はてなキーワード: オフとは
だいぶ前からAirPodsのノイキャンをオンにするとバカデカいノイズが左から聞こえるようになった。買い替える金もないのでノイキャンはオフにして普通のイヤホンとして使っている。
もう慣れたから別にいいんだけど、もう一回ノイキャンに感動したい。
というかクソ高い超高性能ノイキャンイヤホン欲しい ヘッドホンでも可
まだ使えるけど!
ニケのレベルが頭打ちになってきている増田だけどレヴェルも上げられるの頭打ちになってきたし難しいと評判のチャプター18は泣きそうでそしてしかも私は量産型のI-DOLLのフラワーが大好きなんだけどここに来てまた量産型の戦闘力も好感度が上げられない以上飛躍的なアップは難しいのよフラワー大好きなのにーっ!まあでもNIKKEにかぎらずやるゲームはいっぱいあるしはじめてのグランツーリスモはABSオフにしたらブレーキべた踏みしてスピンしちゃうしいろいろあって忙しいけれど増田は辞めないし少なくともnoteには行ったりしない山脈に向かってヤッホー!って叫ぶわ。増田は増田で増田なのよ!
『ステラーブレイド』のコラボ企画でイヴがやって来るまで「課金はしない」と心に固く確固たる意志を括弧でくくるように言うほどそう思ってるんだけど、
でついにレヴェル160で頭打ちこれ以上強くなれなくてちょっと困ってストーリーが先に進めないのよ。
一応説明しておくと
キャラクターごとに成長レヴェルを突破できる限界突破ってのができて、
自分と同じスペアボディのアイテムがあればそれを使い限界突破できるの。
限界突破をして行けば普通にすぐにやって到達できる限界突破2回しての160レヴェルマックスまでは結構簡単にすぐ言っちゃうのよね。
で!でよ。
限界突破が3回できるSSRってキャラクターたちのスペアボディを集めて限界突破を文字通り限界まで突き進めていって3回行えばレヴェルが200までまた上げられるようになるの。
みんなもう160のレヴェルに到達してしまって、
これ以上強くなれなくて先にストーリーが進められなく困っていたのよね。
うーん、
どうしようか。
私は迷った挙げ句、
つーか全然迷ってないけれど気付いちゃったのよ!
アリスってキャラクターだけが唯一限界突破3回行って俗に言う3凸って言うらしいの。
1回そのちょっとまた話が込み入ってくるけど、
レヴェルの高い5人のメンバーのレヴェルを元にレヴェルアップさせなくてもシンクロさせたら他のメンバーもその一緒のレヴェルに保っている5人のレヴェルに自動的にシンクロできる装置があって、
それを1回組み替えて、
アリスを筆頭にレヴェル199あとのニケは160でとりあえず、
迎え入れたニケたちがめでたくみんなレヴェル160を超えて、
またどんどん成長できるって仕組みなのよね。
とりあえず、
私はそれで一旦アリスをレヴェル199まで上げて、
一応の部隊の戦闘能力はやっと25000!ってところまで到達したんだけど
なかなかそれでも今いるチャプターを攻め進んで行くには火力が足りないのよね。
調べてみたらカスタムモジュールでオーバーロードとかってあるけど
うーん、
レヴェルをアリスだけ199に強化してあとはみんな160で
スペアボディ待ちってところなんだけど。
それで当たるか当たらないかなので、
遠い遠い作業だわ。
もしかしたらPlayStation5で『ステラーブレイド』が発売された1周年記念に当ててくるのか?って時期の頃かと私は目論んでいるんだけど。
その頃でも雪が降りそして雪が解け春になっても、
たぶん私のNIKKEの部隊のニケたちはどこまで強くなってるのか不安だわ。
これ全チャプター34とかまであるんだけど、
今この中盤でこのありさまなのよ。
これから先どれぐらい戦闘能力が必要なの?って不安になっちゃうわ。
早々にまた戦闘力火力不足に陥るんじゃないかしら?って思うの。
みんなこれ本当にクリアできる人いんのかしら?って思うわ。
まあとりあえず『ステラーブレイド』のコラボ企画でイヴがやってくるのを心待ちにしているのよね。
はぁ、
早くイヴきてー!
そう思うわ。
で、でよ。
イヴのあの写実的なヴィジュアルがこのNIKKEにやって来たときに何かコレジャナイ感漂わせ…、
いやそれは漂っていてもいいけれどとにかくイヴが来てくれたことに関してはそこに私は火力を集中するのよ。
写実的なビジュアルがなんかそのNIKKEの世界感にそぐうか。
期待もあり不安でもある。
そんで、
一応ブレイドみたいな剣を扱っているニケもいるから大本命はイヴの使っているブレイドが大本命かな!
もちろんヘアアクセサリみたいにブレイドを収納するモーションも取り入れてほしい大本命なのよ。
それならイヴの遠隔攻撃のスティンガーやブラスターセルがド派手で強力にぶっ放せそうよ!
今からイヴがどんな武器でNIKKEにやって来るのかも楽しみだわ。
あと他にも
リリーやタキもやってくるって噂だけどレイヴンはどうなのかしら?
仲間になったらどんな会話みんなとするんだろう?ってどんな世界感そこも気になるわ。
チーム組んだら仲良くできんのかしら?
イヴとタキは同じ第7空挺部隊でタキが師匠みたいな感じでそこはイヴもタキを慕っているからいいとして。
だって現にリリーはイヴのメンテボディーや修理などいろいろやってっから、
そこは大丈夫よね。
NIKKEの『ステラーブレイド』コラボではその4人がくるとかこないとか、
そんな噂が巷の港の先の渚まで走っているのよ。
時期はもう少なくとも今年中ってのはないわよね。
それどころ挟む余地がないわ。
なので、
来年の春か夏か?ってところを私は目論んでいるのよ。
そこまでNIKKE飽きなければいいけれど、
「いや!絶対イヴ来るまでは頑張る!」ってここも確固たる意志を括弧でくくるように強く言うような感じで待つのよ!
待ち遠しいなぁ。
でね、
PlayStation5の本編の『ステラーブレイド』もフォトモード実装とニーアオートマタコラボも無事完了で、
私は周回を重ねてプレイしていくだけなのよね。
何周もしているのにまだ見付けられてないナノスーツとかあって毎回新たな発見があるから、
『はじめてのグランツーリスモ』あれだんだん分かってきて操作も変更出来るようになったことが発覚したので
そう設定を変更!
あれブレーキ踏み込む際思いっ切りべた踏みしたらスピンしそうで怖かったけど
ABSが効いているのね。
ABS設定をオフにした途端ブレーキしたら案の定スピンして笑うわ。
実際の車の運転ではそんなブレーキべた踏みしないでしょ?危険じゃない。
あともうちょっとでゴールだったのにっ!って泣きそうよ。
スプラトゥーン3も地味に1日1戦1勝上げるまでプレイの1ガチャのノルマをクリアする程度のちょっと下火のプレイスタイルにはなってきているけれど一応継続中よ!
NIKKEのデイリーミッションの多さに比べたらスプラトゥーン3のデイリーミッションはなんてことないわ。
上手く行けば5分いや3分で十分よ!
欲しいソフトもあるけれど『ニーアオートマタ』も遊んでないしなぁと。
そうそうNIKKE始めていいことあったのよ!
1つはデイリーミッションが多すぎるので早起きして少しでもミッションをこなすようにする早起き習慣と
NIKKEで忙しすぎるからくだらないSNSや動画サイトのショート動画を一切見なくなったってところが時間の溶けなさでは有効かつ有意義に時間が使えているわ。
ただただNIKKEに時間が溶けていることは間違いないけれど。
それは否めないわ。
Switchで遊べるGBAのメトロイド2作も1作途中で1つは全然やってないのにも気付いちゃったわ。
メトロイドプライムもあるし!
うふふ。
晩ゆで玉子茹でて作って置いておいたので
それ3つ食べてきたわ。
茹で玉子もやって食べてみたの。
昨日はもうそれこそお腹がグーグー鳴って仕方がなかったけどストマックドラム収まるといいわ。
と思いきや
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
便乗して5冊挙げようとしたけど絞りきれなかったので倍プッシュした。2024年は1/1から今日までのあいだに315冊読みました。ちなみに、いま読んでる途中なのは上橋菜穂子『香君』(2022年)と飛浩隆『鹽津城』(2024年)、それに教養系の新書数冊。
今年はアプリリリース3周年を迎えたウマ娘に突如シーザリオが実装されるというサプライズが起きて、仮にウマ娘化されるとしたら絶対男装の麗人キャラだろうなと思っていたら本当に男装の麗人だったので全俺が歓喜したし、オフザリオの声が可愛すぎませんか……? 俺はああいう透き通ったというか透明感があるというか鈴を転がすようなというか、とにかくそんな感じの声に弱いのだ。身体つきもいいしなグヘヘ。シナリオではずっとイチャイチャしてて最高すぎる。俺の嫁Tier最上位です。引けてよかった……! ちゃんと「シーザリオ英雄譚」の称号もゲットしました。チャンミは優勝できなかったけどな! ところで俺は『ハムレット』しかシェイクスピア作品を読んだことがなかったので、良い機会だということでシーザリオの名前の元ネタになった『十二夜』を読んでみることにした。男装の麗人、すれちがう恋心、よく似た兄妹の人違い、と来てお前女だったのかからのハッピーエンドで終わる、まあテンプレ通りのラブコメだったんだけどひょっとしてこれがラブコメのテンプレになったやつだったりします? 偉大すぎでは。っていうか「十二夜」って、古代ローマのサートゥルナーリア祭をもとにした公現祭(エピファネイア)のことだったんだ……。ほかにも『リア王』『マクベス』『リチャード三世』『お気に召すまま』『ジュリアス・シーザー』『夏の夜の夢』を読んだんだけど、いちばん好きなのは『十二夜』です、はい。「僕は僕が演じているものではありません」っていう台詞すき(小並感)。
ところでシェイクスピアといえば、古河絶水『かくて謀反の冬は去り』(2023年)というラノベがシェイクスピアのパロディなのね。『リチャード三世』をパロった1巻を読んだときにはまったく気づいてなくて、あとがきを読んで「これシェイクスピアだったんだ」となり、元ネタを読んだらめっちゃあからさまだったし、今年出た2巻はもう露骨に『マクベス』オマージュで、さらに二・二六事件や三島由紀夫の割腹自殺などのネタも盛り込まれていて非常に楽しく読めた。古代日本風のファンタジィ(e.g. 沢村凜『黄金の王 白銀の王』)とか、近代日本モチーフのミリタリもの(e.g. 佐藤大輔『皇国の守護者』)とかはよく見かけるけど、人名とか文化とかが古代日本風なのにテクノロジが近代風な政治劇というのはなかなかなかったように思うので新鮮というか、「その手があったか!」という感じだ。笑いとシリアスのバランスが良く、裏の裏をかくサスペンスが繰り広げられて、続きが非常に楽しみな作品なのですごくすごいオススメです(語彙力トプロ)。そういえば春先にはちょうど前年に文庫落ちしたホルヘ・ルイス・ボルヘスの『シェイクスピアの記憶』(1980年)も読んだんだった。俺の中で今年はシェイクスピア元年ということで。
自分ではリベラル派のつもりなんだけど、実はちゃんと原典を読んだことがなかったので読んでみた。日本でいうと幕末に書かれた本なのに「そうだよ~~~それだよ~~~!!!1!」と同意するところが非常に多かったので、自分は根っからの自由主義者なんだと再確認。みんなも(本来の意味での)リベラリストになろうぜ。リベラリズム関連だと、ほかにも井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』(2015年)を読んだ。ラディカルだが筋が通っている。ところで著者がアメリカに留学してたときに「なんで日本人がリベラリズムの研究を?」って言われたというエピソードがちっともリベラルではなくてドン引きしたというか、あいつらひょっとして自由主義を人類普遍の原理ではなく西洋の文化かなにかだとでも思ってんの? 人類普遍の原理じゃないならなんでヨソの文化圏に押し付けてもいいと思えるんだ。非西洋の自由主義者としては不愉快。
もんのすごい面白い。話には聞いていたマーサズ・ヴィンヤード島の手話についての本。この島ではかつては高確率で聾の子供が生まれたため、島のほぼ全員が手話を身に着けていて、ときには聴者どうしが手話で話すこともあった。したがって耳の聞こえない人たちも完全に社会に統合されていて、社会的な不利益を受けることはなかった。この島では聾であることはただの様々な個人の特徴のうちのひとつであって、それが重大な意味を持っているとはみなされていなかった。たとえば以下の会話のように。
「アイゼイアとデイヴィッドについて、何か共通することを覚えていますか」
「もちろん、覚えていますとも。二人とも腕っこきの漁師でした。本当に腕のいい漁師でした」
「ひょっとして、お二人とも聾だったのではありませんか」
島の出身者にとって、彼らはまずもって漁師であり、聾であることは、そういえば耳が聞こえなかったね、という程度のものでしかなかったということだ。この本を読むと、なるほど障害の社会モデルは正しいのだなぁと納得してしまう。手話が共通語として存在した共同体のあり方をインタヴューと文献調査によって復元していく社会史的な面白さに加えて、途中では島民の聾の起源を近世イングランドにまで遡って明らかにしていくという謎解きの面白さも味わえる。まさか手話の本読んでてジョージ・ダウニング(ダウニング街の由来)とかサミュエル・ピープス(日記を遺したことで有名)とかの名前が出てくるとは思わないじゃん。そしてこの「手話の楽園」が徐々に崩壊し、終焉へと向かう過程は寂寥感にあふれている。今年読んだノンフィクションでは一番ですわ。超オススメ。
まだ読んでませんでしたテヘペロ。最初読んだときは「衝撃の一文」の意味がわからず、ああ、あれって襲名制でこいつは先代なんだ、って一瞬勘違いしちゃったんだけど、独白が始まるにつれて鳥肌立った。お、お前~~~~~~!!!1!! 小説としての出来は正直言って荒削りで、お世辞にも上手いとは言いがたいのだけれど、謎解きとしての衝撃は絶大ですわ。なるほどこれが新本格の先駆けか……。そういうことでちょぼちょぼと館シリーズを読み始めてます。いま人形館の途中。
そうそう、本作がきっかけで○○○○○○の『○○殺人事件』(1929年)も読みました。タイトルだけ読んで中世ヨーロッパを舞台にした歴史ミステリなのかと思ってたら全然違ったわ。あなたの「○○」はどこから? 僕は、『電脳山荘殺人事件』から! っていうか本作を読んで学生時代に読んだ米澤穂信『インシテミル』(2007年)のなかで意味がよくわからなかった一節の意味をようやく理解した(岩井が読書マウント取るシーン)。『○○殺人事件』のあとがきとか「読者への挑戦」とかそういうコーナーで作者が自己紹介する文があるものだとばかり思ってたけど、本作を指してたのかよ!
英語への解像度が上がった1冊。英語のスペリングに悩まされ、「俺は日本から出ないから英語は要らない!」と高校時代に放言しておきながらいまは英語をそれなりに使う仕事をしている者からすると、かつて味わった理不尽の謎解きという意味ですごく面白かったし、何というか、あの理不尽の背後にはこんな歴史があったのか……と知ることで、英語への愛情のようなものが増した気がする。「世界共通語」とか呼ばれて出羽守から持て囃される帝国主義的な覇権言語としての英語は相変わらず好きになれそうもないが、しかし、ヨーロッパの片隅にある島で数奇な歴史を辿ってきた言語としての英語のことは割と好きになれる、そんな本だった。
アニメを見た直後に読んでおけばよかったシリーズ。名作ジュヴナイルSFアニメ『放課後のプレアデス』のノベライズなんだけど、キャラクタの掘り下げが完璧すぎる。みなとという謎めいた存在に丁寧に肉付けして、彼がプレアデス星人と出会って闇堕ちしすばるに救われるまでの過程を説得力をもって再構成していてすごくすごい(語彙力)。主題歌の引用のタイミングが完璧すぎるだろ(「Stella-rium」は名曲だからみんな聴こうな)。そして、あおい、ひかる、いつき、ななこといったキャラクタの名前に漢字が当てられていくところは本当にゾクゾクした。これオリジナル設定ってマ? 佐伯昭志のリリカルなアニメを『永遠の森』『そばかすのフィギュア』の菅浩江がノベライズするなら、そんなのもう心が洗われるような名作にしかならんわけで。読み終えたあとにまたアニメを見たくなる、そんな素敵なノベライズだった。大好き。
数値の測定は大事なことだが、それが濫用された結果どうなるのかという事例が色々と挙げられていて、この本末転倒感は日本でよくあるやつだ……! と思ったらだいたいアメリカの事例なので人類を滅ぼすしかない。この問題で難しいのは適度な測定には意味や意義があることで(たとえば、論文の本数が重視されるようになった結果薄っぺらい論文が量産されるようになるのはよくないが、ちっとも論文を書いていないひとに多額の研究費が配分されるのはおかしい、というお気持ち)、測定なんて意味がないとは言い切れないことだが、本書の著者は最後に「測定のまっとうな使い方」のための指針を提示していて、この増田で挙げた本のなかでは一番実用性が高い。「測定は判断の代わりにはならない。測定は、判断を要するものだ」という金言を政策決定にあたるひとたちには噛み締めてほしいなと。
こっちはJ. S. ミルじゃなくてJS見る。5巻くらいで読むのやめてたシリーズなんだけど読むの再開したらすごく面白くてハマってしまった。人工知能によって将棋が終わってしまったという夜叉神天衣と九頭竜八一の抱く絶望と諦念を、雛鶴あいと神鍋歩夢というそれぞれのライバルがねじ伏せていく、めっちゃ骨太の将棋小説じゃん……。ただのロリ小説と思わせておいて、いや実際にロリ小説でもあるんだけど(ロリホームって何だよ)、AIという最新のテーマに向き合って「解」を提示してみせる胸熱な将棋小説でもあるというギャップが俺を狂わせる。すげー面白いっすわ。
ところで、さんざ褒めておきながら将棋の定跡とか全然わからんのは秘密だ。ひ、『ヒカルの碁』も盤面わかんなくても読めてたし……(震え声)
〈小市民〉シリーズの完結編。ずっと追いかけてきたシリーズの終わりが見れて感無量すぎる。読み始めたの高校の頃とかだからマジで20年越しなんだよな。『春期限定いちごタルト事件』の序盤で示唆された、小鳩くんが出しゃばって不興を買ってしまった過去の事件が描かれていて、20年越しの伏線回収が嬉しすぎる。
「なあ。おまえ、鬱陶しいよ」
これってこういう文脈でのことだったのか~~~~~とか、互恵関係! 互恵関係きた! これで勝つる! とか、〈小市民〉シリーズの過去が明かされていく展開を味わって読んでいたらそれが小鳩くんの遭った事故と徐々に繋がっていく過程は流石のよねぽだった。本作で〈小市民〉シリーズは綺麗に完結したわけだけど、これ短編集もう1冊くらいいけるんじゃないですか? という気持ちになってしまう。読みたいよ~~~~小鳩くんと小佐内さんの物語をもっと読みたいよ~~~~~~~~!!!1!!
オモコロで話題になってたみくのしんの読書録。一文一文を噛みしめるように丁寧に読んでいてすごい。国語の授業が苦手だったみたいなこと言ってるけど、マジで正統的な国語の授業みたいな読み方してるのすごすぎるでしょ。そしてこの本を読んで「一文一文を噛みしめることなくただ数だけを積み上げてきた俺の読書とは空虚なものではないのか……」という敗北感に囚われていたところに次の文がすっと差し込まれてくるのです。
本が読めないと尻込みしていた男を「正しい読み方なんてないから」と、訳知り顔で励ましておいて、いざ自分のこととなると、ちっぽけ呼ばわりなんて本末転倒じゃないか。
本書はみくのしんの読書の追体験であると同時に、本好きへのエールでもあると感じた。本には色んな読み方の可能性があって、すごく自由なものなんだということ。それを思い出させてくれる、とても良い本だった。ありがとう。
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今オフに日本に戻ってくる可能性を示唆、他の球団についても「オファーがあれば話だけは聞いておきたい」と発言
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この言葉を聞いたファンは「恩知らず!ルールの悪用!話を聞くな!」と激怒
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上沢からは特に発信なく、日ハムの施設で練習していることや、日ハム選手と交流していることが報じられる
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そこにソフトバンクが4年10億でオファーを検討しているとの報道
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これに対し(何に対し?)ファンはさらに激昂、功労者の上沢に心無い言葉を投げつける
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見かねたファンの一部が、まだ確定してないんだしもっとポジティブに俺たちの想いを伝えようよ、と「上沢投手どこにも行かないで」を合言葉に発信をはじめる
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すでにソフトバンクに行くと思いこんでいる日ハムファンは「あんな裏切り者いらない!」とよくわからないことを言っている(裏切ってない)
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結論: 思い込みや決めつけで有名人を誹謗中傷するのはやめましょう。上沢投手自身が何か発信するのを待てませんか?日ハムに帰ってきてくれてもあなたの発言はなかったことにできないのですよ?
というかプロ野球ファン、選手のキャリアに口出しすぎ。入る球団も選ばない中でたまたま入った球団に骨を埋める覚悟を強要するのはパワハラと一緒だぞ。思いを持つのはいいけど、節度を持ってほしい
スター時代の曲がちょっと寂しいので、リストの超絶技巧を味わう作品のみで七選を組んでみようと思う。既に出したのは除外。あとブコメ。
推奨録音にkyushima氏みがあって大変共感できる増田。次世代を引っ張っていくであろうユンチャン・リムの超絶全曲や、彼に影響を与えているニレジハージの伝説(波)あたりを加えても良いかもしれない。
kyushima氏(http://kyushima.web.fc2.com/cd/index.html)に言及する人が現れた(笑)もう更新が止まって久しいけど、ここの御陰で知らない演奏にいくつも巡り会った(オフチニコフとかベルッチとかロルティとかハフとか)。
ユンチャン・リムの超絶を挙げてくださったのも感謝する(未視聴/クライバーンコンライブ https://amzn.to/4iwxti2)。自分のCDボックス漁ったりして、未視聴盤はたくさんあると実感した。ニレジハージは海賊録音でしたっけ? 聞いて確かめなきゃ
1. ドン・ファンの回想 S.418(1843年)
モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」からメロディーをとってアレンジしたもの。ノルマの回想に次いで(それ以上に?)取り上げられていると思う。騎士長のテーマ(ドン・ジョヴァンニに警告するシーン)から始まって重苦しいのだが、そんな嵐が去ると「お手をどうぞ」の主題に基づく変奏が現れ、最初の技巧的な見せ場になる(この主題はかなり人気があり、ショパンも編曲していたはずだ)。後半は「シャンパンの歌」の変奏が騎士長の動機を挟みながら繰り返され、繰り返しの度にどんどん華やかになっていき、終幕を迎える。
私はマッティ・レカリオ(Ondine/ブゾーニ編なので一部カットがある)が好き。新旧あるアムラン(Music&Arts/Hyperion)も恐ろしく安定した演奏(新録の方が音は良い。あとハン狂2が入ってる)。クズミン(Russian Disc/ブゾーニ編)も強烈だが廃盤倒産(激怒)。ペトロフ(Melodiya)は持っているが、遅っ!と思って合わず(食わず嫌い・・・)。ロルティ(CHANDOS)もきれいな演奏だけどのんびりした感じ。この曲はノルマほど聞かないのでそんなに思いつかない。誰か教えてくれ。あとフィリペツが録音してくれないかなぁ・・・。
廃盤になっているレカリオのCDにはタウジヒ編の「ワルキューレの騎行」なども入っているし、ブゾーニ編のフィガロ&ドン・ジョヴァンニ幻想曲もある(リストが途中放棄した作品)。本当に再版してほしい。配信はある。
2. 「ユグノー教徒」の回想 S.412(1837年出版/第2稿1842年)
ジャコモ・マイアベーアは、パリで19世紀前半に大成功を収めた作曲家。サン・バルテルミの虐殺をモチーフにしたオペラ「ユグノー教徒」は何度も再演され続けていたが、20世紀には忘れられた(今また再評価されているらしい)。音楽史的にマイアベーアの影が薄いのは、彼が展開したオペラ書法の多くをワーグナーやヴェルディといった後発者たちが更新して塗り替えていったからかなと思っている。もちろんリストのピアニスト時代に人気だったマイアベーアを編曲していないはずがない。ゲレリヒの本にも、レッスンでマイアベーアを弾く弟子が出てくる。ハワードもライナーでとても強く推している※。あまり録音は思いつかない(申し訳ない)。NAXOS全集の第1巻にコーエンの演奏が収録されているが未視聴。フィリペツ、録音してくれ。
この曲はユグノーであるマルセルのライトモチーフとして「神はわがやぐら」を使っているのだが、それってルター派じゃ・・・?(カルヴァン派でも使われていた??)
第1稿ではラストに原曲通り第5幕カトリック兵士の合唱の主題(この歌詞がまたやばくて・・・異端を殺せ!神がそう望んでおられる!という血なまぐさい中身)が入ってとても雰囲気があったのだが、別稿では「神はわがやぐら」の変奏を強化する対応になっていた・・・と思う(ハワード聞き直さないとなぁ)。ただ、あの狂気の合唱が魅力だと思っている。第1稿では合唱を遮って「神はわがやぐら」が入ってくるのだが、これが幅広いアルペッジョで一掃され、再び合唱に戻るという原曲ラストの射殺シーンを思い出させる流れ。
※オペラの方も20世紀にも再演されてきたが、特定の歌手たちのための舞台に過ぎなかったけど、今や再評価の時だということが熱っぽく語られている。特定の歌手って多分サザーランド?
気分転換。後期の出版になるが、実はこの曲のおおもとはスペイン公演時の印象を書き留めた45年の「スペインの旋律に基づく演奏会用第幻想曲」にある(ハワード全集に当然ある)。今のスペイン狂詩曲の形になってのはヴァイマール時代らしいので、超絶や巡礼同様、前期に作られ、中期に改訂されて充実した曲の一つだ。
前半ではフォリア、後半ではアラゴンのホタという舞曲から成る。どちらも華々しい技巧で彩られ、最初から最後まで魅力的で見せ場が多い。
名盤としては、エフゲニー・キーシンの録音(RCA)があるだろう。彼もすっかりトシだが、これは子どもの頃のもの。恐るべき完成度。日本公演の映像があるが、すごい演奏(https://www.youtube.com/watch?v=Lb6EzTpGv3s)。
スティーヴン・ハフの録音(Virgin)も非常に良い(kyushima氏のサイトで◎だった上、入手性が良くて最初に聞いたので、完全に嵌まってしまっている。ただフォリアが盛り上がるところで、楽譜にあるシではなくドの音を弾いているのはなぜ?)。ぶっ飛んだ路線としては、ポリーナ・レスチェンコ(https://www.youtube.com/watch?v=3EB0f-ra9Eg)。
4. ギョーム・テル序曲 S.552(1842年出版)
世に名高いロッシーニ最後のオペラの序曲である。どう考えてもおうまさんのテーマ。
このオペラが出たのは1829年以降ロッシーニは完全に引退状態になるのだが、亡くなるのは1868年。引退には政治情勢が大きく影響している。ロッシーニの滑稽な作風は、明らかに復古的なウィーン体制下の小市民の楽しみに合致したもの。それでも、このオペラは再び騒乱の時代が訪れることを予感させる緊迫した作品(題材自体が既にそうだ)だったが、これが最後になった。
中々演奏がない(ハワードはもちろん、NAXOS全集にゲキチ)。デュシャーブルのCD(EMI)が良いと思う。割とセカセカ弾くタイプのピアニストだと思うけど、後半はそれがすごい追い込みに繋がってる。ただ、まだまだこの曲のポテンシャルはあるんじゃないかと。フィリペツ(ry
コメント返信の時に出した、以前コンクールライブでたまたま見た映像が凄かった(https://www.youtube.com/watch?v=GRYLy8O3VIQ)。
中国のピアニスト牛牛のCDはまだ聞いていない(MV:https://www.youtube.com/watch?v=ed9nRoFyDIw)。彼は小学生の頃から有名で、ピアノの森(二期)でパン・ウェイの「中の人」(あるいは「手」?)を務めた人。
文字通りベートーヴェンの交響曲の編曲(本編での落選から復活)。出版は後期にあたるが、「幻想交響曲」の編曲同様、ピアニスト時代から既に手がけており、部分的には出版されていた。リストはベートーヴェンの布教にかなり熱心に取り組んだピアニストだが、これがドイツ・ナショナリズムの高揚を抜きにしては考えにくいことは既に述べた。
以前に医師の夏井睦氏が運営していた超絶技巧ピアノ編曲のホームページに3・5番だけだがすごく詳しい解説が載っていて、当時からピアノ好きだった人は見ていたんじゃないか、と老人会発言(Web Archive/ https://web.archive.org/web/20090104102239fw_/http://www.ne.jp/asahi/piano/natsui/Beethoven.htm)。ところでブコメにバッハ=リストのBWV543を挙げている人がいたけど、あれは原曲の良さに甘えているだけの手抜き編曲だと夏井氏はバッサリ斬っていたなと思い出しておっかねえなあ・・・と。
カツァリス(Teldec)とコンスタンティン・シェルバコフ(NAXOS全集)の全曲録音が有名(その後も全曲でなければちょくちょく録音例は見る)。やはりフィリペツ(ry
部分録音だと、kyushima氏はグールドの6番をかなり評価していた気がする(私はよく聞かないのでわからない)。牛牛のギョーム・テルが入ってるCDにも5番がある(未視聴)。以前ロルティが5番を弾く映像がYouTubeにあったと思うけど、削除された? それとも記憶違いか。
6. シューベルト編曲もの(超大雑把な紹介になっててすいません)
リストはシューベルトの歌曲の多くを編曲している。「セレナーデ」も「ます」も「エレンの歌 第3番(アヴェ・マリア)」もあり、至れり尽くせり。リストは生前「魔王」(S.558/4)の編曲者として一番知られていたらしい(ゲレリヒの訳書32頁。自虐的なセリフとして出てくる)。ハワードのライナーには、フィッシャー=ディースカウが、変なのと思われてるけどリストが編曲してくれたおかげでシューベルトの歌曲が今日まで生き残ってきたんですよと発言したというコメントが引用されているが、出典が分からない。ご存じでしたら教えてください。
ウィーンの夜会も絢爛豪華。特に6番が有名。本編での落選を残念がっている人がいた。
個人的にはキーシンのリスト録音集に入っている演奏が好き。他の演奏をあまり聴いたことがない。フィリペツ(NAXOS全集)が新録を出したようなので聞いてみるつもり(コンソレーションの初版とセットだとか)。
前期作品。この手の超絶技巧を見せびらかすための精神性のかけらもない曲は当時のはやり。でもとっても楽しい曲で大好きである。シフラの演奏が有名だが(Hungaroton/映像あり https://www.youtube.com/watch?v=tmq5JBpFf9w)、今聞くならフィリペツ(NAXOS全集)が良いと思っている。余裕綽々で本当に惚れ惚れする。
以上である。いやいやなんでシューベルトこんなひとまとめなのとか、忘れられたワルツとか愛の夢はまた落選かとかリゴレットとかまだオペラものあるだろとかショパンの歌曲とか「献呈」とか色々納得はいかないところもあるだろう。でも一旦ここで締める。どうもお付き合いありがとうございました。
マリーとの破局よりもピアニストとしての活動を選び、欧州中をわかせていたリストだったが(何しろリストの風呂の残り湯を飲もうとして待機しているファンがいるとかいうレベルである)、1847年にポーランドの大地主の娘であり、キエフの軍人ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人カロリーヌに出会う。コンサート・ツアーでリストがキエフに来ることを知ったカロリーヌ(別居中)は、娘の誕生日のためという名目でリストを招待し(誕生日に大スターを招待できるというわけでだからどのくらいのレベルの金持ちかがよく分かる)、急速に二人は深い関係になっていく(意味深)。リストはピアニストとしての活動を打ち切り、カロリーヌと一時の同居生活を経たあと、48年からヴァイマールの宮廷楽長としてカロリーヌと共に腰を落ち着けることになる。カロリーヌは長い訴訟を経て婚姻無効を勝ち取るが、リストとの結婚は認められなかった。ちなみに、カロリーヌは博覧強記で雄弁な人だったらしく(リストの多くの作品にも口を出している)、あのワーグナーが引くほどだったということである。カロリーヌの身分を巡る微妙な問題に加えて、音楽界の動向的にもリストはドイツに居づらくなり、約10年で宮廷楽長を辞任する。つまりリストの「中期」は短い。宮廷楽長になったことで、オーケストラ作品が多く書かれるようになった一方、新規のピアノ曲はこの時期にはあまりない。大スターの座を捨てて半分隠退生活に入ったようにも見える。しかし、この時期こそが作曲家としてのリストが確立する重要な時代である。前期の作品の少なくない曲(巡礼の年やパガニーニ練習曲もそうだ)はこの時期に改訂され、より演奏効果は高まり、内容も充実することになる。
リストの代表作の一つ。この時期に改訂を経て完全版になった。長年の改訂を経て磨きに磨き抜かれた。
この曲集の決定的な録音はウラジーミル・オフチニコフ(EMI)だろう。どの曲も非常に質が高く、穴がない(この練習曲集は多彩な技巧のデパートなので、どこか苦手なものが出るのが常)。が、残念ながら入手性は悪い。世間的に有名なのはラザール・ベルマン(Melodiya)で、新旧二種類あるが、新版(1963年)が気合いが入っている。ただ、キンキンとぶっ叩くような録音で、そこまで好きにはなれない。横山幸雄(SONY)は録音も良く、やはり穴も少ない。特に第5番「鬼火」の演奏が素晴らしい。
2. パガニーニによる大練習曲 S.141(1851年出版)
1840年出版のパガニーニによる超絶技巧練習曲の改訂版。元々の第4曲は単音アルペッジョになり大分おとなしくなったが、それ以外の曲については、難易度を落としつつ、同等以上の演奏効果を発揮できるようになった。第3番「ラ・カンパネッラ」はここで非常に完成度を上げて今の形になった。
40年のパガ超と違い録音は多い。有名なのはアンドレ・ワッツ(EMI)だと思う。昔図書館で借りて聴いたことがあるがどれも安定の演奏。その他だとフィンランドのピアニスト、マッティ・レカリオ(Ondine)の激烈な演奏があるが、残念ながら廃盤で入手困難(Naxos Music Libraryにはあったかな?)。フィリペツのパガ超のCD(NAXOS)にも入っており、これまた大変安定した演奏で、パガ超と合わせてフィリペツを聴くのがいいだろう。あと、「ため息」で紹介した福間洸太朗(アコースティカ)のCDにも入っている。これも大変安定していると思う。
(追記)レカリオはNMLにもiTunesにあった(Raekallio Lisztででてくる)。YouTubeにもあった。https://www.youtube.com/watch?v=SkuWa2HDk58&list=OLAK5uy_kN6U4dNkOzK4Cv1DZfZDWoidTcP7yPxr8
ピアノソナタが量産されていたのはベートーヴェン(32曲)までの時代であり、19世紀半ばにはピアノソナタは落ち目のジャンルであった。一方、気合いの入った大曲を書く時にピアノソナタという古典的様式を敢えて選ぶことはその後もあり、ショパンやリストのソナタはその例だろう。リストのソナタは、単一楽章という異例の様式だが、単一楽章の中で多楽章形式の要素とソナタ形式(提示部・展開部・再現部)の要素を融合させ、しかも一つの動機(冒頭のタッタラ~タ~ララ~タラララ~というつかみ所のないアレ)によって全体が統一されているという極めて斬新で前衛的な曲だった。そのため当時はよく言って賛否両論といったところで、現在ではリストの最高傑作の一つとして評価されている。
リストの最高傑作であるからして録音も非常に多く、推薦音源を挙げるのは難しい。取り敢えずクリスティアン・ツィメルマン(Deutsche Grammophone)の演奏が端正であり、技術的にもハイレベルで良いと思う(難所でタッチが浅くならず、深く充実した響きが聞こえるのが良い!)。ぶっ飛び系なので好みは分かれると思うが、カティア・ブニアティシヴィリ(SONY)の演奏をよく聴いている。
なお、この曲と関連する重要作品としてスケルツォとマーチ S.177がある。面白い曲だが泣く泣く割愛した。デミジェンコ(Hyperion/Helios)が良い演奏している(ソナタや「伝説」とカップリング)ので聴いてほしい。
4. バラード第2番 ロ短調 S.171 (1854年出版)
ショパンは1832年にパリデビューし、特にサロンでの繊細な演奏で女性たちの心をわしづかみにした。リストもショパンの演奏に狂った一人である(またかよ)。リストはショパンのことを友人と思っていたが、ショパンの方は割と適当にあしらっていたという話もあり、リストの片思いだったのかもしれない。ただし、ショパンは練習曲作品10をリストに、作品25をマリーに献呈している。つまりリスト夫妻にショパンの練習曲は捧げられたわけで、結構親しい関係にあったことが分かる。リストはショパン死後にショパンの本を書くくらいにショパンには思い入れがあり(最近新訳が出た)、弟子にもショパンを弾けと言っていたようであるが、作曲面でもポロネーズやバラードなど明らかにショパンの影響と思われる様式の曲を書いている。中でもバラード第2番は大変な傑作で、冒頭の重苦しい主題が終盤にロ長調になって戻ってくるところは本当に感動的である。
これまたあまり推薦音源が思いつかないが、アンスネス(EMI)のCDがかなり良かった覚えがある。前期で出したノンネンヴェルトの僧房も入っている。
(追記)スティーヴン・ハフ(Hyperion)がポロネーズやバラードを全部録音しているのを思い出した。ピアノソナタとカップリング。あとショパン弾きで有名なネルソン・ゲルナー(レーベル覚えてない)の演奏がもの凄く良かったと思うのだが、どこで聴いたか・・・(この曲はショパン弾きにこそ弾いてほしい!)。YouTubeに動画をあげまくってCDデビューしたヴァレンティーナ・リシッツァがベーゼンドルファーを使って弾いている動画がある(収録風景?https://www.youtube.com/watch?v=1Qdr3Uvs09o;コンサート https://www.youtube.com/watch?v=uBs4jtWMBj8)。97鍵もあって低音がアホみたいに響くから重たいが、この曲には合っている。ただCD(持ってない)でそこまで迫力があるかな?
(再追記)ゲルナーあった!(https://www.youtube.com/watch?v=m90vsN3SjvM)配信もあるのかな。
トムとジェリーで有名なハンガリー狂詩曲もこの時期に改訂が終わって現在の形になっている。リストが採録しているのはハンガリー(マジャール)ではなく、ロマの音楽なのだが、リストは、ロマの民謡を素材に使ってハンガリーの民族叙事詩を作り上げようとしていた(それがバルトークのようなマジャール人からはドイツ人が勝手なことやりやがって・・・という風に見えていたわけだが)。どの曲も重々しいラッサンと華やかなフリシュカという二つの舞曲的なパートから成り立っていて、構造的に単純で、しかもピアニスト時代のようにド派手で豪快な曲が多く、リスト入門に良いと思われる。
ミッシャ・ディヒター(Phillipes)が全曲では有名だと思う。ハンガリーでリストの再来とされていたかのシフラ・ジェルジの録音もあったはず。第2番はホロヴィッツ編曲版を弾いているスルタノフの爆演が好き(https://www.youtube.com/watch?v=_BFalOtwUy8)だが、スルタノフを聴くと大概の演奏が物足りなくなるおそれがある。残念ながらスルタノフは若くして亡くなってしまった。ホロヴィッツ編曲版ではない場合、第2番はカデンツァを挿入する部分があるので、独自のカデンツァが見物になる。その点で一番に言及しなければならないのは我らがスーパーヴィルトゥオーゾのアムラン(Hyperion)で、アルカンの大練習曲 op.76の引用が入り3分以上続く頭のおかしいぶっ飛んだカデンツァだ。日本公演の映像もある(https://www.youtube.com/watch?v=pIMzL2-4bjg/8:30あたりから)。あとは自作のジャズ・カデンツァを用いて全体にやる気がみなぎるデニス・マツーエフ(BMG)、ラフマニノフのカデンツァを使用し爆演系のレオニード・クズミン(Russian Disc)がお勧め。ただしクズミンのCDは廃盤・倒産で入手困難であり、今後他社からの再発が望まれる。
第15番「ラコッツィ行進曲」は何よりもホロヴィッツ本人のいかれた演奏を聴くべきだろう(古い音源なので検索すればすぐ出てくる)。音質は悪いが、聴く価値がある。昔ホロヴィッツ編曲版にチャレンジしている勇者を見つけていたく感動したことを思い出した(https://www.nicovideo.jp/watch/sm10176725)。
なお、15番以降19番までハンガリー狂詩曲はあるが、晩年様式なのでこれ以上は紹介しない。
リストはドイツの宮廷音楽家として、新ドイツ派(当時のドイツにおける管弦楽の停滞(と彼らは考えていた)を問題視し、ロマン主義音楽の再生を志す人々)の頭目的な存在だった。そのため、同じような立場にある人々、特に売れっ子とは言い難かったワーグナーの作品を積極的に上演・紹介したのだが、40年代以降ピアノ編曲もいくつも作っている。リストの最も有名なワーグナー編曲は「トリスタントとイゾルデ」の終曲(愛の死 S.447)だが、自分はタンホイザー序曲が単独では最上の作品だと思う。何よりも前期のオペラ編曲もの同様、豪壮無比な超絶技巧を聴かせてくれるのが良い。
ちなみにリストの次女コジマは夫のハンス・フォン・ビューロー(ワーグナーにとっては恩人)を裏切ってワーグナーと不倫し、リストは激怒する(後に和解)のだが、自分もマリーやカロリーヌにやらせていたことだ。
タンホイザー序曲の録音は意外とない。ユーリ・ファヴォリンの気合いが入った演奏(https://www.youtube.com/watch?v=xJYkouNnuwo)が一番良いのだが、CDは手に入りにくい(一応、ヴァン・クライバーンコンクールでの演奏があるらしいのだが・・・)。スタジオ録音が望まれる。前期作品の時に名前を挙げたロルティ(CHANDOS)も美しいが、技巧的には前者が圧倒的。実は、ワーグナー本人もピアノ編曲を作っているが(https://www.youtube.com/watch?v=KdXPFBcP1bQ/カツァリスのCD「ワグネリアーナ」に入っている)、リストの編曲と比べると一目(耳?)瞭然、どちらが音楽的に充実しているかは明らかである。
30~40年代から書かれている曲だが、やはり最終版になったのはこの時期。もっとも早く書かれた「死者の追憶」(第3稿第4曲)を聴くと、非常に調性が曖昧な曲で、30年代から既に晩年の様式が準備されていたことが分かる。第3曲「孤独の中の神の祝福」はリストの敬虔さが音楽に昇華された隠れた傑作。アムランが好んでおり、2回も録音している(ノルマが入っているMusic & Arts盤とソナタや「補遺」がセットになっているHyperion)。
この曲の中で最も有名なのは、第7曲の「葬送――1849年10月」だろう。非常に暗い曲だが、タイトルが指す通り、ハンガリー革命で奮闘し、鎮圧され死んだ人たちのための追悼音楽。
全曲では先のユーリ・ファヴォリンが録音しているが、筆者は未入手。配信で聴けたかと思う。どうでもいいことだが、デミジェンコのライブ録音(Hyperion/7番のみ)を聴くと、明らかに鼻歌で歌っていて面白い(グバイドゥーリナのシャコンヌでも結構はっきり聞こえる)。
宮廷楽長としての生活の中でリストの前期作品の多くが音楽的に充実されたが、音楽界での軋轢や劇場でのトラブル、カロリーヌの身分を巡る問題で長くは続かなかった。そろそろ次の時代に進もう。
追記:
前期のところに、ベートーヴェンの交響曲のピアノ編曲についてのコメントがあった(anond:20241212215414)。
リストはベートーヴェンの交響曲を全曲編曲しているが、初版出版は1865年で、時期的には後期にあたる。ただし、3、5-7番の編曲は1837年には出来ており、個別に出版されていたようだ。リストはピアニスト時代からベートーヴェン作品の布教に熱心に取り組んでおり、その一環として作られた。ボンのベートーヴェン記念碑の建設のために多額の資金を提供したりもしている(ちなみに同様に寄付を呼びかけるためにシューマンが作曲したのが「幻想曲 ハ長調」だ)。
レシピ通りにクッキーを焼いてもベチョベチョの小麦粉の塊ができてしまう……そんな小学・中学時代を経て、今では「小麦粉余ってるしなんか焼くか」みたいなゆるい社会人サンデーベイカーになりました。
「別に極めるつもりでもないけど自分と家族がおいしく食べられるレベルのお菓子を作りたい」、そのためには何より、失敗をしないようにするということです。
そのために私が気をつけていることを書き出してみました。
レシピ通りに材料を揃えるというのは基本なので守る人も多いのですが、道具は省略したり代用したりする人も多いのではないでしょうか?
私はそれで長らくスケッパーを「ゴムベラでええやろ」と買わずにいたのですが、初めてスケッパーを使ってみた時の衝撃。レシピは道具までレシピなのです。
つぶしが効かず場所ばかり取る道具もあります。ケーキの回転台なんて、ナッペ(スポンジにクリームを塗る作業)にしか使わないのですが、ないと絶対に綺麗なケーキは仕上がらないんです(n敗)。
お菓子作りは手際の良さが勝負といいますが、手際がいい人は単に器用なのではなくちゃんと準備をして、レシピに書いてある作業を行うスペースを確保してから臨んでいます。最近やっと気づきました(n敗)。
最初に使うボウルを全部出して並べてみるといいかもしれません。私はキッチンにキャスター付きのワゴンを導入して、作業効率が大幅に改善しました。
「卵は常温にする」「小麦粉はふるっておく」「型の底を軽く打ちつける」など、お菓子作りでよくある工程についてちゃんと理由を調べておきます。それによって加減や度合いを理解するスピードが早くなります(1回目から難しいと思います)。レシピに書いてある工程で「これは何のためにやるんだ?」と思ったことは何でも検索してみることです。
上にも書きましたが、1回目から成功することは難しいです。さらにお菓子作りの失敗は非常に複合的で、100%これが原因だと言い切れることのほうが少ないと思います。気温や湿度が高すぎた、混ぜ方が足りなかった、工程に時間をかけすぎた…毎回納得いくまでWeb検索したりレシピ本を見返したりしながら一人反省会しています。
SNSに上がっているきらびやかなお菓子の写真の裏には、数十、数百の失敗作の影があります。私はそれをベイクオフ・ジャパンを観て知りました。
オレオレFCの来季監督にアメリカ国籍のゲーブ・ロバート氏の就任が最有力であることが21日、関係者の間で分かった。交渉は順調で、あとは契約などの細部を詰める段階で、早ければシーズン終了後にも正式合意する。アメリカ国籍の監督はJリーグ史上初めて。
ロバート氏は、ポルトガル出身のアメリカ国籍で、18年から22年まで努めたロサンゼルスFCではリーグ5連覇を果たすと、23年からはFCトランプで監督を努めた。クラブは多良初徳会長兼監督が今季限りでの勇退を発表。攻撃的なサッカーが信条で、オレオレFC幹部は10月に独自に米国に渡り、招聘に動いていた。
チームは現在暫定16位で、次節の広島戦次第で残留が決まる。就任が決まれば、シーズン終了後にも組閣や補強など25年シーズンに向けた動きが本格化することになる。また今季の泣きどころだったGKも今オフは補強する事が明らかになった。
私は長い間、Google Chromeのユーザであった。
君はとても素晴らしいブラウザであった。
どんなウェブサイトでも、瞬時に正しく表示してくれた。君が表示できないのであれば、それはWebサイトが間違っているか、あるいは世界中の誰にもできないことなのだと諦められた。
数年前までは。
この数年で急に何かが起こったわけではない。少しずつ、私が広告から距離を取る方法に慣れてきたのだ。
最初はブラウザの拡張で広告をブロックするところから始まった。
ブラウザの拡張で広告をブロックする方法は、たびたびウェブサイトのレイアウトを破壊した。無理もないことだ。
Webサイトのオーナーにとってみれば、あるはずのものがなくなっているのだから。
そのため、ウェブサイトの閲覧中にそういう気配を察して、ブラウザの拡張をオフにすることもよくあることだった。
その気配を読めずに、このサイトぶっ壊れてる、と誤解してしまうことも本当によくあった。
安心して使えないと言えば、ブラウザの拡張を使うと、ブラウザに尿辞されている全てのコンテンツを見られてしまうことになるので、センシティブなサイトを見るときには止めるのが常識だった。
センシティブなサイトというのは、まあ色々だ。特にログイン画面を開いて、パスワードを入力した後、拡張を有効にしたままだったことに気づいてドキドキしたこともあった。
それからしばらく経ち、広告をブロックするために DNS を使うようになった。
専用の DNS リゾルバーを設定することで、広告関連のドメイン名を解決できなくする仕組みだ。私はこれに感動した。
これによってブロックできる広告の種類が増えた。今まではブラウザの拡張を使っていた時は、ブロックできるのは基本的にはPCのブラウザの広告だけだった。
DNSを使った仕組みを使えば、スマホのブラウザに表示される広告はもちろん、アプリ内に表示される広告もブロックできるのだ。
導入した当初の感動は、今でも覚えている。
広告がブロックされるとそのスペースにグレー(グレーでなかったかもしれない。忘れてしまった)の四角が代わりに表示されるのだが、スマホのブラウザでウェブサイトを見ると、三分の一ぐらいがグレーだった。
それからまたしばらく経ち、Microsoft Edge に乗り換えた。スマホ版の Edge はデフォルトの機能として広告のブロックができる。
今はそれを有効にして使っている。引き続きDNSを使った広告のブロックも併用している。
これでほとんどの広告はブロックできているし、広告の跡地にグレーの四角が表示されることも無くなった。
非常に快適なだけでなく、一周回って、古き良きインターネット、という感覚を味わえるので、特にインターネット中高年にはおすすめだ。
そういうわけで、もうスマホでは Edge がメインのブラウザになってしまったので、PC でもブラウザは Edge を使っている。
Windows でも、Mac でも Edge を使っている。以前は全ての環境で Google Chrome だったのだが、今は特にスマホ版のウェブサイトで Google Chrome を要求する一部のサイト(吉野家のサイトがそうだ)でしか使っていない。
一昔前、職場では IE しか対応していないウェブサービスを使うために IE を開いていたぐらいに老人の私にとって、今の Goggle Chrome は完全に昔の IE だ。