失敗に終わった高級車ブランド 29選(後編) 歴史に残る「しくじり」
公開 : 2025.01.26 18:25
世界には数多くの高級車ブランドが存在するが、歴史を振り返ると、すでに消滅してしまったブランドも少なくない。ドライエ、パッカード、アマティなど、成功に結びつかなかった29の高級車ブランドを紹介する。
もくじ
ーデューセンバーグ(1920年~1937年)
ーラサール(1927年~1940年)
ーコード(1929年~1937年)
ーボルクヴァルト(1933年~1963年)
ータルボ・ラーゴ(1936年~1959年)
ーISO(1938年~1974年)
ーファセル・ヴェガ(1939年~1964年)
ーインペリアル(1955年~1975年、1981年~1983年)
ーエドセル(1956年~1959年)
ージマー(1980年)
ーメルクール(1985年~1990年)
ーアマティ(1991年~1992年)
ーインフィニティ(1989年~)
ーアンフィニ(1991年~1997年)
ーアルフェオン(2010年~2015年)
デューセンバーグ(1920年~1937年)
(翻訳者注:この記事は「後編」です。前編と合わせてお楽しみください。)
デューセンバーグは、当初エンジンとレースカーを組み立て、その後、高級乗用車を作った2人の兄弟によって設立された。1926年、この兄弟は実業家エレット・ロバン・コードと提携し、オーバーンと並んで高級車市場のトップに押し上げられた。それからわずか6年後、兄弟の1人が亡くなり、もう1人はコードとともに事業を継続しようとした。
しかし、デューセンバーグは世界恐慌に成長を阻まれ、1937年にその歴史に幕を閉じた。
ラサール(1927年~1940年)
ラサールブランドは、ゼネラルモーターズの中でキャデラックのすぐ下に位置づけられたブランドである。最初のクルマを発売した後、ラサールの直接の競合相手であるパッカードが、より低価格の110と120で対抗した。
それでもラサール車は人気を博したが、世界大恐慌が襲い、生産台数は激減した。高級車市場を独占していたパッカードを相手に、ラサールは販売台数を回復しようと苦闘したが、結局、GMの経営陣は撤退を決断した。
コード(1929年~1937年)
革新的な企業であったコードだが、その信頼性は低かった。未来的なトランスミッションは故障し、ホイールベアリングは破損し、フロントグリルが大型であったにもかかわらずエンジン冷却性能は不十分であった。苦情が相次ぎ、ディーラー網は徐々に縮小していった。同社は生産開始からわずか8年で消滅した。
ボルクヴァルト(1933年~1963年)
ボルクヴァルトは、厳密には正真正銘の高級ブランドではなかったが、イザベラという高級車は1950年代に大いに売れた。イザベラではカブリオレなどの派生モデルが開発されたが、剛性を高めるために生産コストと販売価格が上昇した。兄弟会社ロイドの問題に直面したボルクヴァルトは1963年に閉鎖され、創設者のカール・ボルクヴァルトも同年に死去した。
タルボ・ラーゴ(1936年~1959年)
イタリア人エンジニアのアントニオ・ラーゴは、1936年にタルボ(タルボットとも呼ばれる)ブランドがSTDモーターズ傘下で一度目の破綻を迎えた後、タルボの商標権を購入した。1947年には、グランドスポーツT26と呼ばれる新型車が登場したが、すでに同ブランドは経営難に陥っているという噂が流れていた。
より多くの顧客を惹きつけるため、1950年代にはT14 LSと呼ばれる4気筒エンジン搭載のモデルが登場したが、そのスタイリッシュなデザインとは裏腹に、戦前の旧式シャシーと非力なエンジンを使用しており、結果として販売は伸び悩んだ。
販売台数の減少により、ラーゴは債権者から裁判所による保護を求められることとなった。生産を再開することはできたが、財務状況は深刻で、最終的にタルボ・ラーゴはシムカに売却された。