台記〈保延五年二月二十三日列見記/〉
主名称: | 台記〈保延五年二月二十三日列見記/〉 |
指定番号: | 118 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1989.06.12(平成1.06.12) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 古文書 |
ト書: | |
員数: | 1巻 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 藤原頼長の日記『台記』の保延五年(一一三九)二月二十三日条の列見の記事を書写した鎌倉時代前期写本である。 現状は巻子装に仕立てられているが、もとは袋綴装で一九紙からなり、書状等を飜した料紙に天に四条、地に一条の横墨界を施して書写している。原表紙は、本文料紙の第一丁表をそのまま用いたもので、「台記列見〈不書終/〉」と外題がある。本文は旧袋綴装の半葉に一一~一五行書きに書写し、巻頭の「保延五年二月廿三日〈〓/夘〉」の日付は藤原定家の筆で、以下は側近に書写させたものと考えられるが、前半と後半とで二筆に分かれ、末尾は文章の途中で終わっている。 記事の内容はすべて列見の記事で、おそらく台記の別記として記されたものであろう。頼長は時に正二位内大臣、二〇歳であったが、自ら上卿を勤めたこの儀式について、当日の儀式の準備段階のことからはじめて、申文のこと、請印のこと、式部、兵部両省がそれぞれ成選人を率いての列見のこと、およびその後の宴座、隠座のことまでを詳細に記しているが、本巻は隠座の途中までを書写したもので、以後の記事を欠いている。 平安時代の列見の次第については、『北山抄』『江家次第』等にも詳細に記されているが、本巻の記事はさらに詳しく、平安時代後期におけるこの儀式のあり方を具体的に伝えるものとして注目される。 『台記』の写本は、東京大学(仁平三年冬一巻、重要文化財)、宮内庁書陵部等に多数存するが、この保延五年二月については諸本いずれも欠いており、本巻はその新出本として重要である。 なお、一九紙すべてに紙背文書があり、ほとんどは書状類で年次を明記するものはないが、なかには治部卿に宛てた書状がある。藤原定家は建保四年(一二一六)正月から同六年七月まで治部卿をつとめており、これらの文書は、その頃に定家あるいはその周辺の者に宛てられたものと推定され、その中には和歌に関することなども記されており、冷泉家文書、『明月記』紙背文書とも関連する文書として注目される。 |
台記〈古写本/仁平三年冬〉
主名称: | 台記〈古写本/仁平三年冬〉 |
指定番号: | 201 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1957.02.19(昭和32.02.19) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 古文書 |
ト書: | |
員数: | 1巻 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 鎌倉時代の作品。 |
古文書: | 古文書手鑑 台明寺文書 台記 台記 吉川家文書 吉黄記 周防国一宮造替神殿宝物等目録 |
台記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/12 07:04 UTC 版)
『台記』(たいき)は、宇治左大臣藤原頼長の日記。『宇槐記』、『槐記』とも言う。『台記』の名称は、大臣の唐名のひとつ「三台」による。
概説
保元の乱の首謀者・頼長の記録で、保延2年(1136年)から久寿2年(1155年)まで19年にわたる。自筆原本は失われて存在しない。保元の乱前夜の摂関家や当時の故実を知る上で優れた史料である。頼長が稚児や舞人、源義賢ら武士や貴族たちと男色を嗜んでいたことも書かれており、当時の公家の性風俗を知る上で貴重なものとされる。
また藤原忠通のもとに、鸚鵡と孔雀が献上された際に、鸚鵡を観察したときのことを記している。それによると鸚鵡の舌は人間の舌に似ているから、よくものを言うのだろうとある。鳴声は、中国から渡来したものなので中国語を話し、日本人には聞いてもわからないのだろうと考えた。平安期の日本の鸚鵡の観察記事としても珍しい資料である。ともあれ、逸話の記載も多く、かつ孤高の英才政治家の栄達と失脚の記として官界の実態を活写している。
『史料大観』、『増補史料大成』に所収されている。『史料纂集』は第1巻のみ刊行。
関連項目
出典
- 朝尾直弘・宇野俊一・田中琢 編『角川 新版 日本史辞典』角川書店、東京、1996年。ISBN 978-4040320007。
- “摂関期古記録データベース”. 国際日本文化研究センター. 2024年6月12日閲覧。
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