はてなキーワード: 共産主義とは
共産主義なわけねーでしょ。世界的に金持ちに課税するぞって基調なの(グローバル・ミニマム課税ほか)
もっとも金持ちのロビー活動でどの程度実現されるかは知らんけどな
まぁとにかくシンプルに『金持ちや大企業を問いただす』、『配布の不均等を是正する』でいい
🍬飴の配布🍬を例に考えてみようぜ
状況設定
- グループ分けと提出数
- 結論(最終的な分配結果)
質問内容
- 前提条件1と2からその結論になるの、論理エラーに見えるの気のせい?
- Aグループの扱い、明らかに優遇されて見えるの気のせい?
- 全配布対象者が一意の参加者番号に紐づくメールアドレスを保有し、運営がその情報を把握しているとする場合、
- 現実の政策だと、実装コストの高い「新たに謎の配布条件が生える」になりがちなの気のせい?
- Aグループは必ず利益を得て、Cグループは運次第で損益なし、Bグループは必ず損をするというこの配分はおかしい気がするんだけど、気のせい?
- Cグループは提出数で最も貢献している(全体の約42.9%)、Bグループは二番目に貢献している(全体の約28.6%)が、なぜかAグループへ忖度が始まりがちなの、気のせい?
- Aグループが1人624個の飴の提出が出来た理由、そしてAグループだけ特別扱いされる理由を確認したほうが良いと思うの気のせい?
- 「全員に配る」という前提を崩すなら、事前に説明がないとヤバいの気のせい?
- 「全員に配る」という前提を守るなら、「貯金扱い」の飴を再分配に使うことも検討すべきなのは気のせい?
- A/B/Cグループ、誰が一番得して、誰が一番損してる?損しているグループはどう対応すべき?
どう思う?
こういう富の独占と配布の仕組みは、現実でも見られる。
「仕方ない」とか、「Cが悪い!」ってなる要素がないのは気のせい?なんだか戦後の闇米騒動を見ているよう・・・
なるほど共産主義と気が合うわけだ
戦争の原因として内政干渉が挙げられる例は、歴史を通じて数多く存在します。特に顕著な例をいくつか紹介します。
ベトナム戦争:ベトナム戦争では、アメリカ合衆国が南ベトナム政府を支持し、共産主義の拡大を防ぐために北ベトナムおよびその支持者たちと対立しました。アメリカは南ベトナムの政治、軍事、経済に深く介入し、その結果、長期にわたる戦争へと発展しました。
ソ連のアフガニスタン侵攻(1979年 - 1989年):この侵攻は、ソ連がアフガニスタンの共産党政権を支持し、その政権が内政上の問題(ムジャヒディンの反乱など)に直面している中で行われました。ソ連は政権を安定させ、自国の影響力を維持するために軍事介入を決定しましたが、これが長期間にわたる紛争につながりました。
米国のグレナダ侵攻(1983年):米国は、グレナダにおけるクーデター後に共産主義政権が成立することを懸念し、軍事介入を行いました。この介入は、政府の安全を確保し、共産主義の拡散を阻止する名目で行われました。
これらの事例は、国家が他国の内政に介入し、政治的または安全保障上の目的を達成しようとする際に、しばしば軍事的衝突につながることを示しています。このような介入が国際的な緊張や戦争を引き起こすことは、国際関係において重要な議題となっています。
昭和の頃にはソ連があってインテリ層にも共産主義を推す人が多く、ややもすると日本も共産化するかも知れないという危機感があったから、例えばどこかの党の綱領に「国民の分断を図る勢力」と表現されている共産主義勢力に社員が取り込まれないよう、会社全体を家族にして 経営者 対 従業員 という分断に対抗する必要があった
それがソ連が崩壊して共産主義国家の失敗を目の当たりにし、インテリも共産主義に夢を抱かなくなったから、共産主義の脅威は去ったと考えるようになった人々は遠慮なく資本家の本音を露わにして政府に様々な法改正を働きかけ、多職種に解禁された派遣労働者を使うなどして会社と従業員とを分離していき至る現在
AIちゃん:マイケル・サンデル先生も混ぜて共同体主義を語るわ!
共同体主義って、マイケル・サンデル先生がよく言ってる「俺たちって自由すぎじゃね?」って話に近いんだよね。
サンデルは、「自由と自己責任ばっかり強調するリベラリズム(自由主義)ってさ、孤独になるし社会崩壊しない?」って問題提起してるの。
サンデル的には、「人は孤立した個人じゃなくて、コミュニティの中で育まれる存在」なんだよね。
だから、共同体(=地域とか仲間とか社会全体)の絆を大事にしながら生きていくべきだ、って感じ。
たとえば、サンデルがよく例に出すのが「才能は全部自分の努力の結果だと思うなよ!」って話。
• 「俺が成功したのは努力したから!税金払いたくねぇ!」とか言う人に、
• 「いやいや、お前の成功って、家族とか学校とか社会があったからだろ」ってツッコむわけ。
つまり、「個人の自由とか権利も大事だけど、みんな助け合ってるの忘れんなよ?」ってのが共同体主義のコアなんだわ。
• 共産主義は「私有財産とか個人の自由なんていらん!全部共有!」って極端なやつ。
• サンデル的な共同体主義は、「いやいや、自由や財産もちゃんと大事。でもコミュニティの絆も忘れるな」って、もっとバランス重視。
たとえば、サンデルが批判するのは、アメリカのリベラル経済の「勝者総取り主義」。成功者が「俺が稼いだ金だし、他人に関係ねぇw」って態度を取るのはおかしいだろ、と。
でも、それが共産主義みたいに「全部平等に!」まで行くのは違うよね、って話。
• 社会主義は「国が主導で、みんな平等に分け合おう」って感じで、国家主導感が強い。
• 共同体主義は「国家だけに頼るんじゃなくて、地域や仲間で支え合おうぜ」ってスタンス。
サンデルは、リベラリズムの自由放任主義を批判するけど、「国家が全部管理します!」みたいな方向にも行かない。
むしろ「国の役割は大事だけど、コミュニティで支え合う力も鍛えないとダメでしょ」って言うのが彼の主張。
• 全体主義は「個人より集団最優先!国家の命令に従え!」みたいな独裁っぽいやつ。
• 共同体主義は、「個人も大事にしつつ、共感とか絆で自然に助け合う」って方向性。
サンデルの思想だと「個人の自由も尊重するけど、個人が支え合う倫理観も育てよう」ってのが大事。
だから、全体主義みたいに「一つの価値観に従え!」って強制するのとは全然違う。
• サンデルは「社会ってさ、お互いに責任を持ち合う場所でしょ?」って言うのね。だから、自由とか権利だけ主張して、コミュニティをないがしろにするのはNG。
• 自由だけ求めると孤独になって結局不自由になる、って考え。「絆があってこそ、みんなが本当に自由でいられるんじゃない?」って言うのがサンデル流の共同体主義。
• 「お前が自由に生きられるのは、コミュニティの支えがあるからだろ?」
って感じで、バランスと取る考え方だよ!
単純に社会的強者の男性に憧れるなら、キモくて金のないおっさんの服装より上流階級の強者男性の服装をすべきだと思うんだけど、そこで労働者階級の服装を選ぶっていうのは共産主義的な香りがするねー。
資本主義は、人は階級や生まれに囚われずに自由に仕事を選び稼いで生きるべきだというリベラリズムを苗床にして育まれた思想で、それは人々の暮らしを豊かにしたけど、人々の格差の拡大をも招いた。
そして男女の間の賃金格差も確かに資本主義の構造によって格差が開いたもののひとつだと言えるかもしれない。
より稼げる者は裕福になり、稼げない人間はより貧しくなる。
そこでは人は資本のある者の言うことに従い食い扶持を稼がねばならない。
それはつまり、その人がどういう生き方をするのかっていう選択の自由を奪われるっていうことだよね。
だからマルクス主義フェミニストである上野千鶴子さんはみんなが等しく貧しくなればいいって言ったのかな。
でも彼女自身は裕福な家庭の出身で、彼女がそういう思想を手に入れられたのはそれなりの教育を与えられる立場にいたからっていう皮肉。
マルクスも貴族だったんだよねあの人。そこまで裕福でもなかったみたいだけど。
じゃあどうするのか?
随分前に書かれた本だけど、今読んでもすごくいい本だと思う。
本人がどうすべきとかそういう自己啓発的な話じゃあなくて、マネジメントでもって労働者を守るのは資産階級の役目でしょ、資本主義はそこでシフトチェンジしてるんだよっていうお話。