そう愚痴っていた。
使えなくてクビにしたい社員がいるが、この規制のせいで儘ならないということらしい。
私はSES契約の客先常駐形態で働く格安底辺IT作業員で、経営のことは全くわからないので
適当に相槌を打つことしかできなかったが、考えてみれば他人事ではない。
2020年を過ぎたら解雇される可能性が高い、そんな立場であることを忘れていた。
というわけで帰ってきてから日本の解雇についての法律や判断、状況を調べてみた。
雇用関係とは言っても結局は人間関係なのだから、関係精算が面倒なのが当然か。
→ そうは思えなかった。手間がかかるけど。
特に、規制のせいで社員を解雇できない、という主張は理解に苦しむ。
やるべきことは大体決まっているのだから、粛々とそれを進めればいいのではないか。
面倒くさいとか暇がないというのは言い訳にもならん(普段の仕事でもそうだろう)。
→ 誰も幸せにならないと思う。どいつもこいつも無責任になるだけで。
口入れ屋は喜ぶか。
→ それは派遣とかフリーランスだらけになったとでも言うべき状況だろう。実態としては。
要するに…
「必要な時だけ来てほしい」「不要になったらいなくなって欲しい」という要求なわけだ。
セフレやデリヘル嬢だって、昔のアッシー君やメッシー君だって、露骨にこんな要求をされれば業腹じゃないだろうか。
人間関係というのは儘ならないもので、それは世の中の「前提条件」だと思う。
それを踏まえて価値を創出するためにヒトは組織し、計画し、協力し、教育し、努力し、勉强し、評価するんだと思う。
でも解雇規制を悪いものと感じている人たちにとっては、儘ならない関係性は「解決すべき課題」なんだろう。
他者を都合よく扱いたいという欲求を、良いものであるとナチュラルに感じている心の在りようは、恐ろしいな。
ここまで書いてきて思ったが、雇用の調整や流動化という観点からは、解雇規制を緩和・撤廃する意味がないな。
気楽に無責任に低コストで他者を使いたければ、これまでどおり派遣や、私達みたいな立場の人間を買い叩けばいい。
「解雇」できないのは規制のせいではなく、評価を下すという行為に伴う面倒事から逃げているからだ。
他者を雇用して利益を得る立場の人間は他者を「評価」する義務から逃げてはならないと思う。
「規制」はお上が勝手に思いつきで適当に作ったものではなく、過去の悲惨な歴史を教訓とした
人々の知恵の結晶の一つだ。
ぼくは恋をした,これは愛かもしれない.
相手は1年後にはおそらく遠くにいってしまうことがわかりきっている人で,今となっては片思いしている状態のまま宙ぶらりんでいたらよかったと思っている.
ぼくはそういう相手に自分自身の色々なはじめてを共有してしまった.
今まで告白してくる人は,全然会話したことのない相手や,一方的に恋愛感情を抱かれた人ばかりで,恋愛的な意味での好きという気持ちもわからなかったから,ただただ突然降りかかってくる恋愛感情に嫌悪感ばかり感じてしまった.
降りかかる恋愛感情は,不連続な状態から無理やり関係性を持たせよう,とされる感じが好きではなかった.
そして,それはアルバイトだったりの仕事相手であることが多くて,断ったら断ったで仕事に非常に支障が出てしまうから結局自分から仕事をやめるしかなかった.
それでも悪化することが多くて,正直異性は苦手だったし,殻の向こうにいてほしい,自分の内面に踏み込んでこないでほしい,としか思えなかった.
でも,今の相手の人は,なんだか居心地がよくて,なんだかあざとくて,多分うまいこと手玉に乗せられてしまったのだとは思うけれど,どこもかしこも好きになってしまった.相手から付き合って,と言われた時に,ものすごく嬉しくて初めて即答してしまった.
お互いに近くの下宿で暮らしているから,帰りにスーパーに一緒にいったり,大学で勉強したり,そういう他愛ない時間を共有できるようになった.
多分,付き合う,というのと,友達でいる,ということの大きな違いは,相手にあらゆる側面を見せることをゆるし,その対価として,相手の今までみることができなかった相手の側面を知ってそれまでをも好きになる機会を得られるか否か,にあるのだと思うようになった.
ただ,やっぱりだれか自分とは違う同性が相手と一緒に過ごしているのをみると,なんともやり場のない気持ちが渦巻いてしまう.
自分がいたはずの場所が全部奪われてしまったようで,もちろんぼくの相手には他意がなかったのかもしれないけど,やっぱりどうしようもない切なさと悲しみと,相手を信じてあげられないぼくの心の狭さへの嫌気で心も頭もいっぱいになってしまった.
正直,これが初めて自分から他人を好きになってしまったので,なんともぼくには恋愛がわからない.
もしかして,駆け引きのつもりなのかもしれないし,浮気かもしれないし,もともとそういう感じの正確なだけかもしれないし,結局ぼくは今まで見たことのなかった相手の側面を見てしまって受け入れられなかっただけなのかもしれない.
相手に確かめてもいないし,なんと聞けばいいのかすらもわからないから,全部が全部憶測で,ただ「見てしまった」ことだけが揺らがない事実である,という状態がぼくの内面をめちゃめちゃにしてくれた.
だいたいこんなことを書いて見たところで,どのような形でぼく自身が救われるのかもわからない.
どのような形でならそれを救いだと感じるのかすら,ぼくにはわからない.
結局,相手がどう振る舞ったらこの気持ちの落ち着かなさが解決するのかすら把握できていない状態で,相手になにを伝えればいいのか,相手にどうLINEすればいいのか,なんて段階を飛ばした問題点なのだと思う.
全く傲慢なぼく自身に呆れ返るような気もする.
救われたい,と思っているのに「どういう形がぼくの救いになるのか」を相手に伝えないまま感情をぶつけることで救われようとしているなんて.
解決策を提示しないまま文句ばかりをいうやつは嫌いだ,みたいなスタンスで仕事をしていたから,自己矛盾も甚だしいような気もする.
業務と生活はやっぱり別だし,自己矛盾だってだれしも持っているとは思うけれども.
どうこのブログをおさめるか,全く決めていないのでもうおさめる段階にはいるのですが,とりあえず今はなにか心が安らぐブログでも読みたいです.苦しいです.
こういう時にどう対処したらいいのかを知りたいけども,多分正解はなくて,あるとしても,相手と探り合って見つけて行くものなのだと思うので,ぼく自身がどうにかしないといけないのかもしれない.
あと,ぼく,という一人称を使っているけれど,ぼくは性別上は女子である.別に,内なる性別と実際の性別が一致していない,とかではないのだけども,今まで女性性を求められて嫌だった記憶しかないので,なんとなく一人称をぼくにしている.拗らせていると言われれば拗らせている.でも,ひとそれぞれ,世の中の雰囲気に対して拗らせている部分は,なにがしかに対して多かれ少なかれ持っていると思うので多めに見てもらえたら嬉しい.
1mmも推敲していないうえに,正しく文章を書こうともしていないので読みづらいとおもうので,最後まで読んでくださったかたはありがとうございます.脈絡もない話を聞いてくれて.
全部,春のせいにしてしまいたい.
「~屋さん」ってかわいいね^^
相手から書面で延々と人格否定されて、こっちの主張は「そんなこと言ってない」反論の一点張り(まぁ証拠はあるんだけど)
1度はどうしようもなく愛した人に、人生で稀に見るレベルで罵られて、本当に精神やられそう。
別に熱烈支持をしている訳ではなくて、他に碌な選択肢が無いのが原因。
問題だらけなうえに、まともな議論一つできない旧民主党や社民党、選挙の為だけに合体分裂を繰り返す連中、悪徳宗教、共産主義、何処の国の為の政党か判らん奴ら・・・選べるわけがない。
維新あたりは、割と真面目に対案を出して議論する姿勢があるし国会も真面目に参加してるみたいだけど。
思わせぶりばかり、正直いやらしい性格だと思うよ。
自覚あるよね?
そして今後はそれか。
私は何も期待しない。
私の父と同じ、人格障害だ。
信じる?綺麗ごと言ってただけで
汚い世の中で、汚い人しか生き残れないのかな。
綺麗ごとばかり。嘘ばかり。
顔に落書きおじさんと大差ない、
娘が若干回避型の傾向を見せはじめてきた。
娘の父親自身が回避型傾向が非常に強くて、自分から行動を起こさないし、娘に質問されてもはっきりこたえなかったり、モゴモゴして何も言わなかったりもする。
愛情表現も非常に薄いタイプなのに、ほかに子供を作ってそちらの家庭では失敗すまいと、私たちの娘のプライオリティを下げてそちらを何かと優先してる。
というわけで娘は「パパには問いかけても返事がない。返事がないなら問いかける(エネルギーが)勿体無い」みたいな、愛情を損得で捉えるようになってきた。
パパにとって自分のプライオリティは低いのだというのを感じ始めている。
これはまずい。
たしかに、愛情を求めて、自分は愛情をたくさん注いで、それでも戻ってくるものが少ないと辛い。辛いから、期待しないようになる、そして回避型傾向が強まる。
そうしないと自分が傷つくから。回避型になることが、自己防衛手段なんだ。
わかるよ、わかる。でも、娘にはそうなって欲しくない。
私もそれが辛くて娘の父親とは別れたのだけれど、娘も同じ苦しみを味わっていて、さらに彼女にとっては実の父親。
これは本当にまずいと思う。
人に相談すると、大抵、このまま行くと思春期大変なことになるし、きちんとした家庭を築けなくなっちゃうから、父親とは疎遠にする方が良い、ママとちゃんと愛情で繋がっていれば大丈夫、ということを言われる。
でも私自身は、いろんな本に父親との関係を維持していた方がいい影響が大きいということが書かれていたこともあり、私から頼んで娘にあって貰っている。
でもいずれ、娘は気づくと思う。そして傷つく。
娘が傷ついても、立ち直れるだけの強さとしなやかさを身につけさせるために、今私にできることってなんだろう。
一章
・ピカチュウサイン→前半。右側の女性に話しかけた後のタイミング。
・不明
・黒い羽根の持ち主は?→後半。恐らく、証拠品"黒い羽根"を手に入れた後
・ゴミ箱の中→後半。恐らく公園内喫茶地点の左側ゴミ箱付近限定。ピカチュウから話しかけてくる。
・エイパムのイタズラ→後半。恐らく公園内左側エリアのエイパムがいる付近限定。もしかするとポチエナを追い払った後限定かも。
We'll Go On Another Journey Someday
from the line of "A Place Further Than The Universe, Sora yori mo tooi basho"
https://anond.hatelabo.jp/20180327232253
↑これ書いたけど、あとで思い出した、
あー、そう。もう一つ硫黄島してたんだ。
https://anond.hatelabo.jp/20180327230916
1.エロい恰好をするのは自由だよ。それを制限することはないよ。
という、ただそれだけ。
この2つが独立して存在しているよ。このことについてよく考えてね。
3.エロい恰好をするなら覚悟をキメろ。覚悟できないならエロい恰好をするべきではない。
です。
これはアドバイスであって、強制じゃないです。自由な社会だからね。
外務省が渡航禁止令を出してる紛争地域に旅行に行くようなモンです。
人質になっても知らんがな。
この言葉、乱用したくは無いんだけども、ここでは使うべきだから使うね。
「自己責任」
そして、このことを教育しないことも酷いと思う。
自由というモノの性質のうち、そのメリットばかりが謳われて、デメリットに誰も真面目に向き合おうとしない世の中が滑稽すぎる。
自由をやるならしっかりその自由というモノの性質をメリットとデメリット両方とも口酸っぱく教育し、強く生きられるようにするべきだし、そうでなければ全体主義と温情主義の成分を増やすべきだし。イスラム法で統治している国みたいな。
そのどちらでもない、どっちつかずの中途半端すぎるように見えるんだよね。
むしろこれまで、どうやって外出していらしたのでしょうか。