死後〜千代の富士の昇進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:08 UTC 版)
「千代の山雅信」の記事における「死後〜千代の富士の昇進」の解説
九重の死後、九重部屋は独立して井筒部屋を興していた北の富士が両部屋合同の形で継承した。1981年1月場所後、千代の富士が大関昇進、同年7月場所後に横綱昇進を果たした。なお、大関・横綱昇進伝達式の際、通常は力士本人と師匠夫妻が揃って出席するが、千代の富士の場合は九重親方(元北の富士)の配慮により、千代の山の未亡人が北の富士と共に同席していた。(九重親方は、当時独身で妻がいなかったため、その代わりに千代の山の未亡人に立ち会ってもらったと語っている。)
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