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ガブリエル・タルキーニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ガブリエル・タルキーニ
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1962-03-02) 1962年3月2日(62歳)
出身地 同・ジュリアノーヴァ
世界ツーリングカーカップでの経歴
デビュー 2005
所属 BRC Racing Team
車番 30
過去所属 ラーダ・スポーツ・ロスネフチ
ルクオイル
Lukoil-SUNRED
セアト・スポーツ
アルファロメオ
出走回数 271
優勝回数 22
ポールポジション 18
ファステストラップ 25
シリーズ最高順位 1位 (2009, 2018)
基本情報
F1での経歴
活動時期 1987,1988-1992,1995
所属チーム '87 オゼッラ
'88 コローニ
'89 ファースト
'89-'91 AGS
'91-'92 フォンドメタル
'95 ティレル
出走回数 79 (38スタート)
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 1
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1987年サンマリノGP
最終戦 1995年ヨーロッパGP
テンプレートを表示

ガブリエル・タルキーニGabriele Tarquini, 1962年3月2日 - )は、イタリアアブルッツォ州・ジュリアノーヴァ出身の元レーシングドライバー

イタリア語読みではガブリエーレ・タルクィーニが近い表記となる。他にもファーストネームは、ガブリエールガブリエレと記されることもある。

白地に黒いラインをクモの巣状に張り巡らせたヘルメットデザインがトレードマークだが、これはコミックスパイダーマン』の大ファンだったことに由来し、カート少年時代に自ら考案したものである[1]

タルキーニのヘルメット

経歴

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初期の経歴

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レーシングカートでキャリアを重ね、1983年にチームFernando Spreaficoのラルト・RT3トヨタイタリアF3選手権に進出。翌1984年も同体制で挑むが、F3では大きな戦果を得られなかった。

F3000

[編集]

1985年、サンレモ・レーシングに移籍。国際F3000選手権へとステップアップしマーチ・85Bコスワースでフル参戦。開幕戦から連続入賞し第3戦エストリルで3位表彰台を獲得するなど頭角を現し、ランキング6位となる。

1986年コローニへと移籍、マーチ・コスワースで3位表彰台を1度獲得したが、コローニ内では近い将来のF1参戦計画が進行中で、チームリソースがF1シャシーの制作に注がれていた影響も受けF3000ランキングは前年より下降し10位となった。1987年にファースト・レーシングに移籍し、F3000での3年目の参戦。第9戦で最高位更新となる2位を獲得しランキング8位を得た。

F1

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1987年5月、イタリアのプライペイターであるオゼッラから第2戦サンマリノグランプリにスポット参戦、決勝はギアボックストラブル発生の為リタイアしたがF1デビューを果たした。

1988年、F3000時代に所属しておりF1へと参入開始したイタリアの小規模チーム・コローニへと「復帰」しF1フル参戦。下位チームの中でも特に低域とされるチームからのF1参戦だったが、半数となる8戦で予選を通過した。

1989年、前所属のコローニと同じく、タルキーニがF3000時代に所属し、F1進出計画が進められシャーシも完成しつつあったファースト・レーシングと契約を結んだが、予算不足でマシンを完成させられなかったために第1戦ブラジルを欠場すると、そのままチームが消滅してしまった。第2戦サンマリノから、シーズン前のリオテストで負傷したフィリップ・ストレイフの代役としてフランスのAGSに移籍した。AGSでの前半は好調で、第4戦メキシコGPでは6位入賞しポイント獲得を果たす。しかし第8戦イギリスGPで予選落ちすると、それ以後は全て予備予選落ちを喫することとなった。しかしチームからは信頼を勝ちとり、9月に来季の契約延長を発表[2]1990年もAGSから参戦するが、決勝への進出は4度に終わった。

1991年もAGSと契約延長し、非力な体制であったが得意とする市街地コースでの開催だった開幕戦アメリカGPで8位完走する技術を見せた。しかしマシンの相対的な戦闘力は他チームより見劣りし、同年の決勝進出は序盤戦の3度に留まった(ただし、この年AGSを駆った4人のドライバーの中で、決勝を走ることが出来たのはタルキーニ1人だけである)。第14戦スペインGPから、運営資金面ではAGSより状態の良いフォンドメタルに移籍[3]、残る3戦中2戦で予選を通過。翌1992年も同チームから参戦する。下位チームでありながらほぼ毎戦中盤グリッドを獲得し、第12戦ベルギーGPでは予選11位につけるなど、時折その実力をのぞかせた。しかし、決勝ではフォンドメタル・GR02の完走能力の低さからリタイヤが続き、完走は1回のみとなった。結局第13戦イタリアGPを最後とし、残り3戦を残した時点でチームの運営資金問題が生じ、フォンドメタルはF1から撤退。タルキーニはF1シートを失った。

その後はツーリングカーレースに転向することとなるが、1995年にはF1復帰を目指してティレルのオーディションに参加。レギュラー契約はならなかったが、テストドライバーとなりポルトガルGPで負傷した片山右京の代役として、ヨーロッパGPの1戦のみティレルからF1復帰。このグランプリがタルキーニにとって最後のF1となった。

2008年ブランズハッチにて。セアト・レオンを駆るタルキーニ。

ツーリングカー

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1994年ツーリングカーレースに移り、同年はアルファロメオを駆ってイギリスツーリングカー選手権(BTCC)に参戦した[4]。この年タルキーニは、開幕5連勝を含め8勝をマークする圧倒的強さでチャンピオンを獲得する。

1995年・1996年はクラス1ツーリングのDTM及びITCをメインに戦い、BTCCにはスポットで参戦。クラス1消滅後は、イギリス選手権に並行しイタリア選手権にも参戦し、イギリス選手権では1990年代後半はデビッド・リチャーズプロドライブチームに所属した。この時期はホンダ車を駆ったが、それを除くとアルファロメオに乗ることが多く、イタリア選手権、2000年代に入って以後のヨーロッパツーリングカー選手権(ETCC)でも引き続きアルファロメオを駆った。

2003年にはそのETCCでチャンピオンタイトルを獲得し、その後も、しばしばアンディ・プリオールらに伍した。

同選手権が世界ツーリングカー選手権(WTCC)となった2005年まではアルファロメオに所属したが、2006年セアトに移籍した。この年は移籍初年度ながら、ランキング5位、セアト勢の中では同じく移籍初年度のイヴァン・ミュラー(ランキング4位)にこそ遅れをとったものの僅差の2番手で終え、貫禄を見せた。

2009年アウグスト・ファルフスやイヴァン・ミュラーとの争いを制してWTCCのチャンピオンを獲得。47歳にして初の世界タイトルを手にした(FIA規格の世界選手権として1957年、46歳でF1のチャンピオンになったファン・マヌエル・ファンジオを上回る史上最年長記録)。

2013年ホンダ・レーシングチームJASに移籍。チームメイトのティアゴ・モンテイロとともにシビックでWTCCに参戦する[5]

その後、2015年からロシアのマニュファクチャラーLADAに移籍。2016年までWTCCに参戦した。

2018年にはWTCCに代わり新設されたWTCR(世界ツーリングカーカップ)にBRCレーシングチームからヒュンダイ・i30 N TCRを駆って参戦。56歳にしてFIAワールドカップ王者となる快挙を達成した。

2019年も同じ体制で参戦。序盤は2勝を挙げるもその後はチームメイトノルベルト・ミケリスの後塵を排すことが多くなり、後半戦からミケリスのサポートに回り、最終的にミケリスはタルキーニのサポートもあり王者となり自身はランキング8位で終えた。

2020年は前年と違いチームメイトのミケリス共々苦戦を強いられた。この年は第3戦スロバキアのレース1で2位、第7戦スペインで3位と2度表彰台を獲得するも、WTCRに参戦してから初の未勝利に終わる。またランキングでは表彰台ゼロにもかかわらずコンスタントにポイントを獲得したチームメイトミケリスを下回るランキング14位に終わった。

2021年はWTCR第3戦・モーターランド・アラゴンで勝利を挙げ、FIA選手権で優勝した最年長ドライバーの記録を更新するなど、59歳にして依然トップドライバーとして活躍を続けていたが、同年11月にフルタイムドライバーからの引退を表明。今後もテストドライブやスポット参戦でハンドルを握る可能性はあるとしたものの、チャンピオン争いからは退くこととなった[6]

評価

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F1での経歴は、予選落ち19回・予備予選落ち20回(いずれも歴代2位、2008年現在)・決勝不参戦計39回(歴代1位、2008年現在)、入賞1回という不名誉なものである。しかし、在籍したチームは全て予選・もしくは予備予選の通過もままならない弱小チームと言われ、その中で約半分のレースで決勝に進出し、幾度も中盤にグリッドを並べ、1度ではあるが入賞も記録したことから、F1参戦時よりその運転技術は多くの関係者やファンに認められていた。

このことからロベルト・モレノと並び、実力を持ちながらマシンに恵まれなかったドライバーの代表格としてよく名前が挙がる。モレノが非常に短期間とはいえトップチームのベネトンに在籍経験があり、その間に表彰台やファステストラップを獲得したことを踏まえ、「恵まれなかったという点ではモレノの上を行っている」とも言われる。またタルキーニの生涯唯一のポイントはAGSで記録したものだが、チーム通算で2ポイントしか獲得できなかったAGSのもう1ポイントは奇しくもモレノが取ったものである。そしてタルキーニとモレノ共に1995年を最後にF1から去ったことも共通点となっている。

ツーリングカーレースでは、前述した2003年のETCC・2009年のWTCCなど多くのタイトルを獲得、目覚しい活躍を見せたことから「一度F1のトップチームで走る姿を見てみたかった」と言われるドライバーの一人となっている。

モータースポーツ・ジャーナリストの今宮純は「コーナーで定点観察していると、タルキーニは非力なマシンでもコースの端から端まで完全に使い切って、マシンのすべてを引き出して走っている。彼の走りは一見の価値がありますよ」と評価していた[7]

人物

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F1デビュー当時は、経済学を専攻する学生であった。また、F3000時代からストリートコースに強いドライバーと言われていた。陽気な性格で知られており、1988年日本GP決勝終了後のサヨナラパーティーでは、一際激しく踊っている姿が目撃された。

1990年にリカルド・パトレーゼのF1グランプリ200戦達成(当時史上最多記録)を記念した会見とミニパーティが開催されイタリア人ドライバーは皆参加していたが、タルキーニはそこにルノーが用意したバルーンアーチを見つけるとその風船を自分のシャツの中に2個入れてビッグバストプレイメイトに扮装しそばにいたデ・チェザリスカフィピッロモデナカペリらが皆大笑いしている様子が報じられたこともあった[8]

1986年の国際F3000選手権に参戦していた時、中嶋悟もF1への準備として同選手権に出ていた。エステルライヒリンクのレースで終盤タルキーニは3位を走行、中嶋が4位で表彰台をかけた争いとなり、タルキーニは終盤の数周にわたってきつめのブロックラインをとり続けた。結果中嶋より前の3位でゴールしたが、タルキーニは自分のブロックがアンフェアな領域だと自認しつつ走っていたので「中嶋は自分のブロックに対してかなり怒ってるに違いない」と思っていた。レース後、文句を言われるだろうと覚悟しながら中嶋のピットボックスへと謝りに出向いたが、中嶋は逆に「君はいいレースをしたよ」と言って讃えたのだった。タルキーニはこの対応に驚き、自分のブロック走行が恥ずかしく思えたという。これを機に「自分はナカジマのファンだ。とてもリスペクトしている」と述べている[9]

レース成績

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FIA ヨーロッパ・フォーミュラ3選手権

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チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 Pos. Pts
1984年 グランサッソコルセ ラルト RT3 アルファロメオ DON ZOL MAG LAC ÖST SIL NÜR MNZ
17
PER MUG
7
KNU NOG JAR NC 0

ル・マン24時間レース

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チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
1985年 スイスの旗 ブルン・モータースポーツ アルゼンチンの旗 オスカー・ララウリ
イタリアの旗 マッシモ・シガーラ
ポルシェ・956 C1 323 DNF DNF

国際F3000選手権

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所属チーム シャシー エンジン タイヤ 車番 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
1985年 サンレモ・レーシング マーチ・85B コスワース DFV A 13 SIL
5
THR
5
EST
3
NÜR
C
VLL
Ret
PAU
DNS
SPA
4
DIJ
13
PER
4
ÖST
13
ZAN
Ret
DON
Ret
6位 14
1986年 コローニ・レーシング マーチ・86B 34 SIL VLL
13
PAU
Ret
SPA
8
IMO
4
MUG
Ret
PER
Ret
ÖST
3
BIR
13
BUG
Ret
JAR
13
10位 7
1987年 ファースト・レーシング マーチ・87B 32 SIL
10
VLL
Ret
SPA
12
PAU
11
DON
19
PER
3
BRH
17
BIR
14
IMO
2
BUG
5
JAR
Ret
8位 12

F1

[編集]
所属チーム シャシー エンジン タイヤ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 WDC ポイント
1987年 オゼッラ FA1G アルファロメオ V8 (t/c) G BRA SMR
Ret
BEL MON DET FRA GBR GER HUN AUT ITA POR ESP MEX JPN AUS NC
(30位)
0
1988年 コローニ FC188 フォード コスワース DFZ V8 G BRA
Ret
SMR
Ret
MON
Ret
MEX
14
CAN
8
DET
DNPQ
FRA
DNPQ
GBR
DNPQ
GER
DNPQ
HUN
13
BEL
NC
NC
(23位)
0
FC188B ITA
DNQ
POR
11
ESP
DNPQ
JPN
DNPQ
AUS
DNQ
1989年 ファースト F189 ジャッド CV V8 BRA
DNA
26位 1
AGS JH23B フォード コスワース DFR V8 G SMR
8
MON
Ret
MEX
6
USA
7
CAN
Ret
FRA
Ret
GER
DNPQ
JH24 GBR
DNQ
HUN
DNPQ
BEL
DNPQ
ITA
DNPQ
POR
DNPQ
ESP
DNPQ
JPN
DNPQ
AUS
DNPQ
1990年 G USA
DNPQ
BRA
DNPQ
NC
(32位)
0
JH25 SMR
DNPQ
MON
DNPQ
CAN
DNPQ
MEX
DNPQ
FRA
DNQ
GBR
Ret
GER
DNPQ
HUN
13
BEL
DNQ
ITA
DNQ
POR
DNQ
ESP
Ret
JPN
DNQ
AUS
Ret
1991年 G USA
8
BRA
Ret
SMR
DNQ
MON
Ret
CAN
DNQ
MEX
DNQ
NC
(30位)
0
JH25B FRA
DNQ
GBR
DNQ
GER
DNQ
HUN
DNPQ
BEL
DNPQ
JH27 ITA
DNPQ
POR
DNQ
フォンドメタル Fomet F1 フォード コスワース DFR V8 G ESP
12
JPN
11
AUS
DNPQ
1992年 GR01 フォード コスワース HB V8 G RSA
Ret
MEX
Ret
BRA
Ret
ESP
Ret
SMR
Ret
MON
Ret
NC
(32位)
0
GR02 CAN
Ret
FRA
Ret
GBR
14
GER
Ret
HUN
Ret
BEL
Ret
ITA
Ret
POR JPN AUS
1995年 ティレル 023 ヤマハ OX10C V10 G BRA ARG SMR ESP MON CAN FRA GBR GER HUN BEL ITA POR EUR
14
PAC JPN AUS NC
(33位)
0

(key)

ツーリングカー

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スパ・フランコルシャン24時間レース

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チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
1987年 イタリアの旗 ブレシア・コルス イタリアの旗 リナルド・ドロヴァンディ
イタリアの旗 クラウディオ・ランジェス
アルファロメオ・75 Div.2 451 11位 8位
1989年 ベルギーの旗 バストス・カストロール・レーシング・チーム フランスの旗 ベルナルド・ベグイン
オーストリアの旗 ディーター・クエスター
BMW・M3 Sport Evo A/Div.2 DNF DNF
1992年 ベルギーの旗BMW FINA バストス チーム フランスの旗 ファビエン・ジロイ
ベルギーの旗 ティエリー・タッシン
DTM
2.5
DNF DNF
1997年 イギリスの旗 チーム・ホンダ・スポーツ ドイツの旗アルフリート・ヘーガー
ベルギーの旗 ティエリー・タッシン
ホンダ・アコード ST 166 DNF DNF
2000年 イギリスの旗 ELR バウエル・モータースポーツ ベルギーの旗 フィリップ・トルネイル
デンマークの旗 トム・クリステンセン
SP DNF DNF

イタリア・スーパーツーリング選手権

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チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 順位 ポイント
1993年 アルファコルセ アルファロメオ・155 MON
1
3
MON
2
12
VAL
1
VAL
2
MIS
1
1
MIS
2
Ret
MAG
1
2
MAG
2
2
BIN
1
2
BIN
2
1
IMO
1
2
IMO
2
15
VAR
1
1
VAR
2
2
MIS
1
1
MIS
2
Ret
PER
1
3
PER
2
5
MUG
1
1
MUG
2
Ret
3位 192
1995年 MON
1
1
MON
2
Ret
BIN
1
3
BIN
2
3
MON
1
Ret
MON
2
Ret
IMO
1
3
IMO
2
3
MAG
1
Ret
MAG
2
Ret
MUG
1
Ret
MUG
2
1
MIS
1
MIS
2
PER
1
PER
2
VAR
1
VAR
2
VAL
1
VAL
2
7位 88

世界ツーリングカーカップ

[編集]
国籍 チーム 車両 1 2 総合順位
1993年 イタリアの旗 イタリア アルファコルセ アルファロメオ・155 22 10 17位
1994年 4 4位
1995年 Ret 11 17位

イギリスツーリングカー選手権

[編集]
チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 順位 ポイント
1994年 アルファコルセ アルファロメオ・155 THR
1
BRH
1

1
BRH
2

1
SNE
1
SIL
1

1
SIL
2

DNS
OUL DON
1

3
DON
2

DNS
BRH
1

1
BRH
2

1
SIL
2
KNO
1

Ret
KNO
2

DNS
OUL
1

3
BRH
1

2
BRH
2

2
SIL
1

2
SIL
2

1
DON
1

Ret
DON
2

4
1位 298
1995年 アルファロメオ・オールドスパイス・レーシング DON
1
DON
2
BRH
1
BRH
2
THR
1
THR
2
SIL
1
SIL
2
OUL
1

11
OUL
2

Ret
BRH
1
BRH
2
DON
1
DON
2
SIL KNO
1

Ret
KNO
2

8
BRH
1

Ret
BRH
2

4
SNE
1

4
SNE
2

Ret
OUL
1

4
OUL
2

13
SIL
1

Ret
SIL
2

15
16位 33
1997年 チーム・ホンダ・スポーツ ホンダ・アコード DON
1

7
DON
2

4
SIL
1

5
SIL
2

15
THR
1

2
THR
2

1
BRH
1

6
BRH
2

2
OUL
1

Ret
OUL
2

Ret
DON
1

Ret
DON
2

6
CRO
1

17
CRO
2

Ret
KNO
1

7
KNO
2

3
SNE
1

Ret
SNE
2

3
THR
1

4
THR
2

4
BRH
1

Ret
BRH
2

7
SIL
1

4
SIL
2

3
6位 130
1999年 チーム・ホンダ・スポーツ DON
1
DON
2
SIL
1
SIL
2
THR
1
THR
2
BRH
1
BRH
2
OUL
1
OUL
2
DON
1
DON
2
CRO
1
CRO
2
SNE
1
SNE
2
THR
1
THR
2
KNO
1

2
KNO
2

6
BRH
1

Ret
BRH
2

Ret
OUL
1
OUL
2
SIL
1
SIL
2
14位 17
2000年 レッドストーン・チーム・ホンダ BRH
1

9
BRH
2

6*
DON
1

4
DON
2

2*
THR
1

Ret
THR
2

5
KNO
1

Ret
KNO
2

1*
OUL
1

9
OUL
2

8
SIL
1

5
SIL
2

2
CRO
1

6
CRO
2

Ret
SNE
1

6
SNE
2

7
DON
1

6
DON
2

1*
BRH
1

9
BRH
2

10
OUL
1

2
OUL
2

1*
SIL
1

Ret
SIL
2

6
6位 149

ドイツ・スーパーツーリング選手権

[編集]
チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 順位 ポイント
1998年 JASチーム・ホンダ・モータースポーツ ホンダ・アコード HOC
1

7
HOC
2

11
NÜR
1

8
NÜR
2

Ret
SAC
1

5
SAC
2

4
NOR
1

5
NOR
2

7
REG
1

3
REG
2

1
WUN
1

Ret
WUN
2

DNS
ZWE
1

4
ZWE
2

22
SAL
1

5
SAL
2

4
OSC
1

16
OSC
2

12
NÜR
1

21
NÜR
2

9
7位 335
1999年 SAC
1

8
SAC
2

7
ZWE
1

7
ZWE
2

3
OSC
1

3
OSC
2

5
NOR
1

16
NOR
2

DNS
MIS
1

4
MIS
2

3
NÜR
1

2
NÜR
2

3
SAL
1

Ret
SAL
2

6
OSC
1

1
OSC
2

2
HOC
1

6
HOC
2

6
NÜR
1

11
NÜR
2

3
4位 470

ヨーロッパツーリングカー選手権

[編集]
チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 順位 ポイント
2000年 JAS・エンジニアリング ホンダ・アコード MUG
1
MUG
2
PER
1
PER
2
A1R
1
A1R
2
MNZ
1
MNZ
2
HUN
1
HUN
2
IMO
1
IMO
2
MIS
1
MIS
2
BRN
1
BRN
2
VLL
1

7
VLL
2

DNS
MOB
1
11
MOB
2
6
16位 10
2001年 JAS・エンジニアリング・イタリアIP MNZ
1

Ret
MNZ
2

1
BRN
1

Ret
BRN
2

3
MAG
1

1
MAG
2

Ret
SIL
1

1
SIL
2

1
ZOL
1

1
ZOL
2

14
HUN
1

2
HUN
2

4
A1R
1

1
AIR
2

1
NÜR
1

2
NÜR
2

2
JAR
1

1
JAR
2

1
EST
1

2
EST
2

Ret
3位 579
2002年 GTAチーム・ノルダウト アルファロメオ・156 MAG
1
MAG
2
SIL
1
SIL
2
BRN
1
BRN
2
JAR
1
JAR
2
AND
1
AND
2
OSC
1
OSC
2
SPA
1
SPA
2
PER
1
PER
2
DON
1

3
DON
1

7
EST
1
EST
2
14位 4
2003年 VAL
1

1
VAL
2

4
MAG
1

4
MAG
2

Ret
PER
1

3
PER
2

1
BRN
1

6
BRN
2

4
DON
1

1
DON
2

17
SPA
1

1
SPA
2

14
AND
1

Ret
AND
2

DNS
OSC
1

2
OSC
2

5
EST
1

1
EST
2

1
MNZ
1

4
MNZ
2

3
1位 107
2004年 オートデータ・スクーデリアコルセ MNZ
1

1
MNZ
2

Ret
VAL
1

1
VAL
2

2
MAG
1

5
MAG
2

2
HOC
1

Ret
HOC
2

6
BRN
1

9
BRN
2

Ret
DON
1

3
DON
2

2
SPA
1

5
SPA
2

4
IMO
1

1
IMO
2

1
OSC
1

Ret
OSC
2

DNS
DUB
1

1
DUB
2

1
3位 106

世界ツーリングカー選手権

[編集]

(key) ( 太字 はポールポジション。) (斜体はファステストラップを示す)

チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 DC ポイント
2005年 アルファロメオ・レーシング・チーム アルファロメオ・156 ITA
1
2
ITA
2
Ret
FRA
1
4
FRA
2
8
GBR
1

1
GBR
2
3
SMR
1
15
SMR
2
10
MEX
1

2
MEX
2
Ret
BEL
1
4
BEL
2
17†
GER
1
13
GER
2

14
TUR
1

7
TUR
2

1
ESP
1
16
ESP
2
23†
MAC
1
DNS
MAC
2
DNS
7位 55
2006年 セアト・スポーツ イタリア セアト・レオン ITA
1

5
ITA
2
6
FRA
1

4
FRA
2
5
GBR
1
6
GBR
2
4
GER
1
4
GER
2
7
BRA
1
4
BRA
2
5
MEX
1
10
MEX
2
8
CZE
1

Ret
CZE
2
10
TUR
1
3
TUR
2

1
ESP
1
24†
ESP
2
DNS
MAC
1
11
MAC
2
Ret
5位 57
2007年 セアト・スポーツ BRA
1
4
BRA
2
5
NED
1
7
NED
2

1
ESP
1
Ret
ESP
2
24†
FRA
1
19
FRA
2
12
CZE
1
7
CZE
2
4
POR
1
4
POR
2
7
SWE
1
5
SWE
2
7
GER
1

2
GER
2
7
GBR
1
10
GBR
2
Ret
8位 62
セアト・レオン TDI ITA
1
6
ITA
2
Ret
MAC
1

2
MAC
2

14
2008年 BRA
1
5
BRA
2
1
MEX
1
5
MEX
2
3
ESP
1
2
ESP
2
5
FRA
1
5
FRA
2
4
CZE
1
6
CZE
2
1
POR
1
13
POR
2
11
GBR
1
7
GBR
2
5
GER
1
24
GER
2
16
EUR
1
5
EUR
2
Ret
ITA
1
2
ITA
2
1
JPN
1
10
JPN
2
Ret
MAC
1
7
MAC
2
12†
2位 88
2009年 BRA
1
4
BRA
2
1
MEX
1
6
MEX
2
8
MAR
1
2
MAR
2
5
FRA
1
12
FRA
2
6
ESP
1

3
ESP
2
3
CZE
1
3
CZE
2
5
POR
1

1
POR
2
Ret
GBR
1
4
GBR
2
3
GER
1

2
GER
2
3
ITA
1

1
ITA
2
2
JPN
1

5
JPN
2
7
MAC
1
2
MAC
2
5
1位 127
2010年 SR=スポーツ BRA
1
4
BRA
2

1
MAR
1

1
MAR
2
6
ITA
1

7
ITA
2
20†
BEL
1

1
BEL
2
6
POR
1

3
POR
2
1
GBR
1
4
GBR
2
3
CZE
1
2
CZE
2

18†
GER
1
Ret
GER
2

9
ESP
1

1
ESP
2
3
JPN
1
5
JPN
2
Ret
MAC
1
4
MAC
2
2
2位 276
2011年 ルコイル-サンレッド セアト・レオン 2.0 TDI BRA
1
7
BRA
2
6
BEL
1
4
BEL
2
1
ITA
1
Ret
ITA
2
10
HUN
1
6
HUN
2
3
5位 204
サンレッド・ SR レオン 1.6T CZE
1
NC
CZE
2
6
POR
1
5
POR
2
7
GBR
1
5
GBR
2
7
GER
1
3
GER
2
3
ESP
1
17†
ESP
2
4
JPN
1
9
JPN
2
Ret
CHN
1
NC
CHN
2
2
MAC
1
3
MAC
2
4
2012年 ルコイル・レーシング・チーム セアト・レオン WTCC ITA
1

3
ITA
2
Ret
ESP
1
2
ESP
2
9
MAR
1
11
MAR
2
Ret
SVK
1
1
SVK
2
3
HUN
1
Ret
HUN
2
6
AUT
1
4
AUT
2
16
POR
1

2
POR
2
19†
BRA
1
4
BRA
2
3
USA
1
4
USA
2
3
JPN
1
4
JPN
2
3
CHN
1
5
CHN
2
6
MAC
1
4
MAC
2
20†
4位 252
2013年 カストロール・ホンダ・ワールドツーリングカー・チーム ホンダ・シビック WTCC ITA
1
4
ITA
2
3
MAR
1

2
MAR
2
Ret
SVK
1

1
SVK
2
3
HUN
1
3
HUN
2
Ret
AUT
1
12
AUT
2
8
RUS
1
6
RUS
2
7
POR
1
Ret
POR
2
20
ARG
1
4
ARG
2
2
USA
1
6
USA
2
1
JPN
1
27†
JPN
2
4
CHN
1
7
CHN
2
2
MAC
1
DNS
MAC
2
8
2位 242
2014年 MAR
1
DNS
MAR
2
DNS
FRA
1
3
FRA
2
4
HUN
1
4
HUN
2
8
SVK
1
8
SVK
2
C
AUT
1
8
AUT
2

2
RUS
1
2
RUS
2
Ret
BEL
1
8
BEL
2
8
ARG
1
8
ARG
2
4
BEI
1
16†
BEI
2
10
CHN
1
6
CHN
2

Ret
JPN
1
6
JPN
2

1
MAC
1
3
MAC
2
DNS
6位 182
2015年 ホンダ・レーシングチーム JAS ARG
1
5
ARG
2
4
MAR
1
7
MAR
2
5
HUN
1

DSQ
HUN
2

13
GER
1
6
GER
2
4
RUS
1
3
RUS
2
Ret
SVK
1
6
SVK
2
4
FRA
1
8
FRA
2
5
POR
1
4
POR
2
3
JPN
1

3
JPN
2
12
CHN
1
Ret
CHN
2
2
THA
1
5
THA
2

5
QAT
1
15
QAT
2
7
5位 197
2016年 ラダ・スポーツ ロスネフト ラーダ・ヴェスタ WTCC FRA
1
Ret
FRA
2
Ret
SVK
1
4
SVK
2
13
HUN
1
5
HUN
2
Ret
MAR
1
4
MAR
2

3
GER
1
7
GER
2
9
RUS
1
1
RUS
2
2
POR
1
12
POR
2
13
ARG
1
14
ARG
2
13
JPN
1
10
JPN
2
10
CHN
1
16†
CHN
2
5
QAT
1

1
QAT
2
7
9位 147
2017年 カストロール・ホンダ・ワールド・ツーリングカー・チーム ホンダ・シビック WTCC MAR
1
MAR
2
ITA
1
ITA
2
HUN
1
HUN
2
GER
1
GER
2
POR
1
POR
2
ARG
1
ARG
2
CHN
1

DSQ
CHN
2

DSQ
JPN
1
JPN
2
MAC
1
MAC
2
QAT
1
QAT
2
NC 0

リタイアだが勝者の90% の距離を走行した為、規定により完走扱い。

出典

[編集]
  1. ^ タルクイーニのヘルメット・デザインの意味 Racing On No.111 ニューズ出版 1992年1月1日発行
  2. ^ タルキーニAGS残留決定 グランプリ・エクスプレス '89イタリアGP号 87頁 1989年9月30日発行
  3. ^ タルキーニ突然のフォンドメタル入り フォンドメタルとAGSでドライバーを交換 F1GPX 1991スペインGP号 30頁 山海堂 1991年10月19日発行
  4. ^ Gabriele Tarquini” (英語). Super Touring Register. 2020年4月4日閲覧。
  5. ^ ホンダ、ガブリエル・タルキーニ&ティアゴ・モンテイロでWTCC参戦TopNews 2012年07月18日
  6. ^ 59歳の伝説的老兵、初代WTCR王者ガブリエル・タルキーニが現役引退を表明「本当に長い物語だった」 - オートスポーツ・2021年11月6日
  7. ^ 今宮純「F1大百科」ケイブンシャブックス
  8. ^ デ・チェザリスも照れる 陽気なイタリアンを通り越してひょうきんイタリアンのタルクィーニ GPX 1990イギリス 29頁 山海堂 1990年8月4日発行
  9. ^ 関係者50人の中嶋悟に贈るエール F1グランプリ特集 Vol.28 1991年10月号 ソニー・マガジンズ 1991年9月16日発行

関連項目

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タイトル
先代
イヴァン・カペリ
イタリアF3チャンピオン
1984年
次代
フランコ・フォリーニ
先代
ヨアヒム・ヴィンケルホック
イギリスツーリングカー選手権チャンピオン
1994年
次代
ジョン・クレランド
先代
ファブリツィオ・ジョヴァナルディ
ヨーロッパツーリングカー選手権(ETCC)チャンピオン
2003年
次代
アンディ・プリオール
先代
イヴァン・ミュラー
世界ツーリングカー選手権チャンピオン
2009年
次代
イヴァン・ミュラー