くない‐しょう〔‐シヤウ〕【宮内省】
宮内省
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/28 14:47 UTC 版)
宮内省(くないしょう、旧字体:宮內省)とは、近代の日本にあった皇室事務を司る省庁。1869年(明治2年)に古代の宮内省に倣って太政官制のもとで発足した組織で、当初の長官は宮内卿だったが、1885年(明治18年)以降の内閣制度下においては宮中と行政各官庁は区別され、宮内省を所管する宮内大臣は内閣の閣員とはされず独立していた[1]。GHQ占領下の1946年(昭和21年)に縮小再編され、1947年(昭和22年)に宮内府、1949年(昭和24年)に現在の宮内庁となった[2][3]。
- 1 宮内省とは
- 2 宮内省の概要
宮内省
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/24 16:20 UTC 版)
帰国後、九鬼は宮内省の図書頭に就任した。ここで臨時全国宝物取調掛を設置して自ら委員長となり、旧知のフェノロサや天心が委員を務めて文化財の調査・保護に当たった。明治21年5月から9月と、10月から翌年2月の2回にわたり、フェノロサを伴って近畿地方の京都府・大阪府・奈良県・滋賀県・和歌山県を訪れ、社寺や美術品の調査を行なっている。。 翌・明治22年(1889年)に東京・京都・奈良に帝国博物館(現在の国立博物館)が設立されると初代総長となった。明治30年(1897年)古社寺保存法の制定に尽力。明治33年(1900年)に帝国博物館の総長を辞した同年には、九鬼の支援した東京美術学校(現・東京藝術大学美術学部)も設立され、フェノロサが校長となっている。 明治23年(1890年)に上野で開催された第3回内国勧業博覧会では審査総長を務めた。同年には帝室技芸員の制定に携わり、また帝国議会の設立に際して貴族院議員に任命されている。翌・明治24年(1891年)4月、農商務大臣・陸奥宗光の命令で2年後のシカゴ万国博覧会の準備組織作りを行ない、実質的な責任者である副総裁となった。
※この「宮内省」の解説は、「九鬼隆一」の解説の一部です。
「宮内省」を含む「九鬼隆一」の記事については、「九鬼隆一」の概要を参照ください。
宮内省
「宮内省」の例文・使い方・用例・文例
固有名詞の分類
- 宮内省のページへのリンク