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今年の「#文学」
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北大路魯山人がパリのトゥールダルジャンの鴨を醤油とわさびで食べた話がTLに流れてきましたが たまたまその場に同席した作家・大岡昇平の「巴里の酢豆腐」によると、実はこの話、魯山人が通ぶって失敗し笑いものになったという話(続く) https://t.co/BTlAGgZSOu
https://t.co/NYxokJBwax ケンタッキークリスマスは、ローストチキンを食べるという日本の既存のクリスマス習慣に便乗したものです。 ところが海外においては、もともと日本には七面鳥やチキンを食べる習慣は存在せず… https://t.co/ofLXxKEbeM
きっかけは日本人の勘違い! 日本でクリスマスに「ケーキ」が食べられるようになったワケ https://t.co/qLRZYQJtqI Yahoo!ニュース公開しました。 不二家は長年、クリスマスケーキは自社が発明したと主張して… https://t.co/31lhySauSG
江戸時代から明治時代までの飲食用の水とは、どのようなものだったのでしょうか? 当時の二大都市、大坂と江戸の水事情を見てみます。 まず、豊臣秀吉の大坂について。 https://t.co/3jZa3Ivrvu
「チコちゃん」去年1月31日放送「なぜお肉屋さんでコロッケを売っている?」 答え:洋食のコックさんがお肉屋さんに転職したから チョウシ屋という店の創業者がポテトコロッケを発明し、昭和2年に日本初のコロッケを売る肉屋を開店したと… https://t.co/LMQgvhGBgT
関東大震災後、東京の日本料理界は大阪料理に席巻されます。 大阪の料理屋が進出してきたり、東京伝統の料理屋も大阪風料理を出すようになります。 東京の天ぷらも同様に、震災後に関西風に変わったと証言するのは、銀座の老舗天ぷら屋天國二… https://t.co/ztJ0qfgasm
これは以前紹介した、日本の漬物文化(朝倉聖子)掲載の戦後の白米と漬物の消費量の推移です(グラム/日/一人) 白米の消費はピークの1959年から直近の2013年までに、5分の2(40%)に減少しています。半分以下になったということ… https://t.co/1wrJRhE5kw
https://t.co/crHYRYiBJ9 昨晩のチコちゃんの東郷平八郎肉じゃが話は、舞鶴市の清水孝夫さんが平成7年に創作した街おこしのための架空の話。 悪く言えば「嘘の話」。 この事は清水さん本人が繰り返し認めている事実。
4月24日の「チコちゃん」では、中華料理店のチップが問題となり、チップを削減するために回転テーブルが導入されたというロジックを展開しました。 https://t.co/m7NbEnbUoo そのチップ問題の根拠として番組が取り上… https://t.co/Wbxk2D4SNA
これは「チコちゃん」にでてきた最も古い回転テーブル資料(昭和6年)。 『三都喰べある記』(松崎天民)です。 https://t.co/lx6mqxJwEp
木陰の木漏れ日の下、回転テーブル(Lazy Susan)を囲んで朝のコーヒーを楽しむローガン一家。 雑誌House & garden1901年9月号掲載の記事です。 このようにアメリカでは、1900年代(明治30年代)から回転… https://t.co/dESR8d0JmE
チコちゃんに叱られる!なぜ中国料理は回転テーブルで食べる? https://t.co/m7NbEnbUoo いかなデタラメ番組とはいえ、これほど嘘だらけの回というのも珍しいですね。
大阪のてっちりについて調べていたら、また「チコちゃん」で出鱈目な内容を放送していたことが発覚 >江戸時代にオランダ人が長崎の出島にこのポンスを持ち込んだと言われています >それを持ち帰った日本人が調味料として使ったのがポン酢の… https://t.co/VAwkTF4CQ9
つか、焼売になにか彩りをちょこんと乗せるのは現在の中国にもある習慣だし、グリーンピースを焼売に乗せる例だってある。 普通に考えれば中国の習慣が持ち込まれたものじゃないかな? https://t.co/wmzT0vZPPI https://t.co/Wq7AeBejUC
チコちゃんに叱られる、またまた間違いです。 塩崎さんが指摘するように、グリーンピースを焼売の上に乗せる習慣は戦前から存在します。 昭和2年生まれの作家吉村昭が少年の頃、日暮里で食べた屋台の焼売にはグリーンピース(青えんどう豆)… https://t.co/yXeGABE6t6
大正時代から昭和初期にかけて、私が「ドンブリア大爆発」とよぶ丼物の爆発的進化・拡散現象が起きました。 なぜこの現象がおこったのか、その理由については『牛丼の戦前史』を参照して下さい。 https://t.co/Cn3gi9pHpg
1920年代に全盛期を迎え、1日100万食を提供していた巨大レストランチェーン、チャイルズ・レストラン。 その白タイルを多用した内装と、看護服のような白いウェイトレスの制服は、病院を模したものでした。 https://t.co/0W2RgWTnVX
1920年代、日本でいうと大正時代終わりから昭和初期にかけて、アメリカやカナダに100店舗以上を展開。1日100万食の食事を提供していた、アメリカ初の巨大レストランチェーンがありました。 チャイルズ・レストランです。 https://t.co/ALTMuui15F
アメリカやイギリスでは、学校に行く子供に持たせる弁当として、ポテトチップスをもたせる親がいると聞きます。 りんごとサンドウィッチなどとポテチの組あわせ。 弁当にポテチというと、日本人は驚きますが、ちょっと待ってください。 なぜ日本人は驚くのでしょうか?
昨日、3月26日発売の写真週刊誌FLASH(4月9日号)に ”安藤百福インスタントラーメン発明は虚偽” 疑惑第二弾追求の記事が載りました。 3月19日号の第一弾に続き今回も、確かな資料の裏付けのある硬質な記事です。是非お手… https://t.co/ETGhchsYN9
さて、日清食品の協力で作成された学研の「インスタントラーメンのひみつ」から、チキンラーメンとカップヌードルの現在の製法を見てみましょう。 こちらで無料で読むことができます。 https://t.co/vX2w3sXsXA
最近、安藤百福が他人の発明を盗んだ、という発言がTLに流れています。 そのような「確定した」事実はありませんので、ここで釘を刺しておきたいと思います。
買収した張国文の特許を盾にインスタントラーメン業界を支配し、多額の特許料を得るという安藤百福の計画は、100%成功したわけではありませんでした。 素直に特許料を支払い日清食品の軍門に下る企業も多かったのですが、これに真っ向から立ち向かう勢力が2つあったのです。
安藤百福のインスタントラーメン発明話が、時間がたつにつれどのように変化していったかを、雑誌、新聞記事、安藤自身の著書からまとめました。 スプレッドシートにまとめていますので、スマホでは見にくいと思います。パソコンで開いてください。 https://t.co/7WZ5CUWAQ4
インスタントラーメンの主な特許を、安藤百福推薦の「即席めんと特許」をベースに、出願日順に解説してみます。 まず全世界のインスタントラーメンが現在もお世話になっている、非常に重要な村田良雄の屈曲麺特許。出願は製法が昭和27年、製造… https://t.co/EevbT6JhmN
昭和31年信用組合破綻、無一文→昭和32年即席麺開発開始→昭和33年8月チキンラーメン発売 というのが「まんぷく」がもとにしている安藤百福自伝の時系列ですがこれは百福がついた嘘 信用組合破綻は昭和32年→昭和33年背任横領で百… https://t.co/1sqrqrkJBf
安藤百福の推薦文つきの「即席麺と特許」によると、チキンラーメンと同じ味付け麺を湯で戻して食べる即席麺は、チキンラーメン発売より前、第二次世界大戦中に既に存在していたそうです。 その発明者は、現在のインスタントラーメンの基礎である… https://t.co/jZcWgRtAem
これは19世紀初めの作と推定される鍬形蕙斎の近世職人尽絵詞から、焼鍋の絵。 男が魚の絵を描いています。「焼鍋」というからには小麦粉の生地を鍋で焼いて、魚の形にしているのでしょう。 これがたい焼きとお好み焼きの共通の祖先である「… https://t.co/6t0sbEVhLB
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