はてなキーワード: 差別化とは
https://anond.hatelabo.jp/20250129090021
機械式時計に文句を言うのは仕方がない。19世紀の産物であり、当時の技術の限界の中で生まれたものだからだ。ゼンマイを巻かなければ止まり、振動や温度変化に弱く、精度もクォーツには遠く及ばない。何十万、何百万円もする高級機械式時計を買って、毎朝ネジを巻き、数秒の誤差に目を光らせながら生きるというのは、もはや儀式の域に達している。しかし、それに対して「じゃあスマートウォッチが最先端だ」と結論づけてしまうのは、さらに大きな不幸である。本当の文明は、カシオのデジタルウォッチとともに到来したのだ。
カシオのデジタルウォッチは、機械式時計のようにゼンマイを巻く必要がない。バッテリーで勝手に動き続け、数年単位でしか交換の必要がない。これが本物の利便性というものだ。そして、その精度も圧倒的である。G-Shockの公式仕様では月間誤差は±15秒、廉価版のCasio Collectionのデジタルウォッチは±30秒とされているが、実際の計測では廉価版ですら月間誤差が1秒あるかないかである。よほど秒単位の正確さにこだわる人間でなければ、時刻合わせを意識する必要すらない。
こうした精度の高さは、カシオの製造技術の水準の高さを示している。マーケティング上、G-Shockや上位モデルとの差別化を図る必要があるため、廉価版の性能が控えめに表記されるのは当然だろう。しかし、実際には廉価版のCasio Collectionのデジタルウォッチですら、ほぼ完璧な精度と堅牢性を備えている。これは、単なる大量生産品ではなく、極限まで洗練された技術の結晶なのだ。
カシオの時計をコモディティだと思っている人は多いが、それは単に安価だからそう見えるだけである。実際には、廉価版の時点でほぼ完成形であり、時計としての基本性能が極限まで磨き上げられている。必要な機能だけを搭載し、無駄を省き、それでいて何年も壊れず、正確な時を刻み続ける。これこそが時計の究極形であり、あらゆる時計の中で最も優れた選択肢である。
機械式時計を買って後悔するのはまだわかる。それは古い技術だからだ。しかし、そこからスマートウォッチに飛びつき、「これこそ21世紀の時計だ」と思い込んでいるのは、もっと悲惨なことだ。本当の文明は、カシオのデジタルウォッチとともに訪れた。ゼンマイを巻く必要がなく、充電の手間もなく、それでいて精度はほぼ完璧。カシオを知っていれば、機械式時計の不便さに悩むことも、スマートウォッチの充電地獄に苦しむこともない。
時計とは何か、という問いに対して、カシオはすでに究極の答えを出している。しかし、それを知らない人間は、いまだに無駄な選択を繰り返している。機械式時計に文句を言いながら、スマートウォッチに振り回されている者たちは、単にカシオの存在を知らないだけなのだ。そして、カシオを知らないということこそが、最大の不幸である。
機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-を鑑賞してきた感想をだらだらと書きます。素人の初見、生きのいい感想をお求めの方向け。
プロローグ的なストーリーにしては本編81分は長いのだろうか?よく分からない。
ガンダムの知識は低学年の頃に見たSEEDDESTINY、ダブルオー(めっちゃハマっていた)、AGE、鉄血のオルフェンズ、Gのレコンキスタ、水星の魔女(スレミオ派、友人にスレミオ絶許のかなり強火グエスレ担女が居る)ぐらいだが、それもふわっとした知識しかない。
DESTINYは胸を露わにしたピンク髪のハレンチ女がハロを投げるアイキャッチと、シンがイケボで好きだ!という印象しか長らくなく、当時腐女子が熱狂していたダブルオーはティエリアが好きすぎただけで内容はそんなに覚えていない。余談だが、ティエリア推しは総じて影木栄貴を目の敵にしていると思っている。
機体もなんとなく主人公機のガンプラを買って組み立てた事はあるが、それほど興味はない。
これにはトラウマも関係している。中学生の頃にダブルオーのキャラ話を女子がしていたらガノタの男子が機体知識をドヤッてきてキショかったからである。
それから更に、ストーリーやキャラ萌え方向に所々でガンダムを拗らせていた。
話を元に戻そう。
30分ぐらい何も分からない。
ポケモンのキャラデザの方が今作でキャラデザをしていると聞いていたが、そのキャラが全然出て来ない。
シャア・アズナブルはなんとなく知っている。鑑賞しながらキャラの声優当てをし、ドリンクを飲みながら耐えていた。
地球から移住している設定は知っているものの、前述の通り、宇宙世紀シリーズ?にあまり触れていない為、マクロスFの知識とごっちゃになっている。
ガールミーツガールが好きだ。赤髪の女の子が好きだ。でもキャラの性格はミオリネ・レンブランみたいなのが好きだ。
今作の主人公はスレッタとミオリネを足したような、No.6で見たようなストーリーラインのような気がした。水星の魔女とどのように差別化するのだろう?と途中から考えて観ていた。
主題歌がネタバレだと聴いていたが、実は主題歌を配信日に聞いて歌詞を見てからネタバレの答え合わせをしたくて観に行ったクチだ。
合間合間に、アレ?この歌すいちゃんか?ダブルオー声優多ない?と思考を巡らせていた。2008年代頃の日5のサウンドエピソードで鍛えられているので、耳には自信がある。
水星の魔女の最終回では、SNSで言われていたように実際に主題歌が流れていて、それが逆にシラケたのだが、今作はこの歌ありきというかわ主人公の覚醒と共に主題歌がバチッとハマッて流れるのは気持ちが良かった。
途中から頻繁に出てくるキュピーン!みたいな直感の音が謎すぎる。定番なのだろうか。
というか、この映画、プロローグとはいえ主人公の家庭環境がほわっと出てくるだけでそこに至るまでの思考も分からなければ、ヒロイン的な黒髪の少女の事も薄幸そうな電波美少年の事も、何一つ分からない。難民なんだな、落書きアーティストかんだな、と記号的な事しか分からない。
主人公はダイナミック自〇未遂?なのかと思ったら飛び込みしてただけなので何故あんなに騒がれているのかも分からない。
Switch2 のスペックや実際のパフォーマンスは、ニンダイ や 体験会まで不明やぞ
今日の PC/モバイル の CPU/GPU の進化から順当に考えれば、12年前に発売された PS4 レベルはあっても良さそうなので、
当然のように Switch2 は DLSS が搭載 PS4 くらいのパフォーマンスは発揮する体で多くの人が話してるけど、
「キッズ向けに価格抑えないといけない」&「PCと差別化するギミックを作らないといけない」って最重要ミッションあるし
PS4 のパフォーマンス以下に留まる可能性もゼロやないで? 低価格 & PC との差別化の方が遥かに重要やし
PS4 くらいのパフォーマンス出せれば、フロムはエルデを Switch2 で出せるだろみたいな感じで盛り上がってるが、はてさて
Switch2 が PS4 くらいのパフォーマンス発揮するか?とか ポータブルゲーミングPC の話ではなく、
根本的なこと言うと、PCのみで手堅く数百万本以上は売るメーカーや、将来的にGTAクラスのゲーム作れるし?ってメーカーは、
ミドルレンジ以上のPCでリリースしまーす!で特に問題はないけど、そうじゃない会社、特にPSファーストや和サードは、
そこからすると、Civ はマジでえらいよ。PCが圧倒的なシェアを持つタイトルであるにもかかわらず、ちゃんと Switch でも展開したしな
任天堂のキラータイトルと中韓ライブゲームしかプレイせず、オフラインの本格的なボードゲームや家庭用ゲーム機のシミュレーションゲームにまったく触れてこなかった子どもが、
将来 Civ のような本格的なシミュレーションゲームをプレイする可能性は極めて低いってちゃんとわかってる
PSファースト・和サードはこの「当たり前」で「長期的な視点」なユーザー育成の意識が不足している
あと、最近また盛り上がり始めた格ゲーだけど、これも子どもが遊ばなくなったジャンルは衰退するという認識を強く強く持つべきだよな
現代は、ゲーセンで格ゲーに触れる機会がなくなったので、家庭用ゲーム機で遊んだ経験がなきゃ、大多数は一生格ゲーで遊ばないまま終わるので、
シングルプレイやローカルプレイ中心なら Switch でも楽しめるよ!オンライン対戦は、PCか箱かPSで遊んでね!がまともな売り方だと思うわけ
ストリート6 とかマジで Switch 向けだったと思うのよ。ワールドツアーモードっていう充実したシングルプレイモードがあったし、
複数の Switch を持ち寄ったローカル対戦プレイでかつてのスーファミみたいな遊び方出来ただろうしな
ポケモンやドラクエ9だけでなく、マリオカートDSでもローカル通信対戦は実現できてるし、
問題は、マシンパワーに頼らない技術力(最適化力)と、それを実現しようとする開発側の意志だけだ
インフルエンザ診断されて家で寝てたんだけど暇なんでぶっちゃけ話書き出しとこう。Xに書けねえし。
AI驚き屋はインプレッション稼ぎ、コンサルは使って欲しいんでAI使いこなしてますよアピールするけど、じゃあ現場はどうなんだよって話ね。
まず隠す方。これは色んなレベルで行われてる。外注は聞く限りでは使ってるところが多いし、社内請負系でも塞いでないところは使われてる、社員もまあ使ってる。
一番面白かったのは、割と大きめの企業で社内で大々的に社内向け生成AIチャット作って使ってる(話聞く限りはAzureベースの検閲ありChatGPTクローン)話。が、対外的には何も言ってない。
これなんで隠すかっていうと、セキュリティだの情報漏洩だのも理由なんだろうけど、一番大きいのは「単価を下げられたくないから」。
簡単な話で、派遣でもバイトでもなんでもいいんだけど、自分が雇ってる立場だとして、雇われる側の処理速度が2倍になったら2倍金払う?払わないよね。
ラッキー、いい人が入ってくれたと思って2倍仕事を振るか、色々やってもらうよね。
日本の場合は特に、職務範囲が曖昧だし、(遵法意識が曖昧な企業なんかは)外注だの請負だのでも、一定期間雇ってる意識でいるところがあるよね。
というあたりで、全社的に生成AI活用するぞってやってるところでも、社外にはアピールしてない企業がまあまあある。完全に緘口令敷いているところはあんま聞かないけど。
生成AI活用しましたって馬鹿正直に申告して、良いこと特にないんだよね。だから隠すし、使い方も共有しない。今はライバルに差をつけろ(自分の時間を持つぞ)みたいな状況。
あと使わないって企業もまあまあある。個人でもあんなん使い物にならないよって人も、まあまあ業界にもいる。わからんでもない。
社内でGoogle検索できない企業は存在はするし、github使わないとかそこまで珍しくもないし、あと自分の使い方に合わないから使わないって人も普通にいる。
靴に自分を合わせる必要はないし、そういう人が割といるおかげで、生成AI使う方は差別化にもなっているところはある。
何をどう使ってるかは恨まれたくないし大っぴらに書くつもりないから、まあ想像してくれ。
ただ、AI驚き屋さんが言うみたいにホワイトカラーの仕事がなくなることはないし、プログラマーも別にいらなくならないし、曖昧な仕様でゴリ押ししても生成AIは完成品を出力しない。
逆に、今はまだ発展途上で使い物にならないみたいなのも正しくないと思う。ごく具体的に言うと、月単価100万の仕事なら、2〜3万円って一人日以下だよね。月に5時間も節約できれば元が取れる。
つまりは、その程度には使い物になってる。
この辺、他の業界も変に浮かれずに、うまーく導入していかないと、単にコストカットできるとしか思われなくて地獄を見ることになると思うよ。
もう他業種だから恨まれても関係ないから書くけど、家庭教師業界とかね。
生成AI凄いんですよアピールとかしちゃったら、もうChat GPT-4で良いじゃん先生いらない、みたいなね。
合格というゴールに向かって、一貫してちゃんと伴走できるのが良いんですよ作り話もしないし確実なのは参考書をもとに解説できる私なんですよアピールが必要になる。
でも確認テスト作ったりとか、相手によって異なるモチベーションをどう維持させるかのアイデア出しとかは、使えるよね。
隠れて使ってる時って「生成AIは嘘をつくから教育には使えない」とか主張してくれる人がいると助かるんだよね。その主張を信じる人は、人間を雇ってくれるから。
というわけで、テック関係者は生成AIを使ってんのかよって言われると、半々かな。
一撃でアプリが作れますみたいな使い方してる人は多分いない。書いたコードにコメントつけさせてるやつはいるだろうね。
ぬいぐるみ隣に座らせてプログラミングしてたら効率が上がるような業界だぞ。そりゃあ使えるものはなんでも使いますがな。
ぜひこっそり、うちの業界でも使ってるけど黙ってるみたいな話を聞かせて欲しい。
スマートフォンが主流になって久しい。街中を見れば老若男女関係なく、誰もが同じような長方形の端末を手にしているし、電車に乗ればみんな下を向いてSNSやらゲームやらに没頭している。いや、それ自体を否定するつもりはないんだ。だけどさ、本当にみんながスマートフォンを必要としているのかなって思うことはある。いまやスマホの機能はパソコンをも凌ぐものになってきているけど、それって果たして全員にとって必要不可欠なのだろうか。そもそもガラケーで事足りる人って、意外と多いんじゃないかと思うんだよね。
そりゃ、便利だよ、スマホは。アプリを入れれば何だってできるし、SNSだって投稿が簡単にできる。動画も地図もあれこれ全部一つの端末に詰め込んで、ポケットに入れて持ち運べるなんて、かつてのパソコン時代やガラケー時代から比べたら夢のようだ。それに加えて大容量のデータ通信が可能なプランを契約すれば、外でもガンガン動画を観られるし、リアルタイムでのやり取りもスムーズ。そういう意味では、確かにスマホはすごい。でも、その“すごさ”を真に活用できている人がどれほどいるのかは、ちょっと疑問だ。
たとえば、メールと電話、それにちょっとしたSNSやブラウザ検索くらいができれば十分という人は少なくないはずだ。その程度の用途なら、別にガラケーでもいいんじゃないの? と思うわけ。必要最小限の機能を備えていれば、そもそも「ネットが重い」「アプリが落ちる」「OSがバージョンアップできないからアプリが使えない」といった煩わしさとは無縁だし、バッテリーも長持ちする。なんせガラケーなら2〜3日は充電しなくても平気だ、なんてこともザラにあるからね。スマホだと日常的に毎晩充電しなきゃいけないから、その手間を考えるとガラケーの利点もやっぱり大きい。
もちろん、スマホにはカメラ性能が高いとか、決済機能があるとか、生活を快適にするいろいろな便利機能が詰まっている。でも、カメラだって一眼レフやデジカメを持っている人からすれば、スマホカメラじゃ満足できないこともあるはずだし、逆にスナップ写真くらいしか撮らない人ならガラケーのカメラで十分事足りる。決済についても、スマホ決済が便利なのは間違いないけど、クレジットカードや交通系ICカードがあれば大抵の場所で用は足りるんだよね。結局、なんでもかんでもスマホに集約して「スマホがないと生活できない」状態になるのは少し危うい気さえする。
思えば、ガラケーと呼ばれる前の時代は、みんなが当たり前にあの二つ折りやスライド型の携帯電話を使っていたわけで。それでも社会は動いていたし、人間関係だってきちんと成り立っていた。実際、あの頃は電話とメールだけでコミュニケーションが十分成立していたし、インターネットをしたいならパソコンを使えばよかった。そして何より、ちょっとしたネット閲覧や着うた・着メロのダウンロードには、ガラケー専用のサイトが用意されていたから、それを不便だと感じていた人は今ほど多くなかったんじゃないかと思うんだ。
そう考えると、やっぱり「ケータイなんてガラケーだけで十分じゃね?」と思うこともある。だって、通話とメールが使えれば連絡は取れるし、カメラも簡易的な撮影には不自由しない。さらに、多くのガラケーにはストラップを付けられる穴があって、そこにお気に入りのキャラグッズをぶら下げてアピールする楽しみ方なんかもあった。いまのスマホには、そういう「ケータイの個性化」を楽しむ余地が薄い気がするんだよ。スマホケースやカバーで差別化するっていう人もいるけど、昔のようにジャラジャラとストラップをぶら下げる感じとは違うんだよな。
ときどき言われるのが、「いやいや、いまの世の中はLINEでのやり取りが必須だから、ガラケーじゃ不便でしょう」という意見。でも、それって本当に全員が必要かな? たしかに仕事やサークル、あるいは家族・友人のグループチャットで情報を一斉共有したり、スタンプでカジュアルにコミュニケーションしたりするのは楽で便利だ。でも、電話やメールじゃダメなの? 昔はそれでやりくりしていたわけで、無理にLINEに縛られる必要はないんじゃないかと思う。もちろん「いや、仕事でどうしても必要なんだ」っていう人はいるだろう。そういう人はスマホを使えばいい。でも、誰もが「LINE至上主義」に合わせている現状に、ちょっと違和感を覚えるのも事実だ。
もっと言えば、「そんなにインターネットがしたかったらiモードもあるし」と言いたくなることだってある。そう、ガラケーにはiモードという独自のネット接続サービスがあって、昔はあれで天気予報やニュースサイトを見たり、ちょっとした調べごとをしたりしてたわけだ。いまはさすがに対応サイトが減ってしまったかもしれないけど、それでも基本的な情報収集ならできなくもない。「スマホじゃなきゃネットができない」わけじゃないんだよな。
とはいえ、世の中にはガラケーを愛用しつつも、必要最低限の用途だけスマホを使う「2台持ち」という人もいる。スマホは持っているけど通話はガラケーでする、みたいなスタイルだ。これってわりと理にかなっていて、ガラケーは通話用にバッテリーが長持ちし、スマホはSNSやアプリ専用と割り切ると、余計な通知に煩わされることも減る。料金プランをうまく選べば、そこまでコストも高くならないから、案外「スマホ1台より2台持ち」のほうがストレスフリーという人だっているわけだ。
ただ、「ガラケーとスマホを両方持つとか、管理が面倒くさい」という声もあるだろうし、そもそも二台持ちが一般的になると、街中で両手に端末を持って歩くようになるのかな? なんて想像すると少し滑稽でもある。そこまでしてガラケーにこだわらなくてもいいじゃないか、という意見があるのも理解できる。でも、一部のガラケーユーザーにとっては、あの折りたたみの感触や物理ボタンの打ちやすさ、そして着信音を選ぶ楽しみなんかが、今でも捨てがたいんだろうなって思うんだ。
ガラケーの物理ボタンは、スマホのタッチスクリーンにはない魅力があると思う。画面を見なくても、手探りでボタン操作ができるし、押した感触がハッキリしている。メールを打つにも、慣れればかなりのスピードで文字入力ができるから、指先が画面を飛び回るスマホよりも誤操作が少ないという人もいる。実際、ガラケー世代の人間からすると、あのテンキー入力のほうが「身体に染み付いている」感覚があって、スマホのフリック入力がどうにも馴染まないなんて話もよく聞く。だから、使い勝手という面では、ガラケーを「機能が少ない」と一蹴するのは早計だという気がする。
また、ガラケーには折りたたみやスライドなど、端末自体の形状にバリエーションがあった。そのせいか、端末のデザインにも個性が感じられたものだ。カメラ部分の形が凝っていたり、アンテナが伸びるタイプだったり、質感も金属やプラスチックなど機種ごとに違う。自分の好みや使いやすさに合わせて端末を選ぶ楽しみがあった。スマホは基本的に「大きなタッチ画面がどんっとある長方形」という形状が大半だから、デザイン的な違いはあっても機能面はほとんど似たり寄ったり。文字通り“画一化”している印象が強い。
カバーやケースを付ければ見た目も変えられるし、画面上の壁紙やアイコン配置で多少の個性を演出できる。でも、ガラケーの時代にあったワクワク感、たとえば「次はどんな機種を買おうかな?」みたいな楽しさは、スマホ時代とはちょっと違う。「新作スマホが出た」と言われても、画面のサイズやベゼルの細さが変わったくらいで、そこまで大きくは変わらない印象がある。もちろんカメラ性能やCPUの進化もあるんだけど、日常的にそこまで性能を使いこなす場面がない人にとっては、あんまり魅力を感じない場合もあるだろう。
それに、スマホはついつい「時間泥棒」になりがちだ。SNSをちょっと見るだけのつもりが、いつの間にか1時間も経っていたとか、寝る前にスマホを触っていたら気づけば深夜になっていたなんて話は、ザラにある。ガラケーだと、動画視聴やSNSのタイムライン閲覧はそこまで快適とはいえないぶん、長時間だらだら触り続けるということはあまりない。そもそも画面が小さいから、がっつり見るには不向きだし、ネット料金が従量制だとしたらむやみに使えないという制限がある。そのおかげで、自分の時間を無駄にしすぎない、という利点すら感じることがある。
「ガラケーの時代には戻れない」とよく言われる。確かに通信インフラや社会の仕組みがスマホを前提とした形に急速に変わりつつあるから、一人で頑固にガラケーを使い続けるのは不利かもしれない。銀行のアプリや役所関係の手続きなんかも、スマホ前提で設計されていたりして、ガラケーだけでは対応できないことも増えている。そこはちょっと残念なところだ。時代の流れに逆行するとなると、どうしても不便を甘受しなきゃいけない部分が出てくるのは仕方ない。
でも、その不便を受け入れてでも「ガラケーだけでいい」と思う人がいるのは、やっぱりそれなりの理由があるんじゃないか。何より、常に最新のSNSやアプリの動向を追う必要がないし、スマホをいじりすぎて疲れることも減る。コミュニケーションや情報収集に追われないから、心に余裕が生まれるかもしれない。実際、スマホをやめてガラケーに戻した友人が、「今までSNSやブラウザの更新ばかり気にしていた時間を、ほかのことに使えるようになった。すごく楽になったよ」と言っていた。まさにデジタルデトックスの効果だろう。
さらに言えば、ガラケーを持っていると周囲から興味を持たれたり、「まだガラケー使ってるんだ」と話のネタになったりすることもある。ひと昔前には、最新のスマホを持つことがステータスのように扱われていたけれど、いまはみんなが同じようなスマホを持っているから、逆にガラケーのほうが個性として面白がられるんだ。「なつかしい!」なんて言われると、そこから会話が広がったりして、それはそれで悪くない。
もちろん、ガラケーの提供を続けるキャリアもどんどん減っているし、新品の端末を購入するのは難しくなってきている現実がある。将来的には4G・5Gの通信環境に完全移行して、ガラケー時代の通信方式が廃止される可能性もある。そのときは、事実上ガラケーが使えなくなるかもしれないし、いわゆる「ガラホ」と呼ばれる、ガラケー風のAndroid端末に移行するしかない時代が来るかもしれない。とはいえ、今すぐに「ガラケー文化がすべて滅びる」わけではないだろうし、それまでガラケー愛好家はしぶとく生き残るはずだ。
結局、「スマホとガラケー、どっちがいいか」っていうのは、その人の使い方や好みによる。スマホが便利で手放せないという人もいれば、ガラケーのシンプルさがちょうどいいという人もいる。世の中にはいろんなライフスタイルがあっていいはずだから、無理に合わせる必要はないと思う。誰かが「スマホを使ってないなんて遅れてる」と言ってきても、それを「押し付けがましいなあ」と聞き流すくらいの心の余裕があればいい。結局、自分が何をしたいかが重要なんだから。
もし「周りがみんなスマホだから自分もスマホにしなきゃ」と思っているだけで、本当はそんなにSNSやアプリを使わないという人がいるなら、思いきってガラケーに戻すのも手だと思う。通話とメールだけならガラケーのほうが圧倒的にバッテリーも保つし、料金も抑えられるかもしれないし、「端末をどこかに置き忘れても、スマホほど重要な情報が入ってないから不安にならない」なんていうメリットだってあるだろう。「みんなと同じだから安心」じゃなくて、「自分の必要な機能がちゃんとある」ことこそが大事なんじゃないか。
もちろん、スマホが悪いわけじゃないし、ガラケー至上主義を唱えたいわけでもない。ただ、「必要以上にスマホを使って疲れちゃうくらいなら、ガラケーで十分なんじゃないの?」という提案をしたいだけなんだよね。実はわたし自身、仕事用スマホとは別にガラケーをサブ機として使っているんだけど、やっぱりガラケーをパカッと開いてガシガシと文字を打つ感覚は良いもんだよ。慣れ親しんだ操作性と、あの独特の押し心地には、どこか安心感がある。電車でスマホの通知に追われずに済むのもストレスが少ないし、本を読んだり音楽を聴いたりする時間が増えた気がするんだ。
そういうわけで、ガラケーという選択肢は決して時代遅れのものではない、と声を大にして言いたい。機能の充実や最新テクノロジーに目を奪われるのも悪くはないけれど、シンプルに生きるための道具としては、いまだガラケーは捨てがたい魅力を持っている。もしあなたが日常のほとんどをスマホに奪われていると感じるなら、一度ガラケーで過ごす日常を思い出してみるのもいいかもしれない。通話とメール、それに少しのネットがあれば不自由しない生活に戻るのも、ある意味では豊かな選択なのではないだろうか。
繰り返すが、「ケータイなんてガラケーだけで十分じゃね?」とまでは言わなくても、ガラケーで十分足りるような人もたくさんいるんじゃないか。昔みたいに、キーボタンをカチカチ押しながら、「そうそう、あれこれこうだよね」とメールを送るのだって味わい深い。意外と悪くない、というかむしろ懐かしくて温かい気持ちになれるかもしれない。少なくとも、ガラケー派の人たちを「時代遅れ」とバッサリ切り捨てるのはもったいない話だと思うんだ。最新のスマホだけが正解じゃない。だからこそ、みんなが自分にとってベストな形で“ケータイ”という道具を選べる社会であってほしいと思う。
もしあなたが、いつの間にかスマホでの習慣に疲れているなら、こう考えてみてはどうだろう。「ケータイって何のためにあるんだろう?」と。連絡手段として割り切るなら、ガラケーこそ理想的な答えかもしれない。もちろん人によっては、「やっぱりスマホがないと生活が成り立たない」という人もいるだろう。それでいいんだ。それこそ「自由」じゃないか。だから、「スマホが当たり前」という常識に縛られず、自分に本当に必要な機能がどれくらいなのかを見極めるのが大事。いまの時代だからこそ、逆にガラケーを見直す価値があるんじゃないかと思う。
最終的には「そんなにインターネットがしたかったらiモードもあるし」、通話とメールで十分ならガラケーでもいい。そこにプラスアルファでスマホを持つか持たないかは、個人の自由。要するに、スマホ一辺倒の世の中だからといって、ガラケーを諦める必要はないんだよね。わたしはそう信じている。あなたのケータイライフに、少しでもガラケー復権の可能性を感じてくれたら、これほど嬉しいことはないよ。
近年、日本のソーシャルゲーム業界、いわゆる「ソシャゲ」業界に対して、「もうオワコンではないか」という声が聞かれるようになりました。一時は爆発的な人気を博し、多くのユーザーを魅了してきたソシャゲですが、その勢いに陰りが見えているとも言われます。本稿では、日本のソシャゲ業界の現状と課題、そして未来について考察します。
まず、ソシャゲ業界がどのように隆盛を極めたかを振り返ってみましょう。スマートフォンの普及に伴い、手軽にプレイできるゲームとしてソシャゲは急速に市場を拡大しました。基本プレイ無料でありながら、ゲーム内課金やガチャシステムを通じて大きな収益を上げるビジネスモデルは、多くの企業に採用されました。
特に、日本独自の文化やアニメーションを取り入れたキャラクターデザイン、高品質なイラストや声優の起用など、コンテンツの充実度がユーザーの心を掴みました。イベントやキャンペーンも頻繁に行われ、ユーザーのエンゲージメントを高める施策が功を奏しました。
しかし、そのような成功の陰で、業界は徐々に成熟し、新たな課題が浮き彫りになっています。
### ユーザー数の伸び悩み
スマートフォンの普及が一巡し、新規ユーザーの獲得が難しくなっています。また、多くのソシャゲが市場に溢れ、ユーザーの選択肢が増えたことで、個々のタイトルへの集中度が低下しています。その結果、既存ユーザーからの収益に依存せざるを得ない状況が生まれています。
ガチャシステムによる収益モデルは、一部のユーザーからの高額課金に支えられています。しかし、これには賭博性や倫理性の問題が指摘されており、規制の強化やユーザーからの反発を招く可能性があります。また、高額課金者に依存するモデルは市場の健全性を損なうリスクがあります。
多くのソシャゲが似たようなゲームシステムやコンテンツを提供しており、新鮮さに欠けるという声が聞かれます。ユーザーは新しい体験を求めており、単なる追加要素やイベントでは飽き足らなくなっています。
さらに、他のエンターテインメント業界からの競争も激化しています。
高品質なコンソールゲームやPCゲームが増え、ユーザーの関心を奪っています。特に、オンラインマルチプレイやオープンワールドなど、豊富なゲーム体験が提供されるタイトルが人気を博しています。
### 海外勢の参入
海外のゲーム企業が日本市場に積極的に参入しており、独自のゲーム性やビジネスモデルでユーザーを獲得しています。これにより、日本のソシャゲ企業は国内市場でも競争力を問われる状況に置かれています。
では、日本のソシャゲ業界は本当に「オワコン」なのでしょうか。それとも新たな可能性があるのでしょうか。
ガチャに依存しないビジネスモデルの開発が求められています。例えば、サブスクリプション型のサービスや広告収入の活用、リアルイベントとの連動など、多角的な収益源を確保することが重要です。
ユーザーが求める新しい体験を提供するために、ゲームシステムやコンテンツの革新が必要です。ARやVR技術の活用、ユーザー生成コンテンツ(UGC)の導入、他メディアとのコラボレーションなど、差別化を図る取り組みが期待されます。
### グローバル展開
国内市場の飽和を打開するために、海外市場への展開も重要です。日本独自のコンテンツを武器にしつつ、現地のニーズや文化に合わせたローカライズを行い、新たなユーザー層を獲得する戦略が求められます。
## 結論
日本のソシャゲ業界は確かに転換期を迎えており、従来のビジネスモデルやコンテンツでは限界が見えてきています。しかし、それは「オワコン」であることを意味するのではなく、進化の必要性を示しています。業界が抱える課題を直視し、新たな方向性を模索することで、再びユーザーの支持を得ることは可能です。
変化の激しいエンターテインメント業界において、生き残りと成長を続けるためには、柔軟な発想と挑戦が不可欠です。日本のソシャゲ業界が持つ潜在力を信じ、未来への一歩を踏み出すことを期待します。
それも結局は「各ゲームで求める品質」の軸がどこにあるか、が最終的な判断基準なんでしょ
ターンベースのゲームであれば30fpsであってもビジュアルリッチを目指して他と差別化したい、とかもあるだろうし、
逆に対戦格闘ゲームであればビジュアルリッチにして30fpsはあり得なくて、最低でも60fpsロックが基本だろという
そして概ね実際のゲームもそういう傾向に落ち着いてると思う、対戦シューターは大体軽くて120fpsデフォみたいな感じだし、
それ以外は大体 30fpsモード/60fpsモードを備えるようになってきている
個人的には非リアルタイムのゲームでもやっぱり60fpsが基本であって欲しいとは思ってるけどね
なので、パフォーマンス/クオリティが選べるゲームではほぼパフォーマンス一択だし、
PCでプレイするときもだいたい60fps出る設定を詰めるところから始める
(という前提で、非リアルタイムであればもう応答性を多少犠牲にして30fps⇒60fpsのフレーム生成でよくね?という気がしている)
任天堂が誇るハイブリッドゲーム機「Nintendo Switch」は、2017年の発売以来、世界中のゲーマーから熱烈な支持を集めてきました。その人気の理由は多々ありますが、最大の魅力として挙げられるのは、テレビにつないで大画面でプレイすることも、携帯機として外に持ち出して遊ぶこともできる「ハイブリッドコンセプト」です。任天堂のゲーム機といえば、これまでも携帯機の「ゲームボーイ」シリーズや据え置き機の「ファミリーコンピュータ」「スーパーファミコン」「Wii」など、数多くの革新的ハードウェアを世に送り出してきた歴史があります。その中でも、携帯機と据え置き機の境界を取り払ったNintendo Switchは、ゲームの遊び方に大きな変革をもたらしました。そして今、多くのファンが心待ちにしているのは、その次世代機とも言える「Nintendo Switch 2(仮称)」です。
噂段階では「Switch Pro」「次世代Switch」「Switch 2」などの呼称が飛び交い、正式発表はいまだ行われていません。それでも、ゲームファンの間では次なる進化形への期待がとても大きくなっています。では、実際に「Nintendo Switch 2」に対して、どのような期待を抱いているのか、私自身の視点でいくつかのポイントを挙げながら考えてみたいと思います。
まず第一に、ハードウェア性能の向上です。Nintendo Switchは発売当初こそ「据え置きとしても携帯機としても十分な性能を両立している」と高く評価されましたが、近年は競合他社のハード(PlayStation 5やXbox Series X|S)の登場や、PCゲームのグラフィック表現の進化により、Nintendo Switchにおける処理性能やグラフィック面での限界が浮き彫りになりつつあります。もちろん、「任天堂らしさ」を最大限に活かすタイトルにおいてはフォトリアルを追求しすぎる必要はなく、むしろ独自のアートスタイルやゲーム性が際立つ作品も多いです。しかし一方で、大手サードパーティのマルチプラットフォームタイトルを十分に快適なクオリティで動作させるには、現行のSwitchのスペックでは不足を感じる場面も少なくありません。そこで期待されるのが、次世代機ならではのCPU・GPU性能の大幅な強化です。
実際に、Switch 2がNVIDIA製の最新チップを搭載し、4K出力やレイトレーシングといった先進的なグラフィック機能に対応するのではないか、という噂もあります。もしそれが実現すれば、これまで移植が難しかった大型タイトルや、より高いフレームレートを求める作品も、スムーズに遊べるようになるでしょう。さらに、性能アップが期待されることで、任天堂独自のゲーム体験に加え、サードパーティ各社のAAA級タイトルもより豊富に展開できる可能性が高まります。次世代のゼルダやマリオといったファーストパーティ作品のクオリティアップはもちろん、海外の人気シリーズが同時発売で遊べるようになれば、Switch 2は携帯できるハイスペック機として、これまで以上の存在感を放つはずです。
第二に、携帯機能のさらなる洗練です。Nintendo Switchの強みである「いつでもどこでも遊べる」体験は、そのまま継承されると考えていますが、さらに快適性や携帯性が向上すればなお嬉しいところです。例えば、ディスプレイのサイズをもう少し大きくして解像度を上げる、あるいはディスプレイのベゼル(枠)を狭くして本体サイズを抑えつつ画面領域を拡大するなど、最近のスマートフォンのトレンドに近い形で進化していくと予想できます。また、バッテリー寿命の延長も大きなポイントでしょう。Nintendo Switchは初期型から比べれば改良型や有機ELモデルなどでバッテリー持続時間は改善されているものの、ハイスペック化に伴う消費電力の増加も予想されるため、そこをどのように工夫するかはとても気になります。
加えて、携帯モードとテレビモードの切り替えが今よりスムーズかつ快適になることを期待しています。Switchならではのドックの仕組みは非常に便利で、テレビに接続して遊びたい時はドックに差し込むだけ、携帯モードに切り替えたい時はサッと本体を取り外すだけで画面遷移がスムーズに行われるのが魅力です。もし次世代機で4K対応や性能が向上したとしても、その簡便性は失ってほしくありませんし、むしろ即座にクイックレジュームできたり、もっと短時間でスタンバイから復帰できたりすると、より魅力が増すのではないでしょうか。たとえば、ゲームによってはテレビモードと携帯モードで別々に最適化された解像度やフレームレートを設定できる仕組みがあると、遊びのスタイルに合わせた柔軟なプレイが実現しそうです。
第三に、Joy-Conやコントローラーの改良です。Nintendo Switchは本体左右に着脱できるJoy-Conコントローラーが大きな特徴ですが、発売当初からスティックの故障(いわゆるドリフト問題)やボタンの耐久性などが指摘されてきました。もちろん、ユーザーの使用環境によって状態は大きく異なるものの、Switchユーザーの中には「予備のJoy-Conを買うハメになった」という方も少なくないでしょう。従来の対処方法としては、任天堂が無償修理を行うケースもありますが、根本的な構造の改良が求められているのは確かです。
次世代Switchでは、耐久性や操作性を高めるための改善が期待されます。アナログスティックの構造を変えてドリフトを起こりにくくする、ボタンの押し心地や押しやすさを見直すなど、長期間使用しても快適に遊べるコントローラーが求められるでしょう。また、Nintendo Switch Liteのように一体型となった本体形状のオプションも用意されるのかどうかも気になるポイントです。さらに、ハプティックフィードバック(振動の進化)や、モーションセンサーの精度向上、HD振動のさらなるブラッシュアップなど、コントローラーが生み出す独特の臨場感が次のステップに進めるかもしれません。
第四に、オンラインサービスやソフト面での充実も忘れてはならない要素です。任天堂は「Nintendo Switch Online」という有料オンラインサービスを展開し、ファミリーコンピュータやスーパーファミコン、NINTENDO64やゲームボーイアドバンスなどの往年の名作タイトルを定額でプレイできるサービスを提供してきました。こうしたレトロタイトルの配信は、過去の名作を改めて楽しむだけでなく、若い世代へクラシック作品を伝える重要な役割を担っています。しかし、現行のサービスではオンライン周りの使い勝手や通信品質に関して、まだまだ改善の余地があるという声もあります。次世代機では、より高速かつ安定したオンライン体験や、クラウドセーブの充実化、フレンドとの交流機能の拡張などが期待できるでしょう。
そしてもう一つ、大きな期待要素として「後方互換性」が挙げられます。Nintendo Switchに対して、任天堂独自の高い互換性や、ソフトの資産をいかに継承するかは非常に重要なテーマです。特にSwitchは膨大な数のダウンロード専用ソフトやインディータイトルが充実しており、「ダウンロード専用ソフトを次世代機でも続けて遊びたい」というユーザーは多いはずです。もしSwitch 2(仮)で後方互換性がしっかり確保されれば、ユーザーは現行Switchのゲームライブラリーを無駄にすることなくスムーズに移行できますし、開発側もSwitch 2向けの新作に注力しやすくなります。これまでに培ってきたハード・ソフト一体の発想を大切にしてきた任天堂であれば、きっとユーザーの声を無視することはないと信じたいところです。
また、発売時期にも注目が集まっています。Nintendo Switch自体は2023年の段階で発売から6年以上が経過しており、任天堂ハードとしては比較的長寿命の部類に入ってきました。一方、Switch本体の累計販売台数は1億台を超えており、まだまだ世界的に需要がある状況です。そんな中で任天堂が次世代ハードをいつリリースするのか、戦略的なタイミングも含めてファンは気になるところです。早ければ2024年、あるいは2025年頃といった噂もあり、「もう少し先ではないか」「既に開発キットが配布されているらしい」など、真偽不明な情報が行き交っています。いずれにせよ、Switch 2の存在が公式に発表される日が来れば、ゲーム界隈は一気に盛り上がることは間違いないでしょう。
ここまでハードウェア面やオンラインサービス、発売時期などに対する期待を語ってきましたが、やはり最終的に重要なのはゲームソフトの魅力です。任天堂の看板タイトルである「スーパーマリオ」シリーズ、「ゼルダの伝説」シリーズ、「ポケットモンスター」シリーズに加え、「スプラトゥーン」や「カービィ」「どうぶつの森」など、多彩なファーストパーティIPをどう進化させるか。あるいはサードパーティタイトルとの連携をどの程度深めるかが、次世代ハードの成否を左右すると言っても過言ではありません。たとえば「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」や「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」のように、広大なオープンワールドと斬新なゲームメカニクスを合わせて新たな遊びを提案する作品が誕生すれば、次世代機の魅力をアピールする最高の機会となるでしょう。
さらに、近年のゲーム業界ではクラウドゲーミングやサブスクリプションサービスの流れも加速しています。任天堂はこれまでクラウド技術に対して積極的というイメージは薄かったものの、特定タイトルでクラウド版を配信するなど徐々に取り組みを始めています。もしかすると、次世代機ではさらにクラウドの活用が広がり、ユーザーがゲームデータを端末に保存しなくても高品質のタイトルを楽しめる世界が訪れるかもしれません。ただし、現状ではインターネット環境や通信の安定性によってプレイ感覚が大きく左右されるため、どのようにユーザー体験を向上させるのかが課題です。その点では、任天堂らしく「持ち歩けるゲーム機」だからこそ、ローカルにデータを持っておきたいという意見もあるでしょうし、一気にクラウドへ移行するというシナリオは考えにくいのではないかとも思えます。
もう一点、個人的に熱望しているのは、Nintendo Switch Onlineにおけるバーチャルコンソール的なサービスの強化です。現状でも、ファミリーコンピュータやスーパーファミコン、NINTENDO64、ゲームボーイアドバンスなどのタイトルが一定数遊べるようになっていますが、配信数やラインナップにはまだ偏りがあり、地域によっては遊べるタイトルが限られているケースもあります。例えばゲームキューブやWiiの名作をもっと気軽に遊べるようにしてくれたら、昔のゲームをもう一度体験したいというファンや、これから初めて触れる若い世代にとっても嬉しいはず。Switch 2では、これら過去のハードのライブラリーをより充実させ、オンラインでのマルチプレイ対応など新しい要素を付加することで、多世代のゲーマーが一堂に会して楽しめるような環境を整えてくれると期待しています。
総合的に見て、Nintendo Switch 2(仮称)に求められるのは、「任天堂らしい革新的な遊び方の提案」と「より高いハード性能や快適な操作性」の両立ではないでしょうか。現在のSwitchで得られた成功体験をそのまま引き継ぎつつ、ユーザーの声を取り入れて細やかな不満を解消し、さらに新たなゲーム体験をもたらす――それこそが次世代に求められる任天堂の強みだと思います。ハードのシェアを牽引するためには、性能や価格だけでなく、そこに独自の魅力が備わっていなければなりません。Joy-Conがもたらしたおすそ分けプレイやHD振動などの仕組みが、その一例と言えます。過去の名ハード「Wii」で採用されたリモコン型コントローラーや「ニンテンドーDS」のタッチスクリーンなど、任天堂は常に「人間のゲーム体験を豊かにする新しいアイデア」を大切にしてきた歴史があります。次世代Switchでも、何かしらの意表を突くギミックが用意されているかもしれません。
そうしたギミックの存在はまだベールに包まれていますが、多くのゲーマーが「どうぶつの森」や「スプラトゥーン」の次回作を携帯でも大画面でも高画質で遊べるかもしれない、と期待に胸を膨らませているのは間違いありません。噂が絶えないだけに、ファンとしては早く正式発表を聞きたいところですが、任天堂はサプライズ発表を好む企業でもあり、E3などの大きなイベントや独自のNintendo Directで突然「Nintendo Switch 2」の詳細を明かす可能性も否定できません。もし、その時が訪れたらゲームファンの間で爆発的な話題となるのは確実でしょう。
さらに、Switch 2の登場が持つ意味は、任天堂自身がユーザーに提示する「これからのゲーム体験への道しるべ」としても非常に重要です。VRやAR、クラウドゲーミングなど、ゲームの遊び方は今後も多様化していくことが予想されます。そんな中、任天堂が「持ち運べて、テレビでも遊べて、かつ新しい遊びを提案する」ハードをどうブラッシュアップしていくのかは、業界の大きな関心事でもあります。特にコロナ禍以降、家庭内でのエンターテインメント需要が増えたことを踏まえると、Switchのような「家でも外でも遊べる」コンセプトは非常に強力なアドバンテージを持っていると言えるでしょう。
私は、次世代機が発売された後も現行のNintendo Switchがすぐに廃れることはないだろうと考えています。1億台以上の普及台数を誇るSwitchには膨大なユーザーがいて、ソフト開発メーカーもなお活発にタイトルをリリースしています。一方で、次世代機が登場したとしても、最初の1〜2年間は並行してソフトが発売されるケースが多いはずです。後方互換性が確保されれば、ユーザーは移行期間をよりスムーズに過ごすことができるでしょう。また、SwitchとSwitch 2のラインナップをどう差別化していくかも、任天堂の腕の見せ所です。過去には「Wii U」と「3DS」が並行して存在していた時代もありましたが、Switch 2が登場したときにどのようなポジション取りが行われるのか、非常に興味深いところです。
結局のところ、Nintendo Switch 2(仮称)は「Switchのどこをどれだけ進化させ、どんな新しい遊びをプラスアルファするのか」が最大の注目点です。グラフィック面や処理能力が強化されるだけでも、従来のSwitchユーザーには大きな恩恵があるでしょうし、Joy-Conのドリフト問題などが解消されればユーザー体験は大幅に向上します。しかし、それだけでは「任天堂らしい驚き」というスパイスが足りないとも言えます。たとえば、コントローラーが拡張現実(AR)技術に対応し、机の上にキャラクターが出現して遊べる機能が加わるとか、ジャイロ操作がさらに精密になって新感覚のスポーツゲームが登場するとか、そんな発想があっても不思議ではありません。過去には「Nintendo Labo」のように、ダンボールで工作して体験する拡張キットも提案してきた任天堂ですから、新たなインタラクションの可能性はまだまだ広がっていると感じます。
最後に、私は次世代Switchであっても、ゲームそのものの「楽しさ」という根幹が最も大切だと思っています。高性能なハードウェアを備えていようと、画期的なデバイスがあろうと、ゲームの中身が面白くなければ意味がありません。その点、任天堂は長年にわたって「楽しさの創造」を追求してきた企業です。マリオやゼルダなどの定番シリーズですら常に新しい挑戦を続け、ゲームとしての驚きや喜びを生み出してきました。もしSwitch 2が登場するとなれば、そのハードで遊べる新作
だって、どのメーカーのマシン買ったってWindowsマシンはほぼ同じ
どのメーカーのMSXマシン買ったってほぼ同じ、まあYAMAHAとかは差別化してた気がするけど、
差別化できないならメリットないよね、ってMSX帝国?は崩壊した
あの変態性の方向を変えればX68000やFM-TOWNSぐらいは行けたのに、3DO REALとかと組んじゃう辺りが松下社員っぽいんだよなw
でも、時代はもう逆だよね
だって、Windows同士だったら問題ないのに、Macにファイル持ってったらどうしてこうなるの?とか、その逆とかあるわけで、
GUIとかだって、Windowsは保守的過ぎて、スタートボタンなくしただけで発狂するんだもん
カーネルとか中身をごっそり書き換えて、素晴らしいWindowsになりました、でもスタートボタンがない、となったら、
ユーザーはソフトウェアの中身なんて知ったことか、スタートボタンを出せ、左下に出せ、ってなるんだもんな
Macも同じで、メニューは上にしろ、右上に寄せろ、でもウィンドウのボタンは左上でもいいよね?!って流石に20年、30年Mac OS Xユーザーやってた俺もアホかwと思っちゃったけどさ…
もう、みんな外観、GUIしか眺めてないし、その差別化も求めてない
すべてがWindows95みたいになればいいと思ってる
PS(SIE)の迷走は、役員とか幹部が目先の金のことしか考えていないからじゃなくて、単純に米国に本社置いたせいで、
深刻な北米至上主義を発症したことが原因なんじゃね?ってAIが回答しててマジ草🌱
でも、これが一番回答としてしっくりくるんだよなー
ポケモンのガワパクリの『パルワールド』(SIEとアニプレとソニーミュージックはパルワをIP展開しようとした)は、
"提訴した任天堂が悪い!パルワがんばれ!" と欧米で肯定されてるのに、
Horizon ガワパクリの『LIGHT OF MOTIRAM』は欧米でボロクソ叩かれてるというダブスタ見てると、
北米至上主義のSIEとSONYはさぁ、現実見つめて欲しいよね?
アタリショック以降、北米ってゲームの中心では無くて、ゲーム作ってるのも、遊んでるのもアジアが中心だし、
今はアジアが世界で一番大きいゲーム市場だし、eスポーツの選手もアジア勢強いし、中国のテンセントが世界一の規模のゲーム会社だよ、現実逃避しないでね・・・?
そもそも北米って、アジア(特に日本)と違って、FPSとスポーツしかほぼやってね〜じゃん
北米は、FPSとNFLとサッカーとNBAとMLBと、おまけでクライムゲーム(グラセフ)でも与えとけば十分なのにマジで何がしたいん?
あと、『マイクラ』とか『シムズ』はMODありで遊びたいから、PSじゃなくてSteamでみんな遊んでるし、FPSガチ勢はPSじゃなくて、高フレームレート重視でPCで遊ぶでしょ
任天堂はちゃんとPCゲーマーと棲み分けしてるのに、なんでSIEはそうしないのか意味不明
PCゲーマーと棲み分けせず、レッドオーシャンのヒーローシューターで『コンコード』大爆死したのも意味不明だったよな。挑戦するなら何故イカ🦑方向にイカないのか
SIEには、PCゲーマーと棲み分けという概念どころか、ファミリー・キッズ層を開拓という概念もないのか?
あと、頑なにPCゲーマーと棲み分けしねーのに、やり方次第でコンシュマー機でも全然イケるMOBA系の独占タイトル(スプラやPokémon UNITE みたいなの)を育てる気がない上に、
アジアだとまだオンラインRPGが遊ばれてる事実をほぼ無視してるのも意味不明
というかFFもグラセフもオンラインやってますやん、そして擬似メタバース、コミュニケーションツール化してますやん
VRのSONYの存在感示せる場面じゃないのかよ・・・オンラインRPGはよ・・・
とりあえず、任天堂のゲームより売れてるのって、マルチ展開した『グラセフ』と『マイクラ』だけで、
単一プラットフォーム限定で見たら、任天堂のゲームより売れてるタイトルってひとつもないよ?
単一プラットフォームで縛らなくても、7千万本以上のタイトルを複数持ち、数千万本コンスタントに売ってるの任天堂だけだよ?
ほんで、任天堂がそれらの売り上げ叩き出したのは、任天堂がNVIDIAやAMDやMSに技術で勝ったからじゃないよね?
「子どもから高齢者まで楽しめる娯楽」としての価値を明確にした上で独自のゲーム体験を提供したからだよね?
PS(SIE)も独自のゲーム体験を提供しよ?SONYグループが持ってる技術資産やIP活かさないのは勿体ないやで?
あと、SONYが推すポリコレ的にも人種差別は良くないので、はよ北米至上主義を直した方がええぞ
現在のSIEは、高画質・高フレームレートという技術的優位性を重視した戦略を継続していますが、この方向性は現代のゲーム市場において競争優位性をもたらさず、本気の成長戦略とはとても思えません。
さらには、エレクトロニクス部門を持ちながら何故かその強みを活かすことなく、独自基盤のないクラウドで正面から戦おうとしていて、すごく意味不明です。
現在のSIEは、任天堂のような独自のゲーム体験の創造や、Steamのようなプラットフォームの構築といった明確な差別化戦略を持っていません。特に、ハードウェア独占タイトルにおいて、任天堂のように1000万本以上の規模で売り上げる強力なIPを複数保有していない点は重要な課題です。
(Wiiスポーツは任天堂ハード独占で8290万本以上売ってますし、マリオカートも7200万本売ってますし、ポケットモンスターは1000~4000万本売りますし、マリオタイトルも1000~2000万本売ります)
SIEは、強みを持っていない分野での直接的な技術競争やクラウドサービスの正面対決ではなく、
SONYグループの総合力を活かした独自の価値創造を目指すべきだと思うのですが気のせいですか?
保有する多様な技術資産とエンターテインメントIPを活用した、他社には模倣困難な独自のエコシステムの構築を優先すべきように思えますが、
PS事業に対して既にやる気がなく、そんな面倒なことはしたくなくて、SONYとSIEは成り行きに任せてる可能性はありますか?
あるいは、やる気がないわけではないが、役員的には退職金と次のポストの方が遥かに重要なだけですか?
また、SONYとSIEに下記の認識がない可能性がありますか?
あくまで自分の中でのベストなので、一般的にはマイナーなやつが多いかも。
さっそく見ていき松SHOW。
公園でドールの撮影をしてたら、母子二人がかりで持っていかれてしまった…
という話。
そしてその後も、
と刺激的な展開が続き、最後には、
犯人は犯行現場に舞い戻る!何食わぬ顔で再び公園に現れた泥ママを、都合よくその場にいた語り手の友人が拘束!警察呼んで逮捕!
泥棒親子は窃盗の常習犯だったそうで、逮捕後も被害届の取り下げを要求するなど非常識な言動が続いたそうだ。
まったく許せない奴らだぜ。
妹にプレゼントしたウルトラマンかなんかのソフビが、公園にて親子二人がかりで持っていかれてしまった…
という話。
5位の件とはまったく無関係のはずなのに、ここまでそっくりな事件が起こるとは…
いま全国的に、公園親子人形窃盗団が多発している模様。公園に人形を連れ出す人たちはくれぐれもご注意を!
盗まれたと言い張ることで、自分の好きなもの(人形)に他人がほしがるだけの価値がある証明としたいのかもしれない。知らんけど。
ちなみにソフビの方は、差別化のためか(こっちが後発)泥棒親子の設定が盛り過ぎで、
過ぎたるはなお及ばざるが如し、という言葉を贈りたい。
緊急手術(悪性リンパ腫?)を受けたVTuberが死亡したことを、本人のアカウントで父親を名乗る人物が報告。
しかしその数時間後に本人が再びアカウントに現れ、今まで意識を失っていたが、どうやら死亡診断(実際に死んでいた?)後に蘇生したらしいと語った…
という話。
生死にかかわる大事件、それも極めて珍しいケースだったためバズりまくった。
だが、
死亡確認から父親?による報告までの時間が20分程度と短すぎる(自分の子供が死んだ直後に子供のアカウントで報告を?)
逆に、「死亡」から蘇生までの時間は長すぎる(脳への影響は?)
など気になる点も多く指摘されている。
その後、配信の中で謝罪はしたようだが、具体的に何についての謝罪なのかはあいまいに誤魔化してる模様。
また、死亡診断書は破った、手術を受けたのは未認可の闇病院、騒いだのは実の親ではなく義父(?)など、追加設定も多数あるとのこと。
まさに往生際が悪い。
コンビニ店内(レジ前)で二人組の女性から突然後ろから羽交い絞めにされた(バッグを奪うのが目的?)ので、「バックドロップ」で振りほどき必死に逃げた…
という話。
といった疑問点や、
など、いかにも女性らしいハイテンションな文体が若干引っかかるぐらい。
ただ、この語り手がプロ作家だったことから、事態が少々こじれることに。
一部の同業者は小説家が現実で嘘をつくなんて言語道断と批判し、また別の同業者は、むしろ小説家は仕事以外では雑に嘘をつくものだと擁護。議論の副産物として、各作家の倫理観が示されることになった。
語り手自身はポストを消し一時的に鍵垢に移行していたが、事件が実話であるという点についてはあくまで譲らない姿勢らしい。
フィクションと事実の狭間、そこにこそ人間の真実が宿るのですわ(はての文体)
台風の時に車に乗ってたら、道路の向こうから火のついた丸太が転がってきた…
…どういう状況?
前後がない単発ポストなので、「野焼き」の結果らしいということ以外、詳細不明。
しかし、読者に話を信じさせる努力を放棄したとしか思えない投げやりじみた適当さが評価されてみごと優勝。
ちなみにこの語り手アカウントは、ことあるごとに地元の治安の悪さを吹聴している。このエピソードもその一環のつもりらしいのだが、火のついた丸太が転がってくるのは治安どうこうの問題じゃねえだろ。
少しは真面目に考えてもらいたい。
しかもこれを、一度削除した上で時間を置いて再投稿してるのがまたすごい。
再投稿は甘えとか以前に、いったん頭冷やした上で、やはりこのネタなら…イケる!と判断できる神経の太さがうらやましい。
ランクインした語り手さんたちには、舌をひっこぬくのに最適な「やっとこ」を贈っときます。
音質とか不快点を減らす系は本当にそうだと思う
ただ、流行りのゲームをやるとか差別化系はちょっと考えてることがある
これは絵師界隈の話なんだけど、さいとうなおきが「とにかく人の絵柄模倣しろ(要約)」ってよく言ってるんよ
伸びる絵柄ってやっぱり大多数にウケた絵柄なのだから、人気絵師の絵柄模倣するのが一番良いんだと思う。
それと同じで、流行ってるゲームは配信者的に美味しいポイントがあるもので、流行るだけの理由があると思う(特にリアクションしやすいホラーゲームとか)
でも他人と同じでも人気になれるの? って言うと、例えば絵柄だと二次創作カテゴリの違いってのがある
流行ってるコンテンツのバズってる二次創作を見ると、大抵一人は望月けいっぽい絵柄の人が、カービィとかマスコット系だとヒョーゴノスケとかア・メリカっぽい絵柄の人がいるんよ
それで、彼らがなぜバズれるのかというと、それは本家の人が描いてないキャラという+αがあるからだと思う
それと同じように、流行ってるゲームの配信者的に美味しいポイントは取りつつ、+αを少しつけるっていうやり方はあるんじゃないかなあ
まあ一瞬で見れる絵と時間食う配信・Vtuberとでは全然違うって言われたらそうなんだけど、こういう意見もあるんだって思ってくれたら嬉しい
そうは見えませんでしたけどね
最低賃金の上昇で、地方の企業が統廃合やリストラを進めざるを得ない状況になると、単一的な構造になりやすくなる
地場産業や個性ある小規模な企業が姿を消し、東京と差別化された個性・競争力がますます無くなる
地元企業が倒産・縮小すること、地方での雇用機会がなくなって、ますます東京へ流出する傾向が強まる
ついでに企業の多様性が失われて、特定企業の大規模が独占するって状況は、消費者/労働者にとってデメリットしか無い
かと言って、無条件に低賃金でいいぞをやると、第四次産業革命に向けた産業構造改革が進まないし、
倫理観ゼロの経営者が不当に労働者を低賃金でこき使うを温存することにもなりかねない
それはある。
今だと開始当初からパーは当たり前、バーディも普通は取れるくらいの難易度、現実で言えばプロゴルファー。
熟練度によってダフったりトップしたりスライスしたりフックしたりしてほしい。
そうやって成長して100を切って、80を切って、アマチュア戦に出て、プロテスト受けるくらいの
そういう壮大な物語を作ってほしい。
やることといえばギアをガチャして飛距離を上げていかにタイミングゲーを制するかだけ。
アマチュアゴルフ本来の楽しさが無くなっていてすぐに飽きちゃうし
やるならライジングインパクトくらいキャラごとの特性を差別化して
小売店は、顧客の要望をかなえる責任があり、その地域社会における信頼を築き、継続的な発展を実現する重要な役割を担っています。小売店が提供する商品やサービスは、単に消費者の生活を便利にするだけでなく、顧客が求める価値や期待に応えるものであり、その満足度が店舗の評価を大きく左右します。顧客の声をしっかりと受け止め、迅速かつ適切に対応することは、顧客との信頼関係を構築し、競争が激しい市場環境の中で差別化を図るために欠かせない要素です。
また、小売店が顧客のニーズを理解するためには、商品の販売データやトレンドの分析だけでなく、店舗スタッフが日々顧客と接する中で得た意見やフィードバックを積極的に活用することが重要です。例えば、地域特有のニーズや顧客のライフスタイルの変化を捉え、それに応じた商品ラインアップやサービスを提供することで、より高い満足度を実現することができます。これには、季節や地域性に応じた品揃えの調整や、個別の要望に対応した特注品の取り扱いなど、柔軟で創造的な取り組みも含まれます。
さらに、小売店が顧客の要望をかなえるためには、商品の品質や価格競争力を高めるだけでなく、店舗の環境や接客対応の質を向上させる努力も必要です。快適で清潔な店舗環境の維持、親しみやすく丁寧な接客、さらにはオンライン販売やデリバリーサービスなど、顧客の利便性を向上させる取り組みが求められます。また、近年では、環境意識の高まりを受けて、エコ商品や持続可能な取り組みへの対応も、小売店にとって重要な課題となっています。例えば、地元産の食材やフェアトレード商品を取り入れることで、地域社会や環境への貢献を示し、顧客の共感を得ることができます。
最終的に、小売店が顧客の要望をかなえる責任を全うすることは、店舗のブランド価値や信頼性を高め、顧客が何度も訪れたいと思う「選ばれる店」としての地位を築くことにつながります。この信頼関係は、口コミやリピーターの増加を通じて新たな顧客を引き寄せ、長期的な繁栄を可能にします。そのため、小売店は顧客満足を単なる目標ではなく、日々の運営の中心に据え、店舗全体でその実現に向けた取り組みを続けることが必要です。このようにして、小売店は顧客に愛される存在となり、地域社会や市場全体での重要な役割を果たすことができるのです。
最近のゲーマーは「ゲームを遊ぶよりプレイ動画を見ている時間の方が長い」との調査報告。“ゲームを動画で楽しむ習慣”定着か
https://automaton-media.com/articles/newsjp/game-playing-watching-20241203-320326/
これは個人的にはよくわかる。「プレイ動画」と言うとやや異なるが。
自分がやっている原神/スタレ/ゼンゼロでは、キャラのスキル説明文を読むだけではどういう性能なのかがよく分からず、実際に触ってみてもなんとなくしか分からない。
どういう意図でどういう組み合わせで使われることを想定して作られたキャラなのかを把握するには、全キャラクターの仕様に精通した人が批評してくれないと深く理解するところまで行けない。
だから色々な人が解説動画をあげて、このキャラをどうビルドすべきか、どういう編成で光る可能性があるのか、立ち回りのコツや動作仕様のtips、さらには内部的な数値や計算式を考慮にいれるとこう差別化されているだとか、今後こういうキャラが来たら化ける、という未来予測に至るまで、考えるべきことが多岐にわたっている。
それが悪いとか不満という話ではなく、複雑に作り込まれているからこうなっていて奥深さの核でもあるということは実感しているのでいいのだが、それはそれとして。
キャラ取得を悩む人で慎重にスルーするか否かを判断したい人は、これらの情報に向き合うことになる。
月に数千円くらいまでの課金の人は全キャラ取得・育成は難しいはずなので、一般的プレイヤーのほとんどはこのような情報収集に割く時間が必要になるはずだ。
公式側でも非常に念入りな実戦紹介動画や推奨育成方針の提示はあるものの、「ぶっちゃけどうなの」に踏み込めるのはユーザーによる解説に分がある。
もちろん性能を気にせず好みだけで引くという考え方もあるが、好みで引いたキャラの性能を万全に発揮できるような手持ちがないとビミョーだ。
好みのキャラだけ引いたり凸したりしても、適した手持ちを揃えている場合と比べて活躍させるための費用対効果が悪すぎるので、ある程度戦略的に取得計画を練っていくのもゲームのうちだと思う。
それを運営側もよく分かっているので、次verや次々verに登場するキャラ情報をある程度早めに段階的に公開してくれる。
また、インフルエンサーはテストサーバーに招かれて、先行プレイによって検証行為をしやすいように環境を整えてくれているので、それなりの余裕をもって解説動画をつくれるようになったようだ。
こういった攻略系動画はもはやゲームと不可分のもので、コミュニティにしっかり組み込まれていると感じる。
また、シナリオも何度も見返したいくらい魅力あふれる作りになっているので、自分で1回プレイしたあとで、実況者がプレイしているものを何名分か見たくなる。
そうすると特に詳しい人によるコメントの助けで見落としがちなネタなどを拾い上げてくれていたりして、見るたびに気づきも得やすい。
もちろんそういった側面を抜きにしても、劇場でいうところの応援上映を見ているかのような楽しみ方もできる。
なので、自分でゲームを触っている時間よりも動画サイト上で過ごす時間の方が何かと長くなりがちなのだ。
これは決して、ゲームをやらずに動画で満足しているというわけではない。automatonのデータでも実プレイが7.4hに大して動画試聴が8.5hという割合だそうだ。
記事はどちらかというとF2Pの対戦FPSのような実況動画の花形、対戦ゲームのジャンルを想定しているようだが、RPG系でもその傾向は大いにあるだろう。
というか、ある程度の開発規模で定期的にアップデートの入るF2Pゲームすべてが、動画ネタが供給されるという面で動画寄りになる可能性がある。