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失敗に終わった高級車ブランド 29選(前編) 歴史に残る「しくじり」

公開 : 2025.01.26 18:05

世界には数多くの高級車ブランドが存在するが、歴史を振り返ると、すでに消滅してしまったものも少なくない。ドライエ、パッカード、アマティなど、成功に結びつかなかった29の高級車ブランドを紹介する。

生き残れなかった高級車ブランド

輝かしい成功を収めた高級車ブランドについては、誰もが知っている。その多くは数十年にわたる長い歴史を持ち、現在でも活躍を続けている。

しかし、今回は、さまざまな理由で事業につまづき、存続することができなかった高級車ブランドを振り返ってみたい。

数多くある高級車ブランドの中から、今はもう存在しない29ブランドを紹介する。
数多くある高級車ブランドの中から、今はもう存在しない29ブランドを紹介する。

ドライエ(1894年~1955年)

ドライエはフランスのトゥールで創業した家族経営の企業で、馬車製造に特化していたが、やがて高級自動車に転換した。しかし、第二次世界大戦後に人々の生活が困窮したことで、ドライエの持ち味は弱点に変わる。高級車がぱったりと売れなくなった結果、資金繰りが悪化し、1955年に閉鎖された。

ドライエ(1894年~1955年)
ドライエ(1894年~1955年)

ネイピア(1895年~1924年)

ネイピアは1808年から蒸気動力の印刷機を製造しており、1847年に創業者ネイピアの息子が事業を引き継ぐと、硬貨製造機に重点が置かれるようになった。1895年には自動車部品の製造を開始し、やがてレースカー開発にも乗り出した。第一次世界大戦後はロールス・ロイスと同等の価格帯のクルマを製造したが、性能では見劣りしていた。

1924年、ネイピアの財務状況は悪化し始め、収益性が確かな航空機用エンジンに注力するために自動車製造から撤退。現在、同社は米ワブテック社の一部となっている。

ネイピア(1895年~1924年)
ネイピア(1895年~1924年)

パッカード(1899年~1958年)

高級車メーカーのパッカードは、1930年代の不況時代を乗り切るために、価格を抑えたクルマを量産した。つまり、高級車だけでなく中級車でも存在感を示し続けたのだ。他のブランドが消えていく中、パッカードはこうして生き残ることができた。

第二次世界大戦後、パッカードはゼネラルモーターズの高級ブランドとの競争が特に厳しくなり、1954年にスチュードベーカーと合併することとなった。スチュードベーカーの主力車種にパッカードブランドのバッジを付けて販売したが、ブランドイメージは低下してしまった。結局、パッカードは1958年に生産終了した。

パッカード(1899年~1958年)
パッカード(1899年~1958年)

イソッタ・フラスキーニ(1900年~1949年/1999年)

映画スターに人気のあったイタリアのイソッタ・フラスキーニは、1920年代にはリムジンを製造していたが、1929年型のティーポ8Aカスターニャ・トランスフォーマブルが1934年の大ヒット映画に登場したことで、一躍脚光を浴びた。しかし、1930年代の経済危機と第二次世界大戦により経営は大きな打撃を受け、1949年に自動車製造を中止する。

1955年にエンジンメーカーと合併してトロリーバスの製造を手がけることになった。1996年には、高級オープンカーのコンセプトカーが登場した。さまざまな奇策を試みたものの、同ブランドは1999年に完全に閉鎖された。

イソッタ・フラスキーニ(1900年~1949年/1999年)
イソッタ・フラスキーニ(1900年~1949年/1999年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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