつもより世界がキラキラしとるな…ってなった
・愛野駅のエスカレーターの時点で心臓がドキドキしとる…自分って認識してるより椎名林檎の事、好き、なんや…って思ったけど愛野駅の階段がハード過ぎるだけだわ
・ライブティシャツ買おうとしたけど生地があまりにペラ過ぎてやめた ¥4000までならわかるけどこの生地とデザインで¥6000は価値観に合わなかった
チケット代も今まで参加したライブで一番高いチケ代+手数料計¥14080+新幹線代でえれえ金額かけてるから冷静になってしまった…
東京のでっけえ箱に比べるとそもそもキャパが小さめなのでどの席もステージを見やすく良席でスナイパーの席は無かったが、
「より近い席」人を羨んでしまう心が無いと言ったら嘘になるのでこれが「上を見続け、羨み続けてしまう人間の心…」ってなった 己の恵まれた現状を認識に現状で目一杯楽しめ!と己に言い聞かせた 人生
・オープニングの映像で「生の椎名林檎がこの世に存在しあまつさえ生歌を聴くことができる」という事実に感動し、今まで椎名林檎の歌を聴き続けた己の人生にうっとりし涙したがその後は割とスンッとしてた
・エコパアリーナは椅子があるし座っての観劇やろなぁと思ったらみんな普通に立ってた…
キョロキョロして立った
・面白くは無かったけど、
私は「今」の椎名林檎じゃなくて「昔」の椎名林檎が好きだったんだな…と思った
3/5は「し、知らない曲ですね…」ってなり1/5は「聴いたことはありますがそこまで刺さらなかったのでそんなにリピはしてない曲ですね…」ってなった
・貝のベッドで歌ってくれてる段階でスンッてなって女豹のレオタードの段階で上記の気付きを得た
・19:00上映で、18:20頃に会場に入って「19:00になったら本当に椎名林檎が目の前に現れる…?!」ってソワソワハァハァしてる時間がいっちゃんおもろかった
・赤安が大爆破する前に緋色の弾丸曲の生歌…聴きたかった…という気持ち半分と生歌聴けて嬉しすぎて呼吸数爆増〜!が同時に来た
・油(聴衆)が大炎上(熱狂)したくてフツフツしているが決定的に沸く火種が投下されずフツフツした状態が継続したライブだった
アンコールの2曲(自由に道連れ・東京オリンピック映像の曲)を序盤にやってたらもっと沸いてた
「主語デカくしてんじゃねーぞ」と思ったけど椎名林檎旗の振りが明らかになんか…こう…揺蕩う川のような…各々一生懸命フリフリしてるような…スポーツとかライブで盛り上がった聴衆の動きの一体感は… やっぱ途中盛り上がってなかったんやなってなった
・まさかの「二次創作」で強めの流れ弾が来たわ…そして「二次創作はいくらクオリティが神、ましてや椎名林檎は日本で指折りのトップアーティストだが二次創作の元ネタが刺さっていなければ刺さらないのはどんなに作り手が神でもそういうものなんだな」かつ「目茶苦茶楽しそうに二次創作する椎名林檎」「二次創作は本人が楽しくて公式様にお目溢し頂ければそれでええんじゃ!」(椎名林檎ほどの神アーティストになると二次創作元から二次創作を依頼されるかもしれませんが…)といつ二次創作の「核」を再認識させて頂いた
ライブでライブの生中継(表情アップ)してくれたんだけど、椎名林檎の目を伏せて口を横に引き結ぶ笑い方、目茶苦茶魅力的な表情だな…と思った
特にアンコールの金髪ボブボクサー、目茶苦茶可愛かった1番好き YUKIみたいなビジュアルの髪型+衣装も目茶苦茶似合ってた
・やきう回
やきうがそもそもあまり…とクサクサしていたが「青春の輝き」生歌+背景の雷鳴轟く野球グラウンドが萌えに直撃(通常の晴天の野球グラウンドにしないところが流石椎名林檎のライブ背景作る神クリエイターさんの仕事やでぇ!ってなった) というか野球ジャンルの◯◯◯◯のイメソンに「青春の輝き」は妄想してると感情が溢れすぎてしまうため禁止カードとして封印していたのに椎名林檎様から最高の環境で直撃させられてしまうと…椎名林檎の声帯、直撃すると生歌一曲でもう心揺さぶられて泣いちゃうからほんまダメ
・椎名林檎の呼吸音とか口のニチャ音をきけたので「マジ実在する人間なんだ…」って思った
・おまいら、「熱狂した」ってことにしようとしてねえか?
・まさか浴室をやってくれると思わなんだ
ありがたすぎて拝んだ
緋色の弾丸の曲と浴室と青春の輝きはハンチョウほパフェ回の「甘いものにロックオンした幼児の眼」で自我をシャットダウンして視覚と聴覚をひたすら研ぎ澄ませていた 興奮しすぎて呼吸数が異常に多くなっていた
・新アルバムのコラボアーティストがライブに来るんやろうなぁ…と思ってた AIが来てた?
・トークとかするんやろなぁ…椎名林檎たそはどんなトークするのかな?ニチャア…してたけどトークはなく「歌唱100%」の密度が凄まじい時間が目の前を通り過ぎていった プ、プロの仕事すぎる
・色々ゆうとりますけど「椎名林檎のライブに行く」のは死ぬまでにやりたいことリストのかなり上位だったので行けてよかった
あとは倉橋ヨエコのライブに言ったら本当に「ライブに行きたいアーティスト」コンプリートだが倉橋ヨエコのチケとれんからコンプは難しそう
何ヶ月もまえから決まっていた予定で、グッズ代に交通費お金も沢山かけた。
明後日にも同じ現場に行く、全通というものではないが違う日付を取れたから行くのだ。一緒に来た友人とは明後日もよろしくね、楽しみだね、と言って別れた。
楽しかった、夢のようだった。この瞬間のために働くしそのためにはなんだってしたいと思った。また行きたい、この趣味を絶対にやめたくないと思った 。
だがしかし明日は姉の結婚の結納があるため、早くかえって眠り準備をしなければならず現実に引き戻されていという状況だ。
基本的に楽しい時間を過ごしたあと、次の日は仕事や普段の日常に戻るものだから、みんな同じような気持ちを抱えるだろう。
私は今後、この趣味を続けていけるのか、そもそもそも分不相応な趣味ではないのか、この場所には二度と行かない方が良いのではないかと思っているのだ。
私は現在25歳で実家暮らしだ。家に5万家賃として払っているが、家事の多くを母に任せているし貯金もほぼない、むしろ自転車操業だ。自立とは程遠い甘ったれである。
5歳上の姉は結婚をして家庭を持つのだ。友人の殆どが彼氏持ち。今日一緒に現場に行った友人もそうだ。
そう、私だけが彼氏もおらず、実家暮らしで将来の展望も何も無いまま、余裕もないのにお金をかけて、何も生み出せないまま生きているということに気がついてしまったのだ。
明後日同じ現場に行くし、12月には別の公演のチケットもとってある。お金は支払い済だ。
こんな夢から冷めてしまった状態で、私は一体どんな気持ちで現場に行けばいいんだろうか。
今後のことを真剣に考えれば観劇やライブに行く趣味をやめて、他のことに費やした方がよっぽど有意義だ。
でもまた現場に行ってしまえば、グッズもかってしまい、続編の公演のチケットも買ってしまうのだ。
オタク特有の誇張表現ではなく、本当に麻薬のように辞められない趣味なのだ。
この先私は一体どうすれば良いのだろう、先のことなど全く考えずに楽しさだけ享受すればいいのだろうか。
それか仕事を頑張って給料をあげて観劇やライブに行くような趣味が見合うような人間になるしかない。
他のオタクたち我にかえってしまった時、どのような思いで次の現場にいくのか、果たしてすっぱり趣味を諦めるのか、問いたい。
とにかくこの気持ちを切り替えられるような答えを誰か教えてくれないだろうか。
Xを見ていたらとある男性アイドルグループがデビュー前に主演を飾った舞台で使用していた楽曲が音源化されるという話題を見かけた。
自分はそこのグループのファンではないし、舞台の存在自体は認知しているもののストーリーや楽曲は全く知らない他人であるが、吸い寄せられるようにこのトピックを覗いていた。
数年前から応援しているファンは喜んで当時のことを懐古していた。しかし私が大きく共感したのはその舞台を観劇できていない側のファンの言葉である。
自分は昨年とあるアイドルのファンになった。それまでは失礼ながら彼には無関心だったため、彼が出演しているステージはほとんど知らなかった。彼のファンになろうと決断して様々なことを調べていくと「自分は彼のファンとして知っていて当たり前なことを何も知らない」ことを自覚せざるを得なかった。
知らないことの中で特にきついと感じたのは彼は自分がファンになる数ヶ月前に本人が「人生を変えた」「一生の財産」と言い切るような大舞台に出演していたことだ。
出演してから1年半近く経過し、その間にも様々なステージに立っていたが彼はどのメディアに出てもだいたいその舞台の話をしているし、ブログでも毎月話題に出てくる。ファンもしょっちゅう「あの舞台の□□に会いたい」と語っている。その舞台が本人にとってもファンにとっても、非常に大きなものであったかなんて容易に想像できた。話についていけないし個人的に蚊帳の外感が拭えないので現在進行形で困っている。
自分と同時期に好きになった人は他にもいると思うけれど、自分の性格上同担と関わることに少し抵抗があるため誰にも相談ができない状況である。
話を過去に戻すが、とある時期にいわゆる「懐古イベント」が発生した。当時を懐かしむファンは懐古イベントのためにその場所へ足を運んでいたが自分は当時を知らないため足を運ばなかった。同じ□□担なはずなのに同じコンテンツで楽しむことができない。大きな壁を感じていたときに「あんな素晴らしい舞台に立てた□□くんと□□担は幸せ者だ」という呟きを見た。もうここで心が折れてしまった。
自分は彼のファンにはなれても□□担になれるわけではない。一生自分は「お客さん」にしかなれないんだ。絶望を感じたので彼を追いかけるのを本気でやめたいと思った。でもできなかった。同時期に彼のステージを観て、やはり彼のパフォーマンスが大好きで、この人にしか出せない輝きが存在したからだ。彼から得られる幸せが大きすぎたんだ。もう後戻りできないと同時に自分はこの「〇〇を知らない□□担」という十字架を背負いつづけることになってしまった。
好きになってから約1年、少しでも彼のファンらしくなりたいから、彼のパフォーマンスが大好きだから自分が満足できるぐらいには彼の立つステージに沢山足を運んだ。でもやはり「お客さん」感は拭えないし、彼の話す言葉が少し怖い。何度も何度も疎外感を植え付けられてしまったからだ。
文頭で語った某アイドルグループのようにまた大きな懐古コンテンツが度々発生するたびに壁を感じて苦しむこともあるだろう。きっと私より先にファンになった人からは「〇〇を知らない□□担がいるんだ」と言われているだろう。思い出を大切にする彼だからこそ、きっと何年経ってもその舞台を一生の宝物として語っていくだろう。
しかし、まだ彼は若い。未だに達成できていない大きな夢が沢山あるから自分はそこに立ち会いたい。一緒に嬉し涙を流したい。一緒に幸せになりたい。この先自分以上に「彼の立ったあのステージやライブを知らない」人たちが増えても一緒に幸せになれるような環境があればいいなと思う。
□□くんが「あのときは幸せだった」と言い切ってくれるような大切な時間が増えていきますように。
きっとそうなれば自分も胸を張って□□担を名乗れると思う。そんな日がくるといいな。頑張るね。
普段はリモートワークだが、お客さんと打ち合わせするときだけ、自宅からそれなりに長い時間在来線に乗って都心部に出る。
平日の日中は、どこかにお出かけするご婦人を見かける頻度が多い。お友達とだったり、親御さんとだったり、長期休み中のお子さんとだったり。日中に仕事でなくお出かけする方は(あくまで見た目だけでの判断だけど)比較的裕福そうな方が多い。
ぼんやり座ってると、綺麗な身なりをした品のいいご婦人はやはり目につく。私が乗る電車では50代以降の方が多い印象。お年を召しても変わらずキレイな肌ツヤ、年齢に合わせつつも品の良さや可憐さが伝わる服装、屈託のない小鳥のような話し方。
お金に苦労しまくってきた私の実母とはまた違う、何というのだろう、困った表情や疲れた表情、怒った顔をした経験があまりないであろう素敵なシワの刻み方。
彼女たちを見ていると「きっと親御さんや旦那さんに愛されて、可愛がられて生きてきたのだろうな」と感じる。年齢的に(会話の内容的にも)専業主婦として生きてきたであろう方が多いだろうし、
なんかね、ほんわかぽやんとしてて可愛いの。しっかりした話し方をされてる方もいるけど、なんとなくバリバリ仕事してきた人とは違う、ゆるふわ感。
普段、仕事でバリバリ働いてる人と接してるから余計に珍しさを感じるのか、花のような雰囲気のご婦人には自然と目が惹かれてしまう。
なんか、そーゆー人いない?
「愛されてるご婦人」。
会話の内容も小鳥みたいなの。ハンドメイドの話だとか、先日見た観劇や通ってるお稽古事の話、遠くに住む娘さんの話とか、愚痴愚痴言わない感じ。
そーゆーものを楽しむのに十分な稼ぎのある旦那さんがいて、好きなとこをしてても受け入れてもらえて。
自分の生まれ育った家族とはまるで違うその華やかさがとてもまぶしい。
もちろん、彼女たちがなんの苦労もしてこなかったとは思わない。でも、たくさん愛されてきた人であることは伝わってくる。
私もそーゆーものになりたいなあと思うけど、まあもう無理だろうなーと思う。
いや、旦那さんはすごーーーくわたしのことを愛してくれてるから、まだワンチャンあるかな。めちゃくちゃ共働きだけどな。クライアントとめちゃくちゃ守秘義務の話してるし。なんか、なんかちゃうんよ。
この日が巡る度、毎年思い出す。
しんどかったな~って笑
ハッシュタグの飛び交う中、嬉しいのに純粋に120%この日を喜べない思いを消化し、きちんと喜べる日にしようとこの日記を書きました。
そもそも何故なにわ男子の結成日が『6日』なのかと言うと、Duet、POTATO、Wink UPの所謂『3誌』の発売日だからである。
なにわ男子の結成は上記3誌で発表された為、発売日の2018年10月6日と相成った。
どこのユニットもほぼそうだと思うが、結成日と言いつつ正確には結成『発表』日である。
早売りの情報が流れて来たり、見ない様に流れて来ない様にしたりの毎月であるが、この日この情報を見なかった関ジュオタクはいないと思う。
メンバーは西畑大吾、大西流星、道枝駿佑、高橋恭平、長尾謙杜、藤原丈一郎、大橋和也。
今と同じ7人である。
メンバーが発表されたことで、この短文の情報がありとあらゆる関ジュのオタクに混乱をもたらせてしまった。
·MAINで活動していたのは西畑大吾、向井康二、大西流星、室龍太の4人だったのに4人中2人の名前が無い。
年齢的にオタクも焦っていたと思うので、下から下克上を起こされ、省かれた様な空気が流れた。
·藤原丈一郎·大橋和也の公式ユニット加入も、Funky8と言う屋良朝幸くんの作ってくれたユニットの事実上自然解散を思い知らされない訳にはいかなかった。
『リューン』の時に丈ちゃんが言っていた『3列目の逆襲』が本格的に始まったのである。
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正門良規·小島健(もんビバ)
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※西村拓哉·大西風雅·嶋﨑斗亜·岡﨑彪太郎·當間琉巧(ちび5)
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※藤原丈一郎·大橋和也·林真鳥·古謝那伊留·朝田淳弥·今江大地·末澤誠也·草間リチャード敬太
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他
※は場合によって入れ替わっていた様に思う。
此処のもんビバを飛び越えてしまったことにより、もんビバ担にも衝撃が走った。
こじけんは兎も角、この年はれんれんのデビュー年でもあり、当時の関ジュからするとユニットもないのに『デビュー』なんて言葉が思いついている訳もなく、同期の正門くんも『早くデビューしてほしい』どころか『やめないで』と言った不安が気持ちが何処と無く漂っている時期であった。
そんなこんなで、なにわ男子と言うたった7人のユニットが結成されたことにより、ほぼ関ジュのオタク全員をゆるがす大事件となってしまった。
当時私は関ジュ担のTwitterに住んでいたが、あの日の凍った空気は忘れられない。
(今後の自担が何も見えていない中でとてもじゃないけど『おめでとう』等言える心境ではない)
(そんな空気の中でとてもじゃないけど喜べない)
私は当時からなにわ男子のメンバーの担当であったが、例に漏れず誰からも『おめでとう』とは言ってもらえなかったし、自分自身も何も発信出来る空気感ではなかった。
(兄組の担当さんはまた違ったのかもしれない)
色々書いたが空気的にはやはり『康二くんは?』と言うみんなの思いが1番強かった様に思う。
そんな一夜にして訪れた問題の数々をオタクが解決出来る訳も無く、私達にはその時『Fall in Love』と言う梅芸公演が迫っており、常に目の前に見えていながらその問題は一旦見ない、と言った本当に無理矢理な方法で終わった。
勿論なにわ男子に入る入らないで関ジュオタク同士がお互いを好きになる訳でも嫌いになる訳でもなく、複雑なその問題は受け止めつつ華麗にスルーする運びとなった。
関西Jr.のバリバリサウンド、略して関バリと言うラジオ番組は当時藤原丈一郎·大橋和也·正門良規·高橋恭平の4人がレギュラーメンバーとして放送されていた。
丈くんの面白さ、正門くんのフォロー、橋橋のおバカ加減が絶妙なバランスで、この中に担当がいない私も当時は毎週楽しみに聴いていた。
メンバーを見てお分かりのことと思うが、4人中3人がなにわ男子となった。
生放送だったので同じ時間軸で進んでおり、なにわ男子が結成されて初めての放送を固唾を飲んで聞いていた。
挨拶は変わらず、『関西ジャニーズJr.の藤原丈一郎』『大橋和也』『正門良規』『高橋恭平です!』で始まった。
ユニット名を名乗らないどころか、その日の放送ではなにわ男子が結成された話は1mmも出なかった。
こんな大きなニュース近年の彼等に無かった筈なのに。
彼等もまたオタクと同じ様に、『なにわ男子を一旦スルー』することを、なにわ男子も、なにわ男子以外も、選択していた。
彼等もきっと、苦しんでいた。
私は、『あの大らかそうな正門くんでもこんな空気になってしまうのか』とことの重大さを改めて思い知ることとなった。
一方で、その頃丈くんは『タイヨウのうた』と言うふぉ~ゆ~辰巳くん主演の舞台にも出演していた。
当時なにわ男子は勿論関ジュも今みたいな爆発的人気はなかった為、この舞台も当日券で、大阪の初日を観劇することが出来た。
そこには、最後のカーテンコールで『なにわ男子の藤原丈一郎です。』と挨拶をする丈くんがいた。
『僕、今初めてお客様の前で『なにわ男子』って言いました』と嬉しそうに言っていた。
関西ジャニーズJr.が他に誰もいないこの空間で、初めて丈くんは何にもとらわれず自由に『なにわ男子』を出すことが出来ていた。
話は戻るが、SNSでの反応が芸能人に届かない時代でもなく、恐らくなにわ男子自身が1番反対されている空気感を感じ取っていた(SNSでは応援より批判の声が常に大きいしね)。
それが梅芸初日に立ってみて『応援されていることが分かって安心した』と言う様な彼等の当時の発言に繋がっていたと思う。
梅芸が終わり、クリパが終わり、序列が変わったことをオタクは口に出さずに徐々に受け入れて行くしかなかった。
そんな時にまたしても大事件が勃発する。
私は入っていなかったが、同日に3公演もあり、それぞれを観ていたオタク達10人近くと夜に打ち上げと言う名の新年会をすることになっていた。
終演後、出て来たオタク達は精神状態がかなりボロボロであった。
ROTでも取り上げられているし、素顔4でも発売されたが、公演があんな状況であった。
マイドリでみんなが泣いている。
今迄ああ言う時の関ジュは誰かが辞める時であり、『この人が辞める訳では無いと思う』『こっちかなぁ?』『何だったんだろう?』と解散する迄ひたすら答えの出ない議論が繰り広げられた。
康二くんのSnowMan加入は彼に残された最後のチャンスであったことは誰の目にも明らかであり、喜ばない人はいなかった半面、あんなに関西を愛して来た彼が何故東ジュにならないといけないのか。
そんな中、希望が見え始めたのが『Lilかんさい』の結成である。
私はユニットが『なにわ男子』だけでなくなったことに心底安堵した。
元々『ちび5』として非公認ながら5人でいることが多かった為、こちらは誰も増えず欠けず、すんなり受け入れられた様に思う。
そして『Aぇ!group』の結成。
Funky6の行方が知れない中での末澤·草間、そして間にいたもんビバの活動が保証されたことで、なにわ男子担的にも自担の長年のツレが多いユニットであり、『良かったね』と言う雰囲気であった。
立て続けのユニット結成であり、非加入組担にも既に『関ジュは変わってしまった。仕方がない』と言う空気も流れていた。
こうして、『一方的に叩かれ続けたなにわ男子』はこの辺でふんわりと歴史を閉じることとなる。
その後、龍太くんも俳優専業となり、真鳥くんも振付師への転向、朝田くんは3月の春松竹で退所と、徐々にみんなの道が決まって行った。
夏の8·8で、康二くんは加入から7ヶ月でデビュー組への階段を昇ることが決まり、同じく夏にAぇ!groupはなにわ男子より先に単独関西ツアーを回ることになった。
叩かれたのは何だったのか。
Aぇが出来たことによりこれで叩かれなくて済む、と言う安堵感と、モヤッと感と。
そこから何年も経ち、なにわ男子が出来てからのファン、デビューしてからのファンがもりもり増え、何のしがらみもなく純粋に喜ぶ人が沢山増えた。
10月6日は、私にこの1年弱の色々な感情を思い出させる日にちなのであった。
そのほとんどがこの記事のように「マイナカードに発信機があり使ったらデータが蓄積し政府に筒抜けになる」そんな事実誤認で妄想を拗らせており
批判するなら最低限の知識をもって批判してほしいものだ。ロジカルシンキングを放棄して批判してる異様さに呆れ返ってしまった
仮にチケット販売者にマイナンバーを渡して、国が民間のチケット販売者のサーバをどういう理屈でみるのか?
民間業者がチケット作るたびに国に申請して参加者を一覧をマイナンバーとセットで提出させる気なのか?
そもそもインボイス+消費税があるからマイナンバーなんて不要で徴税できると考えられない点で終わってる。
チケットの転売防止策として、Jリーグと提携してサッカーのチケット販売にマイナカードを利用する方法も、試行するそうだ。
これらが実現し普及してゆけば、国民の誰が年に何回サッカーや野球を見に行ったか、観劇やライブに足を運んだか、徴税側は把握できる。年間に一定回数(10回とか)以上、サッカーや野球を見に行った人からは「スポーツ振興協力税」を、観劇やライブに行った人からは「芸術助成協力税」を徴収するすることも可能になるだろう。
政府発表みれば裏表なんて無く、犯罪集団が精巧な偽造免許証を作り最早既存の本人確認方法が陳腐化してるのが問題になってるとわかる
マイナカードはICを使った本人確認が今のところ鉄壁であるから利用するのである
実は本人確認にマイナンバー自体は全く関係なく、マイナカード更新部会では本人確認に使われる場面のほうが多いなら表面から消してしまえばという話まである言うので国民のデジタルアレルギー対策も大変だとつくづく思うのである
田舎町だから、たまに市が呼んで演劇やるんよね。ある時奮発したのか劇団四季が来たのよ。
みんな喜んで楽しみにしてさ。
たまに市が呼んで演劇やるんだから、演劇自体はたまにやってるんだろうね。
あの有名な劇団四季なら観るけど、そうではないなら観ない人が大半なんでしょう。
田舎町に劇団四季が来た時に「この町のほとんどの人は、人生で最初で最後の舞台観劇です」と劇団員に伝えた話
商店街の中にひっそりと劇団があって年に2回くらい何かやってるようだ
劇団四季みたいな大物が来たら記念に見るかもしれんけど地元でやってる劇団なんか誰も興味はない
舞台なんてそもそもほとんどの人は興味がなくて記念に見てるだけ
予備校勤務の立場から、「英文学科で後悔しない視点」をまとめた。
関東圏限定で、多少厳しめに書いたが、これらをクリアすれば楽しい学生ライフが待ってると思う。
多くの英文学科が、TOEIC受験を必須にしたり、観光•メディアも学べるコースを配置して、受験生の親に「就活に対応しています」PRしている。
しかし、注意して欲しいのが、英文学科の学びの中核は、「イギリスやアメリカの文化を学ぶこと」であって、TOEICが対象としているビジネス英会話も、オーストラリアやシンガポール、カナダと言った国々の文化も中心ではないことだ。
• メディアや観光業界に惹かれるなら、それらの要素が強い学科も検討しよう。専門にする国を時間をかけて選びたいなら、国際系学部もあわせて検討しよう。
英文学を専攻するにあたり、演劇や映画の授業はついて回る。演劇や映画専攻ではない、文学部での演劇や映画の学びは独特であることを理解しよう。
演劇や映画専攻の場合、実際の創作や演技がカリキュラムに組み込まれており、他の大学生と協働して作品を作り上げる。それぞれの嗜好や制約の中でロジカルに考え、ベストを尽くす経験は、色々な業界に行っても役に立つ社会人基礎力が得れる。しかし、英文学科の場合、学ぶのは一人で行う批評であり、これが得意なタイプの人もいる。
•高校生のうちに、シェイクスピア演劇を複数回観て、観客か、提供者側のどちらが向いてるかを考えよう。関東の場合、さいたま芸術劇場(今度やる真夏の夜の夢は18歳以下無料!)神奈川芸術劇場(今度やるリア王は高校生以下1000円!)シェイクスピアカンパニーなどが公演をやっている。観劇前に無料のミニレクチャーがあったり、劇場の裏側見学ツアーもセットになってるのも楽しい。
•アニメやゲームに関心がある場合、作品づくりという点で演劇や映画専攻のほうが興味に近い場合もある。
これは持論で恐縮だが、文学部の学びは、キャンパスの立地が重要だと考えている。
理想は京都洛内のような、面積あたりの知識人や職人の割合が多く、学生に優しい街だ。
東京の場合、ふらっと行ける帰り道に、映画館や劇場があることや、寝床が近いことが重要なのではないかと思う。文学部の学びは、偶然の作品との出会いや、夜通し学友と語り明かしたりすることを通して洗練化されるので、通学時間が長かったり、郊外で生活が完結してしまうのは少し難しいと思う。
•これは少しズレるが、大学の四年間、「週五日、オンライン英会話教室を続け、年に6回、演劇を観にいく」と仮定してみよう。それを差し引いて学びたいことがありそうかを、志望学科の教員の専門から探してみよう。
•大学の教員と楽しく話せそうな目処があることが、中退や留年を防ぎ、大学生活を楽しむ上で特に重要だと思う。
数年来の歌舞伎ファンだけれど、ネットに放流される歌舞伎の感想を見ていると、グロっ!と思うときがある。
いちばんそれを思うのは、歌舞伎の家に生まれた子ども(特に未成年)に対しての、「お父さん(orお爺さんその他親戚)に似てきたね!」っていう感想。そういう感想には、ふと見ていて自分で思い至ることもあるけれど、一方で、自ら振り返ってみると、又は他の人の感想として見ると、うわっ!グロっ!と思ってしまう。
思っているだけだとモヤモヤするから、何がグロいかを言語化してみると、それは、本人が決めるべきこと(将来の職業選択、そこで役者を選択するとしてその芸風・方針)について、生まれや血族といった本人の意思ではどうしようもできない事実を評価の基準として、第三者にすぎないいちファンが勝手に判断して評価しているから、だと思う。
もっと踏み込んで言うと、無限の職業選択の自由が拓けているはずの子どもに対して、第三者がその子どもの将来を(職業だけではなく芸風まで)決めつけてしまっているという点について、無意識であるにしろ、ものすごく高慢に見える。
この所感は、古典演目を、比較的若い役者が、過去の大役者が確立したような型に倣ってやるような場合に、当該大役者の親族(又は、その中でも風貌が似ている者)にやらせないとおかしい、みたいなコメントが出てくる場合にも同じことを思ってしまう。結局それは、今の演者ではなく、過去の演者を求めているに過ぎないし、(こういう鑑賞態度は歌舞伎だとあるあるではあるけれど、)個人的には、そのような鑑賞態度である限り、今の演者を(自ら理想化した過去の演者と比較して)批判的な目でしか見ることができないから、観劇が辛いものにしかならず、実りのある観劇体験にならないんじゃないかと思う。
(逆に、役者に対する「〇〇屋に生まれたんだから(or所属しているんだから)、△△さんから指導を受けて××(演目)をやらないとおかしい」みたいなファンの意見も同じ。言ってるファンは、親祖父母から指導を受けて同じ仕事やってるんだろうか……。)
いや、そもそも上記のようなことを言ったら、御曹司のかわいい初舞台で、ベテランのお弟子さんがセリフもなく後ろに座っているという構図自体、あたりまえだけど普通にグロい。
もっとも、もうこういう家による階級制度は、あと20年(いや、10年?)経ったら、消えて無くなってるんじゃないかなあと思う。そして、そういう兆候がちらちらと現実にも顕れていることは、今の歌舞伎ファンならば分かると思う。
つまりは、これからの中心的なファン層は、歌舞伎への入り口が、刀剣乱舞歌舞伎その他の2.5次元歌舞伎、又は、大河ドラマその他の映像作品である人が多いと思われる。そういう人たち(そうでなくても、これからファンになる若者層)に、「お家」とか「名跡」とかに重きを置いて、扱いに差を設けることを正当化するような価値観は、もう通じないんじゃないかなあ、ということだ。ただでさえ、「親ガチャ」が流行語を超えて浸透しているような世代だし。
(個人的に、初報が発表されたとき、刀剣乱舞歌舞伎は今できる最高のコラボ歌舞伎だと思った。和の世界観と親和的で、既存のファンの方の数が多くて、しかも観劇に抵抗がなく、むしろ積極的であるというのがすごい。これから若い歌舞伎ファンの殆どが刀剣乱舞が入口、ということは、普通に起きるんじゃないかなあって思う。いや、もう起きている?)
一方、上記で、階級制度が無くなるという兆候が顕れている、とは言ったけれど、現状は、それは、名家の御曹司が座頭を務める舞台で、実力のある弟子を大役に抜擢することがある、という形にしかなっていないとは思う。つまり「使う側」(座頭)と「使われる側」(大役に抜擢される弟子)がある、という権力構造には変わりはなく、単に「使う側」のお慈悲が発揮される回数が増えただけ、という状況にしかないようには思う。すなわち、従来の力関係にはそこまで変わりはないんじゃないかっていうことだ。
(あと個人的には、そういう「抜擢」をした役者/「抜擢」をされた役者のことを、美しいストーリーとしてSNS等で賞賛する行為は、度が過ぎると、上記の権力構造の再確認になりかねないし、弟子の苦しい立場ごと消費しているような感じがして、あまり乗り切れないところがある。歌舞伎御曹司の感動ドキュメンタリーと消費の仕方が同じというか。但し、そういう風潮が抜擢を後押ししていることは否めないし、全部を否定はできない。結局、観劇というのは突き詰めると観客による役者の消費ではあるし、役者のバックグラウンドごと観客に消費させるのは、歌舞伎が今まで取ってきた手でもある。)
(さらに言うと、一部SNSによる一部の役者・家への軽率なDISも好きではない。ちゃんと芸単体を見て評価できる人が評価しているならともかく、SNS(というか、その人が構築しているタイムラインに流れてくる限られた情報)の、この人なら批判対象としてもいいんだ、という雰囲気に流されて、大した芸の批評もせず批判をしてるんじゃないかって気もするし、自分が「見巧者」であることのアピールとして軽率に使われてるだけな気がする。)
じゃあどうするんだという話だけれど、近い将来、御曹司と弟子をキッパリ区別して取り扱うような現行制度について、どこかのタイミングでアナウンスがあって形式的な解消がなされる、という事象が起きてもおかしくないんじゃないかなあとは思っている。あくまで、上場企業である松竹が、今の門閥制度は上場企業に相応しくない、とか言って形式的にやることかなとは思うけれど。具体的には、まずはポスターに名前を載せる基準とか、筋書きの後ろの方の写真の大きさとか、動静表のあの色分けとか、あそこら辺の形式的な取り扱いから(一律、名代試験→幹部昇進で区別するとか。)。
もっとも、役付きも、それに伴って柔軟になっていくってこともあるかもしれない。ただし、私は幕内の事情は全く知らないし、上記権力構造は変わらないのかもしれないし、この考え方も全くの的外れかもしれないけれど。そもそも、歌舞伎名家の権力(私から見えるのは、歌舞伎座古典の大役の配役くらいだが)がどこに裏打ちされているのかもよく分からないし(メンツを見てると、必ずしも集客じゃない気がする。そうすると、本当に“名家”であることの一点のみで権力たりうるということなのかもしれないけれど、平成生まれの自分にはピンと来ない。)。
最近の御曹司はみんな上手いなあと思う。やっぱり、現代になって、色々な選択肢が拓けている中で、今の若手世代の御曹司の皆は、自ら歌舞伎役者になることを選んだんだと思うし、やはりその覚悟に見合うだけの実力がある。これから歌舞伎がどうなっていくか全くわからない中で、歌舞伎を将来の道として選択してくれたことは、歌舞伎ファンとしてとてもありがたい。そんな御曹司たちとそうじゃない人達とで切磋琢磨していくのが健全なんじゃないかなあと思う。
そして、冒頭に戻ると、「お父さん(orお爺さんその他親戚)に似てきたね!」といった一連のグロい感想も、今の価値観にそぐわないものとして自然と淘汰されていくんじゃないかなあ。そして、価値が大き過ぎて空席になっていたはずの大名跡の価値は、空席のまま忘れ去られることになり、古典演目が歌舞伎座でかかるとネット上でもかろうじて見受けられる、あの動作は過去に誰々が始めたものだ、みたいなコメント兼マウントと、それを把握しなければならないという価値観も、良くも悪くも間もなく消えていくんだろう。
――最近は研修所への入会やお弟子さんの入門自体微々たる数しかないから、まずそこから増やさないと、歌舞伎文化の継続自体がかなりマズい? それはそう。