2代目 A40/50型(1977年 ‐ 1981年)
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「トヨタ・セリカ」の記事における「2代目 A40/50型(1977年 ‐ 1981年)」の解説
1977年8月、2代目にフルモデルチェンジ。先代と同じくプラットフォームはカリーナと共通。ドアは先代と同じサッシュレスタイプで、センターピラー付のボディ構造となる。この代よりトヨタアメリカ(TMS)のデザインオフィスである、キャルティデザインリサーチ(CALTY)がスタイリングを担当。空力重視のスタイリングであり、日本初の三次元曲面サイドガラスが採用された。 当初の搭載エンジンのラインアップは1.6 Lの2T-U型(OHV・シングルキャブ)、および12T-U型(OHV・シングルキャブ)、2T-GEU型(DOHC・EFI)、1.8 Lの3T-U型(OHV・シングルキャブ)、2.0 Lの18R-U型(SOHC・シングルキャブ)、および18R-GU型(DOHC・ツインキャブ)の計6種類が用意されていた。 1977年11月、1.8 LモデルのMT車用のエンジンが3T-U型から昭和53年排出ガス規制適合の13T-U型(OHV・シングルキャブ)に差し替えとなる。 1978年3月には、リフトバック(のちにクーペにも追加)にサンルーフ付き(日本車初/手動)を加え、翌4月には米国市場での対フェアレディZを主眼にした、上級モデルのセリカXX(MA40型)が登場する。 1978年5月、1600GTを除く1.6 Lモデルに3速AT車が追加される。同時に1.8 Lモデルの3速AT車用のエンジンが3T-U型から13T-U型に差し替えとなる。1600GTに搭載される2T-GEU型エンジンが昭和53年排出ガス規制適合。110 psから115 psに出力が向上。これに伴い、GT系グレードに標準装備されていた衝撃吸収ウレタンバンバーがGT系グレード以外の全グレードでメーカーオプション扱いで設定される。 1978年9月、一部改良。1.8 Lの3T-EU型エンジン(OHV・EFI)搭載の1800ST-EFI、1800XT-EFIが追加。当初は5MTのみの設定。昭和53年排出ガス規制適合。同時に、2000GTの18R-GU型エンジンのEFI化(18R-GEU型)により、昭和53年排出ガス規制適合。また、18R-U型エンジンも21R-U型(SOHC・シングルキャブ)に変更、昭和53年排出ガス規制適合。全グレードが昭和53年排出ガス規制に対応完了。これに伴いリヤオーナメント(リヤエンブレム)が「TOYOTA」から「TOYOTA CELICA」に変更となる。 1979年8月、マイナーチェンジ。 フロントグリルが変更され、ヘッドライトが角型4灯になる。他の変更点は外観ではセンターピラー・リアコンビネーションランプ 車体もエンジン前のフレームが変更されている。 このマイナーチェンジ時のキャッチコピーは「名ばかりのGT達は、道を開ける」。これはDOHCエンジンを設定していたセリカに対し、直列6気筒SOHCエンジンを搭載してGTを名乗っていた日産・スカイライン(C210型・通称ジャパン)を挑発したものであった。 1980年1月、4ドアセダンのセリカカムリが登場する。こちらはカリーナの姉妹車である。 1980年8月、GT系リフトバックのみリアサスペンションがこれまでの4リンクコイルリジッド式から、セリカXX同様、セミトレーリングアーム式サスペンションに変更。リフトバックのみ変更。セミトレーリングアーム車はA50系。セミトレーリングアームのみホイールも14インチに拡大された。また、21R-U型エンジン搭載車のATがこれまでの3速ATから4速ATに変更される。 販売終了前月までの国内新車登録台数の累計はXXを含めて13万7165台。 クーペ後期型リア
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