こんばんは。今年もGWが始まりましたが皆さんのご予定はいかがでしょうか。当方、友人との撮影会や運転会などが入っていますが、その他は部屋の片付けを兼ねたレイアウトの再整備に少し時間を割こうかと思っています。
さて、昔のアルバムを見ていたら1枚の写真が目に止まりました。ED76 40号機が旧客の先頭に立っており、「ふ~ん、客レか・・・」くらいの気持で裏返してみると“小倉に着いた「ながさき」”と書かれていてちょっと驚きました。「ながさき」は門司港~長崎・佐世保間を結ぶ夜行列車。当時いくつか仲間があった“愛称付き鈍行列車”のひとつで寝台車も1両連結していました。撮影日は昭和56年(1981年)3月20日とメモされており、以前に「1980年夏の記録」と題した記事をUPしましたが、それからわずか半年後に九州を再訪していたことになります。
当時の編成を調べると、荷+郵+寝+ハザ6両というまことに運転向きの好ましい編成であったことが判明。せっかくED76を整備するので、手持ちの客車を集めて「ながさき」編成を組んでみることにしました。
荷物車は門モシのマニ36が使われていたようで、とりあえず所属区と電気暖房付きなのに目をつぶって、急行「鳥海」向けに作った秋アキのマニ36 2057(ロコモデルキット組み)を充当します。
郵便車は持っていないので、某模型店に在庫があったTOMIXのオユ10(冷房・青)を購入し、同じく門モシのオユ10 1005としました。
寝台車はオハネフ12、オハネ12、スハネ16が使われていたようなので、余剰気味のスハネ16(フジモデル塗装済みキット組み)を充当することにして、その他の座席車も、当面使い道の決まっていない客車を寄せ集めました。上から順にスハネ16、オハ47(宮沢キット組み)、ナハフ11(中村精密プラキット組み)、スハ43(KATO完成)、スハフ42(KATO完成)です。軽量のナハフや茶色のスハフは実際に編成に組み込まれていたようです。
残るはスハフ42とオハ46が各1両。まあこれもマニ36同様、他編成から借りてくれば「ながさき」はすぐにでも出発できそうです。
といきたいところですが肝心のED76がまだフィニッシュしていません。手持ちのメタリックインレタ(ちょい古め)でナンバーを入れようとしているのですが、うまく貼り付いてくれないので、切り抜き文字のように1文字ずつ台紙からはがし、少量の接着剤で固定する方法にトライ中。視力との戦いです。
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さて、昔のアルバムを見ていたら1枚の写真が目に止まりました。ED76 40号機が旧客の先頭に立っており、「ふ~ん、客レか・・・」くらいの気持で裏返してみると“小倉に着いた「ながさき」”と書かれていてちょっと驚きました。「ながさき」は門司港~長崎・佐世保間を結ぶ夜行列車。当時いくつか仲間があった“愛称付き鈍行列車”のひとつで寝台車も1両連結していました。撮影日は昭和56年(1981年)3月20日とメモされており、以前に
当時の編成を調べると、荷+郵+寝+ハザ6両というまことに運転向きの好ましい編成であったことが判明。せっかくED76を整備するので、手持ちの客車を集めて「ながさき」編成を組んでみることにしました。
荷物車は門モシのマニ36が使われていたようで、とりあえず所属区と電気暖房付きなのに目をつぶって、急行「鳥海」向けに作った秋アキのマニ36 2057(ロコモデルキット組み)を充当します。
郵便車は持っていないので、某模型店に在庫があったTOMIXのオユ10(冷房・青)を購入し、同じく門モシのオユ10 1005としました。
寝台車はオハネフ12、オハネ12、スハネ16が使われていたようなので、余剰気味のスハネ16(フジモデル塗装済みキット組み)を充当することにして、その他の座席車も、当面使い道の決まっていない客車を寄せ集めました。上から順にスハネ16、オハ47(宮沢キット組み)、ナハフ11(中村精密プラキット組み)、スハ43(KATO完成)、スハフ42(KATO完成)です。軽量のナハフや茶色のスハフは実際に編成に組み込まれていたようです。
残るはスハフ42とオハ46が各1両。まあこれもマニ36同様、他編成から借りてくれば「ながさき」はすぐにでも出発できそうです。
といきたいところですが肝心のED76がまだフィニッシュしていません。手持ちのメタリックインレタ(ちょい古め)でナンバーを入れようとしているのですが、うまく貼り付いてくれないので、切り抜き文字のように1文字ずつ台紙からはがし、少量の接着剤で固定する方法にトライ中。視力との戦いです。
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