Location via proxy:   [ UP ]  
[Report a bug]   [Manage cookies]                
特集◆これからの大学学部の歴史教育 世界史からの歴史教育の提言 いかなる歴史認識をつくっていくか? ─ヨーロッパ中心主義から新しい普遍主義へ─ 羽場久美子 20 世紀から 21 世紀への世紀転換期以降、国 際社会においてめまぐるしい変化が私たちの 世界を覆っている。 けることの極めて難しい学問である歴史学を、 「暗記物」に変えてきた側面がある。 東欧の社会主義体制の崩壊、冷戦の終焉、ソ 中学高校で「複数の解の可能性」に対応する 連邦の崩壊、あらゆるレベルと領域におけるグ 教員を育てるには受験システム・出題傾向・授 ローバリゼーションの広がり、地球環境の変化 業形態すべてを変えていかねばならず中・高教 とエネルギーの枯渇、 アジアの著しい経済成長、 員の手に余ると思われる。しかし、少なくとも さらにアメリカの覇権とドルの衰退・・・こう 大学学部教育で「複数の解の可能性」を考えさ した兆候が明白になっている 21 世紀第一四半 せることは、歴史学の再生と学生の歴史への関 世紀の現在、 「知のセンター」の入り口として 心と思考力を育てる上で極めて意義ある作業 の大学の学部教育、 なかでも歴史教育において、 である。既に大学の研究教育の個々の過程では いかなる教育を行うか、いかに歴史認識を作っ ある程度なされている作業であると思われる ていくかは、おそらく今後の社会を担う若者た が、これを促進していくことが第一の課題であ ちとその国の将来にとっても、極めて重要な課 るといえよう。 題である。ヨーロッパの地域統合における「歴 56 その結果、本来は奥の深い、一つの解を見つ 第二は、それと直接関連する重要な姿勢とし 史認識と和解」 の重要性を痛感するものとして、 て、 「異なる歴史認識を容認する」という問題 国際関係史の立場から、ささやかな問題提起を がある。E.H. カーが『歴史とは何か』の中で述 行いたい。 べているように、歴史は高い山のように、見る 第一は、大学の歴史教育において、 「解は一 人の立ち位置によって、また時代によってその つではない」 「真実は一つではない」というこ 認識は違ってくる。世界史における国史・正史 とを徹底させることである。 を「相対化し、異なった歴史認識を認める」こ 日本の教育では、歴史に限らず、 「一つの解 とこそ、日中韓の歴史認識問題の解決に苦慮す を暗記する」という大学受験システムの弊害が る北東アジアの歴史家の間に、まず導入する必 まかり通ってきたように思う。そのことは層と 要がある。 しての優秀な人材を育成するのに役立ったと 「異なる歴史認識を認める」ことが必要なの いえるが、オリジナリティや判断力あるいは は、誤解を恐れずに言えば、歴史教育以上に、 思想・哲学を持った人格を育てるには不十分で この間営々と努力が重ねられてきた歴史教科 あった。 書の話し合いの場、歴史家の歴史認識の問題で 学術の動向 2011.10 PR OF I LE ある。これは日本だけではなく周辺諸国にも言 える。 羽場久美子 (はば くみこ) 日本学術会議連携会員、青山学院大 学国際政治経済学部教授 専門:国際政治史、拡大 EU、東アジ ア共同体、歴史認識と和解 ヨーロッパでは、この間、歴史認識の共有に ついて、異なる三種の可能性が探られてきた。 1)ドイツ・フランスの歴史共同教科書、2)ド イツ・ポーランドの歴史教科書、3)バルカン 歴史教科書問題では、よく独仏和解が引き合 の歴史教材副読本の試みである。 1)の独仏歴史教科書は、周知のようにドイ いに出されるが、むしろ日中韓のきしみについ ツが謝罪し歩み寄ることで実現したものであ ては、冷戦終焉後の独・ポーランド教科書、バ るが、近年、近藤孝弘氏によって正史の在り方 ルカンの副読本の試みなどがより近く参考に に対して双方の間にずれが生じているとされ なるように思われる。バルカンの副読本のメ 1) リットは、未だ「歴史の共同認識」が得られず 2)の独・ポーランドの歴史教科書問題は、 とも(生々しい歴史の加害者と被害者が歴史認 日韓・日中関係により近いと思われる。体制・ 識を共有するのは不可能に近い)共同の歴史教 歴史観が微妙に異なる故に冷戦終焉後によう 科書作りは可能であること、 「両論併記」によ やく始まった二国関係の修復に対し、ドイツ側 り相手の歴史観とその距離から学ぶことは極 が、ホロコーストの事実は認めつつも、戦後の めて深淵な思想的作業であるという事実であ ドイツ人追放への賠償や謝罪を要求してポー る。これはまさに、戦後 60 年を超えながら歴 る 。 ランド側の反発を買い、暗礁に乗り上げた 。 史的ナショナリズムを越えられない日韓中に 3)は、むしろ冷戦終焉後に始まったバルカ 極めて応用可能なように思われるし、これであ ン諸民族の相互の敵対と殺戮の過程の中から、 れば中高の歴史教員も「異なった歴史観という 基本的に真っ向から対立する 「異なる歴史認識」 事実を示す」上でも重要な教育になろうかと思 をまず認めること、 「両論併記」により、其々 われる。しかし、これは「正史」を越えねばな の歴史認識を尊重し相手の歴史認識と自国の らない苦渋の作業でもある。 2) 歴史認識との違いや距離感を知るという歴史 第三は、 「一国史」的歴史観を、できるだけ の副読本形成により対立を修復しようとする 国境を越えた「地域」の関係史の中でとらえる 試みで、当事国関係者に緩やかに拡大している ということである。地域の歴史は、近代国民国 経緯がある。これは近年、柴宜弘氏によって紹 家=ウエストファリア体制の時代(近現代)を 介されている 3)。 学術の動向 2011.10 「例外」として、もともと一国史で区切ること 57 特集◆これからの大学学部の歴史教育 は難しく、国境を越えて、あるいは一国の中の ている。支配された側、あるいは歴史的社会的 地域の関係史として見るとより理解が深まる。 な弱者の側に、 史料はほとんど残されていない。 これは日本の中世史を見てもそうであろう。奇 あるいは、ナチス・ドイツなど独裁体制の歴史 妙なことに、近代国民国家が形成されたヨー に典型的であるように、隠蔽・廃棄・焚書を含 ロッパ以上に、アジア、日本で、歴史は「一国 め「史料を残さず」重要な決定や虐殺を行うと 史」として完結しがちであり、地域史ないし世 いう例や、ユダヤ人とアラブ国家のように、片 界の中の日本史としての観点が抜けている。こ 方の側に(被抑圧の歴史を含め)集中的に膨大 の「一国史」を超えるという作業は、半世紀に な史料が偏在し、他方の側には十分な史料が揃 わたる冷戦の分断の下、アジアで地域アイデン わないという問題もある。史料の問題は実は ティティが育たなかった(育てさせなかった) 極めて政治的・恣意的でありセンシティブであ こともあり、長期的課題であろうが、東アジア り、史料のない史実の解明も必要である。長い では、今こそ朝鮮半島や大陸の歴史と沖縄を含 間ソ連軍の虐殺であると噂されつつ、冷戦後ロ む島嶼および近海の歴史を、 「外の地域と結び シアが認めるまで真実が明らかにならなかっ つく地域史」 として共有していくべきであろう。 4) たポーランドの「カティンの森事件」 のよう 第四は、上記全てと関連して、教えるものの 能力・専門性と、教えるべき事柄のギャップを どう克服するか、という問題である。上記を実 現するにはかなり高度な専門性と知識の拡充、 ける必要がある。 最後に、最も重要な問題として、 「ヨーロッ パ中心主義批判」の問題がある。 異なる歴史観への痛みや共感的思想が必要で アジア・オリエントの例から「ヨーロッパ中 ある。現在試みられている日本史と世界史の共 心主義批判」は確かに納得できるが、それとと 同教育は様々な側面から意義があるとともに もに強い違和感が残るところもある。近代主義 教師の教える側の力量が問われる。これには、 や「ヨーロッパ中心主義」的世界観は克服され 三谷博氏などが提唱する中学・高校と大学の歴 なければならない。しかし、今や欧米が衰退し 史教員の継続的な共同交流が不可欠であり、歴 アジアの時代になり、 ゆえに 「脱亜入欧」 から 「脱 史家にとってかなりしんどい作業が必要とな 欧入亜」なのであれば、それは近代ヨーロッパ る。 中心主義の裏返しの優越主義、パワー優位主義 第五は、 歴史における「史料」の問題がある。 「史料」 (その蒐集、精査、批判)は歴史学の根 幹であるが、同時に分科会の議論の中でも指摘 されたように、史料は「支配の論理」と関連し 58 に、史料検証困難な歴史にも深い洞察を寄せ続 に過ぎない。 重要なのは何を克服していかに 「新 しい普遍」へと歴史学を止揚させるかである。 「新しい普遍」は、アジア中心主義でも、多様 性の林立でもないとすれば、何であるべきか、 学術の動向 2011.10 ということである。 その答えの一端は、3.11 の東日本震災とフク 歴史教育の課題を、紛争と対立の欧州における 統合と和解の問題から批判的に提示すること シマの原発事故から学べる。 「ヨーロッパ中心 により、歴史家自身が学生と共に「何を考え、 主義」の問題点の一つは、近代科学技術の信奉 学び、 教えるのか」についての一提言としたい。 による強いものによる弱いものの支配(淘汰) の論理であり、ブッシュのイラク戦争の際に問 題になったような「正しい戦争」の論理である。 人権、民主主義、繁栄や幸せの追及自体が問題 である訳ではない。近代主義による、科学技術 による自然の超克や、植民地主義・覇権主義・ 世界的戦争の論理を超え、21 世紀の歴史は、 「人 権」に基づき、諸民族・諸文化がパリティであ ること、人間が自然を克服するのではなく人と 自然との共生の方向への転換こそが必要なの である。 自然災害・原発事故・エネルギーの枯渇と自 然エネルギーの利用などはすべて近未来の方 向性を示している。それは「ヨーロッパ中心主 注 1) 近藤孝弘『国際歴史教科書対話―ヨーロッパにおける「過 去」の再編』 (中公新書、1998 年) 2) ヤドヴィガ・ロドヴィッチ「ポーランド・ドイツ歴史共同 教科書の試みと問題点」 『法政大学ヨーロッパ研究所研究 報告』2006 年。 3) 柴宜弘「バルカン諸国の歴史副教材を通しての和解の試み」 『拡大ヨーロッパと東アジアの地域再編―地域統合・安全 保障・社会政策の比較研究』青山学院大学総合研究所課 題別研究部、研究成果中間報告、2009 年 3 月。 4) カティンの森事件については、 『カチンの森 ポーランド指 導階級の抹殺』ヴィクトル・ザスラフスキー、根岸隆夫訳、 みすず書房、2010 年、 『カティンの森』アンジェイ・ムラ ルチク/工藤幸雄・久山宏一訳、集英社文庫、 2009 年、 アンジェイ・ワイダ監督、 『カティンの森』 (映像)などを 参照。 5) 水島司『グローバル・ヒストリー入門』世界史リブレット 127、山川出版社、2010 年。 義批判」以上に、近代主義や、力・科学技術へ の一面的信奉を超えた自然との共生作業でな ければならない。どれほどの研究者・教育者が、 自分の問題としてかかわっていけるかは今後 の課題であろうが、 水島氏の言う「グローバル・ 5) 「正しさ」や進歩、 ヒストリー」の歴史教育 、 自然の超克を越えた、自然と人との融合の歴史 教育が、3.11 を契機に、各国・各地で教えられ ることを強く願うものである。それこそオリエ ントが古来から育んできた歴史観でもあるの ではなかろうか。 以上、限られた素描ではあるが、歴史認識、 学術の動向 2011.10 59