2025-02-02

理系だけど日本古典文学を割と読んだから語る③

【前】anond:20250202174807

8:今昔物語 福永武彦 訳 宇治拾遺物語 町田康 訳[新訳] 発心集日本霊異記 伊藤比呂美 訳[新訳]

今昔物語はここに収録されている福永武彦訳で読んでいる。池澤夏樹の義父だね。僕は結構説話集が好きで、「聊斎志異」や「捜神記」、「デカメロン」やガラン版「アラビアンナイト」なんかも読んでいる。近々「カンタベリー物語」も読む予定だ。

さて、なんで「今昔物語」を全部読まず、部分訳の福永武彦訳にしたのかというと、理由はいくつかあるのだが、気軽に持ち運びのできる全訳が出ていないのが一番の理由だ。また、講談社学術文庫は、天竺編と震旦編、それから本朝世俗編が出ているのだが、なぜか日本舞台にした仏教説話を収録した巻が翻訳されていない。有名どころの仏教説話は頭の中に入れて置きたいとうっすら考えているのだが、原文を読むのが近頃は億劫なので、早く翻訳が出てくれないかと祈っている。

内容は芥川龍之介翻案したものを含め、人間心理の観察や奇妙な話、怪異の話や下品すぎる話、それから強烈な個性を持った人間の話など様々だ。一つ一つの話が短いので楽しめるし、芥川龍之介近代的に翻案する前はどんな話だったか、比べるのも楽しい。ちなみに、水木しげるインパクトのある話ばかりを漫画化したバージョン中学高校図書館にあったが、あれも面白かった。あとは、家にあった子供版に、卒塔婆だか石碑だかに血痕がついたらその土地が水害で滅亡する予言を信じる老婆の話が収録されていた。周囲の人が老婆をからかうためにわざと卒塔婆に血を付けるのだが、その晩に本当に村が滅亡する。世界民話に似た話があったと記憶しているが、出典が思い出せない。自分ギリシア神話をはじめとした、運命皮肉やアイロニカルな予言を扱った話が好きである。やっぱり説話集面白い。

ただし、編集方針だろうか、「今昔物語」では似たような話が何度か続く配列になっている。だから通読していると飽きる瞬間がある。

これは「聊斎志異」でも同じで、酒を飲んでいたら死んだ友人が化けて出てきたが、酒を飲んでいたせいか死んだことを忘れていて、そのまま話が進むみたいなパターンがかなり多い。他にも幽霊キツネが化けた美女が出てきて結ばれてハッピーエンドみたいなのも何度も繰り返される。結局みんなモテたいのね。

宇治拾遺物語」「発心集」「日本霊異記、これらはすべて未読である。「日本霊異記」は最近になってKADOKAWA現代語訳を出しているので、積んである本を片付けたら入手予定だ。なお、これは①で述べた雄略天皇エピソードの出典の一つもである

9:平家物語 古川日出男 訳[新訳]

平家物語古典の苦手な僕でも原文で読みやすいと感じた。理由は恐らく、口承文学から声に出したらなんとなくわかるからなのと、敬語相対的に簡略化されているからなんだろう。それとも、ちょうど「火の鳥」乱世編の舞台で、歴史の流れ的に何が起きるか既に分かっていたからだろうか? それとも、教科書をはじめとして、断片的に名シーンを知っていたからだろうか? バトル物として楽しんだんだろうか?

日記を読み返すと、「古代貴族世界が音を立てて崩壊していくのがよくわかる」と綴っていたし、「空海密教美術」展で観た平清盛の血曼荼羅が登場したのに滅茶苦茶興奮していた。

ちなみに、神保町の本祭りで、ちょうど講談社学術文庫版が一巻から十巻までがセットで安売りされていたので、良い機会だと思って購入したのだが、後になって全十二巻だったと気づいた。道理で安いわけだ。このバージョン解説が丁寧で、「平家物語」かなり京都中心のバイアスがかかっているという指摘がされていた。例えば、平清盛大輪田泊建築したことは今でこそ評価されているが、「平家物語」では単に京都の荒廃をもたらした暴政ってことになっている。木曽義仲もただの田舎乱暴者扱いだ。ちなみに、かつて滋賀県旅行したときに、彼の没した古戦場粟津を訪れたのだが、住みやすそうな普通住宅街になっていたのに驚いた。

太平記についてもついでだから書こう。実家神奈川県なので、鎌倉幕府滅亡まではかなり馴染みのある地名が多かったので楽しんだのだが、南北朝に分かれたままで話が終わるし、明確に「完結した!」という実感を持てる構成ではなかった。明確な善玉悪玉の物語でもないしね。みんな結構幕府側に着いたり朝廷側に着いたり右往左往している。この機を見るに敏なあたりがいかにも中世武士らしいし、おかげで誰が誰の勢力についているか、すぐにわからなくなる(ここまで書いて思ったのだが「平家物語」は平家の滅亡というわかりやすい大きな流れがあるから読みやすいのかも)。

それに、歴史書っぽくいろんな中国古典から引用するけれども、日付が操作されていたり、複数天皇意図的混同していたりする(光明天皇即位した個所、太平記ではなぜか光厳天皇重祚としている)。あくまでもこれは物語なのだ

そして、物語から、出てくる辞世の句にすごくいいのがたくさんあった。いま手元に本がないのが恨めしい。メモから見つけたのは「皆人の世にあるときは数ならで憂きにはもれぬ我が身なりけり」……なにこれつらい。

なお、各神社仏閣の縁起物語や中国古典脱線することが多く、それはそれで非常に面白いのだけれど、「だからこんなに長くなるんだよ……」みたいな気持ちになった。多少は「平家物語」でも登場・退場する人物の背景に脱線するけれどね。「ジョジョの奇妙な冒険」でも敵のスタンド使いの背景が紹介されるシーンあるよね。あのテクニックは話の流れがちょっと止まるので使いこなすのが難しい。ところで、あまりにも歴史から引用が多いので、これまた講談社学術文庫版の「史記」を読むに至った。……と、記憶していたのだが、日記を読むと両者を並行して読んでいたらしい。我ながら、なんでそんな無茶をした? 両者とも疑問点が多くて日記にやたらとメモを残している。

ところで、太平記の巻二十二に、相手のことを馬鹿にして「へろへろ矢」と呼ぶシーンがあるが、オノマトペ歴史的に興味深い。

10:能・狂言 岡田利規 訳[新訳] 説経節 伊藤比呂美 訳[新訳] 曾根崎心中 いとうせいこう 訳[新訳] 女殺油地獄 桜庭一樹 訳[新訳] 仮名手本忠臣蔵 松井今朝子 訳[新訳] 菅原伝授手習鑑 三浦しをん 訳[新訳] 義経千本桜 いしいしんじ 訳[新訳]

前回も書いたけれども、せっかくなのでもう少し細かく書こう。これはちゃん池澤夏樹全集で読んだ。

「能・狂言には身体障害者に明確な悪意を向け、冗談半分で暴力をふるうとんでもないネタもあるのだが、盲目であることが当時どのように受け止められていたかがわかる。江戸時代なんかだと視覚障害者団体も作っていたみたいだし、だから近江絵などで風刺対象ともなっているのだろう。岡田利規の訳がかなり砕けていて、特に狂言だとカタカナも多用している。「おーい太郎いる?/はーい。/あ、いたのね」には笑ってしまったが、当時の日本人にはこう聞こえていたのだろう。演劇の人なので、酔っ払いの歌などを声に出してそのまま演じられそうなのがいい。カタカナ言葉が今の日本語の生きた要素として使われていることがよくわかる。

現代第一線で活躍する作家に訳させるってのはかなり贅沢だ。今の言葉古典に新しい命が吹き込まれるって本当なんだな。

説教節」女人禁制による悲劇を描いている。これは父方の祖母からも似た話を聞いた覚えがある。何かウグイスだか何かの鳥に変じてしまう話だったようだが思い出せない。どこかの寺院縁起譚だったと思う。翻訳伊藤比呂美で、この人は「ラニーニャ」という作品芥川賞候補になっている。

曾根崎心中はいとうせいこう訳。ここから浄瑠璃。作中の大阪弁が興味深い。大阪舞台だし、近松門左衛門作品なのでそれはそうなんだが、江戸時代大阪ことばがどうだったかってのはすごく面白い。三幕の悲劇プロットは単純なんだけど、台詞の長さとか掛け合いとかが欧米演劇とはリズム全然違っている。そういえば昔、「コメディお江戸でござる」のなかで「七つの鐘が六つ鳴りて」が引用されてたけど、原文って最初から最後まで七五調らしい。この次もそうだが、借金で首が回らないってネタ時代的な物か。

女殺油地獄はひたすらダメ人間がとうとう強盗殺人までしてしまう救いのない話なんだが、ここまで徹底した悪人というか堕落して行く過程がすでに文学表現されていたってのがまず面白い。ダークヒーローとかそういうのではなく、自己弁護言い訳にまみれた情けない悪人物語だ。翻訳桜庭一樹で、ところどころ注釈的に時代背景を地の文説明しているんだけど、現代語訳っていうのはこういう自由さもある。たぶん池澤夏樹はどう翻訳してほしいか指示を出さなかったんだろう。

殺人の場面は本当に暗鬱。面白いので近松門左衛門作品もっと読みたい。江戸時代実在事件モデルにした猟奇サスペンスがあったってのが面白い。ジャーナリズムの発展ってやつだ。ただし、人生がうまくいかない人をすべて発達障害解釈しようとするのは、否定するだけの根拠はないのだが、多用しすぎるのもどうかと思う(一昔前の「シゾイド人間」みたいに流行っているだけかもしれない)。

ところで、まったく関係ない作品同士で、源融の庭の話が引用されているのは不思議で、それほどよく知られていた話だったのだろう。また、わからない言葉がちまちまあるので調べながら読むことになるんだけれど、「坊主持ち」って遊びが出てきて、これはお坊さんとすれ違うまで荷物を全部持つ遊びらしい。じゃんけんで負けたら全員のランドセルを背負う小学生の遊びの起源か?

菅原伝授手習鑑」牛車を押す場面を浮世絵で見たし、松王丸の部分は新渡戸稲造武士道」か何かで引用されていたのを思い出した。忠義のために身動き取れなくなる話は「菊と刀」にも通じている。意外と又聞きで歌舞伎物語を知っているのかもしれない。ところで、学生時代に見た子供切腹する歌舞伎は何の話だったんだろう。

翻訳三浦しをんでこれを読んだ昨年当時はは四十七歳のはずなんだけど、「ギッタンギッタンにする」「ニャンニャン」という、古いんだか新しいんだかよくわからない言語感覚が特徴。この作品では道真公の流罪の原因をかなり自由創作しているようだ。

もう少し読みたいものだと思い、浄瑠璃と加歌舞伎とかの現代語訳はないものかと「弁天娘女男白浪」について調べると、それは一部分を演じるときの題で、本来は「青砥稿花紅彩画」というらしい。

義経千本桜キツネが身代わりになるシーンがあるが、「菅原伝授手習鑑」にも木像が身代わりになるシーンがあり、これはよく見られる演出だったんだろうか? かなり自由に筋が作られている。安徳天皇女性説とか初めて知った。このあたりも「平家物語」の時代を知っていると楽しい

仮名手本忠臣蔵は四十七士全員のエピソードを語る時間はさすがにないが、悪玉は徹底的に憎たらしく描かれており、エンターテインメントの基本が抑えられている感じがする。ここでも入れ替わりの芸がある(上に書いた入れ替わりは、駕籠に乗った九太夫医師と入れ替わっている個所)。なるほど、日本演劇ストーリーだけじゃなくて上演時のテクニックについても調べる必要がある。

ところで、解説を読んでいると、「仮名手本忠臣蔵」は仇討ち物語というよりも恋愛劇だという指摘があった。他にも、どの脚本伝統を逸脱しているとか細々説明している。

あと、「しんとく丸」の話はどっかで聞いたことがあるんだが、どこでだったのかが思い出せない。

INTERMISSION③

好きとか嫌いとか、こういう本能的な感情の動きは、まったく道徳的でない。

近頃は読みもしないくせに、イケメンが出てくるフィクションに対する独断偏見自分の中でどんどん育っていることに、非常に困惑している。他人プライベート空想や願望にとやかく言うのはみっともないし、読みもしないのに批判するのは非常にダサいので、こうした非論理的感情はいつも戸惑う。逆に、一度きちんと読むべきではないか? それか、徹底的にスルーするかだ。そもそもフィクションそもそも他人の頭の中身なので、刺さらないときには徹底的に刺さらないってだけではあるまいか。かつては普通男性向け女性向けと関係なく小説を楽しめていたのに、こんな人間になってしまたことが極めて残念である

おそらく、これも僕のイケメン嫌悪去勢不安がなせる業だろう。まだ四十にならないのに前立腺肥大を患い、ED気味である

じっくり考えてみたのだが、ジャンルを問わず男性であることを否定的に書く作品や、男性苦痛を軽視するもの否定的な感想を持つようだ。昔はジェンダーSFとかを、思考を広げて無意識の前提に気づかせてくれると面白く読んでいたのに、年齢を重ねて頑固になってしまったようだ。困ったものだ。そこのままではさらに年齢を重ねたらどうなることやら。

逆に、自分が性欲を持つ男性であることを肯定するタイプポルノが大好きだ(具体的なジャンルは揚げてもしょうがないので略す)。この好きと嫌いの両者は僕が自分の性を肯定できるかにかかっている。つまるところ、「僕は男性としてダメじゃないか?」という不安を表裏一体で反映している。自分ヒゲ永久脱毛をする気が全くないのも根底には同じ感覚がある。見境無く散らばっている性癖文学の好みの背後に、一本の理屈が通っていると気づくと、自己理解が深まったようで、事態が何も解決しなくても、何かすっきりした気持ちになる。

逆に、女性作家ですごく気に入ったものを十作くらい集めて、何が好きだったをまとめてみると、こういう作家属性評価するとこから自由になれるかも。今度試みてみよう。偏見から自由になりたいものだ。

それに、偏見に凝り固まった感覚が浮かんでくるのは、人と会わず孤立している時なのであるそもそも、人との距離を取り、一緒に過ごす時間を奪ってしまうような創作活動は、僕を幸せにするだろうか?

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